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大阪地方裁判所 昭和48年(ワ)508号 判決 1978年10月24日

原告 菊池幸雄

右訴訟代理人弁護士 豊川義明

同 佐藤欣哉

被告 国

右代表者法務大臣 瀬戸山三男

右指定代理人 岡崎真喜次

被告 原田直彦

右訴訟代理人弁護士 米田泰邦

主文

被告国は原告に対し三三八万四、七〇四円およびこれに対する昭和四八年三月一四日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告の被告国に対するその余の請求を棄却する。

原告の被告原田直彦に対する請求を棄却する。

訴訟費用は、原告と被告国との間では被告国の負担とし、原告と被告原田直彦との間では原告の負担とする。

この判決は一項につき仮に執行することができる。

事実

第一(当事者双方の申立)

原告は「被告らは連帯して原告に対し三四五万八、八〇四円およびこれに対する昭和四八年三月一四日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」

との判決ならびに仮執行の宣言を求め、被告らはいずれも「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決ならびに被告国は仮執行宣言が付されるときは担保を条件とする仮執行免脱の宣言を求めた。

第二(原告の請求の原因)

一  被告国は、国立大阪病院を所轄し、同病院の医師の診療の実施につき一般的に監督義務を負うものであり、被告原田は肩書地において泌尿器外科を専門とする開業医である。

(1)  原告は昭和四四年秋頃から尿路周辺の異常を感じ、近所の開業医である池田医師の診療を受けていたが、症状が好転せず、同医師の紹介で国立大阪病院の泌尿器科の荻野開作医師を訪れ、昭和四六年一月より同年一二月まで通院し、同医師の診療を受けた。

(2)  その間荻野医師は、原告の病気を膀胱頸部硬化症であるとし、前立腺マッサージと前立腺の炎症に対する投薬の治療をするだけで、原告の症状は悪化する一方であった。

三  そのうち、原告は、知人に被告原田を紹介され、昭和四七年一月六日よりその診察、検査を受けた結果腎臓結石と診断され、同月一七日入院し、翌一八日被告原田より手術を受け、右腎を摘出された。そして同月二九日退院し、その後も通院し、被告原田より治療を受けていたが症状は一向に良くならなかった。

四  原告は昭和四七年六月九日大阪大学附属病院へ行き、診察を受けたところ、現在残っている左腎が結核に罹患していることが判明した。

五  前叙のとおり、昭和四六年一月原告と被告国との間に診療契約が締結されたのであるが、右契約は「現代医学の知識、技術を駆使して速やかに原告の疾病の原因ないし病名を的確に診断したうえ適宜の治療を行なうという事務処理」を目的とする準委任契約と解されるところ、昭和四六年一月当時原告が少くとも右腎結核を患っていたことは明らかであり、荻野医師においてこれを早期に発見することは容易であったにもかかわらず膀胱頸部硬化症であると誤診し、そのため適切な治療が施されることなく、遂には右腎の摘出、左腎の結核の発病ないし悪化という事態をもたらせたのであるから、被告国は診療契約上の債務不履行責任ならびに不法行為者である荻野医師の使用者としての不法行為責任を負うものである。

六  昭和四七年一月六日原告と被告原田との間に前同様の診療契約が締結されたのであるが、前記手術に先立って問診および検査により予め原告が腎結核に罹っていることを発見でき、したがって右腎摘出という安易な手術を避けることができたはずであるのに、ずさんな検査のためこれを発見できず、手術の結果右腎が摘出され、さらに手術後原告が腎結核に罹っていること、したがって抗結核治療の必要性を認識しながら、原告にその旨を説明せず、かつ抗結核治療を十分に施さなかったため左腎結核の進行をとめることができなかったのであるから、被告原田は診療契約上の債務不履行責任ならびに不法行為責任を負うものである。

七  原告は被告らの過失ある診療行為によって、右診療に要した費用はもとより、右腎摘出により正常な健康体に復帰することは殆んど不可能となり、現在に至るも左腎結核で悩まされていること等の事情により多大の精神的苦痛を蒙っており、これを慰藉するに足りる金額は三四五万八、八〇四円を下らない。

仮に右金額が慰藉料として不当な金額であるとしても、左記のとおり同額の損害がある。

1  診療費    二七万八、四〇四円

国立大阪病院分   五万七、三〇四円

被告原田分    二二万一、一〇〇円

2  休業補償  一六八万〇、四〇〇円

(原告は治療前一ヵ月六万六、〇〇〇円の平均賃金を得ていたが、少くとも昭和四七年一月以降昭和五一年までの就労が不可能となったので、その分の内金)

3  慰藉料        一五〇万円

八  よって、原告は被告両名に対し損害賠償金三四五万八、八〇四円およびこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和四八年三月一四日から完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の連帯支払を求める。

第三(被告らの答弁および抗弁)

一  被告国

1  請求の原因一記載の事実は認める。

2  同二記載の事実のうち、国立大阪病院において診療を受けていたとき原告の症状は悪化する一方であったとの点は否認し、その余の事実は全部認める。

3  同三、四記載の事実は知らない。

4  同五記載の事実は争う。

荻野医師には過失がなかった。即ち同医師は昭和四六年一月一三日原告を診察したが、その際問診により既往歴のないことおよび特異体質でないことを確認し、原告が下腹部不快感を訴えていたので、前立腺を触診したところ、両側共やや腫大しており、圧痛が著明で、前立腺マッサージをしたところ、容易に前立腺液の分泌が認められ、また右下腹部不快感が前立腺触診時の圧痛と全く一致しているという原告の確答を得たので、原告の病状を前立腺症ではないかと考えた。同月一九日荻野医師は原告に対する二回目の診察を行なったが、その際X線尿道膀胱撮影のため、ネラトンカテーテルを挿入した時膀胱頸部に抵抗を感じたこと、右X線写真で膀胱頸部がやや狭くなっていることおよび尿も清澄で腎疾患を思わせる症状がなかったことから、原告の病状を前立腺炎に基づく膀胱頸部硬化症と診断した。その後も原告の病状は一進一退を続けていたところ、昭和四六年一〇月頃から尿検査の結果、尿蛋白膿球の増加がみられるようになったので、尿所見の変化を特に注目して観察していたのであるが、原告は同年一二月二七日の診察を最後に通院して来なくなったのである。右に述べたとおり、荻野医師が原告を診察した当時仮に原告が腎結核を患っていたとしても、同医師には原告の病気を腎結核と診断しなかったことについてはなんら過失はない。

仮に荻野医師に原告の病気を腎結核と診断しなかったことについての過失があったとしても、原告が右腎を摘出されたのは、原告が自らの意思により経過観察中に転医し、被告原田の診療を受けた結果によるもので、荻野医師の過失と原告が右腎摘出により蒙った損害との間には相当因果関係がない。

5  同七記載の事実のうち、国立大阪病院分の診療費が五万七、三〇四円であることは認め、その余の事実は争う。

二  被告原田

1  請求の原因一、三記載の事実は認める。

2  同六記載の事実は争う。

被告原田は、手術に先立つ諸検査(尿検、尿沈渣、排泄性ならびに逆行性腎孟造影法、膀胱鏡、肺撮影)で原告には肺結核腫、右腎結石、右腎変形、右腎閉塞を発見した。そこで、右腎の閉塞が右腎結石によるものであれば、手術により改善できるので、原告にその旨説明し、さらに肺結核腫につき専門医の対診を求め、これが右腎手術の障害にならぬことを確めたうえで手術を行なった。右腎を露出させてみると、右腎は縮少しており、これを切開すると結石が発見されたが、むしろ主病因は右腎が結核の末期的症状であるいわゆるセメント腎であることが確認された。このような状態の右腎はすでにその機能を失っているだけでなく、それを放置すると症状のより軽い左腎に同様の病変を招くことが見込まれたので、手術に立会っていた原告の妻に事情を説明し、その了解をえたうえでこれを摘除した。したがって、右手術は全く適切な処置であったのである。しかも腎の変形や閉塞は結核性のものが多いので、ある程度腎結核の疑いを持ってはいたが、結石の存在は間違いなかったし、尿から結核菌が発見されなかったので、原告にその疑いを告げなかったに過ぎず、決して誤診ではなかった。そして手術後被告原田は残された原告の左腎についても抗生剤や抗結核剤の投与を続けていたが、原告が昭和四七年一月二九日退院後二〇日間ほどで通院をやめてしまったので、原告の自宅に電話して、その家族に結核の内科的治療を続ける必要のあることを説明している。よって、被告原田には原告に対する診療に関し全く過失はなかったものである。

第四(証拠関係)《省略》

理由

一  請求の原因一記載の事実については各当事者間に争いがない。

二  同二記載の事実については、原告の症状が悪化する一方であったとの点を除き、原告と被告国との間に争いがない。

三  同三記載の事実については、《証拠省略》によりこれを認めることができ、右認定に反する証拠はない(なお、原告と被告原田との間では争いがない。)。

四  同四記載の事実については《証拠省略》によりこれを認めることができ、右認定に反する証拠はない(もっとも、被告原田はこれを争っていないことが明らかであるので、自白したものとみなされる。)。

五  原告と国立大阪病院ならびに被告原田との間の前記各診療契約は、原告主張のとおり、現代医学の知識、技術を駆使して速やかに原告の疾病の原因ないし病名を的確に診断したうえ適宜の治療を行なうことを内容とする準委任契約と解するのが相当であり、国立大阪病院即ち被告国ならびに被告原田は右債務の本旨に従い善良な管理者の注意義務をもってその債務を履行すべき義務があったものというべきである。

六  そこで、被告国が右診療契約に基づく債務の履行につき欠けるところがなかった旨、即ち荻野医師には診療上の過失がなかったと抗弁し、仮に荻野医師に診療上の過失があったとしても、これと原告が右腎を摘出されたこととの間には相当因果関係がないと主張するので、判断する。

原告が昭和四四年秋頃から尿路周辺の異常を感じ、近所の開業医である池田医師の診療を受けていたが、症状が好転せず、同医師の紹介により昭和四六年一月から国立大阪病院の荻野医師の診療を受けるようになり、膀胱頸部硬化症と診断され、同医師のもとで同年一二月までの間前立腺マッサージと前立腺の炎症に対する投薬の治療のみがなされていたこと、昭和四七年一月一八日被告原田により原告の右腎摘出の手術がなされたことならびに現在原告の左腎も結核に罹患していることは前叙のとおりであり、《証拠省略》によると、

(1)  池田医師が原告を国立大阪病院の荻野医師に紹介したのは原告の膀胱炎が腎臓疾患から来ている疑いがあり、設備のある大きな病院で診療を受けさせる目的であったこと。

(2)  原告が荻野医師から最初の診察を受けた昭和四六年一月当時、原告の右腎は既に結核に冒されており、またその左腎は荻野医師のもとで診療を受けている間に結核に罹ったものであること。

(3)  昭和四六年一月当時、原告には既往症として腎臓炎、肋膜炎、痔瘻があり、また原告の主訴は排尿痛および頻尿であったこと。

(4)  原告は荻野医師に対し、当初から右の既往症ならびに主訴を告げ、また病気が腎臓疾患から来ているのではないかと尋ねたこともあるが、同医師はこれを聞き流し、腎臓に対する検査を実施しなかったこと。

(5)  右既往症のうち、肋膜炎および痔瘻は往々にして結核性であることがあり、右主訴が膀胱炎の特徴であることから、荻野医師は、当然に原告の病気が腎結核である可能性を考慮に入れて診療にあたるべきであったこと。

(6)  原告の上部尿路に対する検索が行なわれていれば初診時に容易に腎結核の存在を確認できたのであり、また初診時には無理としても原告に対する診療の途中において、少くとも、前立腺マッサージにかかわらず、かつ抗生剤の投与によってもなお尿中に白血球がやや多数認められた昭和四六年五月二八日までの段階で原告の右腎結核を発見しえたことが認められ(る。)《証拠判断省略》

右事実によれば、荻野医師が原告を初めて診察したとき、池田医師のもとにおける診療の経過、原告の既往症、原告の主訴につき医師としての通常の注意を払って検討を加えていれば、当然に原告の病気が腎結核である可能性をも考慮して、将来の診療方針を立てることができたといえる。そうすれば、原告の右腎結核を早期に発見し、治療を施すことができ、後記のとおり右腎摘出の事態にまで至らずに済んだばかりでなく、左腎についても結核に罹るのを防止しえたか、あるいは少くともその増悪を防止しえたものと認められる。

特に右の点に関し、被告原田は、同被告が原告を手術した昭和四七年一月一八日当時、左腎は結核に冒されていなかった旨供述しているけれども、同被告がその根拠としてあげるのは、結局検第丙一号証(レントゲン写真)に左腎が写っているからというに過ぎないのであって、必ずしも説得力のあるものではなく、かえって、後記のとおり被告原田が原告の病名を知ったのは右手術に着手してからであることならびに鑑定の結果に照らして右供述は採用できない。

そうすると、被告国は右診療契約不履行により原告に生じた右損害につき責を負うべきものである(したがって、被告国の不法行為責任について言及するまでもない)。

七  つぎに、被告原田は、前記診療契約に基づく債務の履行につき欠けるところはなかった旨、即ち診療上の過失はなかったと抗弁するので、この点につき判断する。

被告原田が昭和四七年一月初めて原告を診察し、その結果腎臓結石と診断し、同月一八日原告に対し手術を行ない、その右腎を摘出したことは前叙のとおりであり、《証拠省略》によれば、

(1)  被告原田が原告に対する手術に着手して初めて原告の病気が腎臓結核であることを発見し、腎機能を完全に廃絶した腎結核の末期的症状であるいわゆるセメント腎となっていた右腎を摘出したことならびにセメント腎の治療法としては摘出手術が最善の方法であること。

(2)  右手術当時原告の左腎も結核に罹っていたところ、被告原田は、そのこと自体はこれを認識していなかったものの、原告の身体を侵食している結核そのものに対する治療の必要を感じ、手術後一〇日程経過した昭和四七年一月二七日から原告に対し抗結核剤による治療を開始したこと。

(3)  原告は手術後被告原田から右腎が結核に冒されていたことを聞かされており、また抗結核剤による治療が開始されたことを知ってはいたが、治療費が嵩み、また症状がなかなか良くならないので、池田医師と相談して、同医師から抗結核剤の投与を受けることとし、昭和四七年二月一七日を最後として被告原田の診療を受けることを一方的に中止したこと。

が認められ、右認定に反する証拠はない。

右事実によれば、被告原田が手術前に原告を診断し、その病名を解明するについて全く手落ちがなかったとはいえないとしても、被告原田が行なった右腎摘出ならびに手術後の抗結核剤による治療は原告の病状に即した妥当な処置であり、また原告に対してもその病状を説明していることが認められるから、結果として被告原田には診療契約に基づく債務の不履行はなかったものというほかはないし、不法行為の存在を肯定すべき余地もない。

そうすると、被告原田に対する請求はその余の事実について判断するまでもなく失当である。

八  最後に原告の蒙った損害について判断する。

1  診療費    二〇万四、三〇四円

原告が国立大阪病院へ支払った診療費が五万七、三〇四円であることについては原告と被告国との間に争いがなく、《証拠省略》によれば、原告が被告原田に支払った診療費は少くとも一四万七、〇〇〇円であったことが認められ、右各診療費合計二〇万四、三〇四円は荻野医師の誤診に基づく余計な出費と認められる。

2  休業補償  一六八万〇、四〇〇円

《証拠省略》によれば、原告は昭和四五年八月頃から同年一一月頃にかけて月六万六、〇〇〇円程度の給料で働いていたこと、しかるに右腎摘出手術後現在に至っても後記認定の如く内職程度の軽労働しかできない状態にあることが認められる。そして、荻野医師の誤診がなければ、原告は早期に適切な治療を受けることにより昭和四七年一月頃からは健康な体で社会へ復帰することが可能であったと認められ、また右給料を基準として計算すると、昭和四七年一月から昭和五一年一月までの得べかりし給料総額は三二三万四、〇〇〇円となるから、したがって右期間の休業補償内金として原告が請求する一六八万〇、四〇〇円は相当なものである。

3  慰藉料        一五〇万円

荻野医師の誤診により、病気に苦しみながら国立大阪病院で受けた一年間の治療が水泡に帰したばかりでなく、その結果右腎摘出の手術を受け、左腎までも結核に冒されてしまったことは前叙のとおりであり、《証拠省略》によると、原告の病状は、結核菌が尿中に出ることはなく、昭和五〇年一二月で抗結核剤の投与が中止されたとはいうものの依然として左腎が結核に罹っていることにかわりはなく、その症状は多少気持が悪い程度で痛みはないが、時折血圧が上昇することがあり、また疲れ易く、原告が本来一家の働き手である立場にありながら、医師から内職程度の軽労働を許されているに過ぎないことなどの事実が認められる。これら諸般の事情を斟酌するときは、原告の蒙った精神的損害は極めて大きく、これを慰藉するに足りる金員は一五〇万円を下らないと認めるのが相当である。

以上1、2、3の総計三三八万四、七〇四円が原告の蒙った損害に相当する。

九  以上の次第で、原告の被告国に対する請求は損害金三三八万四、七〇四円ならびにこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和四八年三月一四日から右金員完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める範囲で正当として認容し、その余を失当として棄却することとし、被告原田に対する請求は全部失当として棄却することとし、民訴法八九条、九二条、一九六条を適用して(なお、仮執行免脱の宣言は相当でないから付さない)、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 荻田健治郎 裁判官 井深泰夫 近藤壽邦)

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