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大阪地方裁判所 昭和50年(ワ)4860号 判決 1977年5月13日

原告

中尾益太郎

右訴訟代理人

伊藤公

被告

株式会社大丸

右代表者

伊藤暹

右訴訟代理人

谷口義弘

外一名

主文

一、被告は原告から別紙目録一記載の物件の引渡をうけるのと引換えに、原告に対し同目録二記載の物件を引渡せ。

二、原告のその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用は三分し、その一を原告の負担、その余を被告の負担とする。

事実

一、請求の趣旨

被告は原告に対し、重量7.6グラム、サイズ14.77×12.19×9.58ミリメートル、品質一級品のアレキサンドライト白金台指輪一個を引渡せ。

仮執行の宣言。

二、請求の趣旨に対する答弁

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

被告敗訴の場合は、仮執行免脱の宣言。

三、請求原因

(一)  昭和四〇年一二月一三日、原告は、被告から別紙目録一記載のとおりの形状、総重量、サイズ、色相を有する品質一級品の宝石の白金台指輪一個(以下本件宝石という)をアレキサンドライトの指輪として代金一一二万円で買受け、その際被告は原告に対し、本件宝石の右品質につき被告作成の保証書を交付して保証した。

(二)  しかるところ、昭和四八年月七に至り、被告は原告に対し、本件宝石の品質は、アレキサンドライトではなく、クリソベリルであることを告知した。

すなわち、本件宝石は訴外全国宝石学協会に依嘱して鑑定させた結果、形状、ツクスト・カツト、総重量7.61グラム、サイズ14.77×12.19×9.58ミリメートル、色相緑色透明石の天然グリーン・クリソベリルであることが判明した。

(三)  前記保証の趣旨に鑑み、同年九月一八日、被告は、原告に対し、その所持する本件宝石を実物大で出来る限り良質のアレキサンドライト指輪と取替える旨を約し交換契約が成立したから、原、被告間には、履行時に目的物を特定するに必要にして充分な条件である一定の種類(アレキサンドライト指輪)、一定量(本件宝石と同サイズ)、一定品質(一級品)の宝石を給付すべき種類債権が発生した。

(四)  よつて被告に対し、前記交換契約の履行を求めるため本訴におよぶ。

四、請求原因に対する認否および被告の主張

(一)  請求原因(一)、(二)の事実は認める。

(二)  同(三)の事実中、交換契約が成立したとの点は否認し、その余は争う。

(三)  本件粉争の経過は、次のとおりである。

(1)  原告主張の頃、被告は、本件宝石を代金一一二万円で訪問販売したが、当時は、全国宝石学協会等宝石を科学的に鑑別する機関の設立、普及がなく、宝石の名称、区分等も不十分であり、経験と勘による鑑定や従前よりの慣行上の名称使用により宝石の販売が行われていて、これが、宝石業界の実情であつた。本件で問題となつているアレキサンドライトとクリソベリルは、もともと同種の宝石で、その化学成分はベリリウムとアルミニウムの二成分酸化物であり、その色彩には、黄色から緑色を含んだ褐色のものまでの分布があるが、それは、鉄分や酸化クロムの微量含有に起因するもので、現在では、この宝石類に属するもののうち、昼間の自然光下で通常暗緑色、人工光(螢光灯を除く)で赤色に変わる性質、すなわち光線による変色性をもつもののみをアレキサンドライトと呼称し、それ以外のものをクリソベリルと呼び、区分して取引するに至つているが、昭和四〇年当時は、東南アジアより輸入されたクリソベリルは、全部アレキサンドライトの名称で輸入され、同名で国内宝石業界において取引されていた。このような業界慣行に従い、被告は、原告に対し、本件宝石をアレキサンドライト一級品として販売したものであつて、現在的意味におけるアレキサンドライトと間違えて販売したものではない。

(2)  しかるに、昭和四八年七月頃、被告店員が、宝石の訪問販売のため原告方を訪れ、キヤツツアイ指輪やエメラルド指輪をすゝめた際、原告から本件宝石の下取りを依頼されたのでこれを預つて帰り、数日後下取価格一五〇万円を提示したが話合いがまとまらなかつたので、一旦、本件宝石を返還した。ところが、昭和四〇年頃の前記販売呼称の実状を知らなかつた被告店員が、保証書には、アレキサンドライトと表示してあるが、クリソベリルではなかろうかとの疑問を抱き、もしかすると、被告の販売にミスがあり、偽物を渡しているのではないかと疑いその後原告方を訪れ、事情を話して、本件宝石を預り、全国宝石学協会に鑑別依頼をしたところ、クリソベリルと判明した。そこで被告は、過去の本件宝石販売に重大なミスがあつたと速断し、前記のような昭和四〇年当時のクリソベリル販売の実情も調査しないまゝ、原告方を訪れ、被告に鑑定ミスがあつたと詫びるとともに、数点のアレキサンドライト指輪を持参し、そのいずれかの指輪と交換して解決したい旨申入れたが、原告はこれを拒否した。その後何度か、交換に供する為の宝石を持参したが、いずれも原告の気に入らず、原告より文案作成のうえ、それに沿つた謝罪状を差入れるよう要求され、原告としては、被告にミスがあることは間違いないと速断していたゝめ、原告の要求に応じて提出したのが、御詫状と題する書面である。その後においても、被告店員が何度か、交換用の指輪を原告方へ持参したが、いずれも原告の気に入るところとならなかつた。

(3)  昭和四九年五月六日原告は、被告大阪店に来訪し、本件宝石を金二、五〇〇万円で買い取るよう要求したが、後日被告代理人より文書で拒絶した。

(4)  その後被告において、どうして前記のようなミスをおかしたのか調査する為、宝石業界に昭和四〇年頃の宝石鑑別の方法等につき照会した結果、前記のような昭和四〇年当時のクリソベリル宝石の取引の実状が分かり、被告が鑑別ミスにより偽物販売をしたのではないく、後に取引上呼称が変つて行つたに過ぎないとの事実が判明した。そこで被告代理人より、原告代理人に対し、右事情を説明し、被告の早とちりにより、原告に不快な思いをさせたので、何らかの詫びの措置をとりたい旨申し入れたが、原告は、本訴を提起した。

(四)(1)  原告は、前記御詫状の交付により交換契約が成立したと主張するが、同書面は、原告の指示により被告の提出した詫状であり、解決方針として被告の努力を約しているに過ぎず、新たな法律状態を作出させる交換契約を成立させたものではない。

(2)  仮に原告主張のような交換契約が成立したものとしても、交換目的物が特定していないから無効である。宝石、ことアレキサンドライトのような貴石は、特定物として扱う外なく、前記御詫状の「アレキサンドライト指輪の実物大で出来得る限り良質の品」というような記載では、特定されたとはいえず、特定物ではなく種類物として扱えると仮定しても、前示記載の基準で目的物を特定することは、貴石の性質上不能である。

(3)  原告主張の交換契約には 法律行為の要素に錯誤があるから無効である。すなわち、右契約締結の理由は、前記のとおり昭和四〇年にアレキサンドライト指輪とクリソベリル指輪を間違えて原告に販売した責任を果すためで、このことは同契約上明示されているが、この点に錯誤のあつたことは、前述のとおりである。したがつて、原告主張の交換契約は無効である。

五、被告の主張に対する原告の反論

(1)  甲第三号証は、詫状の形式をとつてはいるものの、本件宝石を同サイズの一級品アレキサンドライト指輪と取り替える旨を約しており、右意思表示は、原告の申込みに対する承諾であるから、申込みと承諾の合致により交換契約が成立したことは明白であつて、被告主張のように単なる解決方針を示しただけの努力約束ではない。

(2)  契約の目的物は、契約成立時に必ずしも具体的に特定している必要はなく、履行時までに確定できる標準が定まつていればよいのである。本件における「実物大」という表現は、実物の寸法にいささかも相違があつてはならないという意味ではなく、実物大と同じ大きさと評価される程度のものという意味で、品質についての判断基準は、色の変化の度合い、つまり分光器による吸収バンド(分光ライン)の段階的度合い(分光性)であるから、「出来得る限り良質の品」とは、右度合いが平均的であることを最低限の限界とするものである。したがつて、被告が良識により自ら特定し、右の基準に合致している宝石を提供したにも拘らず原告がこれを承認せず更により高価で良質のものを要求して取替えを拒絶すれば、権利の濫用としてその請求は否定され、受領遅滞の責を負うことになるだけである。

(3)  被告は、本件交換契約について法律行為の要素に錯誤があつたと主張するが、被告は宝石の販売につき専門の業者であるのに、全く色彩が変化せずまぎれもなくクリソベリルである本件宝石をアレキサンドライトと判別してその名称を付したとすれば、宝石業者としてあるべからざる重大な過失があるから、被告は、右契約の無効を主張できないといわなければならない。

(4)  本件交換契約は、宝石の取り替えに関し、原、被告間に生じていた紛争を解決するために成立した一種の和解契約であり、たとい厳密な意味での和解契約に該らないとしても、和解に類似した無名契約と解すべきである。右契約が成立した基礎には、被告の信用と保証書についての業界の重い責任(本来的には、保証した品質のものと取り替える責任)の認識が存在していたのである。

六、証拠<略>

理由

一請求原因(一)(二)の事実は、当事者間に争いのないところ、この事実に<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。

(1)  原告は製材業を営み、被告は百貨店業を営む著名な会社であるが、昭和四〇年頃から、原告は、被告大阪店から主として宝石と絵画を買い入れていた。

(2)  同四〇年一二月一三日頃、被告の店員二、三名が原告方を訪れ、趣味と実益を兼ね、換金が容易で利殖の目的にも適すると称して、アレキサンドライトの宝石を勧奨したので、原告は、被告が宝石商である訴外株式会社笹屋(代表取締役嶋津良太郎)から委託販売のため預つていた本件宝石をアレキサンドライトの指輪として代金一一二万円で買受け、代金を完済し、被告は本件宝石とともに原告宛同日付「金一一二万円也、品名白金台アレキサンドライト指輪、品質一級品、右の品相違ないことを保証いたします。」旨記載した保証書を原告に交付した。

(3)  ところが、昭和四八年七月頃被告大阪店外商部所属の店員が再び原告方を訪れ本件宝石を下取りに出して宝石の買い換えをするようすゝめた際、同店員は、前記保証書にアレキサンドライトと記載してあるが実際はクリソベリルではないかとの疑問を抱き専門家に鑑定してもらうよう勧告したので、原告はこれを受容れ、被告に本件宝石を預託し、訴外全国宝石学協会の鑑定をうけたところ、「形状ミツクスト・カツト、総重量7.61グラム、サイズ14.77×12.19×9.58ミリメートル、色相緑色透明石、硬度8.5、屈折率1.75〜1.76、偏光性複屈折性、多色性三色性(褐黄、黄緑、灰緑)螢光性(長波短波)変化なし、分光特性アイアン吸収バンドを認む、拡大検査二相インクルージヨン、その他の検査フイルターにて徴赤色、鑑別結果天然グリーンクリソベリルと認める。」旨記載した鑑別書が交付され、本件宝石がアレキサンドライトではなく、宝石のみの重量一二ないし一三カラツト(わく付のため正確な測定不能)のクリソベリルであることが判明した。

(4)  そのため被告のミスにより品質の異る商品を原告に販売したと判断した被告は、直ちに伊藤貴金属部長ら、大阪店の関係部課長を原告方に派遣して右の旨を知らせるとともに、陳謝の意を表明したうえ、前記保証書の趣旨に則り本件宝石との交換をなすため伊藤貴金属部長、小倉外商第一部長らに手持ちのアレキサンドライト指輪数点を持参させて原告方を訪問させ、本件宝石との交換方を申し入れたが、右交換用宝石が価格三〇〇万円ないし四〇〇万円程度のものであつたたゝめ、原告は、土地の値上りなどと比較して低すぎるとして交換に応じなかつた。

(5)  そこで被告は、原告から要求されるまゝ原告の差出した原稿に基き「御詫状」と題し、「昭和四〇年一二月三〇日付にて弊店貴金属部宝石売場よりアレキサンドライト指輪金一一二万円也をお買上げ賜わりましたが、弊店の鑑定不充分のためクリソベリル指輪を販売いたし、多大のご迷惑をおかけいたしました。この件につきましては、弊店としてアレキサンドライト指輪の実物大で出来得る限り良質の品をお捜ししお取替えさせていただくことをお約束いたしますと共に深くお詫び申しあげます。」旨記載した同四八年九月一八日付被告大阪店長常務取締役伊藤暹名義の書面を原告に交付したうえ、更に、同種宝石であるキヤツツアイ(猫眼石)異種のエメラルドなどの宝石やはては価格一、〇〇〇万円相当のダイヤを原告方に持参させて交換方を申し出たが、原告は、品質が劣るとして交換に応ぜず、反つて本件宝石を代金二、五〇〇万円で買取るように要求し、被告が代理人を通じてこれを拒絶したゝめ交渉は物別れに終り、原告は、本訴を提起するに至つた。

(6)  原告との交渉が行詰つた後、被告が本件宝石の販売委託者であつた笹屋を介し宝石業界の当時の実情を調査した結果、昭和四〇年頃は、東南アジアより輸入されたクリソベリルは、アレキサンドライトの名称で輸入され、同名で国内の宝石業界で取引されていたこと、前記笹屋もこれに従い、クリソベリルを同様の高級品であるアレキサンドライトとして判別し、販売委託したものであり、当時は、現在のように、(例えば昭和四一年設立の全国宝石学協会のような)宝石を科学的に鑑別する機関が普及して居らず本格的な鑑別が開始されたのは、同四四年以後であること、「クリソ」とは、ギリシヤ語で「金」を意味し、金色ないし緑色を示す宝石に冠せられる名称であり、クリソベリルは、ベリリウムと酸化アルミニウムの化合物であつて高い硬度を示し、アレキサンドライトはその一種で、成分において共通し、たゞ螢光灯以外の人工光、電灯光では、自然光下で通常暗緑色のものが、赤色に変わる変色性の特性を有する点においてクリソベリルと区別され、同時に価格面においても稀少価値を生じ高価格を呼んでいることなどの事実が明らかとなつた。以上のように認めることができ、他に右鑑定に反する証拠は存しない。

二右認定事実によれば、本件宝石の売買の行われた昭和四〇年頃は、わが国の宝石業界においてアレキサンドライトとクリソベリルとの区別は、現在程厳密には行われて居らず、クリソベリルたる宝石を同種類とはいえ稀少物であるアレキサンドライトとして売買していたという事情が窺えなくはないけれども、弁論の全趣旨から当時においてもクリソベリルの名称の宝石の存在が判明していたことが公知の事実と認められる以上、著名な百貨店として専門業者であるべき被告が本件宝石をより高級な宝石の名称をもつて原告に売却した行為には、過失の有無を問わず、品質の相違する商品を売渡したという隠れたる瑕疵があつたものというほかなく、被告は、特定物売買に関する売主の瑕疵担保責任を定めた民法五七〇条に従い瑕疵の存在によつて買主に生ずる損害を担保すべき責任を負担しなければならないところ、その責任の内容について考察するに、<証拠>によれば、本件宝石の売買について前記のとおり被告は、保証書により保証をなし、これにより特定物売買における瑕疵担保責任の履行として、必ずしも代金額ないし損害賠償の請求権等を除外するものではないが、第一次的には、買主の代物給付請求権を保証し、売主の商品取替義務を課したものと解され、買主が有するに至つた右権利は、商人間の売買における商法五二六条の制限もしくは民法五七〇条五六六条の除斥期間に服するものといわねばならない。

しかしながら被告は、原告より追及をうけるや、その文言において商品取替義務を確認した趣旨に読める詫状を交付した事実は、前記認定のとおりであるから、右書面の交付は、単に紛争の解決方針を示唆したに過ぎないとは解されず、かつ被告の全立証によるも、被告において錯誤により同書を交付したとは認め難いから、被告は、同書面の交付によりクリソベリルである本件宝石を原告の出捐額を標準として、指定した基準に従い、アレキサンドライト指輪と交換する約定をなし、これによつて著名な百貨店としての被告の信用を維持しようとしたものと認めるのが相当であつて、交換の対象となる目的物は、「実物大で、出来得る限り良質の品」と規定することよつて、交換の客体が、白金台付、宝石のみの重量が一三カラツトまでのアレキサンドライトで、昭和四〇年当時小売価格金一一二万円相当の商品である旨を特定したものといわなければならない。したがつて目的物の特定不能を理由として、右約定が無効である旨の被告の主張は、採用できない。

三そして鑑定人吉田充夫の鑑定の結果によれば、昭和四〇年一二月頃の本件宝石の卸売価格は、一カラツト当り五万円、小売価格は税込み同一〇万円位であることが認められ、<証拠>に徴すると、右価格を同じ頃のアレキサンドライトの価格に置きかえ類比して考察すると、本件宝石が、アレキサンドライトであつた場合の品位は、並級品(昭和四〇年当時一カラツト当り五万円)と中級品(同二〇万円)の中間に位するものであり、並級品が、昭和四九年五月現在で二倍に、中級品が同じく3.5倍に昭和四〇年当時一カラツト当り四〇万円の高級品、同五〇万円の最高級品ではいずれも五倍に高騰したが、その後更に続騰した事実の窺い難いこと、並びに被告が前記のとおり「出来得る限り良質の品」と交換する旨約定した趣旨に鑑みるときは、被告は、本件口頭弁論終結(昭和五二年三月一一日)当時において小売価格三九二万円(原価格一一二万円の3.5倍)を下らない価格のアレキサンドライトを手持ちの商品に限らず他店の商品をも含めて探査選択し、原告に交換交付すべき義務があるといわなければならない。

四そうすると、原告の本訴請求は、被告に対し、本件宝石と引換えに小売価格三九二万円を下らない白金台付一三カラツトまでのアレキサンドライト指輪一個の引渡を求める限度で正当として認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条九二条を適用し、なお、本件につき仮執行の必要性を認め難いので、仮執行宣言の申立ては不相当として却下することとして、主文のとおり判決する。

(仲江利政)

目録<省略>

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