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大阪地方裁判所 昭和45年(ワ)3490号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔判決理由〕(二) 杉松永の逸失利益

三、九一五、二〇六円

(1) 昭和四三年九月から昭和四四年三月まで 三三〇、三六〇円

<証拠>を綜合すると、杉松永は、大正四年五月二七日生で、事故当時五三才であり、昭和一三年二月二一日から汽車製造株式会社大阪製作所に工員として勤務していたこと、右会社では毎月の給与は基本給にその一、三五パーセントの能率給と家族手当として妻には九〇〇円と残業手当を加算した金額が支給されることとなつており、杉松永は、事故当時基本給五四、三二〇円で、残業手当は月平均少くとも一六、〇〇〇円にはなつていたこと、右会社では毎年夏期および冬期に賞与が支給されるが、昭和四三年冬期賞与は基本給の二五二、三パーセントに二〇、〇〇〇円を加算した額であつたことが認められ、杉松永の生活費は多くとも収入の二分の一程度と考えられるから、杉松永の昭和四三年九月から昭和四四年三月までの逸失利益は別紙計算書(二)(1)記載のとおり三三〇、三六〇円(円未満切捨)となる。

(2) 昭和四四年四月から昭和四五年三月まで 六七七、九七一円

前記各証拠によれば、杉松永が右会社に勤務を続けていたならば、その基本給はベースアップおよび昇給により昭和四四年四月から六二、九七七円となつていた筈であり、同年夏期賞与は基本給の二四五、一九パーセントに二二、八〇〇円を加算した額で、同年冬期賞与は基本給の二九〇、九一パーセントに二六、八〇〇円を加算した額であつたことが認められるから、杉松永の同年四月から昭和四五年三月までの逸失利益は別紙計算書(二)(2)記載のとおり六七七、九七一円(円未満切捨)となる。

(3) 昭和四五年四月から同年六月まで 一三六、七一六円

前記各証拠によれば、杉松永の基本給はベースアップおよび昇給により昭和四五年四月からは七三、二五六円となつていた筈であることが認められるから、杉松永の同月から同年六月までの逸失利益は別紙計算書(二)(8)記載のとお一三六、七一六円(円未満切捨)となる。

(4) 昭和四五年七月から昭和四六年六月まで 七〇〇、八〇一円

前記各証拠によれば、杉松永は、昭和四五年六月末日で右会社を定年退職となるが、右会社では本人が希望すれば三年間は嘱託として勤務し、従前と同じ職務につくことができることとなつており、給与および賞与も退職当時の基本給を基準として支給され、昇給はなくなるが、ベースアップはなされること、杉松永は右会社を病気で休んだことはなく、定年後も三年間は嘱託として勤務を続けるつもりでいたこと、昭和四五年夏期の賞与は基本給の一八二、三二八パーセントに二〇、〇〇〇円を加算した額であり、同年冬期の賞与は基本給の三〇七、一一二パーセントであつたことが認められるから、杉松永の同年七月から昭和四六年六月までの逸失利益を年毎のホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると別紙計算書(二)(4)記載のとおり七〇〇、八〇一円(円未満切捨)となる。

(5) 昭和四六年七月から昭和四八年六月まで 一、四四二、八八三円

前記各証拠によれば、杉松永は、昭和四六年七月以降基本給はベースアップにより七九、九〇七円となつていた筈であり、同年夏期賞与は基本給の二八二、二二八パーセントとなる筈であつたことが認められるが、昭和四六年冬期以後の賞与額および昭和四七年以後のベースアップを予測することはできないから、昭和四六年冬期については前年の昭和四五年冬期賞与額を基準とし、昭和四七年以後の基本給は昭和四六年度の基本給のままとして杉松永の昭和四六年七月から昭和四八年六月までの逸失利益を年毎のホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると別紙計算書(二)(5)記載のとおり一、四四二、八八三円(円未満切捨)となる。

(6) 昭和四八年七月から昭和五三年六月まで 一、三〇七、八六二円

前記四(二)(1)の事実によれば、杉松永は、右会社の嘱託としての勤務が終了する昭和四八年七月以後もなお五年間は就労可能であつたと認められ、労働省労働統計調査部編昭和四五年度賃金センサスによれば、昭和四五年七月当時、全産業の六〇才以上の男子労働者が毎月きまつて支給される給与は平均五六、五〇〇円であることが認められ、杉松永の逸失利益算定の基礎となる月収は少くとも右金額を下らないものと考えられるから、杉松永の昭和四八年七月から昭和五三年六月までの逸失利益を年毎のホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると別紙計算書(二)(6)記載のとおり一、三〇七、八六二円となる。

(7) 退職金 一、七二七、〇〇〇円

前記各証拠によれば、杉松永は、昭和四五年六月末の定年退職時には右会社から少くとも五、五五六、〇〇〇円の退職金を支給される筈であつたが、事故による死亡のため、三、八二九、〇〇〇円しか退職金を支給されなかつたことが認められるから、杉松永の退職金の損害は別紙計算書(二)(7)記載のとおり一、七二七、〇〇〇円となる。

(8) 餞別金 二一三、一九二円

前記各証拠によれば、杉松永は、昭和四八年六月末の嘱託終了時には右会社から基本給にその一、三五パーセントと家族手当九〇〇円を加算した額の三倍の餞別金を支給される筈であつたことが認められるから、杉松永の餞別金の損害を年毎のホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると別紙計算書(二)(8)記載のとおり二一三、一九二円(円未満切捨)となる。

以上(1)ないし(8)の合計は六、五三六、七八五円となるから、原告ら主張の逸失利益六、五二五、三四四円の限度でこれを認めることとし、前記四(一)の割合により過失相殺をすれば右六、五二五、三四四円の一〇分の六の三、九一五、二〇六円(円未満切捨)が杉松永の逸失利益の損害となる。 (山本矩夫)

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