大阪地方裁判所 昭和49年(ワ)2859号 判決 1977年6月24日
原告 乙山春子
右訴訟代理人弁護士 武田隼一
被告 甲野太郎
右訴訟代理人弁護士 竹内知行
主文
被告は原告に対し金八〇万円を支払え。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを二分し、原被告に各その一を負担させる。
この判決の第一項は原告において金二五万円の担保を供するときは仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求める裁判
(原告)
被告は原告に対し金三五〇万円を支払え。
訴訟費用は被告の負担とする。
仮執行の宣言
(被告)
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
第二事実上の主張
(原告の請求原因)
(一) 原告は昭和四〇年一〇月訴外丙川雪子の仲介で見合いをした後婚約をし、その後肉体関係を結び、昭和四一年一〇月一八日より事実上の夫婦として同棲した。被告は当時四九才で△△航空株式会社の整備技師であったが、原告と見合いをするに際して、「自分は昭和九年一二月に訴外花子と結婚し二児の父親であるが、昭和三三年以来すでに七年間妻および子供達と離婚を前提として別居しており、協議離婚の合意はあるが、子供の結婚および就職問題があるため、昭和四二年四月まで届出を延期している。原被告の婚姻届出は右離婚手続後に必ず行なう」旨確約した。
(二) 原告は戦争および家庭の事情で婚期を逸し三八才になっていたが、それまで男性経験は全くなく、株式会社○○銀行に勤務していたが、見合いの時、仲介人は被告とその妻の署名押印ある離婚届および昭和四二年四月には必ず離婚の届出をする旨の念証を交付したので、原告はこれらを信じ、自己の空費した人生を取戻すべく限りない希望を抱いて同棲生活に入った。そしてとりあえず被告の文化住宅で同居し、引き続き○○銀行に勤務していたものである。
(三) 原被告の同棲生活は昭和四二年四月頃まで円満であったが、その頃から原告が婚姻届の提出を促すと、被告は冷淡な態度を示すようになり、「出て行け」とか「帰れ」とか罵倒し、家より閉め出すことが重なった。昭和四二年九月および昭和四三年八月の二回原告は妊娠したが、被告は子供の仕事や結婚に影響があるとして婚姻の届出を拒み、堕胎を要求するので、やむなく原告は二度にわたり中絶手術を受けた。原告は晩婚であるだけに結婚生活に大きな夢を抱いていたし、職場においても被告との同棲が噂されているのにもかかわらず、右のような事態に立ち至ったので、前途に希望を失ない、昭和四三年五月中頃ガス自殺を図ったが、早期に発見され未逐に終った。
(四) そこで原告は、一時別居をし冷却期間を置けば被告の態度も変るだろうと期待し、昭和四四年春頃実家に戻ったところ、被告はその夜から居候という形で原告の実家に泊りこみ、以来昭和四七年七月まで約三年半の間原告の実家で同棲生活を続けた。その間原告はいずれは婚姻届をしてくれるものと信じて強い要求はせず、原被告の住居を求めて二人で不動産業者を訪れたり売家を検分に出かけたりした。
(五) ところが昭和四七年七月中頃被告は何の理由も告げずに原告の実家を出、そのまま帰って来なかった。原告としては、以前二人が住んでいた文化住宅に帰ったものと考え、時折電話をかけてみたが、一向に連絡がなかったところ、昭和四八年一月六日に至り、被告は戸籍上の妻花子を復帰させて二人で共同生活をしていることが判明した。
(六) 原告は失意のどん底におち入り、職場でも態度に異常が認められたためか、上司より質問を受けたので、被告との関係を明かして相談したところ、上司の仲介で昭和四八年二月下旬被告と話し合う機会を持ち、双方の真意を確認し合った。その席上被告は原告と結婚する意思が全くないと言い、婚姻予約の破棄を表明した。原告は、オールドミスが男に弄ばれたとして職場で評判されるだろうとの苦慮ならびに人生に対する希望を失ったことの苦悩から仕事が手につかず、遂に昭和四八年三月三一日二一年間勤務した○○銀行を退職した。
(七) 以上のごとく、被告は一方的に原告との婚約を破棄したものであり、これにより原告は言語に絶する精神的苦痛を受けたが、これが慰藉料は金三五〇万円が相当である。
よって原告は被告に対し、慰藉料金三五〇万円の支払いを求める。
(被告の答弁および抗弁)
(一) 原告請求原因(一)の事実は認める。
(二) 同(二)の事実のうち原告にそれまで男性経験が全くなかったとの点は否認する。原告自身が被告に述べたところによってもすでに幾人かの男性経験は存した。原被告が被告の文化住宅で同棲生活に入り、原告が引き続き○○銀行に勤務したことは認める。その余は不知。
(三) 同(三)の事実のうち、原被告間に口論があったことは認めるが、口論の理由は原告主張の如きものではない。原告の妊娠および中絶の事実は認める。ガス自殺は狂言であり、被告脅迫の一手段であった。
(四) 同(四)の事実のうち、結果として被告が婚姻届をしなかったこと、二人で住居とすべき家を探したことは認めるが、その余は否認する。原告の実家で二人が同棲したことはあるが、その日時、期間等は原告主張の如きものではない。
(五) 同(五)の事実のうち、被告が昭和四七年七月より原告と全く共同生活をしていないこと、昭和四八年一月頃より妻花子と同居生活していることは認めるが、その余は否認する。
(六) 同(六)の事実のうち、原告主張の頃原被告が話合いをし被告がその主張のような婚姻予約解消の意思表示をしたこと原告がその後○○銀行を退職したことは認めるが、その余は不知。
(七) 同(七)の事実および主張は争う。
(八) 原被告の婚姻予約解消の経過は次のとおりであり、破綻は被告の責に帰すべき事由に基づくものではないから、被告に慰藉料支払いの義務はない。
(1) 原被告は、(イ)結婚は被告が妻と正式に離婚した後とする、(ロ)被告の長男を引き取り養育する。(ハ)原告の母と同居する、(ニ)原被告共仕事を続け双方が給料を出し合って生活する、(ホ)被告の収入中より月金二万円を被告の長男に送金する、との条件で婚約した。
(2) しかるところ、原告は見合いより一週間も経たぬ間に被告のアパートに押しかけるようになり、注意した仲人にも文句を云い、原告の母の制止もきかず被告のアパートに泊りこみ、肉体関係ができて同棲するに至ったものである。
(3) その後被告は次のとおり同居と別居をくり返した。
(イ) 昭和四〇年一一月から四三年八月 被告宅で同居
(ロ) 四三年八月より四四年二月 別居
(ハ) 四四年二月より四五年七月 原告宅で同居
(ニ) 四五年七月より四六年一月 別居
(ホ) 四六年一月より同年八月 原告宅で同居
(ヘ) 四六年八月より四七年一月 別居
(ト) 四七年一月より同年七月 原告宅で同居
(チ) 四七年七月より 別居
(4) 昭和四二年三月頃被告の子供二名が津市から被告を訪ねて来たので、被告らは久しぶりで親子としての懇談を続けていたところ、原告は内緒話をしたとして大声で怒鳴りたて、泊る予定であった子供らを夜遅く放り出すようにして帰らせた。その際被告は子供達に帰りの電車賃を渡すよう原告に頼んだのに、後で聞くと原告は一銭の金も渡しておらず、子供達は近鉄中川駅(三重県)までの電車賃しか持ち合せがなかったため、その駅から歩いて帰り、家へ着いた時は翌日の午前一時を過ぎていたという。そもそも長男との同居は原告も前から諒解していたことであったので、被告は原告の右の態度に反省を求めたのであるが、原告は子供との同居はごめんだと言い出した。子供らも原告とは母として一緒に生活できないと云い、被告として進退極まったのである。
(5) 前記のように、原告は昭和四三年八月被告宅より原告の実家へ帰ったが、これは同じアパートの住人に対し、子供のピアノがやかましいと怒鳴ったり、夜の営みがよく聞えると云って文句をつけたりするので、人々に相手にされなくなり、住んでおられぬ状態となったためであった。その際原告は被告に対し、原告の母と同居するよう求めて帰って行った。
(6) 昭和四五年八月一五日頃原被告は別居していたが、当時被告の姉妹が万国博を見物に来て被告宅で宿泊していたところ、原告は理由は今だに不明であるが深夜に怒鳴りこんで来、姉妹が静かにしてくれるよう求めてもきき入れず、約一時間怒鳴り続けたので、近所より苦情が出た。そこで翌日の夜被告が原告方を訪れたところ、「家宅侵入だ」と怒鳴り出し、一一〇番に電話してパトカーを呼んだため、近所の人が集まった。パトカーが帰った後も依然として怒鳴りまくっていた。
(7) 昭和四七年七月当時二人は原告の実家で同居していたが、被告が会社の仕事(統計的な仕事)を家に持ち帰ったところ、原告は仕事を家に持って帰るのは能力がないからだ、会社のことはしても家庭のことはしないのかと云ってわめきちらした。このため被告はアパートであれば自由に仕事ができると考え、被告方に帰ったものである。
(8) 原告の語ったところによると、原告は一八才の時僧侶である父親の許へ見習として出入りしていた男性に自ら進んで処女を捧げたとのことである。また、職場の友人の夫とその結婚前のみならず結婚後もひそかに関係を続けたとのことである。右男性の写真と名刺はつねに被告のハンドバッグの中に入っていたので、被告との同居後も原告はその男性と交際を続けていたのではないかと想像される。被告はかなりの年令であるので、性生活に関して原告を十分に満足させ得なかったところ、原告はその都度頼りない人だと罵ったり怒鳴ったりした。
(9) 原告は金銭に対する執着が非常に強かった。原被告の見合いを仲介した人に対し、以前からあったカビの生える程古いお菓子を持参した。また前述のように、原被告は双方から給料を出し合って生活する約束であったのに、昭和四二年八月より四四年八月まで(別居期間中を除く)の間全く自己の給料を家計に出そうとせず、被告の子供を引きとることに反対しながら養育費月二万円の送金を拒んだ。また、生活費を極度にきりつめ原被告共有の預金、株式等を所持しながらその内容を被告に明さなかった。
(10) 被告としては、妻と正式離婚後は原告と婚姻する意思をもって、忍耐を重ねつつ何とか円満におさまるよう努力してきたが、原告の性格は右のとおりであり、また原告は事ある毎に他の者との結婚をほのめかすようになってきた。被告は昭和四八年六月二〇日をもって満五八才となり定年退職をしなければならないので、収入が少なくなった場合原告よりどのような仕打ちを受けるか分らないと考え、子供の意見も参考にした上、昭和四七年一二月に至り原告と婚姻しない意思を固めたものである。
(九) 仮りに被告に慰藉料支払の義務あるものとすれば、被告は次のとおり原告に対して金三、四七九、三〇八円の反対債権を有しているので、本訴において対等額において相殺する。
(1) 昭和四〇年一二月より四二年七月まで原被告は約束どおり双方から収入を出し合って生活したが、その間に金一、二一八、五八六円の預金ができ、これを原告が所持しているが、これは二人の共有財産である。
(2) 昭和四二年八月より四四年九月までは原告は約定に反して給料収入を提供せず、一方的に自分の収入を預金したが、その額は金一、四六八、〇〇〇円である。この期間中被告の給料収入より預金した額は四八四、〇九一円である。合計すると一、九五二、〇九一円となるが、これも二人の共有財産である。
(3) 昭和四四年七月一九日原告は被告のボーナスから金二〇〇、〇〇〇円を預金した。昭和四三年一二月には被告のボーナスで三菱電機株式一、〇〇〇株ならびに小野田セメント株式二、〇〇〇株を購入した。昭和五〇年六月二七日現在三菱電機は一株一一二円、小野田セメントは金一二六円であるから、右時期における時価は三菱電機一一二、〇〇〇円、小野田セメント二五二、〇〇〇円である。以上を合計すると金五六四、〇〇〇円となるが、これも二人の共有財産である。
(4) 右各預金に対する昭和五〇年三月末日までの利息は金九七四、八八六円である。
(5) 以上(1)ないし(4)を合計すれば、金四、七〇九、五六三円となり、これを原告が所持しているが、この中には約束に従い養育料として当然被告の長男に送金すべきであった金八〇〇、〇〇〇円(昭和四〇年一二月より四四年九月まで四〇箇月分)が含まれている(これは被告が優先的に支払いを受けるべき分である)ので、これを差し引くと金三、九〇九、五六三円となり、これがここで分割の対象となるべき財産である。その分配割合は、原被告の昭和四〇年一二月から四四年九月までの収入たる二、三七四、八四一円(原告)対三、六九二、五〇九円(被告)によって按分されるべきであり、按分比例によると、被告が取得すべき分は金二、三七九、三〇八円である。
(6) 前記の長男の養育料金八〇〇、〇〇〇円は無条件に支払いを受くべき金員である。
(7) ほかに被告は以前から金三〇万円の定期預金を有し、これを原告に預けていたので、これの返還を受けなければならない。
(8) よって原告は被告に対し、(5)の二、三七九、三〇八円、(6)の八〇〇、〇〇〇円、(7)の三〇〇、〇〇〇円の合計三、四七九、三〇八円の支払いを求める権利がある。
(被告の抗弁に対する原告の答弁)
(一) 見合いの際被告の長男を引き取るとか、養育費として月金二万円を送金するとか、原告の母親と同居するとかの約束をしたことはない。
原告が一週間も経たぬ間に被告方へ押しかけ肉体関係を求めたような事実はない。ただ被告のアパートが原告方の近隣であったため、見合い後はアパートに立寄り片づけごとその他の家事手伝いをしたのにすぎない。そして見合いから一箇月位後に被告の要求により肉体関係に応じ、その後嫁入道具の持込み等を行ない、通常の結婚の形式を整えてから、同棲を始めたものである。
被告との同棲の間、通常見られる程度の夫婦間の対立、隣人との対立のあったことは認めるが、それ以上のものはなかった。もし被告主張のようであれば、原告が実家に帰った後は被告として原告方に出入りしたり二人の家探しをしたりする必要は全くなかった筈である。
(二) 原被告は、被告の収入が低額であったことと結婚後住宅を購入する目的があったことのため、同棲後も共稼ぎを行ない、月額金五万円を蓄えて金一〇〇万円の預金をすることができたが、ほかに共有財産はない。その他被告主張の債権の存在は否認する。
かりに何らかの債権が存在するとしても、原告は本件訴訟で婚姻予約の不当破棄を理由として慰藉料の支払を求めているのであり、かかる慰藉料債権に対し反対債権をもって相殺することは法律上許されないものと解するから、被告の抗弁は失当である。
第三証拠の提出援用認否《省略》
理由
一 原告請求原因(一)の事実は当事者間に争いがなく、《証拠省略》によると、被告は昭和九年頃訴外花子と婚姻し、その間に長女咲子長男一郎をもうけたが、花子とは昭和三三年八月頃から別居をしていたこと、被告花子は協議離婚をすることに異議がなかったが、離婚が子供達の結婚や就職の障害になるとして子供達が結婚や就職をすませた後にその届出をすることに合意していたこと、妻花子は昭和四〇年九月七日付で「私は貴方との協議離婚届は昭和四二年四月には必ず致します。これは咲子の結婚と一郎の就職問題もありますのでそれ迄待ってもらいたいのです。右期日が到来したら必ず協議離婚届に署名捺印致します。後日の為本念証を差入れます」と書きその母親らと共に署名捺印した念証を作成し、別に協議離婚届に署名捺印してこれらを被告に交付していたこと、被告は見合いの後右の離婚届を原告に呈示したことが認められる(《証拠判断省略》)ので、当時被告に法律上の妻があったとはいえ、原被告の本件婚姻予約は公序良俗に違反せず、予約の破棄が正当な事由に基くものでないときは、双方はこれによって生じた損害の賠償を求めることができるというべきである。
二 原告請求原因(二)ないし(六)の事実のうち、原被告が同棲した後も原告が○○銀行に勤務したこと、同棲期間中原告が二回妊娠し中絶したこと、原被告が当時二人の住居とすべき家を探したこと、昭和四七年七月以降は原被告が共同生活をしていないこと、昭和四八年一月頃より被告が妻花子と共同生活を始めたこと、昭和四八年二月下旬原被告が出合い被告が婚姻予約の破棄を申し出たこと、その後原告が○○銀行を退職したこと、以上の事実は当事者間争いがなく、これらの事実に《証拠省略》を綜合すると、次のとおり認めることができる。
(1) 原被告は昭和四〇年一〇月頃丙川雪子こと丙川フユの仲介で見合いをしたが、見合い後一〇日位した頃から原告は豊中市○町×丁目の被告のアパートを訪れるようになり、その頃二人の間に肉体関係ができ、見合い後一箇月位した頃から仲人の了解を得ることなく被告のアパートで二人の同棲生活が始まった。昭和四一年一〇月頃になり原告は新婚用の家具を買って右アパートへ運び入れたが、結納の授受とか挙式とかは結局せずに終った。同棲を始めた頃被告は、長女咲子は妻が面倒をみるが長男一郎はゆくゆくは自分が引きとりたい旨を告げ、原告もこれを諒解し、被告は大体において月二万円位を長男に仕送りしていた。
(2) 昭和四二年一月頃被告の二人の子が遊びに来たが、原告は親子だけで話をするとして感情を害し、また子らに対し「もう勤めている人もあるのだから、親にせびることばかりせずに靴下の一足も持ってきてあげたらどうか」等と言ったため、口喧嘩になり、子らは泊るつもりで来たのに夜八時頃になって津市の母親の許に帰ったが、途中交通費が不足して中川駅から家まで歩いて帰るようなことになったため、以来被告の子らは原告に好感を持たないようになった。同年四月頃から原告は被告に屡々入籍してくれるよう求めたが、被告はまだ子供がまだ一人前になっていないとか子供が反対するとか言って婚姻の届出を拒んだ。原告は昭和四二年九月頃および昭和四三年八月頃の二回妊娠したが、入籍がすんでいないことおよび子供を生むと共稼ぎが出来なくなるとの理由から被告の同意の下に中絶をした。原告はかなり気の強い性格で、感情の起伏が激しく、被告と屡々喧嘩をし、昭和四三年五月頃被告と金銭問題等で口論の末、自殺をすると称してガスコンロのガスを開放し、被告にとどめられたことがあった。長男一郎は昭和四三年四月就職したが、被告は子供達が反対すると云い、何時までも婚姻届を出そうとしなかった。もっとも昭和四三年から四四年頃二人の住居とする家を探そうと云い、数回にわたり不動産業者を訪れたり売家などを検分に出かけたことがあった。
(3) 昭和四三年七月頃原告はアパートの隣人と仲違いをし、被告とも口争いをした上、被告のアパートから歩いて五分位のところにある原告の実家へ帰り、原告の母と二人で生活を始め、被告は従前どおりアパートで住んだが、双方共関係を打ち切るまでの考えはなかった。昭和四四年二月頃原告方で犬が死に、その埋葬を被告に頼み、被告がそれに応じたことから仲直りができ、以来被告は原告方で寝泊りして会社に通うようになったが、被告のアパートも引き続き賃借したままであった。ところで原告は昭和四二年八月から生活費を自分の給料から支出せず、給料を自分の名義で預金していたところ、昭和四五年七月頃被告がこれを発見したことから対立がおき、その頃から被告は又もアパートで独りで生活するようになった。当時万国博が開かれていて、被告は自分の親戚をアパートに宿泊させたが、その際原告は被告が自分を妻として扱わなかったとして、親戚の者の前で大いに腹を立てたことがあった。その後暫らく別居状態が続いたが、昭和四六年一月頃千里川の水が氾濫して原告方が浸水したことがあり、原告が救助に行ったことから、又もや被告は原告方で生活するようになった。その後も別居と同居が繰りかえされ、昭和四六年八月頃原告方でクーラーを取りつけた際、被告の頼んだ工事人のつけたクーラーの品物が悪いと原告が文句を言ったことから被告はアパートへ帰り、その対立も何とか収まって昭和四七年一月被告は原告方に戻ってきたが、同年の七月頃被告が会社の仕事を家へ持って帰った際、原告が能力がないからそのようなことをせねばならないのだと言ったことから又々被告は自分のアパートへ帰り、これ以降原被告は共同生活したことはなかった。
(4) 被告はアパートで生活しているうち、子供達が母親と一緒になることを希望したので、妻花子とのよりを戻すことにし、原告に知らせることなく、昭和四七年一二月頃より妻を呼びよせてアパートに居住させた。昭和四八年一月頃原告がアパートに電話をし、被告の妻が電話に出たことから、原告はこのことを知った。原告は被告との同棲を勤務先の誰にも明かしていなかったが、この時上司の検査部長にはじめて事情を打ちあけ、上司立会いのもとに昭和四八年二月下旬被告と話合いの機会をもった。この時被告は原告との関係を打ち切る意思を正式に表明し、原告との婚姻予約を解除した。原告は仕事を続ける意慾を失ない、同年三月永年勤めた○○銀行を退職した。
以上のとおり認めることができ(る。)《証拠判断省略》
三 右認定の事実によれば、原被告の同棲生活は決して平坦なものではなく、同居と別居が繰りかえされたことが明らかであり、原告にも至らぬ点が多々あったことが窺われるのであるが、さりとて不和の日ばかりであったとも思われないし、被告の子らの反対が原告との婚姻予約の履行を妨げる決定的事由になるものでもないであろう。むしろ被告は婚姻予約の履行を正当な理由なく遷延しているうち、一旦別れることを約した筈の妻とのよりが戻り、それが主たる動機となって原告との予約を破棄したものと認められるから、やはり婚姻予約不履行の責任を免れず、これによって原告が蒙った精神的損害を賠償する義務があるというべきである。而してその慰藉料の額は、前認定の事実関係その他本件にあらわれた一切の事情を斟酌すれば、金八〇万円が相当であると認められる。
四 次に被告は、慰藉料債権が認められた場合反対債権をもって相殺する旨主張する。思うに、離婚に伴なう慰藉料請求権や内縁の不当破棄による慰藉料請求権が不法行為より生じた債権であることは一般に承認されているところであって、これに対し相殺が許されないことは民法第五〇九条の規定上明らかであるが、婚姻予約不履行に基づく慰藉料請求権も、形式的には債務不履行により生じた債権の構成をとるとはいえ、実質的には右諸権利とほとんど差異のない権利であるから、民法第五〇九条の類推適用があり、この請求権に対し反対債権による相殺をもって対抗することは許されないものと解するのが相当である。すると、被告の抗弁は反対債権の存否その他について立ち入るまでもなく排斥を免れない。
五 よって、原告の本訴請求を金八〇万円の限度で認容し、その余を棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条第九二条本文、仮執行宣言について同法第一九六条を適用の上、主文のとおり判決する。
(裁判官 今中道信)