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大阪地方裁判所 昭和53年(モ)13683号 判決 1979年8月10日

申立人 日本メナード化粧品株式会社

相手方 佐野医院こと佐野俊夫 外一名

主文

相手方らは、それぞれ大阪地方裁判所に別紙(二)記載の各文書を提出せよ。

理由

一  申立人の本件申立の趣旨及び理由は、別紙(一)記載のとおりであり、これに対する当裁判所の判断は、次のとおりである。

1  民事訴訟法三一二条三号前段にいう「挙証者ノ利益ノ為ニ作成セラレ」た文書とは、「挙証者の法律上の利益を明らかにする趣旨で作成された」文書を指すものであるところ同法の規定する文書提出義務は、証人義務等と同様に、私人間の権利関係に関する紛争を証拠にもとづいて解決する制度である民事訴訟において、真実発見と裁判の適正化を図るため、相手方又は第三者に課された裁判所に対する公法上の義務であり、適正な事実認定に役立つ資料を一定の条件のもとにできるだけ法廷に提出させることを目的とする法意に鑑みれば、「挙証者の法上の利益を明らかにする」文書は挙証者の法律上の利益を直接明らかにするものだけでなく、同時に他人の法律上の利益を明らかにし、又は挙証者の法律上の利益を間接的に明らかにするものでもよく、また必ずしも挙証者の利益のためにのみ作成されたものである必要はないから、「作成趣旨」の観察に当つては作成者の主観的意図のみによることなく、文書の性質・機能から客観的に判断すべきものと解するのが相当である。

2  ところで診療録は、患者を診療した医師が医師法二四条、同法施行規則二三条などにもとづき、その診療後遅滞なく「診療を受けた者の住所、氏名、性別及び年令、病名、主要症状、治療方法(処方及び処置)、診療年月日」などの所定の記載事項、その他診療に関する必要事項を記載して、医師又はその所属の病院でこれを五年間保存すべきことを義務づけられた文書であり、まず医師にとつては、元来自己の行なつた治療行為の思考活動を補助、軽減するための一種の備忘録の役目を果す一方、医療行政上では医師に対し患者の適正な診療を行なわせるべく診療録の作成・保存を義務づけることによつて医師にその診療の適正性を証明させて医療業務を行政的に取締ることを可能ならしめる機能を有しており、更に、一般私人にとつては、診療録が、法令により記載を義務づけられた事項について、医師法により資格・業務等について規整された医師によつて診療後遅滞なく記載作成され、かつ作成・保存を義務づけられている正確度の高い文書であつて、その記載事項が私人間の権利義務関係の発生等について密接に関係するものであることから、保険その他の医療請求、出生死亡時の確定等の各種行政上の証明行為や、刑事裁判更には医療事故、薬害、食品公害等による損害賠償請求事件等の訴訟における証拠資料となる等の社会的性質・機能をも有するものである。

したがつて、診療録の作成趣旨ないし文書としての本質は、上叙のようなその作成・保存等に対する規整、私人に対する役割等に照らすと、作成者の主観的意図に拘束されることなく、診療行為に関する記載をもつて右診療行為の主体、客体又はこれに準ずるような関係にある人々の法律上の利益を明らかにすることにもあるということができる。

3  さて、本件損害賠償請求事件は、原告らが申立人らの製造した化粧品を使用したことにより顔面黒皮症に罹患したものとして申立人らに損害賠償を求め申立人らは原告らの化粧品使用と皮膚障害との因果関係を争うものであるところ、前記理由から別紙(二)記載の文書には、治療に訪れた原告らの症状の具体的容態、経過、治療内容等が診療の都度記載されているものと推認されるので、右文書は、医師及び患者である原告らの利益を明らかにするためのみならず、原告らが使用したと主張し申立人らの製造販売にかかる化粧品と顔面黒皮症発症との関係を明らかにするものとして、診療録の前示性質・機能に鑑みれば、間接的ではあるが申立人の利益をも明らかにするためのものとみることができる。

そうすると、相手方審尋の結果により相手方の所持の認められる別紙(二)記載の文書は、民事訴訟法三一二条三号前段の文書に該当するといわなければならない。

4  なお、患者の病名、症状などは通常患者個人の秘密に属するものとされているから、これを記載した診療録を裁判所に提出することは、医師の守秘義務との関係が問題となるけれども、本件においては、患者である原告らが損害賠償請求権の発生を基礎づける主張事実の一部として自ら自己の秘密である病名、症状を開示して申立人らに損害賠償を求めているのであるから、診療経過についてもプライバシー権を放棄しているとみるべきであり、これを守るためにある医師の守秘義務はその限度で実質的には消滅しているから相手方の別紙(二)記載の文書についての提出義務は、原告らの同意の有無にかかわらず存するものというべきである。

二  よつて、申立人の本件申立は理由があるのでこれを認容することとし、主文のとおり決定する。

(裁判官 仲江利政 前川豪志 小池裕)

別紙(一)

昭和五二年(ワ)第三八五八号事件

証拠申請

原告 寺崎育子

被告 日本メナード化粧品(株)

右事件につき被告は次のとおり証拠申請する。

昭和五三年一一月二七日

右被告代理人 平田省三

大阪地方裁判所 第一一民事部 御中

文書提出命令の申立

一、文書の表示、趣旨

原告寺崎育子(宇治市神明宮北)の診療録一切。

但し後記佐野医院は昭和四九年一一月受診。

同田中皮膚科は昭和四九年一〇月受診。

二、文書の所持者

イ 京都府宇治市神明宮東七番地

佐野医院こと

佐野俊夫

ロ 京都府宇治市大久保上ノ山五三番地

田中皮膚科こと

田中久続

三、立証趣旨

原告寺崎育子が黒皮症にかゝつたと主張する頃、同原告がサバを食べて顔面に発赤、赤斑を生じ、また日焼けをしたため、浴用剤であるヘルストンの微粉末を水でねつて顔面にパツクしていたところ、ますます、かぶれが増悪した旨を各医師に説明して、診察、治療を受けた事実を立証するものである。

四、文書提出義務の原因

民訴三一二条三号前段。その理由は次のとおり。

一 民訴三一二条三号前段にいう「挙証者の利益のために作成せられ」た文書とは、挙証者の権利・義務を発生させるために作成された文書または挙証者のための後日の証拠として作成された文書であつて、当該訴訟において挙証者の法的地位や権利・権限を立証し、または基礎づけるものをいうと解されている。

そして民事訴訟三一二条以下の規定による文書提出義務は裁判における証拠資料の必要性と文書の所持者の文書提出によつて蒙る不利益とを一般的に比較衡量して一定の要件を設けたうえ、その要件に該当するときは、文書の所持者はその文書の提出を拒むことができないものとして、裁判における真実発見に必要な書証を、できるだけ法廷に提出させて裁判所の判断資料に供し、もつて民事裁判の適正をはかるために文書の所持者に課せられた公法上の義務であるとされている。

したがつて、挙証者の利益のために作成された文書とは、挙証者の法律上の利益を直接に明らかにしたものにとどまらず、間接に明らかにするもので足り、また作成の目的は作成者の意思にとどまらず、文書の性質から客観的に認められれば足りると解すべきものである(大阪高決昭和五三・六・二〇判例タイムズ三六四、一七三)。

二 診療録(カルテ)は、患者を診療した医師が、医師法二四条、同法施行規則二三条にもとづき、その診療後遅滞なく診療を受けた者の住所・氏名・性別及び年令・主要病状、治療方法(処方及び処置)、診療年月日その他診療に関する必要事項を記載して、医師またはその所属の病院において、これを五年間保存すべき文書である。

その目的とするところは、直接には、医師に対し、適正な診療を行なわせ、かつ、医師にその診療の適正性を診療録の記載によつて証明させ、医療行政に役立たせることにあるが、診療録が、後日、各種行政上の証明行為の基本的資料となることまたは刑事裁判・民事裁判において重要な証拠資料となり、ときには不可欠な証拠となることから、その必要に供するための公益上の要請にももとづくものである。

それは、これらの用に供するため、医師が公法上の義務として作成保存すべき文書であつて、単に医師が自己の行なつた治療行為についての思考活動を補助、軽減するための一種のメモないし備忘録にとどまるものではない。

したがつて、これらの目的のために作成された診療録は、作成者の主観的意図を離れ、診療行為の記載につき、利害関係を有するすべての者の利益すなわち、右診療行為の主体、客体またはこれに準ずる関係を持つ者の法律上の利益を明らかにすることを目的として作成されたものということができる。

三 ところで本件各診療録には、原告寺崎育子が黒皮症にかゝつたと主張する頃、同原告がサバ寿司をたべて顔面に発赤、赤斑を生じ、また日焼けをしたため、ヘルストンの微粉末を水でねつて顔面にパツクしていたところ、ますますかぶれがひどくなり、炎症が増悪して来た旨を各医師に説明して、その診断、治療を受けた経緯が記載されているものと推定される。

このことは、昭和四九年一〇月頃被告メナードの販売員に対し、原告自ら、そのように説明した事実から、推定されるところである。

従つて、被告製造の化粧品を使用してその結果黒皮症の障害を被つたとの理由により原告から損害賠償を請求されている被告にとつて、右診療録は被告の法律上の利益を明らかにするものであつて、民訴三一二条三号前段の利益文書であるといゝうる。

別録(二)

目録

一、佐野医院

左記患者につき左記日時に関する記載のある診療録

患者名 寺崎育子

日時 昭和四九年一一月受診分

一、田中皮膚科

左記患者につき左記日時に関する記載のある診療録

患者名 寺崎育子

日時 昭和四九年一〇月受診分

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