大阪地方裁判所 昭和51年(行ウ)60号 判決 1978年11月29日
原告 志村道子 外七一〇名
被告 農林水産大臣
訴訟代理人 岡崎真喜次
主文
本件訴えをいずれも却下する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 原告ら
被告が昭和五一年九月一〇日付農林省指令五一畜B第二、四二〇号をもつて訴外日本中央競馬会に対してした、同競馬会の同年八月三一日付五一日競第六、一三八号の場外設備設置申請に関する承認を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
との判決。
二 被告
(一) 本案前の申立
主文同旨の判決。
(二) 本案の申立
原告らの請求を棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
との判決。
第二当事者の主張
一 原告らの請求原因
(一) 訴外日本中央競馬会(以下競馬会という)は、競馬法施行令二条二項に基づく競馬場外の勝馬投票券発売所及び払戻金交付所(以下本件場外馬券売場という)を設置するため、昭和五一年八月三一日付五一日競第六、一三八号をもつて、次の事項を記載した場外設備設置承認申請書を被告に提出した。
1 設置場所
大阪市南区東櫓町四番一 同所四番二及び同所八番五
2 設備の概要
(ア)敷地面積 一、六四一・三四七平方メートル
(イ)建築面積 一、三九四・七三平方メートル
(ウ)延べ面積 八、七二三・一四平方メートル(うち約四八四平方メートルを除く)
(エ)構造 鉄骨・鉄筋コンクリート造り
(オ)屋根 歩行用アスフアルト防水
(カ)外壁 コンクリート打放し、アクリルウレタン樹脂塗装一部大理石貼り
(キ)規模 地下二階地上六階塔屋一階建
(ク)窓口数 地下一階 二八窓
地上二階 四〇窓
同三階 四〇窓
同四階 四〇窓
同五階 三二窓
計一八〇窓
(ケ)発売方法 トータリゼータ・システムを設置して勝馬投票券の機械発売を行う。
3 当該競馬場との連絡方法
<省略>
4 設置の理由(要旨)
(ア) 近年、競馬フアンの急増に伴い、競馬場及び場外設備並びにその周辺の混雑が激化し、いわゆる競馬公害といわれる現象が各地で生じている一方、この間隙を縫つてノミ屋が横行し、相当多額の金額がこれに流れ、社会問題視されている。このような事態に対処するため、勝馬投票券発売の機械化の促進、電話投票及び複合勝馬投票方式の採用、場外設備の計画的整備等の対策を多面的かつ併行的に展開して行くことが必要とされる。
(イ) 本件場外馬券売場の設置は、右対策の一環として計画したものであり、大阪の既設の梅田及び難波の各場外馬券売場の設備は、その混雑度が頂点に達し、緊急に大阪地区に場外馬券売場の新設が不可避となつてきた。
被告は、競馬会に対し、昭和五一年九月一〇日付農林省指令五一畜B第二、四二〇号をもつて、右申請を承認した(以下本件処分という)。
(二) 本件処分は、競馬会に対し与えられたものであつて、行政組織内部での行為ではない。したがつて、本件処分は、抗告訴訟の対象となる行政処分であることは明らかである。
しかも、本件場外馬券売場の設置は、後記(三)のような被害を原告らにもたらすものであるから、このような効果を持つ本件処分は抗告訴訟の対象になると解されなければならない。
(三) 本件場外馬券売場の予定地は、いわゆる道頓堀通りに面し、その東隣りに文楽を上演する朝日座がある。道頓堀通りは、道頓堀川の南に位置し、中でも御堂筋と堺筋とにはさまれた部分は、その南北に食堂ビル、劇場、古本屋、喫茶店等がひしめき合う大阪でも有数の繁華街であつて、土、日曜日、祭日には観劇、食事、買物等の家族連れ等で賑わいをみせるところである。
原告らは、別紙原告目録記載の肩書地で居住、営業をしているが、その居住、営業関係、本件場外馬券売場の予定地との位置関係は、別紙原告居住、営業場所一覧表及び別紙図面に記載のとおりである。
本件場外馬券売場が設置されると、競馬開催日の土、日曜日、祭日には一日に三万人ないし七万人の馬券客が、右売場に集中するものと予測される。道頓堀通り周辺の土、日曜日、祭日の一般客は、一〇万人を超えるのが常であるから、馬券客が一日に三万人ないし七万人も来集すれば、今までにないほどの混雑をきわめることが明らかである。そのうえ、馬券客は射幸目当ての客であるから、一般の客が道頓堀通りを食事、買物、観劇等に散策するのとは様相を異にする。
馬券客が特定の時間場所に来集することになると、その周辺には、外れ馬券、新聞紙、予想紙、煙草の吸いがら、空罐、粉じん、し尿等の排出物と騒音の増大、自動車排気ガスの大量排出がもたらされ、これによつて、日常ただでさえ良好といえない付近周辺の自然環境はさらに悪化し、原告らの健康で快適であるべき生活を一層悪化させることになる。
また馬券客の一割は自動車で来場することが予想されるが、この付近には十分な駐車余地がないため不法駐車が起り、そのことから原告らの住居への出入り、通行等日常生活の妨害が予想され、また射幸目当ての客によるゆすり、たかり、盗難、火災等の発生の危険、客の回転率の低下による営業上の損失等の財産上の損害の発生が予想される。
さらに、道頓堀付近は、昔から大阪の庶民文化、娯楽の中心地として栄えて現在に至り、今日でも朝日座、中座、角座を中心にして、なにわ芸能の伝統を受け継ぐ大阪のシンボルとして、情緒豊かな社会的環境にある。原告らは、右環境を永年にわたつて築き上げ護つて来たもので、この環境を享受しうる権利がある。ところが本件場外馬券売場が設置されるとこの環境が破壊されてしまうのである。
(四) 原告らは、本件処分の取消しを求める原告適格がある。
競馬法施行令二条二項は、場外設備の設置について、被告の承認を要する旨を定めているが、その承認の基準について明文の規定をおいていない。他方、自転車競技法施行規則四条の二第二項、四条の三第一項、小型自動車競走法施行規則四条の四、モーターボート競走法施行規則二条の四、昭和四二年運輸省告示第二七号は、競技場、場外設備の設置基準を定めているが、これらは付近住民の日常生活に支障を生ぜしめないことを目的としたものである。これらの法規の精神や趣旨は、競馬法の場外設備設置承認の際にも配慮されなければならないのである。
現に、本件場外馬券売場の設置について競馬会の昭和五一年四月六日付事前伺いに対する農林省畜産局長の回答、競馬会の承認申請でも、付近住民の環境は十二分に配慮されるべき事項であることを認めており、農林事務次官がした場外馬券売場設置について予定地の市長の同意を要する旨の通達もこの趣旨に出ている。
このように、競馬法施行令二条二項は、競馬の公正のみならず、付近住民の競馬公害からの権利擁護をも目的とするものと解することができるのである。
原告らは、本件場外馬券売場が設置されると、右(三)のとおりの被害を受けるから、本件訴えを提起する適格がある。
なお、行政事件訴訟法九条の利益の有無は、実体法上の伝統的な権利利益の概念にとらわれてきめられるべきものではなく、その訴訟によつて護られるべき法的利益であれば良く、当該法的利益に現存する不安危険を除去するために行政庁との間で判決によつて行政処分の違法性の存在を確定し、違法状態を除去排除することが必要適切である場合には、訴えの利益が認められるべきである。
(五) 本件処分には次の違法がある。
1 本件場外馬券売場が設置されると、原告らの生活、営業、環境上の利益、権利が違法に害される。
2 本件場外馬券売場の予定地は、難波場外設備から七〇〇メートルの距離にあるから、競馬法施行令二条一項に反する。
3 本件場外馬券売場は、付近住民に前述した被害をもたらし、その設置の理由がないから、本件処分は競馬法施行令二条二項一号、四号に反する。
4 本件処分に際し付近住民の意見調整に努める等の民主的手続を履践していない。
(六) 結論
原告らは本件処分の取消しを求める。
二 被告の主張
(一) 原告らの主張(一)の事実は認める。
(二) 本件処分は、抗告訴訟の対象になる行政処分に当らない。
競馬法施行令二条二項の承認は、被告が競馬会に対し、競馬の公正を図るために包括的に有する監督権の行使としてされるものであつて、国民に対する直接の関係で、その権利義務を形成し又はその範囲を確定する効果を伴うものではないから、抗告訴訟の対象として争うことはできない。
(三) 原告らの主張(三)のうち、本件場外馬券売場の予定地は道頓堀通りに面し、付近に原告ら主張の食堂ビル、劇場等のあることは認めるが、その余の事実は争う。
(四) 行政事件訴訟法九条にいう法律上の利益の有無は、当該処分の判断基準としての根拠法規が処分の取消しを求める者の個人的な利益を保護対象としているか、当該処分により現実にその利益が害されたかによつて決せられるべきである。
本件処分の根拠法規である競馬法施行令二条二項の規定は、その根拠法である競馬法二四条にいう「競馬の公正を確保」する目的で定められたものであり、この「競馬の公正の確保」とは、主として国民の射幸心の適正な育成を図り、国民がノミ行為に荷担することを防止することにある。
そうすると、原告らが主張する生活、営業、環境上の利益は、競馬法や競馬法施行令によつて保護されている利益ということができず、原告らには本件処分の取消しを求める原告適格がない。
(五) 原告らの主張(五)のうち、本件場外馬券売場の予定地と難波場外設備との距離は認め、その余の点は争う。
第三証拠<省略>
理由
一 原告らが、競馬法施行令二条二項に基づく本件処分について、その取消しを求める原告適格があるかどうかについて判断する。
(一) 本件原告らのように行政処分の直接の相手方でない者が、その処分の取消しを求める適格があると認められるのは、その行政処分の根拠となつた法令が、原告ら主張の利益を保護することを目的としている場合に限られると解するのが相当である。
(二) そこで、本件処分の根拠法令である競馬法施行令二条二項が、原告らが本件で主張する利益、つまり場外設備の近隣で生活、営業する者の生活上、営業上の利益を保護する目的をもつているかどうかについて検討する。
(1) 競馬法施行令二条は、その一項で場外設備の、競馬場からの距離的制限を規定し、その二項で場外設備の設置について被告の承認を要すること、及びその提出すべき申請書の記載要件を規定している。ところで、競馬法施行令は、同令二条一項の距離的制限以外には、場外設備設置承認の要件をなんら定めていないばかりか、この場外設備設置承認の直接の名宛人は、政府が全額を出資し被告が監督する競馬会(日本中央競馬会法四条、三一条)に対してであつて、これ自体は、競馬会以外の者の私法上の権利を制限するものではない(例えば、原告らに人格権に基づく妨害排除請求権がある場合、その権利は、この承認によつて制限されるものではない)。
(2) このように競馬法施行令の全体をみたとき、同令は、競馬会がした場外設備設置申請を承認するかどうかの判断に当り被告が考慮すべき事項を、その裁量に委ねていると解するのが相当である(ただし同令二条一項の要件をのぞく)。もつとも、被告は、原告らの主張するような近隣住民の生活利益等をも承認の許否に当り考慮することは妨げないが、それは、被告が右裁量権の範囲内で国の一般的な政策に基づいて行うものであつて、もとより競馬法施行令が要求するところではない。
(3) 原告らは自転車競技法規則四条の二、四条の三、小型自動車競走法施行規則四条の四、モーターボート競走法施行規則二条の四の各規定を援用している。被告が前記自由裁量権の範囲内でこれらの各規定が定めている要件を考慮することは可能であるが、これらの各規定が競馬法の場外設備設置承認に準用されなければならないと解すべき理はない。
(4) 競馬法施行令二条一項の距離制限の規定の趣旨は、同令の他の規定及び競馬法の各規定並びに場外設備相互間には距離制限の規定がないことからすると、競馬場の近隣では、場外設備ではなく直接競馬場に行つて競走を見て楽しみながら勝馬投票券を買つたりする方が競馬愛好者の娯楽として健全であることにあると解されるから、この距離制限の規定が、原告らが主張する近隣者の生活上の利益等を保護する目的で定められたとするのは無理である。
(5) 原告らは農林省畜産局長の回答及び農林事務次官の通達を援用するが、これらが法規としての効力を持たないことは言うまでもないところであり、前記(2)に判断したとおり被告は承認の可否を決定するに当り、その自由裁量権に基づき近隣住民の生活利益等を考慮することも妨げないところであるから、これら回答、通達は右裁量権の範囲内で考慮する事情を示したものと解することができる。そうすると、これらの回答、通達を根拠に競馬法や同法施行令自体が原告の主張する利益を保護していると解することはできない。
(三) さらに、競馬法施行令の上部法規である競馬法を検討する。
競馬法施行令は競馬法の規定を実施するため、又は同法二四条の委任に基づいて定められたものであるところ、右の二四条を別にすると競馬法の規定の中には、原告らが主張する生活、営業、環境上の利益を保護することを目的とした規定は見当らない。ところで、同法二四条の「競馬場内の秩序を維持し、その他競馬の公正を確保する」との文言の趣旨は、競走、勝馬投票、及び払戻しの公正な手続とその確保を定めた規定(同法五条ないし一二条、二八条ないし三二条の六)、「競馬の公正を害すべき」行為に対する罰則規定(同法三二条の五、同条の六)等を考慮すると、同法二四条にいう「秩序を維持し」とは、競馬場及び場外設備での混乱を防止して規律を維持し、ひいては競馬の公正を保つことを意味し、「競馬の公正を確保する」とは、競走及び勝馬投票についての不正の行為、又は不正が疑われる可能性のある行為を防止することによつて、国民の射幸心を健全に育成することを意味すると解せられる。そして、競馬法施行令二条はじめとし、同令の他の規定を検討すると、これらの規定は右の意味での「秩序を維持し、その他競馬の公正を確保する」目的で定められていることが看取できるのである。
(四) まとめ
このようにみてくると、競馬法や競馬法施行令には、原告らが主張する利益つまり場外設備の近隣で生活、営業する者の生活上、営業上の利益を保護する目的をもつた規定が見当らないのである。
二 むすび
本件場外馬券売場の予定地の近隣に居住、営業する原告らが主張する生活、営業、環境上の利益は、競馬法や競馬法施行令によつて保護されている利益ということができないから、原告らには、本件場外馬券売場の設置を承認した本件処分の取消しを求めるについて、法律上の利益つまり原告適格がないとするほかはない。
そうすると、本件訴えはいずれも不適法であるから、却下することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条に従い主文のとおり判決する。
(裁判官 古崎慶長 井関正裕 西尾進)
(別紙)原告目録、図面<省略>