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大阪地方裁判所 昭和50年(ワ)4849号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

【説明】

参考判例として大阪高判昭53.8.8本誌三七一号九四頁参照。

【判旨】

1 原告MとTは、昭和三二年八月三〇日婚姻の届出をした夫婦であり、その間に長女原告S(昭和三四年五月一〇日生)、長男原告K(昭和三九年六月二〇日生)、二女原告D(昭和四〇年一〇月一二日生)が出生した。

2 Tは、実家の家族で経営する運送業の運転手として働いていたが、婚姻前から女性付き合いが多く、昭和三四年頃Eと知り合い、昭和三六年頃から同女と情交関係を結び、仕事を口実に大阪市○○○区の同女方や実家に泊り、あまり帰宅しなかつたので原告Mに気付かれ、同年一〇月一三日頃、原告Mから、この関係を絶つことを求められ、同原告に対し右情交関係を絶つこと、もし再びこの関係を結ぶようになつたときはT名義の当時原告ら家族の居住していた家屋、敷地(大阪市○○区〇〇一丁目四四五番の五一、宅地36.09平方メートル、同地上の木造瓦葺二階建居宅一棟一階21.35平方メートル、二階14.84平方メートル)の所有権を移転し、かつ、離婚手続をされてもやむをえないという内容の文書(甲第二号証)を書いた。

しかし、Tは、その後も右Eとの関係を続け、同女との間で昭和三九年六月二七日一子をもうけ、その頃妊娠中の同女が原告Mのもとへ現われ、つかみ合いの喧嘩をするようなこともあり、同原告とTとの間に離婚話が出されたものの具体化しなかつた。そのうちに、右Eはバーテンをしていた男性と親しくなり、EからTとの関係をやめたいと言い出し、両者で争うことが多くなつて、昭和四二年一月頃Eは右男性と結婚をする決意をして郷里の○○県に帰つたため、同女とTの関係も終わつた。そこで、Tは、時折実家に泊つたが、原告らのもとに帰ることが多くなり、帰宅したときには子供らと遊び、特に長女を可愛がつていた。

3 被告は、Eの居住するアパートに勤務先の美容院があり、昭和四一年頃客として来た同女と知り合い、親しく付き合い、Tとも顔見知りになつた。被告は、Tに原告ら妻子のあることを知つていたが、昭和四二年五月TからEとの復縁話の仲介を頼まれ、これを断ることなく、TがEのもとに行くというので、○○県のE宅までついて行つてやつたり、その後Tと飲食を共にしたこともあつて、これをきつかけにTと親しくなつた。

Tは、Eとの関係が終わり、一応原告Mとやり直そうと思つたものの、勤務先である実家に泊り込むこともあつて、同原告と和合することもなく、被告と親しくなるにつれて外泊がちになつた。そして原告Mも同年八月頃Tが新しい女性と付き合つていることを知り、被告の名前も知つたが、Tに関係をやめるように求めることをしなかつた。

4 Tは、Eと別れたが原告Mともしつくりせず、却つて被告と親密の度を深めるに従つて、被告に、出なおすために結婚してほしい、等と言うようになつた。しかし、被告は、Tには原告ら妻子があり、Eら女性関係が多かつたので、Tの言うことを信用していなかつたし、被告の家族もあまりTに好意をもつていなかつたので、結婚の申込を断つていた。

Tは、昭和四一年一一月に父の死後兄とともに盛り立ててきた運送業の収益の清算金として二〇〇万円を兄から受取り、いずれは生活費に充てるものとして原告Mがこれを管理し原告ら及びTの名義で預金していたが、被告は、Tから右金員とT名義の前記土地建物を原告Mに渡し、同原告と離婚することになつたから結婚してほしいと言われた。昭和四二年一〇月中頃被告は、Tの母Uに会い、同女からT夫婦の関係は壊れてしまつており、Tが家を出ることはやむをえない、子供達が一八才になるまで養育料としてTの給料から四割を差引いて原告らに渡すことにする、等と聞かされた。被告は、原告Mにこれらを確めることはしなかつたが、将来Tと結婚できるものと信じ、Tと同居してもよい、という気持になつた。その際被告はUから店を開く費用として一〇万円を受取つた。

5 Tは、原告Mから離婚の承諾を得なかつたものの、財産を渡せば離婚はできると思い、離婚の届出をすることなく、同年一一月二六日身の回りの物だけを持つて、その頃被告が独立して美容院を開店し、肩書住居に移転するのと同時に、被告方に来て同居を始め、原告らも、同日、Tと被告が同棲を始めたことを知つた。Tは、その際、原告Mが管理していたTの実印、登記済証書をそのまま預けて、前記の二〇〇万円の預金及びT名義の土地建物の所有権を原告らに移転することとした。

6 原告Mは、Tの家出により、その後の住居と生活に対する不安から、右土地・建物を確実に原告らの所有として確保しておこうと考え、かつ、Tに実印を返せば勝手に処分されるかもしれないと危惧し、また、前記文書(甲第二号証)があることから離婚の意思はなかつたものの、右土地建物の登記名義を直ちに原告らに移転しようと考えたが、税金が払えないため先にのばし、昭和四三年七月三一日になつて贈与を原因として原告ら四名の共有名義に移転登記手続を済ませて、実印をTに返した。右土地は昭和四三年度における固定資産税法上三六万三六〇〇円と評価され、建物は一六万円と評価された。また、前記二〇〇万円の預金は、Tが家を出た後、うち約一〇〇万円を家屋の修理に、約三〇万円を電話架設費用に、残りは生活費に使つてしまつた。

原告Mは、Tが家を出て以来毎月Tの母Uを介してTの給料の四割(昭和四八年頃から約九万円)を受取るようになつたが、それだけでは原告ら四名がとうてい満足な生活ができないため、一年ぐらい内職をした後、原告K、同Dを保育所に預けて、初めはスーパーマーケツトへの宣伝販売員として働き、その後中学校の購買部で働いたが、子供達を十分に監護教育することができなかつた。

7 Tは、被告との同居を始めた直後は原告Mに離婚の届出を求めたが話合がつかず、被告も以前に同棲していた妻ある男性との財産上の紛争があつたことから強いてTとの結婚の届出を求めず、その後Tは、同原告と偶然に会つた時に子供達の話をする程度で離婚の届出にはふれることなく過していた。昭和四八年三月、Tは、被告から離婚の届出のできていないことを責められて同原告と話合つたところ、原告Sを引取つてほしいと言われ、また、同年四月原告SからTを相手方として、大阪家庭裁判所に婚姻費用分担等の調停を申立てられ、調停で離婚の話が出された際、同原告が原告Sを引取つてくれれば別れても良いと言つたので、原告Sを引取り同居を始めた。しかし、原告SがTや被告に秘して新聞配達のアルバイトをして学校へ行かなかつたのでTが叱責したことも一つの原因で、思春期の原告SとT及び被告との関係がうまくいかず、同年六月同原告は原告Mのもとへ帰つてしまつた。被告は、Tを夫と呼ぶことについて、原告Sらにすまないと思つていた。原告Mは、原告Sが冷たく扱われ追い返されたと考え、Tや被告に不信感を抱き、離婚の話は進まず、同年一一月調停は不成立に終わつた。Tは、原告Sが高等学校に入学した際、入学金として一五万円を同原告に交付した。

以上の事実が認められ、<証拠判断略>他に右認定を覆すに足る証拠はない。

二ところで、夫婦及びその未成年の子によつて家族共同体としての家庭が構成されている場合においては、夫婦は互いに貞操を守り、同居し、協力し、扶助する義務を負い、また、親権者は未成年の子を扶養し、監護及び教育をする義務を負い、各家族は、他の家族と共に平穏で幸福な家庭生活を営む人格利益を有するものである。夫婦の一方(親権者)が、右義務に違反し、また、第三者がこれに加担して、それまで形成されて来た家族共同生活から離脱し、家庭を破壊して右権利ないし利益を侵害したときは不法行為が成立し、その者及びこれに加担した第三者は、夫婦の他方及び未成年の子に対し損害賠償義務を負うと解するを相当とする。

したがつて、親権者は、未成年の子に対し、単に生活費を送る等して扶養義務を尽せばそれで親権者としての義務を十分に履行したというものではなく、子が親権者から監護及び教育を受け平穏で幸福な家庭生活を営むべき権利ないし利益は、単に夫婦関係から生ずる反射的、附随的な利益というものではない。

また、不法行為は、故意又は過失によつて他人の権利ないし利益を侵害した場合に成立するものであつて、特別の規定のある場合に軽過失を除外するのであるから、害意又は苦痛ないし損害を加える意図のもとになした場合等に限つてその成立を認むべきものであると解することもできない。

前記認定事実によるとき、Tは、原告Mの夫であり、未成年の子であるその余の原告らの親権者でありながら、昭和四二年一一月二六目頃から一定額の生活費等の送付をしたのみで原告らとの家庭生活を顧みることなく原告らを遺棄して被告と同棲を始めたものであり、被告はTに原告ら妻子のあることを知りながらTを受入れ同棲を始めたものであるからTの行為に加担したものである。

したがつて、被告は、Tと共同して、原告Mの守操請求権、その余の原告らの監護、教育を受ける権利を侵害し、かつ、原告らの平穏で幸福な家庭生活を営む人格利益を侵害したものとして原告らに不法行為の責任を負うというべきである。

第三抗弁について

一 被告は、Tと同棲生活を始めた頃、原告MとTとの夫婦関係及び原告らとTとの家庭生活は破綻し、かつ、原告MとTとの間には事実上離婚の合意があつたと主張する。

たしかに、Tは、Eとの間に昭和三六年頃から情交関係を結び、その関係は昭和四一年初め頃まで継続し、その間に一子をもうけるに至り、また、女性関係には極めてルーズで家庭が破綻にひんしていたことは前記認定のとおりである。

しかし、Tは、原告Mとの間で三人の子をもうけ、昭和四一年初め頃Eとの関係が終つてからは、原告Mとの夫婦生活をやり直そうと思つて原告らの家庭に帰ることも多くなり、子供らを可愛がつていたものであつて、原告Mにはこれという責められる点はなく、また、離婚の意思もなかつたのであるから、Tさえ真剣にその気になれば夫婦関係及び家庭生活が正常な状態に戻ることも不可能ではなかつたと認められる。

また、T所有の不動産の所有権が原告らに移転されてはいるが、それは原告らがTの家出後の住居と生活に対する不安から、これを確保し、Tに勝手に処分されることのないようにしたものであり、二〇〇万円の預金は、もともと原告Mが保管し、いずれは生活費に充てられることが予定されていたものである。

もつとも、原告Mは、Tが被告と同棲後長い間被告を非難することなく、Tに原告らのもとに帰るように積極的に求めることもしていないが、同原告は、Tから土地、建物の所有権を取得しえ住居を確保し、生活費の支払を受け、一応の経済的保障を得ていたことや、Tの女性関係に嫌気がさしていたことから、別居生活もやむなしと半ばあきらめていたものであつて、離婚意思を固めていたものではない。

よつて、被告主張のように、夫婦関係及び家庭生活が破綻していたとは言えないし、また、事実上離婚の合意があつたと言うことはできず、原告らに保護されるべき利益がないと言うことはできないから、右抗弁は理由がない。

したがつて、右被告主張事実の存在を前提とする原告らの請求は信義に反するとの抗弁も理由がない。

二次に、被告は、その行為に違法性がないと主張する。被告が主張するように、被告がT及びその母から、Tと原告らの家庭の事情を聞かされ、Tと原告Mとの関係が破綻し、あるいは、両名が離婚するものと信ずるに至つたとしても、それにはある程度無理からぬところがあり、同棲するについては、Tの方が被告よりも積極的であつたことは前記認定のとおりである。

しかし、夫婦は、不注意な言葉が相手を傷つけ夫婦関係に波風を立てることもある反面、小さな思いやりがそれまでの不和を解消し愛情を深めることもあるのである。Tは原告ら妻子がありながら女性関係にだらしなく、Eと情交関係を結んでいたがEとの関係が終つた段階で家庭に帰り原告Mとやり直そうと考えていたのであつて、Tの態度によつては夫婦及び家庭が正常に戻つたかも知れないのである。何人も、妻子あり、家庭のある者との交際には限度があり、これを考慮して交際しなければならないのであり、Tが女性関係にだらしがないことは被告自身よく知つていたのであるから、被告においてもこのことに思いを致すべきであつたのに、軽率にも、Tに乞われると、これを断ることをせず、遠く、他の男性と郷里に帰つたEとの復縁話をつけるためTについてEのもとに行つたり、その後は、Tと飲食を共にする等の行動に出たため、Tの気持を被告に向かわせ、交際を深めるに至つたものである。しかも、Tから同棲を求められ、被告の家族の反対にもかかわらず、原告Mの離婚意思の確認及びTと原告らとの家庭関係について十分な調べをすべきにも拘わらずこれをせず、同棲しTと原告らの家庭の破壊を確定的なものとしてしまつたのである。そして、このことについては、被告自身原告らに後めたさを感じていたものである。

したがつて、被告の行為に違法性がないとは言えない。

(下郡山信夫 辻忠雄 犬飼眞二)

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