大阪地方裁判所 昭和48年(ワ)904号 判決 1978年9月27日
原告
杉島博一
杉島久江
原告両名訴訟代理人
栗原良扶
松森彬
被告
高槻市
代表者市長
西島丈年
訴訟代理人
草野功一
被告
高槻市東部土地改良区
代表者理事長
入江仙太郎
訴訟代理人
井関和彦
訴訟復代理人
藤原猛爾
主文
一 被告らは各自原告らに対し、金三六三万円あてと、うち金三三三万円に対する昭和四六年六月二四日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らのその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は四分し、その三を原告らの、その一を被告らの各負担とする。
四 この判決中、原告ら勝訴部分は仮に執行することができ、被告らは共同して金二五〇万円あての担保を供して仮執行を免れることができる。
事実《省略》
理由
第一当事者間に争いがない事実
本件請求の原因事実中(一)、(二)の各事実、および団地と被告市が管理している下水処理場との間には、本件水路(大冠中水路・通称中井路)をまたいで、図面1、2のとおりコンクリート製の橋が架けられている事実は、当事者間に争いがない(ただし、被告市は杉島亮の死亡時刻を争つている)。
第二本件事故の賠償義務者の判断
一本件で一番の争点は 本件水路の管理権限を負う者は誰であるかということである。この点を明らかにしないと、本件事故の責任の帰属主体を明確にすることができない。
二<証拠>を総合すると次のことが認められ、この認定に反する証拠はない。
(一) 被告土地改良区の前身である高槻市大冠土地改良区は、「農業生産の基盤の整備及び開発を図り、もつて農業の生産性の向上、農業総生産の増大、農業生産の選択的拡大及び農業構造の改善に資すること」を目的に土地改良法によつて設立され、大阪府知事によつて認可された法人であるが、その事業の一つに、淀川より引水するかんがい施設及び全用水区域に送水する用水路、用水樋、用水施設の維持管理があつた(定款四条一号参照)。
高槻市大冠土地改良区の管内に大冠中水路があり、その北側にこれを平行して大冠北水路があつたが、水路の幅は約六メートル深さ約一メートルであつた。本件事故現場附近一帯は水田であつたので、これら水田はこれらの水路から農業用水を引いていた。そこで、高槻市大冠土地改良区は、管内の水路の護岸の木柵の補修や泥上げ、草刈などをして水路の管理に当つていた。
(二) 本件事故現場附近の水田は、出水の際の遊水田になつていたが、地域全体の都市化が進むにつれ、湛水被害を受けるに至つたので、大阪府は昭和三九年東部排水改良事業をし、既設の大冠排水機場(芝生排水ポンプ場)の南側に新設の東部排水路の新大冠排水機場を設けた。既設の大冠排水機場は、大冠中水路の芥川出口に設けられていたもので、この機場の管理には、高槻市大冠土地改良区が当り、大冠中水路の水を調節していた。
(三) 大阪府住宅供給公社は、昭和四一年九月下田部の農地を買収して大団地(面積約七万五、〇〇〇坪、計画人口約九、七〇〇人、戸数約二、六〇〇戸)を造成する計画をたてたが、高槻市大冠土地改良区が管理していた大冠北水路が邪魔になつた。そこで、同公社は、同改良区に対し、大冠北水路をつけかえ大冠中水路に結合することの承諾を求めたところ、同改良区は、水利権が確保されることと、大冠中水路を拡幅することを条件に承諾した。
(四) 同公社は、昭和四六年四月までに本件水路である大冠中水路を南側に五メートル拡幅し、ブロツク護岸工事をしたが、その水路敷の所有関係は、図面3のとおり、旧来の水路床一〇メートルが国有、拡幅部五メートルの水路床が大阪府有になつた。国有地は登記簿上無番地であるが、大阪府有地は登記がある。
同公社は、昭和四三年一〇月三一日までに団地の下水処理のための下水処理場を建設し、その裏口に拡幅された本件水路をまたいでコンクリート製の橋をかけたが、これは、下水処理場の通路、資材運搬用などである。
被告市は、同公社に対し、団地造成に際して、芝生排水ポンプ場の改良工事をさせたが、その改良工事費のうち被告市の負担部分の半額を同公社に負担させた(この改良工事の負担割合は国五割、大阪府2.5割、被告市2.5割)。
被告市は、この排水場の維持管理の費用一切を負担することにしたが、それは、被告市の住民の土地に浸水が起りその生活と密接に関連するからである。
(五) 被告市のうち本件事故現場付近は、昭和四二年ころから都市化が進み、本件水路に生活排水が流れ込むようになり、本件水路は都市下水路としての機能が八割、農業用水路としての機能が二割になつた。団地に入居がはじまつたのは、昭和四五年春ころからである。図面1のとおり団地付近には、なお田が散在し本件水路が農業用水としての機能を果している。
(六) 被告市は、同年六月二〇日本件事故現場付近一帯を都市計画法に基づく市街化区域に指定した。
ところで、大阪府知事は、同年六月五日付で土地改良区理事長に対し、市街化区域内にある農業用水路が都市化の進展にともないその大部分が都市排水機能をかねており、そのため用水汚濁、溢水の多発化等の諸問題が起つているので、土地改良区が管理している農業用水のうち都市化により農業用施設としての効用が減少し、都市排水施設としての効用が増大している施設であつて、周辺地域の都市化の状況等を勘案し、速かに都市下水路または公共下水道として、市町村が活用すべきものについては市町村に移管するよう行政指導をした。
本件水路は、この行政指導によつて、被告市に移管されるべきであつたが、高槻市大冠土地改良区が農林公庫から多額の借金をしていたので、移管されなかつた。
そこで、高槻市大冠土地改良区は、従来どおり、本件水路の拡幅工事前も、工事中も、工事後も、本件水路から、田に水を引き、本件水路の使用や占用の場合に同意を与えた。高槻市大冠土地改良区は、昭和四六年度には、本件水路の改修工事をした。
被告市は、本件水路が都市下水化したので、前記行政指導の趣旨に従い、本件水路のうち住宅、公共施設等が面した部分の水路の管理費用を被告市が負担し、本件水路のうち農地の面した部分の管理費用を被告土地改良区が負担し、本件水路のしゆんせつ費はその大部分を被告市が負担した。このようなわけで、年度によつて異なるが、被告市が予算の中から、本件水路の八割以上の維持管理費用の負担をしている。ちなみに、被告市が昭和五〇年度に被告土地改良区に支出した額は金四、〇〇〇万円である。
(七) 高槻市大冠土地改良区は、本件事故後である昭和四六年一一月五領土地改良区と合併して被告土地改良区を設立し、被告土地改良区は、高槻市大冠土地改良区の権利義務を承継取得した。
三以上認定の事実から、次のことが結論づけられる。
(一) 本件水路は、本件事故当時、被告土地改良区の前身である高槻市大冠土地改良区の農業用水として機能しており、その管理権限は同改良区、したがつて被告土地改良区にあつた。
被告土地改良区は、本件水路が被告市の都市排水のための公共下水溝になりその管理権限がなくなつたと主張しているが、本件水路が、大阪府の前記行政指導に従つて被告市に移管されたことがない以上、本件水路がその八割まで都市下水のため利用されているからといつて、被告土地改良区の管理権がなくなる理由はない。被告土地改良区は、げんに本件事故当時本件水路から農業用水を引いているのであるから、同被告の本件水路に対する管理権がないとするのは矛盾である。
被告土地改良区は、本件水路の拡幅工事後まだその引渡しを受けていないと主張しているが、前記認定のとおり高槻大冠土地改良区の本件水路に対する使用は、工事前も、工事中も、工事後も変つていないのであるから、その管理権は、工事の有無によつて消長をきたさないとしなければならない。
被告土地改良区は、大阪府から管理の委託を受けていないと主張しているが、国家賠償法二条によつて営造物の管理責任を負う者の中に営造物を事実上管理する者も含まれると解するのが相当であるから、高槻市大冠土地改良区は、本件水路の南岸の大阪府有地をも含め一体として大冠中水路として、農業用水路の維持管理に当つていたとみなければならない。そのうえ、本件では、高槻市大冠土地改良区が、本件水路の北側三分の二を、大阪府がその南側三分の一をそれぞれ分けて管理していた事実が、証拠上認められないのである。
(二) このようにみてくると本件水路である大冠中水路は工事により拡幅後も、従来どおり高槻市大冠土地改良区が維持管理していたし、本件事故現場付近の水路の南側は大阪府有地であるが、高槻市大冠土地改良区は、一体としてこの部分も事実上維持管理していたといえる。したがつて、高槻市大冠土地改良区の権利義務を承継した被告土地改良区は、国家賠償法二条による賠償責任を負わなければならない。
(三) 被告市は、本件水路を管理する権限はなかつたし、本件事故当時本件水路を事実上管理していたものではない。
本件水路は、水路敷中国有地部分は国の委任を受けた大阪府知事が機関委任事務として管理し、大阪府有地部分は大阪府の事務として大阪府知事が管理していたもので、被告市がいかなる意味でも維持管理する権限はないのである。
被告市は、本件水路が都市下水化したことにより、本件水路に最大の関心をもつていたことは事実であるが、大阪府知事や被告土地改良区の管理権限をこえて本件事故当時、本件水路を事実上支配管理していたとまではいえない。
(四) しかし、被告市は、団地造成の際大阪府住宅供給公社に対し本件水路を拡幅させ、都市化した付近宅地の生活排水をこれに疎通させ、本件水路の機能の八〇パーセントが生活排水で占められるに至つたことにより、従来の単なる農業用水だけの機能しか果していなかつた本件水路が全く変貌したことを重視し、本件水路により付近宅地に浸水することがないよう、下流の芝生ポンプ場の維持管理費や、本件水路のしゆんせつ費用を負担することにしたわけであるから、この点からすると、被告市は、法律上はとも角実質上本件水路の費用負担者であるとするほかはない。このことを本件事故現場にそくしていうと、本件事故現場付近の本件水路を事実上管理していた高槻市大冠土地改良区に対し、被告市は、実質上の費用負担をしていたから国家賠償法三条による賠償責任があるということである。
農業用水路が、付近の都市化によつて生活排水用水路として利用されはじめると、農業用水路を維持管理している土地改良区は、当然の要求として水路の管理費用の分担を市町村に要求するし、市町村としては、生活排水を流させて貰つている以上この要求を拒むことはできない。このようにして、市町村と土地改良区との間には 水路の管理費用の負担について話し合いがなされ、それによつて管理費用が分担される。本件も、そのようにして被告市か予算の中から本件水路の管理費用を負担しているものと考えられる。
被告市は、被告改良区には補助金を支出しているにすぎないと主張しているが、本件に顕われた証拠からは、被告市の都市化が進んだ昭和四二年から本件事故のあつた昭和四六年ころまでに、被告市がどんな名目でいくらの金額を高槻市大冠土地改良区に支出したかが正確には判らない。しかし、前記認定のとおり、被告市が、予算の中から管理費用を支出したことには間違いがない。それが補助金名義であつたとしても、その予算からの支出が毎年継続され、管理費用の約八割にも当ることや、もともと都市下水化した水路の管理費用は本件水路の有無に拘らず、被告市が実質上出すべき性質のものであることなどを考えたとき、その支出は、名目は補助金であつたとしても、実質上は国家賠償法三条の管理費用の負担に当るとしなければならない。
四むすび
本件事故の賠償責任者は、本件水路の本件事故現場部分の事実上の管理者である高槻市大冠土地改良区の権利義務を承継した被告土地改良区、本件水路の費用負担者である被告高槻市、本件水路の本件事故現場側の水路敷の所有者である大阪府の三者であり、原告らに対し各自(不真正連帯)本件事故による賠償義務があることに帰着する。そこで、原告ら主張のその余の責任原因についての判断をしない。
なお、三者間の内部的求償割合は、本件水路の管理費用の負担割合によつてきめられるべきであるが、その割合については、まず三者の間の協議が必要である。
第三本件水路の管理上の瑕疵の有無についての判断
一本件水路に本件事故当時管理上の手落ちがあつたかどうかは、本件事故の経緯を明らかにすることによつてきまるから、本件事故現場との関連で本件事故の経緯について判断する。
二本件水路の幅は、約一五メートルであるが、本件事故当時、両岸は約八〇度の急傾斜にブロツクで護岸され、その上は土盛りされて法面に草が生えていた。当時水深は約1.5メートルであつた。本件事故現場の北側には大団地が、南側には高槻市下水処理場があり、本件水路にはコンクリート製の橋が架けられていた。以上の様子は図面1、2のとおりである。原告らの長男杉島亮が昭和四六年六月二四日午後、本件事故現場の本件水路に転落して死亡した。以上のことは当事者間に争いがない。
三<証拠判断略>
(一) 被告市は、昭和四二年五月ころ、大阪府住宅供給公社と団地造成について協議した際、本件水路を拡幅するに当り、水路南側護岸の下水処理場部分に木柵を設けることを同公社に承諾させたが、本件事故までにその施行がなかつた。
(二) 団地は、昭和四五年ころから入居がはじまり、団地の子供達が、下水処理場内に入つて遊ぶようになつたが、当初は、コンクリート橋の南側には柵などの施設がなく自由に出入ができた。下水処理場の外回りにも、柵などの施設がなく、下水処理場から本件水路へたやすく接近できたので、本件水路へ子供達が転落する危険があつた。
(三) 原告杉島久江は、同年夏ころ、団地の子供達と下水処理場に立ち入り、子供の遊び場として危険であると感じ、団地の自治会の役員まで、そのことを述べ、柵をするよう訴えた。
団地に住む藤川市会議員は、被告市に対し、団地の住民が下水処理場に立ち入ることができないようコンクリート橋の南側に柵をするよう要求した。この要求を受けた下水処理場では作業員に命じて、半分を固定し、半分を開閉式にした木の柵を設けたが、この開閉式の部分は、小さな子供でも押すと簡単に開いてしまう不完全なものであり、団地の子供達の下水処理場への立入りはやまなかつた。
(四) 藤川議員は、再度被告市に対し、もつと完全なものにするよう要求していた。
(五) 団地に住む訴外宮内正徳は、ダンプカーの運転手であるが、本件事故の日の五、六日前に、コンクリート橋を乗用車を乗つたまま下水処理場を通り抜けたし、本件事故のあつた日の午前一一時三〇分ころ、同訴外人方を訪れた車のセールスマンが、乗用車に乗つて下水処理場を通り抜けて帰つて行つた。
当時、下水処理場には団地からコンクリート橋を通つて下水処理場にバキユームカーが出入していたのである。
(六) 本件事故当時のコンクリート橋南側の柵の模様は、本件事故後警察官が撮影した写真によるのが一番確実である。それによると、柵の西側半分は、二本の横木に一四、五本の板が縦に等間隔に打ちつけられ、その全体が西端を支点にして観音開きに開けることができるようになつている。
前項のとおり本件事故の日の午前一一時三〇分ころ、ここから乗用車が下水処理場にそのまま入ることができたことや、下水処理場にバキユームカーが出入していたことからして、本件事故当時、この柵は開けたまの状態であつたことが推認できる。
(七) 杉島亮は、本件事故の日午後一時ころ、友達の西川秋彦と子供用自転車に乗つて、コンクリート橋から下水処理場に入り、本件水路の南岸の堤の上で自転車を降り、遊ぼうとして草の生えていた堤の法面から本件水路に転落してしまつた。
転落の箇所は、図面2のハ点であつて死亡時刻は午後一時すぎである。
転落場所は水深約1.5メートルで、南岸には水面から一段のブロツク積みがあり、そのブロツク積みの上は土盛りされ法面には草が生えていた。ブロツク積みの天端から堤の上までの高さは、約1.2メートルであつた。
本件水路は水流がなく、杉島亮の遺体は同日午後四時三〇分ころ、図面2のイ点付近で発見された。
四以上認定の事実からすると次のことが結論つけられる。
(一) 団地の子供達は、本件事故までに下水処理場に立ち入つて遊び場としていた。
(二) 下水処理場の外回りには柵がなかつたので、子供達は、本件水路にたやすく接近することができた。
(三) 本件水路に接近した子供は、草の生えていた堤の法面から本件水路に誤つて落ち込む危険があり、子供が本件水路に転落したとき、たやすく独力で上れなかつた。
(四) このようにみてくると、本件水路の南岸は、本件事故当時、子供達にとつて、その構造上、客観的にみて極めて危険であつた。
(五) 本件水路の拡幅工事をした大阪府住宅供給公社は、被告市に対し下水処理場側に木の柵をすることを約束しながからその工事をしないで放置し、被告土地改良区の前身である高槻市大冠土地改良区も、そこに柵など安全確保のための施設を設けなかつた。しかし、本件水路のうち本件事故現場付近には、大団地があり、しかも対岸に行けるようコンクリート橋があつたのであるから、団地の子供達が、本件水路に転落しないよう本件水路のうち団地付近の両岸には柵などの転落防止施設を設けて危険防止措置を講ずべきであつた。
そうすると、本件水路南岸の本件事故現場付近の安全性欠如が、本件水路の管理者である被告土地改良区の前身である高槻市大冠土地改良区の管理上の手落ちにあるわけであるから、営造物である本件水路には、本件事故当時、管理上の瑕疵があつたことに帰着する。
五被告土地改良区は、本件事故当時、コンクリート橋の南側には完全な柵がしてあつたから本件水路には通常有すべき安全性の欠如がなかつたと主張しているが、前記認定のとおり、コンクリート橋の南側に本件事故当時設けてあつた柵は不完全なものであつたのであるから、この主張は採用できない。
六むすび
本件水路の南岸は、本件事故当時、子供の接近する水路として通常有すべき安全性を欠如し、それが、管理上の手落ちであるから、本件水路の南岸のうち本件事故現場付近には管理の瑕疵があつた。したがつて、被告土地改良区は国家賠償法二条により、被告市は同法三条により、原告らの次の損害を賠償する義務を負担しているとしなければならない。<以下、省略>
(古崎慶長 井関正裕 西尾進)
図面1、2、3<省略>