大阪地方裁判所 昭和53年(わ)4730号 判決 1979年4月10日
主文
被告人を禁錮一〇月に処する。
訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、昭和二三年三月○○音楽学校(現在の○○芸術大学音楽学部)を卒業し、各公立学校の音楽担当教員をへて、昭和四〇年七月一日○○教育大学の前身である○○学芸大学助教授となり、昭和四九年四月一日○○教育大学教育学部音楽科担当教授に昇任したもので、かたわら昭和四二年一〇月ころから自宅である大阪府○○市○○○町××番××号所在木造瓦葺二階建(一階一〇九・九九平方メートル、二階四四・一〇平方メートル)の建物においてピアノレッスン塾を設け近隣の児童にピアノの個人レッスンを行っていたものであるが、右レッスン場入口から玄関前廊下をはさんでわずか三・八四メートルに近接した自宅玄関南側の四畳半間には昭和五一年一二月ころから下半身不随のため寝たきりとなっていた実母甲野花子(当七七歳)が在室し、同女の寝たばこの習癖でこれまでにも畳を焼く等の事故があり日頃から火災発生が懸念されていたことから、万一火災が発生した場合には児童を安全な場所へ避難誘導する立場にあったところ、妻子が不在であった昭和五二年一〇月一五日午後四時一五分ころ、前記ピアノレッスン場において、乙山春子(中学一年生、当時一二歳)および乙山夏子(小学四年生、当時九歳)の姉妹のレッスンを終えて同所で帰り仕度をさせ、引続き丙川一郎(小学一年生、当時六歳)のレッスンを始めようとした際、熱気を覚えるとともにレッスン場の北側天井の一部から白煙がわずかに立ちこめはじめ、それとともにきな臭いにおいを感じたので、レッスン場の引戸を開け玄関前廊下に出て様子をみたうえ、さらに前記実母甲野花子の寝たばこの不始末により同女の寝室から出火したのではないかと考えて右廊下に接する同女の寝室の入口の開き戸を開けたところ、すでに同室内は一面火炎に包まれさらに火炎や煙が右入口の外に噴出する状態となっていて同女の救出はおろか自力で消火することも到底困難な状況となっていたのを認めたが、前記のとおり右入口に近接してレッスン場の入口があり直ぐに玄関前廊下やレッスン場にも煙が充満し、延焼するおそれが多分にあったのであるから、このような場合、直ちにレッスン場にいる右三名の児童を誘導し、玄関、レッスン場北側窓、または裏口に当るレッスン場西側風呂場のくぐり戸等から屋外に脱出させてその生命の安全をはかるべき注意義務があるのに、これを怠たり、右裏口の安全を確認してのちにでも右三名の児童を避難誘導できるものと軽信し、レッスン場にいる右三名の児童に「火事だからそこで待っとりや」と声をかけ、同人らを出入口の戸を開放したままのレッスン場に残したまま、いったんその場から前記裏口に当る風呂場のくぐり戸に至り外部の様子をうかがうなどして時間を徒過した重大な過失により、その後レッスン場出入口に通じる廊下まで引返したものの、すでに煙が廊下に充満していてそれ以上進んでレッスン場に入り右児童らを救出することができず、止むなく裏口から外に出てレッスン場北側の窓の外から右児童らを救出しようとしたが及ばず、同室に充満した煙や火炎により、そのころ乙山夏子、丙川一郎の両名を一酸化炭素中毒により間もなく同所において死亡するに至らしめ、乙山春子に全身Ⅱ度火傷を負わせ、同月一七日午後三時四六分ころ、大阪市福島区福島一丁目一番五〇号大阪大学附属病院において死亡するに至らしめたものである。
(証拠の標目)《省略》
(弁護人の主張に対する判断)
弁護人は、被告人は自宅の火災発生に直面したばかりでなく、出火場所で下半身不随のため寝たきりになっていた実母が火炎に包まれ救出不能の絶望状態になっているのを認めたため周章ろうばいするとともに衝撃を受け一時的に正常な判断能力を失っていたのであるから、本件においてこのような被告人に対し直ちに自宅内のレッスン場にいた三名の児童の避難誘導をなすべき注意義務を課することは相当でないから被告人に重過失はなく、また、被告人に右注意義務を課し得るとしてもその遵守を期待すべき可能性がないから重過失責任を負わしめることはできないと主張する。
しかしながら、被告人は自宅でピアノ塾を開設しレッスン中は保護者にかわり児童を自己の管理下に置いていたのであって、その間に自宅において火災が発生する等児童の生命、身体の安全に危険を及ぼすような事態の発生があればその危険回避に必要適切な措置をとるべき立場にあったところ、本件火災は判示のような状況下において発生したのであるから、被告人に対し直ちに児童の避難誘導の措置をとるべき注意義務を課するのが相当であってその懈怠は重大過失というべく、本件において出火場所である玄関南側の実母の寝室ですでに火炎に包まれ絶望状態にあった同女を目撃した被告人がその衝撃により動転、かつ、ろうばいしたであろうことは容易に推認されるものの、その後被告人がいったんレッスン場にいた児童らに「火事だから待っとりや」といって裏口まで安全の確認に赴く等の行動に出ていることに徴すれば、この場合において被告人に対し直ちに児童の避難誘導をなすべき注意義務を課することを不相当とし、あるいはその履行を期待し得ないほどの事情があったとは認められないから、被告人は本件において重過失責任を免れるものではなく、弁護人の主張は採用できない。
(法令の適用)
被告人の乙山春子、乙山夏子及び丙川一郎に対する各所為は、いずれも刑法二一一条後段、罰金等臨時措置法三条一項一号に各該当するところ、右は一個の行為で三個の罪名に触れる場合であるから刑法五四条一項前段、一〇条により犯情最も重い丙川一郎に対する罪の刑で処断することとし、後記情状を考慮し所定刑中禁錮刑を選択してその所定刑期範囲内で被告人を禁錮一〇月に処し、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して全部これを被告人に負担させることとする。
(情状について)
本件は木造建物である自宅の一室にレッスン場を設け児童を集めてピアノ塾を開いていた被告人が、右レッスン場と廊下一つ隔てた別室から出火し既に火炎と猛煙をあげ自力で消火できない程度の火災となっているのを発見しながらレッスン場にいた児童三名に対しそのまま待機するよう指示してその場を離れる等直ちに避難誘導の措置をとらなかった重大な過失により右児童三名を死亡させるに至った事案であって、本件過失の態様、加えていったん救出のためレッスン場出入口近くまで戻りながら煙をみて同所からの救出を断念し屋外に脱出したものの駆けつけた近隣の者に対し積極的にレッスン場に取り残された児童の救出を求めようとしなかったため有効な救助の機会を失わしめた被告人のその後の行動、結果の重大性、殊に児童であればこそ忠実に被告人の指示を守り自力で脱出することなくレッスン場で待機していたためかえって猛煙に包まれ視界を失って右往左往しながら声を大にして救助を求めつつ、さながら阿鼻地獄の中で一命をおとした被害児童の心情は誠にあわれであり、悲惨な死によって最愛の吾が子を失った被害者の両親等家族の悲嘆痛恨の程は察するにあまりあり、被害感情はなお厳しいものがあること等の事情に照らすと被告人の刑責は相当重いといわざるを得ないところ、被告人自身本件火災により実母を焼死させたこと、被告人が本件の責任を自覚し大学教授の職を辞し、かつ、衷心被害者のめい福を祈り遺族に対し慰謝を尽すべく努力を続けて来たこと、被告人の経歴等の事情を十分斟酌しても被告人を禁錮一〇月に処するのが相当であり、刑の執行を猶予すべき事案とは考えられない。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 山田敬二郎 裁判官 政清光博 森宏司)