大阪地方裁判所 昭和52年(ヨ)2437号 決定 1978年2月10日
申請人
片田幹雄
右代理人弁護士
西山雅偉
被申請人
株式会社大和製作所
右代表者代表取締役
岡本輝雄
右代理人弁護士
笹川俊彦
同
山上東一郎
同
村田善明
右当事者間の地位保全・金員支払仮処分申請事件につき、当裁判所は次のとおり決定する。
主文
1 本件仮処分申請を却下する。
2 申請費用は申請人の負担とする。
理由
第一当事者の求めた裁判
一 申請人
1 被申請人は申請人を、被申請人会社の従業員として仮に取り扱え。
2 被申請人は申請人に対し、昭和五二年五月以降毎月二五日限り金一二万五〇〇〇円宛を仮りに支払え。
との裁判
二 被申請人
1 本件仮処分申請を却下する。
2 申請費用は申請人の負担とする。
との裁判
第二当事者双方の主張
(申請理由の要旨)
一 被申請人(以下、会社という)は、従業員約三〇名を擁し、鉄道車輛の部品の製造を業としている株式会社であり、申請人は昭和五二年四月二〇日会社に雇用され、一四日の試用期間ののち本工として採用されたものであって、その賃金は日給五〇〇〇円、毎月一五日〆めの二五日払いとの約であった。
二 ところで申請人は、昭和四五年三月大阪府立北野高等学校を卒業し、同年四月京都大学理学部に入学したのち、ほとんど授業も受けないまま中途で同大学を退学したものであるが、そのような理由で中途退学したのであるからあえて書く必要もないと考え、かつ、学歴をひけらかしたり学歴故に色めがねで見られたりするのは好ましくないと考えたことから、会社に採用される際に提出した履歴書には、高校卒業の事実のみを記載し、京都大学に入学して中途退学した事実は記載しなかった。
三 ところが会社は、この点をとらえて就業規則七九条二号所定の懲戒事由である「重要な経歴を詐りその他詐術を用いて雇用されたとき」に該当するとし、同年五月二四日申請人を解雇するにいたった。
四 しかし、右の事実はなんら「重要な経歴」の「詐称」にあたるものではないし、また、このほかに積極的に申請人の経歴に関して虚偽の事実を申述した事実もないから、本件解雇はなんらの解雇事由もないのになされたもので無効というべきである。
五 のみならず、本件解雇は、警察から申請人に関する問い合わせがあったために無闇に申請人を危険視するようになったことがその真実の動機であるとみられるところ、申請人が前記事実を履歴書に記載しなかったことに特に責めらるべき点がないこと、現場労働者としての適性や協調性にも欠けるところがないことなどの諸事情をも総合すれば、右解雇は懲戒権もしくは解雇権を濫用してなされたものであり、その点からも無効である。
六 すると、申請人は現になお会社の従業員たる地位を有するので、これを争う会社に対し地位確認等の本訴を提起すべく準備中であるが、賃金を唯一の生活の資とする労働者であるところから、本訴における勝訴判決の確定を待っていては回復すべからざる損害を生ずるおそれがあるので、本件仮処分申請に及んだ。
(被申請人の答弁)
一 申請理由の要旨第一項および第三項の事実は認める(ただし、会社の従業員は二六名である)。
二 申請人には左のとおり就業規則七九条二号所定の「重要な経歴」の「詐称」があったものであるから、本来、同規則に則って懲戒解雇すべきところ、申請人の将来性をも考慮して通常解雇の意思表示をしたものである。すなわち、
(一) 会社は昭和五二年四月八日阿倍野公共職業安定所に仕上工一名の求人申込をしたが、申請人は同月二〇日これに応募し、会社の黒木己之助工場長および友橋民雄総務部長の面接を受けた。その際申請人は、昭和四五年三月大阪府立北野高等学校を卒業し同年四月京都大学理学部に入学して同四九年二月二八日まで同大学に在籍した事実があるのにかかわらず、ことさらに右大学在籍の事実を秘匿して北野高等学校卒業とのみ記載した履歴書を提出した。
(二) さらに、右履歴書に同高等学校卒業後、同四八年九月トキワ工業株式会社入社と記載され、その間三年六ケ月の空白期間があったので、会社側面接者から申請人に対しその間の事情を質したところ、申請人は「その間は家事やアルバイトをしていました」と虚偽の事実を述べた。
(三) 雇入れの際に労働者が提出する履歴書に記載する最終学歴は、当該労働者の全人格を判断し、その適性を見究める一資料となるものであるから、労働者としては真実を申告する信義則上の義務を負うものであって、これを秘匿する行為は労使間の信頼を破壊する背信行為である。のみならず、会社では、現場作業員は管理職以下全員が中学卒業または同程度の学歴者であるため、高学歴者を現場作業員として配置することは労務管理上支障を来たし、作業員との協調の欠如などから企業秩序の維持に重大な影響を生ずることは明らかである。
(申請人の反論)
一 申請人が昭和四五年四月京都大学理学部に入学したのに、会社に提出した履歴書には北野高等学校卒業とのみ記載して大学入学の事実を記載しなかったことは前記のとおりであるが、会社は申請人を雇用するに際して、申請人の三年間にわたる組立工としての経験のみを特に重視し、その最終学歴など問題にしていなかったのであるから、申請人には最終学歴である京都大学入学の事実を告知する義務はなかったものというべく、したがってこれを告知しなかったことはなんら経歴の「詐称」にはあたらないというべきである。また、かりに詐称にあたるとしても、会社側が右のように申請人の最終学歴に無関心であった以上、これが「重要な」経歴の詐称にあたるとはいえないはずである。さらに、申請人が右の事実を積極的に告知しないで会社に採用されたことにより、会社の賃金その他の労働条件の体系が乱されたり、適正な労務配置が阻害されるなど企業秩序が現実に侵害された事実もないのであるから、その点からしても本件解雇は無効である。
二 本件面接の際に、申請入が会社側担当者から北野高校卒業後トキワ工業株式会社に入社するまでの三年六ケ月の空白期間をどのように過ごしたかを尋ねられたことはあるが、これに対し申請人は「はあ」「まあ」とあいまいに答えただけであって、家事やアルバイトをしていたなどと答えたようなことは全くなく、会社側担当者もそれ以上追及するようなことはなかったのである。
第三当裁判所の判断
一 疎明資料および当事者間に争いのない事実によれば、会社は従業員二六名を使用して鉄道車輛用部品の製造を業としている株式会社であり、申請人は昭和五二年四月二〇日会社に仕上工として雇用されたものであること、会社が申請人に対し、同年五月二四日付をもって、会社の就業規則七九条二号所定の懲戒事由である「重要な経歴を詐りその他詐術を用いて雇用されたとき」に該当するとの理由で解雇する旨の意思表示をしたことがそれぞれ認められるところ、申請人は、重要な経歴を詐称したような事実はないと争うので、以下この点について検討するに、疎明資料によれば、次のような事実を認めることができる。
(一) 申請人(昭和二七年三月三〇日生)は同四二年三月吹田市立山田中学校を卒業して同四月大阪府立北野高等学校に入学し、同四五年三日同校を卒業したのち、同年四月京都大学理学部に入学した。しかし、同大学には同四九年二月まで在籍したが、その頃退学届を出して同大学を中途退学した。
(二) ところが、申請人が会社に雇用されるに際して提出した履歴書には、学歴として、「昭和四二年三月吹田市立山田中学校卒業、同四五年三月大阪府立北野高等学校卒業」なる記載があるのみで、京都大学理学部に入学したのち中途退学した事実についてはなんらの記載もなく、また、採用面接の際に申請人から会社側担当者にその旨を告げたようなこともなかったため、会社としては、申請人が高校卒業後京都大学理学部に入学し四年後に中途退学したことを全く知らないで申請人を雇用した。
(三) ところで、申請人は阿倍野公共職業安定所の紹介により会社に雇用されることとなったものであるが、会社が求人の申込にあたって労働条件等の明示のために同安定所に提出していた求人票の職種名欄には仕上工、「仕事の内容」欄には、ケガキ、ヤスリ仕上、穴アケ、グラインダー、ボール盤、型削盤、フライス盤等の作業、「必要な経験・技能・知識・免許資格」欄には不問。「学歴・専攻」欄には不問との記載がなされていた。
(四) 会社ではその組織上製造部門と事務部門の二部門に分れており、製造部門に属するいわゆる現場作業員は一六名、事務部門に属する従業員は九名であるが、このうち製造部門に属する現場作業員の学歴は、管理職を含めて、尋常高等小学校(旧制)卒業の者が六名、中学校(新制)卒業の者が一〇名であって、それ以上の学歴を有する者は一名もおらず、また、会社の創業以来これまでも一名もいなかったことから、製造部門で働く現場作業員の採用については中学卒業のみの学歴を有する者に限ることとし、それ以上の学歴を有する者は現場作業員として採用しない方針であった。会社が公共職業安定所に提出した前記求人票に学歴・経験・技能等は不問と記載したのもそのような趣旨からであり、要するに義務教育以上の学歴は必要としないとの意味であって、どのような高学歴の者でも差し支えがないというわけではなかった。
(五) もっとも、申請人が会社に雇用された際、少くとも大阪府立北野高等学校卒業の事実が会社にも明らかであったことは前記のとおりであるけれども、それにもかかわらず会社が申請人を雇用することとしたのは、中学卒業生の進学率が高くなっている昨今、中学卒業のみの学歴を有する者を採用することが非常に困難となってきたことや、申請人の提出した履歴書に昭和四八年九月から同五一年八月までの約三年間、包装機械の製造業を営むトキワ工業株式会社の製造部製造課組立係に勤務していた旨の記載があり、この組立工としての三年間の経験が評価されたことなどの事情があったことによるものである。
(六) なお、会社の就業規則七九条によれば、「次の各号の一に該当する場合は懲戒解雇に処す但し情状により出勤停止若しくは降職格にすることがある」と定められ、その第二号として「重要な経歴を詐りその他詐術を用いて雇用されたとき」が掲げられている。
しかして、以上認定のような事実関係を前提として、申請人に就業規則所定の懲戒解雇事由である「重要な経歴の詐称」があったかどうかについて考えるに、一般に就業規則等において経歴詐称が労働者に対する懲戒事由とされることがあるのは、労働関係が信頼関係を基盤とする労使間の継続的契約関係であるところから、そのような関係に入ろうとする労働者は、使用者による知能、教育程度、性格、経験等全人格的判断の一資料である自己の経歴についても真実ありのままを申告し、いやしくも虚偽の事実を述べたり真実を秘匿したりしてその判断を誤まらせることのないよう留意すべき信義則上の義務を負うものであり、かっ、経歴詐称はまさにそのような信義則上の義務に違背する背信行為とみられるからであり、また、その結果、使用者をして当該労働者の労働力の評価を誤まらせ、ひいては適正な労務配置を阻害するなどして企業秩序を乱すこととなる危険が生ずるからであると解せられ、被申請人会社の前記就業規則の懲戒規定もそのような趣旨に出たものとみることができるが、かかる観点から本件の場合を考えてみると、申請人が最終学歴である京都大学理学部中退の事実をことさらに履歴書に記載しないでこれを秘匿したことは明らかに「経歴の詐称」にあたり、かつ、会社の製造部門における人員構成ならびに新入社員の採用方針が前記のごときものである以上、かりにその事実が履歴書に記載されていたならば会社が申請人を雇用するようなことは決してなかったであろうと考えられるのであって、それらの点からするならば、それが学歴を実際よりも低く詐称するものではあっても、「重要な」経歴の詐称にあたると認めるのが相当というべきである。
この点につき申請人は、会社は申請人の三年間にわたる組立工としての経験のみを特に重視し、その最終学歴には全く無関心であったのであるから、なんら重要な経歴の詐称にはあたらないと主張しており、また、会社が前記のごとき製造部門従業員の採用方針をとっていたにもかかわらず、高校卒と称していた申請人をあえて雇用するについては、申請人の三年間にわたる組立工としての経験を高く評価したことがその動機の一つとなっていたことは前認定のとおりであるけれども、それだからといって会社が申請人の最終学歴に無関心であったとはとうてい認められないのであって、会社側としてはただ、前記のごとく、申請人が履歴書記載のとおり高校卒であると信じ、京都大学理学部中退の事実を全く知らないで申請人を雇用したというだけのことであるから、右のごとき事実があったからといって、申請人の行為が重要な経歴の詐称にあたらないとすることはできず、申請人の右の主張は採用することはできない。
二 ところで、疎明資料によれば、本件解雇は前記のとおり就業規則所定の懲戒事由である重要な経歴の詐称を理由とするものでありながら、申請人に対する懲戒処分としてなされたものではなく、三〇日分の平均賃金(いわゆる予告手当)を提供してなされた通常解雇であることが認められるけれども、会社が右のように懲戒事由を理由としながら通常解雇をもって臨んだのは、予告手当を支給することにより、突然の解雇によって申請人のこうむるべき生活上の困窮を幾分でも緩和しようとの配慮からであったことが疎明資料によって窺われるとともに、本件の場合、懲戒解雇ではなくて通常解雇の方法がとられたことにより、申請人が特段の不利益をこうむったと認むべき根拠も見出しがたいので、右解雇が通常解雇としてなされたからといって、その故にこれを違法とすることはできない。
三 さらに申請人は、本件解雇は解雇権を濫用してなされたものであると主張するので、次にこの点について考えるに、最終学歴を秘匿した申請人の行為が「重要な経歴の詐称」にあたるとはいえ経歴を実際よりも低く詐称したものであることは前記のとおりであり、また、疎明資料によれば、申請人が会社に雇用されたのち、現場従業員とともに作業する過程で他の従業員に若干不愉快な感情をおこさせるような言動をとったことが窺われはするものの、それが果して申請人が高学歴者であることによるものかどうかは明らかでなく、その意味において、右経歴詐称による重大かつ明白な企業秩序の紊乱が現に発生しているものとは認めがたいけれども、他方、申請人がことさらに京都大学理学部中退の事実を秘匿して会社の求人に応じようとした理由として申請人の述べるところはいずれも、真実をありのままに申告しなかった理由としては薄弱で首肯しがたいものであり、結局は、これを事実のとおりに申告すれば雇用されない公算が大であることを見越して秘匿したものとみるよりほかはなく、その動機において同情すべきものはなんら存在しないことや、その他被申請人会社における現場作業員の最終学歴のもつ意義の重要性、申請人が会社に雇用されてから解雇されるまでの期間が一月余にすぎなかったことなど諸般の事情をあわせ考えるならば、本件解雇が解雇権の濫用にわたるとまで認めることはできないといわざるをえない。
四 そうすると、本件解雇は有効になされたものというべきであって、本件仮処分申請については被保全権利の疎明がないことに帰し、保証をもってこれに代えるのも相当でないから、右申請を理由なきものとして却下することとし、申請費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり決定する。
(裁判官 藤原弘道)