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大阪地方裁判所 昭和52年(行ウ)10号 判決 1979年8月27日

原告 斎藤武平

被告 大阪府建築健康保険組合

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が原告に対し昭和五一年一〇月二〇日付をもつてなした健康保険被保険者資格取消並びに傷病手当金不支給決定の処分を取消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  本案前の答弁

本件訴を却下する。

訴訟費用は原告の負担とする。

2  本案に対する答弁

主文と同旨の判決。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  原告は昭和五〇年九月一日株式会社泉設計事務所(以下、泉設計という)の取締役に就任し、同時に総務担当従業員の地位をも兼務した。原告は泉設計から右地位に基づき賃金として昭和五〇年九月から一一月分まで毎月三〇万円の支給を受けたが、その後の賃金は支給されていない。

2  原告は泉設計に入社と同時に被告に加入し、被保険者の資格を取得した。

そこで、泉設計は昭和五〇年九月一九日被告に対し原告につき同月一日付健康保険被保険者資格取得届を提出したところ、被告は同月二五日原告の被保険者資格の取得を確認し、原告に対し健康保険被保険者証を交付した。

3  原告は昭和五〇年九月一三日国立療養所刀根山病院において肺結核の診断を受け通院加療を続けていたが、昭和五一年六月から一二月まで右病院に入院し、その後退院して再び通院加療を継続していたところ、昭和五三年七月再度入院し現在に至つている。

4  原告は被告に対し昭和五一年初頃健康保険法に基づき昭和五〇年一一月一五日から昭和五一年五月三〇日までの傷病手当金の支払を請求したところ、被告は、原告が事業主の指揮・命令を受け、その監督のもとに勤務し、かつ、勤務時間、場所、職場内容等において拘束を受けた事実がないとして、昭和五一年一〇月二〇日、原告の健康保険被保険者資格取得を取消すと共に右傷病手当金の不支給決定(以下、本件処分という)をし、右処分はその頃書面により原告に通知された。

5  しかし、原告は事業主の指揮・命令を受け、その監督のもとに勤務し、勤務時間、場所、職務内容等において拘束を受けていたものであるから、本件処分は事実の認定を誤つたものであり、違法である。

6  本件訴は健康保険法八三条により裁決前置主義にかかる事件であり、原告は同法八〇条一項に基づき本件処分を不服として昭和五一年一一月二日大阪府社会保険審査官に対し審査請求をしたところ、その日から六〇日以内に決定がなかつたので、同条二項に基づき昭和五二年一月二七日社会保険審査会に対し再審査請求(跳躍請求)をしたが、その日から三か月を経過した同年四月二七日までに裁決がなかつたので、行訴法八条二項一号に該当し、また、原告は従来賃金のみによつて生計を維持しており、他には何らの収入がなく、本件処分によつて生ずる著しい損害を避けるため緊急の必要があるので、同項二号にも該当する。

7  よつて、原告は被告に対し本件処分の取消を求める。

二  本案前の答弁の理由

本件訴は原告が本件処分を不服としてその取消を求めるものであるが、本件処分について社会保険審査会の裁決を経ておらず、不適法である。

三  請求原因に対する認否及び主張

1  請求原因1のうち、原告が泉設計の取締役に就任したことを認め、就任した日及び原告が昭和五〇年一二月分以降の賃金の支給を受けていないことは不知、その余は否認する。

同2の前段は否認し、後段は認める。

同3は不知。

同4は認める。ただし、傷病手当金の支払請求が最初にされたのは昭和五一年五月一一日であり、その請求期間は昭和五〇年一一月一五日から昭和五一年四月三〇日までである。

同6のうち、本件訴が行訴法八条二項一号または二号に該当することを争い、原告が従来賃金のみによつて生計を維持しており、他から何らの収入がないので本件処分によつて生ずる著しい損害を避けるため緊急の必要があることを否認し、その余は認める。

2  被告のなした本件処分は適法である。

(一) 本件処分をするに至つた経緯

被告は、泉設計(代表取締役長谷川元耶)からの原告に関する健康保険被保険者資格取得届の提出に基づき、原告の被保険者資格を確認し、健康保険被保険者証を交付したところ、昭和五一年五月一一日になつて、原告から昭和五〇年一一月一五日から昭和五一年四月三〇日までの傷病手当金につき一括請求がなされた。

しかるに、右請求書によれば、原告の初診日が昭和五〇年九月一三日であり、前記資格取得届に記載された資格取得年月日(同月一日)と右初診日とが近接しているうえ、資格取得届の提出が発病後の同月一九日であるため、原告の資格取得の動機に疑義が生じた。

そこで、被告が調査したところ、原告は昭和五〇年九月一日泉設計の取締役に就任したが、いまだ健康保険法一三条所定の「事業所ニ使用セラルル者」に該当しないこと、すなわち、原告は非常勤者であることが判明したので、昭和五一年一〇月二〇日原告に対し本件処分を行つたものである。

(二) 本件処分の適法性

原告が健康保険法一三条所定の「事業所ニ使用セラルル者」に該当せず、非常勤者であることは左の事実を総合して判断したものである。

なお、本来は国民健康保険に加入すべき者が、その者の任意の選択で有利な健康保険の被保険者資格を取得できるものではない。原告は現在国民健康保険と結核予防法に基づく一〇割の医療給付を保障されているものである。

(1) 泉設計における原告の就労状況

まず、労務担当としての勤務状況についてみるに、泉設計の代表取締役長谷川元耶は、昭和五一年五月一〇日付の書面で被告に対し、労務問題の急変により役員二名が退任したので、その補強のため原告を労務担当役員として就任させたと述べているが(もつとも、その後、原告が総務、労務、営業関係の社員として業務を担当した旨の表現にかわつている)、当時、泉設計では労働組合との団体交渉が激しかつたと見られるのに、原告が団体交渉に出席したのは一回のみであり、労務担当役員として常時勤務していたとは考えられない。

次に、営業担当としての勤務状況についてみるに、原告の出勤簿、営業日誌、勤務状況報告書の類は作成されておらず、結局、極めて拘束されない形態のものであつたといわざるを得ない。

被告の調査によれば、泉設計は原告に対し昭和五〇年九月九日に枚方市と梅田間の交通費として一八六〇円、同月一〇日に石田製作所までの交通費として一八三〇円を支給しており、同月初旬は社内にいて書類に目を通すなどしていた旨の原告の供述と明らかに矛盾する。また、泉設計における原告に対する交通費の支給は曖昧な手続でなされており、原告に対しては一般の従業員と同様の手続はとられていなかつた。さらに、原告の給与支給についても不明確なところが多く、原告の出勤状況についても明確ではない。

(2) 原告が被告の被保険者となつた動機等

(イ) 原告は肺結核が再発し継続的治療を要することが予想された。すなわち、

原告は過去に肺結核に罹病した経験があるところ、昭和五〇年六月頃から呼吸器系の病気が悪化して肺結核の再発を自覚し、原告が経営している斎藤機工株式会社(以下、斎藤機工という)の旧事務所近くに所在したかかりつけの斎藤医院での治療を諦め、結核の治療において定評のある国立療養所刀根山病院に転院した。また、原告には昭和三八年と昭和四五年に肺結核の症状があつたことが明らかである。

(ロ) 斎藤機工はもはや事業所の実態を失つていた。すなわち、

原告が経営してきた斎藤機工はもともと零細企業であり、また、事業不振から従業員数が次第に減少して昭和四七年一一月一日には原告の内妻長谷川萌子一名となり、昭和五〇年七、八月の取引高も僅か一一万円程度になつていた。萌子が同年七月一日に退職してからは事業主たる原告一名のみとなり、事業所の実態を完全に失つていた。

(ハ) 原告の資格取得には情宜的要素が多い。すなわち、

原告は昭和四五年頃から長谷川萌子と懇意となり、その内縁関係に入つた。萌子は泉設計の代表取締役長谷川元耶の実妹であるが、原告よりひと足先に泉設計に入社して経理等の事務を担当し、健康保険の届出事務にも携つていた。右長谷川らの父の長谷川三雄は原告と古くから親しく、斎藤機工の取締役に名を連ねていたと同時に、泉設計の監査役や従業員でもあつた。

(ニ) 原告は池田公共職業安定所に対し斎藤機工が昭和五〇年八月三一日事業廃止した旨の届出をしているのに、吹田社会保険事務所に対しては同年九月一六日事業廃止した旨の届出をし、しかも事業廃止年月日欄には一度九月一二日とか一四日と記載しながらこれを前記のように訂正している。原告が泉設計に入社したのは登記簿上では昭和五〇年八月頃であり、実際にも同年九月一日には新取締役として泉設計の従業員に就任挨拶をしていることから、職業安定所への届出日が正当である。右の事情に、原告の刀根山病院における初診日が九月一三日である事実を加えると、原告は万一被告の被保険者資格を否定されても、斎藤機工における被保険者資格で保険給付を受けられるよう配慮していたものと考えられる。

四  被告の主張に対する答弁

1  被告の主張2の(一)の前段は認める。同中段のうち、原告の初診日が昭和五〇年九月一三日であることを認め、その余は否認する。同後段のうち、被告が昭和五一年一〇月二〇日原告に対し本件処分を行つたことを認め、その余は否認する。

同(二)の冒頭事実及び同(二)の(1)は否認する。

同(2)の(イ)は否認する。同(ロ)のうち、斎藤機工の事業が発展しなかつたことから従業員数も次第に減少し、最後には原告一名のみとなつたことを認め、その余は否認する。同(ハ)のうち、原告が長谷川萌子と懇意となり、その後内縁関係に入つたこと、萌子が泉設計の代表取締役長谷川元耶の実妹であることを認め、その余は否認する。

2  被告の主張に対する反論

(一) 原告は昭和四五年に斎藤機工を設立しその代表取締役に就任していたが、昭和五〇年には従業員三、四人でこれを経営しており、生活ができる程度の収入はあつたものの、業績は不調であつた。そのようなところへ、原告は昭和五〇年五月頃知人の長谷川元耶から泉設計に総務、営業、労務を担当する取締役として就任するよう誘われ、同年七月になつてこれに応ずることを決意し、斎藤機工の売掛金の回収、仕入代金の支払などの残務整理をして同年九月一日から泉設計の取締役に就任した。なお、斎藤機工の残務は同年九月に入つても若干残つていた。もし、この段階で原告の発病がわかつていたならば、原告は斎藤機工における被保険者資格によつて継続療養を受け、傷病手当金の支給を受けることができた。しかし、原告は肺結核の発病を全く知らなかつたので斎藤機工を廃止し、新たに被告の保険に加入したのである。

(二) 原告は同年九月一日から泉設計に勤務し、同日には従業員に就任の挨拶をし、団体交渉にも出席するなどして約一〇日間位は事務所勤務をしたが、その後は営業のため外勤することが多くなつた。しかし、原告は代表取締役長谷川元耶の指揮、監督のもとに毎日業務に従事しており、一日も休んだことがなかつた。原告が毎日勤務であつたことは通勤定期券を購入したことからも明らかである。原告は長谷川元耶から通勤費が報酬に含まれている旨いわれたので、同年一〇月以降は回数券に切り換えた。

仮に、被告主張のとおり、原告は取締役に就任したもので、営業、労務の担当社員として採用されたのではないとしても、健康保険における使用関係は事実上の使用関係にあれば足り、取締役であつても法人との間に報酬を受けて業務に従事しておれば使用関係があるとして取扱われている。

(三) 原告は同年九月一三日風邪をこじらせ国立療養所刀根山病院に行つたところ、レントゲン検査の結果肺結核と診断された。原告はそれまでかかりつけの斎藤医院で治療を受けていたが、その診断では急性気管支炎、慢性胃炎、肝炎ということであつた。右刀根山病院では当初斎藤機工における保険で治療を受けていたが、被告保険への加入手続が終り、被保険者証を交付された後は被告保険で治療を受けた。当初は二週間に一回程度の通院であつたが、経過が思わしくないので自宅療養に専念することとして休職した。

(四) 原告は発病後も傷病手当金が支給されることについて全く知識がなかつたが、昭和五〇年一一月に入つて患者同志の話からこれを知り、刀根山病院の保険コンサルタントにその制度があることを確認し、その請求手続を教えられた。

原告が肺結核と診断され、その治療を受けたのはこれが初めてである。原告には昭和三八年頃及び昭和四五年頃に肺結核の既往症があるということであるが、それは同病院の検査の結果同症の痕跡があるというものであり、原告には自覚もなく、その治療を受けたことはない。原告を診察した医師もその点は不明としており、治療歴があるなら、その病院、治療期間、経過が書かれているはずであるのに、この点につき何らの記載もない。

(五) 被告の主張は推定のうえに推定を積み重ねており、何の具体的根拠もなく、事実を誤認したものである。

第三証拠<省略>

理由

一  被告の本案前の主張について判断する。

健康保険法八三条によれば、同法八〇条一項に規定する処分の取消の訴を提起するためには当該処分につき再審査請求を経ることを要する旨規定されていることが明らかであるが、一方、原告が昭和五一年一一月二日本件処分を不服として大阪府社会保険審査官に対し審査請求をしたところ、右請求の日から六〇日以内に決定がなかつたので、昭和五二年一月二七日社会保険審査会に対し再審査請求をしたが、右請求の日から三か月を経過しても裁決がなかつたことは当事者間に争いがなく、右事実によれば、本件処分の取消の訴は行訴法八条二項一号により裁決を経ないで提起することができる場合に該当するので、本件訴はもとより適法であり、被告の主張は理由がない。

二  請求原因1のうち、原告が泉設計の取締役に就任した事実、同2の後段の事実及び同4の事実(ただし、傷病手当金の支払請求の日を除く)は当事者間に争いがない。

三  ところで、被告は、自己がなした被保険者資格取得の確認処分を、単にその処分に瑕疵があるという理由だけで取消し得るものではなく、関係当事者にその取消による不利益を受忍させてもなお当該処分を取消すことの公益上の必要性が存する場合、例えば当該処分の瑕疵が重大で、その処分を放置することは健康保険法の目的に反する場合には、被告は一度なした被保険者資格取得の確認処分を取消すことができるものと解すべきであり、被告が関係当事者の被保険者資格取得届に基づき誤つてその者を健康保険の被保険者である旨の認定をし、後に被保険者資格を取得していないことが判明した場合は、当該被保険者資格取得の確認処分に重大な瑕疵が存し、その処分を放置することは健康保険法の目的に反するものと言うべきである。

そこで、原告の健康保険の被保険者資格の有無、すなわち原告が健康保険法一三条に規定する「事業所ニ使用セラルル者」に該当するか否かについて判断する。

1  原告の泉設計における勤務状況について、原告は、その本人尋問(第一回)において、原告主張のとおり、原告は昭和五〇年五月頃泉設計の代表取締役である長谷川元耶から泉設計に入社することを誘われ、同年九月一日泉設計に入社し、その後給与は役員報酬を含めて月額三〇万円と定められ、同年九月から一一月まで毎月二〇日に右給与の支給を受けたこと、原告は入社して一〇日余りは泉設計の事務所に休日を除き毎日出勤したが、それ以後営業活動として外回りの仕事が増え、直接仕事に行つてそのまゝ帰宅するというような状態が多くなり、朝だけあるいは夕方だけ泉設計に顔を出すということがしばしばあつたこと、同年一一月一五日肺結核のため自宅療養することとなり、以後休職したが、それまで一度も泉設計を欠勤したことがない旨旨供し、右供述に沿う証人長谷川元耶の証言及び甲一三号証の一ないし九、甲二四号証の一ないし一二が存在する。

ところが、右の点、特に昭和五〇年九月一日から一〇日余りの勤務状況について、被告主張に沿う乙五ないし八号証、一二号証、証人新川美恵子の証言が存在し、そのいずれを採用するかによつて結論が異なるので、以下その点について判断する。

2  いずれも成立に争いのない乙三号証、九号証、一一号証の一、二、証人佐々木義和の証言(第二回)により真正に成立したものと認められる乙二六号証、二八号証、証人長谷川元耶、同新川美恵子及び同佐々木義和(第一回)の証言、原告本人尋問の結果(第一回)を総合すると、次の事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)  原告は昭和四五年頃エアーレンチの販売と修理を目的とする斎藤機工を設立し、以来代表取締役として右会社を経営してきたが、その後経営不振に陥り、昭和四七年四月から原告以外に従業員は長谷川萌子一名となり、昭和五〇年七月には萌子も退職し、原告一名のみとなつた。

泉設計は昭和三四年八月長谷川元耶によつて設立されたが、昭和四八年頃から受注が相当減少し、翌年にはその影響があらわれて経営が苦しくなり、昭和五〇年六月人員を減らすために希望退職者を募集し、これに応じて営業担当社員一名、役員二名が退職した。昭和五〇年八月頃元耶は一旦泉設計の代表取締役を退くことを表明したが、泉設計の従業員をもつて組織している労働組合(全港湾所属の一分会)の反対を受け、そのまま代表取締役にとどまることとなつた。泉設計は昭和五〇年頃労働組合に対して、給料のベースアツプをやめること、一時金を最低限に抑えることについて協力を要請し、そのため団体交渉は相当難航し、その内容も激しいものであつた。昭和五〇年一二月支給の給与から月額七万円ないし九万円の役員手当を全額カツトしたが、それにもかかわらず、昭和五〇年末までは約五〇〇〇万円の赤字を生じ、その後の経営見通しが立たず、昭和五一年七月には倒産状態になり、同年九月解散決議をするに至つた。

(二)  原告は長谷川三雄と絵の関係で以前から親しく交際していたことから同人の子である長谷川元耶とも親しくなり、昭和四五年頃から元耶の妹である長谷川萌子と知り合い、その後同女と内縁関係を結び、昭和四八年一二月から同居するようになつた。それゆえ、原告と長谷川元耶、三雄親子とは親戚同様の関係にあつた。

(三)  原告は昭和五〇年六月頃から急にやせて喀痰があり、また、風邪を引いてこじらせ咳がとまらない状態が続いており、かかりつけの斎藤秀雄医師に昭和五〇年七月に三回、同年八月に六回、同年九月に入つて六日と一〇日にそれぞれ診察ないし治療を受け、その間七月一八日には急性気管支炎、八月五日には慢性胃炎、肝炎の診断をされたが、依然として咳がおさまらず、同年九月一三日国立療養所刀根山病院で診察を受けた結果肺結核と診断された。原告はその後月に一度の割合で同病院に通院加療を続けていたが、昭和五一年六月から一二月まで入院し、その後一旦退院して通院を継続し、昭和五三年七月再び入院した。原告には既応症として昭和三八年以前と昭和四五年以前にいずれも肺結核に罹病したことがあり、それぞれ治癒した(なお、原告が前記肺結核に罹病したことを当時自覚していたか否か、肺結核に対し治療を受けたか否かを確定するに足りる証拠はない。)。

3  そこで、原告の泉設計における勤務状態に関する前記1挙示の証拠の信用性について検討する。

(一)  原告の供述(第一回)によつても、泉設計では役員について出勤簿を備えておらず、原告が外勤をするようになつてからは泉設計の事務所に必ずしも顔を出さないようになり、その勤務状態については代表取締役の長谷川元耶以外には明確につかみにくい状況にあつたというのであるのに、泉設計の取締役あるいは従業員は甲一三号証の二及び九の書面を提出し、原告が昭和五〇年九月一日から同年一一月一五日まで休日を除き毎日出勤していたことは間違いない旨表明しているが、これは原告の右供述とも明らかに矛盾するうえ、証人新川美恵子の証言によれば、甲一三号証の二に署名している従業員の中には当時現場につめていたため事務所にはいなかつた者も含まれていることが認められることに照らすと、右書証は何らかの理由によつて自らの体験に基づかず、伝聞によつて得た知識を表明したものにすぎないと推認され、その証拠価値は極めて低いものといわざるを得ない。

(二)  原告本人尋問の結果(第一、二回)、右尋問の結果によつて原告が作成したと認められる甲二四号証の一ないし一二、前記長谷川証言及び長谷川元耶が作成したことに争いのない乙一三号証には、次のような、相互に矛盾する部分が多く、また、事実と相違する部分さらに、不明確な諸点が存することが認められる。

(1) 原告の泉設計から支給される給与について、長谷川は原告代理人の質問に対し、九月一九日の時点では原告の給与は確定していなかつた、九月の第一回の給与を払う直前になつて確定した旨供述しているのに、被告代理人の質問に対しては、原告の給与が確定した時期は九月一九日、一八日、あるいは一五日、一六日か、給与の支払の書類を作るのに間に合わす時期であつたと思う。金額については原告と最終的に話し合つてきめた旨述べており、右長谷川供述は金額を最終的にきめた時期について極めて曖昧で一貫性がなく、一方、原告の供述によれば、長谷川元耶は、給与は最低二〇万円は保障するから、それ以上のことは私に任せてくれと述べた、最初の給与をもらつてはじめて三〇万円だということがわかつた旨述べており、三〇万円に決まるいきさつについて原告と長谷川の供述との間にくい違いが見られる。

前記佐々木証言によれば、泉設計の給与は一五日締切の二〇日払、すなわち、前月一六日から当月一五日までの分を当月二〇日に支払う方法をとつていたことが認められ、一方、原告が泉設計から昭和五〇年九月から一一月まで毎月二〇日に月額三〇万円の給与の支給を受けたことは前記原告の供述、長谷川証言、いずれも成立に争いのない乙一四ないし一六号証により明らかであるが、右事実によれば、泉設計は九月一日から一五日までの就労期間に対して一か月分の給与全額を支払つたこととなり、前記認定の泉設計の経営状態、特に希望退職者を募集したり、泉設計が労働組合に対して給料のベースアツプを停止し、一時金を最低限に抑えることについて協力を要請し、さらに、昭和五〇年一二月支給の給与から役員手当を全額カツトした状態に照すと、いかにも原告のみ優遇し過ぎるように思われる。

また、右長谷川は、原告に対し三回給与を支払つたことによつて昭和五〇年一一月三〇日まで支払つたこととなる旨供述しているが、泉設計の給与支給方法に照すと、右供述は極めて疑問の存するところである。

さらに、前記泉設計の給与支給方法及び前記長谷川供述を総合すると、原告の給与額は九月一九日以前に確定していたと推認されるのに、成立に争いのない乙一号証によれば、泉設計が昭和五〇年九月一九日被告宛に提出した健康保険被保険者資格取得届には報酬月額として二〇万円と記載されていることが明らかである。

以上のとおり、原告の給与額については、いくらに定められたのか、それほどの期間に対するものか、さらには、就労期間が半月でも三〇万円を支給するのか、一一月支給分はいつまでのものとして支給するのかなどについて不明確な部分が存し、果して、原告と長谷川元耶との間で具体的にその点についての取決めがなされたのか疑問が存する。

(2) 前記乙一三号証によれば、長谷川元耶が昭和五一年五月一〇日付で被告宛に提出した書面には、「当社取締役斎藤武平氏は昭和四九年末からの会社内部事情(労務問題)の急変による役員二名退任(昭和五〇年七月)後の役員補強のため同年九月労務担当役員として就任した」との記載が存するが、前記認定事実によれば、役員二名がやめたのは労務問題の急変によるものではなく、経営が苦しくなつて希望退職者を募集した結果これに応じたものであり、長谷川は証人として、原告は取締役兼営業、総務担当従業員として泉設計に入社した、労務管理を見てもらう人がどうしても一名ほしいということもあつたし、まず第一には仕事が少なくなつたことに対する営業部面に堪能な人がほしい、直接的には昭和五〇年六月に営業担当の者、役員二名が退職することになつて非常にその面の力が弱くなつたので採用した旨供述しており、長谷川が作成した乙一三号証と長谷川供述との間に原告を採用した理由についてかなりの変転が見られる。また、原告を労務担当としても入社させたのに、原告が昭和五〇年九月一日から一一月一五日まで勤務したとする期間、労働組合の団体交渉に出席したのは入社直後の九月二日の一回のみであることは後記認定のとおりであり、泉設計の労務管理をみてもらう人がどうしても一名ほしいと考えて採用したという前記の長谷川供述に照すと、原告の果した役割はいかにも小さいものといわなければならない。

(3) 証人佐々木義和の証言によつて真正に成立したものと認められる乙六号証、原告の前記第一回供述、長谷川及び新川の各証言によれば、原告は昭和五〇年九月一日午後泉設計の二階事務所において新役員として従業員に紹介され、原告は就任の挨拶をし、翌二日には泉設計の取締役として早々に労働組合との団体交渉に出席したが、それ以外の団体交渉には出席したことがないことが認められる。一方、原告は本人尋問(第二回)において、私の心の控えと申しますか、日記代りと思つて出勤簿みたいなものを作つており、これらに基づいて社会保険審査官の求めに応じて作成・提出したのが甲二四号証の一ないし一二の勤務一覧表である旨述べており、従つて、その記載内容は極めて信用性が高いと思われるのに、甲二四号の一の昭和五〇年九月一日欄には「社長より業務部(総務部、労務、営業)担当に就て説明を受け、以後書類等整理」したと、同月二日の欄には「社員全員が二階に集合して入社の挨拶をすませ、以後社内にて書類の閲覧及び整理」したと、同号証の二の同月八日の欄には「社内会議室において当組合と団体交渉に出席、泉分会は全員出席と思う」との各記載が存するが、これらの記載は前記認定事実及び原告の供述とも反している。さらに、前記原告の本人尋問(第一回)において、原告は、九月一日から一〇日余りは泉設計の事務所に勤務していたと供述していながら、一方では、九月九日に枚方まで出かけており、同月一〇日には八尾市の石田製作所にも出かけたと供述しており、供述内容に変遷が見られる。

(三)  成立に争いのない乙四号証及び一八号証の一・二によれば、原告は斎藤機工の事業廃止年月日について池田公共職業安定所長に対しては昭和五〇年八月三一日と届出したのに対し、吹田社会保険事務所長に対しては同年九月一六日と届出ていることが認められる。

(四)  前記原告の供述(第一、二回)、佐々木証言(第二回)及びいずれも成立に争いのない甲二一号証、乙三一、三二号証によれば、原告は当裁判所に書証として提出した図面に自宅の所在場所として事実に反する場所を記入し、佐々木義和によりその旨指摘されて自己のした記入が誤りであり被告提出の乙三二号証の図面に記入された場所が正しい旨供述を訂正したことが明らかである。前掲各証拠によれば、原告の自宅の位置が相違することは自宅から宮川バス停まであるいは阪急箕面線の桜井駅までの歩行時間に直接影響し、右記入の誤りは、原告の自宅から宮山バス停までの歩行時間が本裁判で問題となつており、その立証のために甲二一号証が提出されたこと、原告の自宅付近の状況を考慮すると、単なる原告のミスによるものとはいい切れないものがあるといわなければならない。さらに、原告は自宅から豊中駅方面へ通ずる最寄の宮山バス停までの歩行時間、宮山バス停から豊中市民病院へ行くためのバスの運行方法(直通か豊中駅で乗り換えるか)について事実に反することを供述していることが認められる。

(五)  以上(一)ないし(四)に指摘した諸事情を考慮すると、原告の泉設計における勤務状況、特に昭和五〇年九月一日から一〇日余りの勤務状況に関する原告本人尋問の結果(第一回)及び同尋問の結果に沿う前掲各証拠はいずれも信用することができず、前記新川証言によれば、同証人及び佐藤欣子は泉設計の事務所一階において受付と事務を担当しており、原告の出勤状況を十分把握できる状況にあつたことを考慮すると、前記新川証言、同証言によつて真正に成立したと認められる乙八号証、いずれも佐々木証言によつて真正に成立したものと認められる乙五ないし七号証及び一二号証は十分信用することができるものというべく、右各証拠によれば、原告は昭和五〇年九月一日に泉設計の事務所二階において役員就任の挨拶をし、同月二日に労働組合との団体交渉に出席した後は一ないし二日泉設計に出勤したのみで、それ以後泉設計に出社しなかつたことが認められる。

なお、原告の外勤状況に関する証拠として原告及び長谷川の各供述、原告提出の甲一三号証の一ないし九が存在するが、前記諸事情を考慮すると、右各証拠を直ちに信用することができない。

4  原告、長谷川元耶及び萌子が原告の泉設計における勤務状況について事実に反することあるいは相矛盾したことを供述したり、報告していることは前記認定のとおりであり、前掲各証拠によれば、それらの供述ないし報告はすべて被告に対して行なわれたものであることが明らかである。また、原告は長谷川萌子と内縁関係にあつて兄の元耶とも親しく、原告が勤務した形跡を作出しようと思えば容易にこれをなしうる状況にあつたことも否定しえず、前記佐々木証言及び乙一二号証によれば、佐々木義和が事情聴取のため長谷川萌子に原告のことをたずねたところ、同女は原告を父の知人であると答えたのみであり、一方、同女は従業員から原告のことを聞かれた際、原告は直行(現場へ)しているとか、今日は病気で休んでいる、九月中旬頃には病気でやめるということを述べていたことが認められ、さらに、前記乙三号証によれば、原告は斎藤機工においても健康保険に加入していたが、その標準報酬月額が五万六〇〇〇円であることが認められ、その金額が月額三〇万円となつた場合、傷病手当金の支給金額に大きく影響することとなることも明らかである。

5  そこで、以上の事実を総合して原告が健康保険法一三条に規定する「事業所ニ使用セラルル者」に該当するか否かを判断すると、原告は泉設計に入社したものとして昭和五〇年九月一日就任の挨拶をし、同月二日には団体交渉に出席し、それ以後も一日ないし二日泉設計に勤務したこと、さらにその後外勤をしたことがうかがわれるけれども、右の事実は原告が真実泉設計に勤務したことを示すものではなく、原告、長谷川元耶及び萌子が通謀して原告が泉設計に勤務した外観を作出したに過ぎないものと推認せざるを得ず、泉設計と原告間には事実上の使用関係も存在しなかつたものと言うべきであり、原告は健康保険法一三条に規定する「事業所ニ使用セラルル者」に該当しないものといわなければならない。

四  それゆえ、被告が昭和五〇年九月二五日になした原告の被保険者資格取得の確認処分には重大な瑕疵があり、その処分を放置することは健康保険法の目的に反することも明白であるというべきであるから、被告のなした本件処分は適法であり、原告の本訴請求は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 上田次郎 安斎隆 下山保男)

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