大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和52年(行ウ)66号 判決 1979年4月24日

原告 元東石 ほか五名

被告 法務大臣 ほか一名

代理人 辻井治

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告ら

被告大阪入国管理事務所主任審査官が昭和五二年五月一六日付で原告らに対してした退去強制令書の発付処分(以下本件処分という)を取り消す。

被告法務大臣が同月二日付で原告らに対してした裁決(以下本件裁決という)を取り消す。

訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決。

二  被告ら

主文同旨の判決。

第二当事者の主張

一  本件請求の原因事実

(一)  原告元東石は、昭和一九年(一九四四年)四月二九日、韓国済州道北済州郡旧左面西金寧里一〇三三番地で出生して育つた韓国人である。

同原告は、昭和三八年(一九六三年)原告安東女と婚姻し、共に農業を営んでいた。同原告らとの間には、翌昭和三九年(一九六四年)一一月九日長女訴外元良淑が生まれた。

(二)  原告元東石は、同年四月韓国海軍海兵隊に志願入隊し、昭和四〇年(一九六五年)八月浦口海兵師団第二連隊第二大隊本部中隊に所属した。

しかし、同原告は、同月中に同部隊を脱走した。

(三)  同原告の脱走の理由は、所属部隊がベトナム戦争に派兵されることを聞知し、自国防衛のための戦斗行為はやむをえないとしても、他国間の戦争に加わり、他国人を戦争の名の下に殺戮したくなかつたからである。

同原告は、脱走後二日間は付近の山中に身をかくし、釜山に逃げて友人宅にかくまつて貰つた。

同原告の脱走は直ちに部隊に判り、憲兵隊が捜索に当たる一方、軍は、ラジオ放送によつて、「ベトナム派兵を拒んで脱走した者は死刑に処する」旨の布告をした。

同原告は、このことを知り、生命の安全を保持するには国外逃亡のほかないと決意するに至つた。

(四)  そこで、同原告は、同年九月釜山から大阪港に密入国をした。

(五)  同原告は、大阪市淀川区下新庄に居住していた妻の叔母訴外安道花を頼り、同人方に居住してメリヤス加工業の手伝をしていた。

(六)  原告安東女は、昭和一七年(一九四二年)七月二四日、韓国済州道北済州郡旧左面東金寧里一三三〇番地で出生して育つた韓国人である。

同原告は、昭和四一年(一九六六年)一月夫である原告元東石が日本に密入国し安道花のところに身を寄せていることを知り、同月二五日、夫と同居するため長女を韓国に残し単身で日本に密入国した。

(七)  原告元東石は、同安東女と再会後西原メリヤス(経営者西原建一こと韓建一)方に住み込んでメリヤス編みの技術の修得に努め、原告安東女は、安道花方に住み込んで家事手伝をした。

同原告らは、昭和四四年一月から大阪市生野区中川五の一二に転居し、そこでメリヤス編みの営業をはじめた。

同原告らは、その後同市東成区中道二の二二の一、同市生野区巽北一の四の一四、同市東成区中道二の二〇の九に順次転居したが、現在もメリヤス加工業を営んでいる。

(八)  同原告らは、密入国後、二女原告元良玉(昭和四三年一〇月五日生)、長男原告元祥勲(昭和四五年八月一八日生)、二男原告元祥玉(昭和四七年一月五日生)、三男原告元珍(昭和五一年八月八日生)を儲けて同居している。

(九)  原告らに対する本件退去強制手続の経過と内容は、別紙退去強制手続の経過表記載のとおりである。なお、その端緒は、原告元東石が昭和五〇年三月大阪入国管理事務所へ不法入国の事実を申告したことにある。

(一〇)  被告法務大臣(以下被告大臣という)がした本件裁決は、次の理由によつて違法である。

したがつて、この違法な本件裁決に基づいてされた被告大阪入国管理事務所主任審査官(以下被告審査官という)がした本件処分も違法である。

(1) 被告大臣には、本件裁決をする際、出入国管理令(以下令という)五〇条に定める在留特別許可を与えるかどうかの裁量権がある。ところで、原告らには、その許可を与えるべき特別の事情がある。

(ア) 原告元東石は、前述したとおり海兵隊を脱走して日本国に不法入国したものであるが、同原告が韓国に強制送還されると、直ちに韓国軍事関係法規によつて死刑に処せられることが明らかである。

(イ) このことは、ほかの原告らにとつては、夫、父を失うことであるばかりか、脱走軍人の家族ということで、官憲や周囲の者から迫害され、その生活に重大な支障をきたすことが明らかである。

(ウ) 原告元東石、同安東女は、日本国に不法入国してすでに一三年にもなり、メリヤス加工業によつて生活の安定をえ、善良な市民として平穏な生活を送つている。

(エ) 原告元東石は、進んで不法入国の事実を申告した。

(2) 憲法前文の「全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏とから免がれ平和のうちに生存する権利を有する」という文言は、わが国に滞留する外国人にも当然適用がある。

ところで、本件裁決は、前述したとおり原告らの生存をおびやかすものであるから、人道に反し著しく正義にもとる。

(3) したがつて、本件裁決は、被告大臣の裁量権の濫用ないし免脱によるものであつて、違法といわなければならない。

(一一)  結論

原告らは、被告審査官に対し本件処分の、被告大臣に対し本件裁決の、各取消しを求める。

二  被告らの答弁 <略>

三  被告らの主張

本件裁決と、在留特別許可の許否とは、別個のものである。したがつて、在留特別許可が与えられなかつたことを理由に本件裁決の取消しを求めることはできない。

(二) 被告大臣が原告らに在留特別許可を与えなかつたことには、なんらの違法はない。

(1)  外国人の入国並びに在留の許否は、当該国家の自由に決しうるものであつて、条約等に特別の取決めがない限り、外国人の入国又は在留を許可する義務を負わない。これが国際慣習上の原則である。したがつて、被告大臣は、異議申出人の個人的事情のみならず、国際情勢、外交政策等の客観的事情を総合的に考慮し、その広い裁量の範囲で在留特別許可の許否をきめれば足りる。

(2)  原告元東石は、本件退去強制手続の中で一度も自分が海兵隊からの脱走兵であることを述べなかつた。このことは、被告大臣の恩恵的措置である在留特別許可を受けることに消極的であつたといえる。

(3)  いわゆる参戦拒否者をどのように処遇するかは、本来その者の属する国が国内法に照らしてきめるべき事柄である。したがつて、そのような動機で不法入国した外国人に対し、我が国が在留させる義務を負わない。

(4)  原告元東石が死刑に処せられ、そのほかの原告らが迫害されることはありえない。

韓国の軍刑法によると、同原告の脱走行為は、同法三〇条三号(軍務離脱罪)、四七条(命令違反罪)に該当するところ、その法定刑は、前者が三年以下の懲役、後者が二年以下の懲役又は禁固となつており、しかも、その公訴の時効は三年である(軍法会議法二八四条一項五号)。

原告元東石の長女元良淑、父元賛[王容]らの親族が現に韓国に居住して生活していることからすると、同原告の家族であるそのほかの原告らが迫害を受けるとするのは根拠がない。

(5)  不法入国者は、そもそも日本国に在留すること自体違法であり、その在留に対し法律上保護されるべき利益はない。退去強制の目的は、不法入国以前の原状に回復させるにある。したがつて、不法入国者の地位を正規在留外国人と同一視して過大に評価することは、わが国の領土主権の放棄に連がる。

(6)  原告らは、韓国に送還されても、そこには原告元東石の両親や兄弟等の親族、長女元良淑が居住しており、その生活を維持することは可能であつて他にそれを困難ならしめる特別の事情は見当らない。

四  原告らの反論

(一)  原告元東石が、本件退去強制手続で海兵隊を脱走したことを述べなかつたことは認めるが、同原告の脱走の事実は、客観的事実としてあることにかわりはない。したがつて、同原告が述べなかつたから本件裁決が適法になる理由はないし、同原告が恩恵的利益を受けることを放棄したことにもならない。

(二)  同原告の脱走行為は、韓国の軍刑法三〇条一号の敵前での軍務離脱罪に該当し、その法定刑は死刑、無期又は七年以上の懲役である。

同法二条五号に「敵前とは、敵に対し攻撃防禦の戦斗行動を開始する直前と開始後の状態……」と規定しているが、同原告は、自己の所属する部隊に対しベトナム派兵の命令が出された直後同派兵を拒んで脱走したもので、所属部隊はベトナムに派遣されたから、同原告の脱走は敵前脱走といえる。

(三)  韓国新憲法五三条には「国家の安全保障又は公共の安寧秩序が重大な脅威を受けるか、受ける恐れがあると認めるときは、……大統領は憲法に規定されている国民の自由と権利を暫定的に停止する緊急措置をとることができ、政府や法院の権限に関して緊急措置をとることができる。」とあり、現にいわゆる大統領緊急措置があり、韓国民は、法律上人権の保障がないのに等しい。そのうえ、韓国の司法の実態からして、とうてい正当な手続による裁判が期待できる状況にはない。

(四)  政治難民とは「人格、宗教、国籍、特定社会団体構成員あるいは政治的意見のゆえに迫害を受けるという十分根拠ある恐怖のために、国籍国の外にあつて、かつ、国籍国の保護を受けることのできないもの、ないしは、かかる恐怖のゆえに国籍国の保護を受ける意思を有しない者」をいう(難民の地位に関する条約(一九七一年七月二八日国連で採択)一条(2)、難民の地位に関する議定書(一九六一年一一月国連経済社会理事会承認)一条2参照)。ところで、同原告はここにいう政治難民に該当する。

難民に対し退去強制を命ずることは、条約三三条が禁じている。

もつとも、わが国は同条約の締結国になつてはいない。しかし、わが国の政府は、この条約の趣旨にのつとり、迫害の待つ国に対しては強制送還はしない方策であり、そのような者に対しては令五〇条の在留特別許可を与える取扱いをすることにしている。

そうすると、政治難民である原告元東石に対し、本件処分をすることは明らかに違法である。

そのほかの原告らは、原告元東石の家族であるから、本件処分が取り消されないと家族離散のやむなきに至る。しかし、これは著しく人道に反する。

五  被告らの反駁

(一)  原告元東石の脱走は、敵前の脱走ではない。同原告の脱走は、所属部隊がベトナムに派兵される以前の韓国内にとどまつていた時のものにすぎない。

(二)  同原告が韓国に送還された場合に受ける処罰は、同原告が軍隊を脱走した行為そのものを理由として軍刑法を適用して加えられるにとどまり、政治的意見の故に迫害を受ける者ではない。したがつて、同原告は政治難民ではない。

同原告は、政治的意見によつて軍隊を脱走したのではなく、ベトナムに行けばとても生きて帰ることができないので、脱走してでも家族のため生き長らえようと考えたうえ脱走したのである。

第三証拠関係 <略>

理由

一  本件請求の原因事実中(一)ないし(九)の各事実は当事者間に争いがない。ただし(三)の事実をのぞく。

そうすると、原告元東石、同安東女は、いずれも令二四条一号に該当する不法入国者、そのほかの原告らは、いずれも同条七号に該当する不法残留者であることは明らかである。

二  本件裁決の違法性について

(一)  原告らは、被告大臣が本件裁決をする際、原告らに対して在留特別許可を与えなかつたことが、被告大臣の裁量権の濫用ないし逸脱であつて違法であると主張しているので判断する。

(二)  法務大臣が令五〇条による在留特別許可を異議申出をした者に与えるかどうかは、法務大臣の広い自由裁量に属する。そのわけは、外国人の入国又は在留の許否は、条約などで特別の取決めのない限り、当該国家が自由にきめることのできる事柄に属するからである。したがつて、法務大臣は、令五〇条の許否をするに当り、国際情勢、外交政策などを考慮し、行政上の便宜ないし目的的見地から恩恵的措置としてその自由裁量の範囲内できめれば足りる。もつとも、この自由裁量の範囲は広いものであるといつても無制限ではなく、その裁量が甚しく人道に反するとか、著しく正義の観念にもとるといつた例外的な場合には、自由裁量権の濫用ないし逸脱があつたものとして取消しの対象になると解するのが相当である。

そこで、この視点に立つて、被告大臣がした本件裁決つまり原告らに在留特別許可を与えなかつたことが前述した例外の場合に該当するといえるかどうかについて判断をする。

(三)  請求原因(一)、(二)、(四)ないし(九)の各事実は当事者間に争いがない。

<証拠略>によると、次の事実を認めることができ、この認定に反するに証拠はない。

(1)  原告元東石は、通信兵として所属していた大韓民国海兵師団第二連隊が南ベトナムに派兵されることを聞き、南ベトナムで従軍すると戦死の危険も大きいし、これに加え、他国間の戦争に加わることに気が進まなかつたので、昭和四〇年八月二八日夜、大韓民国内において同連隊より脱走した。更に同原告は右脱走を理由に逮捕されることを免れるため、日本国に密入国した。

(2)  一九六二年の大韓民国軍刑法は次のとおり規定している。

第三〇条一項

軍務を忌避する目的で部隊又は職務を離脱した者は次の区別により処罰する。

1 敵前である場合には、死刑、無期又は七年以上の懲役

2 戦時、事故又は戒厳令地域である場合には、一年以上の有期懲役

3 その他の場合には、三年以下の懲役

第二条

5 敵前とは敵に対し攻撃防禦の戦斗行為を開始する直前と開始後の状態又は敵と直接対峙してその来襲を警戒する状態をいう。

6 戦時とは相対国又は交戦団体に対し宣戦布告をして対敵行為を取つてから当該相対国又は交戦団体に対する休戦協定が成立するまでの期間をいう。

7 事変とは戦時に準ずる動乱状態で全国又は地域別に戒厳令が宣布された期間をいう。

(3)  しかしながら、原告元東石のような脱走者に対し大韓民国の軍法会議がどのような手続で、どのような刑を科するのが通常であるのかは明らかでない。

(4)  原告元東石は、請求原因(二)及び石(1)認定の事実を、入国管理事務所係官の取調べや審理においても、被告大臣に対する異議申立においても、申述しなかつた。

(5)  原告らの親族、縁者はすべて大韓民国に居住している。

(6)  原告元良玉は自宅前で発生したひき逃げ交通事故事件の目撃者として、東成警察署の捜査に協力した。

(7)  原告らが密入国を自己申告するに至つたのは、右警察署において右事件の捜査のため参考人として取調べを受けたことが動機であつた。

(四)  前記争いがない事実や認定事実からすると、

(1)  原告らに有利な事情として、(ア)原告元東石、同安東女は密入国後発覚まで約一〇年間もたつていること、(イ)同原告らは、日本語が理解できること、(ウ)同原告らは、大阪市内で経済的に安定した生活を営んでいること、(エ)同原告らの子であるそのほかの原告らは、いずれも日本で生まれ育てられていること、(オ)我国の司法警察の捜査に協力したことがあること以上のことなどが挙げられる。

(2)  他方、原告らに不利な事情としては、(ア)原告元東石、同安東女は、密入国するまで日本とは全く無縁のものであつたこと、(イ)同原告らの長女は韓国に残つていること、(ウ)同原告らの親類、縁者は韓国にいること、(エ)原告元東石はメリヤス加工の技術を習得しているから韓国でそれによつて生計をたてることができること、(オ)同原告らの子である原告元良玉以下四名の原告らは、韓国人として韓国で教育を受けることは無意味とはいえないこと、以上のことなどが挙げられる。

(3)  そこで、原告らのこれらの事情をかれこれ検討したとき、本件裁決が甚しく人道に反し、著しく正義の観念にもとるとは到底いえない。

(五)  原告らは、当事者の主張一(二)及び四のとおり、原告元東石は政治的見解に基づき軍隊から脱走したもので韓国に送還されれば死刑に処されることになるし、日本国政府は原告らのような政治的難民に対しては退去強制を行わないのを方策としているし、一九七一年に国連で採択された難民の地位に関する条約三三条は政治難民に対し退去強制を命ずることを禁止していることを考慮すると、原告らに在留許可を与えなかつたことは著しく人道に反する等と主張する。

しかし、原告元東石が軍隊より脱走したのは、ベトナムで従軍すると戦死の危険が大きいことが第一の理由であること、同原告が韓国でどのような刑に処されるかは明らかでないことは前認定のとおりであり、日本国政府が同原告のような者に在留を許可するのが例であるとは本件全証拠によるも認められない。

また、原告らの引用する難民の地位に関する条約は日本国が締結国となつていないのみならず、二(三)(1)認定のような事情で軍隊を脱走して日本国に密入国した原告元東石が右条約にいう政治難民に当るかについては疑問がある。

ところで、他国の軍隊を何らかの理由(政治的見解その他)により脱走して我国に入国して来た他国民に対し自国内における在留を許可するかどうかは、国の基本的な外交政策等に大きなかかわりのあることである。したがつて、日本国憲法上外交等につき責任と権限を有する内閣の一部である法務大臣の在留許否の判断は、裁判所においても尊重されなければならない。

したがつて、原告元東石が大韓民国において軍隊脱走を理由として何らかの処罰を受けるとしても、原告らに対し在留特別許可を与えなかつた被告大臣の本件裁決に裁量権濫用もしくは逸脱の違法があると断ずることはできない。

(六)  まとめ

被告大臣がした本件裁決は正当であり、原告らが主張する裁量権の濫用もしくは逸脱があつたとするわけにはいかない。

三  本件処分の違法性について

本件裁決が正当である以上、これを受けてされた本件処分が適法であることは多言を必要としない。

四  むすび

以上の次第で、原告らの本件請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用は敗訴者に負担させることにしたうえ、主文のとおり判決する。

(裁判官 古崎慶長 井関正裕 小佐田潔)

退去強制手続の経過表 <略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例