大阪地方裁判所 昭和54年(ヨ)3058号 1982年4月28日
申請人
大橋勝
右訴訟代理人弁護士
蒲田豊彦
(ほか三名)
被申請人
三井造船株式会社
右代表者代表取締役
前田和雄
右訴訟代理人弁護士
上田潤二郎
主文
一 申請人が、被申請人の福岡営業所に勤務する雇用契約上の義務のない地位を有することを仮に定める。
二 被申請人は、申請人に対し、金六五七万五三〇七円及び昭和五六年四月以降第一審の本案判決言渡しに至るまで、毎月二五日限り月額二四万一八八〇円の割合による金員を仮に支払え。
三 申請人のその余の仮処分申請はこれを却下する。
四 申請費用は被申請人の負担とする。
理由
第一当事者の求めた裁判
一 申請の趣旨
1 申請人が被申請人に対して、被申請人の福岡営業所の営業員として勤務する義務のないことを仮に定める。
2 被申請人は、申請人に対し、別紙(略)(一)賃金目録記載の金員を仮に支払え。
3 申請費用は被申請人の負担とする。
二 申請の趣旨に対する答弁
1 本件申請を却下する。
2 申請費用は申請人の負担とする。
第二当事者の主張
申請の理由の概要は別紙(二)に、これに対する認否並びに被申請人の主張の概要は別紙(三)に各記載のとおりである。
第三当裁判所の判断
一 当事者
1 申請人が昭和四一年三月三一日、静岡大学工学部機械工学科を卒業し、同年四月一日、合併前の株式会社藤永田造船所に入社し、船舶設計部機装設計課に配属され、爾来今日まで一貫して設計の仕事に従事してきたこと、この間の昭和四二年一〇月一日、被申請人会社が株式会社藤永田造船所を吸収合併したことに伴い、申請人が被申請人会社の従業員になったこと及び申請人が被申請人会社の従業員で組織する三井造船労働組合の組合員であることはいずれも当事者間に争いがない。
2 被申請人が、造船・重機械・化学プラントなどの設計・製作を目的とする株式会社であり、肩書地(略)に本社を置き、大阪、玉野(岡山県)、千葉に事業所を、大阪に支社を、札幌、仙台、名古屋、福岡など地方の各都市に営業所を置いて、従業員約一万三千名を擁し、資本金三〇三億三五〇〇万円で、日本の六大造船企業のひとつであること並びに被申請人会社が昭和四二年一〇月一日、株式会社藤永田造船所を吸収合併して、その事業所が大阪事業所藤永田工場となり今日に至っていることはいずれも当事者間に争いがない。
二 被申請人の申請人に対する配置転換命令
被申請人が申請人に対し、昭和五四年三月一四日、同年四月一日付にて被申請人の前記大阪事業所藤永田工場から福岡営業所への配置転換を命じたことは当事者間に争いがない(以下これを本件配転命令という。)。
三 本件配転命令をなした被申請人会社の背景事情について
疎明資料によれば、以下の事実が一応認められる(一部争いのない事実を含む。)
1 昭和四八年秋からの所謂石油ショックに対面した被申請人会社は、同年一一月末に電力等対策本部(各事業所に支部)を設け、電力や石油の消費規制に対する対策等を講じ、その中で、生産資材・一般消費材(感光紙・事務用紙等)の節約を社内に呼びかけるなどした。
2 続いて被申請人会社は、昭和四九年九月、「AC(オールチェック・オールチャレンジ)運動」(総見直し、総力発揮運動)を提唱し、会社従業員に対し、これが当り前だとのこれまでの考え方にとらわれることなく、新しい立場から社内業務全般を総点検し、洗い直してムダ・ムラ・ムリを追放し、さらに積極的に業務の合理化をはかり、それによって業績改善をつくり出してゆこう、この業績改善を総力を発揮して積極的につくり出してゆくことに挑戦しようと呼びかけた。
3 昭和四九年一二月一二日被申請人の本社で開かれた労使懇談会(会社側から山下社長、工藤、小松両専務及び各常務、各事業所長ほか、組合側から本木中央執行委員長以下全中央執行委員、各支部長以下支部執行委員全員出席)において、被申請人会社の業況の推移と、五〇年危機に対処する会社方針を折り込んだ中期計画について会社側から説明がなされ、この昭和四九年度から五一年度に至る三か年間の中期計画の設定については、昭和五〇年一月発行の社内報「三井造船」において発表され、その中で会社各部門の基本方針として、(1)船舶、鉄構部門にあっては、超大型船の先行き需要の途絶に近い客観情勢に対処し、船舶と海洋機器分野の製品構成の比重、したがってまた在来工場の製品別生産体制のあり方を急きょ再検討する、(2)陸上部門にあっては、省資源、省エネルギー、環境保全等の社会的ニーズの高まりに即応する体制を検討し、当面受注生産に注力すべき重点品目を選別設定する、(3)安定経済成長を前提として、当社の適正工事量を設定して、適正人員を誘導するとともに原子力、海外事業関係、研究開発等を重点部門としてその強化を図る、といったことを掲げ、さらに重点施策として、(1)直接原価の低減、(2)重点項目費用の削減(設備、研究開発費、投融資、部門(統制)費、特別補修費)、(3)資産の有効活用、(4)不採算製品部門の見直し、合理化、(5)最大効率の人員配置、その具体化として、(A)組織上の必須機能と副次機能の再検討(組織体本来の活動目的に照らし、最少限度の必要業務をいかに簡素な機構と少数の人員で遂行するかは、企業の命運を左右するポイントでもある。当社の業務全体は、この視角から徹底的に見直して、その対策を検討実施する。)、(B)省力化対策の検討実施、(C)最少限人員の把握と余剰人員の活用、(6)関連企業の選別育成、整理・統合、といったことを掲げた。
4 被申請人会社では従業員少数化実現の一方策として、昭和四九年秋から中途採用を全面ストップし、昭和五一年春の新卒採用は、ごく少数の大学卒を除いて全面的にストップした。
5 被申請人会社の社内報「三井造船」の昭和五〇年九月の号外で、被申請人会社は、昭和五一年度から五五年度に至る同社の新しい中期計画を「’80突破構造計画」として発表し、その中で、特に当時予想された造船の仕事量の減少に備えて陸上部門の発展を図るなど種々の対策を講じることを計画し、人事についても、従来の職種や配置を重点的に再編成し、人員の再配置を推進し、少数化を徹底するため、(一)技能職については、少なくとも昭和五五年度までは要員の自然減耗に耐え、原則として新規採用を中止する、(二)事務・技術職については、社内個別機能の専門レベルを維持・向上するために必要な最少限度の採用に止める、といった方針を明らかにした。
6 被申請人会社は、社内報「三井造船」の昭和五三年二月号に昭和五三年度中期経営計画を掲載し、昭和五三・五四両年度収益状況見透しにつき、会社の売上・収益の主要部分を占めてきた船舶部門がオイルショック以来の船腹過剰を背景に業績が落込む一方で、期間損益は赤字必至という状況にあり、この事態に対する基本的課題は五四年以降の仕事量の確保と五三年度の収益の改善であり、この二大課題の達成をはかる大前提として全社定時間操業体制の実施を断行する旨を明らかにし、さらに「三井造船」昭和五三年三月号では、同年三月一日を期して全社定時間操業体制を実施することになり、時間外ゼロの体制をできるだけ早急に確立しなければならない旨説示した。
7 被申請人会社は、昭和五三年五月一八日開催の中央労使協議会の席上、労働組合に対し労働諸条件の見直しについて具体的な提案を行い、その主な内容は、(1)諸手当の改訂、(2)退職金の運用に関する暫定取扱いの新設、(3)国内旅費規定の改訂、(4)福利厚生関係諸取扱いの改訂、といったものであった。
8 昭和五三年七月一四日、運輸大臣の諮問機関である海運造船合理化審議会(以下これを海造審と略称する。)は運輸大臣に対し、今後の造船業の経営安定化方策について答申したが、その中で、今後の我が国の外航船建造量見通しについては、経済成長率等を比較的高く予測した場合においても標準貨物船に換算して昭和六〇年で六四〇万トン程度と見込み、需給ギャップについては、現在(答申当時)、五〇〇〇総トン以上の船舶を建造しうる船台又はドックを有する企業は六一社、これらの船台又はドック数は一三六基、その年間建造能力は標準貨物船に換算して九八〇万トン程度であり、したがって、需要を最大限見込んだ場合でも昭和六〇年における需給ギャップは標準貨物船換算トン数で三四〇万トン程度と推定した。
右の推定に立脚して、設備の処理等について、
(一) 今後、造船業が不況を克服し、その経営の安定化を図るためには、需給の均衡を回復することが不可欠であり、このため昭和六〇年においてもなお過剰となる設備は早急に処理すべきである。即ち、上記六一社の現有設備能力を標準貨物船換算トン数で三四〇万トン(現有能力の三五パーセント)程度処理することが必要であると考える。
(二) 処理すべき設備は、船台又はドック及びその付帯設備とし、原則として基数単位で処理することが適当である。また、設備の処理は、原則として一年程度の間に実施する必要があるが、雇用、関連中小企業者の経営及び地域経済に与える影響についても十分配慮して行う必要がある。
(三) 上述の設備処理にあたっては、企業体力を勘案して処理量が適正に配分されるよう企業規模に応じて、被申請人会社を含む大手七社〔一万総トン以上の船舶を建造しうる施設を有し、年間建造量(進水ベース)が一〇〇万総トン以上の企業〕については処理率四〇パーセントを目途とすることが適当である。
(四) これらの設備処理を行ってもなお当面の需給ギャップは解消されないので、仕事量の確保に努めるとともに過当競争による経営不安定を避けるため、操業調整を行う必要がある。
などの内容を答申したほか、設備処理等と併せて行うべき措置として、(1)金融対策等、(2)需要創出、(3)事業転換対策、(4)雇用対策、(5)連鎖倒産防止対策、以上の必要性についても答申した。
9 昭和五三年九月一日、中央労使懇談会が開催され、同年七月一二日会社側から提案されていた「緊急要員対策」について討議が交わされた。
その中で、被申請人会社社長から、政府は造船業を特定不況産業安定臨時措置法の対象業種として正式に政令指定し、九月中に造船設備の大巾な削減を柱とする安定基本計画をまとめる方針であり、今や造船業界は国の行政レベルにおいて待ったなしの構造改革を迫られることとなった等の説明がなされたのち、各事業部ごとについて、1現状と見通し、2基本的対策、3具体的対策が検討された。
右のうち船舶海洋事業本部に関しては、前記海造審答申や政府の方針を考慮に入れ、被申請人会社の年間建造能力は六二万CGRT(標準貨物船換算トン)であり、四〇パーセント削減すると三七万CGRTとなること、したがって原則として基数ベースでの処理を行わざるを得ぬこと、及び建造量の激減に対応して船台の運用効率上集約化を図る必要のあることから、玉野では一基+α、千葉では一基で建造し、藤永田の船台は二基とも処理することを考えている旨明らかにされ、さらに具体的対策の中では、
(1) 前記特安法による設備処理対策を含めて工場再編を行い、集約化することにより効率向上をはかる。
(2) 工場サイドを中心に工事量に見合う規模となすべく、組織・人員の統合・縮小をはかる。
(3) 新規事業の推進により余剰人員の吸収をはかる。コンテナ製作、解体工事の拡大、技術サービス業務の拡張、出向の推進
(4) 玉野事業所
五四年下期には二B中心に五B(又は六B)で中小型船建造の体制に入る。海洋機器の受注には今一層努力する。
新造船及び海洋機器の設計部門を玉野に集約し、少数精鋭をもって玉野・千葉両工場建造船についての設計の全てを行う。
(5) 千葉事業所
二号ドックのみで中・大型船の建造を行う。一―Aドックは補完ドックとして使用し、三号ドックは規制対象外の海洋機器、モジュール、ジャケット類の製作用とする。
新造船部門は、計算・改正・生産設計など極少数を残し、大部分はプラント、プラントパージ、モジュール、ジャケット、海外プロジェクト、高速艇などのエンジニアリング部門に転換する。
(6) 大阪事業所藤永田工場
当分の間新造船部門から撤退し、海上コンテナ製造に転換する。コンテナ専用工場を建設し、本年一一月から月産四八〇ケ程度を目標に生産開始し、早急に能力増大を行い五四年四月以降月産八五〇ケ、五四年末には一五〇〇ケ生産体制へと移行する。
(7) 営業の強化
といったことなどの説明がなされたほか、質疑応答の中では、「新造船、海洋機器ともヤード設計は玉野へ集約、藤永田も新造船をやらなくなる訳だから六〇人程玉野へ行く。千葉には玉野へいった後八〇~一〇〇人(生産設計関係)を残し、その後の一〇〇余人の設計は、鉄構設計二〇人位、化プラ、機プラへの応援も考えている。」といったことも明らかにされた。
10 右記の「緊急要員対策」につき労使間で合意ののち、その具体的対策である停年選択退職制度、転職斡旋退職制度、任意退職制度については昭和五三年九月一三日から昭和五四年三月三一日までを実施期間として実施されるところとなり、職掌転換や配置転換、出向、転職対策などについては「誰でも、どこでも、何でもやる」の心構えで対処してほしい旨会社から従業員に対し訴えかけがなされた。
11 昭和五三年一〇月六日、大阪事業所藤永田工場において藤永田第五三―二回事業所労使懇談会が開かれ、藤永田工場の将来について討議がなされ、次の事柄が会社側から明らかにされた。
(一) 設計部の玉野への転勤者は、最終的には五〇名程度になるのではないか。
(二) 造船設計部門の仕事量は、昭和五四年五月末で新造船の仕事は終了し、以後ゼロである。同年一月時点では仕事量は半減し、三月以降は設計とはいえ総合課的仕事になる。作業量の縮少にともなって玉野へ転勤してもらうことになろう。
(三) 造船設計転勤問題で転勤後の将来に組合員の間で不安ありとのことであるが、将来の問題については、新造船の設計は玉野最重点であるという方針なので心配はない。
(四) 造船設計関係で、転勤される方も、残る方もそれぞれに合った所へと考えている。いずれにしろ納得されるような形になるよう対処したい。内示は早目にして欲しいとの要望についても沿っていきたい。
12 昭和五三年一〇月三〇日、海造審は、先に同年九月二八日付で運輸大臣から諮問のあった特定不況産業安定臨時措置法三条一項の特定船舶製造業に関する安定基本計画について、次の如き答申をなした。
総トン数五〇〇〇トン以上の船舶の製造をすることができる造船台又はドックを使用する船舶製造業の安定基本計画として
(一) 設備の処理に関する事項
イ 設備の処理を行うべき設備の種類は、総トン数五〇〇〇トン以上の船舶の製造をすることができる造船台又はドック(以下単に「造船台又はドック」という。)とする。
ロ 設備の処理を行うべき設備の年間生産能力の合計は、標準貨物船換算トン数三四〇万トン程度とする。
ハ 設備の処理の方法は、次のいずれかの方法によるものとする。
(1) 廃棄
(2) 休止
(ⅰ) 造船台又はドックについて、クレーン、せきとびらその他の重要構成部品を撤去することにより、当該設備の使用を不能にし、相当の期間及び相当の費用をかけなければ、当該設備の使用の再開が不可能となる状態にすること。
(ⅱ) 造船台又はドックについて、造船法一〇条の規定に基づき当該設備の使用廃止の報告をし、当該設備に係る同法の許可の取消しを受けることにより、同法に基づく許可を受けなければ、当該設備の使用の再開が不可能な状態にすること。
(3) 譲渡(譲渡された設備が廃棄されることが明らかな場合に限る。)
ニ 設備の処理の期間は、廃棄については昭和五四年度末までに完了し、休止については同年度末までに休止の状態に入り、昭和五八年六月三〇日までこれを継続し、譲渡については昭和五四年度末までこれを行うものとする。
ホ 事業者は、設備の処理に当たっては、造船台又はドックの基数単位でこれを行うものとする。
(二) 設備の処理と併せて行うべき当該設備の新設、増設及び改造の制限又は禁止に関する事項
昭和五八年六月三〇日までの間、設備の新設、増設及び拡張は、これを行わないものとする。ただし、当該設備の新設等に併せて当該設備以外の設備の処理が行われることにより、我が国の造船能力の増大をもたらすことがない場合は、この限りでない。
(三) 設備の処理と併せて行うべき措置に関する事項
イ 事業者は、設備の処理に当たっては、雇用者の他部門への円滑な配置転換等により失業の予防に努めるとともに、雇用保険法等に基づく助成措置等の活用により雇用の安定に努めるものとする。
ロ 事業者は、設備の処理を行うほか、船舶製造業の設備と技術を活用できる分野を開拓し、積極的に事業の転換に努めるものとする。
ハ 事業者は、合併、系列化等を行うことにより、生産体制の合理化及び集約化を推進し、経営基盤の強化に努めるものとする。
ニ 事業者は、設備の処理に当たっては、関連中小企業者の経営の安定に特に配慮するものとする。
13 昭和五三年一二月二八日、運輸大臣は被申請人会社に対し、造船法七条の規定に基づく業務に関する勧告として、昭和五四年度、同五五年度の各操業量をいずれも二二万八千標準貨物船換算トン数とすることを内容とする勧告を行った。
14 被申請人会社社長は、社内報「三井造船」号外に掲載された昭和五四年年頭あいさつの中で、昭和五四年度中期経営計画の骨組みを明らかにし、その中で、造船部門については、玉野事業所の六号船台を廃止し、五号船台の能力を縮少すること、千葉事業所では三号ドックを、藤永田工場では一号及び三号船台を廃止し、会社で、船台・ドック七基を三基に削減し、新造船建造は玉野、千葉の二事業所に集約すること、さらに、これによる設備、人員の余剰能力を陸上部門の強化に振り向けることなどを明らかにするとともに、会社全部門にわたって組織の徹底的な統合、簡素化を推進し、かつ人員の合理的な配置転換を行い、とくに、営業部門の強化充実を図り、なかでも、営業の第一線である国内営業所及び海外駐在員を強化拡充する方針を明らかにした。
15 昭和五四年一月一八日開催された中央労使懇談会の席上で、会社側から労働組合に対し、右記の昭和五四年度中期経営計画の内容とともに昭和五四年度中計要員計画についても説明がなされた。
右の五四年度中計要員計画の主な内容は、
(一) 経営業績の実態から判断し、経営上支払い可能な額として、総人件費を三八〇億円まで削減する必要がある。
(二) 右(一)の総人件費計画を基本に、「全社大枠」を次のとおり設定する。即ち、直傭の人数を昭和五三年度末に一万二七五〇人に、同五四年度末に一万二二五〇人に、同五五年度末に一万一七五〇人に、同五四年度平均を一万二五〇〇人に、同五五年度平均を一万二〇〇〇人にそれぞれするものとする。
(三) 緊急要員対策は、当初の目標を達成しうる見込みであり、予定どおり所定期間をもって終了する。
(四) 昭和五四年度以降は、恒常的な人事制度として、本人の自由意思に基づく退職を前提とする「選択停年制度」及び「転職斡旋制度」を実施する。したがって、五四年度はこの制度の運用並びに出向等により、同年度末一万二二五〇人まで削減する。
(五) 当面の雇用方針としては、当面減量に徹することとし、原則として採用補充は行わない。といったものであった。
16 昭和五四年二月七日、大阪事業所藤永田工場において第五四―一回事業所労使懇談会が開かれ、会社側は組合側に対し、(1)当事業所に関係する業務移管は、株式会社MECSの他に、試験センターの設立、保安関係等の子会社の移管を検討中である、(2)今後の当事業所の要員対策については、緊急要員対策の結果及び今回の中計の要員対策ともてらしあわせ、その実情に応じて対処する、(3)造船設計部門の配転については、今も基本方針はかわりないが、五四年度中計による人員計画とも併せて方法論について検討中である。ただ単に玉野転勤ということでなく、三井全体の人員構成のバランスの中で考えていきたい。具体的には、技術サービス部門、鉄構土木、化学プラント、データーセンター、重機械設計への異動も考えられる、などといった事柄を明らかにした。
17 三井造船労働組合は、昭和五四年三月三〇日、中央執行委員会名で、緊急要員対策終結宣言を行った。
18 被申請人会社の収支決算の内容については、昭和四八年下期(昭和四八年一〇月一日より同四九年三月三一日まで)の税引後当期純利益が六八億一六〇〇万円、昭和四九年上期(昭和四九年四月一日より同年九月三〇日まで)の税引後当期純利益が六一億二二〇〇万円、同年下期(同年一〇月一日より昭和五〇年三月三一日まで)の税引後当期純利益が六七億五七〇〇万円、第七三期(昭和五〇年四月一日より同五一年三月三一日まで)の当期利益(税引後のもの、以下同様)が一二〇億九五〇〇万円、第七四期(昭和五一年四月一日より同五二年三月三一日まで)の当期利益が八〇億一〇〇〇万円、第七五期(昭和五二年四月一日より同五三年三月三一日まで)の当期利益が二四億四二〇〇万円、第七六期(昭和五三年四月一日より同五四年三月三一日まで)の当期損失は九三億七〇七一万一三四九円で、第七六期の特別損失の中では、同期に支払われた特別退職損失額九五億九八七一万九三〇〇円も計上されている。(以上は、第七六期を除いては、百万円未満四捨五入の数字である。)
19 因みに、本件配転命令発令後である第七七期(昭和五四年四月一日より同五五年三月三一日まで)の当期損失は二億三六〇〇万円で、特別退職損失は七億二四〇〇万円であった(百万円未満四捨五入)。
四 申請人の経歴や家庭の事情等について
疎明資料によれば、以下の事実が一応認められる(一部争いのない事実を含む。)。
1 申請人の職歴等について
(一) 申請人は、昭和四一年四月、雇として株式会社藤永田造船所に入社後、船舶事業部(船舶)設計部機装設計課第三機装係に配属され、まずボイラー・圧力容器の設計の仕事に同年同月から昭和四二年一一月まで従事した。
(二) 右の間の昭和四二年四月一日、申請人は技師補を命ぜられた。
(三) 昭和四二年一一月、株式会社藤永田造船所と被申請人会社との吸収合併に依る組織の再編に伴って、前記第三機装係は機器係と名称変更になり、同月より同係で、申請人は昭和四九年九月まで、軸系・プロペラの設計の仕事に従事した。
(四) 右の間の昭和四四年四月一日、申請人は技師を命ぜられた。
(五) 昭和四九年九月、申請人は、同じ課内の機器係から線図係(系統グループ)に転属され、同月より昭和五四年三月まで(本件配転命令発令まで)、系統図関係の設計に従事してきた。
2 申請人の家庭の状況について
(一) 申請人の同居家族は、申請人の妻、子供一人、申請人の実父、申請人の妻の実母の申請人を含め五人である。
(二) 申請人の妻は、昭和四〇年ころから住友病院に栄養士として勤務し、現在は主任の地位にある。
(三) 申請人の母は、申請人が大学二年生になって間もなく急死し、申請人に兄弟はなく、当時家族で残されたのは申請人とその父の親一人子一人という形になった。
(四) 申請人の父は、明治四四年の生まれで、出生以来今日まで一貫して大阪の地で生活を続けてきた。
3 株式会社藤永田造船所の組織及び申請人が同社を就職先として選択した理由について
(一) 株式会社藤永田造船所は、本社を大阪に置き、工場も大阪にのみ存し、ほかに大阪営業所、東京事務所、神戸事務所を有するのみであった。
(二) 申請人は、大学卒業ののち就職した際には前記の事情から父親と同居しなければならない情況におかれ、父親としては大阪を離れたくないとの意向であったため、大阪の地で生活しながら勤務できるような就職先として、株式会社藤永田造船所であればこの希望が叶えられると考えて、同社に応募した。
五 配転命令に関する労働協約等について
疎明資料によれば、以下の事実が一応認められる。
1 被申請人会社と三井造船労働組合との間で締結されている労働協約の第二一条には、その第一項に「会社は、業務の都合によって、駐在、転勤もしくは所属部署の変更または社外への出向を命ずる。この場合、会社は本人の意向を徴するものとし、発令は、その日から二日を経た後にこれを行う。」との定めが、その第二項には「一時に多数の組合員について、所属部署を変更するときは、あらかじめ人数および変更理由等について、支部と協議する。」との定めがそれぞれ存する。
2 昭和五三年九月五日(第七八―一七回)、同月七日(第七八―一八回)に各開催された中央労使協議会において、先に会社側から提案のあった緊急要員対策に対し同年八月一日組合側から対処方針として申し入れのあった事項についての会社側の見解が明らかにされ、その中で、「出向配転等については労働協約の定めに基づき事前協議を行うこと」との申し入れに対して、会社は「協約の定めに沿って十分尊重していきたい。」旨表明し、さらに「配転・出向・職業転換等の実施運用にあたっては、対象者の適正・健康状態、家庭環境について配慮するとともに、該当者の理解を得るよう最大限の努力を行うこと」との申し入れに対しては、「配転・出向等の異動命令は、あく迄会社の業務上の都合によって発するものであるが、組合申し入れの趣旨も尊重し、本人の意向も配慮したい。しかし、ごね得といったことのないようにしたい。」との見解を表明した。
六 申請人に対する本件配転命令の具体的経緯について
疎明資料によれば、以下の事実が一応認められる(一部争いのない事実を含む。)。
1 前記のとおり、昭和五三年九月一日の中央労使懇談会の席上で、「藤永田も新造船をやらなくなる訳だから六〇人程玉野へ行く。」との旨が示され、同月一二日には大阪事業所藤永田工場で、会社側から組合側に対しその内容がさらに具体的に説明され、それによれば、当時の造船設計部の人員は、上級五名、事務八名(内女子五名)、技術六六名、技能六名、計八五名で、具体案として「次のような日程で配転を考えており、その他の人員については、転勤、出向または工場内他部署の主として現場直接作業へ適宜の時点で配転していきたい。」として、日程は、
a 昭和五三年一〇月一日又は一一月一日
一二名程度を玉野へ
b 本年(昭和五三年)末又は来年初め
二〇名程度を玉野へ
c 昭和五四年六月
三〇名程度を玉野へ
ということであった。
2 昭和五三年九月終りころ、申請人の直属上司にあたる山中課長は、申請人に対し、予想される配転等に関し、三分くらいの時間で申請人の意向聴取をなした。その内容は、申請人が家族を伴って転勤する積りか、単身で行くのか、あるいは場合によっては退職する意向もあるのかという趣旨を含む内容の意向聴取にとどまり、このときまでの前記事情や職場での雰囲気並びに右の山中課長の尋ね方からすると、申請人についても当然玉野の設計部への配転を暗黙の前提としている意向聴取であると申請人には受けとれるものであった。
3 前記のとおり、昭和五三年一〇月六日大阪事業所藤永田工場で開かれた事業所労使懇談会での会社側の説明では、「設計部の玉野への転勤者は、最終的には五〇名程度になるのではないか。」とのことで、玉野への転勤予定者の人数が減っており、さらに同月中旬、同年一一月一日付発令分の九名の人々の移動が発表されたが、その九名のうち四名が出向という内容であったことから、申請人を含む職員らは、それまで予想していた玉野への配転ということになってゆくのかどうか不安を抱いた。
4 申請人は、昭和五三年一二月四日から昭和五四年三月二三日まで、玉野事業所の機装設計課へ、機関部計装関係設計応援のため長期出張を命ぜられ、右の期間玉野事業所へ出張していた。
5 右出張の間の昭和五三年一二月二五日、申請人は出張先の玉野から前記山中課長に架電し、申請人の異動予定についての情報につき尋ねたところ、申請人については全く決っていないとの答えであった。
6 申請人は、同じく右出張期間中のお正月休みに帰省していた折の昭和五三年一二月二九日ころと昭和五四年一月九日ころの二回、前記山中課長と面会し、申請人の異動に関し尋ねたところ、前記一二月二五日と同様で全く決まっていないとの回答であったので、申請人は、同人の意向として「出向は困る。王野への配転だったら考えても良い。」との旨を、右山中課長に伝えた。
7 昭和五四年三月九日、申請人は、出張先の玉野からF―五四三という船の海上公試乗船の件で前記山中課長に架電した際、申請人の転勤につき尋ねたところ、やはりまだわからないという右山中課長の返事であった。
8 昭和五四年三月一四日、申請人は、F―五四四という船の海上公試乗船のため、申請人と同様藤永田造船設計部から玉野へ長期出張していた申請外井上、同田中とともに帰阪し、大阪事業所藤永田工場に赴いたところ、造船設計部三谷部長から右三名共部長室に呼ばれ、右三名に対し、それぞれ三谷部長から配置転換命令が伝達された。
その中で、申請人に対しては、「大橋君、君は九州福岡営業所で営業活動をやって貰います。君は機械出身で、今迄の技術を生かして営業という新しい仕事について貰います。ここの所長は石田さんという人で、重機プラントと陸上機械の営業をやっています。陸上機械は回転機器、陸上原動機、運搬機をやっているそうです。重機プラントは原子力機器、自家発電をやっているそうです。期日は四月一日付、客先は九州電力、新日鉄が中心ということです。」との趣旨の話が右三谷部長からなされた。
これに対し申請人は、三谷部長に対して、「昨日、一昨日発表された人の全部が玉野を中心に、本社、千葉、藤永田と設計又は関連の技術者としての配転になっている。一部コンテナに行く人もあるが、たった一人だけ、本社、玉野、千葉といった事業所ではなく、地方の遠い営業所に配属されるのは明らかに違和感があります。」との趣旨並びに前記の申請人の家庭の事情からして、本件配転命令は受け容れ難い、再考をお願いしたいとの旨を申し入れた。
これに対して三谷部長は、「再考は絶対ありません。君の方から正式の返事を持って来て下さい。」との返事をなした。
9 その後、昭和五四年三月一六日、申請人から三谷部長に対し、本件配転命令について再考して欲しい旨申し入れたが、三谷部長の答えは、申請人が福岡営業所に決ったのはニーズが一致したからで、再考はありえないとのことであった。
さらに申請人は、同月二六日、三谷部長に面会し、「いろいろ考えましたが、どうしても福岡には行けないので再検討して下さい。」と申し入れたのに対し、三谷部長の返答は再考はないとのことであった。
さらに申請人は、同月二八日にも三谷部長に会い、申請人から「どうしても行けないのに辞令を出されるのですか。」と問うたのに対し、三谷部長は「出さざるを得ません。」と答えた。
10 昭和五四年三月二九日、前記山中課長が職場内の申請人の所に来て、口頭で同年四月一日付での福岡営業所への配転命令を正式内示するとともに、持参した書類を申請人に渡そうとしたが、申請人は、家庭の事情、職種転換であること及び本件配転命令には特異性があることを理由にあげて、配転を断る旨、したがって書類も受理できない旨を右山中課長に伝えた。
11 昭和五四年四月五日、右山中課長は申請人に対し、昭和五三年一一月二〇日~同月二二日行われた被申請人会社の営業部員研修のテキスト(財団法人日本生産性本部編)を渡し、これを読むよう指示した。
さらに、同日、申請人は右山中課長のもとへ、本件配転命令に対する苦情を内容とする勤務苦情申立書を持参して提出しようとしたところ、山中課長は、これは課長の職務権限外のものなので受取れないと言って、受理を拒絶した。
12 昭和五四年四月六日、山中課長が申請人の職場に赴き、申請人に対し同日付の山中課長作成の赴任勧告書を渡そうとしたが、申請人はこれをその場では受取らず(後日配達証明付で申請人の自宅に郵送されて来た。)、同様のことが、同月九日、同月一〇日と繰り返され、同月一一日には三谷部長が職場の申請人のところを訪れ、三谷部長作成の同日付赴任勧告書とともに福岡営業所石田所長から三谷部長に宛てた「大橋勝君の着任について(依頼)」と題した書簡と「原動機・機器事業本部関係商品概要説明書」等の資料を三谷部長から申請人に手渡したが、間もなく申請人から三谷部長に右勧告書を返却するといったこともあった。
13 昭和五四年四月一六日付の大阪事業所藤永田工場荒木総務部長作成の申請人に宛てた赴任勧告書(同内容のもの二通のうち一通は、内容証明郵便として申請人の自宅に届けられた。)には、同年四月二三日以降は藤永田工場内への申請人の立入りを禁止する旨うたわれていた。
14 申請人は、昭和五四年四月一八日付で前記荒木総務部長に宛てて質問状を発し、次の事項につき質問をなした。
(一) 本件配転命令の内示時以来「全く再考は無い。」とされている理由
(二) 申請人に職種転換及び福岡営業所勤務を言われる理由
(三) 設計部の他の同僚がコンテナ等一部を除き、設計部門に配属された理由。彼等が営業部門また福岡営業所に配属されなかった理由
(四) 配転に際して家庭状況を考慮できないとされる理由
(五) 現在三谷部長との話合が継続しているのに、私(申請人)に対して「四月二三日以降藤永田工場内への立入りを禁止する。」と急に日を切られた理由
15 昭和五四年四月一九日、申請人は、前記三谷部長と大山勤労課長から、前項記載の質問事項に対する回答として、申請人が福岡営業所に決ったのはキャリア、ポテンシャル等により決ったもの、家庭状況はそれぞれあり、申請人だけを特別に扱うわけにゆかない、三谷部長と話合が継続中とあるが、会社のニーズに従って早く行って貰うよう説得している積りであり、福岡も待っているし、一つの区切りが必要なので決意をして貰いたい等の説明を受けた。
16 申請人が昭和五四年四月二三日朝、被申請人会社の大阪事業所藤永田工場に出勤すると、工場通用門のところで保安係の人々により入門を阻止された。このとき以来、申請人は被申請人から藤永田工場への立入りを拒否された状況が継続している。
17 なお、今日でも福岡営業所には申請人に予定されていたポストに誰も充てられず、空けられたままの状態が続いている。
七 大阪事業所藤永田工場の造船設計部閉鎖に伴う所属従業員の異動の全容について
疎明資料によれば、以下の事実が一応認められる。
1 被申請人会社の大阪事業所藤永田工場の造船設計部閉鎖に伴い、退職も含め異動の対象となったのは合計九〇名であった。
但し、右九〇名のうち一名は昭和五三年六月一日付で、もう一名は同年一〇月一日付でいずれも藤永田工場コンテナ部に配転になり、他の一名は同年八月三一日付で自己都合退職し、さらにもう一名は同年九月三〇日付で停年退職となったもので、前記の同年一一月一日付の九名の異動以降退職や転勤等したものは合計八六名ということになる。
2 右八六名のうち、任意退職九名、停年選択退職五名、他社への出向一六名(内一名は事務職、また内六名は株式会社MECSへ)、女子の配置換え四名、玉野事業所への配転二七名、玉野以外の本社や千葉、化学プラント装置設計大阪分室などの設計の仕事への配転一六名、システムデータセンター藤永田分室への配転三名、由良の船の修繕部門へ一名、コンテナへ一名、前記三谷部長は昭和五四年六月一日付で藤永田工場の品質保証部長となり、申請人を含む残り三名が造船設計部から営業部門へ配転となった。
3 造船設計部の技術畑から営業部門へ配転となった申請人を除く二名は、いずれも工業高校卒の配転当時二四歳くらいの年令で、一名は大阪支社機械営業第一部(同人の同居家族は妻のみ)へ、もう一名は神戸営業所(同人は未婚で同居家族もなし、入寮者)へそれぞれ配転となった。
八 本件配転命令の効力についての判断
以上一から七まで記載した各事実を基にして、以下、本件配転命令の効力につき判断する。
1 前記三の各事実によれば、昭和五四年三月から四月にかけての、本件配転命令が発令されたころは、我が国の造船業界が未曽有の不況下にあり、被申請人会社においても種々の不況対策が検討され、ついには大阪事業所藤永田工場の新造船部門の閉鎖、したがって同工場の造船設計部は廃止という次第に立ち至ったもので、申請人を含む当時の造船設計部所属の職員につき配転等の異動の措置が必要となったことは止むを得ないものとして充分理解できるところである。
2 そこで、次に問題となるのは、被申請人が申請人の配転先として福岡営業所を指示した点及びこれを指示するに至るまでの手続の点である。
3 申請人は、前記四の2、3に掲げた家庭の事情等により株式会社藤永田造船所に就職し、昭和四一年四月の右就職以来、昭和五四年四月一日付の本件配転命令に至るまで、四の1に記載したような仕事、即ち係の異動はあっても同じ課内で一貫して造船設計という仕事に従事してきたものである。
4 被申請人は申請人を福岡営業所に転勤させる理由の一つとして営業部門の強化を掲げ、営業部門の強化を会社の重点目標として掲げること自体は充分理解できるものであるが、右のような事情下にある申請人を営業部門に置くことが、どのような点から具体的に営業の強化に副うのか、客観的に他をして納得を得させるような根拠は、前記五の被申請人の申請人に対する説得過程においても、本件手続の中においても、明らかにされてはいないといわなければならない。
5 さらに、申請人は大学卒で、将来管理職に就くことが予想される者であるから、本店のほか各地にある支店や営業所、工場に配置転換されることは当然のことである旨被申請人は主張する。
確かに、将来管理職に就くことが予想される者らにとって、当該会社の各部門の実情を知る機会を広く得るためにも、右の事柄は一般的に望まれることであるとは言えようが、大学卒であるという一事から、被申請人会社の如き大会社で、全国各地に営業所等を有する場合に、個人的事情を全く抜きにして会社側の都合だけで配転を命ずるというのも行き過ぎの感を免れない。
本件においては、申請人と被申請人との間で、申請人の勤務場所を藤永田工場に特定する労働契約の内容であったとは勿論言い難いと考えられるが、さりとて、被申請人の都合により、どこでも自由に申請人の勤務場所を決定しうるといいうるかも問題であろうと考えられる。
6 被申請人会社と三井造船労働組合との間には、五の1に記載した内容の労働協約があり、そこにいう「会社は本人の意向を徴するものとし」とは、形式的に意見を聞けば良いというのでは勿論なく(もし仮にそういうことであれば、本人の意向を徴する意義が全くないことになる。)配転等を命ずる使用者側の業務の都合と、配転等を命ぜられる従業員側の個人的事情、その不利益等とを照らし合わせて、使用者側において当該配転等を命ずるに際し、前記の両者の利害の調整を判断する機会と材料を与えるところに、右意向聴取の意義があるものと考えられる。そして、五の2に記載した組合側と会社側の問答はこの趣旨を確認したものと考えられるところである。
7 従業員の配置、異動といったことについては、一般的には使用者にその都合によってこれを決定する裁量権があり、労働者はこれを使用者に委ねたものと言い得ようが、労働契約関係という継続的法津関係においては、当然その基礎となる信頼関係の存在が使用者、従業員のいずれにおいても必要であり、双方においてこの信頼関係を破壊するような行為は仮に権利行使の形をとっていても権利の濫用として許されないものであり、かかる行為は法律的にも無効のものといわなければならない。
8 かかる観点から本件配転命令及びこれに至るまでの経緯をみるとき、六の2に記載した如く、会社側は本件配転命令を内示するまでには、一回だけ簡単な、しかもいわば玉野への異動を予想したうえとも受けとれるような形での意向聴取をしたのみであったこと、さらに六に記載のとおり、本件配転命令を内示した昭和五四年三月一四日以降は、度重なる申請人からの再考の依頼に対してはこれを拒絶する一方で、前記の如き個人的事情を有する申請人に対し、そういう事情の存在にも拘らず申請人に是非とも福岡営業所にて勤務して貰わなければならない会社側の事情といったものが、具体的に明らかにされていないと言わざるを得ず、その他前記の諸事実を総合判断すると、被申請人のなした申請人に対する本件配転命令は人事権の濫用として無効のものといわざるを得ないと半断する。
九 申請人の賃金について
1 疎明資料によれば、昭和五四年四月一日現在の申請人の資格は総括二級、号俸は六二号俸で、基本給は二一万四三二〇円、その内訳は職能給が一三万〇八八〇円、勤続給が三一二〇円、年令給が八万〇三二〇円であることが一応認められる。
2 申請人は、前記のとおり昭和五四年四月二三日以降被申請人会社大阪事業所藤永田工場への立入りを被申請人から禁止され、同工場にては就労できない状態に置かれており、疎明資料によれば、申請人は、賃金の関係でも、同日以降については被申請人において、労働契約の本旨に従った労務の提供をなさないものとして扱われ、賃金を計算されていることが一応認められる。
3 然るところ、前記のとおり、本件配転命令は無効であって、申請人の昭和五四年四月二三日以降の状況は、これをもって被申請人において労働契約の本旨に従った申請人からの労務の提供がないものとは言えないものと判断される。
よって、昭和五四年五月分以降の各月の賃金についても、申請人は、不就労を理由として差引されることなく、基本給全額の支給を被申請人から受けることができる筋合のものと言わなければならない。
3(ママ) 疎明資料によれば、申請人は昭和五四年五月分の賃金として金八万一五一五円の支給を受けたのみであることが一応認められ、従って同月の基本給二一万四三二〇円から右の八万一五一五円を減じた金額金一三万二八〇五円の支払を、申請人は被申請人に対し昭和五四年五月分の賃金未払分として求めることができることとなる。
4 疎明資料によれば、昭和五四年五月以降今日まで、申請人は被申請人から各月の賃金(いわゆる月給)は一切受領していないことが一応認められる。
5 右の事実よりすれば、昭和五四年六月より昭和五五年三月まで毎月月額二一万四三二〇円の賃金を申請人は被申請人から受け得た筈であることになり、疎明資料によれば、各月の賃金支給日は毎月二五日であることが一応認められる。
6 疎明資料によれば、申請人は、昭和五五年四月の定期昇給の際の業績考課(A)についてはC2として評価され、これによれば基準昇号数は6号俸となるが、長期欠勤者については、その欠勤日数に応じて号俸が控除されることとされ、被申請人としては、申請人が欠勤日数一六九日~二一〇日に該当するものとして五号俸控除して、結局一号俸昇給したものとして、別紙(四)の賃金目録番号3の会社支給実績欄記載のとおり基本給は二二万三三二〇円となるものとして計算していることが一応認められるが、申請人を長期欠勤者として扱うのが相当でないことは前記のとおりであり、従って、申請人の昭和五五年四月の定期昇給の際の業績考課(A)につきC2評価で、六号俸昇号として計算するのが相当であって、疎明資料によれば、昭和五五年度職能給表による総括二級の六八号俸の職能給額は一三万八五六〇円であり、これに勤続給三三六〇円、年令給八万四七七〇円を合計した金二二万六六九〇円が昭和五五年四月の定期昇給後の申請人の基本給額であることが一応認められる。
従って、以上の事実によれば、申請人は被申請人に対し、昭和五五年四月から昭和五六年三月までの間については月額二二万六六九〇円の賃金請求権を有することとなる。
7 疎明資料によれば、申請人は、昭和五六年四月の定期昇給の際にも業績考課(A)についてはC2と評価されたが、欠勤二一〇日を超える者に対しては、昇号を行わないとの扱いから、別紙(四)の賃金等計算表のうち賃金目録番号4の会社支給実績欄記載のとおり、被申請人会社は、申請人の職能給については、総括二級の六三号俸のままで一四万〇七七〇円で、これに勤続給三六〇〇円、年令給九万〇七一〇円を合計した金二三万五〇八〇円が申請人の昭和五六年四月定期昇給後の基本給であるとして計算していることが一応認められる。
然しながら、この点についても6項で記載したとおり、申請人を長期欠勤者として扱うのは相当でないから、結局申請人の昭和五六年四月の定期昇給の際の業績考課についても、C2で六号俸昇号したものとして計算するのが相当であり、疎明資料によれば、昭和五六年度職能給表による総括二級の七四号俸の職能給額は一四万七五七〇円であり、これに勤続給三六〇〇円、年令給九万〇七一〇円を合計した金二四万一八八〇円が昭和五六年四月の定期昇給後の申請人の基本給額であることが一応認められる。
従って、以上の事実によれば、申請人は被申請人に対し、昭和五六年四月以降は月額二四万一八八〇円の賃金請求権を有することとなる。
8 別紙(三)の賃金目録記載の五から一二までの、申請人の夏季や年末の一時金のうちの未払金、’85ビジョン推進協力金及び特別一時金のうちの未払金の各金額の算定で、申請人と被申請人とで異なるのは、基本給の額及び勤怠係数の数値のみであることが、別紙(四)の賃金等計算表からも明らかである。(なお、同表の賃金目録番号5ないし12の計算式のうち、5の申請人主張分を除き一〇〇円未満切上げ一〇〇円単位の計算であり、5の申請人主張分については円未満四捨五入である。)
右のうち、基本給については、申請人の計算根拠額が相当と考えられることは前記のとおりである。
さらに勤怠係数については、疎明資料によれば、被申請人は、申請人が昭和五四年四月二三日以降大阪事業所藤永田工場への立入りを禁止されてのちの状況を欠勤とみなして、勤怠係数を割り出していることが一応認められるが、右の状況を欠勤とみなすのが相当でないことは前記のとおりであり、さらに、申請人において、前記一時金や’85ビジョン推進協力金の各未払分の各算定の期間内につき、右の事情がなかったとしても欠勤があったと疎明するにたる資料は見当らず、結局、申請人のこれら一時金や前記推進協力金の算定に際しての勤怠係数は一・〇〇を用いるのが相当であると判断する。
よって申請人の一時金や前記推進協力金の額については、別紙(四)の賃金等計算表の賃金目録番号5から12(8については合計額)までの申請人主張欄記載のとおり、昭和五四年夏季一時金については金三二万四三二二円、同年年末一時金については金三八万六五〇〇円、昭和五五年夏季一時金については金二五万八三〇〇円、同年年末一時金については、同年一二月五日期日分については金二五万五四〇〇円、同月二五日期日分については金二三万一七〇〇円、昭和五六年夏季一時金については金五六万九四〇〇円、’85ビジョン推進協力金については金六万二五〇〇円、昭和五六年特別一時金については金三万二七〇〇円、同年年末一時金については金五七万三三〇〇円ということになる。
右の各金額から、すでに申請人が被申請人からすでに受領している別紙(四)の賃金等計算表の賃金目録番号5から12(8については合計額)までの会社支給実績欄各記載の金額を各々差し引くと、前記夏季一時金、年末一時金、’85ビジョン推進協力金及び特別一時金の各未払金の金額は、別紙(一)の賃金目録の五から一二まで記載のとおりの金額となることが明らかである。
一〇 保全の必要性について
申請人の同居家族が同人の妻と子供一人、申請人の父、申請人の妻の母であること、申請人の父が明治四四年の生まれであること及び妻が病院の栄養士として勤務していることは、前記四の2記載のとおりであり、申請人の主張と疎明を併せてみると、申請人の子(長女)は本件仮処分申請時四歳であり、さらに妻の母は申請人の父より年長であり、妻の収入は本件仮処分申請時、月額約一三万円であったことが一応認められ、さらに、申請人は、昭和五四年四月二三日以降、被申請人から大阪事業所藤永田工場への立入りを禁止され、かつ不就業という被申請人会社の扱いのため、一部一時金等を除き、各月に支給を受けるべき賃金の支払を全く受けておらないこと前記九の2に記載のとおりである。
申請人は、被申請人会社から支給される賃金、一時金等を生活の資とする労働者であって、申請人の妻の前記収入を考慮しても、本案判決の確定を待っていては回復し難い損害を蒙るおそれがあり、申請人につき本件地位保全並びに金員支払の仮処分の保全の必要性は肯認できるものと判断する。
一一 結論
以上の次第であるから、申請人の本件仮処分申請は、主文第一及び第二項掲記の限度で理由があるから、保証を立てさせないでこれを認容すべきものとし、申請人が本案訴訟の第一審において勝訴すれば仮執行の宣言を得ることによって本件仮処分と同様の目的を達することができるのであって、第一審の本案判決言渡しの後確定に至るまで金員の仮払を求める申請部分は、仮処分の必要性を欠き且つ保証を以って疎明に代えさせることも相当でないからこれを却下することとし、申請費用の負担につき民訴法八九条、九二条但書を適用して、主文のとおり決定する。
(裁判官 谷敏行)