大阪地方裁判所 昭和48年(手ワ)804号 判決 1974年8月08日
原告
木下良江
右訴訟代理人
植垣幸雄
木田秀直
被告
宮本喜次郎
右訴訟代理人
由良数馬
主文
原告の請求はいずれもこれを棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実《省略》
理由
第一当事者間に争いのない事実
原告が本件為替手形一通を所持していることは当事者間に争いがない。
第二被告の手形引受の成否
<証拠>を総合すると、本件手形引受は被告自身によりなされたものではなく、被告の養子で、娘房子の婿にあたる宮本皖司が、被告に無断で行なつたものであり、また右皖司は被告経営の米穀店の隣家で被告とは別個に妻房子と共に酒類販売業を営んでおり、時折酒類を配達の途中で得意先から被告の経営する米穀店の注文の伝言を頼まれることはあつたが、それ以上に被告の経営する米穀店の事務を補助していたものでなく、まして被告の包括的代理権ないし本件為替手形引受の代理権を有していたものではないことが認められ、これらの事実によると本件手形引受が被告の代理人たる宮本皖司によつてその代理権に基きなされたものであるとの原告主張の請求原因事実2が認められないことは明らかであつて、原告主張に副う原告本人尋問の結果部分は前記各証拠に照らし遽かに措信できないし、他にこれを認めるに足る証拠はない。
したがつて、その余の判断をするまでもなく原告の第一次請求はその理由がなく失当である。
第三予備的請求原因の検討
一、<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。
(一) 被告は終戦前から自宅で米穀商を営んでいたが、被告の出征中妻が隣家で酒類販売業をも経営するようになり、米穀商は被告が、酒屋は被告の妻がそれぞれ営業主となつていた。
(二) 昭和三〇年三月二六日被告の娘宮本房子に婿養子宮木皖司を迎え、米穀店とは別棟になつている隣家の酒類販売業の実権を娘夫婦に譲りそれぞれ別個の会計で独立して経営していた。
(三) 米穀商は被告と従業員平瓦某とで営業しており、支払関係は被告自身が担当し、手形を振出していたこと、被告の印章は米穀店の事務所の机の抽斗に保管していた。
(四) 酒店は宮木房子、皖司夫婦およびその母が営業をしていたが会計は主として右房子が処理し、手形振出も同女が行なつており、宮木皖司は米穀店はもちろん、酒店の手形振出も行つたことがなかつたし、同人は米穀店の業務には一切関与せず、ただ時折酒類配達の際米穀類の注文の取継ぎを頼まれることがあつた程度に過ぎなかつた。
(五) 宮木皖司は賭け事にかまけて本件手形の第一裏書人宮下源一らと賭博に興じていたが、密かに米穀店に保管されていた被告の印章を盗用して本件為替手形の引受欄や他の約末手形の振出欄に被告のゴム印、印章を冒捺してそれぞれ偽造した。
(六) 宮木皖司は昭和四五年七月頃理由を告げず家出し行方不明となつたので同年八月頃房子は皖司と離婚したが、その後本件手形等の偽造事件を発見し、同女や被告らは初めて皖司の家出が同人の賭博癖とそれによる本件手形等の偽造に基因することに気付いた。
(七) 一方、原告は被告の米穀店から一五〇米位しか離れていない程近いところで金融業を営んでいたが、近隣の畳屋で金融業をもやつていた宮下源一から手形割引の依頼を受け、三和銀行を支払場所とする同銀行発行の手形用紙を用いた被告振出名義の約束手形を割引いたが、その際原告は右銀行に被告の信用調査を行なつたのみで、金額も比較的高額で入手経路に疑問なしとしない右手形につき被告に真否照会をしなかつた。
(八) 原告はその後宮下源一からの懇請で右約束手形を種類を異にする本件為替手形と差替えたが、手形用紙も池田銀行の交付したものに変り、引受欄の被告名義のゴム印も赤スタンプで押捺されている等不審な点も少くないのにこれに気づかず、近隣の被告に何ら連絡照会もしないまま専ら宮下を信用して長期間放置しておいた。
右認定の事実に反する原告本人尋問の結果部分は前記各証拠に照らし遽かに信用できないし、他に右認定を覆するに足る証拠はない。
二前認定の各事実を併せ考えると、宮木皖司が本件為替手形の引受欄を偽造したことは前記(五)認定のとおりであるが、同人が被告から指揮監督を受ける被用者であるとの事実は認められないし、また宮木皖司の従事していた酒類販売の職務と被告の営む米穀商の手形振出行為は職務の関連性は極めて薄くそのうえ被告においてとくに宮木皖司の偽造を誘発し易い危険な状態で印章を放置していたとも認められないので本件手形引受の偽造行為が宮木皖司の「事業ノ執行」につきなされたものともいえないことが明らかであり、他にこれらを認めるに足る証拠はない。
したがつて、原告主張の民法七一五条に基づく予備的請求はその余の検討をなすまでもなくその理由がない。
三原告は被告の印章保管不備により損害を蒙つたことを理由に民法七〇九条に基き損害賠償請求をなしているが、民法七〇九条の故意・過失は直接加害行為に対する故意・過失であることを要するのであつて、民法七一七条のような特別の規定が存しない限り、原則として単なる印章保管の過失をもつて印章冒用による他人の偽造行為についてまでその責任を追及することは過失に必要な予見可能性を欠きかつ相当因果関係も認められないので許されないから原告の主張はそれ自体理由がないし、また、前認定の各事実とくに(三)(六)の事実に照らすと、原告主張の如く被告が宮木皖司の賭博による浪費を知りながら印章ゴム印等の保管を怠つていたとの事実が認められないことが明らかであり、他にこれを認めるに足る証拠はない。
したがつて、原告主張の民法七〇九条に基く予備的請求も失当である。
第四結論
以上のとおりであるから、原告の本訴請求はいずれもこれを失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。 (吉川義春)