大阪地方裁判所 昭和53年(行ウ)9号 判決 1979年5月31日
原告 服部二三男
被告 豊能税務署長
訴訟代理人 岡崎真喜次
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた判決
一 原告
被告が原告に対し、昭和五一年一月一六日付でした昭和四八年分の所得税更正処分及び過少申告加算税賦課決定処分(国税不服審判所長の裁決により変更された後のもの)を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
との判決。
二 被告
主文同旨の判決。
第二当事者の主張
一 原告の請求原因
(一) 原告は昭和四八年分所得税について、昭和四九年三月一一日確定申告をしたところ、被告は昭和五一年一月一六日付で更正処分及び過少申告加算税賦課決定処分(以下本件処分という)をした。被告は原告の異議申立を棄却する決定をしたが、訴外国税不服審判所長は原告の審査請求に対し原処分の一部取消しの裁決をした。これらの確定申告、本件処分及び裁決の内容は、別表に記載のとおりである。
(二) 原告の昭和四八年分所得税に関する所得と所得控除としては、別表の確定申告欄に記載の内容のものがあるが、課税されるべき一時所得はない。
(三) 本件処分には、誤つて一時所得を認めた違法があるから、この取消しを求める。
二 請求原因に対する被告の認否
(一) 請求原因(一)の事実は認める。
(二) 請求原因(二)の事実のうち、課税されるべき一時所得がないとの点を争い、その余は認める。
三 被告の主張
(一) 訴外阪神土木株式会社及び同住友林業株式会社(以下両会社を訴外会社という)は原告の住居地の近隣地(吹田市江坂四丁目四八番ほか)に八ないし一四階建の分譲マンシヨン四棟(総戸数五二五戸)の建築を計画したところ、原告はほか九名の者と共にマンシヨン建設反対期成同盟を結成して右マンシヨンの建設に反対した。しかし、訴外会社は昭和四八年一〇月一五日右マンシヨン建設についての紛争を解決するため原告に対し三一〇万円の支払いをする旨の合意をして、覚書を作成し、そのころ原告はその支払を受けた。
(二) 右金員は、訴外会社がマンシヨン建設の早期着工及び遂行を円滑に行うために、紛争解決金類似のものとして、建設反対者に支払われたものであつて、公害による損害賠償として支払われたものではない。
現に、訴外会社は予定していたマンシヨン建設によつて原告が被る損害が三一〇万円になると見積つていなかつたし、その後訴外会社は右マンシヨン建設を断念し用地を日本住宅公団に譲渡し、同公団が八階建高層住宅六棟を建設したが、右住宅建設による原告の損害は皆無に等しいのである。
(三) 以上の事実によると、授受のあつた三一〇万円は一時所得にかかる収入金額に該当し、所得税法三四条二、三項、二二条二項二号により、うち一三五万円が総所得金額に算入されなければならない。
(四) 右の一時所得については、同法九条一項二一号、同法施行令三〇条の適用はない。前記(二)のとおり、原告にはマンシヨン建築による損害を具体的に見積られず、現に損害が生じなかつたし、また、そのような損害の賠償金として三一〇万円が支払われたものではなかつたからである。
四 原告の主張
(一) 被告の主張(一)の事実は認める。
(二) 被告の主張(二)の事実は否認する。ただし、日本住宅公団が高層住宅を建設したことは認める。
右三一〇万円の性質は、訴外会社と原告との間の覚書どおり、「各家庭に与えるマンシヨン建設のために生ずる環境権の侵害、その他予想される公害に対する補償金」である。そして、この金額は、訴外会社のマンシヨン、日本住宅公団の高層住宅の建設により原告の受ける損害に対する補償金としては、高額に過ぎるものではない。
(三) 右三一〇万円は、所得税法九条一項二一号により非課税とされるべきである。
同号にいう損害賠償金かどうかは、合意当時の事実関係、特に、支払者と受領者との意思内容によつて定めるのが民事法の大原則である。前記のとおり、訴外会社と原告とは、環境権侵害その他公害に対する補償金として三一〇万円が支払われることを合意しているのであるから、これが通謀虚偽表示でない限り、右金員は損害賠償金として所得税法上も取り扱われるべきである。また、当事者間で交流して定めた損害額は相当なものとして取り扱われるべきである。
第三証拠関係<省略>
理由
一 当事者間に争いがない事実
請求原因(一)のとおり確定申告、本件処分、裁決があつたこと、請求原因(二)のとおり、別表の確定申告欄記載の所得や所得控除のあつたことは当事者間に争いがない。
二 そこで、本件の争点である原告が訴外会社から受け取つた三一〇万円が、原告の昭和四八年分の非課税である一時所得になるかどうかについて判断する。
(一) 被告の主張(一)の事実は当事者間に争いがない。
(二) 三一〇万円支払いの経緯
前項の争いがない事実、成立に争いがない甲第六ないし第八号証、弁論の全趣旨によつて成立が認められる同第一〇号証及び乙第二号証の三、証人國沢孝夫の証言によつて成立が認められる同第一号証の一、二、同証言、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると次の事実を認めることができ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
(1) 原告は昭和四七年二月ころ吹田市江坂町四丁目一八八六番地六に宅地一〇〇平方メートルを四九〇万円で買い受け、同年一〇月ころそこに木造瓦葺二階建居宅延八九平方メートルを約七〇〇万円を支出して建築し、それ以来、妻子と居住している。
(2) 訴外会社は昭和四六年一二月原告方に近接した土地(吹田市江坂四丁目四八番ほか)計三万一、〇〇〇平方メートルを取得し、ここに地上八階ないし一四階の分譲マンシヨン四棟(総戸数五二五戸)を建築することを計画した。
訴外会社は右建設予定地に隣接する三戸の居住者(笠原、岡本、太田)に各三五〇万円を支払つて右建築についての同意を得昭和四八年九月三日大阪府知事より都市計画法二九条の開発許可を受けた。
(3) 原告ほか近隣居住者九名は、右建築について相談がなかつたことに憤概してマンシヨン建設反対期成同盟を結成し、同年七月九日、訴外会社に対して、あらゆる手段を用いてマンシヨン建設に反対する旨を内容証明郵便で通知し、同月一四日、訴外吹田市長に対して、マンシヨン建設による近隣住民の被害と不安を考慮して善処するよう陳情書を提出した。
(4) 訴外会社は同月一三日以降、マンシヨン建設に承諾を得るため前記反対期成同盟と交渉を続けた結果、同年一〇月一五日訴外会社と原告ら反対期成同盟加入の者一〇名との間に次の内容の合意が成立し、覚書に調印した。
(ア) 原告らは、訴外会社が本覚書の諸条項を完全に実行することを条件に、訴外会社のマンシヨン建設を承認する。
(イ) 訴外会社は原告らの被る環境権の侵害、その他予想される公害に対する補償金として各戸の配置に応じ、原告ほか四名に対しては各三一〇万円あて、その他の五名に対しては各二一〇万円あてを、昭和四八年一〇月二〇日までに支払うことを約諾する。
(ウ) 訴外会社は原告ら居宅に最も近接した部分に設置を予定していた駐車場の設置を取り止め、その場所に緑地帯を設ける。
(エ) 訴外会社は右マンシヨンによる原告らのプライバシーの侵害の防止にじゆうぶん配慮する。
(オ) 訴外会社はマンシヨン建設中は、原告ら居宅付近よりマンシヨン用地に通じる通路を閉鎖する。
(カ) 訴外会社はマンシヨン建設に起因して、将来に亘り原告らの建物に損傷(風害、テレビ障害等)が生じたときは、すべての損害の復元をその責任と費用で行う。
(キ) 訴外会社は工事上の諸問題等については、工事着工前に原告らと協議し、覚書を締結してから、その工事に着手する。
(ク) 訴外会社は本件工事及び付帯工事期間中は勿論完成後といえども、その工事に関して苦情等の申入があれば、速かに誠意をもつてその処理にあたる。
(ケ) 訴外会社が本覚書の条項に違背したときは、原告らは訴外会社に対し直ちに工事中止を求めることができ、訴外会社は異議なくこれに従う。
(コ) 原告らはマンシヨン建設反対期成同盟を解散する。
(5) 訴外会社はマンシヨン敷地取得費等に約二〇億円も支出しその借入金利息の負担が増大しつつあつたので、早期かつ円滑に右マンシヨンを建設したいと考えていた。そのため、訴外会社は原告ら近隣居住者からマンシヨン建設の承諾を早急に得ることに迫られた。
そこで、訴外会社は、法律上はマンシヨン建設について三一〇万円もの損害賠償義務はないが、原告らの承諾を得るためには右金員を支払うのも止むをえないと考えた。
他方原告らはもともと右マンシヨンが建設されることには反対であつたし、もしこれが建設されることになると、建設工事に伴う振動、騒音、塵埃、交通量増加の迷惑を、工事完成後は日照、テレビ、美観の障害、風害、交通量増加、道路上の駐車増加等の迷惑を受けることになり、その迷惑を金銭に見積ると多大なものになると考えていた。
このような訴外会社と原告らの思惑を踏まえ、両者折衝の結果、三一〇万円を授受したうえ前記覚書に記載の内容の合意に達した。
(三) 三一〇万円支払の趣旨
前記認定の事実によると、授受された三一〇万円は訴外会社のマンシヨン建設により原告の受ける損害を補償する目的と、マンシヨン建設について原告の承諾を得ることの対価とする目的の双方の趣旨であるとしなければならない。
ところで、原告は授受された三一〇万円がマンシヨン建設に伴う公害に対する補償金の趣旨だけであつたと主張しているが、前記認定事実によると、原告はマンシヨン建設の承諾を、訴外会社は三一〇万円の支払いをそれぞれ約束したのであるから、原告のマンシヨン建設の承諾を得ることの対価の趣旨も含まれていたことは明らかである。
(四) 所得税法九条一項二一号の法意
所得税法九条一項二一号、同法施行令三〇条が損害賠償金、見舞金、及びこれに類するものを非課税としたわけは、これらの金員が受領者の心身、財産に受けた損害を補填する性格のものであつて、原則的には受領者である納税者に利益をもたらさないからである。
そうすると、ここにいう損害賠償金、見舞金、及びこれに類するものとは、損害を生じさせる原因行為が不法行為の成立に必要な故意過失の要件を厳密に充すものである必要はないが、納税者に損害が現実に生じ、または生じることが確実に見込まれ、かつその補填のために支払われるものに限られると解するのが相当である。
そうすると、当事者間で損害賠償のためと明確に合意されて支払われた場合であつても、損害が客観的になければその支払金は非課税にならないし、また、損害が客観的にあつても非課税になる支払金の範囲は当事者が合意して支払つた金額の全額ではなく、客観的に発生し、または発生が見込まれる損害の限度に限られるとしなければならない。
原告は、授受のあつた金額の全額が非課税になると主張しているが、この主張は、本来法律によつて一義的に定められなければならない非課税の範囲を、支払者と受領者の合意によつて変更することを認めるものであつて到底採用することはできない。
(五) マンシヨン建設による影響
前掲の甲六、七号証、同第一〇号証、乙第一号証の一、二、同第二号証の三、成立に争いがない乙第三号証、同第九、一〇号証、弁論の全趣旨によつて成立が認められる甲第一一号証、乙第八号証、証人國沢孝夫の証言、原告本人尋問の結果、並びに弁論の全趣旨によると、次の事実を認めることができ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
(1) 原告ら居住の土地及び前記マンシヨン建設予定地は昭和四八年一〇月当時都市計画法上、市街化区域、第二種住居専用地域、第二種高度地区に指定されていた。
(2) 訴外会社が建築を予定していたマンシヨンのうち原告方に最も接近して建てられる棟は、北側(原告方に近い部分)が八階建(高さ二七・二一メートル)、南側(原告方より遠い部分)が一一階建(高さ三三・六六メートル)であり、同棟と原告方との最近接水平距離はほぼ西に約三七メートルであつた。これらの位置関係は別紙図面記載のとおりである。
(3) 右マンシヨンは建築関係諸法規の定める規制に合致したものとなる予定であつた。
(4) 右マンシヨンの敷地のうち、原告方に近い部分には緑地と遊園地が、同敷地の中央部には中庭公園と遊歩道が、それぞれ設けられる予定であつた。
(5) 原告方の日の出時刻は、塀、隣家など何の障害物がない場合、冬至において午前七時七分、夏至において午前四時四七分である。右マンシヨンが建築されると、原告方の太陽の当り始める時刻は、冬至において午前九時四〇分ころ、夏至において午前六時前ころとなる見込みであつた。右マンシヨンが建設された場合、冬至における午前八時、九時、一〇時、一一時におけるマンシヨンの影の位置は別紙図面に記載のとおりである。
(6) 右マンシヨンの建設に伴い発生する原告のテレビ受像障害については、前記覚書で合意された(覚書条項の(カ))ので、実害は生じない見込みであつた。
(7) 原告方は、右マンシヨンが建築されると、風が強くなることがないとは断定できないが、その程度は明らかではない。
(8) 右マンシヨン建設予定地には従前は建物がなく竹や雑木の生えた土地であつたから、ここにマンシヨンが建設されれば原告方からの眺望が一変することが予想された。
(9) 原告方は、マンシヨンが建設されると、マンシヨンの居室から原告方敷地が見えやすい状態になることが見込まれた。
(10) 右マンシヨン居住者の中には自家用車を使用する者が予想されたが、これら自動車は原告方前の道路を通行しない見込みであつた。
(11) マンシヨン建設工事のための諸車は原告方付近の道路を通行しない見込みであつた(覚書条項(オ))。
(12) 原告方の敷地の昭和四七年二月ころの時価は一平方メートル当り約五万一、〇〇〇円であつたが、右マンシヨン建設によつてその価格がどのような影響を受けるかは明らかでなかつた。
(13) 原告自身は右マンシヨン建設によつて受ける影響のうち、マンシヨンの居室から原告方が覗き込まれること、出入の自動車の騒音、日照が悪くなることを重視していた。
(六) マンシヨン建設による原告の損害
前記認定の事実によると、マンシヨン建設による原告の損害としては、日照阻害を挙げることができるが、それも、冬至において約二時間の阻害にすぎない。そのほかに、工事中の騒音、塵埃などによる被害、マンシヨンの棟から原告方が覗き込まれることによる被害がある。
そうすると、原告がこれらによつて受ける損害はたかだか三〇万円を超えるものとはいえないし、他に原告の損害が三〇万円以上であることが認められる証拠はない。
原告は当事者間で折衝して定められた額は損害額として相当なものとして税法上取り扱うべきであると主張しているが、授受された三一〇万円の中にはマンシヨン建設の承諾の対価も含まれていたのである。したがつて、当事者の意思としてもその全額が損害金とされたわけではない。
原告としては近隣にマンシヨンが建設されることなく竹や雑木が生えたままの土地であつた方が望ましいことに違いない。しかし、原告方付近は第二種住居専用地域に指定されていたのであるから、同地域には中高層住宅の建設が予定されている(都市計画法九条二項)のである。したがつて、原告には近隣に中高層住宅が建設されないという法律上の利益がない。
(七) 課税される一時所得
以上の次第で、原告が訴外会社より支払いを受けた三一〇万円は、原告の昭和四八年分の一時所得にかかる収入金額と解される。なお、右収入を得るために支出した金額があつたことは本件全証拠によつても認められない。
そうして、原告が訴外会社の予定していたマンシヨンの建設によつて被る損害は、三〇万円を超えないから、原告が訴外会社から受領した三一〇万円より三〇万円と所得税法三四条二項の特別控除額四〇万円を差し引いた残余の二四〇万円が少なくとも課税される一時所得金額になる。
三 結論
原告の昭和四八年分所得中、課税されるべき一時所得が二四〇万円あつたことになるから、所得税法二二条二項二号によりその二分の一に相当する一二〇万円が総所得金額に算入される。これに当事者間に争いがないその他の所得、所得控除を加減して算出すると、課税総所得金額、所得税額、過少申告加算税額は、裁決により一部取り消された後の本件処分のとおりとなり、右一部取消し後の本件処分には瑕疵がないことに帰着する。
そうすると、原告の本件請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用は行政事件訴訟法七条、民訴法八九条により原告の負担とすることとして主文のとおり判決する。
(裁判官 古崎慶長 井関正裕 小佐田潔)
別表、図面<省略>