大阪地方裁判所 昭和53年(ワ)1515号
原告
中島敏次
右訴訟代理人弁護士
小林勤武
(ほか三名)
被告
小川証券株式会社
右代表者代表取締役
赤井謙雄
右訴訟代理人弁護士
太田稔
同
出水順
主文
原告の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 原告が被告の従業員たる地位を有することを確認する。
2 被告は原告に対し別紙賃金目録(一)の総額欄及び同目録(二)の金額欄記載の各金員と、これ(賃金については別紙賃金目録(一)の給与月額欄記載の各金員)に対する同目録記載の各支払期日の翌日から支払済まで年五分の割合による各金員を支払え。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
4 右2につき仮執行宣言。
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求の原因
1 (雇傭契約等)
被告は、肩書地(略)に本店を、大阪府内に六ケ所の営業所を有して、証券取引法にいう証券業を営む株式会社であり、資本金は一億円、従業員は昭和五二年二月当時一〇八名程であった。(以下被告を適宜被告会社と称する。)
原告は、もと大蔵省に勤務し、同省近畿財務局理財係長をしていたが、その後訴外金田証券株式会社の取締役経理部長となり、ついで昭和四〇年九月二〇日被告会社と雇傭契約(以下、本件雇傭契約と称する。)を結んで被告会社に入社し、調査部長、総務部長、検査部長の各職に就いた後、同四八年一〇月から経理部長として勤務していたものである。
2 (賃金計算)
(一) 原告が、昭和五二年二月一八日当時、被告会社から支払を受けていた賃金は、一ケ月金二八万三〇〇〇円であり、賃金支払日は毎月一五日である。
(二) 被告会社においては、昭和五二年以降については毎年三月一五日に従業員の賃金のベースアップが為されており、その率(平均)は、昭和五二年が八・〇九パーセント、同五三年が九・三七パーセント、同五四年が九・一三パーセント、同五五年が八・一三パーセントであり、これに従って計算した原告のベースアップ後の賃金額は、別紙賃金目録(一)の給与月額欄記載の金額となる。
(三) 被告会社においては、昭和五二年以降従業員に対し、毎年遅くとも六月末日までに夏季一時金を、一二月末日までに年末の一時金をそれぞれ支給しており、その支給率(平均)は、別紙賃金目録(二)の支給率欄記載の月数分であるから、右ベースアップを前提に右支給率に従って計算した原告の夏季・年末の各一時金の額は、同目録(二)の金額欄記載の金額となる。
(四) 原告は、少なくとも従業員の平均以上の率による、賃金のベースアップ及び一時金の支給を受け得る権利がある。
3 然るに、被告会社は、昭和五二年二月一八日原告を有効に解雇したとして、右同日以降、原告の就労を拒みその賃金等を支払わないので、原告は、被告との間で右雇傭契約上の権利に基づき、原告の被告従業員としての地位の確認を求め、また、被告に対し、別紙賃金目録(一)の総額欄及び同目録(二)の金額欄記載の各金員及びこれ(賃金については別紙賃金目録(一)の給与月額欄記載の金額)に対するその支払期日の翌日(賃金については毎月一六日、夏季一時金については毎年七月一日、年末一時金については各翌年の一月一日)から右各支払済に至るまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求の原因に対する認否
1 請求原因1(雇傭関係等)及び同2(賃金計算)の(一)の各事実は認め、その余は争う。
2 被告会社の一般従業員及び管理職のベースアップ率は、平均では別表(略)(三)の通りであり、賞与支給率は、別表(四)(略)の通りである。原告が請求原因2(賃金計算)の(二)で主張するベースアップ率(平均)、夏季及び年末一時金支給率(平均)は、被告会社の一般従業員に関するもの(但しベースアップ率は本給についてのみのもの)であって、部課長に関するものではない。
なお、部課長のベースアップ及び夏季と年末の一時金は、その都度、被告会社の査定によって定められるものであるところ、部長である原告については、右査定がなされていないから、ベースアップ及び一時金の支給を受ける権利はない。のみならず、仮に、被告会社が、原告について、右ベースアップ及び一時金の査定をしてみても、右各年における原告のベースアップ及び各一時金の査定は、いずれもゼロとなる筈であるから、原告には右ベースアップ及び一時金を前提とした賃金請求権はない。
三 抗弁
1 (通常解雇)
原告には、以下に述べる通り、通常解雇の事由があったので、被告は、昭和五二年二月一八日、原告に対し、右同日付を以て原告を就業規則二二条所定の通常解雇をする旨の意思表示(以下本件解雇と称する。)をしたところ右意思表示は同日頃原告に到達したから、原告は、右同日限り、適法に解雇されたものである。すなわち、
(一) 原告は、昭和四〇年九月、被告会社に調査部長として入社し、その後総務部長、検査部長の職を経て、昭和四八年一〇月から経理部長の職にあったところ、原告が右経理部長になってからの部下であって、経理課保管係の訴外北野弘が、昭和四八年四月から同五一年六月三〇日までの間に、被告会社が顧客から保護預りとして預っている株券等有価証券を擅ままに横領し、被告会社に合計金一億四五〇〇万円余の損害を与えたが(以下これを「北野事件」という。)、右は原告の監督不行届によるものである。
すなわち、被告会社内で、原告の机は、経理部経理課のさして広くない事務室内にあり、執務する部下の言動はすべて原告にわかるうえ、訴外北野弘の机は、原告の机と接しており、その行動はすべて原告がその目の前で監視できる状態にあったし、しかも、右北野弘は、一定のスチールケースに保管すべきものとされている顧客からの使用済有価証券預り証を、足元のダンボール箱の中に、紙くず同然に突込み、それが長期間に亘っていたため、箱に山盛りとなっていたのである。しかるに、原告は、右北野に対する監督を怠り、同人の右事務処理を改善するよう注意を与えたことはなく、また、改善措置をとったこともなかったが、これは、原告の重大な管理ミスである。
(二) 次に、原告は、昭和五〇年一一月頃、被告会社の社長から、顧客から預った有価証券の残高照合の際に、現物照合をするよう指示されたにも拘らず、同年一一月分の極く一部の現物照合を行なったのみで、以後全くこれを行わなかった。そのために、金庫室内から多額の有価証券が長期間に亘って盗み出されているにも拘らず、その発見が遅れ、北野事件による損害額が異常なまでの高額になり、被告会社の存立すら危くなる程の重大事態が生じたのである。
(三) 昭和五一年五月、被告会社に対し大蔵省検査が実施されたところ、その際、主任検査官から推問書により、保護預りの在庫証券と帳簿の不符合が指摘された。これについて、被告会社の社長から原告に対し、推問書に対する答申書の作成が命ぜられたが、原告は、係に口頭で質問したのみで、おざなりな答申書を作成し、自ら不符合の原因につき、帳簿の閲覧・調査あるいは当該証券の扱者である営業員または顧客に直接問い合わせて確認する等の作業を怠った。そのために、訴外北野弘の前記犯行の一部が、この大蔵省検査の結果、少し調べれば既に発覚していたにも拘らず、その発見が遅れ、損害額増加の原因となった。
(四) 次に、右北野事件が発覚し、昭和五一年七月二四日(土曜日)及び二五日(日曜日)には、右事件が新聞・テレビ等に報道され、その被害金額の多額のため、いわゆる「とりつけ」騒ぎが起ることが憂慮されたので、被告会社の社長以下平社員まで殆んど全員が、右日曜日にも出社し、月曜日に殺到が予想される顧客の対策を夜遅くまで行った。近畿財務局も休日にかかわらず出勤し、大蔵省本省と非常事態に備えて連絡をとり、取引所・証券業協会も、業界全般に与える影響を考えてその対策に苦慮した。
しかるに、原告は、右のような中で、被告会社の存廃を決するやもしれない肝心の月曜日から、「病気」を理由に五日間に亘り出社をせず、指揮者のいない被告会社の経理部は、顧客からの問い合せ、返還業務に大混乱をきたした。しかも、右原告の「病気」は、大したものではなく、いわば責任逃れの口実とさえ思えるようなものであるにも拘らず、原告は、電話による指図等も全くせずに放置するという有様で、その無責任極まる態度に、他の管理職全員の怒りをかったのである。仮に、体の調子が少し位悪くても、被告会社の重大事に、その状況も聞かないという態度が、日頃の原告の勤務振りを如実に示しているのである。
(五) その後、原告は、北野事件の被害の回復の責任者として、経理課長と共に、これを行うよう指示されたが、一、二回、対外折衝に赴いたのみで、その後は放置し、回収のための努力は全くしなかった。
(六) 以上のように、原告の勤務態度の不適格性は、北野事件に象徴的に現われているが、原告は、日常の勤務全般にわたって意欲を欠き、被告会社の経営方針に非協力的であって、社内の統制を乱している。
例えば、被告会社では、昭和五〇年一一月から、毎週火曜日午前八時から本店の部課長による早朝会議が行われ、部課間の連絡を密にすると共に、全社的な成績向上のための討議を行っている。しかるに、原告は、他の部課長が全員出席しているのに、「経理部は業務が完全に行われており、特に会議を行う必要はない。」と言明して、殆んど右早朝会議に出席をしなかった。また、経理部の各課長から、原告に対し、業務の円滑な遂行のため、経理部会を開催するよう再三再四申入れたにも拘らず、原告は、一度もこれを行わず、自分の職責もさることながら、他の職員の意欲すら阻害する有様であった。
(七) さらに、原告は、昭和五一年三月一日から同月三一日まで、経理部長としての本来の職務を放棄した外その管轄する部内での部下の教育指導を怠り、部内の規律を乱した。
(八) その他、原告は、日常の業務においても、殆んど自ら行動をせず、いたずらに他を批判し、種々生ずる事態については、責任を回避し、他に責任を押しつけた。
原告は、北野事件においても、直接の責任者でありながら、管理体制に責任を押しつけ、経理課長、保管係長は、進退伺いを出したのに、原告のみは、自己の責任ではないとして、これを出さなかった。原告のこのような態度は、他の社員らの反発を買い、被告会社の課長会は、原告を糺弾する決議を行ったのである(このことだけでも、被告としては、今後の会社運営において、原告の存在が全社的な勤労意欲の低下、統制困難を生じさせ、会社の収益に重大な影響を与えるものと判断せざるを得ないのである)。ちなみに、北野事件の後始末として、経理課長は引責辞職をし、保管係長は、係長から降格されているのである。
(九) 以上のような原告の行為は、被告会社の就業規則五三条七号の「故意又は重大な過失により、会社に損害を与えたとき」一〇号の「勤務状態が著しく不良であるとき又は正当な事由なく欠勤若しくは無断欠勤六日以上に及ぶとき」一二号の「正当な理由なく会社並びに所属上長の指示命令に従わず又異動超勤等の業務命令を拒否したとき」の各懲戒事由に該当するところ、被告は、原告の今後の就職の問題等を考えて、原告の右各行為は、被告会社の就業規則第二二条二号に定める「勤務成績又は事務能率が著しく低劣で向上の見込がないと認めるとき」及び四号の「事業が縮少又は合理化の必要により剰員となったとき」にも該当するから、被告会社は、右就業規則二二条二、四号に基づき、原告を通常解雇したものである。
したがって、右通常解雇は、適法有効であって、原告は、右解雇により昭和五二年二月一八日限り、被告会社の従業員たる地位を失ったのである。
2 (定年退職)
仮に、右解雇が無効であるとしても、原告は、次の通り、昭和五六年二月六日限り、定年で被告会社を退職した。すなわち、
(一) 被告会社では、昭和五〇年一〇月九日(遅くとも同五四年一〇月一五日)に、従前からの就業規則の一部を改め、新たに定年制を設け、その二〇条五項で従業員は、満六〇才の誕生日をもって定年退職する旨定めた。なお、この定年制を定めた就業規則は、合理的なものであるから、原告の同意がなくても原告に適用されるのである(最高裁判所昭和四三年一二月二五日判決民集二二巻一三号三四五九頁参照)。
(二) ところで、原告は、大正一〇年二月六日生まれであり、昭和五六年二月六日に満六〇才となったから、同日限り、被告会社を定年で退職したものというべきである。
3 (休職)
次に、仮に、前記解雇が無効であり、また、原告が定年で退職しなかったとしても、次の理由により、原告には、原告主張の賃金請求権はない。すなわち、
(一) 原告が、前記解雇の意思表示後職場に復帰すると、被告会社内に混乱が生じ、被告会社の運営に重大な支障が懸念される状況であったところ、これは、休職を定めた被告会社の当時の就業規則一五条三号に定める「会社が休職の必要ありと認めたとき」に該当するので、被告会社は、昭和五三年二月一五日、原告に対し、昭和五二年一二月二六日付で休職を命ずる意思表示をしたから、原告は右一二月二六日以降休職となったものである。
(二) ところで、被告会社では休職中の従業員の給与の支給率は六割(夏季及び年末一時金は不支給)と定めているから(就業規則の一部である給与規定三二条参照)、原告には、右休職のため、原告主張の賃金請求権はない。
4 よって、本件雇傭契約は、通常解雇による本件解雇により終了したから、原告の請求はいずれも理由がなく、仮に右解雇の効力が認められないとしても、原告は右のとおり休職となっておりかつ本件雇傭契約は原告の定年退職により終了したから、原告の請求のうち少なくとも従業員の地位確認請求、各一時金請求、並びに賃金請求のうち休職後の分につきその六割を超える部分及び右定年退職後の分全部についてはいずれも理由がない。
四 被告会社の抗弁に対する原告の認否、主張、再抗弁等
1(一) 抗弁1(通常解雇)の(一)の冒頭の事実のうち、被告会社が原告に対し、昭和五二年二月一八日に、同日を以て、原告を解雇する旨の意思表示(但し、通常解雇ではない)をし、右意思表示が右同日頃原告に到達したことは認めるが、その余の事実は争う。
同1の(一)のうち、原告が昭和四〇年九月、被告会社に調査部長として入社し、その後総務部長、検査部長の職を経て、昭和四八年一〇月から経理部長の職にあったこと、原告が右経理部長になってからの部下であった経理課保管係の訴外北野弘が、昭和四八年一〇月(被告会社主張の如く同年四月からではない)から同五一年六月三〇日までの間に、被告会社主張の株券を横領し、被告会社にその主張の如き損害を被らせたこと、以上の事実は認めるが、その余の事実は争う。
同1の(二)(三)の事実は争う。
同1の(四)の事実のうち、原告が昭和五一年七月二六日(月曜日)から五日間被告会社を欠勤したことは認めるが、その余の事実は争う。
同1の(五)ないし(九)の事実は争う。
(二) 抗弁2の事実(定年退職制度を設けた就業規則の改訂)は争う。
(三) 抗弁3(休職)の事実のうち、被告会社が、昭和五三年二月一五日、原告に対し、同五二年一二月二六日付で休職を命ずる意思表示をしたことは認めるが、その余は争う。
2 被告会社は、被告会社の就業規則五二条七号に基づき、昭和五二年二月一八日付で原告を懲戒解雇にしたものであるところ、原告には、被告会社の就業規則五三条一号ないし一五号に定める懲戒事由はないから、右懲戒解雇は無効である。
3 なお、原告には、以下に述べる通り、被告会社主張の如き通常解雇による解雇理由もない。すなわち、
(一) 北野事件の真因
北野事件は、被告会社の社長のワンマン体制と、その下における管理体制の欠陥に起因して起きたものである。すなわち、被告会社では、顧客から保護預りをする有価証券の現物の金庫からの出し入れ、記帳、預り証控等一切の事務を訴外北野一人に行わせて、何らチェックのシステムがなかった。このため、現物と記帳とが一致していれば、その間に現物そのものが無断で持出されても全く発見できず、その間の数十回の社内検査でも、また、財務局の定期検査でも、それが発覚しなかったのである。経理部長である原告は、かねがねこのシステムに危惧を抱き、かねて社長や専務に現株の保管と帳簿事務を切り離し、相互チェックのシステムにすべきであると進言したが、全く聞き入れられなかったのである。以上要するに、被告会社が昭和四九年以来実施している現物照合による検査では、右事件を発見できなかったものであって、原告には、被告会社主張の如き、監督不行届はなく、北野事件と原告の行為との間には因果関係はない。
(二) 預り証の未整理について
回収済有価証券預り証には、必ず顧客の受領を証する署名捺印が行なわれており、回収済預り証を万一他人が持出したとしても、事故発生の原因とはならない。預り証が重要視されているのは、未回収の預り証の場合であり、証券会社と顧客の間を仲介するセールスが顧客に無断で、預り証を売却横領したりして事故が起る。
預り証は、回収したその都度、消印のスタンプを捺印し、出庫伝票と回収済預り証をセットにして整理し、保管をしているものである。この預り証の整理は、続き番号で、一〇〇枚セットになるまで保管し、一〇〇枚が全部揃って(全部揃うのに四・五年経過するものが多い)倉庫に収納することになるが、その整理は、まとめて行えばよいことであって、被告が山積み云々と主張しているのは、この未整理のことである。この未整理が、被告会社主張の如く北野事件のような事故につながる重大なものであれば、当然大蔵省の検査でも問題となり、推問事項となって、改善要求をされた筈であるが、このようなことはない。
ちなみに、原告は、重要な預り証の未回収分については、原告が毎月二回監査を行い、早期回収を厳重に指導しており、監査の都度、監査報告書を社長に提出していたのである。
したがって、有価証券預り証につき、被告会社主張の如く、訴外北野が未整理のまま放置していたのを、原告が看過していたようなことはない。
(三) 現物照合について
現物照合は、顧客に残高照合書を発送する直前に毎月行われており、帳簿と株券等を照合する単純な作業であるが、相当量があるため約一日の事務量であった。
ところで、原告は、被告会社で、総務及び経理を担当していた関係上、営業関係以外の外来者の面接や交渉ごとも全部行っており、時間の配分がとれない場合に、保管係の中西係長に任せ、後日実施状況の報告を受け、社長に報告書を以って報告をしていたのである。原告が照合するのも、中西係長が照合するのも、同じことであり、訴外北野の犯行は、帳簿と現物を同一人が取扱い、容易に符合さすことが出来たことに基因するものであって、原告が現物照合をしなかったことに基因するものではない。
ちなみに、訴外北野が、被告会社の預っている株券を横領し始めた昭和四九年一〇月頃からその犯行が発覚するまでの間に、帳簿と現物の照合は、大蔵省の検査が二回、取引所の検査が二回、社内検査が約二〇回行われたに拘らず、その不符合が発見できなかったのは、その制度そのものに欠陥があったのである。
(四) 大蔵省検査の際の答申書について
大蔵省検査の際の答申書は、検査終了後に、検査官から検査で問題となったことを改めて文書にした推問書が何日か後の講評時に手交され、これに対する回答を改めて文書として提出するものであって、検査官が検査を実施したときの状況を相互に確認するための文書である。したがって、検査時に、検査官が保護預り担当の中西係長及び北野社員に質問をし、受け答えをして、検査官が事情を了承した状況を文書に作成するものであって、原告は、事前に、検査官に原稿を見て貰い、その指導を受けて、答申書を提出したのであるから、被告主張の如くおざなりに答申書を作成したのではない。
なお在庫証券と帳簿の不符合は、全部で二〇項目近くに及ぶ右指摘事項の一つで不符合も少額の株券一通についてだけであり、この程度のことは他店でもしばしば起こることで、通常重大視する問題ではない。
(五) 原告は、被告会社が顧客から返却を求められた保護預り中の債券がなかったことから北野事件の発覚した昭和五一年七月八日以降、被告会社社長の命令で、その身代りのようにして、大蔵省との折衝、警察での事情聴取、社内での調査、弁護士との相談、右北野弘の父親との折衝等に奔走し、同年九月二七日右事件の調査報告書を作成した。
そして、原告は、北野事件の発覚した後の昭和五一年七月二五日の日曜日にも出勤し、来客との手筈もととのえたが、その翌朝出勤時に、自宅玄関で、目まいがして突然卒倒を起こしたので、医師の診断を受けたところ、メニエル症候群で一週間の安静加療を要すると診断された為、やむなくその旨被告会社に連絡し、その諒解を得て、右同日以降数日欠勤をしたのである。
(六) 原告は、北野事件の被害の回収について、被告会社の顧問弁護士と相談しつつ、一人でこの折衝を行ったのであって、被告会社では他に誰もこれを行なわなかったのである。
(七) 原告は、昭和五一年二月までは、被告会社の早朝の部課長会議(業務外)に出席していたが、同年三月は、後記(八)の如く部長職を辞職したので欠席し、同年四月から同年七月の北野事件発覚までは概ね右会議に出席していた。そして、北野事件発覚後は、社長命令で事実上経理部長の職をとかれ、右事件の対策に専念していた為、やむなく欠席していたのである。
(八) 原告は、被告会社で、総務課、管理課、経理課の外に労務担当として、団交等組合との関係の仕事も担当させられ、きわめて繁忙の業務を、誠心誠意処理していたところ、昭和五一年二月九日、被告会社の社長は、社内電話で原告に対し、突然「現在の負債比率はいくらか」と問いただし、原告が、同年二月六日に既に一月末の資産内容と負債比率を詳細に報告した後であったので、そのときの一月末まで一〇・三倍ですとの答えをすると、さらに直近の比率はいくらかと尋ねた。そこで、原告は、五分後に計算して一〇・二倍ですと正確な回答をしたところ、社長は、「そのような大切なことを即答できないのは、日計表が君の頭に入っていないからだ、日計表はこれから君が毎日残業して作れ。」と命令した。しかし、日計表は、管理部管理課の女子社員が、日計表科目の本日集計を、前日残高に加減して作成しているもので、単にタイプを打つ仕事であるところ、それを、経理部長の原告自ら作成しろというのは、全く横暴で侮辱的な命令に外ならなかった。そこで、原告は、同年二月一七日、被告会社社長の右侮辱的な命令に抗議して部長職辞退を申出て、その後同年三月中は、部長の職務を行わなかった。しかしこの問題は、その後双方諒解に達し、原告は同年四月一日から再び部長職を行うようになったのである。
(九) 北野事件発覚後の北野弘の上司に当る管理職らが進退伺を出したのは、被告会社社長から強要されたもので自発的なものではなく、原告は北野事件の調査、事後処理完了後責任について考えることとしたのであって、その責任を感じていなかった訳ではない。
(一〇) その外、「原告が、被告会社の経営方針に非協力的であり、このことが社内の統制を乱し、職員の勤務意欲を阻害した。」とか、原告の勤務成績が不良であること等に関する被告の主張は、抽象的に原告を誹謗中傷するものに過ぎず、いずれも就業規則五三条の懲戒事由や二二条の通常解雇の事由に該当するものではない。原告の北野事件の監督責任の点についても、社長のワンマン体制の被告会社においては、原告には、北野事件を防止しうる管理体制を整備し、執行するだけの権限は全く与えられていなかったので、右事件についての責任は、原告にない。
(一一) 以上の次第で、原告には、被告会社主張の如く通常解雇をされる理由はないから、右通常解雇は無効である。
4 (権利の濫用)
仮に、原告に、被告会社主張の如き解雇事由が形式的にあったとしても、本件解雇は権利の濫用であって無効である。
すなわち、本件解雇は、前記就業規則上の解雇事由を真の理由として行われたものではなく、専ら被告会社の当時の社長が、個人的に原告に対して抱いた悪感情から、原告を被告会社より排除する意図で行われた不合理なものであり、また被告会社が原告の勤務ぶりから何らかの不利益を被ったとしても、それと原告が長らく被告会社の幹部社員として為した貢献、原告が長らく勤めた職を失なう不利益の大きさとを比較すると、右の程度で原告を解雇するのは、著しく均衡を失しており、本件解雇は、被告会社の権利の濫用である。
よって、本件解雇は無効である。
5 定年制について
(一) 被告会社主張の如く、被告会社において、その就業規則が昭和五〇年一〇月九日(遅くとも、同五四年一〇月一五日)に一部改められ、新たに定年制が設けられたことはない。就業規則は、これを文書に作成し、行政官庁に届出て(労基法八九条)、社内に掲示又は備え付けることによって(労基法一〇六条)、始めてその効力を生ずるところ、被告会社では、その主張の頃までに、右手続をしたことはないから、被告会社主張の定年制が有効に定められたことはない。
のみならず、被告会社主張の定年制が、被告会社の利益代表者であって、一般組合員資格のない原告に対して、適用されることはないのである。
(二) 仮に、形式的に原告に対しても定年制の適用があるとしても、原告にこれを適用して、定年退職とすることは、権利の濫用である。
すなわち、これまでに、被告会社において定年制を適用して退職をさせられたのは、皆無であるから、これを原告にだけ適用するのは不当であり、また、一般組合員である従業員については、昭和五〇年一〇月九日に定年制の協定が締結されたときに、既に六〇才を過ぎていたものについては、二年間身分保障をしているし、原告が被告会社と雇傭契約を結ぶ際に、被告会社には、定年退職制はないことを確認して入社したし、さらに被告会社は、原告を被告会社から排除する意図を貫くため、前記解雇が無効とされることに備え、報復的な意思で定年制を適用しようとしているもので、以上の諸事実に照らすと、原告に右定年退職制を適用するのは権利の濫用であって許されないのである。
よって、本件雇傭契約に、右定年制を適用することは許されないのである。
五 右原告の主張に対する認否及び主張
1 前記原告の2ないし5の主張事実は争う。
2 被告会社は、原告主張の如く、原告を懲戒解雇にしたのではなく、通常解雇にしたのである。このことは、被告会社が原告に対する解雇の意思表示を記載した昭和五二年二月一八日付通告書に、退職金三九二万〇六八五円と一ケ月分の給料相当の金二八万三〇〇〇円の解雇予告手当を支払う旨記載しているところからも明らかであって、もし懲戒解雇であるならば、被告会社が退職金を支払う筈はないし、また、解雇予告手当を支払わずに、即時解雇をする筈であるからである。
3 次に、
(一) 預り証の未整理について
凡そ証券業界においては、有価証券の預り証を利用した不正事件が一番多く、そのため監督官庁もこの点には特に目を光らせている位であり、各証券会社も厳重な注意を払っている。被告会社でも、預り証は、施錠できるスチールケースの中に、整理保管すべきものと定められており、十数年に亘り、実行されてきた。しかるに、原告は、もと大蔵省証券検査官であるにも拘らず、目の前の、誰でもが持ち出せるような非常識な状態を見ながら、訴外北野弘に対し、何らの注意も、指導もしなかったもので、これは、原告の重大な管理義務の懈怠といわざるを得ないのである。前述の通り、原告は、未整理でダンボール箱に山積みになる程の状態を、チェックせずに放置しておいたもので、このような雰囲気が、原告のすべてに通ずる管理義務遂行の不十分さを象徴しているのである。
なお、原告が、右未整理の状況を知らなかったとすれば、そのこと自体が、原告の管理者としての不適格性を物語るものである。
(二) 現物照合について
被告会社の社長命令による現物照合はなされていなかったのである。原告は、部下の中西係長に任かせていたと主張しているが、原告のこのような態度は許されないのである。管理者であれば、これを常にチェックすべきであり、また、チェックをしていれば、必ず未照合がわかった筈である。そして、ひんぱんな現物照合は、経理部全体の空気を引き締め不正を行おうとする者に対する大きな心理的牽制となるし、また、長期に亘る不正には、必ずミスが生ずるものであるから、現物照合の頻度が高ければ高い程、不正を早期に発覚できる率が高くなるのである。
さらに、複数人で現物照合をしてチェックをすれば、当然不正を発見できるのである。原告は、現物と帳簿を訴外北野弘に任せていた被告会社の制度が悪かったと主張しているが、このような態度は、管理者のとるべき態度ではないし、しかも、被告会社は、右北野が三年以上も同じ部署に着いているので、これを変えようとしたが、原告は、これに反対をしたのである。
なお、北野事件の発覚の端緒は現物照合であったのである。
(三) 大蔵省検査の際の答申書について
昭和五一年五月に実施された大蔵省検査において、現物と帳簿の不符合が七件発見され、そのうち、北野事件に関係するものが三件あった。原告は、これに対し、コンピューターシステムの不馴れによるものとの答申書を出したが、コンピューターの切り替え時ならともかく、右の時期に、このような理由で簡単に処理すべき事柄ではないのである。
しかも、右検査時には、次のような不合理な点があったから、原告において、詳細な調査をすれば、北野の不正は発見できた筈である。
(イ) 現物と帳簿の不符合のあった三件については、証券のその出庫理由として、預り証切替えがあったのであるが、「預り証の切替え」は、証券を預ってから五年以上のものについてするのが通例であるのに、右三件については、その期間が短かった。
(ロ) 証券が、「預り証切替え」で出庫されるときは、同時に、同銘柄、同量の入庫がある筈である。
(ハ) 保護預りの入庫済のものについては、すべて営業部店で管理されていな出庫伝票があり、この伝票の指示で、保護預り担当者は、出庫手続を行うのであるから、営業部店に問合わせれば、明確な事実がわかった筈である。
しかるに、原告の作成した答申書は、右のような点についての具体的な調査をせずに、漫然と作成したものである。
(四) 原告の欠勤について
北野事件が新聞に発表され、顧客からの預り株式の返還請求が殺到することが予想されたので、被告会社は、これに対処するため、全社員の出勤を命じたのに、最も責任ある地位の原告が、大した理由もなく五日間も欠勤し、しかも電話等による適切な指示すらしなかった。当時、原告が病気であったとしても、被告会社にその状況を聞く電話もかけられなかったというようなことはあり得ないことであり、経理部長としての不適格性は明らかである。
4 原告の管理職としての職務懈怠
凡そ、管理職は、部下の監督や社内の改善、志気向上及び部下に任せられないことを行うのがその職責であって、平社員のように、単に労働時間だけは止むを得ず惰性的に働くということだけでは足らない筈である。殊に、原告は、もと大蔵省の証券検査官であったところから、被告会社に入社後は、その知識経験を生かして、被告会社の管理体制の向上に貢献があるものと期待され、被告会社に部長として入社したのであって、かかる原告の入社時の状況からしても、被告会社において、原告による一定の改善、成果が期待されていたのである。しかるに、原告は、昭和四八年一〇月から経理部長の職におりながら、自発的な改善等をしなかったことは勿論、被告会社から特別に命令された事すら実行しなかったのである。部長であるならば、本来は特別の命令がなくても、自発的に分担や方法を考えて、必要なことを実行すべきであり、単に部下に所定の命令をしたからといって、部長としての責任がなくなるのではないのである。したがって、経理部長としての原告の勤務成績は著しく低劣であったというべきである。
なお、仮に、被告会社が前記三の1(一)ないし(八)で主張している個々の事由の一つ一つのみでは、いわゆる通常解雇の事由に当らないとしても、その全体を集積総合して考えれば、充分に被告会社の就業規則二二条二号所定の通常解雇の事由に当るものというべきである。殊に、原告は、前述の通り、被告会社の平社員ではなく、管理職であったものであるから、その職責は、特に重かったのであるし、しかも、当時、被告会社は北野事件により多額の損害を被り、倒産の危険にさらされていたのであるから、かかる被告会社の状況の下では、原告の如き勤務態度は許されないのである。したがって、原告には、右通常解雇の事由に該当する事由があったものというべきである。
5 次に、本件解雇は、権利の濫用ではない。
すなわち、前述の通り、原告には通常解雇事由の外、懲戒解雇事由も存するのであるが、被告会社は、原告の為を考え、懲戒解雇は行なわず、原告に対しまず退職勧告をし、これに応じない場合に、通常解雇として本件解雇をしたものであるから、本件解雇は何ら権利の濫用ではない。
6 定年制について
(一) 被告会社では、昭和五〇年一〇月九日、労使間の合意により、従前の就業規則の一部を変更して、六〇才の定年制を設けることになったのであり、その後昭和五四年一〇月一五日頃、右定年制を記載した文書を作成してこれを従前の就業規則に付加し、さらに、昭和五五年一一月頃、右定年制に関する条項を盛込んで、就業規則を全面的に書き直し、昭和五六年四月三〇日に、所轄労働基準監督署に届出たのである。
(二) しかして、就業規則は、社会規範であると同時に法的規範である。労基法は、就業規則につき、その作成(変更)、届出、意見聴取を定めているが、文書の作成そのものを、就業規則の成立要件とはしていない、したがって、就業規則は、それが文書に作成されていなくても、その内容が明確であって、一義的に確定しており、しかも、その内容が周知されている状態になれば、有効に成立したものというべく、ましてや、所轄労働基準監督署への届出は、その効力要件ではないというべきであるから、六〇才の定年制に関する被告会社の就業規則は、前記昭和五〇年一〇月九日に成立したものというべく、仮にそうでないとしても、遅くとも昭和五四年一〇月一五日頃に成立したものというべきである。
(三) 次に、本件定年制を原告に適用することは、何ら権利の濫用ではない。
被告会社では、従前は、慣行により五五才が定年であったところ、その後前述の通り、労使の合意に基づき、従前の就業規則を改めて六〇才の定年制に変更したのであるから、その間に不利益変更はなく、また右六〇才定年制は合理的なものである。被告会社の従業員中、定年後も嘱託として再雇傭された者も存するが、右再雇傭をするか否かは、当該社員の勤務状態をみて、被告会社が決定することであって、嘱託として再雇傭することが慣行となっていたわけではない。したがって、原告に六〇才の定年制を採用することは、何ら権利の濫用ではない。
(四) 却って、原告が本件定年制の適用を否定することは、禁反言の法理により許されないものというべきである。
すなわち、原告は、被告会社側の責任者として、組合と右六〇才の定年制に関する交渉をした結果、右定年制が設けられるに至ったものであり、しかも、原告は、右定年制の制定に伴い、被告会社の従前の就業規則の文言を訂正変更する責任があったところ、その後、原告は、右就業規則の文言の訂正変更を怠り、これを放置していたのである。このような原告自らの怠慢を棚に上げて、原告主張のように就業規則が文書化されていないこと等の理由により、六〇才の定年制が原告に適用されることを否定することは、禁反言の法理により許されないものというべきである。
六 右被告会社の主張に対する原告の認否等
1 被告会社の右2ないし6の主張事実は争う。
2 原告が訴外北野弘の配置換に反対したことはない。被告会社は、社長の全くワンマン経営であるから、原告が社長から、部下の配置換えや昇格について相談を受けたことは一回もない。
3 被告会社主張の大蔵省検査の際、被告会社が顧客から預っている株券は在庫としてあるのに、帳簿上は出庫されていたもので、右は誤記帳であるとの担当者の説明により、検査官も了解していたものであって、当時は、右の点の疑問はなかったのである。
第三証拠(略)
理由
一 被告会社は、大阪府東区今橋二丁目三三番地に本店を、大阪府内に六ケ所の営業所(但し、営業所の数は昭和五一、二年当時)を有して、証券取引法にいう証券業を営む株式会社であり、本件解雇のあった昭和五二年二月当時資本金一億円、従業員数約一〇八名であったこと、原告は、もと大蔵省に勤務し、同省近畿財務局理財係長をしていたが、その後金田証券株式会社の取締役経理部長となり、ついで昭和四〇年九月二〇日被告会社に入社し、被告会社において、調査部長、総務部長、検査部長の各職に就いた後、同四八年一〇月から経理部長として勤務していたものであること、以上の事実は、当事者間に争いがない。
二 本件解雇
次に、被告会社が昭和五二年二月一八日原告に対し、同日付をもって、原告を解雇する旨の意思表示をし、右意思表示が同日頃原告に到達したことは当事者間に争いがない。
しかして、(証拠略)によれば、被告会社は、右解雇の意思表示をする際に、原告に対し、一ケ月分の給料相当の解雇予告手当と退職金として金三九二万〇六八五円とを支給する旨通知していることが認められ、また、(証拠略)によれば、被告会社の就業規則では、従業員を懲戒解雇する場合には、解雇予告手当も退職金も支払う必要がないと定められているのに対し(五二条一項七号及び二項)、通常解雇(就業規則二二条)の解雇をするときには、解雇手当を支払う旨定められており(但し、即時解雇の場合に限る)(二三条一項但書)、また、退職金を支払わない旨の定めはないこと(したがって一般原則により退職金は支払うことになる)が認められるところ、以上の諸事実に弁論の全趣旨に照らして考えると、被告会社が原告に対し、昭和五二年二月一八日付をもってなした本件解雇は、いわゆる通常解雇であって、原告主張の如く、懲戒解雇ではないと認めるのが相当であり、右認定を左右するに足る証拠はない。
したがって、本件解雇が懲戒解雇であることを前提とした原告の主張は、その余の点につき判断をするまでもなく失当である。
三 本件解雇の効力
そこで、次に、本件解雇が有効であるか否かについて判断する。
1 北野事件
(一) 被告会社の経理部経理課保管係の訴外北野弘が、昭和四八年(同年四月頃からか一〇月頃からかの点は暫く措く)から同五一年六月三〇日までの間に、被告会社が顧客から預った株券等の有価証券を横領し、そのために被告会社に総額約金一億四五〇〇万円相当の損害を被らせたことは当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、訴外北野弘が、右被告会社の預っている株券等を横領し始めたのは昭和四八年一〇月頃であったこと、また、訴外北野は、昭和四八年夏頃から、野球賭博や競馬賭博などの賭博を始め、これに負けた金の支払いに困って、右株券等を横領するようになったこと、以上の事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。
(二) 次に、(証拠略)によれば、被告会社は、昭和五一、二年当時、資本金一億円、従業員数約一〇〇名余の、証券会社としては、比較的小規模の会社であったところ、前述の如く、訴外北野弘が被告会社の預っている株券等を横領して被告会社に総計約一億四五〇〇万円相当の損害を与えたため、右の如き経営規模の被告会社は大打撃を受け、右事件を契機に歩合外務員の一部が退職した外、その資産状態が悪化し、信用不安も生じ、一時は、被告会社の経営危機を招きかねない状況に陥ったこと、そして、右大打撃を受けた被告会社を立直らせるために、その後、被告会社の役員始め全従業員の一層の努力が要請されていたこと、以上の事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。
2 訴外北野弘に対する原告の監督責任
(証拠略)を総合すると、次の事実が認められる。すなわち、(イ)原告は、前述の通り、昭和四八年一〇月から被告会社の経理部長の職にあり、訴外北野弘は、それ以前から右経理部経理課保管係の職にあったものであるから、原告は、昭和四八年一〇月からは、右北野の直接の上司であって、その職制上右北野を監督する立場にあったこと、(ロ)また、現実にも、被告会社内において、原告と訴外北野とは同じ部屋で勤務し、かつ、その席も、原告の目前で原告の席に接して訴外北野の席があったのであるから、原告は、訴外北野の行動を、毎日直接に監督し得る状況にあったこと、(ハ)ところで、訴外北野は、前述の通り、昭和四八年一〇月頃から同五一年六月三〇日までの長期間に亘り、賭博に負けた金等を捻出するため、被告会社の預っていた顧客の株券等を、極めて多数回に亘り、多量に横領したのであるから、右北野の席に接して執務していた原告としては、その監督を十分にしていれば、訴外北野の日常の挙動から、右不正行為を発見する余地が全くなかったとはいえないこと、(ニ)例えば、訴外北野が横領した右株券のなかには、配当金の支払われるものがあったのに、右配当金が顧客の手許に届かなかったところから、これについて顧客からの照会の電話が度々あり、これに対しては訴外北野が応答していたのであるが、右北野の席に接していた原告が、右電話の応答に注意していれば、北野の不正行為の発覚の端緒となり得る余地もあったこと、(ホ)さらに、被告会社では、被告会社が顧客から預った有価証券を顧客に返還して預り証を回収した場合には、これを被告会社に残っている控と貼り合せ、整理をして、未回収の預り証を調査確認し、かつ、右回収した預り証は、ケースに保管することになっていたところ、訴外北野は、顧客から回収した預り証を、自己の机の下のダンボール箱に入れて放置していたのであるから、同人の直接の上司である原告としては、これに対し、適当な注意を与え、その指導監督をすべきであったのに、原告は、これを怠ったこと、以上の事実が認められ、(証拠略)の結果はたやすく信用できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
してみれば、原告は、訴外北野の直接の上司として、平素から同人を監督指導すべき義務があったのに、必ずしもその職責を果したものとはいい難いのであって、訴外北野が右北野事件を起こしたことについて、少なくとも、その直接の監督者としての監督責任を免がれることはできないものというべきである。
もっとも、原告は、北野事件は、被告会社の社長のワンマン体制とその下における管理体制の欠陥に起因して起きたものであり、また、被告会社が顧客から回収した預り証が前記認定の如く放置されていたことはないし、右預り証の未整理と北野事件との間に因果関係はないと主張している。しかしながら、北野事件が、被告会社の社長のワンマン体制とその下における管理体制の欠陥のみに起因して起きたとの事実及び預り証が放置されていたようなことはないとの事実を窺わせる(証拠略)の各記載内容及び原告本人尋問の結果はたやすく信用できず、他に右事実を認め得る証拠はない。
また、前記預り証が未整理のまま放置されていたことと北野事件の発生との間には、直接の因果関係はないとしても、原告の部下が、右回収された預り証を、前述の被告会社で定められた取扱いの通り整理していないのに、原告において、これを放置していたことは、経理部長としての職務怠慢のそしりを免がれないものというべきである。
しかして、原告の訴外北野に対する監督指導の不行届が、北野事件を発生させた直接の原因ではないとしても、原告の直属の部下である訴外北野が北野事件を起こし、資本金一億円の被告会社にその資本金の約一・五倍近くの約金一億四五〇〇万円の損害を与えたことについては、前述の通り、原告においてその監督責任を免がれることはできないものというべく、しかも、その責任は相当に重いものというべきである。
3 現物照合と原告の任務懈怠
(証拠略)を総合すると、次の事実が認められる。すなわち、
(一) 被告会社では、顧客から保護預りにより有価証券を預った場合には、入庫伝票、明細簿、添付票、預り証(控)、出庫伝票、預り証の六枚の伝票が発行され、そのうち、入庫伝票、明細簿、添付票、預り証(控)の四枚の伝票が有価証券と共に、被告会社本社の経理課保管係に回付されていること、そして保管係は、入庫伝票と明細簿に所要事項を記載し、有価証券に添付票を付けてこれを被告会社本社地下の倉庫に格納し、また、入庫伝票は、一旦新日本システムサービス株式会社に送ってコンピューターに覚え込ませた後、保管係においてこれを保管し、明細簿や預り証(控)も保管係において保管していたこと
(二) 訴外北野弘は、被告会社の経理部経理課保管係として、被告会社が保護預りとして顧客から預った有価証券の保管業務に従事し、現実には、前記(一)の如き事務に従事していたこと
(三) ところで、被告会社では、被告会社の預った有価証券の現物照合(書類上と現物の存在の確認)は、従前から被告会社の検査部において行っていたが、昭和五〇年一〇月ないし一一月頃、当時の検査部長であった山本健二が専務取締役に昇格したので、事実上検査部の仕事が出来なくなったこと。
(四) そこで、経理部管理課長の川村敬が右検査部の仕事の一部を引受け、また、現物照合は、その頃被告会社の社長が経理部長の原告に対し、自づからこれを行うよう命じたこと、なお、右現物照合は、有価証券保管事務の担当者である訴外北野弘やその上司の保管係長中西鈴彦らのみでしても、その実効性が上らないところから、被告会社の社長は、経理部長の原告に、直接右現物照合をするよう命じたこと、
(五) しかるに、原告は、右中西らとわずか一部の現物照合をしたのみで、それ以外には全く現物照合をしなかったこと、
(六) ところで、被告会社では、右現物照合は、従前から、明細簿等の記載と現物とを照合してなされていたが、訴外北野は、右明細簿の内容を適当に改ざんしたり、入庫伝票の一部を訴外新日本システムサービス株式会社に送らずに、有価証券を横領していたので、右の如き方法による現物照合では、その不正を発見することは容易でなかったこと、
(七) しかし、被告会社が顧客から有価証券を預った場合に作成される出庫伝票(これは証券を顧客に返す場合に使用されるもの)は、右有価証券を直接顧客から預った各窓口の担当者(保管係以外のもの)が保管しているし、また、被告会社の各営業所では、当該営業所が顧客から有価証券を預った際に、その有価証券の種類その他所要事項を記載したいわゆる発行簿を作成しており、その写を本店に送付していたのであるから、右発行簿の写や出庫伝票と有価証券の現物とを照合すれば、前記北野の不正行為を発見することは容易であったこと、なお、右の如く、発行簿の写や出庫伝票を用いて現物照合をする方法を着想することは、当時それ程困難なことではなかったこと、
以上の事実が認められ、右認定に反する(証拠略)の結果はたやすく信用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
してみれば、原告は、昭和五〇年一一月頃、被告会社の社長から現物照合をするように命ぜられたにも拘らず、これを怠ったものというべきであって、右原告の職務怠慢は、北野事件の発覚が遅れたことに対する遠因をなしているものというべく、仮にそうでないとしても、原告の勤務成績が不良と評価される一因となるものというべきである。
もっとも、原告は、従前から被告会社において実施していた現物照合の方法では、訴外北野の不正行為は発見できなかったし、また、現実に現物照合は、原告自づから又は部下の中西係長に命じてこれを行っていたのであって、結局北野の不正行為は、帳簿と現物とを同一人に取扱わせていたことに起因して発生したものであるから、原告には、右北野事件について責任はないとの主張をしている。なる程、被告会社が従前から行っていた現物照合の方法では、訴外北野の不正行為を発生することの困難であったことは前記認定の通りであって、その限りでは、原告が現物照合を怠ったことと北野事件とは直接の因果関係はないといえるが、そのことから、原告が社長から命ぜられた現物照合を怠ったことが当然に正当化されるものではなく、右現物照合を怠ったことは、原告の勤務成績が不良とされる一因となるべきである。
のみならず、前述の通り、現物照合により、訴外北野の不正行為を早期に発見する方法は客観的にあったのであり、かつ、この方法に気付くことはそれ程困難なことではなかったから、当時経理部長の職にあって直接部下の訴外北野を監督する立場にあり、しかも特に社長から現物照合を命ぜられた原告としては、漫然と従前の方法による現物照合では訴外北野の不正行為を発見できなかったとして、右不正行為の発見が遅れたことについてその責任を免がれ得るものではなく、却って、前述の如く、北野の不正行為を早期に発見できる方法が客観的にあったのに、その方法をとらなかったため、北野の不正行為の発見が遅れた点において、原告に相当の責任があるものというべきである。
また、原告が社長から現物照合を命ぜられてから後、自づから又は中西係長に命じてその全部を現実に行ったとの事実を窺わせる(証拠略)の結果は、(証拠略)に照らし、たやすく信用できないものというべきである。
なお、前記の如く、訴外北野に明細簿と預り証(控)とを保管させると共に有価証券の現物の入出庫も取扱わせていたことが、訴外北野の不正行為を容易にしたことは否定し得ないけれども、前述の通り、原告は、訴外北野の直接の上司であって同人を直接監督する立場にあったのであるから、原告が部長として統轄する経理部内で自づから右の如き取扱いを改めるよう努力すべきであって(原告が右努力をしたことについては本件における全証拠によるもこれを認めることはできない)、その責任を他に転嫁する立場にはなかったものというべきである。
よって、前記原告の主張は採用し得ない。
4 大蔵省検査の際の答申書の作成等
(証拠略)の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。すなわち、昭和五一年五、六月頃、被告会社に対し大蔵省財務局の検査が行なわれたが、その際、一部預り有価証券の現物と明細簿との不符合が指摘され、そのなかには、後日訴外北野弘が横領していたものと判明したものが三件あったこと、ところで原告は、右現物と明細簿との不符合は、コンピューターを導入したため、係員の不慣れから生じた単なる事務処理上の誤りであるとして、深く調査、追及しないまま、その旨記載した答申書を作成してこれを大蔵省に提出したが、実際には、右不符合は、コンピューター導入による係員の不慣れから生じた単なる事務手続上の誤りではなかったこと、当時においても、右明細簿以外に、前記3の(七)で認定した通り、出庫伝票や発行簿の写と現物とを照合することにより、右北野の不正は比較的容易に発見し得たのであるから、原告において、前記大蔵省で指摘された明細簿と現物との不符合を契機に、さらにその方法を工夫して、出庫伝票等と現物とを照合するとか、その他の方法で調査を徹底すれば、その際に、右北野の不正行為を発見し得る余地はあったこと、以上の事実が認められ、(証拠略)の結果はたやすく信用できず、他に右認定を覆すに足る証拠はない。
してみれば、右大蔵省検査において指摘された明細簿と現物との不符合は、単なる係員の事務手続上の誤りではないのであって、その点で原告の作成した答申書の内容は客観的な事実に合致していない不十分なものであったというべきであるし、また、その際における原告の調査も、必ずしも十分なものではなかったというべきである。
なお、原告は、右答申書は、事前に大蔵省検査官にその原稿をみせ、右検査官の指導を受けて作成提出したものであるから、おざなりな不十分なものではないとの趣旨の主張をしているが、右大蔵省検査官の指導を受けて答申書を作成したからといって、そのことのみからその内容が十分なものであるとは到底いい得ないから、右事実からその内容が不十分であるとの前記認定を覆すことはできないものというべきである。
5 昭和五一年七月二六日以降の原告の欠勤
原告が、昭和五一年七月二六日以降五日間被告会社を欠勤したことは当事者間に争がなく、右事実に、(証拠略)を総合すると、次の事実が認められる。すなわち、昭和五一年七月二四日(土曜日)及び同月二五日(日曜日)の両日に、訴外北野が被告会社の預っている有価証券を多量に横領していたことが新聞等に報道されたため、被告会社では、同月二六日の月曜日から、被告会社に預けている有価証券や金銭の返還等を求めて顧客が殺到することを心配し、社長の命令で、同月二五日の日曜日から、全員が出社してこれに対処することになったこと、ところで、原告は、有価証券の保管業務を行っている経理部の部長であったから、当然自づからその陣頭に立ち、有価証券等の返還に対する顧客の要請に答えたり、部下に適切な指示を与えるなどして、右返還業務に当るべき義務があったこと、しかるに、原告は、右二五日の日曜日には出勤したが、翌二六日からは、病気を理由に五日間被告会社を欠勤したばかりでなく、右欠勤中に、被告会社に電話をするなどして所要の事務連絡や指示をしなかったこと、そのために、原告は、部下職員の不満と不信をかったこと、以上の事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。
もっとも、(証拠略)によれば、原告は、昭和五一年七月二六日朝、出勤時に目まいがしたところから、医師の診断を受けたところ、メニエル症候群で、一週間自宅において安静加療を要するとの診断がなされたので、右同日以降被告会社を欠勤したことが認められる。しかしながら、右原告のメニエル症候群は、入院する程でもなかったことは、(証拠略)の記載自体からも明らかであって、当時原告が果して五日間も出社することのできない程の病状であったかどうかは甚だ疑わしいものというべきである。
しかして、被告会社の経営が順調なときであったならば格別、前記1の(二)で認定した事実に、(証拠略)を総合すれば、当時、資本金わずか金一億円の被告会社は、原告の直属の部下である訴外北野の約金一億四五〇〇万円の横領行為により、大打撃を受け、かつ、これが新聞等に報道されて、緊急事態の発生が予想されていたときであって、従業員全員がこれに対処することの要請されるときであったことが認められるところ、このようなときに、原告の病気が客観的に五日間も出社できない程の重症であったことかどうか疑わしい本件において、原告が、右病気を理由に、たやすく五日間も欠勤したことについては一応の非難を免がれないものというべきであるし、仮に、右非難があたらないとしても、原告が、その自宅で療養中、電話等で被告会社に所要事項の連絡や指示をしなかったことは、やはり経理部長としての職務怠慢のそしりを免がれないものというべきであって、右の如き原告の態度は、その勤務成績が不良と判定される一因になるべきものというべきである。
6 経理部長職の放棄
(証拠略)を総合すると、次の事実が認められる。すなわち、
原告は、昭和五一年二月九日、被告会社の社長から、当日の負債比率を問われたが、即座には、概数しか答えられなかったので、直ちに日計表から計算して正確な数値を数分後に答えたところ、右社長から、「経理部長として基本的な数字が頭に入っていない。今後は毎日残業してでも自分でタイプを打って日計表を作成せよ。」との旨命ぜられたこと、しかし、本来タイプ係の女子事務員がやっている日計表の作成を部長である原告に命ずるのは原告を侮辱するものとして、原告は、昭和五一年二月一七日付で被告会社に対し、管理職辞退届を提出し、同年三月一日から同月三一日まで経理部長の職を放棄してその職務を行わなかったこと、しかし、その後被告会社社長らと話し合った末、同年四月一日から再び経理部長の職務を行うようになったこと、以上の事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。
しかしながら、(証拠略)によれば、被告会社においては、負債比率を知る上で必要な日計表は、原告の監督する経理部管理課で作成されるものであり、かつ、原告は毎日これに目を通すことにしていたのであるから、経理部長である原告としては、その職責上当然に、右日計表の数字を知っているべきであり、したがって負債比率も当然に知っているべきものであることが認められ、右認定に反する(証拠略)の結果はたやすく信用できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。してみれば、被告会社の社長が原告において正確な負債比率を即座に答えられなかった点を契機に、原告自づからタイプを打って日計表を作成するよう命じたことは、不適当であったけれども、原告において正確な負債比率を即座に答えられなかった点において、原告にも責められるべき事由があったものというべきである。
のみならず、右社長の命令(これは被告会社の命令とも解せられる)が不当であっても、原告が昭和五一年二月一七日付で一方的に管理職辞退届を提出し、その後被告会社の承認がないのに、同年三月一日から経理部長の職を擅ままに放棄したことは、極めて不当であったというべきである。けだし、被告会社を全面的に退職する場合は格別、被告会社を退職せず、その従業員の地位のままにある者が、それまで被告会社から命ぜられて従事してきた職務の変更を求め、被告会社の承認がないのに、一方的に右従前の職務を放棄することは許されないのであって、もし、従業員において、従前の職務を一方的に放棄してこれを遂行しなければ、債務不履行の責任を免がれ得ないと解すべきであるからである。(なお、原告において、被告会社の社長が、原告に対し、タイプを打って日計表を作成するよう命じたことが不当であると考えたならば、この命令に従わないことによって対処すべきであって、部長の職務を放棄すべきではなかったのである)。
よって、原告が昭和五一年三月一日から同月三一日まで、経理部長としての職務を放棄したことは、その勤務成績が不良と判断される一因になるものというべきである。
7 原告のその他の勤務状況等
(証拠略)の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。すなわち、
(一) 被告会社では、昭和五〇年一一月以降、毎週火曜日の朝八時から被告会社の専務取締役山本健二と本店の部課長で早朝部課長会議を催し、各部課の連絡、業績向上の施策等の討議を行なっていたところ、原告は、昭和五一年二月までは右早朝会議に出席していたが、同年三月頃以降は、右早朝会議には欠席がちであったこと、しかし、右三月以降も原告以外の部課長はすべて出席しており、原告が、右早朝会議に欠席しがちであったことは、経理部長としての職務を十分果したとはいえず、部下の課長らの志気を損うことになったこと、
(二) 被告会社では、他の一般従業員が午前八時五〇分までに出勤しているのに、原告は、経理部長として、部内の一般従業員を監督する立場にありながら、平素は、午前九時過ぎに出勤していたし、また、正規の昼休み時間前、未だ自己の部下が仕事をしているのに、昼食に出ることが多く、このような勤務態度については、かねがね専務取締役から注意されていたし、さらに、通常の勤務時間帯も、株式相場を見に行くなどして席を空けることが多く、その勤務態度は不良であったこと、
(三) 原告は、経理部長として、積極的に部内の融和・意思疎通を図り、部下を指導するという姿勢に乏しく、部下から経理部内の会議を開いて業務の強化を図ってはどうかと進言されたのに、これに応じようともしなかったこと、また、原告は、その部下と飲酒した際など、部下に対し自己の仕事に対する不平不満をもらし、被告会社に対する愚痴をこぼすことが多かったこと、
(四) なお、原告は、もと大蔵省に勤めていたところから、もともと被告会社に部長職として採用され、その活躍が期待されていたのであるから、その職責は、一般の従業員にくらべはるかに重かったし、また、その部長としての勤務成績が不良であるからといって、一般の従業員に格下げするような余地は、ほとんどなかったこと、
以上の事実が認められ、右認定に反する(証拠略)の結果はたやすく信用できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
してみれば、原告は、経理部長としての平素の一般的な勤務態度ないし勤務成績も、極めて不良であったというべきである。
8 北野事件に関する処分等
(証拠略)を総合すると、次の事実が認められる。すなわち、
(一) 被告会社では、北野事件発覚後、訴外北野の上司ら右事件に関係ある管理職が、社長の求めにより、すべて被告会社に対し、進退伺いを出したが、原告だけは、右進退伺を出すまでの責任はないとの態度を示していたこと、
(二) ところで、北野事件は、被告会社の経営基盤を危くする程の大事件であったところから、その後被告会社では、訴外北野の直接の上司である経理課長の今西徹が昭和五二年三月末日付をもって引責辞職をした外、社長の小川誠造が一年間減給五〇パーセント、専務取締役の山本健二が一年間減給一〇パーセント、常務取締役木村忠男が取締役を辞任し、かつ、三ケ月間減給金一万五、〇〇〇円、保管係長の中西鈴彦が係長から降格等の各処分を受けたこと、
(三) ところで、原告は、当時、経理部長の職にあり、訴外北野の直接の上司として同人を監督する立場にあったのであるから、右北野の起こした北野事件については、社長やその他の管理者にくらべれば、はるかに重い責任を負わなければならない関係であったこと、
(四) しかるに、原告は、右北野事件については、ほとんどその責任を感ぜず、右事件は専ら被告会社の社長のワンマン体制とその下における管理体制の不備にあるとして、その責任を回避し続けてきたこと、
(五) そして、右北野事件の発覚後、同事件によってその経営基盤を危うくされかかった被告会社をその大打撃から立直らせるために、他の管理職が一層の努力をしようとしているのに(<証拠略>)、原告には、右努力をしようとした形跡がなかったこと、そのため、被告会社の課長や各営業所の所長ら一一名が、昭和五二年一月二四日付をもって、右の如き原告の態度を非難し、被告会社に対し、原告を被告会社から排除するよう求めた意見書(<証拠略>)を提出したこと、
以上の事実が認められ、右認定に反する(証拠略)の結果はたやすく信用できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
してみれば、北野事件発覚後の原告の勤務態度及び勤務成績は、北野事件に対する反省心に乏しく、極めて不良であったというべきである。
9 北野事件の被害の回復に対する努力
次に、被告会社は、原告は北野事件の被害の回復をするよう指示されたにも拘らず、右回収のための努力をしなかったと主張しているが、本件における全証拠によるも、右事実を認めることはできない。却って、(証拠略)によれば、原告は、右北野事件の被害の回復については、一応の努力をしていたことが窺われる。
よって、右の点に関する被告会社の主張は失当である。
10 就業規則の解雇規定
ところで、(証拠略)によれば、被告会社の就業規則では、懲戒解雇事由の一つとして、「勤務状態が著しく不良であるとき」があり(就業規則五二条、五三条一〇号参照)、また、通常解雇の基準の一つとして、「勤務成績又は事務能率が著しく低劣で向上の見込みがないと認められるとき」があるところ、懲戒解雇には解雇予告手当も退職金も支払われないのに対し、通常解雇には解雇予告手当も退職金も支払われることが認められる。しかして、右就業規則の規定に照らしてみれば、懲戒解雇の一事由である「勤務状態の不良」と、通常解雇の一事由である「勤務成績の著しく低劣」も、結局、一般にいわゆる「勤務成績の不良」を意味しており、かつ、右「勤務成績の不良」の程度は、通常解雇の場合の方が、懲戒解雇の場合にくらべ、軽度で足りるものと解すべきである。
11 原告の通常解雇事由該当性
以上認定の如く、原告は、経理部長として、部下の訴外北野を監督する立場にありながら、平素からその監督を十分にしていなかったこと、原告は、昭和五〇年一一月頃、被告会社の社長から有価証券の現物照合をするよう命ぜられたにも拘らず、これを怠り、これが北野事件の発見を遅らせる遠因ともなっていること、昭和五一年五、六月頃行われた大蔵省検査の際に、有価証券の現物と明細簿との不符合を指摘されながら、その際、原告は、従前の調査以上に積極的な調査をせず、客観的な事実と一致しない答申書を作成して提出したこと、北野事件が新聞やテレビに報道され、被告会社の預った有価証券等の返還を求めて顧客の殺到することが予想され、全社的にこれに対処しようとしている際に、原告は、五日間も、欠勤を要すると認めるに足る確証のない病気を理由に、五日間も欠勤し、しかも、その間被告会社に対し、必要な電話による連絡や指示をしなかったこと、原告は、被告会社の社長の命令が不当であるとして一方的に経理部長の職務を放棄して、一ケ月間もこれを行わなかったこと、原告は、被告会社が行っている部課長の早朝会議に昭和五一年三月からはほとんど出席せず、また、平素は毎日のように一般の従業員より一〇分以上も遅れて出勤し、さらに、正規の昼休み時間になる以前から、一般の従業員が仕事をしているのに、席を立って昼食に出かけることが多かったこと、原告は、自己の直属の部下が被告会社の経営をゆるがす程の北野事件を起こし、その最も重い責任(監督責任)をとるべき立場にありながら、これに対する責任をほとんど感ぜず、その責任を他に転嫁し、北野事件によって大打撃を受けた被告会社を立直らせるための努力を積極的にしようとしなかったこと、原告は、もともと部長として被告会社に採用されたものであって、その責任は、一般の従業員にくらべはるかに重いこと、その他前記1ないし8及び10に認定した諸事情を総合して考えると、原告の勤務成績は、被告会社の就業規則二二条二号に定める極めて低劣なもので向上の見込がないものというべきであって、原告には、右就業規則二二条二号による通常解雇の事由があるものというべきである。
そして、(証拠略)の全趣旨によれば、被告会社は、原告に対し、昭和五二年二月一五日付を以て、同月一八日までに任意退職届を提出するよう勧告したが、原告がこれに応じなかったので、同月一八日付で原告を通常解雇にしたことが認められるところ、前述の通り、北野事件のため、訴外北野の上司であった経理課長の今西徹が引責辞職をした外、社長以下数名の管理職が減給や降格等の処分を受けたことに照らして考えれば、被告会社が、右就業規則二二条二号により、原告を通常解雇にしたことは適法有効というべきである。
12 原告の権利濫用の主張について
原告は、本件解雇は被告会社の社長が個人的に原告に対して抱いていた悪感情から、原告を被告会社から排除する意向で行われた不合理なものであること、その他種々の事情をあげて、本件解雇は、権利の濫用であると主張するが、本件における全証拠によるも、右原告の主張する事実を認めることはできないのであって、本件解雇が権利の濫用であるとは到底認め難い。却って、さきに認定した諸事情からすれば、本件解雇は何ら権利の濫用ではないというべきである。
13 よって、本件解雇は有効であって、原告は、昭和五二年二月一八日限り、被告会社の従業員たる地位を失ったものというべきである。
四 結論
以上の次第であるから、その余の点につき判断するまでもなく、原告の本訴請求はいずれも理由がないことに帰するのでこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条に従い、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 後藤勇 裁判官 千徳輝夫 裁判官 小泉博嗣)
賃金目録(一)
<省略>
賃金目録(二)
<省略>