大阪地方裁判所 昭和47年(ワ)501号 判決
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【判旨】
二原告の病状と被告の診療の経過について
1 原告が三月一三日、被告の執刀で右眼網膜剥離の手術を受けたこと、同日から同月二七日まで、両眼に常時眼帯をし、同日から四月一一日まで、有窓鏡を使用した状態で、右眼網膜剥離の治療を受けたこと、原告は、四月一一日、左眼の求心性視野狭窄を訴えたこと、被告は、右症状を眼内出血の疑いがあると診断し、止血剤の投与、眼球注射などの抗炎症療法と精神安定剤を投与したこと、原告が五月一一日、赤十字病院を退院したこと、以上のことは当事者間に争いがない。
2 前記第一項および前項の当事者間に争いのない事実や、<証拠>を総合すると、次の事実が認められ、<る>。
(一) 尼崎病院での第一回診療行為
(1) 原告は、一月二五日、尼崎病院で、訴外後藤保郎の診察を受けた。
その主訴は、二、三日前から、右眼下方に、黒い影のようなものが見え、右眼がかすむということであつた。
(2) これより先、原告は、昭和四二年八月七日から同年九月三〇日まで、尼崎病院に入院し、後藤保郎から両眼について、いずれも白内障の手術を受け、退院時には、矯正視力は、右眼0.5、左眼0.3に回復していた。右手術のため、両眼とも水晶体は欠損していた(人工的水晶体欠損症)。
また、幼時に罹患したフリクテン性強膜炎のため、両眼角膜に混濁(陳旧性混濁)があり、左眼は、既に、光学的虹彩切除術を受けていた。
(3) 視力は、左右とも0.01(矯正0.3)であつた。
左眼視野は、左方約一〇度、右方約一五度(正常は、左右約一四〇度)、上方約一五度、下方約二五度(正常は、上下約一〇〇度)であり、中等度の求心性視野狭窄の状態であつた。
ERG(網膜電気図)は、両眼とも反応はあつたが、やや減弱(サブノーマル)しており、右眼よりも左眼の方が反応は低かつた。
原告は、左眼については、何も異常を訴えなかつたが、後藤保郎は、緑内障について特に研究している関係で、必ず、患者の眼圧を測定することにしていたため、原告についても、これを測定したところ、右眼は、10/5.5(7.10)、左眼は3/5.5(24.34)であつた。
後藤保郎は、右症状と診察の結果を総合して、右眼は網膜剥離の疑いがあり、左眼は緑内障の疑いがあると診断した。
(4) 後藤保郎は、左眼緑内障の疑いを確認するため、その眼圧を再度測定する必要があると考え、原告に来院を求め、二月四日、これを測定したところ、右眼は7/5.5(12.23)、左眼は1/5.5(34.51)であつた。
後藤保郎は、右診察の結果、右眼については初診時に比べて眼圧は上昇したが、なお網膜剥離の疑いを捨て切れず、ERGにより、その進行の有無を検査することとし、二月二八日に来院するように原告に指示した。
他方、左眼の眼圧はさらに亢進していたため、ますます緑内障の疑いを強め、原告に対し、右疑いを告知したうえで、眼圧降下剤を投与し、その経過観察と眼圧測定のため、特に三日後に来院するように原告に指示した。
(5) 原告は、右指示を受けたが、これに従わず、三日後、尼崎病院へ行かなかつた。
(二) 赤十字病院での診察行為
(1) 原告は、二月一四日、赤十字病院で、香川勘右衛門の診察を受けた。
その主訴は、一か月ほど前から、何らの誘因もないのに、右眼下方が見えにくくなり、次第にその程度が増加した旨の右眼の視野狭窄であつた。
原告は、その際、香川勘右衛門に対し、赤十字病院を受診する前、右症状について、尼崎病院で診察を受け、右眼網膜剥離の疑いがあると診断されたことは告げたが、左眼については、何も異常を訴えず、尼崎病院で、緑内障の疑いがあると診断され、眼圧降下剤を投与されたことは告げなかつた。
(2) 初診時の両眼の状況は、次のとおりであつた。
両眼とも水晶体は欠損し、結膜はトラコーマのため瘢痕状を呈し、角膜は混濁していた。
右眼網膜上方に剥離が認められ、左眼網膜は朦朧としていた。
右眼硝子体は相当混濁しており、左眼硝子体は透見困難であつた。
左眼眼底は、角膜の陳旧性混濁のため透見困難であり、瞳孔上方の虹彩が欠損し、直接対光反応は最小限であつた。
視力は、右眼は三〇センチメートル指数弁(視力を黒いバツクに出した指の数を識別しうる距離で表示したもの)(矯正0.7)、左眼は0.01(矯正0.4)であつた。
視野は、両眼とも狭窄していた。
(3) 香川勘右衛門は、右症状と診察の結果を総合して、右眼網膜剥離と診断し、手術の必要を認め、入院を勧告した。
(4) 原告は、これに従い、二月二一日、赤十字病院に入院し、石田直子がその主治医となつた。
(5) 同月二二日、入院時の精密検査が行われた。
視力は、右眼は三〇センチメートル指数弁(矯正0.07)、左眼は0.01(矯正0.4弱)であつた。
眼圧は、右眼は10/5.5(7.10)、左眼は6/5.5(14.57)であつた。
視野は、右眼は、左方約四〇度、右方約五度、上方約四〇度、下方約一五度であり、左眼は、左方約三五度、右方約二〇度、上方約一五度、下方約二五度であり、両眼とも求心性視野狭窄を呈していた。
右眼網膜上方に剥離が認められたが、左眼は角膜の陳旧性混濁と硝子体の混濁のため、眼底は透見不能であつた。
(6) 入院後、右眼の症状について特に注意が払われ、硝子体混濁と角膜混濁のため、眼底の透見が困難だつたため、洗眼、結膜下注射など、その混濁を取り除くための処方が継続された。
(7) 被告は、三月三日から、石井直子にかわつて原告の主治医になつた。
原告の両眼の症状は、右引き継ぎ時、石井直子の診療当時と変化はなく、右眼眼底は依然朦朧として透見不能であり、左眼については引き継ぎ事項はなかつた。
被告は、主治医となつた後、右眼の混濁を取り除くため、同様に洗眼、結膜下注射を継続した。
三月四日、視力は、右眼は一五センチメートル指数弁(矯正0.04)、左眼は七〇センチメートル指数弁(矯正0.2)であつた。
(8) 右眼について、前記療法が継続されるうち、三月一〇日、三浦国男が診察して、一旦手術を行うことを決定したが、同月一一日には、眼底の状態がよくならず、これを中止した。
同日の視力は、右眼は一〇センチメートル指数弁(矯正0.04)、左眼は0.1(矯正0.4)であつた。
(9) 三月一三日、香川勘右衛門が診察し、同日午後、三浦国男の指導の下に被告が執刀して右眼網膜剥離の手術が行われた。
(10) 手術後、原告は、絶対安静の指示の下に、両眼に常時眼帯をした状態で、右眼網膜剥離の治療を受けたが、三月一六日、右耳痛を訴え、咽頭が発赤した他、その経過は良好で、一般状態も良かつた。
三月二七日、香川勘右衛門が診察し、両眼眼帯をとり、有窓鏡の使用を指示したが、このとき、原告は、左眼について、視野狭窄その他の異常を訴えなかつた。
原告は、三月二八日と四月一日には、いずれも、右眼が少し明るくなつた旨、四月五日には、その視野が広くなつた旨を訴えた。
四月七日、三浦国男が診察して他動的に起床することを許可し、四月一〇日、香川勘右衛門が診察して自由に起座することを許可した。
原告は、香川勘右衛門の右診察時には、左眼について、何ら異常を訴えなかつた。
(11) 原告は、四月一一日、被告に対し、突然、昨一〇日から左眼が中心わずかの部分を除き、見えないと訴えた。
被告は右訴えに基づき、直ちに診察したが、左眼には刺激症状はまつたく認められず、角膜の陳旧性混濁と硝子体の混濁のため、眼底はわずかに徹照できるが、その状況は不明であり、眼内の出血や炎症の有無は確認できなかつた。
被告は、緑内障、すなわち、眼圧をいつも念頭において診察しているので、右訴えから眼圧に注意したが、指圧法によると、その眼圧は正常であつたため、眼圧計によつて測定する必要性を認めなかつた。
被告は、右症状と診察結果からは、直ちに疾病の原因と病名を的確に把握できなかつたので、とりあえず、眼窓鏡の使用をやめて、原告が従来使用していた白内障の眼鏡に変更し、精神安定剤を投与し、経過を観察することとした。
(12) 四月一四日、三浦国男が診察した際、原告は、なお、左眼の求心性視野狭窄を訴えた。
被告は、その間の経過観察と、右訴えが突然であつたことから、眼球内の急性疾患を疑い、三浦国男と相談のうえ、眼内出血を疑い、これに対する治療をすることとし、止血剤を皮下注射し、なお、経過を観察することとした。
原告は、四月一六日、左眼について、同様に求心性視野狭窄を訴えたが、その眼底は、依然、透見不能であり、充血その他の刺激症状はまつたく認められず、指圧法による眼圧は正常であつた。
同月一七日、香川勘右衛門が診察したが、左眼の症状に変化はなく、前記止血剤の皮下注射の継続を指示した。
(13) その後、右療法を継続していたが、四月二二日、外来へ出して、初めて視力、視野を検査した。
視力は、両眼とも一〇センチメートル指数弁(矯正も同じ)であつた。
左眼視野は、上方約一五度、下方約五度、左方約三〇度、右方マイナス五度と、中心部やや外寄りのわずかな部分を除き、欠損し、強度の求心性視野狭窄が認められた。
被告は、同日以降、症状に変化はなかつたが、出血の他に眼内の炎症をも疑い、これに対処するため、リンデロンの投与を開始した。
(14) 被告は、従来の皮下注射療法の効果がなかつたので、四月二三日から同月二七日まで、局所療法として、眼内の出血、炎症の吸収を促すため、デカドロンの眼球注射を行つた。
四月二七日には、原告は、リンデロン内服後、一時、目の前が白くなるが、デカドロン眼球注射後は、異常がないと訴えた。
(15) 四月二八日、原告は、目の前が白くなり、白血病の時の状態であると不安を訴えたので、被告は、直ちに内科に対し、右訴えで、その診察を依頼した。
内科受診の結果、同日、原告の症状は白血病ではなく、ノイローゼであること、その処方として、精神安定剤とビタミン剤を投与した旨の回答があつた。なお、これより先、四月二四日には、血液検査が行われたが、勿論、異常はなかつた。
左眼の症状にも依然変化はなかつたので、被告は、同日からデカドロンの眼球注射を止め、これにかえて、炎症物質を吸収し、混濁を取り除くため、二パーセント食塩水の球結膜下注射を開始した。
その後、四月三〇日、五月二日、五月五日には、いずれも右食塩水の球結膜下注射が行われ、精神安定剤が投与されたが、左眼の症状には変化はなかつた。
(16) 原告は五月六日、香川勘右衛門が診察した際、リンデロンを服用すると、目の前が白く見える旨の症状を訴えたので、直ちにその服用が中止された。
視力は、両眼とも眼前手動弁(指数も弁別しえない時に、上下もしくは水平方向の手の動きを答えさせるもの)であつた。
左眼視野は、中心部の左右上下各五度の範囲の部分を除き、まつたく欠損していた。
同日以後は、左眼の症状に対する療法として、二パーセント食塩水の球結膜下注射、止血剤の皮下注射と内科の処方であるビタミン剤、精神安定剤の内服が行われた。
(17) 五月七日、被告の診察の結果、両眼とも刺激症状は認められず、視力は両眼とも眼前手動であるが、光線投影(手動も弁じえない時、眼前で電灯を点滅させ、光覚の有無を検査する方法)は両眼とも正確であつた。
被告は、原告の不安感が強くなる一方なので、香川勘右衛門とも相談の結果、同日、原告の家族に、右眼は少し明るくなり、視野も広くなつたこと、左眼は、特に症状に急激な変化はないこと、不安感が少し強いことなど、眼科、内科の症状を詳細に説明したうえ、環境を変える意味で通院治療にきりかえることを勧告し、その同意をえた。
(18) 原告も退院して通院治療することに同意し、五月一一日、右眼の視力、視野は改善されなかつたが、手術前より明るくなつて良かつた、お世話になつたと被告に礼を述べて、赤十字病院を退院した。
退院当時、両眼とも炎症症状は認められず、左眼の角膜には陳旧性混濁があり、眼底は朦朧として徹照不能であつた。指圧法による左眼の眼圧は正常であり、両眼とも光線投影は正確であつた。
(19) 右退院時、原告の左眼の症状について、その疾病の原因と病名を的確に把握、診断できなかつた。
(20) なお、原告が赤十字病院に入院中、被告を始め、四名の医師は、診察の都度、指圧法により、両眼の眼圧を測定したが、左眼のそれは、終始、正常であつた。
(三) 尼崎病院での第二回診療行為
(1) 原告は、五月一五日、尼崎病院で、後藤保郎の診察を受けた。
その主訴は、赤十字病院で右眼網膜剥離の手術を受けたが、約一か月後に左眼の視力障害に気づき、現在も見えないということであつた。
(2) 視力は、両眼とも眼前手動弁であつた。
視野は、右眼は測定不能であり、左眼は、左方約二五度、右方マイナス五度、上方約二〇度、下方約五度と、中心部よりやや左方の部分を除き、欠損し、強度の求心性視野狭窄の症状を呈していた。
眼圧は、右眼は12/5.5(4.9)、左眼は2/5.5(28.97)であつた。
ERGは、右眼は消失し、左眼もほとんど消失していた。
(3) 後藤保郎は、右症状と診察の結果を総合して、右眼は、網膜がほとんど全域にわたつて剥離し、赤十字病院の手術によつて治らなかつた、左眼は、続発性緑内障で、既に手遅れである旨診断した。
(4) 後藤保郎は、左眼は、既に失明に近い状態で、手遅れである旨を原告に説明したうえで、眼圧亢進により、眼球が痛むことに対する処置として、眼圧降下剤を投与し、なお経過を観察するため、同月二二日に再度来院するように指示したが、原告は、これに従わなかつた。
(四) 付属病院での診療行為
(1) 原告は、五月一九日、付属病院で、訴外法貴隆の診察を受けた。
その主訴は、視力が低く、両眼とも非常に見えにくいということであつたが、左眼について、求心性視野狭窄の訴えはなかつた。
(2) 視力は、両眼とも三〇センチメートル指数弁であつた。
眼圧は、指圧法によると、右眼はかなり軟らかく(マイナス二)、左眼はわずかに硬い(プラス一)感じであつた。
シエツツ眼圧計によると、右眼は20以上/5.5(換算不能)、左眼は1.0/5.5(24.52)、3.5/7.5(32.97)であつた。
付属病院眼科の緑内障専門クリニツクにおけるアブラネーシヨン・トノメーターの測定値は、右眼は三、左眼は二二であつた。
また、トノグラフイー(シエツツ眼圧計7.5グラム負荷)によると、房水流水率Cは0.06(その正常値は0.2以上、0.10以下は確実に緑内障とされる)であり、PoCは四六七(その正常値は一〇〇前後、それ以上は緑内障とされる)であり、その判定は、プラスであつた。
ERGは、右眼は消失していたが、左眼はやや減弱(サブノーマル)していた。
左眼の角膜には陳旧性混濁があり、硝子体も混濁しているため、その眼底の透見は不能であつた。
法貴隆は、右症状と診察の結果を総合して、右眼は網膜剥離、左眼は続発性緑内障で手遅れであると診断した。
そして、眼圧を正常化することは非常に困難で、視力の改善は望めないが、現在、わずかに残つている視力を維持し、眼圧を降下させることを目的として、緑内障の手術を行うこととなつた。
(3) 五月二六日には、眼圧は、右眼は15.0/5.5(換算不能)、左眼は0/5.5(41.38)、2.0/7.5(42.12)、4.0/10(43.38)であり、アブラネーシヨン・トノメーターによる測定値は、右眼は一、左眼は二四であつた。
同日、眼圧降下剤が投与された。
(4) 五月三〇日には、右眼は20以上/5.5(換算不能)、20以上/7.5(換算不能)、左眼は1.0/5.5(34.52)、2.0/7.5(42.12)、4.5/10(40.18)であり、アブラネーシヨン・トノメーターによる左眼の側定値は二三であつたため、眼圧降下剤が続用された。
(5) 原告は、六月九日、付属病院に入院した。
視力は、右眼は六〇センチメートル指数弁、左眼は五〇センチメートル指数弁であつた。
指圧法による眼圧は、右眼はマイナス二、左眼は正常であつた。
眼圧計によるそれは、右眼は20以上/5.5(換算不能)、左眼は1.5/5.5(31.61)、3.5/7.5(32.97)、7.0/10(27.16)であつた。
同日、同様に眼圧降下剤が投与された。
(6) 六月一〇日、症状には変化はなく、指圧法によると、右眼はマイナス二、左眼は正常であつた。
(7) 原告は、六月一一日、強膜焼灼周辺虹彩切除術(シヤイエ法)による左眼緑内障の手術を受けた。
(8) 六月一三日、指圧法によると、右眼はマイナス二、左眼は正常であつた。
六月一七日には、左眼の眼圧は、13.5/5.5(換算不能)、17.5/7.5(換算不能)となつたが、引き続き、眼圧降下剤が投与され、六月二四日、中止された。
(9) 六月二六日には、眼圧は、右眼は12/5.5(4.85)、左眼は4/5.5(20.55)、7.0/7.5(18.52)、9.5/10(17.96)であつた。
(10) 六月二七日には、視力は、両眼とも一メートル指数弁となつたが、左眼は、なお、視野が非常に狭かつた。
指圧法によると、右眼はマイナス一、左眼は正常であり、シエツツ眼圧計によると、右眼は15/5.5(換算不能)、左眼は6.0/5.5(14.57)、9.5/7.5(11.97)であつた。
左眼の眼底は混濁のため、徹照不能であつた。
(11) その後、両眼とも症状に格別変化はなく、原告は、七月一〇日、右眼網膜剥離の手術を受けた。
七月一六日には、眼圧降下剤の投与が再開されたが、七月一七日、眼圧は、左眼8.0/7.5(15.61)、左眼は10/7.5(10.94)であり、同日、右投与は中止された。
(12) その後、眼圧計による測定は行われず、原告は、八月一日、付属病院を退院した。
退院時、原告は、両眼は手術前より明るくなり、視力は指数弁はないが、指の間の隙間はよく見えると訴えた。
なお、原告は、この当時も少しノイローゼ気味となり、できれば早く帰してほしいとの希望があり、同日の退院となつた。
(13) 退院後も、眼圧計による測定は一度も行われなかつたが、指圧法によると、八月六日には、右眼はマイナス一、左眼はプラス一、八月二七日には、右眼はマイナス二、左眼は正常、一〇月一日には、右眼はマイナス二、左眼は正常、一〇月二九日には、右眼はマイナス二、左眼は正常であつた。
原告は、同日以降、付属病院へ通院しなかつた。
(五) 原告の両眼は、現在、光を全然感じない失明の状態である。
三緑内障とその診断について
<証拠>を総合すると、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。
1(一) 眼球の内圧を眼圧という。
(二) 緑内障は、毛様体で作られる房水の循環が障害されることにより、後房に房水がたまり、その内圧、すなわち眼圧が持続的またはくり返して上昇し、その結果、眼に機能的ひいて器質的障害をおこす疾患群の総称である。
(三) その主徴は、当該眼にとつての眼圧の異常な上昇であり、その上昇が急激な場合には、吐き気、頭痛、眼球の痛みを訴えることもあるが、自覚症状がないまま、眼の機能的および器質的障害が進行することも多い。
眼圧が持続的に、またはくり返して上昇すると、眼底の視神経乳頭に変化がおこり、視神経が萎縮して辺緑陥凹をおこし、まず、視機能のうち、視野の欠損、狭窄の視野障害が始まり、次いで視力が低下し、その末期には、極度の求心性視野狭窄の症状を呈するに至るが、この末期症状でも、長期間、中心視力は低下せず、なお、良好に維持されることが多く、やがて、視神経萎縮により失明に至る。
(四) 緑内障による視神経乳頭の病変は不可逆的であり、一度罹患すると、一生根本的な治療方法はなく、点眼液により、眼圧をコントロールし、病状のそれ以上の進行を食い止めるのが第一であり、これが不可能な場合、眼圧降下剤を併用する。
その手術は、視力を改善するよりも、現在の視力を維持し、眼圧を降下させることがその主目的である。手術により、視力が回復もしくは上がる例はほとんどないばかりか、かえつて、しばしば視力低下を招き、その末期症状に至ると、投薬は勿論、手術によつて、視力を改善することは不可能であり、失明は不可避である。
したがつて、点眼液により眼圧がコントロールされる限り、その方法を選び、手術は、眼圧降下剤を長期間使用しない限り、眼圧を低下させない場合にのみ行われるのが通常である。
(五) 緑内障の診断は、眼圧上昇、視神経乳頭の変化、視野欠損、視力低下などの症状により総合的に判定されるから、眼圧測定、眼底検査、視野検査、視力検査がその診断の決め手となる。
2(一) 緑内障は、原発生緑内障と続発性緑内障に大別される。
(二) 原発生緑内障は、その原因と考えられるような眼疾患がないのに眼圧が上昇し、発病するもので、うつ血性(炎性)緑内障(急性と慢性がある)、単性緑内障、先天性緑内障などに分類される。
(三) 続発性緑内障は、予め、種々の眼疾患があり、その経過中、あるいはその結果として、眼圧が上昇し、発病するに至つたもので、虹彩毛様体炎性緑内障、出血性緑内障、腫瘍性緑内障、水晶体性緑内障、白内障手術後の緑内障などに分類される。
3(一) 眼圧は、時々刻々変化し、正常眼圧自体、個人によつて相当の差があるから、緑内障の診断には、眼圧を継続的、多角的に測定することが必要である。
その測定方法には、指圧法と眼圧計による方法がある。
(二) 指圧法は、上眼瞼の上に左右の人差し指をあて、波動を見るように眼球を触診して、その固さをみる方法である。
この方法は、医師が日常診療の過程で訓練した指先の感覚に頼つて判断するもので、病的に眼圧の高い時、または低い時の判定には威力を発揮するが、眼圧が正常限界付近のときは、測定者の主観が大きく左右することを免れず、あくまでも、便宜的、補助的な検査方法である。
指圧法による評価は、正常のときは、n、わずか高いときはプラス一、かなり高いときはプラス二、木片を触れるように硬いときはプラス三、低いときは、同様に、マイナス一、マイナス二、マイナス三と表示する。
(三) 眼圧計による測定方法のうち、臨床的なものには、圧入眼圧測定法と圧平眼圧測定法がある。
前者は、角膜に一定の重さの杆をのせ、その重みで生じる角膜のひずみから眼圧を測定する方法であり、その代表的なものは、シエツツ眼圧計である。現在は、アメリカ眼圧規正委員会が一九五九年に発表したスペシフイケイシヨン5がその規格として、国際的に採用され、眼圧計メーカーはすべて、この規格に基づいて製作しており、この規格眼圧計には、フリーデンワールドの一九五五年換算表が併用される。その正常眼圧の平均値は、一五〜二〇とするのが一般的であり、二〇〜三〇は高眼圧で正常限界であり、緑内障を疑うべき眼圧である。シエツツ眼圧計による測定は、被検者が眼を緊張させると容易にその影響を受け、そうでなくても、眼球の硬度の影響を受けるから、これを補正する必要がある。
後者は、角膜の一定面積を扁平化するのに必要な力として、直接に眼圧を測定する方法であり、アブラネーシヨン・トノメーターがこれである。その正常眼圧の平均値は一五〜一六であり、その正常限界は二五である。この方法によると、眼球の硬度はほとんど無視できるから、シエツツ眼圧計よりも正確度が高い。
3(一) 緑内障は、眼圧が上昇する疾病であるのに対し、網膜剥離は、眼圧が低下する疾病である。
(二) ERGは、角膜と顔面皮膚に電極を置き、この状態で、網膜に光刺激を与え、網膜に現われる電位の変化を誘導、増幅して波形として記録するもので、網膜に活性がある限り、ERGには特殊な波が出るが、網膜が剥離したり、変性すると、すべての波が消失し、あるいは、その振幅が小さくなる。
(三) 緑内障による失明と、網膜剥離もしくはその変性による失明は、その機序を異にするから、緑内障により失明しても網膜に変化が起きていない以上、ERGは正常である。
四原告の左眼の疾病とその失明の原因について
原告の左眼の疾病とその失明の原因について、緑内障の主徴(眼圧上昇、視野狭窄、視力低下、眼底所見)に照らして検討する。
1 眼圧について
(一) シエツツ眼圧計による測定値
一月二五日 24.34
二月四日 34.52
二月二二日 14.57
五月一五日 28.97
五月一九日 34.52、 32.97
五月二六日 41.38、 42.12、43.38
五月三〇日 34.52、 42.12、40.18
六月九日 31.61、 32.92、27.16
六月一一日 緑内障手術
六月一七日 換算不能に低下
六月二六日 20.55、 18.52、17.96
六月二七日 14.57、 11.97
七月一七日 10.94
(ただし、上段は5.5グラム負荷、中段は7.5グラム負荷、下段は一〇グラム負荷をそれぞれ表わす)
(二) アブラネーシヨン・トノメーターの測定値
五月一九日 二二
五月二六日 二四
五月三〇日 二三
(三) 指圧法による測定値
赤十字病院 終始正常
五月一九日 プラス一
六月九日 正常
六月一〇日 正常
六月一三日 正常
六月二七日 正常
八月六日 プラス一
八月二七日 正常
一〇月一日 正常
一〇月二九日 正常
(四) トノグラフイーの測定値
房水流水率C=0.06
PoC=四六七
(五) 眼圧は、指圧法による測定(ただし、五月一九日と八月六日の付属病院での測定を除く)と、赤十字病院での二月二二日の測定と付属病院での緑内障手術後の測定を除き、高眼圧であり、しかも、そのほとんどが正常限界である三〇をこえて、持続的にあるいはくり返し上昇し、アブラネーシヨン・トノメーターによる測定結果も正常限界に近く、トノグラフイーも、房水の循環が強度に障害されていることを示している。
そうすると、眼圧は、その始期は明らかではないが、おそくとも、一月二五日、尼崎病院の初診時から六月一一日緑内障の手術を受けるまで、持続的に、またはくり返して上昇していたと認めるほかはない。
(六) もつとも、赤十字病院での二月二二日の測定値は、ほぼ正常であつたが、眼圧は時々刻々変化するものであり、しかも、尼崎病院で投与された眼圧降下剤の影響も無視できないから、右測定値があることは、前記のように眼圧の全体的な上昇傾向を認定することの妨げとはならない。
また、指圧法による測定は、眼圧が病的に高いか、もしくは低い場合には有効であるが、正常限界付近では、測定者の主観により、微妙に左右されるものである(現に、赤十字病院退院後、一週間ほどしかたつていない五月一九日にはプラス一と測定され、また、六月九日には、眼圧計による測定値は27.16ないし32.97であつたのに、指圧法によるそれは正常であつた)ことに鑑みると、被告を含む四名のベテラン医師が指圧法により正常と診断したことは、前記のとおり、眼圧の全体的な上昇傾向を認定する妨げとはならない。
2 視野について
(一) 視野は、一月二五日には、既に中等度の求心性視野狭窄の症状を呈していた。
二月二二日には、右狭窄にあまり変化はなかつたが、四月二二日には、下方、右方の視野狭窄が急速に進行しており、五月六日には、極度の求心性視野狭窄の症状を示していた。
五月一五日には、四月二二日とほぼ同程度の強度の求心性視野狭窄の症状を呈し、六月二七日にも、非常に狭窄していた。
(二) そうすると、視野は、一月二五日には、既に、通常人よりはるかに強い求心性視野狭窄の症状を呈していたが、四月二二日には、その狭窄は、急速に著しく進行していたと認めるほかはない。
3 視力について
(一) 視力は、次のとおり変化した。
一月二五日 0.01(0.3)
二月一四日 0.01(0.4)
二月二二日 0.01(0.4弱)
三月四日 七〇センチメートル指数弁(0.2)
三月一一日 0.1(0.4)
四月二二日 一〇センチメートル指数弁(同上)
五月六日 眼前手動弁、光線投影正確
五月一五日 眼前手動弁
五月一九日 三〇センチメートル指数弁
六月九日 五〇センチメートル指数弁
六月二七日 一メートル指数弁
八月一日 指数弁〇
(二) そうすると、視野狭窄にもかかわらず、その中心視力は、四月一〇日までは良好に保たれていたが、視野狭窄に伴い、その中心視力も急激に低下し、五月六日には、光線投影は正確であつた(明暗の感覚はあること、すなわち、盲でないことを示す)ものの、視力は眼前手動弁にまで低下し、尼崎病院での眼圧降下剤の投与、付属病院での眼圧降下剤の投与、緑内障手術によつて、一時、一メートル指数弁にまで回復したものの、八月一日には、指数弁〇となつた。
4 眼底所見について
角膜の陳旧性混濁と硝子体の混濁のため、終始、透見不能もしくは困難であつたため、眼底の病変を確認できなかつた。
5 以上のような、眼圧の持続的上昇傾向、房水流水率の低さ、求心性視野狭窄の症状、視力の低下状況、眼圧降下剤の投与、手術による一時的改善などを総合すると、その発病時期は明らかではないが、左眼の症状は、房水の循環が強度に障害され、そのため眼圧が持続的に、またはくり返して上昇し、求心性視野狭窄が中等度から次第に進行し、これに伴い、なお良好に維持されていた中心視力も著しく低下し、ついに失明に至つたと認めるほかはなく、右症状は、緑内障の典型的な末期症状であつたというべきである。
そして、一月二五日、二月四日の眼圧、視野狭窄状況および中心視力に照らすと、緑内障は、この時点では、既にその末期症状を呈していたと認められる。
6 他の疾病の検討
(一) ERGは、一月二五日にはやや減弱していたが、五月一五日には、ほとんど消失していた。
しかし、他方、五月一九日には、再びやや減弱してはいるが、一月二五日と同じ反応を示した。
そうすると、五月一五日のERGの結果から、直ちにこの時点で網膜に変性がおこり、ERGが消失したと推認することは難しく、その眼圧に照らすと、その剥離がおこつたことは到底認められないというべきであり、そのほかに、本件に顕われた証拠を仔細に検討しても、網膜に何らかの病変が生じたことが認められる証拠はない。
(二) なお、硝子体の混濁は、赤十字病院に入院した当初からのものであり、本件に顕われた全証拠を仔細に検討しても、四月一〇日ころ以降、特に硝子体の出血、炎症を疑わせる症状が出てきたことが認められる証拠はない。
そうすると、その混濁状況に変化はなかつたと認めるほかはないから、右混濁状況から、硝子体に急性出血、炎症がおこつたことは認められないというべきである。
かえつて、前記のとおり、右混濁を取り除こうとする被告の努力にもかかわらず、まつたく改善がみられなかつたばかりか、その症状の悪化を招いたこと、緑内障の療法により、一時的にではあるが、改善が認められたことに鑑みると、硝子体の混濁は、左眼の疾病には無関係であつたと認めるほかはない。
7 結び
このように、一月二五日には、既に緑内障の末期症状であつたこと、眼圧の上昇傾向、視野狭窄の進行状況、視力低下の状況から緑内障がさらに進行したと認められること、その他には、失明の原因となる眼球内の疾患は認められないことを総合すると、左眼の疾病は緑内障であり、そのため失明したと認めるほかはない(後藤保郎、法貴隆は、いずれもその主原因を確定できないが、原発性でないという意味で、これを続発性緑内障と診断しているが、他方、トノグラフイーのPoCは原発生緑内障のそれをあらわしていることが認められ、そのどちらかの確定は困難である)。
五責任原因
1 被告の診療行為が適切であつたかどうかを、前記緑内障の主徴に照らして検討する。
(一) 左眼は、赤十字病院の初診時には、既に緑内障を発病し、その末期症状であつた。
(二) 視野狭窄を訴えるまでの診療行為
原告の主訴は、右眼下方の視野狭窄であり、左眼については何も異常を訴えなかつたこと、原告は右主訴に基づき右眼網膜剥離と診断され、その手術のために入院したこと、原告は、初診の際は勿論、その後の診察の際にも、尼崎病院で左眼について緑内障の疑いがあると診断され、眼圧降下剤を投与されたことを、香川勘右衛門ら赤十字病院の医師に告知しなかつたこと、入院当初、その眼圧は14.57と正常であつたこと、入院後、指圧法による眼圧に正常であつたこと、左眼に中等度の求心性視野狭窄はあつたが、その視力は良好であつたこと、被告が主治医となつた当時、特に左眼について引き継ぎ事項はなかつたこと、被告は右眼網膜剥離の手術とこれに対する治療を引き継いだこと、角膜の陳旧性混濁と硝子体混濁のため、左眼の眼底は終始透見困難もしくは不能であつたこと、原告からは、四月一一日まで、左眼について何も異常の訴えはなかつたことを勘案すると、視野狭窄の状況を考慮しても、被告が左眼の視野狭窄の訴えがあるまで緑内障の疑いを持たなかつたことは当時の一般的医療水準に照らし、まことに無理からぬ点があつたというべきであるから、この点に過失は認められない。
仮に過失があつたとしても、後記のとおり、この過失と失明との間には法律上、相当因果関係は認められない。
(三) 視野狭窄を訴えた後の診療行為
(1) 原告は、四月一一日、突然、左眼の求心性視野狭窄と視力低下を訴えた。
被告は、右訴えにより、左眼についてその症状を注意深く観察することが要求されるに至つたものであり、現に、同日以降、指圧法による測定結果をカルテに記載しているから、眼圧上昇について、特に注意をするようになつたことが認められるというべきである。
しかるに、被告は、指圧法による測定値が正常であつたため、それ以上、眼圧計による測定をしなかつた。
他方、当時、左眼には刺激症状はまつたく認められず、硝子体の混濁状況も従前と変化なく、眼内の出血や炎症を疑うべき症状は認められなかつた。
(2) 四月二二日、被告は検査の結果、強度の求心性視野狭窄と視力の著しい低下を認めたが、他方、硝子体の混濁状況は従前と同様で変化は認められなかつた。
(3) 以上のような視野狭窄状況、視力低下状況に照らする、この症状は、緑内障の末期症状を疑うに十分な症状であつた。
したがつて、被告は、おそくとも、この時点で、緑内障の発病を疑い、眼圧の状況について、さらに注意深く観察し、単に指圧法による測定にとどまらず、直ちに眼圧計により継続的に眼圧を測定すべきであつた。
被告は、右眼網膜剥離の手術後であり、感染をさけるため、眼圧計の使用を差し控えたもので、眼圧計を使用しなかつたのは相当であつたと主張するが、付属病院では、緑内障の手術後、一週間目には、当該手術眼に対して眼圧計を使用し、右眼網膜剥離の手術後も同様に一週間目には、これを使用している。そして、本件に顕われた全証拠を仔細に検討しても、原告について、四月二二日以降、特にその使用を差し控えるべき事情があつたことが認められる証拠はない。
そうすると、眼圧計使用について、その障害はなかつたというほかはない。
(4) このように、被告は、四月二二日以後は、眼圧計を用いて継続的に眼圧を測定すべきであり、その障害はなかつたのに、指圧法による感覚を信頼するあまり、緑内障を疑わず、原告の訴えが急激であつた一事から、他に眼内の出血や炎症を疑わせるべき症状は認められないのに、漫然と急性疾患のみを疑い、眼圧計を使用して、眼圧を測定しなかつた。
(5) 緑内障は、原告のような年令の人にはめずらしい疾患ではなく、これによる視機能障害の主徴は、求心視野狭窄、視力低下である。
右症状が現われた段階では、緑内障は、既に相当程度進行しているから、右訴えがあれば、眼底が透見不能のため視神経乳頭の変化を確認できなくても、眼科医は、直ちに本症の発病を疑い、指圧法による測定にとどまることなく、眼圧計による測定をくり返し、眼圧が高いと認められるときは、眼圧降下剤を投与し、その経過を観察するなどの方法により、眼圧上昇の発見に努めて、その疑いの確認を急がなければならない。
そして、このことは、当時の一般的医療水準に照らし、どの眼科医に対しても要求でき、また期待できる事柄である。
したがつて、被告が四月二二日以降、緑内障を疑わず、眼圧計を使用しなかつたことは、本計診療行為上の過失と認めるべきである。
2 被告の診療行為上の過失と原告の失明との因果関係
(一) 緑内障により視神経乳頭におこる病変は不可逆的であり、手術は、現状の視力維持と眼圧降下をその目的として行われるにすぎず、その場合でも、結果的には、しばしば視力低下を招く、その末期症状では、投薬、手術その他の処置によつて、眼圧をコントロールすることは勿論、失われた視力を改善することは不可能であり、その失明は不可避である。
(二) 被告が診療した当時、左眼は、既に緑内障の末期症状を呈し、手遅れの状態であつた。
したがつて、被告が右視野狭窄の訴えがあつた後は勿論、主治医となつた後、早期に緑内障を発見し、その時点で、これに対する投薬、手術などの処置をしたとしても、もはや、その失明を回避することは不可能であつたというほかはない。
(三) 被告の前記診療上の過失と原告の失明との間には、法律上、相当因果関係は認められないから、本件請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。
六結論
以上の次第で、原告の本件請求は理由がないから失当として棄却することとし、民訴法八九条に従い、主文のとおり、判決する。
(林繁 砂川淳 播磨政明)