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大阪地方裁判所 昭和49年(わ)2174号・昭49年(わ)1797号・昭50年(わ)516号 判決

本籍 《省略》

住居 《省略》

会社員 嶋嵜秀男

大正一五年九月二日生

<ほか六名>

右の者らに対する各公職選挙法違反被告事件について、当裁判所は、検察官矢野収蔵出席のうえ審理をし、次のとおり判決する。

主文

被告人嶋嵜秀男を懲役一年に、被告人前田清を懲役一年八月に、被告人三浦英太郎を懲役六月に、被告人岸田政夫、および被告人桐ケ窪達を各懲役一年二月に、被告人古山三男および被告人岡崎嘉文を各懲役八月に処する。この裁判確定の日から、被告人嶋嵜秀男および被告人前田清に対し各五年間、被告人三浦英太郎、被告人岸田政夫、被告人桐ケ窪達、被告人古山三男および被告人岡崎嘉文に対し各三年間、それぞれその刑の執行を猶予する。被告人嶋嵜秀男、同前田清、同三浦英太郎、同岸田政夫、同桐ケ窪達および同岡崎嘉文から、押収してある現金六万円、同三万六〇〇〇円、同二万七〇〇〇円、同一万円、同八万四〇〇〇円、同六万一〇〇〇円を没収する。

被告人古山三男から金五万四八〇〇円を追徴する。

訴訟費用中、証人般谷稔秋に支給した分は被告人ら七名の、証人森繁、同蒔田令二、同馬場恵作、同中神康雄、同井上靖彦、同小林清、同岡田伸一、同大西敏雄、同車田幸枝、同山田力、同伊東一志、同岩田博、同十時惟剛、同大門良子、同大門春藏、同堀田佳孝、同西尾由太郎、同横倉廉幸、同北川博、同片岸清一、同森山一正、同田沢美之、同石田英和、同谷本伸義、同米田保雄、同木本保平、同石田貞一、同神崎辰男、同亀谷八重乃、同栗生治朗、同畑中邦夫(昭和五三年七月三一日第三五回公判期日、同年九月一一日第三六回公判期日、同年一〇月九日第三七回公判期日出頭分)、同畑中京子、同長井信太郎、同藤岡まゆみ、同丸野国生、同有川継紀、同藤井利治に支給した分は被告人嶋嵜、同前田、同三浦、同岸田、同桐ケ窪、同岡崎ら六名の、証人畑中邦夫(昭和五四年一一月一三日第五四回公判期日出頭分)に支給した分は被告人前田、同三浦両名の各連帯負担とし、証人伊達朝太郎、同橋垣雪男、同橋垣昭子、同山辺大三に支給した分は被告人前田の、証人井上信夫に支給した分は被告人三浦の、証人天野要に支給した分は被告人岸田の各負担とする。被告人三浦英太郎に対する本件公訴事実中、伊達朝太郎に対する現金五万円の供与および事前運動の点については、被告人三浦英太郎は無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人嶋嵜秀男、同前田清、同岸田政夫、同桐ケ窪達、同古山三男、同岡崎嘉文、同三浦英太郎の七名は、いずれも昭和四九年七月七日施行の参議院議員通常選挙に際し、全国区から立候補した糸山英太郎の選挙運動者であった者であるが、

第一  被告人嶋嵜秀男、同前田清、同岸田政夫、同桐ケ窪達、同岡崎嘉文の五名は、糸山英太郎に当選を得しめる目的をもって、

一  共謀のうえ、いまだ糸山英太郎が立候補の届出(同年六月一四日)をなす以前であるにもかかわらず、

1 同年六月一一日ころ、大阪市南区《番地省略》所在の糸山英太郎を育てる会大阪本部事務所において、同選挙の選挙人で、かつ同候補者の選挙運動者である伊東一志に対し、糸山英太郎のため投票ならびに選挙用ポスター掲示等の選挙運動をすることの報酬等として現金約一五万六〇〇〇円を供与して立候補届出前の選挙運動をし、

2 右同日ころ、右同所において、同選挙の選挙人で、かつ同候補者の選挙運動者である十時惟剛に対し、右同様の趣旨で現金約七万七〇〇〇円を供与して立候補届出前の選挙運動をし、

3 右同日ころ、右同所において、同選挙の選挙人で、かつ同候補者の選挙運動者である大西敏雄に対し、右同様の趣旨で現金約六万四〇〇〇円を供与して立候補届出前の選挙運動をし、

4 右同日ころ、右同所において、同選挙の選挙人で、かつ同候補者の選挙運動者である西尾由太郎に対し、右同様の趣旨で現金約三万六〇〇〇円を供与して立候補届出前の選挙運動をし、

5 右同日ころ、右同所において、同選挙の選挙人で、かつ同候補者の選挙運動者である車田幸枝に対し、山田力を介し、右同様の趣旨で現金約三万三〇〇〇円を供与して立候補届出前の選挙運動をし、

6 右同日ころ、右同所において、同選挙の選挙人で、かつ同候補者の選挙運動者である蒔田令二、丸井克孝の両名に対し、右同様の趣旨で現金約二万九〇〇〇円を供与して立候補届出前の選挙運動をし、

7 右同日ころ、右同所において、同選挙の選挙人で、かつ同候補者の選挙運動者である堀田佳孝に対し、右同様の趣旨で現金約七万七〇〇〇円を供与して立候補届出前の選挙運動をし、

8 右同日ころ、右同所において、同選挙の選挙人で、かつ同補候者の選挙運動者である末松正生に対し、右同様の趣旨で現金約四万七〇〇〇円を供与して立候補届出前の選挙運動をし、

9 右同日ころ、右同所において、同選挙の選挙人で、かつ同候補者の選挙運動者である岡田伸一に対し、右同様の趣旨で現金約四万六〇〇〇円を供与して立候補届出前の選挙運動をし、

10 右同日ころ、右同所において、同選挙の選挙人で、かつ同候補者の選挙運動者である中神康雄に対し、右同様の趣旨で現金約二万八〇〇〇円を供与して立候補届出前の選挙運動をし、

11 右同日ころ、右同所において、同選挙の選挙人で、かつ同候補者の選挙運動者である廣井忠三に対し、右同様の趣旨で現金約二万八〇〇〇円を供与して立候補届出前の選挙運動をし、

12 右同日ころ、右同所において、同選挙の選挙人で、かつ同候補者の選挙運動者である井上靖彦に対し、右同様の趣旨で現金約二万五〇〇〇円を供与して立候補届出前の選挙運動をし、

13 右同日ころ、右同所において、同選挙の選挙人で、かつ同候補者の選挙運動者である小林清に対し、右同様の趣旨で現金約二万一〇〇〇円を供与して立候補届出前の選挙運動をし、

14 右同日ころ、同市南区《番地省略》所在の中華料理店「随園」において、同選挙の選挙人で、かつ同候補者の選挙運動者である横倉廉幸に対し、松岡勉を介し、右同様の趣旨で現金約三万四〇〇〇円を供与して立候補届出前の選挙運動をし、

15 同月一二日ころ、同市天王寺区《番地省略》所在の森繁方において、同選挙の選挙人で、かつ同候補者の選挙運動者である同人に対し、神田行道を介し、右同様の趣旨で現金約二万七〇〇〇円を供与して立候補届出前の選挙運動をし、

16 同月一三日ころ、同市福島区《番地省略》所在の酒井朋三事務所において、同選挙の選挙人で、かつ同候補者の選挙運動者である北川博に対し、右同様の趣旨で現金約二万七〇〇〇円を供与して立候補届出前の選挙運動をし、

17 右同日ころ、前記1記載の糸山英太郎を育てる会大阪本部事務所前において、同選挙の選挙人で、かつ同候補者の選挙運動者である畑中邦夫に対し、右同様の趣旨で現金約六四万四〇〇〇円を供与して立候補届出前の選挙運動をし、

二  共謀のうえ、

1 同月一四日ころ、同市西区《番地省略》所在の大阪日日新聞社ビル四階糸山英太郎を育てる会大阪本部事務所において、同選挙の選挙人で、かつ同候補者の選挙運動者である田沢美之に対し、前記第一の一の1に記載と同様の趣旨で現金約九万七〇〇〇円を供与し、

2 右同日ころ、右同所において、同選挙の選挙人で、かつ同候補者の選挙運動者である木本保平に対し、右同様の趣旨で現金約七万円を供与し、

3 右同日ころ、右同所において、同選挙の選挙人で、かつ同候補者の選挙運動者である片岸清一に対し、右同様の趣旨で現金約六万一〇〇〇円を供与し、

4 右同日ころ、右同所において、同選挙の選挙人で、かつ同候補者の選挙運動者である森山一正に対し、右同様の趣旨で現金約三万九〇〇〇円を供与し、

5 右同日ころ、右同所において、被告人古山三男に対し、右同様の趣旨で現金約八万八〇〇〇円を供与し、

6 右同日ころ、同市南区《番地省略》所在の糸山英太郎選挙事務所において、同選挙の選挙人で、かつ同候補者の選挙運動者である馬場恵作に対し、右同様の趣旨で現金約四万一〇〇〇円を供与し、

7 同月一五日ころ、高石市《番地省略》所在の株式会社下条製綱所事務所において、同選挙の選挙人で、かつ同候補者の選挙運動者である下条信治に対し、十時惟剛を介し、右同様の趣旨で現金約二万九〇〇〇円を供与し、

8 右同日ころ、大阪府泉南郡《番地省略》所在の大門春藏方において、同選挙の選挙人で、かつ同候補者の選挙運動者である同人に対し、十時惟剛を介し、右同様の趣旨で現金約一万六〇〇〇円を供与し、

9 同月一六日ころ、前記二の6記載の糸山英太郎選挙事務所において、同選挙の選挙人で、かつ同候補者の選挙運動者である谷本伸義に対し、右同様の趣旨で現金約八万四〇〇〇円を供与し、

10 右同日ころ、右同所において、同選挙の選挙人で、かつ同候補者の選挙運動者である米田保雄に対し、右同様の趣旨で現金約六万一〇〇〇円を供与し、

11 右同日ころ、同市大正区《番地省略》所在の亀谷八重乃方において、同選挙の選挙人で、かつ同候補者の選挙運動者である同人に対し、石田英和らを介し、右同様の趣旨で現金約一万三〇〇〇円を供与し、

12 同月一七日ころ、箕面市《番地省略》所在の自民党箕面支部事務所において、同選挙の選挙人で、かつ同候補者の選挙運動者である栗生治朗に対し、右同様の趣旨で現金約四万八〇〇〇円を供与し、

三  大島修と共謀のうえ、

1 同月一四日ころ、前記二の1記載の大阪日日新聞社ビル先路上において、同選挙の選挙人で、かつ同候補者の選挙運動者である長井正信に対し、前記第一の一の1に記載と同様の趣旨で現金約一〇万円を供与し、

2 右同日ころ、右大阪日日新聞社ビル四階糸山英太郎を育てる会大阪本部事務所において、同選挙の選挙人で、かつ同候補者の選挙運動者である東久保信市に対し、右同様の趣旨で現金約四万四〇〇〇円を供与し、

四  高田茂と共謀のうえ、同月一五日ころ、泉大津市清水町三番二七号先路上において、同選挙の選挙人で、かつ同候補者の選挙運動者である長井信太郎に対し、前記第一の一の1に記載と同様の趣旨で現金約五万三〇〇〇円を供与し、

第二  被告人嶋嵜秀男、同前田清、同岸田政夫、同桐ケ窪達、同岡崎嘉文、同古山三男の六名は、共謀のうえ、糸山英太郎に当選を得しめる目的をもって、

一  同月一四日ころ、寝屋川市《番地省略》所在の田中貞三方において、同選挙の選挙人で、かつ同候補者の選挙運動者である同人に対し、前記第一の一の1に記載と同様の趣旨で現金約一八万九〇〇〇円を供与し、

二  同月一五日ころ、守口市南寺方南通二丁目四三番地の二所在の喫茶店「エコー」内において、同選挙の選挙人で、かつ同候補者の選挙運動者である久野吉雄に対し、右同様の趣旨で現金約六万二〇〇〇円を供与し、

第三  被告人古山三男は、

一  前記第一の二の5記載の日時場所において、被告人前田清らから同記載の趣旨で供与されるものであることを知りながら、現金約八万八〇〇〇円の供与を受け、

二  上森正爾と共謀のうえ、糸山英太郎に当選を得しめる目的をもって、同月一五日ころ、

1 枚方市《番地省略》所在の岡沢美喜子方において、同選挙の選挙人である同人に対し、糸山英太郎のため投票ならびに選挙用ポスター掲示等の選挙運動をすることの報酬として現金八〇〇〇円を供与し、

2 同市岡東町一四番三二号所在の喫茶店「ミキ」内において、同選挙の選挙人である橘内孝に対し、右同様の趣旨で現金四〇〇〇円を供与し、

3 同市《番地省略》所在の枚方豊喜自動車事務所において、同選挙の選挙人である竹本こと竹本豊に対し、右同様の趣旨で現金四〇〇〇円を供与し、

4 同市《番地省略》所在の若林金吾方において、同選挙の選挙人である同人に対し、右同様の趣旨で現金二〇〇〇円を供与し、

5 同市《番地省略》所在の谷村栄三方において、同選挙の選挙人である同人に対し、右同様の趣旨で現金一二〇〇円を供与し、

6 同市《番地省略》所在の中野正雄方において、同選挙の選挙人である同人に対し、右同様の趣旨で現金一二〇〇円を供与し、

7 同市《番地省略》所在の三原八重子方において、同選挙の選挙人である同人に対し、右同様の趣旨で現金一二〇〇円を供与し、

8 同市《番地省略》所在の荒木義雄方において、同選挙の選挙人である同人に対し、右同様の趣旨で現金八〇〇円を供与し、

9 同市《番地省略》所在の辻井重城方において、同選挙の選挙人である同人に対し、右同様の趣旨で現金八〇〇円を供与し、

三  南忠幸と共謀のうえ、糸山英太郎に当選を得しめる目的をもって、

1 同月一五日ころ、同市《番地省略》所在の新日本開発株式会社ヤングプラザ事務所において、同選挙の選挙人である勝弘敬三に対し、前記第三の二の1記載と同様の趣旨で現金一二〇〇円を供与し、

2 同月一六日ころ、右ヤングプラザ事務所において、同選挙の選挙人である羽瀬静太郎に対し、右同様の趣旨で現金二〇〇〇円を供与し、

3 右同日ころ、右同所において、同選挙の選挙人である岩井正昭に対し、右同様の趣旨で現金八〇〇円を供与し、

四  糸山英太郎に当選を得しめる目的をもって、同月一五日ころ、右ヤングプラザ事務所において、同選挙の選挙人である岩崎義夫に対し、前記第三の二の1に記載と同様の趣旨で現金六〇〇〇円を供与し、

第四  被告人前田清は、糸山英太郎に当選を得しめる目的をもって、

一1  いまだ糸山英太郎の立候補届出のない同月六日ころ、大阪市南区《番地省略》所在の石本茂後援会事務所において、同候補者の選挙運動者である橋垣雪男に対し、糸山英太郎のため投票取りまとめ等の選挙運動をすることの報酬等として現金五〇万円を供与して立候補届出前の選挙運動をし、

2  いまだ糸山英太郎の立候補届出のない同月一三日ころ、前記第一の一の1記載の糸山英太郎を育てる会大阪本部事務所前において、右橋垣雪男に対し、右同様の趣旨で現金五〇万円を供与して立候補届出前の選挙運動をし、

3  同月二三日ころ、前記第一の二の6記載の糸山英太郎選挙事務所において、右橋垣雪男に対し、右同様の趣旨で現金五〇万円を供与し、

二1  松本誠市と共謀のうえ、いまだ糸山英太郎の立候補届出のない同月三日ころ、前記第一の一の1記載の糸山英太郎を育てる会大阪本部事務所において、同候補者の選挙運動者である山辺大三に対し、前記第四の一の1に記載と同様の趣旨で現金五万円を供与して立候補届出前の選挙運動をし、

2  同月一五日ころ、前記第一の二の6記載の糸山英太郎選挙事務所において、右山辺大三に対し、右同様の趣旨で現金五万円を供与し、

三  畑中邦夫と共謀のうえ、いまだ糸山英太郎の立候補届出のない同月一一日ころ、前記第一の一の1記載の糸山英太郎を育てる会大阪本部事務所において、同候補者の選挙運動者である伊達朝太郎に対し、前記第四の一の1に記載と同様の趣旨で現金五万円を供与して立候補届出前の選挙運動をし、

四  いまだ糸山英太郎の立候補届出のない同月一二日ころ、右糸山英太郎を育てる会大阪本部事務所において、同候補者の選挙運動者である松本誠市に対し、右同様の趣旨で現金一二万円を供与して立候補届出前の選挙運動をし、

五  同年七月二日ころ、前記第一の二の6記載の糸山英太郎選挙事務所において、同候補者の選挙運動者である関一に対し、右同様の趣旨で現金一〇〇万円を供与し、

第五  被告人三浦英太郎は、糸山英太郎に当選を得しめる目的をもって、

一  被告人前田清、同桐ケ窪達らが共謀のうえ、糸山英太郎に当選を得しめる目的で前記第一および第二記載の各犯行をすることの情を知りながら、被告人前田、同桐ケ窪の指示により、前記第一の一の1記載の糸山英太郎を育てる会大阪本部事務所において、同年六月一一日ころから同月一三日ころまでの間、前後三回にわたり合計約二四九万四〇〇〇円の現金を会計担当者として出金し、地区名と金額を記載した白封筒に小分け配分するなどしたうえ、それぞれそのころ各現金を被告人桐ケ窪に手渡し、もって被告人前田、同桐ケ窪らの前記各犯行を容易ならしめてこれを幇助し、

二  被告人前田が、糸山英太郎に当選を得しめる目的で前記第四の四記載の犯行をすることの情を知りながら、同被告人の指示により、前記第四の四記載の日時場所において、会計担当者として現金一二万円を出金したうえ、これを前記松本誠市に手渡し、もって被告人前田の前記犯行を容易ならしめてこれを幇助し

たものである。

(証拠の標目)《省略》

(主な争点に対する判断)

弁護人および被告人らは、被告人らの間に本件の共謀があったことや、金員の趣旨あるいは金員の授受の事実を否認して争うので、主な争点について判断を加えることとする。

第一ポスター掲示依頼に乗じた買収

一  被告人嶋嵜、同前田、同岸田、同桐ケ窪、同岡崎の本件共謀および金員の趣旨

《証拠省略》を総合すると次のような事実が認められる。すなわち、

(一) 昭和四九年七月七日施行された参議院議員通常選挙(同年六月一四日公示)に際し、糸山英太郎は全国区から立候補したこと、それより以前に右糸山の選挙運動母体として大阪市西区《番地省略》所在の大阪日日新聞社ビル四階新日本開発株式会社内に事務所を置き、被告人前田清を代表者とする糸山英太郎を育てる会大阪本部(以下育てる会大阪本部という。)が設けられていたこと、同本部では、昭和四九年二月ころから積極的に選挙運動を行なっていたが、同年六月三日ころには事務所を大阪市南区《番地省略》に移転し、公示後はそのまま糸山英太郎選挙事務所となったこと、育てる会大阪本部の組織は、事務長に被告人前田清、事務局長に被告人岸田政夫、会計担当に被告人三浦英太郎、ポスター担当の総務局長に被告人桐ケ窪達がそれぞれ当っており、さらに、衆議院議員選挙における選挙区割に従って大阪府下を六五地区に区割りし、地区別に総括責任者を定めていたが、大阪市内地区(一、二、六区)は被告人岸田政夫が、三区のうちの北河内地域は被告人古山三男が、それぞれ総括責任者になっていたこと、

(二) 被告人嶋嵜秀男は、糸山英太郎が代表取締役である前記新日本開発株式会社の取締役総務部長の地位にあり、また糸山とは義理の叔父・甥の関係(被告人嶋嵜の妻が糸山の母親の実妹)にあって、糸山のため後援会の組織作りなどをした後、育てる会の西日本地域(近畿、中国、四国、九州、沖縄地方)における選挙運動の資金調達担当者として選挙運動に従事していた者であること、被告人前田は、吹田市助役をした後、糸山の岳父の笹川了平や了平の実兄の笹川良一と知人であった関係もあって、昭和四九年二月一日から育てる会大阪本部の事務長として大阪府下における糸山の支援活動や選挙運動を統括していた者であること、被告人桐ケ窪は、右前田とは旧制高校時代からの親友であって、たばこ、食料品等の販売会社を経営していたが、被告人前田の依頼をうけて、同年二月下旬ころから育てる会大阪本部の総務局長、ポスター担当者として選挙運動に従事していた者であること、被告人岸田は、大阪市職員を退職したあと、昭和四一年一一月ころ、自民党へ入党し、同四二年四月から同四六年三月までの間大阪市議会議員を勤めたもので、笹川了平から依頼されて、同四八年一〇月ころから育てる会大阪本部の相談役として、同四九年六月三日からは事務局長の立場で、いわば選挙参謀として事務長の被告人前田を補佐して選挙運動に従事していた者であること、被告人三浦は、南海電鉄さらに競艇場施設の賃貸業を営む住之江興業株式会社をそれぞれ定年退職した後、住之江興業の嘱託をしていたが、笹川良一が日本モーターボート競走会連合会長をしている関係から住之江興業の取締役の指示により、昭和四九年二月一三日ころから育てる会大阪本部に出向し、会員名簿を作成するなどの事務に当っていたが、同年六月三日から育てる会大阪本部の会計担当者として会計事務に従事していた者であること、被告人岡崎は、前記新日本開発株式会社の社員で経理係をしていたが、同社取締役総務部長の被告人嶋嵜に命じられて、昭和四九年一月ころから育てる会大阪本部の会計担当者として、被告人嶋嵜の下で育てる会の西日本地域における選挙運動資金の経理をしていた者であること、被告人古山は、前記新日本開発株式会社の社員で、同社の経営するレジャーセンター「ヤングプラザ」の支配人をしていたが、被告人嶋嵜に命じられて昭和四八年二月ころから糸山のため後援会の組織作りをし、同四九年二月ころから育てる会大阪本部の北河内地区の総括責任者として選挙運動に従事していた者であること、

(三) 被告人前田、同岸田、同桐ケ窪らは、昭和四九年(以下特記しない限り同じ、)五月一六日ころ東京で開催された選挙対策全国会議に出席し、ポスター掲示について指示督励されたこともあって、選挙戦を有利に推進するためには何よりも公示とともに選挙用ポスター(以下ポスターという。)を大阪府下全域に一斉かつ迅速に掲示すべきであると考えていたところ、六月五日ころ、被告人岸田、同桐ケ窪の両名が大阪市南区《番地省略》所在の育てる会大阪本部事務所において、その掲示方法等につき協議し、前記の六五地区に区割りした大阪府下の各地区の有権者数の千分比による数に投票所数の三倍を加え、さらに重点地区へは、一定枚数を加えることとした枚数のポスターを各地区へ割当て、各地区責任者に対して一括してポスターの掲示、管理、移動等を依頼すること、ならびに、その際地区責任者に対し、労務賃の名目でポスター掲示等の費用ならびにその報酬としてポスター一枚につき三〇〇円ないし五〇〇円の割合の金員とそれに一律三〇〇〇円ないし五〇〇〇円を加えて算出した現金を供与することなどの一応の結論を得、事務長である被告人前田に諮ることにしたこと、

(四) そして右被告人岸田、同桐ケ窪は、翌六月六日ころ、同事務所において、被告人前田に対し、前記の協議結果を提案するとともに、被告人桐ケ窪において「各地区の責任者には色々世話をかけるし、特にうちの組織は地盤のある強い組織ではなく、いわばかき集めだから金を出さないと頼めない。」旨発言し、被告人前田も「金を出さんわけにはいかんな。」と答えるなとしてさらに右三名で協議を凝らした結果、前記の方針によるポスター枚数を各地区へ割当てること、そしてポスターは一括して地区責任者に手渡してその掲示等を依頼すること、地区責任者に対しては、その報酬としてポスター掲示等の費用を含めたものとして、ポスター一枚につき四〇〇円の割合とそれに一律一万円を加えて算出した現金を供与すること、地区責任者からはポスター一枚につき五〇円の割合で計算した金額の領収書を徴し、ポスター一枚につき五〇円の割合で掲示を依頼したようにすること、右の現金は、地区責任者を集めてポスター掲示説明会を開催した際、その席上を利用して手渡しすること、説明会に欠席した者に対しては、被告人岸田ら地区の総括責任者から供与すること、等を決定したこと、そして、被告人桐ケ窪が同前田に対し「地区責任者に渡す金は三〇〇万円位になるから考えてくれ。」とその資金の捻出方を依頼したこと、

(五) 翌六月七日ころ、同事務所において、会計担当の被告人三浦は、同前田から、ポスターの掲示を地区責任者に依頼すること、その際責任者に対し、ポスター一枚につき四〇〇円の割合とそれに一律一万円を加えて算出した現金を手渡すこと、そのために総額三〇〇万円位の金が必要であることを告げられたうえ、「桐ケ窪が言って来たら出金してやってくれ。」と指示されたこと、被告人三浦は「それだけの金が今ないから本部(被告人嶋嵜、同岡崎らのこと)の方に言って資金を作ってもらって下さい。」と答えていたこと、しかし、その後被告人三浦は、同桐ケ窪から、便箋に地区名と金額を記載した明細表(メモ)とともに出金伝票を渡されて出金方を告げられると同被告人に対し「これは何の金ですか。摘要欄を書いてよ。」と尋ね、被告人桐ケ窪が右出金伝票の摘要欄に「ポスター掲示費」と記入したこと、

(六) 六月九日ころ、被告人前田は、大阪市西区《番地省略》所在の大阪日日新聞社ビル四階新日本開発株式会社に赴き、同社社長室において、被告人嶋嵜、同岡崎らに対し、ポスターを各地区に割当てて、地区責任者に掲示等を依頼すること、その際責任者に対し、その報酬としてポスター一枚につき四〇〇円の割合とそれに一律一万円を加えて算出した現金を供与すること、そのために合計三〇〇万円位の資金が必要であること、このほかにポスター掲示に必要なブロック代等を含めると総計四〇〇万ないし四五〇万円位の資金が必要であること、右の現金は各地区責任者を集めてポスター掲示説明会を開催しその席上で供与すること等前記の被告人前田、同岸田、同桐ケ窪の三名間で協議した内容を説明し、至急に三〇〇万円位の資金が必要なことを告げたうえその調達方を要請したこと、その際被告人嶋嵜は「ポスターを貼るのにどうして金がいるのか。」などと発問したものの、被告人前田から「金を払わずに誰れがやってくれますか。」と説明を受けるなどしたため、結局被告人嶋嵜においても被告人前田の企図や右資金がポスター掲示等の費用にからめて、地区責任者に対する買収として供与されるものであることを十分了解したうえ、被告人前田の要請を承諾しこれを支出することとしたこと、そこで被告人嶋嵜は、同席していた被告人岡崎に対し、手持ち現金の有高を尋ねたところ、被告人岡崎において当座の必要支出予定額を勘案してこれを手許に留保したうえ、「二五〇万円位は出金できる。」と答えたこと、そのため被告人嶋嵜は、当面の資金として二五〇万円を出金することに決め、その旨被告人前田に告げる一方、被告人岡崎に対し、二五〇万円を出金するよう指示したこと、被告人岡崎は、同嶋嵜、同前田らの企図や右二五〇万円がポスター掲示等の報酬に併せて地区責任者に対して供与される買収金であることを了解したうえこれを承諾したこと、翌六月一〇日ころ、前記大阪日日新聞社ビル四階の育てる会大阪本部元事務所において、被告人岡崎が、同前田に対し、前記の買収資金として二五〇万円を手渡したこと、

(七) 六月一一日ころ、被告人三浦は、前記の育てる会大阪本部事務所において、被告人前田から前記の二五〇万円を受取ったこと、そして同桐ケ窪の指示に従い、すでに同被告人から受取っていた前記の明細表に基づいて、六月一一日ころ大阪市内地区と五区分、同月一二日ころ三区のうち北摂地区分、同月一三日ころ三区のうち北河内地区と四区分と各三回にわけて合計約二四九万四〇〇〇円を出金して、地区名と金額を記載した白封筒に小分けし、それぞれそのころこれらの現金を被告人桐ケ窪に手渡したこと、

(八) 六月一一日ころ、被告人前田、同岸田、同桐ケ窪らは、大阪市内地区(一、二、六区)堺、岸和田市等の五区地区の責任者を前記の育てる会大阪本部事務所に集めてポスター掲示説明会に開催し、席上被告人前田、同岸田が挨拶に立ち、糸山に当選を得しめるための運動を要請したうえポスターの掲示方を依頼し、次いで被告人桐ケ窪がポスターの掲示、管理、移動等に関する注意説明、ポスター掲示承諾書を徴すること等の指示をしたうえ、十時惟剛ら出席していた地区責任者に対し、ポスター掲示等の労務賃と称して、前記のように白封筒に入れて準備していた現金を供与し、その際地区責任者をして、ポスター一枚につき五〇円の割合で計算した金額を既に記載してある領収書に署名させたこと、その後六月一二日ころ、被告人前田、同桐ケ窪らは、高槻、豊中市等の三区のうち北摂地区の責任者を同事務所に集めてポスター掲示説明会を開催し、前日の説明会の時と同様に、まず被告人前田が挨拶をしたうえポスターの掲示を依頼し、次いで被告人桐ケ窪においてポスター掲示に関する注意説明と、その指示をしたうえ、ポスター掲示等の労務賃と称して前記のように白封筒に入れて準備した現金を供与しようとしたところ、出席者の古澤信男から「こういう席で金を配るようなばかなことをするもんじゃない。」との注意発言があったことから、被告人桐ケ窪は現金を供与することを中止し、被告人前田と相談のうえ、ポスターを地区責任者に配布する際に各別に供与することにし、六月一四日に至って前掲田沢美之らに対して供与したこと、右の各ポスター説明会に欠席した者やポスター説明会を開催できなかった三区のうち北河内地区等は、それぞれ総括責任者の被告人岸田、同古山らを通じあるいは第三者に託すなどして各地区責任者にその金員が各供与されたこと、右金員はいずれも糸山のためポスター掲示等とその選挙運動をすることの報酬の趣旨を含むものとして供与されたもので、これを受領した判示の各地区責任者は右のような金員の趣旨を認識していたこと、そして地区責任者の大部分の者は右金員を自己の用途に費消していること、

以上の各事実が認められる。

以上の諸事実、ことに被告人岸田と同桐ケ窪の下相談の内容、次いで被告人前田を加えて右三名間でさらにその相談を詰めるなどした協議の内容、被告人前田が同嶋嵜、同岡崎に対し右協議内容を打ち明けて資金の調達方を要請した状況、被告人嶋嵜と同岡崎が出金を決定した状況を総合すると、まず被告人前田、同岸田、同桐ケ窪の三名間においてポスターの掲示依頼に乗じて地区責任者に現金を供与して買収することの謀議が成立し、次いで被告人前田を通じて被告人嶋嵜、同岡崎との間においても順次右の共謀が遂げられたことが明白である。

なお、弁護人および被告人らは、本件金員の趣旨について、本件金員はポスター掲示の実費ないしは労務賃であって、そのうち一律分一万円は地区責任者に対する車代(いわゆる足代)、資材費等の実費として、またポスター一枚につき四〇〇円の割合分はポスター掲示に使用するアルバイトなどに対する労務賃として、それぞれ支給したものであると主張するので、本件金員の趣旨についてさらに詳論すると、前示の被告人前田、同岸田、同桐ケ窪の三名間における協議において、ポスター一枚につき四〇〇円とし、また地区責任者に対する一律分を一万円とすることについては明確な算定根拠が示されていたわけではなく、要するに地区責任者に対して供与する金額をいかほどにするかを決定するに際して便宜上の計算(算出)基準として用いられたものといわざるを得ない。このことは、前示の被告人岸田、同桐ケ窪の間における下相談においては、ポスター一枚につき三〇〇円ないし五〇〇円の割合とか一律分につき三〇〇〇円ないし五〇〇〇円という額が考えられていたことからも明らかであるし、また各地区責任者に対し供与をするに際しても、その金銭を一括して供与し、単に「ポスターの貼り賃です。」あるいは「労務賃です。」と漠然と告げた程度で、その内訳についての明確な説明は加えていないのみか、一方ポスター掲示に必要な釘、針金やブロック等は別途現物を配付しているし、アルバイト等の労務者を雇用するなどの点については何らの指示もしていないこと、地区責任者から領収書を徴したというものの、それは労務賃あるいは実費としてそれぞれに区別して金額を明示した領収書を徴したというものではなく、しかも、その領収書は前示のようにポスター一枚につき五〇円の割合で計算した金額を事前に記入しておき、これに署名をさせたというものであるし、手交した金額と領収書の金額との相違についても明確な説明をしていないこと、そもそも被告人前田ら三名間の協議の際には、これらの金員については地区責任者に対し清算ないし使途報告を求めるということは一切持ち出されていないのみか手渡す際そのようなことは一切要求していないのみであって、このことは本件金員が当初から地区責任者の裁量に任せる渡しきりの金として考えられていたことの証左であると認められること、もっとも被告人らは右の割合で計算した金額では不足することが明白であって清算する必要もないと述べるが、当時の法定の労務賃(弁護人提出にかかる「自治省選挙部編参議院選挙の手引昭和四九年版」によると日額一〇〇〇円以内、最高限一五〇〇円以内であることや、《証拠省略》中にはせいぜい日当二〇〇〇円限度であることが散見される。)からみてもポスター一枚につき四〇〇円の労務賃というのは高額にすぎるし、前記のようにそもそも右の算出基準が便宜上のもので不明確であることからすると、不足する額であるなどとは到底言い難いこと、一方、地区責任者においても清算ないし使途報告を申し出た形跡は窺われないばかりか、大部分の者は受領した金員を自己の所持金と混同して自己の用途に費消していること、さらに被告人らや供与を受けた地区責任者らの各検面調書ないし証言中にみられる本件金員の趣旨、その授受の目的、その認識についての供述内容等を総合して考察すると、本件金員は、地区責任者に対する、ポスター掲示、管理、移動などの費用だけでなく、糸山が当選するための選挙運動をすることの報酬の趣旨をも含めていることは優に認定しうるところであり、そしてそのことはいちいち具体的に糸山のため投票ならびに投票取りまとめの選挙運動をすることを依頼しなくても黙示的であれ、相互にその趣旨が理解され、そのための報酬であることが了知されていれば充分である。

なお、弁護人は、被告人らが本件の金員の趣旨に関して述べている自白調書の信用性を争うが、被告人らが、自白調書において述べる本件の客観的な外形事実については公判廷においても認めるところであり、その事実を前提にして金員の趣旨についてのみこれを否定する公判供述には不合理、不自然な点が多く、これと対比するとむしろ自白調書における供述内容にはその信用性に疑いをさしはさむべき格別の状況があったことは窺われないから、被告人らの各自白調書は十分信用できる(ただし、被告人三浦については、その検面調書の信用性につき後述する。)。

また、弁護人は、被告人岡崎の共謀の事実に関し、同被告人は被告人嶋嵜の指示に基づいてただ機械的に本件の二五〇万円を出金したにすぎないから、共謀共同正犯としての刑責を問われるいわれはないと主張するので、考察するに、《証拠省略》によると、被告人岡崎は前示のように被告人嶋嵜の命をうけて、昭和四九年一月ころから育てる会大阪本部の会計担当者になったものであるものの、その後は被告人嶋嵜の下で西日本地域における育てる会の選挙運動資金の経理にあたり、自ら出金伝票を起票しあるいは立替金等を差引くなどの事務を担当していて、選挙管理委員会等の関係機関に対し会計責任者として届出られた者であること、ことに、被告人前田が、同嶋嵜に対し、本件の資金調達の要請にきた際には終始同席し、被告人前田の資金要請の説明や被告人前田と同嶋嵜のやりとりを聞いていて被告人嶋嵜から要請されると当座の必要支出予定金を留保したうえで、「二五〇万円位は出金できる。」旨答え、自らその支出決定をなし、その後、二五〇万円の出金伝票を起票し、被告人嶋嵜と相談のうえ、「順慶町事務所(前記の育てる会大阪本部事務所のこと)の諸経費」という費目を立てるなどして処理していること等の事実が認められる。以上の事実、ことに被告人岡崎は会計担当者として、手持ち現金中から当座の必要支出予定金を留保するなどそれなりに自己の判断に基づいて出金決定をしていることに徴すると被告人岡崎は、本件につき被告人嶋嵜、同前田らとの間に共謀をしたものと言わねばならない。そして、このように被告人岡崎が出金の意思決定について直接関与している点において、後述する被告人三浦とは重大な差異があり、被告人岡崎は単なる機械的な出金者にすぎないとする弁護人の主張は失当と言わざるを得ない。

二  被告人三浦について幇助犯と認定した理由

被告人三浦の本件各供与罪の訴因は、被告人前田らとの共謀による共同正犯とするものであるが、弁護人は、被告人三浦は被告人前田らの指示に従って機械的に金員の出し入れを行ったにすぎず、金員供与につき共謀があったとはいい難く、無罪である旨主張する。

そこで検討するに、被告人三浦が本件に関与したのは前記一の(五)、(七)のとおりであるところ、被告人三浦は被告人前田、同桐ケ窪から、地区責任者に対し、ポスター掲示費としてポスター一枚につき四〇〇円の割合とそれに一律一万円を加えて算出した現金を渡すことを告げられ、また、地区名と金額を記載した明細表を示されて出金方を指示されて、現金を各地区ごとに配分小分けするなどの作業をしている点をみると、被告人三浦においても同前田らとの間に共謀があったとの疑いがないわけではない。

そこで、被告人三浦の責任を明確にするためには、まず同被告人が当時会計担当者としてなしていた一般的事務処理状況を検討してみると、ことに被告人三浦の検面調書によれば被告人三浦は、本件以前に選挙運動をした経験は全くなく、前示のように定年まで一事務職員として南海電鉄に勤め、ついでその子会社の住之江興業に転じ、同社をも定年退職した後、その嘱託として同様住之江興業に一事務職員として勤務していたところ、昭和四九年二月一三日ころ、上司から命じられて育てる会大阪本部に出向し、主に育てる会の会員名簿の整理に従事していたものであること、同年六月三日ころ、同本部事務所が順慶町に移転する際、それまで本部の会計担当者であった被告人岡崎がそのまま西日本地域の会計担当者として残留することになったため、右順慶町の会計担当を依頼され、いったんは断わっていたものの、被告人前田から「むつかしく考えることはない。毎日の出し入れを控えてくれたらよい。」と言われるなどして強く要請され、結局これを引受け、同日から育てる会大阪本部(公示後は大阪選挙事務所)の会計担当者となったこと、しかし会計担当とはいえ、資金の調達には全く関与せず、それらのことはもっぱら被告人前田が被告人嶋嵜らと交渉して取決めたうえ、調達していたものであり、またその出金(払出)に際しても、被告人前田の決裁印の押捺された出金伝票による申出があれば、そのとおりの出金をしていたものであり、その際それに記載された費目、使途、要・不要、多寡等の内容を検討して、出金額を定めたり、それを拒否するような立場にはなかったこと、そのため収支の記帳も、大学ノートに収支一覧表を作成して、法定選挙費用額などに留意することもなく、いわゆる表金、裏金の区別なく出入金について悉く記帳し、その帳尻を合わすことに終始するようなものであったこと等の事実が認められる。これらの事実からすると、被告人三浦に対しては本来会計担当者が果すべきものと考えられる入出金に関する判断(チェック)あるいは意思決定等については一切任されておらず、会計担当者であるとはいうものの、被告人三浦は、専ら被告人前田らにおいて既に決定した入出金につき、その指示するところに従ってその関係を記帳するという、いわば事務のみを担当するという程度のことを扱っていたものにすぎず、そのため選挙管理委員会等の関係機関に対しては会計責任者としての届出すらなされていなかったものであることをも併わせ考えると、被告人三浦においては、これが一般的な会計処理においても実質的にも形式的にも、いわゆる選挙事務所の会計担当者と目されるようなものではなかったと言わざるを得ない。

次いで、本件買収につきこの点を検討してみるにそもそもその基本的な買収計画は、被告人前田、同岸田、同桐ケ窪の三名間において協議、決定されたものであるし、被告人三浦自身としては、その資金の調達方はもちろん、その配分額や、出金のやりくり、帳簿上の操作、処理等についての意見すら求められていないばかりか、その金員の支出についても、単に被告人前田から「ポスター掲示費として地区責任者に対し、ポスター一枚につき四〇〇円の割合とそれに一万円を加えた現金を渡す。総額三〇〇万円位いる。」旨告げられ、また被告人桐ケ窪から出金伝票と地区名、金額を記載した明細表を渡されて、その指示されるまゝ出金したに過ぎず、その際金銭の使用目的などの点についての説明をうけたわけでも、また右金銭が、いつ、どのようにして地区責任者に対して手渡されるものか、ことにポスター一枚につき五〇円の割合で計算した領収書を徴すること等については何一つ告げられていないから(この点に関する被告人桐ケ窪の検面供述は明確を欠くが、右の領収書は同被告人が準備し、かつ徴収後も同被告人が処理していることからすると、被告人三浦に右領収書のことを告げる必要もないわけである。)、被告人三浦としては、当時右金員が、被告人前田らによって地区責任者に対しポスター掲示にからんで供与されるかも知れないという程度の認識を有していたことは否定できないにしろ、未だ確定的な認識を有していたと認定するには証拠が充分ではない。もっとも、被告人三浦が被告人前田に右の資金の手当を依頼したことはあるが、それは手許に合計三〇〇万円もの現金がなかったためにしたことであり、自ら手持ち現金の出金予定額と見合わせてやりくりした結果というものでもないし、また被告人桐ケ窪に出金伝票の摘要欄を記載させたというのも、これを知ることによって、その費目、使途、多寡などから判断して出金の許否を決しようというものではなく、被告人三浦の几帳面な性格からして、単に伝票の不備を指摘したにすぎないものであると認められ、ことに同被告人が金銭を各地区ごとに配分小分けするなどしたのは、被告人前田や同桐ケ窪らの指示にしたがい、被告人桐ケ窪が提出した明細表にもとづいて機械的に処理したものにすぎないこと(六月一三日ころの三回目の出金の際には、被告人三浦は面倒になって小分けしなかったほどである。)、に徴すれば、右の事実をもってしても被告人三浦が本件の金員が供与されるものとの確定的な認識を持っていたとはなし難い。それは地区責任者から徴する領収書(ポスター一枚につき五〇円の割合で計算した金額を記載したもの)の準備、徴収後の処理は、被告人桐ケ窪が行ない、被告人三浦は関与していないことをみれば一層明らかである。してみると本件買収に関し被告人三浦がとった行動は被告人前田、同桐ケ窪らの指示のままに金銭の支出をしたものにすぎず、ましてや被告人前田、同桐ケ窪らと一体となって本件買収を実現しようとしたものとはとうてい認め難く被告人三浦に対しては、共謀による共同正犯としての刑責を問うことはできないものと言わなければならない。

しかしながら被告人三浦は、本件金員の趣旨に関し未必的ではあるものの供与されるものであるとの認識を有しながら、被告人前田、同桐ケ窪らの指示に従って金員を出金して配分小分けするなどしたものであるから、被告人前田らの本件買収行為を容易ならしめたものとして、幇助犯としての刑責は免れないと言わざるを得ない。

なお、被告人三浦は、その検面調書(とくに四九・七・二二付)において、本件金員の趣旨について詳細な供述をしているが、前示のような被告人三浦の選挙事務所内での立場やその担当事務の内容、ことに本件買収の協議、決定には参加していないこと、被告人前田、同桐ケ窪から出金を指示された際の状況等に照らすと、後日における推測による供述ではないかと疑われる点が多く、それは金員の趣旨に関し、前示のような未必的な認識は有していたと認める限度において信用し得るにとどまるものである。

三  各供与についての争点に対する判断

1 伊東一志に対する供与(判示第一の一の1)

弁護人は、伊東一志に対する供与の事実を争い、伊東は、六月一一日はポスター説明会を欠席して住之江競艇場へ行っていた旨主張し、伊東もその旨証言をしている。

しかし、伊東は検面調書(四九・八・一六付)において、本件受供与の事実は否定しているものの、六月一一日は順慶町の育てる会大阪本部事務所に行ったこと自体は認めていること、その証言をみても、伊東は育てる会堺支部の責任者であり、熱心に糸山のため選挙運動を行っていた者であって、その手帳の六月一一日欄には「糸山本部会合午後三時」と赤ボールペンで記載していたほどであること、それにもかかわらず、その証言の如く、公示(六月一四日)も目前に迫った六月一一日には右の会合に出席するつもりで堺を出発しながら、「どうせこれまでと同じような会合や」と考えて「本部の会合をさぼって競艇場へ行った」というのは極めて不自然であるばかりか、競艇場へ行ったことがいつのことかわからなかったから捜査段階ではそのことを述べなかったと言いながら、昭和五〇年一〇月一七日の自己の公判期日を終って、裁判所の廊下でギャンブルの新聞を読んでいたときに突然当日(六月一一日)は競艇場へ行っていたことを思い出したと言うのであってそのことじたい不自然にすぎ首肯しえないこと等からすると、伊東の証言はにわかに措信することはできない。

なお、伊東の運転手である岩田博も伊東の証言にそう証言をしているが、右岩田証言も競艇場へ行った日が六月一一日かどうか暖昧であるばかりか、伊東の公判での証言では、それは五月ころのことである旨述べたというのであって、右の岩田証言によっては伊東の証言を裏付けることはできない。

しかして、《証拠省略》を総合すると、伊東は六月一一日に順慶町の育てる会大阪本部事務所で開催されたポスター説明会に堺市地区責任者として出席していたこと、その席上、被告人桐ケ窪が伊東に対し「これお願いします」と言って白封筒に入れた現金一五万六〇〇〇円を手渡したこと、伊東は「はい」と返事してこれを受取り、ポスター一枚につき五〇円の割合で計算した金額を記載してある領収書に署名したこと、伊東は、六月一四日、大阪日日新聞社ビル四階の育てる会大阪本部事務所に赴き、ポスターを受取り、堺市内に掲示して廻ったが、六月一八日ころ、前記岩田に対し「一枚一〇〇円払うから二〇〇枚ほど貼ってくれ」とポスターの掲示を依頼し、同月二一日ころ、岩田に対しその報酬として現金二万円を手渡したこと等の事実が認められる。以上の事実に徴すると、伊東が六月一一日ころ、被告人桐ケ窪から本件金員を受け取り前記のような領収書に署名し、かつ、その際右金員につき後日に清算するよう指示されていないこと、そのうちの二万円は岩田にポスター掲示の報酬として手渡していることなどを考え併わせると、伊東において右金員がポスター掲示と、投票依頼等の選挙運動をすることの報酬等として供与されるものであることを認識していたことは否定できないと言わざるを得ない。

なお、被告人前田、同桐ケ窪は、伊東が六月一一日のポスター説明会に出席していなかった、あるいは出席していたかどうかはっきりしない旨それぞれ供述するが、他方では右両被告人は、第六六回公判で、伊東に対する供与分である堺市地区分が供与されないままに後日まで残っていたことはない旨供述しているし、また被告人桐ケ窪は第一二回公判で、伊東が六月一一日のポスター説明会に出席していて、席上伊東に対し本件金員を手渡した旨の捜査時の供述は記憶のままに述べたものであると供述していることに照らすと前記の被告人前田、同桐ケ窪の公判供述があるからといって右認定が左右されるものではない。

2 北川博に対する供与(判示第一の一の16)

弁護人は、北川博に対する二万七〇〇〇円の供与について、右金員の趣旨を争い、それは労務賃として受取ったものであり、そのため被告人岸田に預り証を渡し、さらにそれを清算する意味で七月六日に領収書をも届けに行っていると主張する。

なるほど北川証言には、弁護人の主張にそう証言部分はあるが同人は昭和三〇年ころから酒井大阪府会議員の秘書兼事務員をしている経験を有している者であるにもかかわらず、被告人岸田が二万七〇〇〇円を持参した際には、自分も労務者であると考え、受取ってもよい正当な金だと理解した旨述べるなど、その経歴からみて理解し難い内容の証言をしているだけでなく、後述のようにその検面調書では、選挙違反に問われることを恐れて日付を遡らせるなどした領収書を作成したという本人でなければ語れない事実を述べていてこの点について、検察官に押しつけられたというだけで合理的な説明もなしえないことなどその証言内容は不自然、不合理な点が多く、到底措信し難いものである。

しかして、右北川の四九・八・一付(二)、四九・八・三付各検面調書によると、同人は、六月一二日ころ被告人岸田の使者をしていた神田行道からポスター掲示を依頼されたうえ、「ポスター貼り賃です。」と言って二万七〇〇〇円入りの封筒を差し出されたが、選挙運動の謝礼とわかり、違反になると思って受取りを拒絶したが、翌六月一三日ころ、今度は被告人岸田から、「ポスターを掲示してもらうのに色々ご苦労をかけるので一つ受取って下さい。」と重ねて懇請されて結局封筒に入った二万七〇〇〇円を受取ったこと、その際被告人岸田は右金員の使途の指示や清算方を要求しなかったこと、北川は領収書の意味で預り証を書いて被告人岸田に渡したこと、北川は、右金員を六月二〇日ころ自己の所持金と混同し、ポスター掲示を手伝ってくれた田中日出生(酒井事務所の運転手)に三回にわたり計一万二〇〇〇円を与えたほか、飲食代等に使用したこと、選挙違反で取調べを受けることを恐れ、七月六日ころになって、右田中に合計一万二〇〇〇円の領収書三枚を書かせ、その日付を適当に遡らせて記入し、残金一万五〇〇〇円についても適当に金額、日付を割り振りして記入した領収書五枚を作成したこと等の事実、および《証拠省略》によると、右金員は清算を要しない渡し切りのものであったことが認められる。以上の事実に徴すると、右金員は糸山のためポスター掲示等とその選挙運動をすることの報酬の趣旨を有するものであり、かつ北川において右金員の趣旨を認識していたものといわざるを得ない。

3 畑中邦夫に対する供与(判示第一の一の17)

弁護人は、畑中に供与された六四万四〇〇〇円のうち、四条畷市分の二万九〇〇〇円の授受の事実を否定し、また四区分の六一万五〇〇〇円についてはその趣旨を争い、それは四区の移動事務所等の費用として授受されたものであると主張する。

(一) 畑中はその証言において四条畷市分二万九〇〇〇円はこれを受取っていないと述べるけれども、畑中自身は昭和四九年一月一〇日ころから育てる会大阪本部において総務担当あるいは事務長代行として糸山のための選挙運動に従事し、四区、四条畷市地区の総括責任者をしていた者であること、その検面調書(四九・八・七付、四九・八・八付二通)では、六月一三日ころ被告人桐ケ窪から四区分六一万五〇〇〇円入りの封筒とともに四条畷市分二万九〇〇〇円入りの封筒を受け取り、四条畷市分二万九〇〇〇円は同夜自分の所持金と混同したことを詳しく述べたうえ、この二万九〇〇〇円については自分のふところに入れているうしろめたさがあってこれまではその受取ったことまでも否認していた事情をも述べていること、他方直接これを手渡した被告人桐ケ窪は、その検面調書(四九・七・三〇付(二)、四九・八・八付)だけでなく第六一回公判においても、四条畷市分二万九〇〇〇円は四区分六一万五〇〇〇円とともに畑中に手渡したことは間違いない旨供述していることに徴すると、被告人桐ケ窪が畑中に対して四条畷市分二万九〇〇〇円を供与した事実は優に認められる。

もっとも弁護人は、畑中は後述のように四区分六一万五〇〇〇円を銀行預金していることからみると四条畷市分を受取っていれば、これと一緒に預金しているはずであると主張するけれども、そのような状況にあったことを窺せる証拠はなく、かえって畑中自身は四区総括責任者として同区内においては主に府会議員か市会議員ら有力者に糸山の選挙運動方を依頼するなどしていたが、他方四条畷市地区内では、青年会議所の設立などで援助してやるなどしていわば「貸し」のある友人に選挙運動を依頼していたため、四区と四条畷市地区とは一応区別して考えていたことが窺われることをみると、四条畷市分を預金していなかったからといって不自然なことではなく、またそのことから金員の授受まで否定されることにはならない。

そして、前記の畑中、被告人桐ケ窪の各検面調書によると、四条畷市分は同地区責任者の畑中の裁量に委ねるものとして授受されたことが認められるから、それは畑中に対するポスター掲示等と糸山への選挙運動をすることの報酬等の趣旨を含むものであり、そのことは、畑中もまた被告人桐ケ窪においても充分認識していたものと言わざるを得ない。

(二) 次に四区分六一万五〇〇〇円の趣旨について検討するに、畑中の証言および検面調書(四九・七・二八付、四九・八・七付、四九・八・八日付二通)、被告人桐ケ窪の前記検面調書によると、畑中は四区の総括責任者でありながら、ポスター説明会を開催する手筈を整えず、ために被告人桐ケ窪ら育てる会大阪本部においても四区内の地区責任者を把握できないでいたこと、六月一三日ころ、畑中は被告人桐ケ窪から白封筒に入った四区分六一万五〇〇〇円を「これポスター貼りの労務賃や。あんたの裁量で適当に配分してくれ。」と言われて手渡されたこと、そこで畑中は、その使途は自己の自由裁量でよいと考え四区の選挙運動の実情や地区責任者の地位身分などに相応して、現金については自己が適当に金額を決め、また現金に代えて酒類等の品物をもって供与する場合や、人によれば供与しないでもよい者もあるから、余剰が生ずれば当然自己の所得にしようと思いこれを受領したこと、もちろんその際被告人桐ケ窪において後日清算するよう求めることはせず、いわば渡し切りの金であったこと等の事実が認められ、これらの事実に徴すると、右金員は畑中が糸山のための選挙運動をすることの報酬の趣旨を含むものというべく、畑中および被告人桐ケ窪においてその趣旨を認識していたことも明らかである。

ところで、畑中は右金員は四区の移動事務所の経費等に使用するため、六月一四日ころ、四区の選挙運動を手伝っていた佐々木淑晴らにその旨告げたうえ、翌一五日ころ、育てる会大阪本部事務所の受付係で四区の窓口事務を担当していた藤岡まゆみに依頼して同女の名義で銀行預金した旨証言するところ、弁護人提出の住友銀行心斎橋支店作成にかかる普通預金勘定出入記入表(写)や藤岡まゆみの証言によると、六月一五日に同支店に同女名義で新規の預金として六一万五〇〇〇円が預け入れられていることが認められるところ、畑中自身はそのことについては捜査時には一切供述していないが、それは六月二一日ころ右預金から引出した三〇万円(前記の普通預金勘定出入記入表(写)によると、六月二一日に三〇万円引出されていることが認められる。)の使途につき説明ができなかったためであると証言する点からみると、四区分六一万五〇〇〇円を銀行預金したとする畑中の右証言は一概に排斥しえないものがある。

しかし、他方、畑中の妻の畑中京子によって、現金六〇万円と「四区六一万五〇〇〇円」と記載された白封筒(六片に破られているもの。)が捜査機関に対し任意提出されているところ、同女は四九・七・二四付検面調書において(なお同女の第三八回公判における証言は全般にわたって記憶がないというもので、同女が畑中の妻であることからみて、明らかに証言を回避していると言わざるを得ない。)、これらの物を任意提出するに至った経緯について、昭和四九年七月九日夜、夫の畑中が警察に出頭したことから、家探したところ自宅二階寝室の洋服タンス内から新日本証券の封筒に入った前記の現金六〇万円を、また紙くず籠内から前記の破られた白封筒を発見して隠匿したこと、同夜警察から帰宅した畑中に右の六〇万円を見せると、畑中は「選挙事務所の方から畑中さんの分やと言われて受取ったものや。」と答え、白封筒の「四区六一万五〇〇〇円」の記載を見て、「こんなことが書いてあるからなあ。」と言ったこと、翌一〇日畑中が逮捕され、その夜警察の家宅捜索を受けたが、右六〇万円と白封筒は水屋内に隠匿していたため押収を免れたこと、その後七月一六日に右六〇万円と白封筒を警察へ任意提出したこと等を詳細具体的に供述していることが認められる。

もちろん畑中は、妻京子の右供述を否定し、同女が警察に任意提出した六〇万円は、六月初旬ころ、自己が取締役をしていた会社の自己所有の株式一〇〇〇株を売却した代金であって、供与を受けた金銭とは別の金銭である旨証言するところ、右の六〇万円の出所が株式の売却代金であるという点はそのまま採り得ないにしても、畑中京子が警察に任意提出した六〇万円は、畑中が六月一三日ころ被告人桐ケ窪から供与を受けたその現金であるとまでは断定し難いものがあると言わざるを得ない。

しかし、いずれにしても、畑中が供与を受けた四区分六一万五〇〇〇円は、前示のとおり畑中に対し選挙運動をすることの報酬等の趣旨を含んでいるものであることは明白であって、仮りに右金員が銀行預金されていて、畑中が佐々木らに対し四区の移動事務所の経費等に使用する旨告げていたことがあったとしても、それは畑中が供与を受けた後の裁量に基づく使途であり、六月二一日ころ三〇万円を引出したのも畑中が藤岡に命じてしたことであって、これ以外に佐々木らが引出した証跡はないから、前示の本件金員の趣旨に関する認定が左右されるものではない。

なお、弁護人は、被告人桐ケ窪は、四区分の六一万五〇〇〇円は同区内の地区責任者に対して供与すべく、被告人桐ケ窪においてその総括責任者である畑中に一括して交付したものであるから、それは地区責任者に対する供与の準備行為にすぎず無罪であると主張するが、前示のとおり、被告人桐ケ窪ら育てる会大阪本部においては、四区内の地区責任者を把握していなかったため、四区分六一万五〇〇〇円は四区の総括責任者である畑中の裁量に委ねることにしたこと、これに対応して畑中も、四区分は自己の裁量により、供与の相手方、供与する物の種類(現金か品物か)、供与額などを適宜に決定して配分し、余剰があれば自己の所得ともしうることを認識了解して受取ったことからすると、その授受の時点においては畑中もまた被告人桐ケ窪も畑中からさらに供与する相手方として抽象的にもその範囲すら特定していなかったと言わざるを得ず、要するに四区分の金員はその処分一切を畑中の裁量に任す趣旨で授受されたものであるから、畑中に対して供与されたものであるというべきであり、弁護人のこの点主張は理由がない。

4 田沢美之に対する供与(判示第一の二の1)

弁護人は、田沢美之に対する九万七〇〇〇円の供与につき、右金員は豊中地区責任者の古澤信男に供与されたものであって、田沢は古澤の使者として受取ったにすぎないと主張する。

そこで検討するに、田沢証言をみると、田沢は一方で、古澤に依頼されて選挙運動を手伝っていたにすぎないというが、一方では古澤の依頼を承諾した後には同人の紹介で笹川了平や育てる会大阪本部事務長の被告人前田のところに挨拶に行ったことや、六月一二日ころのポスター説明会に出席したうえ、豊中市内でポスターを配布、看視移動したほか、豊中連絡事務所の費用を立替支出していたことを証言しているうえ、《証拠省略》によると、古澤は、日日の選挙運動をしてくれる者として田沢を依頼し、その運動の一切は同人にまかせ、時折情勢報告を受ける立場にあったことが認められ、これらの事実からすると、田沢は単に古澤の選挙運動を手伝っていたのではなく、事実上の責任者として選挙運動に従事していたというべきである。

次いで田沢は、本件金員を受取った際の状況について、一方で、本件金員は古澤に渡す意思で被告人桐ケ窪から受取り、古澤にこれを渡そうとしたところ、同人から「平野(由美子、六月一九日頃開催された豊中連絡事務所に手伝いに来ることになっていた者)に預けておけ。」と言われて平野にこれを預けた旨弁護人の主張にそうかのごとき証言をするが、他方で、被告人桐ケ窪がどう言って手渡してくれたか記憶がないが、そのとき一緒にいた右の平野に促がされて黙って受取ったと述べるかと思えば、誘導されると、被告人桐ケ窪が「古澤に渡してくれ」と言ったので「渡します」と答えて受取ったとも述べたり、またその際受取った金額と領収書の金額に差異があったのにこれについて説明を求めたこともなく、その点につき、古澤に金を早く渡さなければいけないとばかり考えていたためであるとか、それは被告人桐ケ窪と古澤の間で既に約束ができていると思ったためであると述べるなどしているが、田沢が古澤に代って本件金員を受取るのであればこれらの重要な事柄について曖昧な供述を繰返していること自体不自然であるし、さらに金員の使途についても、古澤は、右金員の使途は一切田沢の裁量に任せていたと述べているところ、田沢は、七月八日ころ、右金員を古澤方に持参して、それまで立替払をしていた豊中連絡事務所の費用と清算したといい、一方その検面調書(四九・八・一一付)においては、七月二日ころ自己の所持金と混同したことを述べ、この点についての合理的な説明をなしえないばかりか、清算の結果についても、田沢は自分の立替金の方が一万円位多かったというのに対し、古澤は二万ないし三万円の残余があったので、田沢に対し「残った金は君の方でもらっておけ。」と言った旨供述している。このように、古澤の供述と対比してみると、結局田沢は事実上の責任者として選挙運動に従事していたものであり、古澤に渡す意思で本件金員を受取ったにすぎないというのはたやすく措信し難い。

しかして、《証拠省略》によると、田沢は本件九万七〇〇〇円は被告人桐ケ窪から受取ったこと、その際古澤に渡すようにとの格別の指示がなされていないこと、既に記載されていた金額一万円の領収書に署名したが、受取った九万七〇〇〇円は建前でない金とわかったため、その点の矛盾については説明を求めることはしなかったこと、田沢はポスターの配布、掲示や豊中連絡事務所に日詰めするなどして事実上の責任者として選挙運動に従事し、その間同事務所の費用を立替支出していたこと、六月二一日ころ平野に預けていた右金員を返してもらい、いったん豊中連絡事務所のある豊国商事の金庫に保管したものの、同月二六日ころ金庫から取出して封筒入りのままで自己の財布に入れ、七月二日ころに至り自己の所持金と混同し、その後同事務所の費用やポスターの看視等に使用した古澤の息子の古澤照男ら五名に対し、その報酬として一人二〇〇〇円宛を供与するなどして費消したこと、七月八日ころ古澤に使途報告した結果、二万円位の残余があったので、古澤からその残金は「苦労をかけたので当然君の方でもらっておけ。」と言われたこと等の事実が認められ、以上の事実、ことに田沢が事実上の責任者として選挙運動に従事し、かつ右金員について終始支配を及ぼし、遂には自己の所持金とも混同していること、ことに古澤が、右金員の使途は一切田沢の裁量に任せていた旨述べていることを併わせ考えると、田沢は右金員の供与を受けたものの、自分は古澤から選挙運動を依頼されてこれを引受けたという古澤に対する遠慮もあって、右金員の使途等の事後処置について古澤の意見を求め、その結果、古澤の言うところに従って右金員を平野に一時預けておいたものと認めるのが相当である。そして、前示の事実や田沢の前記検面調書における右金員の趣旨に関する供述内容をも併わせ考慮すると、右金員は田沢に対するポスター掲示と糸山の選挙運動をすることの報酬の趣旨を含むものであり、かつ、田沢において右金員の趣旨を認識していたことも否定しえないところである。

5 片岸清一に対する供与(判示第一の二の3)

弁護人は、片岸清一に対する六万一〇〇〇円の供与につき、片岸は右金員を育てる会箕面支部事務所(事務長上西勇治郎)に渡すべく一時保管していたにすぎず、受供与には至っていないと主張する。

そして片岸は、第二三回公判で、六月一四日、被告人桐ケ窪から「箕面事務所へ渡してほしい。」と言われて、六一〇〇円の金額が記載された領収書に署名して現金入り封筒を受取ったが、翌一五日、その封筒内に六万一〇〇〇円入っていたことに気づき、領収書の金額と違うので、その翌日の六月一六日に右金員を被告人桐ケ窪に返しに行ったと述べ、要するに右金員は箕面事務所へ渡すよう頼まれて受取ったものであるというのであるが、若し、そうだとすると右金員はそのまま事務所の者に渡しておけば足りるはずであるのに、六月一五日に領収書の金額である六一〇〇円を自己の所持金から出して上西勇治郎に渡したうえで、六月一六日に至って、わざわざ被告人桐ケ窪に全額を返しに行っていること、そしてその理由につき、自分が署名した領収書の金額(六一〇〇円)と受取った金額(六万一〇〇〇円)とが異っていたためであるというが、そのことだけが理由であるとすれば領収書を差し換えるだけでも足りるはずであるし、これを問いつめられれば領収書の金額と違う金を持っていては犯罪になると考えたからであるとも述べたりしていること、ことに返還に行くに際しては、右金員が後日選挙違反として問題になっては困ると心配になり、同僚の藤井利治をわざわざ箕面事務所前の路上に呼び出して相談のうえ同人とともに返還に赴いたと述べていること、また右金員を受取る際には、ポスター掲示にかかる一切の費用として受取ったと言いながら、他方これを返す際には、ポスターは全部奉仕で掲示すると言って返していること等、その証言は、同人が主張する箕面事務所に渡すべく一時預っていたに過ぎないというには、不合理で矛盾する点が多く到底信用できない。

しかして、片岸の四九・八・一〇付検面調書によると、六月一四日、大阪日日新聞社ビル四階へポスターを受取りに行った際、被告人桐ケ窪から「ポスター貼りの費用ですから持って帰って下さい。」と言われて、六万一〇〇〇円入りの白封筒を差し出されたが、自分には公職選挙法違反の前科もあり、選挙運動の報酬として現金をもらい受けることは選挙違反になることを知っていたので、いったんは断わったものの、同被告人から「各地区に出している」と言われて結局受領したこと、その際六一〇〇円の金額が記載された領収書に署名したが、後日清算すべきものであると言われたり、領収書に記載の金額との差額の返還を求められるようなことはなかったこと、翌六月一五日午前中、箕面事務所へ行き、自分の財布から六一〇〇円を出して「ポスター貼りの費用としてもらって来た。」と言って、同事務所の上西に渡したこと、しかし同日午後になって、右金員のことで選挙違反になったら困ると心配になり、同事務所前の路上に藤井利治を呼び出し、事情を打ち明けて相談し、右金員を返還することにしたこと、そこでその翌日の六月一六日に右金員を被告人桐ケ窪に返しに行き、同被告人の説得により結局領収書分の六四〇〇円(六一〇〇円は片岸の記憶違い。)だけは受取ることにし、右金員中の一万円札を抜出し、自己の所持金から釣銭として三六〇〇円を加えて計五万四六〇〇円を返還したこと等の事実が認められる。以上の事実に、右検面調書中の片岸の右金員の趣旨に関する供述内容を併わせ考えると、片岸はいったん右金員の供与を受けたものであり、これを返還したというのは選挙違反に問われることを恐れてなしたその後のことに過ぎず、そして右金員は片岸に対するポスター掲示と糸山への選挙運動をすることの報酬の趣旨を含むものであり、かつ片岸においてその趣旨を認識していたことも明白である。

6 被告人古山に対する供与(判示第一の二の5)ならびに同被告人の受供与(判示第三の一)

弁護人は、被告人古山に対し供与され、かつ同被告人が供与を受けた八万八〇〇〇円につき、その趣旨を争い、右金員は被告人古山の担当する枚方市地区においてポスターを掲示してくれる者に対して支給すべき労務賃ないし実費であると主張する。

しかし、被告人古山の四九・七・二九付検面調書(藤原彰検事に対するもの)、被告人桐ケ窪の四九・七・三〇付(三)検面調書によると、被告人古山は北河内地区の総括責任者であったこと、当時同地区内における各地区責任者の選定が遅れ、ポスター掲示説明会も開催することができないでいたこと、そして被告人古山自身は、六月一二日ころ、大阪日日新聞社ビル四階で、被告人桐ケ窪からポスター掲示承諾書等を見せられ、ポスター掲示の注意説明をうけたうえ、公示日(六月一四日)の夕方に北河内地区分のポスターを渡すことや地区責任者に対しポスター一枚につき四〇〇円の割合で計算した現金を渡すこと等を告げられたこと、そこで、同日(六月一二日)ころ、寝屋川市(北河内地区の一つ)の田中貞三方へ赴き、同人とポスター掲示について相談をした結果、枚方市地区は被告人古山が、寝屋川市、門真市、大東市、交野市の四地区は田中が、守口市地区は久野吉雄がそれぞれ担当することに決定したこと、六月一四日、大阪日日新聞社ビルの育てる会大阪本部事務所に赴き、北河内地区分のポスターを受取るとともに、被告人桐ケ窪から北河内地区内の各地区割当てポスター枚数や配分金額を記載したメモを見せられ、ポスター一枚につき四〇〇円の労務賃と各地区に一万円ずつの車代が出ている旨の説明をうけたうえ、「枚方市分は古山に渡すが、他地区分は各地区責任者に渡してくれ。」と指示されて、枚方市分八万八〇〇〇円を含めて北河内地区六市分合計三三万九〇〇〇円を手渡され、さらにポスター一枚につき五〇円の割合で計算した金額の記載された領収書六枚を渡されたこと、その際被告人古山は、選挙違反になることを恐れて「この金は大丈夫か。」と尋ねたが、被告人桐ケ窪は単に「大丈夫や。」と答えたにすぎなかったこと、そして被告人桐ケ窪は、右のように枚方市分は古山に渡すと指示したものの、それ以上にさらにポスター掲示先に対し右金員中から現金を配布するような指示はしていないこと、被告人古山は右三三万九〇〇〇円のうち、寝屋川市等四市分は田中貞三に、守口市分は久野吉雄に、それぞれ指示どおり手渡したが、自己の担当する枚方市分はポスターを掲示する者に渡したりあるいは自己の飲食費等に充てて使用したこと等の事実が認められる。以上の事実に、被告人桐ケ窪において右金員の清算方あるいは使途報告を求めていないことや被告人古山の右金員の趣旨に関する自白内容、さらに被告人古山が、四九・七・二八付、四九・七・二九付(河野一弘副検事に対するもの)各検面調書において、枚方市分を受取った後、自己が支配人をしている「ヤングプラザ」の取引業者、知人関係等から枚方市内のポスター掲示先を選定し、掲示を依頼する際にこれらの掲示先に対してポスター一枚につき四〇〇円の現金を供与しようと考えた旨供述していること等を総合すると、枚方市地区については被告人古山が地区責任者の立場にあり、被告人桐ケ窪においても枚方市分については、さらにそのポスターの掲示先はもちろんそれらの者への供与については何らの指示もせず、もっぱら被告人古山の裁量にまかせていたことが明らかであるから、枚方市分八万八〇〇〇円は被告人古山に対するポスター掲示と糸山への選挙運動をすることの報酬の趣旨を含むものとして同被告人に供与されたものというべきであり、かつ、被告人古山においても右の趣旨を認識して供与を受けたことは否定できないと言わざるを得ない。してみると弁護人が、右は、ポスター掲示先に対して供与するための準備行為としてなされたものであり、それは被告人桐ケ窪らと被告人古山との共謀者間における授受にあたり罪にならないと主張する点はとうてい採用できない。

7 馬場恵作に対する供与(判示第一の二の6)

弁護人は、馬場恵作に対する四万一〇〇〇円の供与について、馬場はアルバイト料を得る目的でポスターを掲示したもので、労務者にすぎないと主張する。

しかし、馬場の証言によると、同人は佐々木大阪市会議員の後援会会員で、これまで衆、参両議員の選挙におけるポスター貼りの経験が豊富であったことから、右佐々木市会議員の紹介により、六月一四日、順慶町の糸山選挙事務所に赴き、被告人岸田から、糸山のための八〇枚位の生野区分のポスター掲示を依頼され、同被告人から四万一〇〇〇円を手渡されたこと、その際馬場は同被告人から右金員の使途の指示や清算方を求められたことはなく、右金員はポスター掲示の謝礼であることを認識了承して受取ったこと、翌六月一五日ころから、自らの判断で、一町内会における掲示枚数を配分したうえ効果的な場所を選択して掲示して廻り、掲示先からはポスター掲示承諾書に署名を徴し、またポスターの移動、管理をするなどしたこと等の事実が認められ、これらの事実によると、右金員については、金銭授受の際、労務賃としての算定基礎はもちろん、その清算方もまた領収書も徴していないこと等からみると、馬場が単なる労務者であったとは到底考えられず、右金員は馬場に対するポスター掲示等の選挙運動をすることの報酬として供与されたものであり、かつ馬場において右金員の趣旨を認識していたことも明白である。

8 栗生治朗に対する供与(判示第一の二の12)

弁護人は、栗生治朗に対する四万八〇〇〇円の供与について、右金員は育てる会箕面連絡事務所に渡されたもので、栗生は同事務所に渡すべく一時預っていたにすぎないと主張する。

そこで栗生の証言をみると、栗生は、右金員は六月一七日朝、妻がポスター(能勢、東能勢分)等の入っていたビニール袋の中から発見したので、被告人桐ケ窪に対し電話で問い合わせたうえ、箕面連絡事務所の経費として同事務所の事務員の西川美栄子に渡しておいたというが、しかし他方では、被告人桐ケ窪に問い合わせた際、同被告人が「栗生さん、取っておいて下さい。能勢のことでは色々ご苦労をおかけしているから取っておいて下さい。」と言った旨証言していること、右金員を西川に手渡した際、被告人桐ケ窪から渡されていた領収書(ポスター一枚につき五〇円の割合で計算された金額が記載されたもの)を破り捨てているが、これに代る領収書を、同事務所の方から育てる会大阪本部(ないしは糸山選挙事務所)に提出しておくような指示をした形跡が認められないうえ、右金員が戻されたのは投票日後の七月一〇日ころ、しかもそのまま返戻されていること、後述のように検面調書においては右金員は自己の用途に費消してしまったと述べているが、そのことにつき、それは有罪になれば公民権停止になり市会議員の地位も失うことを承知のうえで述べた虚偽のものである旨不合理な弁解をしていることなどの事実からみると、栗生が箕面連絡事務所に渡したと述べること自体不合理で矛盾する点が多く、到底措信できるものではない。

しかして、《証拠省略》によると、栗生は箕面市議会議員であり、昭和四九年四月一〇日ころ、被告人桐ケ窪に対し、能勢方面の選挙用ポスターは責任をもって掲示する旨話しておいたこと、六月一六日ころ、箕面連絡事務所の事務員の西川美栄子から「昨日大阪の本部から栗生先生にお願いしてほしいとのことで能勢、東能勢分のポスターが届けられている。」との電話連絡をうけ、同事務所へ赴き、ポスター、茶色大封筒などの入ったビニール手提袋を受取り、いったん自宅へ持ち帰り、ポスターを掲示したこと、翌一七日朝、妻から、ビニール袋の中に現金入り封筒が入っていたことを告げられ、見ると一通には能勢町分二万八〇〇〇円の現金と金額二三〇〇円の領収書、もう一通には東能勢町分二万円の現金と金額一二五〇円の領収書が入っていたこと、そこで被告人桐ケ窪に電話して右金員につき問い合わせると、同被告人は「栗生さん取っておいて下さい。能勢のことでは色々ご苦労をおかけしますし、そのまま受取って下さい。領収書の金額はポスター一枚五〇円の割合で計算した金額です。」と言い、右金員の清算方や使途報告は求めなかったこと、栗生は「それではいただいておきます。」と答え、右金員は糸山のためポスター掲示等の選挙運動をすることの謝礼の趣旨で、自分に供与されるものであることを十分認識了解していたこと、次いで栗生は右領収書二枚を破棄し、右金銭は一まとめにして別の封筒に入れ換えてとりあえず西川に預けたこと、七月一〇日ころ、箕面連絡事務所の事務長上西勇治郎から右金員を受取り、一部を自己の借金払いに充て、残金は自己の所持金と混同して飲食遊興に使用したが、八月一八日ころ警察の取調べを受けた際には、正確な金額を忘れていたため四万三四〇〇円を持参して、まだ一銭も使っていないと虚偽の供述をしたこと等の事実が認められる。以上の事実に徴すると、本件金員は栗生がポスター掲示と糸山への選挙運動をすることの報酬として供与を受けたものであり、かつ栗生においてその趣旨を認識していたことは明白である。

なお、被告人桐ケ窪の四九・八・二三付検面調書によると、同被告人は本件金員をポスターとともにアルバイト学生に箕面連絡事務所へ届けさせ、帰って来たアルバイト学生から上西に渡して来た旨の報告を受けたことが窺えるが、前示のように右金員やポスターが同事務所の西川の連絡によって栗生に手渡されるに至った経緯、右金員につき栗生と被告人桐ケ窪との電話でのやりとりの内容などに照らすと、右の事実があるからといって前記の認定を左右しないことは明らかである。

9 大島修の関与(判示第一の三の1、2)

弁護人は、大島修は東久保信市および長井正信に対する各供与について被告人前田らと共同正犯とされているが、大島は東久保、長井の両名に対し本件各金員を直接手渡したことはないと主張する。

そこで大島証言をみると、大島は、新日本開発株式会社の秘書室長であり、育てる会大阪本部の副事務長として選挙運動に従事し、六月九日ころ被告人前田が同嶋嵜らに対し資金要請をした場にも同席していたし、六月一二日ころの夕方、被告人桐ケ窪からその日のポスター説明会では古澤の発言により地区責任者に対し現金を供与することができなかったことの報告をうけ、六月一四日にポスターを配布する際に現金も供与するように告げていた事実はあるが、六月一四日、大阪日日新聞社ビル四階の育てる会大阪本部事務所等において、東久保と長井の両名に対してそれぞれ金員を手渡したことはないと証言する。

(一) まず東久保信市に対する供与について検討するに、東久保は第四一回公判において、金を手渡された相手は捜査段階では大島であると記憶していたし、今(証言時)も大島以外には浮かんでこないと証言したうえ、警察で取調べを受けるようになったので、受供与金員は費消していたが、自己の所持金中から、ポスター一枚につき五〇〇円の割合で計算した四万二五〇〇円を持って七月二五日ころ大島に返しに行った際、大島から「先生(東久保)は議員さんでもあるので、誰か身代りを立てる人がいないだろうか。」と持ちかけられた旨証言していること、また、その検面調書(四九・八・七付(一)(二)、四九・九・三付)において、大島から金員を受取ったこと、その際の状況、右金員の趣旨、右金員の使途、七月二五日ころ大島に金を返しに行ったが、その際、大島から身代りを出すように持ちかけられたことや大島に言われて七月一二日に返還したことにするため返還日付を遡らせて記入したこと等を詳細に述べていることが認められる。

他方大島は、四九・八・二二付検面調書において、六月一四日、大阪日日新聞社ビル四階の育てる会大阪本部において、ポスター配布作業をしていた被告人桐ケ窪に対し東久保がポスターを受取りに来ていることを告げたところ、同被告人から頼まれ、本件金員を受取ったうえ東久保に対し右金員を手渡して供与したこと、その際の状況、右金員の趣旨等を詳細に供述しているが、右供述は、捜査官から「東久保は大島から金をもらったと言っているが、お前(大島)が認めないと東久保を逮捕しなければいかん。」と言われて、東久保を逮捕から免れさせるために、捜査官の誘導に従って創作もまじえて虚偽の供述をしたものであると弁明する。

しかし、大島は、東久保に対し、身代りを出すように持ちかけていること(この点は、大島は四九・八・二六付検面調書で認めている。もっとも、第四〇回公判では、同席していた網田敏郎が東久保に身代りを出すことを提案し、自分はこれに賛成しただけであると言うが、東久保の証言、検面供述に照らし措信できない。)、大島自身ことさらに自ら罪を負うこととなる虚偽の供述までして東久保を庇い立てしなければならない理由が見出し難いこと、大島の検面供述は、東久保に本件金員を手渡すに際して、授受の直接の当事者以外に被告人桐ケ窪を登場させ、またその述べる手交した状況は大略東久保の供述と符合していて、創作したというには余りにもできすぎていることや前記の東久保の証言、検面供述を併わせ考えると、大島の弁明は到底措信しうるものではない。

(二) 次に長井に対する供与について検討するに、長井(昭和五三年三月三一日死亡)は、その検面調書(四九・八・八付、四九・八・一〇付)において、大島から本件金員を手渡されたこと、その際の状況、右金員の趣旨等について詳細に供述したうえ、面通しによって大島を確認していることが認められる。

他方、大島は、前記の四九・八・二二付検面調書において、被告人桐ケ窪から依頼され本件金員を受取ったうえ、長井に対し右金員を手渡して供与したこと、その際の状況、右金員の趣旨等につき詳細に供述しているところ、証言においては、右の検面供述は捜査官から「長井は誰から金をもらったかわからないと言っているから、なかなか出られない。」と聞かされ、長井を早く釈放させてやろうと考え、前記の東久保の件と同様に、捜査官の誘導に従い創作をまじえて虚偽の供述をしたものであると弁明する。

しかし、大島は何故に自ら虚偽の供述をしてまで一面識もなかったという長井を庇い立てしなければならないのか納得しえないこと、東久保の場合と同様、その検面供述は直接の授受の当事者以外に被告人桐ケ窪を登場させ、また授受の際の状況も長井の供述と符合していて、創作したというにはできすぎの感があること、大島は大阪府警本部で面通しにより長井を確認しているところ、面通しをさせられるのは長井以外にないと考え推測で長井と答えたというが、当時東久保や長井以外の者に対しても現金を供与したとして捜査されていたのであるから、推測で答えたというのは不自然と言わざるを得ないこと、また前記四九・八・二二付検面調書において、東久保に手渡した後、長井に手渡すまでの間に、被告人桐ケ窪に依頼されて、古澤信男に対し六月一二日のポスター説明会における不手際(前示のように、被告人桐ケ窪が右説明会の席上で現金を供与しようとしたが、古澤がこれを注意する発言をしたこと)を謝罪した旨供述しているところ、この点につき、同人は、捜査官から「古澤が来たやろ。」と言われて、東久保に手渡し、さらに長井に手渡すまでの間の空白部分を関連づけて話をもっともらしくさせるためにした全くの作り話であるというが、東久保や長井に金員を手渡すこととは直接には関係のない事柄を何故にわざわざそう入して供述したのか、同人自身も述べるようにおよそ理解し難いことであるし、また大島は右古澤との経緯が全くの作り話というが、被告人桐ケ窪は四九・八・二三付検面調書で同様の供述をし、公判でもこの点は否定していないこと、さらに長井の検面供述をも併わせ考えると、大島の弁明は措信し難いと言わざるを得ない。

もっとも大島は、昭和四九年一一月末ころ、大阪日日新聞社ビル四階の第二会議室で、ポスター関係の買収事犯に問われた被告人ら(受供与者側か)を集めて弁護士と各公判のための打合わせ会を行った際、長井から「あんた(大島)から金を渡されたのではない。そのことはいずれ法廷で言うてあげる。」旨告げられたと証言し、丸野国生も第五一回公判で、右打合わせ会の際、長井が大島に対し「あんた(大島)から金をもらったんじゃない。あんたが私(長井)に渡したと言ってくれたおかげで早く留置場から出られた。裁判ではその旨はっきり言う。」と話していたのを聞いた旨、大島証言にそう証言をする。しかし、長井の右発言は、長井、大島の両名にとっては、その裁判追行上重要な事項であると考えられるにもかかわらず、弁護士のいる右打合わせ会の席上ではなされていないうえ、丸野証言によると、長井に金を渡した相手として、長井は、大島より若い人という程度の漠然とした人物を挙げたというに止まるし、大島自身は「長井が右のように言ってくれたことだけで満足していた。」と述べるだけで、長井の挙げる人物を調査したような形跡がなく、また丸野証人は、その後に至って長井からその人物について尋ねられたというが、丸野も格別の調査もせず、現金を供与した本件の被告人らにその話をしたという程度で済ませたと述べるにすぎなかったことからすると、果して長井が大島に対し右のような発言をしたのか疑問が残ること、前示のように、そもそも大島の弁明が不自然、不合理で作為的なものと言わざるをえないうえ、大島は東久保に対してすら身代わりを出すように証拠湮滅工作を図っているほどであって、また丸野証人は新日本開発株式会社の社員で、同社の秘書室長(昭和五二年一月からは育てる会大阪本部事務長)である大島の部下であり、しかも昭和四九年一一月初めころから同五四年五月ころまで糸山派選挙違反事件関係の被告人らと弁護人間の連絡事務を担当していた者であったことなどを総合して考えると、丸野証言は大島証言を前提にしてなされたものではないかとの疑問が払拭し切れず、丸野証言を直ちに措信することには躊躇せざるを得ない。

また、当日(六月一四日)長井を乗用車に乗せて大阪日日新聞社ビルに赴いた運転手の有川継紀は、車内で待っていた長井のところへ来た男は大島ではなかった旨証言するが、その男は後部座席の窓越しに長井と話をしていたと述べ、長井が前記の検面調書で述べる大島と車内で話をして現金を受取ったという状況と異なるばかりか、その男の後姿を見たというにすぎないのに、当時よく知らなかった神田行道に感じが似ていたと述べるなどしていることからすると、有川証言を措信するのもやはり躊躇せざるを得ない。

(三) してみると、前記のような大島の弁明は採用し難く、大島、東久保、長井が各検面調書でそれぞれ供述しているとおり、東久保および長井に対し本件金員を手渡した者は大島であると認めざるを得ない。

なお、被告人桐ケ窪は、四九・八・二三付検面調書において、大島に依頼して東久保および長井に対し本件金員をそれぞれ手渡してもらった旨供述しているところ、第六一回公判において、右の検面供述は大島の供述に合わせて述べたものにすぎないというが、以上に検討してきたように大島の公判供述に比してその検面供述は信用しうるものであるから、被告人桐ケ窪の右弁解は採り得ない。

10 田中貞三に対する供与(判示第二の一)

田中貞三に対する一八万九〇〇〇円の供与について、田中は、第四四回公判で、被告人古山が白封筒に入った右金員を机の上に差し出したので「金はいらん。」と断わり、同被告人と押問答をした末、結局いったん受取ったということにして同被告人に「適当に処理してくれ。」と言って、右金員を持ち帰らせたと述べ、受供与するに至っていないかのごとき証言をする。

しかし、田中は四九・七・二〇付検面調書において、右金員の供与を受け、自己の所持金と混同して費消した旨述べているところ、同人が前記のような証言をするに至った経緯は、捜査段階では、当初右金員を受取ったことを否認していたが、逮捕されるや二万円は受取ったことを認め、次いで右金員を受取ったことを全面的に認めるに至ったこと、そして、右金員の受供与罪についての自己の公判の罪状認否では、弁護人と相談のうえで右金員の受供与の事実を認めたこと、しかし本件の証人として出廷するに際して再び弁護人と相談した結果、真実を述べる気になり前記のように証言するに至ったというのである。そして田中は、捜査段階で自白し、かつ、自己の公判でも認めたのは被告人古山を庇ってやるためであったというが、被告人古山との間において、そうまでしなければならない格別の事情を見出すことはできないし、自己の公判では認めておきながら、本件の証人として出廷するに際し、今更「真実」を述べる気になったというのも納得しえないと言わざるを得ず、田中証言は信用することができない。

一方、被告人古山も第六五回公判で、田中に対し右金員を差し出したが、田中が「自分は金で動いているわけではないからもうええやないか。」と言ったので、そのまま持ち帰った旨田中と同旨の供述をするが、同被告人は、罪状認否において、田中に対する供与の事実を認めていたのであるから、同被告人の前記の供述は結局は田中証言を前提にしてなしたものと解さざるを得ず、そのまま信用することはできない。

しかして、《証拠省略》によると、六月一四日、被告人古山は寝屋川市、門真市、大東市、交野市四地区分のポスターを田中方へ持参し、田中に対し、ポスター掲示承諾書を徴すことなどの注意説明をしてポスターの掲示等を依頼したうえ、「ポスター貼りの労務賃としてポスター一枚につき四〇〇円とそれに一地区について車代が一万円ずつ出ていますのでお願いします。」と言って、四地区分計一八万九〇〇〇円を裸のまま差し出し、田中はこれを受取って自己の財布へ納めたこと、その際田中は同被告人に求められて金額欄白紙の領収書に署名押印したが、後日清算あるいは使途報告する必要があるなどとは告げられなかったこと、田中は右金員を飲食費等に費消したこと等の事実が認められる。以上の事実に田中、被告人古山の右金員の趣旨に関する供述内容を併わせ考えると、右金員は田中の裁量に委せられたものというべく、田中に対するポスター掲示と糸山への選挙運動をすることの報酬の趣旨を含むものであり、かつ被告人古山および田中において右の趣旨を認識していたことは明らかである。

11 久野吉雄に対する供与(判示第二の二)

弁護人および被告人古山は、久野吉雄に対する六万二〇〇〇円の供与について、右金員は久野吉雄を介して、久野幸治と般谷稔秋に供与したものであると主張する。

そこで、久野吉雄の証言をみると右金員は息子の幸治や娘婿の般谷に渡すべく被告人古山から預かったものであるというが、同人は守口市会議員であって、昭和四九年一月ころから守口市地区責任者として糸山のため選挙運動に従事していた者であること、右金員の授受は同被告人と二人だけになった「エコー」喫茶店で行われたものであり、かつその際右金員を幸治や般谷に渡すよう指示されたことはないこと、そして右金員は被告人古山が帰って後に般谷に渡したものであること、般谷は「おやじ、これを使うてかめへんのか。」と尋ねたことが認められ、加えて般谷は第五四回公判で、自分は被告人古山からは「ポスターをお願いします。」と挨拶されただけで、ポスター貼り賃のことは告げられなかったと証言していることに徴すると、久野が右金員を幸治や般谷に渡すべく、被告人古山から一時預ったにすぎないと言うことはできない。

しかして、《証拠省略》によると、被告人古山は六月一五日ころ久野の経営するガソリンスタンドにポスター一三〇枚を持参し、久野に対しポスターの掲示方を依頼し、久野の案内で隣りの「エコー」喫茶店(久野の経営)に行き、同所で、久野に対し、掲示先からポスター掲示承諾書に署名をもらうことなどポスター掲示の注意説明をしたうえ、「これポスター貼りの労務賃です。ポスター一枚につき四〇〇円と車賃が一万円入っています。」と言って、六万二〇〇〇円入りの封筒を手渡したこと、久野は札を抜き出して金額を確認して「確かにいただきます。若い連中にやってもらいます。」と言って受取ったこと、その際被告人古山は「領収書は私の方で処理します。」と言って領収書を徴していないこと、同被告人が帰った後久野は般谷に対し「ポスター一三〇枚きとるから貼ってくれ。幸治と分けてくれ。車代一万円も入っとる。」と言って右現金入り封筒を渡したこと、久野は、七月一二日警察に出頭する際、般谷に対し「車代一万円は労務賃になりにくいから言わないでくれ。俺が店で古山から受取って、その横でお前が受取ったことにしてくれ。」と虚偽のことを言うように依頼したこと等の事実が認められる。以上の事実に、久野において右金員の清算をしていないことや久野、被告人古山の右金員の趣旨に関する供述内容を併わせ考えると、右金員は久野の裁量に任されたものであって、久野に対するポスター掲示と糸山への選挙運動をすることの報酬の趣旨のものであり、かつ、被告人古山および久野において右金員の趣旨を認識していたことは明らかであると言わざるを得ない。

四  被告人古山の岡沢美喜子ら一三名に対する各供与(判示第三の二の1ないし9、第三の三の1ないし3、第三の四)

弁護人は、被告人古山の枚方市内における岡沢美喜子ら一三名に対する各供与について、その金員の趣旨を争い、ポスター掲示等の労務賃であると主張する。

しかし、《証拠省略》によると、被告人古山は枚方市地区責任者として枚方市内のポスター掲示を担当することになったが、ポスター掲示を依頼する先として、育てる会関係者、自己が支配人をしている「ヤングプラザ」の取引業者、自己の知人等から岡沢らを選定し、各人にそれぞれ割当枚数を決めたうえ、ポスター一枚につき四〇〇円宛をポスター掲示等の報酬として手渡すことにしたこと、そこで被告人古山は、部下の上森正爾、南忠幸らとともに、岡沢らに対して効果的な場所にポスターを掲示することや掲示先からポスター掲示承諾書を徴すること等を依頼して、ポスターとともにポスター一枚につき四〇〇円宛の現金をそれぞれ手渡したこと、その際岡沢らからは領収書を徴することもせず、清算方も指示していないこと等の事実が認められ、他方、岡沢ら各受供与者は、その検面調書において、右金員の趣旨に関し、ポスター掲示の謝礼として受取ったことを詳細に供述し、後日清算を申し出たことがないことが認められる。

以上の事実に徴すると、本件各金員は、岡沢らの裁量に委ねられたものであって、岡沢らに対するポスター掲示等の選挙運動をすることの報酬の趣旨を含むものであり、かつ、被告人古山および岡沢らにおいて右金員の趣旨を認識していたことは明らかであると言わざるを得ない。

なお、弁護人は、岡沢美喜子に対する供与について、供与の相手方は山本信次であって、岡沢は仲介したにすぎないと主張するが、《証拠省略》によると、岡沢は六月一五日ころ被告人古山からポスター二〇枚の掲示を依頼され、現金八〇〇〇円を手渡されたが、その掲示を誰れかに頼もうとは考えてはいたものの、具体的な相手が特定していたわけではないこと、翌六月一六日夕方ころになって、近所に住む行商人の山本信次が偶々来宅したのを幸いに、山本にポスター掲示を依頼して右八〇〇〇円を山本に供与したことが認められ、このような事実によると、岡沢は被告人古山から右金員の供与を受けた後、その裁量に基づいてさらに山本に右金員を供与したというべきであるから、弁護人の主張は理由がない。

第二その他の買収についての争点に対する判断

一  橋垣雪男に対する供与(判示第四の一の1ないし3)

弁護人は、被告人前田の橋垣雪男に対する三回にわたる合計一五〇万円の供与について、右金員の趣旨を争い、右金員は育てる会の会員獲得のための費用として手渡したものであると主張する。

そこで橋垣証言をみると、同人は、本件の金員は、自己が当時石本茂参議院議員の大阪後援会会長の地位にあったため、この後援会を動員して、糸山の後援会作りをすべく、五月二七日ころ、笹川了平や育てる会事務長の被告人前田らと初めて面談し、右のような話を申し入れ、種々交渉したうえ、その費用として受取ったものであるというのであるが、公示(六月一四日)に近接した時期にそのような後援会の組織作りを申し入れるということじたい選挙の実態と掛け離れた不合理なことであること、同人が述べるところの後援会については本件選挙前後においても具体的な活動計画そのものも立てていないのみか、かえって後援会の会員募集といいながら、石本後援会会員に対し糸山への投票依頼状を発送していること、本件各金員を受取りながらその領収書も出していないばかりか、その金員は自己の預金口座に預入れ、あるいは自己の経営する広告宣伝会社の運転資金に使用するなどし、しかも後日になっても清算していないことなどの点に照らすと、同人がいうところの後援会の組織作りないし会員募集とはおよそ言い難く、その点に関する橋垣証言は到底信用することができない。

しかして、橋垣の四九・八・一三付、四九・八・二五付、四九・八・二八付各検面調書、橋垣昭子の四九・八・一八付、四九・八・一九付各検面調書(同女の第四六回公判における証言は、橋垣雪男らとともに笹川了平や被告人前田らと面談した際の状況などにつき全般的に記憶がないと述べ、同女が橋垣の妻であることなどからみて、証言を回避していることは明らかである。)被告人前田の四九・八・一三付、四九・八・二五付(一)(二)、四九・九・二五付各検面調書によると、橋垣雪男は広告宣伝業を営むかたわら石本茂大阪後援会会長をしていた者であるが、本件選挙では石本議員が非改選議員であったことから、昭和四八年暮ころ、石本後援会会員の票を取りまとめて立候補者に売り込んで一儲けしようと考え、松本誠市とともに、立候補を予定していた本田豊作や坂健らに対し石本後援会の組織票の売り込みを図ったが、本田らにおいて資金不足であったことなどから、その目的を果さなかったこと、そこで笹川良平や笹川良一を親族とする糸山英太郎に売り込むことを企て、昭和四九年五月二四日ころ、大阪日日新聞社ビルの育てる会大阪本部に赴き、石本茂大阪後援会会長の肩書のある名刺を渡しておき、五月二七日ころ、妻昭子、同後援会副会長篠原政一、同後援会理事と称した松本誠市らとともに、同新聞社社長室で笹川了平と面談し、「石本大阪後援会の会員は三〇〇〇名おり、一万票位とれる。石本後援会の組織を動かして一生懸命糸山さんを応援させてもらう。こうして運動するとなると金もいります。」と申し入れて石本後援会の組織の売り込みを図り、笹川了平の指示をうけた被告人前田に対しても、同様に石本後援会会員の票を糸山のために取りまとめることを申し入れたこと、五月二九日ころには、石本後援会会員名簿を持参して再度被告人前田と面談し、「時期は遅いけれども、石本後援会で確実に一万票位集められる。その資金として二〇〇万円ほど欲しい。」と申し入れたこと、そこで被告人前田は笹川了平と相談のうえ、五月三一日ころ、橋垣、その妻昭子と面談し、石本後援会の組織票の取りまとめの金額を交渉し、橋垣が二〇〇万円を要求したのに対し被告人前田は一五〇万円を提示し、橋垣は一八〇万円と要求額を下げるなどのやりとりをした結果、昭子のとりなしもあって、結局被告人前田が橋垣に対し一五〇万円を支払うことで話がまとまったこと、右の約束に基づいて被告人前田は橋垣に対し、情勢をみながら、判示のとおり三回にわたって各五〇万円ずつ計一五〇万円を手交して供与したこと、その際被告人前田はいずれも領収書を徴することをせず、「領収書はいりません。どんなことがあっても絶対に他言しないで下さい。」とまで申し向けているうえ、清算方も要求していないこと、橋垣は六月一一日ころ石本後援会会員に対し糸山への投票依頼状約三〇〇〇通を発送したが、右一五〇万円の大部分は自己名義の預金口座に預入れたり、自己の経営する広告宣伝会社の運転資金や遊興費に使用して費消したこと等の事実が認められる。以上の事実に徴すると、右合計一五〇万円は橋垣に対し糸山への投票取りまとめ等の選挙運動をすることの報酬等として供与されたものであり、かつ被告人前田および橋垣においてその趣旨を認識していたものであることも明白である。

二  山辺大三に対する供与(第四の二の1、2)

1 被告人前田の山辺大三に対する二回にわたる各五万円の供与について、まず弁護人は、判示第四の二の1の六月三日ころの五万円の供与につき、右金員の趣旨を争い、右金員は育てる会の会員獲得の費用(旅費)として支給したものであると主張する。

そこで山辺の証言をみると、山辺は、大要昭和四九年三月ころまで松本誠市とともに、本件選挙に立候補を予定していた本田豊作のため投票とりまとめ等の選挙運動をしていたところ、同年五月二六日ころになって右松本から育てる会の会員募集を依頼されたため、本田豊作らに面会して育てる会の会員募集を依頼すべく翌五月二七日ころから同月二九日ころまでの間と六月四日ころの二度にわたり上京したその旅費として六月三日ころ五万円を受取ったと証言するのであるが、他方では、六月三日ころ、松本とともに被告人前田と面談し、本田の支持組織の名称や票数をあげたところ、その結果至急に本田の確定的な返事をとることとなり、翌六月四日再度上京することになったとも述べているところをみると被告人前田と面談した時期が公示(六月一四日)に近接していることや右のような話の内容からみて到底後援会の会員募集とは解されないばかりか、五万円を受取るに際しては、五月二七日ころから二九日ころまでの間の既に上京していた分の出費額については何ら告げることもなく、又六月四日ころの再度の上京分の概算額も示していないうえ、それらの領収書も出していないこと、またその清算したと述べる事実も、後を追いかけて来た松本に路上で呼び止められて「それで足りるか。」と言われて右の五万円中の一万円を渡したというのであって、およそ清算とはいえないものであることなど、その証言内容は不合理で矛盾が多く到底信用することはできない。

また松本誠市も、同人に対する当庁第一三刑事部係属中の公職選挙法違反事件の昭和五二年二月一四日第一五回公判調書において、本田豊作の地盤から育てる会の会員を募集するため六月四日ころ山辺を上京させる旅費として被告人前田から五万円を出してもらったというが、その時期からみて会員募集とは考えられないし、旅費というも概算額あるいは日程等を示して要求したわけでもなく、領収書も発行せず、また山辺が受領した直後に右金員中から一万円を小遣い銭として借りたなどと極めて不自然、不合理な事実を述べるものでとうてい信用し得ない。

しかして、《証拠省略》によると、山辺と松本の両名は本件選挙に立候補予定の本田豊作のため投票とりまとめ等の選挙運動をしていたが、本田が資金不足で立候補を断念したことから、本田のために取りまとめた票を糸山に売り込もうと考え、山辺が五月二七日ころ上京して本田と会い糸山への応援方を依頼したこと、六月三日ころ、山辺と松本の両名は被告人前田に対し、本田のいわゆる地盤である組織の名称や票数をあげて細かく説明したうえ、上京して本田と面会してその組織票を糸山に振り向ける交渉をしてくる旨申し入れたこと、被告人前田は「よろしく頼む。」と返事してこれを承諾したこと、そこで松本は、山辺と相談のうえ、被告人前田に対し「山辺に行ってもらう。行ってもらうからにはそれなりのことをしてやってくれ。とりあえず五万円ほど出してくれ。」と要求し、被告人前田はこれを了承して松本に五万円を渡し、さらに松本は右五万円を山辺に手渡したこと、右金員については領収書は徴していないし、後日山辺において清算もなされていないこと、山辺は松本に対し右五万円のうちから一万円を小遣いとして与えたこと等の事実が認められる。以上の事実によると、右五万円は山辺の裁量に委ねられたものであって、山辺に対する糸山への投票取りまとめ等の選挙運動をすることの報酬の趣旨で手渡されたものであり、かつ、被告人前田、山辺、松本においてその趣旨を認識していたことは明白である。

2 次に弁護人は判示第四の二の2の六月一五日ころの五万円の供与について、右五万円の授受の事実を否定する。

そこで検討するに、山辺は第四八回公判で、右五万円の供与を受けた事実を否認し、捜査段階で右事実を認める供述をしたのは、八月一一日に天満署で取調べを受けた際、他の取調官同士が「前田は伊達が四国へ行った際に五万円を渡したと言っているのに伊達は受取っていないと言っている。」旨の話をしていたのを聞いて、伊達を庇い、また取調官を喜ばすために、自分の取調べが終了した段階で、自分から進んで四国へ行った際に五万円をもらったものであると述べ、授受の状況などについて作り話をしたと弁解する。しかし、その証言をみても同人が伊達の罪をかぶってまでして伊達を庇わなければならない格別の事情は認められないし、取調官を喜ばしてやろうと思ったなどというのはとうてい頷けることではない。また授受の日時や状況について作り話をしたというにもかかわらず、被告人前田ら関係者の供述との喰い違いを追及されたこともないこと、ことに山辺は本件五万円については八月一一日に初めて供述したというが、《証拠省略》によると、既に山辺は昭和四九年八月七日付司法警察員に対する供述調書において、高知の富永保に票のとりまとめならびに応援依頼をしに行く報酬として五万円を被告人前田から受取った旨を述べていることが認められることなどを併わせ考えると、山辺の右の弁解は到底採用し得るものではない。

しかして、《証拠省略》によると、山辺は、六月一五日ころ、被告人前田に対し「高知の中村市長は知人であり、高知県には知り合いの有力者が多い。糸山の応援を頼んでいた高知の富永に会いに今夜行くので旅費を出して欲しい。」と申し入れたところ、被告人前田は他県であったことからためらったものの、これを承諾し、「これ少ないですがとっておいて下さい。よろしくお願いします。」と言って五万円を手渡し、山辺は「できるだけのことはしてきます。」と言って受取ったこと、その際山辺は旅程や日程あるいは必要概算額を示したことはなく、また被告人前田も領収書を徴したり、清算方を要求したりしていないこと、その夜山辺は高知県中村市に赴き、翌朝富永に面会し糸山のため投票依頼をしたこと、山辺は右五万円は高知行きの旅費等に使用したが、清算を申し出るなどしていないこと等の事実が認められる。以上の事実に徴すると、被告人前田が山辺に対し、六月一五日ころ五万円を供与したことは優に認められるところであり、右五万円は山辺の裁量に委ねられたものであって、山辺に対する投票取りまとめ等の選挙運動をすることの報酬の趣旨を含むものであり、かつ、被告人前田および山辺において右の趣旨を認識していたことは明白である。

三  伊達朝太郎に対する供与(判示第四の三)

1 本件金員の趣旨

弁護人は、被告人前田の伊達朝太郎に対する五万円の供与について、その金員の趣旨を争い、育てる会の会員獲得のための旅費として授受したものであると主張する。

そして、直接の授受者である畑中邦夫(第三六、三七回公判)、伊達朝太郎の両名は、右主張にそう証言をしているが、両名の証言をみると、右金員を授受したのは六月一一日ころであって、公示日の六月一四日にごく近接していること、伊達は、六月二〇日に岡本紙袋を経営する岡本保久とともに徳島に赴き(弁護人提出にかかる東亜国内航空の航空券発売控(写))、岡本紙袋撫養工場で会員募集をしたというが、このような時期に後援会の会員募集をするということはおよそ選挙の実態にそぐわないと解されること、右五万円の授受については、旅程やその必要概算額が示されたわけではなく、また領収書も徴されていないこと、伊達は七月四日ころ清算し、その際清算メモ、いわゆる伊達メモを作成したというが、伊達メモには、七月二一日までのタクシー代が記載されているし、前記航空券発売控や検察事務官作成の五三・一〇・三一付電話聴取書と照らし合わせると、航空機代や電車代の金額が事実と異なり、また伊達の航空機代のほかに、墓参のため徳島へ赴いた岡本保久の航空機代まで計上されているうえ、使途分の領収書は一切添付されていないなど、使途清算のためのメモというには極めて不正確かつ不備なものと言わざるを得ないこと等、育てる会の会員募集のための旅費というには不自然、不合理な点が多く、伊達、畑中両証言は到底信用できるものではない。

しかして、《証拠省略》によると、伊達は大阪経済新聞なるものを発行し、またそろばん塾を経営していて多数の知人等を全国に有するいわゆる顔の広い者であったが、山辺大三の紹介により六月九日ころから育てる会大阪本部事務所に出入りし、糸山のため投票取りまとめ等の選挙運動に従事していたこと、六月一一日ころ、畑中に対し、徳島、淡路島方面へ行って票集めをしてくる旨申し入れ、必要金額あるいは旅程、滞在日程などの説明は一切しないまま、旅費、滞在費などの名目で金銭を要求したこと、そこで畑中はその旨を被告人前田に告げて両名で相談し、徳島などでは直接大阪での得票にならないというためらいもあったが伊達の今後の大阪における票集めも期待して、旅費等を含め投票取りまとめ等の報酬として伊達に五万円を供与することに決めたこと、次いで畑中は五万円の出金伝票を起票し(摘要欄には「伊達氏四国方面出張旅費」と記載)、被告人前田の決裁印をうけたうえで右出金伝票を会計担当の被告人三浦に提出したこと、被告人三浦は、畑中から何らの説明をうけることもなく、出金伝票の記載のままに五万円を出金し、白封筒に入れて畑中に手渡したこと、畑中は右五万円を伊達に供与し、伊達も右五万円の趣旨を認識了承して受領したこと、その際畑中は伊達から領収書を徴していないし、伊達は後日清算を申し出ていないこと等の事実が認められる。

以上の事実に徴すると、右五万円は伊達の裁量に委ねられたものであって、伊達に対する投票取りまとめ等の選挙運動をすることの報酬の趣旨を含むものであり、かつ、被告人前田、畑中、伊達において右金員の趣旨を認識していたことは明白である。

2 被告人三浦の本件訴因につき無罪とした理由

被告人三浦に対する本件訴因は、被告人前田、畑中と共謀して伊達に五万円を供与して事前運動をしたというものであるところ、被告人三浦の本件の関与の状況については、前示のとおり、畑中から摘要欄に「伊達氏四国方面出張旅費」と記載された五万円の出金伝票を提出されて、現金五万円を出金して畑中に手渡した事実が認められるにすぎない。

しかして、前に第一の二で説示したように、被告人三浦は会計担当者というものの、入出金に関する判断(チェック)ないし意思決定は一切任されてはおらず、事務的に入出金しているのみでおよそ会計担当者と目すべきものではなかったところ、本件の場合においても、伊達に五万円を供与することは、被告人前田が畑中と相談のうえ決定したことであって、被告人三浦はその相談に一切関与していないうえ、畑中から出金伝票を提出された際にも畑中から何らの相談も、また説明もうけず、他方被告人三浦においては右出金の要、不要、許否、金額の多寡等について意見を述べるなどして被告人前田らの意思決定に介入しようとしたこともないこと、被告人三浦は、そもそも伊達を紹介されたこともなく、また伊達と直接口をきいたこともなく、伊達が育てる会大阪本部においていかなる行動をしていたかについては何一つ知らなかったこと(被告人三浦の四九・八・一五付検面調書においても伊達の育てる会大阪本部における具体的な行動について何一つ供述するところがない)に照らすと、要するに出金伝票を提出されたにすぎない被告人三浦において、右金員は伊達に対する投票取りまとめ等の選挙運動の報酬であるとの認識を未必的にも有していたかは極めて疑わしいと言わざるを得ない。もっとも、被告人三浦は右検面調書において、右金員の趣旨について出金伝票の摘要欄の「伊達氏四国方面出張旅費」という記載から選挙ブローカーの伊達に対し旅費の名目で投票取りまとめ等の選挙運動の報酬として供与することがわかったなどと供述しているが、前示のような被告人三浦の立場、ことに当時伊達が果していた役目や、その行動について具体的な認識を有しないことに照らしても、右供述は不自然、不合理としか言いようがなく、たやすく措信し難い。なお、被告人三浦の四九・八・二七付検面調書添付の収支一覧表によるも、右金員については「畑中から伊達へ」と記載されているのみで、他に「報酬」と明示されているものがあることと対比すると、被告人三浦は右金員の趣旨についてそれが買収金であるとの認識を有していたとはとうてい認め難い。

してみると、被告人三浦が本件五万円を出金して畑中に手渡したことは認められるが、右五万円の趣旨を認識していたことを認めるに足りる証拠がないから、結局被告人三浦につき、伊達に対する右五万円の供与について被告人前田、畑中と共謀があったとの証明は十分でないと言わざるを得ず、刑訴法三三六条により、被告人三浦に対して無罪の言渡をする。

四  松本誠市に対する供与(判示第四の四、第五の二)

1 本件金員の趣旨

弁護人および被告人前田は、松本誠市に対する一二万円の供与について、右一二万円は育てる会の会員募集のための手当として渡したものであると主張する。

そこで、当庁第一三刑事部における松本誠市に対する公職選挙法違反事件の昭和五二年二月一四日第一五回公判調書中の同人の供述部分をみると、松本は弁護人らの右主張にそうような供述をし、選挙運動期間中においてもなお後援会の会員を募集していただけにすぎないというが、同人の活動の時期や内容をみるとおよそ本件選挙と無縁のものではなく後援会の組織作りにそぐわないものであり、松本の右供述は到底措信することはできない。

しかして、《証拠省略》によると、松本は昭和四八年一〇月ころから日本看護連盟顧問参議院議員石本茂大阪後援会会長をしている橋垣雪男とともに、本件選挙に立候補予定の本田豊作のため、いわゆる地盤作りをしていたものであるが、昭和四九年二月末ころ、本田が資金難等の理由から立候補を断念したため、本件選挙に立候補予定の糸山英太郎が笹川了平や笹川良一を親族にもち選挙資金も豊富に有していることに目をつけ、五月二七日ころ、橋垣らとともに笹川了平や被告人前田と面談したうえ、六月三日ころから育てる会大阪本部事務所に日詰めして、山辺大三や伊達朝太郎らとともに知人の有力者らに対し糸山へ投票を依頼したり、本田豊作の組織票を糸山に振り向けるべく上京したりして、もっぱら糸山のため投票取りまとめの選挙運動をしていたこと、そこで被告人前田は六月一二日ころ、松本に対し、糸山のための投票取りまとめ等の選挙運動をすることの報酬として一二万円を供与しようと考え、会計担当の被告人三浦に対し金額一二万円の出金伝票(被告人前田は摘要欄に「旅費」と記載していた。)を提出して、「これ松本さんへのお礼やから誰もおらんところで渡してな。袋に入れて渡してや。」と告げて、一二万円を松本に手渡しておくよう指示したこと、そこで被告人三浦は、被告人前田の指示どおり、松本に対し白封筒に入れた一二万円を手渡したうえ、松本から領収書を徴したこと、右一二万円を受取った松本は直ちに被告人前田の席に行って礼を述べたこと、被告人三浦は被告人前田に対し、指示どおり松本に一二万円を渡しておいた旨報告し、領収書もとっておいたと告げたが、報酬と記載された領収書を見せられた被告人前田は「領収書なんてとらなくてもいいのに。どうせ取るなら旅費としておいてくれたらいいのに。これでは具合が悪いやないか。」と叱責したこと、松本は右金員を小遣いや家計費として費消したが、清算をしていないこと等の事実が認められる。

これらの事実に徴すると、右金員は松本に対する投票取りまとめ等の選挙運動をすることの報酬の趣旨のものであり、かつ、被告人前田および松本においてその趣旨を認識していたことも明らかであると言わざるを得ない。

2 被告人三浦につき幇助犯と認定した理由

被告人三浦の松本誠市に対する一二万円の供与の訴因は、被告人前田との共同正犯とするものであるが、弁護人は、被告人三浦は被告人前田の指示に従って機械的に出金したにすぎず無罪であると主張する。

そこで検討するに、前示のように被告人三浦は、被告人前田から出金伝票を提出され、松本に対するお礼である旨を告げられたうえで松本に手渡すよう指示され、直接に松本に本件一二万円を手渡していることからみると、共同正犯としての罪責を免れないのではないかとも思われる。

しかし、被告人三浦は会計担当とはいうものの、前に第一の一で説示したように、入出金に関する判断(チェック)や意思決定は一切任されておらず、およそ会計担当者と目すべき地位になかったところ、本件の場合においても、松本に対し一二万円を供与することを決定したのは被告人前田であって、被告人三浦は被告人前田の右の意思決定には一切関与していないだけではなく、被告人前田から出金伝票を提示された際にも、「松本さんへのお礼やから渡してや。」と被告人前田から一方的に指示されたにすぎず、被告人前田から意見を求められたり、あるいは被告人三浦の方から右出金の要・不要、許否、金額の多寡等について意見を述べるなどして被告人前田の意思決定に介入した形跡もないこと、被告人前田は被告人三浦に対し「誰もおらんところで渡してや。袋に入れて渡してや。」とまで指示し、他方被告人三浦は松本からわざわざ報酬と記載した領収書を徴しているうえ、このことにつき被告人前田の指示どおり松本に手渡したことを示すためであったと述べていること等に照らすと、被告人三浦が右金員の趣旨を認識していたことは否定できないにしても、そのことをもって、被告人三浦が自らの意思により被告人前田の松本に対する右金員の供与に介入し、被告人前田と一体となって自らの犯意を実現しようとしたというのは困難であって、共同正犯としての刑責を問うことはできず、結局、被告人三浦については被告人前田の松本に対する供与行為を容易ならしめてこれを幇助したものにすぎないと言わざるを得ない。

五  関一に対する供与(判示第四の五)

弁護人および被告人前田は、関一に対する一〇〇万円の供与について、右金員の授受の事実を否認する。

しかし、関一(昭和五二年二月一一日死亡)の検面調書(四九・八・一四付、四九・八・二四付)をみると、関は右二通のいずれにおいても、被告人前田から一〇〇万円の供与を受けた事実を明確に供述している。また被告人前田もその検面調書(四九・八・二六付)において、関に対し一〇〇万円を供与した事実を供述している。

ところで、被告人前田は、その否認の理由として、右一〇〇万円の出所がないことを挙げ、検面調書では、関に渡した一〇〇万円は被告人三浦からの仮受金二五〇万円の中から出し、笹川了平から受けとったいわゆる別枠金八〇〇万円(六月一三日ころ五〇〇万円と六月二五日ころ三〇〇万円の計八〇〇万円)の中から橋垣分一〇〇万円(橋垣雪男に対し、判示第四の一の2、3のとおり六月一三日ころ五〇万円と六月二三日ころ五〇万円を各供与した計一〇〇万円)を出したと述べたが、それは誤りで、橋垣分一〇〇万円は被告人三浦からの仮受金二五〇万円中から出し、別枠金八〇〇万円は、自由新報の印刷費として約六六九万円を使い、残金約一三一万円はその配布費(計二〇五万円)に充当して全額使用しているので、結局関分一〇〇万円の出所はなかったと弁明する。

そこで、被告人前田の弁明のうち、結局問題となるのは自由新報の配布費の出所であると考えられるところ、被告人前田は、別枠金八〇〇万円のうち自由新報印刷費の残金約一三一万円は配布費に使ったと弁明するだけで、配布費について、四九・九・四付検面調書で述べている印刷費のように、担当者(四九・八・二五付(二)検面調書では、配布は島本貞が担当していたといい、第六九回公判でも、配布費の交渉者が他にあった旨述べている。)から、いつごろ、いくらの請求を受けて支払ったというような具体的な供述をしておらず、したがって、配布費として二〇五万円位を要したというが、その額もそのままには採り得ないし、他方、四九・九・四付検面調書では、別枠金八〇〇万円の中から、印刷費として計約六六九万円を支出したことは述べているが、配布については島本貞が担当していたことや配布した自由新報三八〇万部の大部分は無償で配布され、うち七〇万部につき学生アルバイトなどを使用して配布したと述べるだけで、その要した配布費につき全く触れていないこと、また四九・八・二五付(二)検面調書では、別枠金のうち六月二五日ころ受領した三〇〇万円のうち、そのほとんどを印刷費に使ったが、配布費については、島本貞に七月初旬ころ二回にわたり計二〇万円を渡したと述べているにすぎないこと、以上のような被告人前田の弁明を同被告人の検面供述と対比して検討すると、被告人前田としては、捜査段階において、別枠金八〇〇万円の使途につき、公判で弁明するように、自由新報の印刷費および配布費として全額使用した旨述べれば最も弁解しやすいと考えられるにもかかわらず、前述のように印刷費については詳しく述べているものの、配布費については島本貞に対する二〇万円以外は一切述べていないこと、この点第六九回公判で、学生アルバイトに迷惑をかけないためであったというが、それ以上に捜査官の追及が当然予想される橋垣雪男に供与した旨をなぜ供述したのか、到底納得しうる理由が見い出し難いこと、ことに、問題の配布費の出所については、被告人三浦の四九・八・二七付検面調書添付の収支一覧表によると、六月一〇日ころから六月二四日ころまでの間に「自由新報配布代」として島本あるいは松谷に対し、一〇回にわたって合計一二七万円が会計担当の被告人三浦を通じて出金されていることが認められること(もっとも六月二一日以降の計五六万円については出金先として「島本」あるいは「松谷」の記載があるのみで「自由新報配布代」とは明記されていないが、六月二一日以前の「自由新報配布代」と明記されている分の出金先「島本」あるいは「松谷」からみて、六月二一日以降分も自由新報配布代とみてよい。)等の事実に照らすと、被告人前田の弁明はにわかに措信することはできないと言わなければならない。

しかして、《証拠省略》によると、関一は糸山が代表取締役をする新日本企画株式会社の糸山の秘書兼ボデイガードとして、糸山やその妻がしていた選挙運動に随行する等していたこと、その後被告人前田から、被告人三浦に代って会計を担当するよう依頼され、六月二六日ころ会計引継分として現金約一〇五万円を引継いだこと、その際には被告人前田は関に対し「この金(会計引継分)は報告しないかんので領収書をとっておいてくれ。」と指示したにかかわらず本件の一〇〇万円については「ここに一〇〇万円ある。会計になると表に出せない金もいる。選挙ももう追い込みになった。これはとっておきの金だから有効に使ってくれ。君にまかせるから君の判断で適当に使ってくれ。領収書はいらないから。」と言って、白封筒に入れた現金一〇〇万円を手渡していること、関は右一〇〇万円のうち、約六〇万円を電話作戦費や選挙運動者に供与するなどして使用したほか、約一〇万円を自己のタクシー代とし、残金三〇万円余りを自己の所持金と混同して飲食遊興費等に使用したこと等の事実が認められる。以上の事実に徴すると、被告人前田が関に対して一〇〇万円を供与したことおよび右金員は買収金として関の裁量に委ねられたものであって、関に対する選挙運動をすることの報酬の趣旨を含むものであることは否定できないと言わざるを得ず、被告人前田および関においてその趣旨を認識していたこともまた明白である。

(法令の適用)

一  罰条

1  第一の一の1ないし17、第四の一の1、2第四の二の1、第四の三、四の各所為中、現金供与の点はいずれも昭和五〇年法律第六三号公職選挙法の一部を改正する法律附則四条により同法による改正前の公職選挙法(以下旧公選法という。)二二一条一項一号(ただし、第一の一の6は包括一罪)、事前運動の点は旧公選法二三九条一号、一二九条(ただし、第一の一の6は包括一罪)、刑法六〇条(第一の一の1ないし17、第四の二の1、第四の三につき)

2  第一の二の1ないし12、第一の三の1、2、第一の四、第二の一、二、第三の二の1ないし9、第三の三の1ないし3、第三の四、第四の一の3、第四の二の2、第四の五の各所為につき旧公選法二二一条一項一号、刑法六〇条(第一の二の1ないし12、第一の三の1、2、第一の四、第二の一、二、第三の二の1ないし9、第三の三の1ないし3につき)

3  第三の一の所為につき旧公選法二二一条一項四号、一号

4  第五の一、二のうち、第一の一の1ないし17、第四の四の各犯行を幇助した所為中、現金供与の幇助の点は刑法六二条一項、旧公選法二二一条一項一号、事前運動の幇助の点は刑法六二条一項、旧公選法二三九条一号、一二九条、第一の二の1ないし12、第一の三の1、2、第一の四、第二の一、二の各犯行を幇助した所為は刑法六二条一項、旧公選法二二一条一項一号

二  観念的競合

1  第一の一の1ないし17、第四の一の1、2、第四の二の1、第四の三、四の各現金供与と事前運動につき、刑法五四条一項前段、一〇条(いずれも一罪として重い現金供与罪の刑で処断。)

2  第五の一、二のうち、第一の一の1ないし17、第四の四の各現金供与の幇助と事前運動の幇助につき、刑法五四条一項前段、一〇条(いずれも一罪として重い現金供与の幇助罪の刑で処断。)

三  刑種の選択

いずれも所定刑中懲役刑選択

四  従犯減軽

被告人三浦の各罪につき、刑法六三条、六八条三項

五  併合加重

被告人らの各罪につき、刑法四五条前段、四七条本文、一〇条(被告人嶋嵜、同岸田、同桐ケ窪、同岡崎につき、いずれも犯情の最も重い第一の一の17の罪の刑に、被告人前田につき、犯情の最も重い第四の一の3の罪の刑に、被告人古山につき、犯情の最も重い第三の一の罪の刑に、被告人三浦につき、犯情の最も重い第五の二の罪の刑にそれぞれ加重。)

六  執行猶予

各被告人につき、それぞれ刑法二五条一項

七  没収、追徴

公職選挙法二二四条(被告人嶋嵜、同前田、同岸田、同桐ケ窪、同岡崎、同三浦から没収、被告人古山から追徴。)

八  訴訟費用の負担

刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条

(量刑の理由)

本件は昭和四九年七月七日施行の参議院議員選挙に際し、全国区から立候補した糸山英太郎のため、その選挙運動者である被告人ら、いわゆる糸山派による大阪府下全域にわたる選挙買収事犯であって、ポスター掲示依頼に乗じて府下の地区責任者らに合計約二五〇万円の現金を供与し、またいわゆる選挙ブローカーらに合計約一八〇万円の現金を供与して投票とりまとめを図るなどしたものであり、その組織の規模や買収金額、件数等からみて、選挙の公正を阻害した程度も著しく被告人らの責任は重いものがある。

これを各被告人らについて個別的にみると、被告人前田は事務長として最高責任者の地位にあって、ポスター掲示依頼に乗じた買収事犯を協議し、決定したうえ被告人嶋嵜らに対しその資金の要請をなし、また橋垣雪男らのいわゆる選挙ブローカーから票の買取りを図るなどしたもので、その果した主動的な役割をみると、本件各行為者のうち責任は最も重いものといわざるを得ない。被告人桐ケ窪はポスター担当者、被告人岸田はその相談役として、両名において、ポスター掲示依頼に乗じた地区責任者らに対する買収を企画、立案し、被告人前田を交えて協議決定して実行に及んだもので、その責任は決して軽くない。また、被告人三浦は、被告人前田、同桐ケ窪らの指示に従って行動したとはいえ会計担当者として、買収金である趣旨も知りながらその金員を出金するなどして被告人前田らの買収事犯の実行を容易にしたその責任は無視しえない。

一方、被告人嶋嵜は、西日本地域の資金調達担当者であって、被告人前田からポスター掲示依頼に乗じた買収資金の調達支出方の要請を受るや、その企図、金員の趣旨を十分了知したうえでその資金の提供を決定、指示したものであり、また被告人岡崎は、西日本地域の会計担当者として被告人嶋嵜の右買収金の支出決定にも関与したうえ、その指示に従い出金するなどしたもので、両被告人はいわゆる資金源側の行為者として、その責任には重いものがあるといわねばならない。

また被告人古山は、北河内地区の総括責任者として、被告人前田らに加担して供与の実行に及び、また地区責任者として供与を受けただけでなく、自らも部下を使用するなどして右受供与金をさらに供与するなどしたもので、その責任は軽視できない。

しかし、一方、地区責任者に対する買収は、ポスターの一斉かつ迅速な掲示にその主眼があって、投票獲得の目的は間接的に期待されていたと窺われること、いわゆる選挙ブローカーに対する買収も、これらの者にたかられたという一面もあること、その他被告人らが本件選挙に関与するに至った経緯や被告人らにはいずれも前科前歴がなく、本件についてそれなりに反省悔悟していることなどの有利な情状を考慮して、被告人らに対し、主文掲記のとおりの刑を量定したうえ、それぞれその刑の執行を猶予するのが相当であると思料する。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 西村清治 裁判官 下司正明 裁判官 白神文弘)

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