大阪地方裁判所 昭和52年(ワ)1827号 判決 1981年1月30日
原告
高宮正
ほか一名
被告
京阪電気鉄道株式会社
ほか三名
主文
1 被告山添敏子は、原告高宮正に対し金三八三万四二七〇円及びこれに対する昭和五二年四月二八日から支払済まで年五分の割合による金員を、原告高宮安代に対し金三万二六五三円及びこれに対する前同日から支払済まで前同割合による金員を、支払え。
2 被告山添園子は、原告高宮正に対し金三八三万四二七〇円及びこれに対する昭和五二年四月二八日から支払済まで年五分の割合による金員を、原告高宮安代に対し金三万二六五三円及びこれに対する前同日から支払済まで前同割合による金員を、支払え。
3 被告山添博之は、原告高宮正に対し金三八三万四二七〇円及びこれに対する昭和五二年四月二八日から支払済まで年五分の割合による金員を、原告高宮安代に対し金三万二六五三円及びこれに対する前同日から支払済まで前同割合による金員を、支払え。
4 原告らの、被告山添敏子、被告山添園子、被告山添博之に対するその余の請求、及び、被告京阪電気鉄道株式会社に対する請求を、いずれも棄却する。
5 訴訟費用中、原告らと被告山添敏子、被告山添園子、被告山添博之との間に生じたものはこれを六分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告山添敏子、被告山添園子、被告山添博之の負担とし、原告らと被告京阪電気鉄道株式会社との間に生じたものは原告らの負担とする。
6 この判決は、原告ら勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告京阪電気鉄道株式会社は、被告山添敏子、被告山添園子及び被告山添博之と連帯して、原告高宮正に対し金一四一三万九九六三円及びこれに対する昭和五二年四月二八日から支払済まで年五分の割合による金員を、原告高宮安代に対し金一一万七九六一円及びこれに対する前同日から支払済まで年五分の割合による金員を、支払え。
2 被告山添敏子、被告山添園子及び被告山添博之は、被告京阪電気鉄道株式会社と連帯して、各自、原告高宮正に対し金四七一万三三二一円及びこれに対する昭和五二年四月二八日から支払済まで年五分の割合による金員を、原告高宮安代に対し金三万九三二〇円及びこれに対する前同日から支払済まで年五分の割合による金員を、支払え。
3 訴訟費用は被告らの負担とする。
4 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二請求原因
一 事故の発生
原告らは、昭和五一年三月二一日午前一〇時二五分頃門真市垣内町五四九番地にある被告京阪電気鉄道株式会社(以下、被告会社という。)古川橋駅下りプラツトホーム中央付近で、淀屋橋行普通電車を待つていたところ、同ホームの東端付近の白線外に立つていた訴外山添卓志が、折柄同駅を通過しようとした京阪三条発淀屋橋行特急電車に接触して跳ね飛ばされたが、その際、跳ね飛ばされた同人の身体が原告らに激突し、山添卓志は即死し、原告らは、後記の各傷害を負つた。
二 被告会社の責任
1 被告会社は、鉄道による旅客運送を業として行なうものであり、原告らは、被告会社発行の乗車券を購入し、古川橋駅の改札口で検札を受けたことにより、被告会社との間に旅客運送契約を締結したものである。したがつて、被告会社には、旅客である原告らに対し、目的地まで安全に運送すべき義務がある。しかるに、被告会社は、これを怠り、ホームで電車の到着を待つていた原告らを負傷させたものであるから、被告会社には、商法第五九〇条に基づき、本件事故により原告らが蒙つた損害を賠償する責任がある。すなわち、
(一) 高速度交通機関の運行はそれ自体常に抽象的危険性をはらんでいるものであり、これを営利事業として行なう被告会社としては、これに対応する高度の注意義務を負担するのは当然であつて、あらゆる態様の事故に対応してこれを円滑かつ安全に運行させるに足りる人的物的設備をそなえるべきである。
(二) 本件事故当時、古川橋駅には、普通及び区間急行電車のみが停車し、特急、急行及び準急電車はいずれも同駅ホームに接着して高速度で通過していた。同駅下りホームは、全長約一六〇メートルであるが、その間、下り線路が、京都方面から大阪方面に向つて左方向へ、半径約六〇四メールの曲線で弯曲しているため、下り電車の前方の見通しは悪い。しかして、下り特急電車は、時速約八五キロメートルの高速度で進入通過することを許容されている。
他方、電車待ちをしている乗客の中には、幼児、老人、病人、身体障害者等、正常な認識、判断の能力を有しない者も多数おり、これらの者がホーム上から転落しあるいは風圧にまきこまれるなどして、通過電車と接触するという事故は、当然予測されるものである。
しかも、右見通しの状況と通過電車の制動距離(時速約八五キロメートルの場合、約二五〇メートル)を考えれば、通過電車の運転士がホーム上あるいは線路上に障害物を発見しても、その行動によりこれとの接触、衝突を回避することは不可能である。
(三) 右のような点を考えれば、被告会社としては、特急等電車の通過前に、駅員をホーム上に配置し、それが不可能であるなら、看視用テレビを設置して、ホーム上、あるいは線路上の挙動不審者や障害物の有無を確認し、挙動不審者等を発見したときは、直ちに注意を促して退避させるか、または、これを保護するなどの措置を講じて、事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるというべきである。
さればこそ、被告会社は、その運転取扱心得第三二条において、「駅長は駅又は信号所において列車が到着し、出発し、又は通過するときは、列車を監視しなければならない。この場合、信号機及び線路の状態に注意するとともに、列車の状態を監視するものとする。」との規定を設けているのである。
しかるに、古川橋駅下りホームには、白線を引き、退避を促すアナウンスを機械的に流すほかは、何らの予防措置も講じられておらず、本件事故当日は、同ホーム上は、淀屋橋方面に向う買物客、行楽客等一〇〇余名の乗客が電車待ちをしていて相当混雑していたにもかかわらず、被告会社は、そこに一名の駅員をも配置していなかつた。
(四) 本件事故当時、山添卓志は、不正な方法で古川橋駅下りホームに入場していたものの如くであり、同駅の駅員達は全く山添卓志に気付いていなかつたものであるが、同人は、寒い季節であるのに、パジヤマを着用しサンダルをはくという異常な姿で、ホーム上を徘徊し、少なくとも七、八分間、ホーム上、白線外に出て、ホーム縁端から足をはみ出させるようにして、放心状態でたたずんでいたのであつて、一見して挙動不審者であると判明する状況であつたから、被告会社において特急等電車通過前に駅員を配置してホーム上の安全確認をさせてさえいれば、容易にこれに気付き、これに注意を促し、あるいはこれを保護することによつて、本件事故発生を未然に防止することが可能であつたはずである。
2 被告会社は、電車によつて大量の乗客を高速度で輸送するという、公共性の強い、かつ、人命に多大の危険を及ぼす可能性のある業務を遂行しているのであるから、人命の安全確保について最大限の努力をはらうべき責務を有するものであり、駅ホーム上の乗客の安全の確保についても、通過電車の有無、その頻度、ホームの混雑の状況、乗降客の挙動等、個々の具体的事情に対応して、可能なかぎり、事故の発生を未然に防止すべき義務がある。右1の(二)ないし(四)において述べたような状況のもとにおいては、被告会社には、ホーム上に駅員を配置するか、これにかわる看視用テレビを設置するなどして、ホーム上の乗客の動静を看視させるとともに、ホーム上に挙動不審者を発見したときは、直ちに注意を促して退避させるか、又はこれを保護するなどの措置を講じて、事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるところ、本件事故は、被告会社が右注意義務を怠つたために発生したものであるから、被告会社には、民法第七〇九条に基づき、本件事故によつて原告らが蒙つた損害を賠償する責任がある。
三 被告山添敏子、被告山添園子及び被告山添博之の責任
1 特急電車が駅ホームに接着して高速度で通過しようとする場合、ホーム上にいる者には、通過電車に接触するなどしてこれにはねとばされ、ホーム上で待機中の他の乗客に危害を加えることのないように、白線内に退避し、もつてホーム上の他の乗客に対する傷害事故の発生を未然に防止すべき注意義務がある。本件事故は、山添卓志の、右注意義務を怠り、漫然と白線外に立つていた過失によつて発生したものであるから、同人には、民法第七〇九条に基づき、原告らに対し、本件事故により原告らが蒙つた損害を賠償する義務がある。
2 被告山添敏子は、山添卓志の妻、被告山添園子、被告山添博之は、山添卓志の子であつて、その共同相続人であり、その死亡により、右損害賠償義務につき、それぞれその法定相続分三分の一宛を相続した。
四 損害
1 原告高宮正の損害
(一) 受傷、治療経過、後遺症
原告高宮正は、本件事故により、頭部外傷Ⅲ型(脳挫傷)、右前頭部開放性頭蓋骨陥没骨折の傷害を受け、事故当日から昭和五一年四月二九日まで四〇日間入院し、以後、同年八月末日まで通院して治療を受けたが、現在なお、右前頭前側頭部に五~六HZの低振幅Q波が出現し、頭重感、吐気、眩暈を生ずるなど、後遺障害等級表一二級一二に該当する後遺障害が残存している。
(二) 医師、看護婦に対する謝礼、往診料等 三八万一四〇〇円
(三) 付添料 一五万円
(四) 妻高宮タカヨの休診による損害 一〇二万五六二七円
(五) 妻高宮タカヨの看護のための通院交通費 二一万四三〇〇円
(六) 逸失利益 一〇九四万三六三六円
原告高宮正(大正一二年一〇月四日生)は、昭和二三年一二月から大阪鉄道病院に皮膚科医師として勤務し、本件事故の数年前から京都鉄道病院院長に転出を求められており、近く栄転する予定であつたところ、本件事故により、病院長という重責に耐えられなくなつたところから、これを辞退せざるをえなくなつたのであるが、京都鉄道病院院長になれば、事故当時の収入(年収七一一万余円)より少なくとも年収にして一〇〇万円は多い収入を得ることができたはずである。原告高宮正は本件事故以後なお一五年間は就労可能であると考えられるから、その将来の逸失利益を年別のホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、一〇九八万円となるが、本訴においては、そのうち一〇九四万三六三六円を請求する。
(算式)一〇〇万×一〇・九八=一〇九八万
(七) 慰藉料 一四二万五〇〇〇円
2 原告高宮安代の損害
原告高宮安代は、本件事故により、約六日間の入院加療を要する頭部打撲挫創の傷害を受けた。
(一) 治療費 一万七九六一円
(二) 慰藉料 一〇万円
五 よつて請求の趣旨記載のとおりの判決(遅延損害金は民法所定の年五分の割合による。)を求める。
第三請求原因に対する被告らの答弁及び主張
(被告会社)
一 請求原因一及び三の各事実は認める。
二 同二については、1冒頭の、被告会社が鉄道による旅客運送を業として行なうものであること、同(二)の、古川橋駅下りホームの全長が約一六〇メートルであること、同(三)の、同ホームには、白線を設け退避を促す放送はしていたが、本件事故当時は駅務員を配置していなかつたこと、同(四)の、山添卓志が当時パジヤマ姿であつたこと、は認めるが、その余の事実は否認し、主張は争う。同1の(二)で原告らが主張する駅ホームからの転落事故は、左程多発するものではなく、しかも、その大多数は飛込み自殺であり、他は酩酊者の事故である。同(三)で原告らが主張する運転取扱心得は、列車の運行を円滑に行なうための内部規律であるにすぎず、古川橋駅は右心得上の駅長駐在駅ではない。
三 同四の事実は知らない。
四 本件事故は、被告会社にとつても全く予見しがたい、かつ、未然に防止することのできない山添卓志の行動によつて発生したものであり、被告会社もまた被害者というべき立場にあるものであつて、被告会社には、これにより原告らが蒙つた損害を賠償すべき法的責任はない。
すなわち、
1 電車にさる乗客の大量輸送を業とする被告会社は、もとより人命の安全確保について最大限の努力をはらうべき責務を負担するものであるが、その責務は、主として右のような企業の公共性、社会性からくるのであつて、具体的な事故に対して当該企業が法的責任を負担するか否かは、おのずから別異の観点から検討されるべき問題である。
2 駅ホーム上の乗客は、通過電車が接近すれば、白線内に退避するのが常識である。乗客数が多くてホーム上が混雑しているというのであればともかく、後記本件事故当時の古川橋駅下りホーム程度であれば、被告会社等の電鉄会社としては、ホーム上に白線を設け、電車の警笛や接近を告げる放送によつて注意を喚起すれば足りるのであつて、それ以上に、本件事故のような特殊な事態に対処するための人的物的設備を確保しなければならない法的義務はない。
3 古川橋駅における一日の乗降客数は三万四〇〇〇名程度であり、被告会社は、通勤客が集中する平日朝のラツシユアワー(午前七時三〇分から午前八時三〇分まで)に下りホームに二名の駅務員を配置するほかは、同駅ホームには駅務員を配置していない。被告会社のみならず、阪急、阪神、南海、近鉄等においても、同規模の駅における駅務員の配置状況は、ほぼ同程度のものである。本件事故が発生した時間帯における古川橋駅の下り一列車当りの乗込み客数は六五名程度であり、これが七両(一両の長さは一八・七メートル)編成一三〇・九メートル、乗車口合計二一カ所の列車の範囲に分散するのであるから、当時の同駅下りホームは、むしろ閑散としていた。
4 山添卓志は、通過電車の接近を告げ、白線内退避を促す放送がなされているのに、非常識にもあえて白線内に退避しなかつた。のみならず、事後の調査によれば、同人は飛込み自殺をはかつたものと推定されるのである。しかも、同人は、服装、態度がやや風変りであつたとはいえ、電車に倒れ込む直前までは飛込み自殺の気配をみせていたわけではない。したがつて、仮に当時ホーム上に駅務員が配置されていたとしても、右のような山添卓志の行為を未然に防止しうる可能性はなかつたのである。
(被告山添敏子、被告山添園子、被告山添博之)
一 請求原因一の事実中、原告ら主張の日時に、その主張の場所において、山添卓志が特急電車に接触して即死したことは認めるが、その余の事実は知らない。
二 同三の事実中、被告らと山添卓志との身分関係及び被告らがその共同相続人であることは認めるが、その余の事実は知らない。
三 請求原因のその余の事実は知らない。
第四証拠〔略〕
理由
一 事故の発生及び態様
請求原因一の事実中、昭和五一年三月二一日午前一〇時二五分頃門真市垣内町五四九番地所在の被告会社古川橋駅において山添卓志が特急電車に接触して死亡したことは、全当事者間に争いがなく、原告らと被告会社の間においては、同その余の事実も争いがない。右事実と、成立に争いのない乙第一号証、第七号証、被告会社主張どおりの写真であることに争いのない検乙第一号証の一ないし四、証人岡本義春の証言及びこれにより被告会社主張どおりの写真であると認められる検乙第二号証の一ないし六、証人東口敏己、同吉田健次郎、同藤田嗣武の各証言、原告高宮正、被告山添敏子各本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。
1 京阪本線古川橋駅には、普通及び区間急行電車のみが停車し、特急、急行、準急電車は全て通過する。同駅ホームは、上下線をはさんで対峙する、いわゆる相対式ホームである。下りホームは全長約一六〇メートル、幅員約四・七五メートルで、ホームの外側(線路と反対の側)には側壁が設けられている。下りホームのほぼ中央部側壁側には、中央上り線側の改札口(以下、西の改札という。)に通じる地下道から京都大阪西方面に分れてホームに上る二つの階段が、その京都方面端には改札口(以下、東の改札という。)が、設けられている。下りホームは直線であるが、下り線は、同駅下りホーム手前で進行方向に向つて左側に半径約六〇四メートルの曲線で彎曲しているため、同駅に進入してくる下り電車の運転席(それは、進行方向に向つて左側に設けられている。)からは、電車の先端が下りホーム上の京都方面端にさしかかるあたりまで接近してからでないと、下りホーム上の状態を見通すことはできない。
2 山添卓志は、事故の数日前から病後の療養のため古川橋駅に程近い実家に来ていたものであり、どのようにして事故現場に到着したのかは定かでないが、事故発生の少し前から、パジヤマ姿で、下りホーム中央部大阪寄り階段付近の白線外に、線路の方を向いて、打ち沈んだ様子でたたずんでいた(後記二の1の(三)の認定事実からみて、それは、せいぜい二、三分間程度のことであつたと推認される。)。事故直前に、下りホームの縁端から足先が出そうな位置に立つている山添卓志のそばを、少しおかしいのではないかと感じながら大阪方面に向つて通りすぎた乗客吉田健次郎は、下り特急電車の接近に気付いて振り返り、なおもそのままの位置にいる山添卓志に危険を感じて夢中で駆け寄り、右手で同人の左腕をつかんで引き戻そうとした。しかし、山添卓志は、吉田健次郎の手を振り払い、そのまま接近してくる下り特急電車の直前に自ら倒れ込み、その左前部に衝突して下りホーム上にはねとばされ、その身体は、同ホーム上で普通電車の到着を待つていた乗客である原告高宮正に激突し、原告高宮安代に接触した。
3 運転士藤田嗣武は、下り特急電車九七列車(七両編成、全長一三〇メートル余り)を運転して、大和田駅を定時に通過し、定速度制御により、時速八五キロメートルで進行して、古川橋駅を通過しようとした。同駅の手前約一〇〇メートルの地点で、下りホームに対して警笛(長一声)を吹鳴し、同ホーム京都方面端付近にさしかかつたとき、下りホーム中央部付近の縁端、そのままの状態であれば通過電車との接触を免れない位置に、身を乗り出すような形で立つている白つぽい服装の男(山添卓志)を発見して、飛込み自殺だと直感し、直ちに短急汽笛を吹鳴すると同時に非常制動の措置をとつた。同運転士は、山添卓志のそばに駆け寄る乗客(吉田健次郎)の姿をみたが、電車は、そのまま前にのめり込んできた山添卓志にその左前部を衝突させてその身体を下りホーム上にはねとばし、なお進行して、その後部二両程度が下りホーム大阪寄りにかかる付近で、停車した。
4 原告高宮正、原告高宮安代は、大阪方面へ赴くべく、被告会社発行の乗車券を購入して西の改札口で検札を受け、中央大阪寄りの階段を上つて下りホームに至り、その十数メートル大阪方面寄りの地点で、下り普通電車の到着を待つていた。原告高宮正よりやや大阪寄りにいた原告高宮安代が、山添卓志に気付き、原告高宮正に駆け寄つて、あの人おかしいんじやないの、と告げた。原告高宮正は、その声に京都方面を見て、二〇メートル余り京都方面寄りのホーム縁端に打ち沈んが様子でぼやーつと立つている山添卓志を認めたが、その直後、同駅に進入してくる下り特急電車を認め、咄嗟に接触すると感じて思わず顔をそむけたが、次の瞬間、右電車にはねとばされた同人の身体が原告高宮正に激突し、原告高宮安代に接触し、両原告は下りホーム上に転倒した。右事故により、山添卓志は即死し、原告両名は、後記認定の傷害を負つた。
二 被告会社の責任
被告会社が鉄道による旅客運送を業として行なうものであることは、原告らと被告会社の間に争いがなく、このことと、右一の4で認定した事実によれば、被告会社は、原告らとの間に旅客運送契約を締結したものであり、被告会社には、旅客運送人として、旅客である原告らに対し、目的地まで安全に運送すべき義務があるというべきところ、被告会社は、本件事故は被告会社にとつて全く予見しがたく未然に防止することができない山添卓志の行動によつて発生したものであり、被告会社には、これによつて原告らが蒙つた損害を賠償すべき法的責任はないと主張するので、以下、この点について検討する。
1 被告会社が、古川橋駅下りホームに、白線を引き、退避を促す列車接近放送をしていたが、本件事故当時は駅務員を配置していなかつたことは、原告らと被告会社の間に争いがない。そして、右事実と、前掲乙第七号証、検乙第一号証の一ないし四、第二号証の一ないし六、成立に争いのない甲第八号証、乙第四ないし第六号証、第八号証、証人倉橋安彦、同岡本義春の各証言及びこれらによつて被告主張どおりの写真であると認められる検乙第二号証の七ないし一五、証人東口敏己、同前谷嘉治の各証言、並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。
(一) 被告会社の特急電車の運転速度は、運転取扱心得の上では、半径六〇〇メートル以上の曲線の場合、時速一〇〇キロメートルまでは許容されており、大阪陸運局に届け出て許可されているのは、大和田駅から門真市駅までの間は上下線とも最高時速九〇キロメートル、平均時速七六キロメートルであるが、下り線古川橋駅手前では、前記認定の彎曲を考慮して、現実の運行は時速八五キロメートルに押えられている(その場合の制動距離は二五〇余メートルである。)。通過駅に進入通過する際特に減速することはない。
(二) 古川橋駅の乗降客は、本件事故当時、平均一日三万四〇〇〇名程度であつた(日曜などより平日の方が多い。)。その二割程度が、朝のラツシユアワーに集中する。本件事故当時の下りホーム上の乗客数は、定かではないが、原告らの主張によつても一〇〇余名程度で、その大部分はホーム上側壁寄りにしりぞいた。前記認定のホームの長さにかんがみれば、およそホーム上が混雑しているという状態ではなかつたと認められる。
(三) 事故当時、午前一〇時から午前一一時までの間に古川橋駅を通る下り列車は、通過するもの、特急、急行電車各四本(準急電車はない。)、停車するもの、普通電車六本区間急行電車四本であつた。
(四) 被告会社は、古川橋駅には、ラツシユアワーにあたる午前七時三〇分から午前八時三〇分までの間、二名の駅務員をホーム上に配置するか、右以外の時間帯においては、ホーム上に駅務員の配置はしていない。在阪五大私鉄各社における駅ホーム上の駅務員の配置状況は、おおむね同程度のものであり、古川橋駅と同規模の駅では、通常、ラツシユアワー以外の時間帯においては、駅ホーム上に駅務員は配置されていない。なお、事故当時、古川橋駅では、西の改札に二名、東の改札に一名、合計三名の職員が勤務しており、各持場以外に要急の問題が生じた際には、電話連絡により、西の改札の二名のうちの一名がこれに対処するという態勢をとつていた。
(五) 古川橋駅下りホーム上の列車接近放送は、自動的に接近する電車を選別して、通過列車であれば、列車の接近を告げて白線内への退避を促す放送を二回繰返すものであるが、進入する列車の先端が駅ホームの始端(進入側端)にかかる、二〇秒前にはじまり、五秒前に終了するように仕組まれており、上屋の梁の四か所に取付けられたスピーカーから約八〇ホーンで放送されている。
(六) 本件事故当時、古川橋駅には、ホーム上の乗降客の状況を看視するためのテレビ、テレビカメラは設置されていなかつた。被告会社において、駅ホーム上でテレビを利用しているのは、ホームが彎曲していて車掌の位置から列車の全乗降口を見通すことができない駅で、車掌が乗降客の状況を判断するための必要がある場合と、発車ベルを切る時機を判断するために別の位置で列車乗降口における乗降客の状況を把握する必要がある主要八駅の場合の二種である。被告会社では、ホーム上の乗降客一般の状況を看視するためのテレビ、テレビカメラは一切設置していない。この種のテレビ、テレビカメラに関しては、在阪私鉄においては、阪急が主要駅でこれを設置しているという例がある程度であるが、それでもホーム上での事故が発生していないわけではないこともあつて、被告会社としては、本件事故後二年余り経過した時点においても、その設置は考えていない。
(七) なお、被告会社の運転取扱心得には、原告らが請求原因二の1の(三)で主張するとおりの規定があるが、それは、被告会社の内部規律であるにすぎず、同一方向に対して二本以上の線路のある駅又は信号所において列車の運行を円滑に行なうための定め(したがつて、古川橋駅とは関係がない)として、解釈運用されている。
2 被告会社のように、高速度で大量輪送を行なう鉄道交通機関は、もとより、旅客の安全確保のために必要な人的物的施設を整備すべき義務を負うものであるが、他方、その社会的効用と危険性にかんがみれば、これを利用する乗客の側においても、自ら危険を避けるように注意すべきは当然である。乗客が電車を待つている駅ホームに接着して高速度の列車が通過するということも、鉄道交通機関の現状からは、避けがたいことであり、その場合、少なくとも発生した事故に対する法的責任の前提として考えるかぎり、鉄道交通機関としては、的確に通過列車の接近が告知され、退避を促されれば、乗客は白線内に退避するものと信頼することが許されるものというべきである。原告らは、その場合、なお、乗客の安全確保のために、ホーム上に、駅務員を配置し、あるいはこれにかわる乗客看視用のテレビを設置すべきことを主張するが、一般に、ホーム上の駅務員の配置あるいはこれにかわる物的施設の整備は、当該駅における利用乗客数及びその時間的変動、電車の発着等の状況、ホームの構造等を総合考慮して、ホーム上において通常予想される危険から旅客を保護するに足りるだけのものが配置、整備されていれば足りるものと解するが相当であり、通過電車のある駅であるということから当然にその配置、整備が必要不可欠のものとなると解することはできない。
3 本件についてこれを見るに、さきに認定した事実に徴すれば、本件事故は、専ら、ホーム上の他の旅客の安全を顧ることなく、高速度で通過しようとする特急電車の直前に自ら倒れ込んだ後記山添卓志の過失に基づくものであつて、被告会社及びその被用者は、本件事故の発生につき、旅客運送に関し注意を怠らなかつたものと認めるのが相当である。すなわち、下り電車運転席からの古川橋駅下りホームの見通しの状況、通過時の加害電車の進行速度、その制動距離、事故発生に至るまでの山添卓志の行動、加害電車の停止位置にかんがみれば、運転士藤田嗣武が、山添卓志との衝突前に加害電車を停車させることは不可能であつたことは明らかであるし、同人を発見した位置及び時機、発見後にとつた措置にも責められるべき点は見当らないので、同運転士は、旅客の運送に際し注意を怠らなかつたものと認められる。また、古川橋駅における本件事故当時の時間帯の利用旅客数、電車の発着、通過状況、同駅ホームの構造、及び、通過する特急電車の接近を告げ白線内への退避を促す放送が行なわれているのに、あえて白線外側に立ち、あまつさえ電車の前に自ら倒れ込む者があるというようなことは通常予想しえないこと、更には、在阪私鉄各社におけるホーム上の駅務員配置、乗客看視用テレビの整備状況にかんがみれば、本件事故当時、古川橋下りホーム上には、駅務員の配置はなく、これにかわる乗客看視用のテレビも設置されていなかつたけれども、なお、被告会社にその配置或るいは設置を怠つた過失はなかつたものと認めるのが相当である。そして、その他、右ホームにおける旅客の安全に関し被告又はその被用者の措置に欠けたところがあつたものというべき事情は見当らない。
以上の次第で、被告会社には、本件事故につき、商法第五九〇条第一項の規定に基づく損害賠償責任はないものといわざるをえない。
また、既に述べてきたところからすれば、本件事故の発生につき、被告会社に民法第七〇九条の過失があつたと認められないことは明らかであるから、被告会社には、本件事故につき、同条の規定に基づく損害賠償責任はない。
よつて、原告らの被告会社に対する本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、失当である。
三 被告山添敏子、被告山添園子及び被告山添博之の責任
1 特急電車駅ホームがに接着して高速度で通過しようとする場合、ホーム上にいる者には、通過電車に接触するなどしてこれにはねとばされ、ホーム上で待機中の他の乗客に危害を加えることのないように、白線内に退避し、もつてホーム上の他の乗客に対する傷害事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるところ、さきに一において認定した事実によれば、本件事故は、山添卓志の、右注意義務を怠り、慢然と白線外に立つていた過失により発生したものであることが明らかであるから、同人には、民法第七〇九条に基づき、原告らに対し、本件事故により原告らが蒙つた損害を賠償する義務がある。
2 被告山添敏子は山添卓志の妻、被告山添園子、被告山添博之は山添卓志の子であつて、その共同相続人であることは、原告らと右三被告との間に争いがない。そうすると、右三被告は、山添卓志の死亡により、右損害賠償義務につき、それぞれその法定相続分三分の一宛を相続したことになる。
四 損害
1 原告高宮正の損害
(一) 受傷、治療経過等
成立に争いのない甲第二号証の二、第一四号証の一ないし五、第一五号証、証人高宮タカヨの証言及び原告高宮正本人尋問の結果によれば、原告高宮正は、本件事故により、頭部外傷Ⅲ型(脳挫傷)、右前頭部開放性頭蓋骨陥没骨折の傷害を受け、大阪鉄道病院に、事故当日から昭和五一年四月二九日までの四〇日間入院し、以後、同年八月末日まで通院して治療を受けたこと、その後もなお眩覚、けいれん性頭痛発作、脳波の異常が残存していたので、昭和五三年六月末日まで検査、投薬を受けたこと、その後眩覚、頭痛発作は治つたが、現在なお、右頭部の脳波が低く、睡眠時におけるそれに近い状態を呈していて、正常に戻らないほか、左足指の麻痺、右手握力の低下という症状が残存していること、が認められる。
(二) 往診料等 二万円
成立に争いのない甲第五号証の七、八、四三ないし同七、証人高宮タカヨの証言及びこれにより真正に成立したものと認められる甲第九号証の一ないし三によれば、原告高宮正が、本件事故に関連して、医師、看護婦、守衛、救急車乗務員に対する謝礼や往診料などの名目で、現金、商品券代、菓子代等として合計三八万一四〇〇円を支出していることが認められるが、そのうち、尾形医師に対する往診料一万円、神戸市立中央病院で検査等を受けた際の費用二回分一万円の合計二万円のほかは、そのうちどれだけの部分が単なる儀礼的贈与でなく治療費と同視しうる実質を有するものであるか、定かでないので、右二万円にかぎり、本件事故と相当因果関係のある損害と認める。
(三) 入院付添費 一〇万円
証人高宮タカヨの証言及びこれにより真正に成立したものと認められる甲第九号証の四によれば、原告高宮正は、前記四〇日間の入院中付添看護を必要とし、曽我部ヨリ子外の親族の付添看護を受け、その謝礼として同人らに合計一五万円を支払つたものであるが、そのうち一〇万円は、本件事故と相当因果関係のある損害と認められる。
(四) 妻高宮タカヨの休診による損害について
証人高宮タカヨの証言及びこれにより真正に成立したものと認められる甲第一一号証の一ないし六によれば、原告高宮正の妻高宮タカヨは、内科、小児科、皮膚科の医師として高宮医院を経営し、昭和五〇年には年間一〇〇〇万円余の事業所得を得ているものであるところ、本件事故により、夫である原告高宮正の付添看護や見舞のため休診を余儀なくされ、相当額の得べかりし利益を喪失したものと認められるけれども、そのことによる損害は、高宮タカヨ自身のものであつて、これを原告高宮正の損害と認めることはできないから、この点に関する請求は失当である。
(五) 妻高宮タカヨの看護のための通院交通費 五万四三一〇円
成立に争いのない甲第五号証の九ないし四二、証人高宮タカヨの証言及びこれにより真正に成立したものと認められる甲第一二号証によれば、開業医として稼働している高宮タカヨは、本件事故により受傷入院中の夫の付添看護、見舞のため、殆んど毎日、門真市の自宅から大阪市阿倍野区天王寺の大阪鉄道病院まで、タクシーを利用して通院し、その間、タクシー代、高速道路通行料として合計一九万八九四〇円を支払つたことが認められるところ、さきに認定した、原告高宮正には、特に近親者の付添人もいたこと、及び、その受傷の程度態様にかんがみれば、そのうち、昭和五一年三月中に支出した五万四三一〇円の限度で、本件事故と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。
(六) 逸失利益 一〇〇二万八五〇〇円
成立に争いのない甲第四号証及び右(一)所掲の各証拠によれば、原告高宮正(大正一二年一〇月四日生れ)は、昭和二三年一二月から大阪鉄道病院に皮膚科医師として勤務し、本件事故当時年間七一一万円余の給与収入を得ていたこと、前記認定の退院後、通院も兼ねて、昭和五一年六月一五日職場に復帰したが、受傷後一年位は殆んど診療業務には従事しなかつたこと、もつとも、永年勤続の点などが考慮されて本件事故による欠勤等により給与が減額されることはなかつたこと、しかし、本件事故の約一年後に、京都鉄道病院々長に転出の内命を受けたが、本件事故による前記認定の眩覚、けいれん性頭痛発作等が残存していたため、病院長という重責に耐えられないとの判断から、やむなくこれを辞退したこと、その後も同様の勧めはないではないが、脳波が改善されないままであり、その点につき脳外科専門医から十分注意するよう警告されているところから、それを断つていること、京都鉄道病院々長になれば、現職に比べて少なくとも年間一〇〇万円は多い収入を得ることができるはずであること、が認められる。これらの事実と各証拠によれば、原告高宮正は、右転出を辞退したのち満六七歳までなお一四年間は就労可能であるところ、本件事故によりその間年一〇〇万円を下らない収入を失つたものと考えられるから、その将来の逸失利益を年別のホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、一〇〇二万八五〇〇円となる。
(算式)一〇〇万×(一〇・九八〇八-〇・九五二三)=一〇〇二万八五〇〇
(七) 慰藉料 一三〇万円
本件事故の態様、原告高宮正の受傷の部位程度、治療の経過、現存する症状その他諸般の事情を考えあわせると、原告高宮正の慰藉料額は、一三〇万円とするのが相当と認められる。
2 原告高宮安代の損害
(一) 治療費 一万七九六一円
成立に争いのない甲第二号証の三、第五号証の一ないし六、証人高宮タカヨの証言によれば、原告高宮安代(昭和三三年六月一六日生れ)は、本件事故により頭部打撲挫創の傷害を受け、大阪鉄道病院に、事故当日から昭和五一年三月二六日まで六日間入院し、以後、同年四月二日まで通院して治療を受け、治療費として合計一万七九六一円を支払つたこと、その後もなおしばらくは母親である高宮タカヨの診療を受けていたこと、が認められる。
(二) 慰藉料 八万円
本件事故の態様、原告高宮安代の受傷の部位程度、治療の経過その他諸般の事情を考えあわせると、原告高宮安代の慰藉料額は、八万円とするのが相当と認められる。
五 結論
以上の次第で、本件事故により、原告高宮正は合計一一五〇万二八一〇円の、原告高宮安代は合計九万七九六一円の、損害を蒙つたものであり、山添卓志の共同相続人である被告山添敏子、被告山添園子及び被告山添博之には、原告らに対し右各損害につき、それぞれ三分の一宛の金額及びこれに対する本件不法行為の後である昭和五二年四月二八日から支払済まで年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、原告らの右被告三名に対する本訴請求は、右の限度で正当であるからこれを認容し、その余の請求、及び原告らの被告会社に対する請求はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 富澤達 海老根遼太郎 太田善康)