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大阪地方裁判所 昭和49年(ワ)111号 判決 1979年5月17日

原告

全日本造船機械労働組合佐野安船渠分会

右代表者

島崎吉雄

山村貞治

賀紋敏幸

右原告ら訴訟代理人

高階叙

男外四名

被告

佐野安船渠株式会社

右代表者

佐野川谷安太郎

右訴訟代理人

鎌倉和行

外三名

主文

一  原告全日本造船機械労働組合佐野安船渠分会の訴を却下する。

二  原告山村貞治の被告会社における所定内労働終業時刻は、毎週月曜日から土曜日まで午後三時四五分である労働協約上の地位にあることを確認する。

三  原告賀紋敏幸の請求を棄却する。

四  訴訟費用は、原告全日本造船機械労働組合佐野安分会に生じた費用と被告に生じた費用の三分の一を同原告の、原告山村貞治に生じた費用と被告に生じた費用の三分の一を被告の、原告賀紋敏幸に生じた費用と被告に生じた費用の三分の一を同原告のそれぞれ負担とする。

事実

第一  申立

一  原告全日本造船機械労働組合佐野安船渠分会(以下、原告分会という。)

1  原告分会と被告との間において、昭和三〇年六月一日締結された労働協約第五〇条のうち「実働七時間を原則とし」と規定された部分が効力を有することを確認する。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  原告山村

1  主文第二項と同旨

2  訴訟費用は被告の負担とする。

三  原告賀紋

1  被告は、原告賀紋に対し、金一〇万円及びこれに対する昭和五三年一二月七日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

四  被告

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  主張

一  請求の原因

1  被告は、資本金一四億三〇〇〇円(昭和四八年四月一日現在)、従業員約一五〇〇名を雇傭する船舶の新造、販売及び修繕等を営業目的とする株式会社である。

原告分会は、被告に勤務する約二五〇名の従業員によつて組織さたた労働組合であり、原告山村及び同賀紋は、いずれも昭和四〇年四月一日、被告に雇傭された従業員であると共に原告分会の組合員である。

2  原告分会(当時の名称・日本労働組合総評議会全国金属労働組合佐野安船渠支部)と被告は、昭和三〇年六月一日、労働協約(以下、本件協約という。)を締結した。

本件協約五〇条は、被告従業員の一日の定時労働時間について「勤務時間は一日八時間、実働七時間を原則とし、午前八時始業、午後四時終業とする。」と規定している。

3  原告山村及び同賀紋の被告における所定内労働終業時刻は、毎週月曜日から土曜日まで午後三時四五分である。

(一) 原告分会と被告は、文書に作成しないまでも本件協約優先事項を合意によつて生じさせ、その合意内容を労使慣行としたが、始終業時刻に関する後記慣行もその一であり、右慣行は、実質的に本件協約と同等の効力を有するものであり、仮にそうでないとしても、右協約とは独立の慣行としての効力がある。

(1) 本件協約五〇条は、前記のごとく規定しているところ、右規定の具体的時間配分は、午前八時始業(作業着手)、午前一一時四五分から午後零時三〇分まで休憩、午後三時五〇分終業(作業終了)(本件協約五五条、五七条)、午後四時出門とされていたが、右取扱いによると、実働労働時間が七時間五分となることから現実の運用は、従来から労使の合意のもとに午前八時の始業については入門(遅刻の基準時)の意と解し、現実の作業着手時刻は午前八時五分とするのが慣行となつており、右慣行は、昭和三二年制定の就業規則(以下、昭和三二年規則という。)一二条により明文化された。つまり、昭和三二年規則の右規定は、本件協約の存在を前提とし、右慣行を確認したものであつて、右就業規則によつて始終業時刻が決定されたものではない。

(2) その後昭和三九年に至り、原告分会と被告は、入門時刻、休憩時間をそのままとし、その他の時刻をそれぞれ五分づつ繰り上げ、始業時刻午前八時、終業時刻午後三時四五分、出門時刻午後三時五五分とすることに合意し、以来右合意が慣行として存続したが、その間昭和四二年、被告は昭和三二年規則の始・終業時刻に関する規定を右慣行に従つて始業時刻午前八時、終業時刻午後三時四五分と改訂した(以下、改訂後のものを昭和四二年規則という。)。

このように労使慣行により本件協約に定めた拘束時間の短縮、すなわち出門時刻の五分繰り上げが行われたが、それはあくまでも本件協約の存在を前提としてなされたのであり、特に本件協約に規定された一日の定時実働時間を七時間とすることには変化がなかつたのである。

(二) 仮に右慣行に基づく主張が認められないとしても、被告は、前記のごとく昭和四二年規則において、終業時刻を午後三時四五分と定めた。

4  被告は、昭和四八年七月二一日、昭和四二年規則を改訂し、一日の定時実働労働時間を七時間三〇分とし、定時労働終業時刻を午後四時一五分(ただし、始業時刻は従前どおり)とする旨定め(以下、改訂後のものを昭和四八年規則という。)実施したが、右規定は無効である。

5  原告賀紋は、昭和五一年一月二一日から同年二月二〇日までの間、午後三時四五分を終業時刻として合計三七時間の時間外労働(以下、残業という。)をしたが、被告は同原告に対し、昭和四八年規則の労働時間の規定に従つて計算し、25.5時間の残業として右時間相当額の残業手当の支給をしたのみで、右時間差11.5時間分の残業手当の支払をしない。

同原告は、右のような勤務を昭和四八年七月以降少なくとも昭和五一年二月まで続けたが、被告は右同様残業手当差額分を支払わず、却つて昭和四八年規則による終業時刻午後四時一五分まで勤務せず、午後三時四五分をもつて終業したことを理由に三〇分の早退があつたとして賃金カツトをした。

当時の一時間当りの残業手当は、金八九八円を下らない。

同原告は、被告に対し、今日までことあるごとに右差額分の支払を催告してきたが、被告はこれを無視し続けたので、被告の右債務不履行(不完全履行)による填補賠償金として内金一〇万円の支払を求める。

6  よつて、被告に対し、原告分会は本件協約五〇条のうち「実働七時間を原則とし」と規定された部分が効力を有することの確認を、原告山村は同原告の被告会社における所定内労働終業時刻が毎週月曜日から土曜日まで午後三時四五分である労働協約上の地位にあることの確認を、原告賀紋は填補賠償金内金一〇万円及びこれに対する訴の変更申出書送達の翌日である昭和五三年一二月七日から支払済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1は認める。ただし、被告の従業員数は、昭和四八年四月一日現在一六〇一名、昭和四九年二月一日現在一八〇〇名である。

2  同2は認める。

3  同3のうち、本件協約五〇条の規定の存在、昭和三二年に就業規則が制定されたこと、昭和三九年労使協議の下に終業時刻を午後三時四五分としたこと、昭和四二年に就業規則が改訂されたこと、昭和四八年の就業規則改訂まで一日の所定実働労働時間が七時間であつたことは認め、その余は争う。

4  同4のうち、昭和四八年に就業規則を改訂し一日の所定労働時間を七時間三〇分、終業時刻を午後四時一五分としたことは認め、その余は争う。

5  同5のうち、被告が原告賀紋に対し、昭和五一年一月二一日から同年二月二〇日までの間において22.5時間の残業手当を支給したこと、同被告が午後三時四五分に勤務を離れたことに対し、三〇分の早退があつたとして賃金カツトをしたことは認め、同原告が昭和四八年七月以降昭和五一年二月まで、同原告主張のような勤務態様をとつたことは不知、その余は争う。

残業手当が一時間当り金八九八円であるのは、昭和四八年規則改訂に伴う賃率の上昇によるものであり、これを同原告の損害額算定の根拠とするのは失当である。

三  被告の抗弁

1  本件労働協約の失効等

(一) 本件協約は、有効期間を昭和三〇年六月一日から昭和三一年五月三一日までとし、被告又は原告分会は有効期間満了一か月前に必らず本件協約の改廃更新について協議するものとし、右協約の改廃更新期間満了までに新協約が成立しないときは右有効期間に拘らず、新協約成立まで有効とする旨定めている(一二九条ないし一三一条)ところ、右更新期を経過するも新協約が成立しなかつたので、本件協約は、昭和三一年六月一日以降も暫定的な形でその効力が存続することとなつたが、以後四年以上の歳月を経過する中において、原告分会及び被告は本件協約を法的拘束性を有するものとは考えず、効力なきもの或いは効力を失つたものと考え互いにその旨了解していた。そして、遅くとも同原告の後記(二)の意見書が作成された昭和三五年一〇月一四日頃には本件協約は効力を有していなかつたことは明白であり、さらには、昭和三二年五月一八日付被告から同原告宛「労働協約改訂要旨の件と題する書面」において本件協約を現行労働協約と呼んでいるのに対し、被告の昭和四二年一二月付労働協約と題する書面では本件協約を旧協約と呼んでいること、全日本造船機械労働組合(以下、全造船という。)の昭和四四年一月付調査時報によると、被告の労働協約について「唯一交渉団体約款は旧協約の精神が生きている」との記載があるところからも右事実を裏付けることができる。

よつて、本件協約は、遅くとも昭和三五年一〇月一四日頃には同原告及び被告の黙示の合意により失効した。

(二) 原告分会は、被告宛の昭和三五年一〇月一四日付意見書と題する書面において、本件協約は「明らかに失効と見ざるを得ません」と無効を宣言し、もつて被告に対し、本件協約を解約する旨の意思表示をなしたので、労働組合法(以下、労組法という。)一五条三項によつて失効した。

(三) 原告分会は、前記意見書において本件協約を失効したものと見ざるを得ないと言明し、その後においても右同様の取扱いをなしてきた。しかるに、右意見書発表より一四、五年を経過した後に、本件協約を有効であると主張することは、英米法における禁反言の法理を類推するまでもなく信義則に反する行為として許されない。

(四) 本件協約の規定する自動延長約款(一二九条ないし一三一条)は、暫定的なものであり、又労組法一五条が労働協約の最長有効期間を三年間と定めた趣旨、さらに本件協約締結後本訴提起時までの約二〇年間において原告分会の名称が変更し、同原告の組織分裂等の変動があり、本件協約の内容を一見するだけでその労働条件が被告の進展と共に著しく変更していることが明白であることからして、本件協約は、有効期間終了後新協約が成立することなく約二〇年を経過した本訴提起当時においては、既に効力を有していない。

2  本件労働協約の解約

被告は、原告分会に対し、昭和四九年五月三一日付準備書面をもつて本件協約を解約する旨の意思表示をし、右同日第二回口頭弁論期日において陳述したことによつて右意思表示は同原告に到達したから、同日後九〇日を経過した日をもつて本件協約解除の効力を生じた。

3  訴外佐野安船渠労働組合と被告間に締結された労働協約の一般的拘束力

被告は訴外佐野安船渠労働組合(以下、佐野安労組という。)との間で、昭和四八年七月二〇日、「労働時間短縮隔週五日制に関する協定書」と題する書面をもつて昭和四八年規則に定める労働時間体制と同一内容の労働時間体制について労働協約(以下、昭和四八年協約という。)を締結した。昭和四八年協約の適用を受ける佐野安労組の組合員は、当時一一〇〇名であり、原告分会の当時の組合員は二五〇名であつたから、佐野安労組の組合員は同種の常時使用される労働者の四分の三以上の労働者ということができ、よつて、昭和四八年協約は、労組法一七条により同原告の組合員に対しても適用される。

4  昭和四八年規則改訂の合理性

(一) 昭和四八年規則改訂の趣旨は、年間労働時間という概念を導入して、一年を単位として年間労働時間の短縮と隔週土曜日を休日とするということであつた。すなわち、被告における年間労働時間は、従来平均してほぼ二〇七二時間であつたが、これを確定的に年間労働時間として二〇二五時間に設定し、年間約四七時間の時間的短縮を行なつたこと及び隔週土曜日を新たに休日とする制度を創設したのであるが、隔週土曜日を休日とするについては、右時間短縮分と一日の労働時間を七時間から七時間三〇分延長した分をあわせてこれを創設することができたのである。その結果、年間労働日については従来年平均二九六日であつたものが、二七〇日となり約二六日の休日増となつたのである。

原告らは、年間の所定労働時間が短縮されているにも拘らず年間総労働時間がむしろ延長されると主張し、その根拠に時間外労働の賃金割増率なるものを持出しているが、これは時間と単位時間の賃率という全く違つたものを同じ次元で解釈するという過ちを犯したものである。すなわち、所定内労働時間であろうと所定外労働時間であろうと一時間は一時間であり、賃金換算についてはその率が一であつたり、1.25或いは1.3とされるに過ぎないのである。

しかして、一日の労働時間についてみれば、なるほど、七時間から七時間三〇分と三〇分延長されているが、反面、年間労働時間の短縮と隔週土曜日が休日となつたのであるから、全体として見れば、昭和四八年の規則の改訂は合理的な改正といわざるを得ない。

さらに敷衍すれば、週休二日制は、欧米先進国において普及し、わが国においても最近現実の問題として各企業においてとり上げられ、定着しつつある。又労働省が昭和四六年五月に実施した週休二日制の実態調査によれば、週休二日制の実施の効果として出勤率の向上、生産能率の向上、従業員採用の有利、災害の減少などの効果があつたとする企業がほとんどであり、効果がなく弊害が発生したとする企業は極めて少ない。

なお、週休二日制はかなりの企業で一日当りの労働時間を延長して実施しているが、それに伴う従業員の不満は極めて少ないとの調査結果が報告されている。右に述べたような週休二日制に対する社会的趨勢及び週休二日制実施の効果、実施に伴う問題などを総合判断すれば、昭和四八年規則改訂は、社会的にも客観的にも合理的なものといわざるを得ない。

現に被告においては従業員一八〇〇名のほとんど全員が改訂された就業規則の労働時間体制の下で就労しており、原告らが右改訂を不利益として無効であると主張するのは労働関係の集団的処理の必要性から考えてあまりにも当を得ないものといわざるを得ない。

(二) 被告は、労働時間短縮を実施するにあたり、時間短縮分につき月ぎめ賃金の減少をきたさないよう時間短縮に対応してその分賃率を引上げる措置をとつた。すなわち、本件労働時間の改訂と併せて同じ日に賃率引上げの賃金規定の改正を行なつた。従つて新旧の所定内労働時間についての賃金は同額であり、時間外労働については賃率の上がつた額を基礎として計算される関係上、賃金上昇を招来することとなり、さらに従来と同じ時間労働したと仮定すれば、総労働時間中に占める所定外労働時間が時間短縮に見合つて増加するのであるから、賃金収入が増加することはあつても減少することはあり得ない。

もつとも、原告らは、かつてと同じく二時間の残業をしても残業手当のつくのは一時間三〇分であるから、結局一日につき三〇分分の残業手当の月収低下に至る旨主張するが、右主張は原告らの賃金が日給制でないにも拘らず、一日の労働時間のみを切離して議論する点に問題があり、要するに原告らは月収の低下を論じているのであるから、月単位で考察すると、従来の所定労働時間は月一七五時間であり、改訂後の所定労働時間は168.75時間であるところ、賃率改訂によりいずれも同一月額賃金が支払われ、月収の低下はないのである。むしろ従前と同一の一七五時間の労働をすれば、改訂後では6.25時間は時間外労働として残業手当が支給されることになるのである。

このように、被告は、本件労働時間制度を変更するにあたり、賃金面において有利にこそなれ不利にならないよう十分配慮を行なつているのであるから、この点についても昭和四八年規則改訂が不利益であると指弾される理由は毫もない。

(三) 原告らは、重筋危険労働を行う原告らにとつて七時間の定時労働時間終了後一五分の休憩もなく、三〇分の延長労働を続けることは疲労が蓄積する旨主張する。

造船業は、大きな重量物である船舶を造ることから、その作業は重筋労働に違いないと思われるかもしれないが、最近の著しい技術革新によりその作業形態は大きな変化を遂げ、人に代つて機械が行う部分が増大し、人間の筋肉労働によつて行う部分は縮少かつ軽減されているのが現状であり、又労働科学の見地から造船の現場作業を見てみても、筋労作の強度の指数であるエネルギー代謝率は低く、労働時間内に消費したエネルギー量である労働量も低いのである。

次に、一日の所定労働時間の三〇分延長は、昼の休憩時間後終業までの労働時間が三時間一五分から三時間四五分に延長されたことによるものであり、結局右三時間四五分の作業継続時間が問題となる。

作業継続時間についての法規制は日本にはなく、僅かに存在するイギリスや西ドイツでも婦人、年少者のみを対象として継続労働時間の限度を四時間三〇分としており、又E・E・Cの委員会の勧告では一八歳未満の者については四時間三〇分以上の継続労働を許さずとしている。このような例から考えても、本件三時間四五分の継続労働は、決して苛酷なものではなく、疲労が蓄積するようなものでもない。

又、所定労働時間の三〇分延長と疲労及び災害発生は合理的な因果関係のもとに説明できないのである。

しかして、造船業各社の一日の所定労働時間は、八時間制・八社、七時間三〇分制・六社、七時間制・五社(日本造船工業加盟一九社の調査結果)であり、右八時間制をとる会社は完全週休二日制を、七時間三〇分制をとる会社は隔週週休二日制を導入しており、七時間制をとる会社は週休二日制を採用していない。このように大多数の造船企業は何らかの形で週休二日制を採用しており、その採用にあたつては、一日の労働時間の延長を伴つて実施されているのである。

造船企業のこのような趨勢から被告の就業規則の改訂は特異なものではなく、社会に順応した合理性があるといわざるを得ない。

(四) 被告は、昭和四八年規則改訂に際し、原告分会及び佐野安労組と団体交渉等において十分協議を尽したのであり、一方的に改訂したものではない。<以下、事実省略>

理由

第一原告全日本造船機械労働組合佐野安船渠分会の請求について

原告分会の本訴請求は、要するに、本件協約五〇条が同原告組合員の一日の定時労働時間について「実働七時間を原則とし」と規定している(以下、本件協約条項部分という。)にも拘らず、被告は昭和四八年七月二一日、従来の就業規則(昭和四二年規則)を改訂し一日の定時実働労働時間を七時間三〇分と定めたので、本件協約条項部分が現に効力を有することの確認を求めるというのである。

同原告は、本訴において「当初被告の昭和四八年七月二一日改訂施行にかかる就業規則のうち、別紙記載部分(ただし、省略)は無効であることを確認する。」として、右定時実働労働時間についての規定を含む右就業規則一二条(勤務時間)、一四条(同)、二〇条(休日)、二四条(休憩時間)の規定の無効確認を求めたのであるが、その後本訴の適法性(確認の対象としての適否、確認の利益)について検討した結果前記のような趣旨における確認訴訟として構成するに至つたのである。

右のような訴訟の経緯をふまえて同原告が本訴を提起遂行することの趣意が奈辺にあるかを考察するに、本件協約条項部分は労働者の労働条件に関する基準を定める、いわゆる規範的部分であるところ、同原告が本件協約の一方の締結当事者としての地位を有するとはいえ、本件協約の一方の締結当事者としての地位を有するとはいえ、本件協約条項部分を直接の原因として同原告自身が被告と如何なる法律関係をも形成するものでないことから明らかなように、同原告は、被告との本件協約条項部分に関する法律関係の存否を本訴確認の対象とするものではなく、あくまでも本件協約条項部分の効力の存否を確認の対象とするものであると解するのが相当である。

ところで、一般に、確認の訴は現在の具体的な権利又は法律関係の存否を対象とする場合に許されるのが原則であるが、過去の法律行為等の効力の確認の訴であつても、当該行為等が現在の法律関係に影響を及ぼしており、右行為等から多数の法律関係が生じ得る基本的な行為であり、かつ無効確認を求める以外に現在の法律関係に関する訴によつては適切な紛争解決が得られないときに確認の利益があるとして確認の訴の対象としうるものであると解されるところ、同原告の本訴確認の対象である本件協約条項部分は、同原告組合員の定時実働労働時間を一般的に規定する条項にすぎないから、これをもつて同原告にかかる具体的な権利又は法律関係であるといえないことは明らかであり、又本件協約条項部分の右のような性格からすると同原告と被告との現在の法律関係に影響を及ぼすものでなく、さらに同原告が本件協約条項部分の効力の存否の確認を求めたとしてもその結果は右条項部分によつて直接規律される同原告組合員に既判力等の法律上の効力を及ぼすものでないことからすると、右確認の訴は最も有効かつ直截的な紛争解決方法とはいえない(むしろ、同原告組合員が右条項部分の適用を受けることによつて発生するであろう具体的法律関係を対象とする訴訟を提起することによつて最も有効適切な紛争の解決が得られるものというべきである。もつとも、右のような視点は当事者適格の問題ではないかとの疑念を生じさせはするが、確認の対象の適否、確認の利益の存否を考慮する場合、原則として訴の提起者を対象として考えるべきであるが、本訴における同原告とその組合員の関係及び当該紛争の実体を直視し右のように解することも許される。)。

よつて、原告分会の訴は、確認の利益を欠き、確認の訴の対象とはならないというべきであるから、不適法な訴として却下すべきものである。

第二原告山村、同賀紋の請求について

一請求原因1のうち、被告の従業員数を除くその余の事実については当事者間に争いがないところ、被告の従業員数が昭和四八年四月一日現在一六〇一名、昭和四九年二月一日現在一八〇〇名であることは弁論の全趣旨により認めることができる。

二請求原因2については当事者間に争いがない。

三原告山村、同賀紋(以下、原告山村らという。)は、請求原因3記載の根拠をもつて原告山村らの被告における所定内労働終業時刻が毎週月曜日から土曜日まで午後三時四五分である旨主張するので、以下順次検討する。

1  原告山村ら主張の所定内労働終業時刻は、直接本件協約の規定を根拠とするものでなく、却つて本件協約が右主張と異なる「午後四時」を終業とする旨規定していることは前記当事者間に争いのない請求原因2の事実により明らかであるが、原告山村らの右主張は、本件協約の労働時間に関する規定を基本的原則としてとらえ、その効力のもとに所定内労働終業時刻についての請求原因3記載の根拠を理解すべきものであるとすると解し得るので、まず本件協約の効力如何について考察する。

本件協約一二九条ないし一三一条が右協約の有効期間について昭和三〇年六月一日から昭和三一年五月三一日までと規定し、有効期間満了一か月前に必らず右協約の改廃更新について協議するものとし、右協約の改廃更新期間満了までに新協約が成立しない時は右有効期間に拘らず、新協約成立まで有効とする旨定めていること、右更新期を経過するも新協約が成立しなかつたことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実によると、本件協約は、昭和三一年五月三一日の有効期間満了時に新協約が締結されていなかつたので、右締結がない場合には新協約締結までその効力を持続する旨の合意に従い、その効力が延長されたものというべきである。

2  被告は、本件協約は抗弁1、2記載の理由により失効したなどと主張するので、この点について判断する。

(一) まず、本件協約は遅くとも昭和三五年一〇月一四日頃には原告分会と被告との黙示の合意により失効した旨の主張について按ずるに、被告が右合意の徴憑として指摘する点は、(1)同原告の昭和三五年一〇月一四日付意見書と題する被告宛書面(乙第二号証)に本件協約は「明らかに失効と見ざるを得ません」との文言があること、(2)被告の昭和三二年五月一八日付労働協約改訂の要旨の件と題する同原告(その表示・総評全国金属佐野安船渠支部)宛文書(甲第二六号証)によると本件協約を現行労働協約と呼んでいるのに対し、被告の昭和四二年一二月付労働協約(旧協約三十七年案)と題する書面(甲第二七号証)によると本件協約を旧協約と呼んでいること、(3)全造船の昭和四四年一月付調査時報(乙第三号証)によると、被告の労働協約について「唯一交渉団体約款は旧協約の精神が生きている。」との記載があることである。

右(1)について、<証拠>によると、大阪府地方労働委員会が同原告と被告間の同原告組合員の定期昇給増額要求に関する斡旋事件において示した斡旋案について、被告がこれを拒否する意思を表示すると共に、本件協約一二五条所定の手続である右労働委員会に対する右意思通知をする以前に同原告がストライキを実施したことをめぐり、被告が右ストライキを本件協約(一二四条、一二五条)に違反する旨主張したのに対し、同原告はこれを否定し、その主張を示すものとして意見書(乙第二号証)を作成し被告に提出したこと(同原告が意見書を提出したことは当事者間に争いがない。)、右意見書には、同原告の意見として労組法一五条一項に照らすと本件協約を失効と見ざるを得ず、又被告も本件協約を失効したものと認めているのではないかとの記載があること、右紛争は結局、本件協約を前提とした被告の見解に従つて処理されていることを認めることができる。

又右(2)及び(3)について、<証拠>によると、右各書面に被告主張のような記載のあることを認めることができ、他方、<証拠>によると、原告分会は昭和四二年七月四日付不当処分に対する抗議申入書と題する被告宛文書において、本件協約の存在を前提として被告のとつた同原告組合員の懲罰手続について異議を申し出ていることを認めることができ、<証拠>によると、同原告に対立する被告従業員が昭和四七年一一月七日、同原告執行部の退陣署名行動を被告会社構内である食堂前において行なつたことに対し同原告が被告に対し、被告会社構内を使用させることは右反対派の人々を援助していることになるのではないかと問い質したところ、被告は、翌八日、労務部長名をもつて同原告に対し、「指摘ありたる署名行動(11/7昼食時食堂前ピロテイ)は就業規則第85条14項に該当するも但書により処分対称とはなり得ない。」との見解を示したこと、右就業規則八五条一四項(正確には号)但書には「ただし、就業規則に定められた組合活動の場合はこの限りでない」と規定されていること、右就業規則は昭和三二年制定以来昭和四七年一一月までの間において五回にわたり改訂されているにも拘らず、右規定が改訂されることなく残存していることを認めることができる。

以上認定の事実を総合勘案するに、原告分会は昭和三五年当時、本件協約が適用されることが同原告にとつて必ずしも有利とはいい難い事柄に対し、その効力が失われた旨主張してはいるものの、被告はこれに反対する見解をとり、その見解に従つて処理しているのであり、又同原告及び被告はその後(昭和四二年七月及び同四七年一一月)本件協約が有効であることを前提として行動し、或いは就業規則自体に本件協約を前提とした規定を存続させていること、さらに前記(2)及び(3)摘示の呼称が必ずしも法的な判断の結果として本件協約の効力の有無を区別して使用している表現とはにわかに断じ難いことからすると、被告主張のごとく本件協約を失効させることについて、遅くとも昭和三五年一〇月一四日頃、同原告と被告間の黙示の合意があつたとは到底いうことができない。

(二) 次に、原告分会が前記意見書によつて被告に対し、本件協約は「明らかに失効と見ざるを得ません」と無効を宣言し、もつて本件協約解約の意思表示をしたので、労組法一五条三項によつて失効したとの主張について考えるのに、同原告が右主張のような記載のある意見書を被告宛に提出したことは前記のとおりであるが、前記認定のような右意見書提出に至る事情及び趣意並びに同原告は右主張と共に仮定的な主張として本件協約が有効であることを前提とした見解を示していること(右意見書四及び五)からすると、右意見書は同原告にとつて事態を有利に転回させるための主張の開陳と見るのが相当であつて、これをもつて本件協約を解約する旨の意思表示をしたものということはできない。

(三) さらに、原告山村らが本件協約が有効であると主張することは信義則に反するとの主張について考える。

確かに、前記認定事実からすると、原告分会は前記意見書において本件協約を失効したものと見ざるを得ないとし、又同原告の上部団体である全造船の雑誌調査時報(乙第三号証)に「唯一交渉団体約款は旧協約の精神が生きている。」と記載せしめるなど、本件協約自体を失効したものと解していたと窺わしめるところがある反面、前記認定のごとく本件協約が有効であることを前提とした主張をしていること(甲第三八号証)、又本件協約改訂交渉の過程で同原告が改訂を求めた争議行為を開始する前に五〇時間の冷却期間をおくこと(本件協約一二六条)についても、これを遵守してきていること(証人稲葉の証言(第一回))、さらに右意見書及び調査時報中の文言によるも、本件協約自体は失効したとしてもその余後効的な効力によつて労使関係が規律されていることを認めていることが容易に窺われるのであり、他方被告は、本訴において本件協約が失効した旨強く主張するのであるが、前記認定のごとく昭和三五年或いは昭和四七年には本件協約が有効であることを前提として同原告に相対しており、その主張は必ずしも一貫したものとはいい難いこと、以上の諸点を総合すると、同原告組合員である原告山村らが本件協約が効力を有する旨主張したとしても、信義則に反するとまでいうことはできない。

(四) さらに、本件協約の自動延長約款が暫定的なものであること、労組法一五条の趣旨、原告分会の名称が本件協約締結時と現在とでは異なり、又同原告の組織分裂があつたことなどからして、有効期間終了後新協約が成立することなく約二〇年を経過した本訴提起当時(昭和四九年一月)においては、本件協約は効力を失つている(抗弁1(四))、或いは被告は本件協約を昭和四九年五月三一日に解約するとの意思表示をしたことによつて失効した(抗弁2)旨の主張についてみるに、本件において問題とすべきは、昭和四八年規則が制定実施された昭和四八年七月二一日当時、本件協約が効力を有していたとすれば右規則の効力に疑問が生ずるため、右時点における本件協約の効力如何であるところ、右時点以降において本件協約が失効したとしても遡及して昭和四八年規則の効力を左右するものでないから、右主張はいずれも失当といわざるを得ない。

3  そこで、原告山村ら主張の終業時刻に関する慣行の有無及びその効力について判断する。

<証拠>を総合すると次の事実を認めることができる。

本件協約は、定時労働時間について「勤務時間は一日八時間、実働七時間を原則とし、午前八時始業、午後四時終業とする。」(五〇条)と規定し(この点については当事者間に争いがない。)、五五条において休憩時間を午前一一時四五分から午後零時三〇分までと定め、五七条において時間外勤務に従事する従案員に与える休憩時間を午後三時五〇分を始期として定め、六〇条において休日及び休暇を毎日曜日の外、国家が定めた祝日などとする旨定めているところ、本件協定前の昭和二八年一一月一日、被告と原告分会(当時の名称・日本労働組合総評議会全国金属労働組合佐野安船渠労働組合)との間で締結された労働協約(甲第一号証)においても右と同様に規定されていた。

右規定によると、定時実働労働時間は、午前八時から午前一一時四五分まで及び午後零時三〇分から午後三時五〇分までであり、一日七時間五分となり、実働七時間を原則とするとの本件協約五〇条の規定と矛盾することとなるため、労使協議の上従来から運用として午前八時五分頃から作業に着手するとの取扱いがなされ、組合員(従業員)は右運用に従つて業務に従事していた。

そして、被告は、昭和三二年五月一日に制定実施された就業規則において、「一日の勤務時間は八時間、実働七時間を原則とし、始業(作業着手)、終業(作業終了)及び休憩時間は左の通りとする一、就業時間始業午前八時〇五分終業午後三時五〇分二、休憩時間自午前十一時四五分至午後〇時三〇分」(一二条)と定め、右運用に一致した規定を設けたのである。

その後、被告における定時労働時間は、昭和三二年規則の規定に従つて運用されていたが、その間、原告分会から被告に対し、休憩時間を一時間にするよう改訂を申入れたが受入れられず、又被告から同原告に対し、被告における就業時間に関する規律が他社に比し乱れ勝ちであることの指摘のもとに予鈴制度及び始業時刻を五分間繰上げることを含む労働時間の改訂について申入れがなされ、同原告において職場討議、機関討議を経た結果右申入れに同意するに至らなかつたが、昭和三九年、再度同原告と被告は協議の結果次のような定時労働時間とすることに合意した(昭和三九年、労使協議のもとに終業時刻を午後三時四五分としたことについては当事者間に争いがない。)。すなわち、始業午前八時、終業午後三時四五分、休憩時間午前一一時四五分から午後零時三〇分までとし、始業、休憩、終業の各五分前(午前七時五五分、午前一一時四〇分、午後零時二五分、午後三時四〇分)に予鈴が鳴ることとし、定時間で退場する者は午後三時五五分にハウスを出れば出門は午後四時でなくとも出られるとするものであつた。被告は、同原告との合意に従い右労働時間の改訂を同年六月二一日から実施し、右改訂内容を被告が従業員向に発行する機関紙「佐朗報」(甲第四三号証)に詳細に記載し、その遵守実行を従業員に呼びかけると共に、被告会社中野常務取締役を推進本部長に、土谷常務取締役が副委員長に、各現業部長及び原告分会三役らが幹事となつて右労働時間を遵守実行させるための推進運動を行つたが、就業規則の規定については改訂を加えることなくそのままとした。

その後における被告の労働時間は、右改訂合意内容に従つて行われたが、被告は昭和四二年四月一一日、就業規則を右改訂合意内容に従つて改訂し(昭和四二年規則。昭和四二年に就業規則を改訂したことは当事者間に争いがない。)、「一日の勤務時間は八時間実働七時間を原則とし始業(作業着手)終業(作業終了)および休憩時間を次の通りとする。一、就業時間始業午前八時終業午後三時四五分二、休憩時間自午前一一時四五分至午後〇時三〇分」(一二条)と規定した。

被告においては、昭和四七年四月八日付労務部長から各部課(組)長宛の「就業時間厳守について」と題する書面(甲第四四号証)を出しているところ、右書面には「先の4月3日付社長通達に基づき、就労時間厳守の運動展開について各部或いは労組と協議致しました。」とし、その結果再確認した事項として「時間厳守の起点である始業、終業は昭和39年の取決め(労使協議の上決定したもの)を再確認しました。すなわち始業本鈴(8・00)で「ハウスを出て現場に向い体操後直ちに作業を行なう」終業予鈴(例えば11・40、15・40、17・55等)で「現場作業を中止する(但し、事務・設計関係従業員は本鈴まで作業する)であり、休憩前後の予本鈴もこれに準じます。……」との記載がある。

以上の事実を認めることができ、証人原亨の証言のうち右認定に反する部分は前掲各証拠に照らしてにわかに措信し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

右認定事実によると、被告の定時労働時間は、本件協約の各規定を総合して月曜日から土曜日まで(以下、通常日という。)の勤務時間は一日八時間、実働七時間を原則とし、午前八時始業、午後四時終業と規定し、定時実働労働時間を午前八時から午前一一時四五分まで及び午後零時三〇分から午後三時五〇分までと定められてはいるものの、右定時実働労働時間については昭和三二年規則制定前において労使協議のうえこれと異なる運用がなされていたところ、右規則はむしろ右運用を追認して規定したものということができ、さらに昭和三九年には原告分会と被告とが協議のうえ昭和三二年規則の規定とも異なる予鈴制度を導入し、午前八時から午前一一時四五分まで及び午後零時三〇分から午後三時四五分までを通常日の定時実働労働時間とする旨合意し、労使共に右遵守実行方に取組み、以来右定めに従つて就労してきたが、右時点において昭和三二年規則を改訂することなく、右合意のなされた三年後である昭和四二年に至り就業規則を右労働時間と同一内容に改訂したのであり、さらには、被告自身、右合意後八年を経過した昭和四七年において、右合意(これと同旨の昭和四二年規則ではない)を根拠として原告分会と就労時間の厳守について協議をし、その旨を記載した文書を社内に配布しているのであつて、このことからも被告が右合意を重視していたことが窺われるのである。

以上の諸点を総合勘案すると、被告における定時実働労働時間は、本件協約を基本とし、昭和三〇年以来、原告分会と被告が協議合意のうえ、具体的状況に適応した運用をなし、もつて本件協約を実質的に改修しきたつたものということができ、特に本件で問題となる昭和四八年規則による改訂前の定時実働労働時間は、昭和三九年、本件協約の規定を前提としてその範囲内で被告と同原告とが協議し合意に達したものであり、以来従業員は、これが被告の定時実働労働時間を規制するものとして右合意内容に従つて就労し、これが慣行となつたものというべきであつて、昭和四二年規則は、右のように実施されていた労働時間制に関する慣行をそのままとり入れ規定したものというべきである。

そこで、右慣行及びこれをとり入れた就業規則の法的拘束力について按ずるに、右慣行が原告分会と被告の協議合意を基礎として成立したものであり、右慣行の内容が定時労働時間制という集団的、統一的処理を要する事項にかかるものであることを考慮すると、右慣行及びこれをとり入れた就業規則の規定は、規範的効力を有するものというべきであり、従つて、被告は、右慣行及びこれをとり入れた就業規則の規定の変更を一方的な意思のみによつて行うことはできないといわなければならない。

4  被告の抗弁3について検討する。

労組法一七条は、当該一の労働協約の適用を受けるに至つた以外の労働者が未組織労働者である場合に適用されるものであり、右少教労働者が他の組合の組合員であつた場合には、右組合の団結権、団体交渉権等を尊重する必要があるため運用がないものと解するのが相当である。

よつて、佐野安労組の昭和四八年協約が原告分会組合員である原告山村らに適用があるとする右抗弁は失当という外ない。

5 そうすると、原告分会との合意を得ることなしに改訂された昭和四八年規則は、その余の点(抗弁4)について判断するまでもなく、昭和三九年の合意及び昭和四二年規則に定める定時実働労働時間に牴触する範囲がその効力を有さず、よつて原告山村らは、月曜日から土曜日まで午後三時四五分を終業時刻として労働に従事する義務を負うにすぎないというべきである。

四原告賀紋は、午後三時四五分を終業時刻として合計三七時間の残業をなしたにも拘らず、被告は、25.5時間の残業として右相当額の残業手当を支給したのみで、右差額分11.5時間分の支払をしないなど賃金不払の債務不履行により被つた損害の填補賠償を請求するというのである。しかしながら、同原告主張にかかる不履行部分とは、賃金差額の不払にすぎず、よつて右賃金差額の支払を求めることによつてその目的を達成するのであるから、右債務の履行に代る填補賠償を請求することはできないものというべきである。

よつて、同原告の請求は、その余の点につき判断するまでもなく理由がない。

第三以上の次第で、原告分会の訴は不適法として却下することとし、原告山村の請求は理由があるから認容することとし、原告賀紋の請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担については民訴法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(上田次郎 松山恒昭 上垣猛)

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