大阪地方裁判所 昭和49年(ワ)1832号 1978年12月15日
原告(選定当事者)
松井忠夫
(ほか五名)
原告
本多和夫
原告
佐藤憲次
以上原告ら八名訴訟代理人弁護士
川根洋三
同
平岡建樹
原告ら訴訟復代理人弁護士
井上隆彦
被告
市新株式会社
右代表者代表取締役
山本慎一
右訴訟代理人弁護士
伊多波重義
同
豊川正明
同
木村奉明
主文
原告(選定当事者)六名、原告本多和夫および原告佐藤憲次の主位的請求および予備的請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告(選定当事者)六名、原告本多和夫および原告佐藤憲次の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 原告ら
1 主位的請求の趣旨
(一) 被告は原告(選定当事者)松井忠夫に対し金三九〇六万一〇五〇円、同広島広光に対し金一六六五万三九八〇円、同井上勝雄に対し金五五〇五万九六九〇円、同市田輝夫、同大久保利雄および同佐藤啓一に対し合計金一五二五万八二三五円、原告本多和夫に対し金三四五万二八二〇円、原告佐藤憲次に対し金一二万三〇六〇円ならびに右各金員に対する昭和四八年二月八日から支払ずみまで年六分の割合による金員を支払え。
(二) 訴訟費用は被告の負担とする。
(三) 仮執行の宣言
2 予備的請求の趣旨(前項(一)の請求に対して)
被告は原告(選定当事者)松井忠夫に対し金二三五四万〇四六〇円、同広島広光に対し金一五一三万三〇〇五円、同井上勝雄に対し金四三一九万七〇一〇円、同市田輝夫、同大久保利雄および同佐藤啓一に対し合計金一五四三万九二四二円、原告本多和夫に対し金一八七万九七八〇円、原告佐藤憲次に対し金四五万二七四〇円ならびに右各金員に対する昭和四八年二月八日から支払ずみまで年六分の割合による金員を支払え。
二 被告
主文一、二項と同旨
第二当事者の主張
一 主位的請求原因
1 当事者
被告は織物の染色を業とする株式会社であり、原告(選定当事者)六名、原告本多和夫、原告佐藤憲次および別紙(略)選定者目録(一)ないし(四)記載の各選定者(以下これらの者を単に原告らという)はいずれも被告の元従業員であって、別紙選定者目録(一)記載の各選定者および原告(選定当事者)松井忠夫(以下これらの者を第一グループともいう)はいずれも被告の管理職の地位にあった者、原告本多和夫および原告佐藤憲次は台湾の関連会社へ技術指導に行っていた技術者であり、その余の原告らは被告の一般従業員であった。
2 被告の業績低下と人員整理
被告は業界ではトップクラスの会社であったが、昭和四二年頃から次第に業績が低下して経営不振となり、昭和四七年二月頃から大幅な人員整理に着手したが不調に終り、被告は同年六月頃には経営不能であるとして会社解散を考えるようになった。その後原告らを含む全従業員に対し自主的な退職を要請するに至り、同年六月三〇日大阪地方裁判所に会社整理の申立をした。
3 退職および退職金協定
(一) そこで、原告らは第一グループ、別紙選定者目録(二)記載の各選定者および原告(選定当事者)広島広光(以下これらの者を第二グループという)、別紙選定者目録(三)記載の各選定者および原告(選定当事者)井上勝雄(以下これらの者を第三グループという)、別紙選定者目録(四)記載の各選定者および原告(選定当事者)市田輝夫、同大久保利雄、同佐藤啓一(以下これらの者を第四グループという)の各グループ毎に被告代表者中江純一および植田峰陽と交渉した結果、被告は第一グループとの間においては同年六月二六日、第二および第三グループ(但し、藤沢広海、山口勇、浅野サカエ、北野年春、桜井治、楠本洸、藤林功、牡丹利子、松下イワエ、牡丹締男、河本真明、高場保博、原茂子、野村千鶴子、青木和子、船田悦子の一六名を除く)との間においては同年七月八日、第四グループ(但し、山本美志子を除く)との間においては同月一〇日、原告本多和夫および原告佐藤憲次との間においては同年九月二日、いずれも退職金支給について左のとおりの協定が成立した。
(1) 原告らは被告を退職する。
(2) 被告は原告らに対し退職金として被告の退職金規定および管理職退職金暫定内規(以下退職金規定等という)により算出される金額の一〇〇%相当額を支払う。
(3) 将来、被告と原告ら以外の被告従業員との間で右退職金の支払条件より従業員にとって有利な計算方法により算出した金額の退職金を支払う旨の合意ができた時は、被告はその時点で原告らに対しその有利な計算方法により算出した金額と原告らに対する既払額の差額を上積み分として原告らに支払うこと。即ち、退職金の支払条件については原告らを他の従業員より不利益に扱わない。
(4) 被告は会社を整理し再建する場合には原告らを優先採用し、被告に復帰させることを約束し、原告ら以外の残留従業員より悪いようには扱わない。
原告らのうち協定を締結した者は退職金規定等により算出した所定退職金の一〇〇%相当額の支払を受けて退職した。
(二) なお、原告らのうち被告との協定締結に加わらなかった前記一七名の選定者は同年七月六日頃から所属グループの代表者等から各グループの者と同様の退職条件の協定内容(一部のものは協定調印前の協議内容)を告げられて、他の原告らと同一条件で退職することとし、さらに、右一七名はその頃個別に被告管理職員中江晋、中江為雄につき同様の退職条件を確認し、夫々が相互に連立って、同年七月六日から一五日までの間に退職届を提出し退職したものである。右一七名は覚書による協定書には連署していないが、その余の原告らと同様に昭和四八年二月八日頃被告から退職金残金として退職金規定等による退職金の三〇%に相当する金額の支払を受けた。
(三) 原告らはいずれも被告から退職願の提出を求められ、その退職理由について第一グループの者については会社都合によるとしながら、その余の原告らについては一身上の都合によると記載されている。右記載は被告が今後の労務対策上そのように記載するよう原告らに要請したので、それに応じたものに過ぎない。実際の退職理由は「企業縮少による人員整理のため事業主が希望退職を募りこれに応じたもの」である。
4 退職金の有利な支払条件の確定
(一) 被告は原告ら以外の全従業員を昭和四七年八月一〇日限り解雇し、同月二五日株主総会において会社解散の決議をした。一方、原告ら以外の従業員は市新労働組合(以下組合という)に所属し、右解雇の撤回、会社解散反対および退職希望者に対する退職金支払を求めて被告と交渉を続けていたが、昭和四八年一月一七日被告と組合の間で左の内容を骨子とする合意が成立した。
(1) 被告は組合員中退職を希望する一六三名に対して退職金規定等により算出される金額の二〇〇%相当額の退職金を支払う。
(2) 被告は右組合員中退職を希望しない二五〇名は継続して雇用し、経営を続行すること
(3) 被告は残留組合員を優先的に雇用し、同従業員の有する退職金および一切の労働条件協定を引継ぎ会社を再建すること
(二) 右退職組合員一六三名の被告の退職金規定等にもとづき所定退職金の二〇〇%相当額を計算すると合計金三億一七〇〇万円であり、被告は同月二七日頃右金員を退職組合員一六三名に対し次の方法で支払った。
(1) 退職金のうち、一三〇%相当額合計二億〇六〇〇万円は被告が各退職組合員に対し直接銀行送金により支払った。
(2) 退職金のうち、七〇%相当額合計一億一一〇〇万円は休業補償支払額合計一億七三〇〇万円と共に各退職者に支払うため組合に交付し、組合を通じて支払った。
5 組合に対する支払金の名目について
(一) 前項の金員の名目上は右一六三名に対する退職金規定等による退職金の一三〇%相当額二億〇六〇〇万円と紛争解決金三億〇七五〇万円に区分され、右紛争解決金は被告から組合に支払われ、被告は支払方法や配分を右組合に一任して昭和四八年一月二七日頃組合を通じてその支払を実行した。
右紛争解決金の実際は
(1) 一六三名の退職組合員に対する退職金規定等による退職金の上積み七〇%相当額一億一一〇〇万円
(2) 休業補償支払額一億七三〇〇万円
(3) 純解決金二三五〇万円
の三口計三億〇七五〇万円である。
(二) 被告と組合間の紛争の主要な争点の一つは退職を希望する組合員の退職金をどのような基準で算出するかという点であり、右紛争の解決のため、かつ退職希望者に対して支給するために右三口の金員が支払われたのである。組合も右金員を合計して二〇〇%の退職金で合意が成立したとしているのである。
被告は解決金の名目で右追加退職金一億一一〇〇万円を組合に交付し、その解決金の配分を労働組合に一任している。しかし、右追加退職金一億一一〇〇万円を組合員間にどのように配分するかは組合員の内部問題であり、その配分によって現実に退職組合員が受領した金額が七〇%相当額より増減していたとしても(各退職組合員に対する配分は被告が各組合員に直接支払った一三〇%相当額を含めて一六〇%プラス一律四〇万円である。)、退職金支払義務者たる被告は退職組合員に対する二〇〇%相当額の退職金のうち、直接支払った残額分七〇%相当額を組合に交付し組合を通じて支払っているのであって、被告は退職金二〇〇%相当額の支払を実行したものと言うべきである。
6 原告らの退職金支払請求権
原告らは被告に対し前記約定に従がい退職金規定等により算出される金額の二〇〇%相当額から既に原告らが受領した金額の差額、即ち退職金規定等により算出される金額の一〇〇%相当額を退職金残額として請求しうるものであるところ、被告は原告らに対し昭和四八年二月八日右金額の三〇%に相当する金員を退職金として支払ったのみで、残り七〇%に相当する金額については支払をしない。原告らの退職金の七〇%相当額の具体的金額は別紙第一ないし第五請求金額目録の主位的請求額欄記載のとおりである。
7 よって、原告(選定当事者)六名、原告本多和夫および原告佐藤憲次は被告に対し主位的請求の趣旨(一)に記載の各金員および右金員に対する弁済期の後である昭和四八年二月八日から支払ずみまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 予備的請求原因
仮に、被告が退職組合員一六三名に対し所定退職金の一三〇%相当額の外に七〇%相当額を支払った旨の原告らの主張が認められないとしても、原告らが被告と退職金協定を締結し、昭和四八年一月一七日被告と組合との間で協定が成立し、被告が退職組合員に対し所定退職金の一三〇%相当額の外に追加退職金一億一一〇〇万円を組合に交付し、その配分を組合に一任したことは主位的請求原因において述べたとおりである。組合は退職組合員一六三名に対し追加上積みの支払額を三〇%プラス一律四〇万円の計算によって算定し、右金額は退職組合員に支払われた。
原告らは被告との約定により支払を受けるべき退職金の追加額は所定退職金の三〇%相当額に一律四〇万円を加算したものであり、原告らの具体的金額は別紙第一ないし第五請求金額目録の予備的請求額欄記載のとおりである。
よって、原告(選定当事者)六名、原告本多和夫および原告佐藤憲次は被告に対し予備的請求の趣旨記載の各金員および右金員に対する弁済期の後である昭和四八年二月八日から支払ずみまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する答弁
1 主位的請求原因1は認める。同2のうち、被告が同年六月頃には経営不能であるとして会社解散を考えるようになり、原告らを含む全従業員に対し自主的な退職を要請するに至ったことを否認し、その余は認める。同3の(一)のうち、協定条項(3)、(4)が合意されたことを否認し、その余は認める。但し、第一グループと被告との間の協定は昭和四七年七月四日成立した。同(二)のうち、原告ら主張の一七名が昭和四七年七月六日から一五日までの間に退職届を提出して退職したこと、右一七名は覚書による協定書に連署していないが、昭和四八年二月八日頃被告から所定退職金の三〇%相当額を退職金として支払を受けたことを認め、その余は不知、同(三)のうち、職業安定所に出した離職理由が全部会社都合と記載されていることを認め、その余は否認する。同4のうち、被告と組合との間に協定条項(1)が合意されたこと、右約定にもとづき被告が昭和四八年一月二七日頃組合に対し退職組合員に対する所定退職金の七〇%相当額の退職金を支払い、その頃右組合から退職者に分配されたことを否認し、その余は認める。同5の(一)のうち、右一六三名に対する退職金規定等による退職金の一三〇%相当額二億〇六〇〇万円と紛争解決金三億〇七五〇万円に区分され、紛争解決金は被告から組合に支払われ、被告は支払方法や配分を組合に一任したことを認め、その余の事実および同(二)は否認する。同6のうち、被告が原告らに対し昭和四八年二月八日所定退職金の三〇%に相当する金員を退職金として支払ったこと、原告らの退職金の七〇%相当額の具体的金額が原告ら主張のとおりであることを認め、その余は否認する。
予備的請求原因のうち、原告らの所定退職金の三〇%相当額に一律四〇万円を加算した具体的金額が原告ら主張のとおりであることを認め、その余は否認する。
2 被告の主張
(一) 被告の経営不振と人員整理
(1) 被告は機械染色整理を主たる業としているが、もともと右営業は下請加工業であり、当時の生産品種は過当競争のため加工賃も数年ほぼ据置かれ、早晩思い切った合理化を行なって適正人員により生産性をあげることが必要とされていた。
(2) 被告は昭和四七年二月五日希望退職二〇〇名を中心とする合理化計画案を立て、組合に提示して協力を求めたが、組合は直ちにスト権を確立して残業拒否闘争に入り、さらに春闘賃上げをからみ合わせ、八〇日余にわたる長期のストライキを実行すると共に、同年四月二六日無期限の入出荷阻止の強硬手段をとるに至った。このため下請加工業の被告は徹底的な打撃を受けたのであるが、組合の強い争議態勢の前にいかんともするすべがなく、合理化提案未解決のまま大巾賃上げをのんで漸く紛争を解決したのである。
しかし、このような経過は被告の対外的信用を著しく失墜させ、業界、取引先の被告の将来に対する不安をかきたてることになって、各発注者は被告に対し今後の発注保全の保証を強く要請し、労使関係正常化の見通しについても大きな疑問を投げかける始末で、同年五月一二日の旭化成からの突然の加工生地の引上げをはじめとして各発注者は相次いで生地製品を引上げ、また発注を差止めるなどの行動に出た。
(3) 受注の激減は営業収入の減少をも来し、そのため銀行融資も停止された。こうして同年六月末頃には受注減による欠損金の増大、営業継続が不可能となって、同年七月以降の給料も支払不能となるおそれが生じ、倒産も時間の問題と思われる状況になって来たので、被告は再建の道を見出すべく財産を保全し、同年六月三〇日大阪地方裁判所に会社整理の申立をした。この時点において被告は会社解散を考えておらず、営業継続を考えていたのである。
(4) ところで、同年八月二五日に至り被告は株主総会において会社解散を決議するに至った。被告はこれまで再建の道を図るべく昭和四七年五月上旬以来全従業員に再建の協力を要請して来たが、管理職の中から辞意を洩らす者が出はじめたので、再三慰留に努め、一方同年六月一日管理職を主体に大巾な機構変更による再建体制を組むため、各管理職の意見を聴取し、他方組合に対しては同年五月二七日労使懇談会を開催し、再建の急務であることを申入れた。
ところが、人員削減、企業再建のために従来から支援、協力を求めていた三和銀行は同年六月九日被告に対し強力かつ早急な大巾人員の縮少、再建努力の完遂を自力で実現せぬ限り、支援協力はできぬと申入れて来たこともあって、管理職員、従業員の間にも動揺がおこり、最終的には七月に入り管理職の大多数が、続いて中堅幹部、技術者等が大量に退職を申出てきたため、技術の市新としてもはや再建に必須の人的要素を欠くに至ったので、諸般の情勢を検討した結果、やむなく会社解散をもって長い市新の歴史を閉じることにしたわけである。
(二) 原告らの退職および退職金協定について
(1) 同年七月四日会社財産保全のため大阪地方裁判所岸和田支部執行官が工場内の機械、備品、什器に封印を貼付したが、そのため原告らの間でも会社の将来に対する不安が一層高まり、同日管理職の代表者から同年六月二六日付をもって退職する旨の申出があり、一切の慰留も功を奏しなかった。また、その頃各職場においても受注もなく仕事のないまま手もちぶさたの状況にあった従業員たちが多数の管理職が退職した事実を知らされ、将来の雇用継続、あるいは退職金等の支払確保について不安を抱いて動揺がおこり、一部に退職金だけでも確保しようとする動きが出てきた。
このような中で、原告ら退職希望者と被告との間で交渉が持たれ、原告らのうち、第一グループについては昭和四七年七月二日頃、第二グループと第三グループについては同月八日、第四グループについては同月一〇日、台湾出向者については同年九月二日にそれぞれ退職および退職金に関する協定が締結されたものであり、それはいずれも組合と被告との長期にわたる激しい闘争以前のことであった。長期にわたる闘争の結果組合と被告との協定が締結された昭和四八年一月一七日時点とは客観的状勢ないし条件が基本的に異るのである。
まず、原告らと被告との協定についてはいずれも当時の中江一族に対する反発、経営不満が背景になっており、原告らはいずれも被告に見切りをつけて自発的に退職したものであって、その目的は規定通りの退職金確保であった。原告らとの協定が退職金につきいずれも会社都合によると特に明記しているのは、原告らからの要求により自己都合とした場合よりも会社都合にした方が原告らの勤続年数の長短にかかわらず支給率が一〇〇%となって有利となるからである。
他方、「市新争議に関する経過報告」にも総括されているように、被告の昭和四七年八月一日は五〇〇余名にのぼる従業員全員に対する解雇、会社解散の通告に対して、組合はその闘争の基本目標を「工場閉鎖、全員解雇通知に反対し、生産の再建を勝ちとるために闘うこと」に置き、その闘争は全員解雇、会社解散の通告のあった日から昭和四八年一月二一日生産再開に入るまでの一六二日間四〇〇名余の争議団が繊維労連本部と大阪支部、総評地方評議会の市新支援共闘会議に支えられて闘いぬいた長期闘争であった。このような原告らとの協定締結後組合と被告との間に協定が締結されるまでに新しい事態が刻印されているのである。特に、昭和四七年一一月に入って、これまでの中江一族に代って新しいオーナーとして山本慎一が登場した。このことは原告らと被告との協定締結時には全く予想されなかった事態である。被告の前オーナーである中江一族、特に中江純一に対しては組合だけでなく管理職においても根深い不信があり、山本慎一が登場した後の組合との交渉は実質的に山本慎一が行なっているのである。大阪地労委などにおける会社と組合との交渉の経過をみると、昭和四七年一一月一九、二〇日山本慎一および中江純一が最終回答として示した案は退職金として一三〇%および未払賃金のほかに解決金として一・二億円、株の買取り額一・五億円の合計二・七億円を組合に支払うというものであり、同年一二月二五日に提示された大阪地労委の和解案では右二・七億円に五〇〇〇万円の上積みが提示されており、結局昭和四七年一月一七日に被告は組合員の解雇を撤回し、解雇撤回した者のうち退職希望者に対して会社都合による所定退職金の一三〇%相当額の退職金を支払うこと、組合に対して解決金として三億〇七五〇万円を支払い、右解決金の配分については組合に一任し、被告、山本慎一は一切関知しない旨の協定が成立した。
(2) 原告らと被告との間の協定締結の経過は右のとおりであり、右協定の退職金条項は「上積みある場合はその時点において別途上積額を含め計算の上支払うものとする。」との記載の有無の点で一般従業員に対するものと管理職ないし台湾出向者に対するものとの間において若干の相異があるが、これは管理職らが格別な組織もなく交渉力もないところから一般従業員との間で格差を生じてはいけないとの考えから出たものであって、当時退職を希望していなかった残留一般従業員らが将来獲得するであろう条件に合わせることまでも含んだ趣旨ではなかった。何故なら当時は将来退職金規定一〇〇%の支払の確保すら危ぶまれる状況にあったのであり、退職者が続出することによって会社の存続が一層困難になるであろうことは明らかであり、将来の展望としてよりよい条件での退職という事態がありうることは考えられないところであった。
(三) 組合との協定と紛争解決金の性格
(1) 被告、山本慎一および組合は昭和四八年一月一七日三者協議のうえ、協定書を作成し、その協定は被告は従前の組合員および白井、井阪、高雄、山村、焼石、寺本に対する昭和四七年八月一〇日付解雇を全面的に撤回するとともに、生産を再開し、従前の労使間の協定、慣行を引継ぐこと、争議解決を機に退職する者に対しては会社都合による所定退職金の一三〇%を支払うこと、被告および山本慎一は組合に対し紛争解決金として三億〇七五〇万円を支払うこと、その配分処理については組合に一任すること、三者は相互に争議の円満解決を確認し、一切の争議事件を取下げることなどを内容とする。
(2) ところで、原告らは右紛争解決金のうちには、一六三名の退職組合員に対する退職金の上積み七〇%相当額一億一一〇〇万円が含まれており、退職金に関する協定の実質内容は会社都合による所定退職金二〇〇%相当額の支払を定めたものであると主張するが、全く根拠がないものである。
協定の文言から明らかなとおり、退職組合員に対する退職金はあくまでも退職金規定の一三〇%相当額であり、これは各退職組合員に直接支払われたのであるが、紛争解決金についてはすべて組合に対して支払われたものであってその本質的性格を異にしており、被告はその配分処理につき何ら関与する立場にない。
右紛争解決金については金額が多少大きいということが問題になるが、通常争議解決の際に多かれ少なかれしばしば支払われるものであり、大阪地労委の和解斡旋案の中にも相当金額が計上されていた位であり、争議が極めて長期にわたり、また複雑な経過をたどったということを考慮すれば、紛争の収拾に当ってその位の解決金が支払われることは異とするに足りない。
(3) 原告らと被告との間に締結された協定は将来組合と被告との間で退職金につき会社都合による所定退職金の一〇〇%以上の支給が合意された場合、その差額分について被告が既に退職した個々の原告らにその支払義務を認めさせる根拠となりえない。
原告らと被告との間に締結された協定は大きく二つのグループに分れる。一つは第一グループおよび台湾出向者との間に締結された協定であり、他はその他の一般従業員との間の協定である。まず、後者については上積み分支給を定める項目は皆無であり、これらの従業員が被告に対して前記差額分の支払を求める法的根拠は全くない。第二ないし第四グループの者は協定には明示されていないが、事実そのような約束があったと主張するけれども、それほど重要なことが決定されているのであれば、必ず協定書に明示されるはずである。仮に中江純一と第二ないし第四グループの者との間にそのような話があったとしても、それは中江純一のできればそのようにしたいという気持があるといういわば心情的なものに過ぎないものであってそれ以上のものではない。これらの者はたまたま被告が組合との協定後に好意的に差額分三〇%の支給を受けたことを理由に協定にない事実を作りあげたものに過ぎない。
次に、前者についても「一般従業員の支払条件が確定した計算方法を基礎にして、上積みのある場合はその時点において別途上積額を含め計算のうえ支払うものとする。」とか、あるいは「但し、退職金については上積みある場合は加算するものとする。」とあるだけで被告と組合との協定で上積みがあることが明確にあった場合なのかどうか全く不明である。仮に原告らとの協定後組合が分裂して被告との協定が複数になったときはどうするのか、そのうち一番高い額を基準とするというのであれば、余りにも安易な解釈というべきである。前者について百歩譲って原告ら主張の条項が合意されていたとして退職金の具体的決定その他の条件がひとえに被告と組合との協議、決定に委ねられており、被告と組合とで具体的にどのように協定されようともこれに異議をさし挾む余地がないのである。組合と被告との協定によって退職金が一三〇%に決定したことに原告らは全面的に従うしかないのである。
第三証拠(略)
理由
一 主位的請求原因1の事実、同2のうち、被告は業界ではトップクラスの会社であったが、昭和四二年頃から次第に業績が低下して経営不振となり、昭和四七年二月頃から大幅な人員整理に着手したが不調に終ったこと、同年六月三〇日大阪地方裁判所に会社整理の申立をしたこと、同3の(一)のうち、第一グループと被告間の協定の成立年月日および協定条項のうち(3)および(4)が合意されたことを除くその余の事実はいずれも当事者間に争いがない。
二 そこで、原告ら主張の協定において(3)の条項が合意されたか否かについて検討する。
まず、第二ないし第四グループと被告との間に原告ら主張の右(3)の条項が合意されたことを認めるに足りる適切な証拠はない。もっとも(人証略)によれば、右協定の締結に立会った被告の取締役副社長中江純一は原告ら主張の(3)の条項のとおり、原告らを取扱いたいという気持を抱き、そのような趣旨のことを第二ないし第四グループの代表者に述べたことが認められるが、他方、右各グループの代表者はこのことを明確に条項に残してほしいと要求したけれども、右中江純一は右の趣旨を書面に残すことを拒否し、そのため覚書に記載されなかったことが認められるのであって、このことは被告が右各グループの代表者の要求について法律的に拘束されることを拒否したものと言わざるを得ない。中江純一が退職金の支給について第二ないし第四グループの者を他の一般従業員より不利に扱わない意向を有し、そのことを表明していたことは前記のとおりであるが、それは中江純一がそのように扱うよう努力することを個人的に表明したものに過ぎず、これをもって被告と第二ないし第四グループの者との間に口頭で原告ら主張の(3)の条項が合意されたものということはできない。
次に(証拠略)によれば、第一グループと被告との間に取交わされた覚書の2には「退職金については管理職退職金暫定内規基準の金額を最低とする。」旨、同4には「上記2、3項については一般従業員への支払条件が確定した計算方式を基礎にして、上積みある場合はその時点において、別途上積額を含め計算の上支払うものとする。」旨の記載、さらに台湾出向者の被告との間に取交わされた覚書の一には「退職金は会社都合一〇〇%とし、昭和四七年一一月一〇日までに支払うものとする。但し退職金について上積みある場合は加算することとする。」旨の記載がそれぞれ存することが認められる。第一グループが被告と協定を締結した後に第二ないし第四グループの一般従業員が協定を締結して退職金の支払について合意しており、さらに昭和四八年一月一七日組合と被告との間において協定が成立して退職金の支払について合意されたことは当事者間に争いがなく、これらの事実によれば一般従業員は数個のグループに分れて時期を異にして退職しているものであり、右条項の文言ではどの一般従業員について上積みがなされたことを言うのか不明である。また、台湾出向グループと被告との間に取交わされた条項も極めて一般的な定めに過ぎないものである。したがって、原告らが主張するように、右認定の各条項のみから被告は第一グループあるいは台湾出向グループに対し一般従業員のうち退職金支給について最も有利な取決めをした被告と組合間の協定の退職条項により退職金を上積みして支払う旨約束したものと断定することはできない。その他原告らの主張を認めるに足りる適切な証拠はない。
三 仮に、前記認定の条項によって、被告が原告ら主張の義務を原告らに対し負担するに至ったと解しうるとしても、それはあくまで退職金について被告と組合間に協定された協定内容に従うことを合意したものである。被告と組合が退職組合員の退職金を会社都合による所定退職金の一三〇%を支払うこと、さらに被告は紛争解決金として組合に対し三億〇七五〇万円を支払うことにそれぞれ合意したことは当事者間に争いがなく、労働争議の解決に際し使用者が労働組合あるいは個々の組合員に対し賃金、退職金のほかに、労働争議の経過をふまえて紛争解決金を支払うことが数多く行なわれて来たことは周知のことであり、これらの支払が直ちに違法なものと言えない以上、紛争解決金の一部が後に個々の組合員に配分されたか否かを検討するまでもなく、原告らは被告と組合との合意に拘束されるものと言うべきである。
四 以上のとおりであるから、原告(選定当事者)六名、原告本多和夫および原告佐藤憲次の主位的請求および予備的請求はその余の点を判断するまでもなく、失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 安斎隆)