大阪地方裁判所 昭和55年(ヨ)2344号 決定 1980年7月25日
申請人
仲川宗男
同
吉岡肇
同
渡部健次
右申請人ら代理人弁護士
早川光俊
被申請人
株式会社北条歯車工場
右代表者代表取締役
北条弘
右代理人弁護士
前原仁幸
主文
一 被申請人は申請人仲川宗男に対し金六二万〇八七二円を、申請人吉岡肇に対し金一二〇万二二五九円をそれぞれ仮に支払え。
二 申請人仲川宗男および申請人吉岡肇のその余の仮処分申請ならびに申請人渡部健次の仮処分申請を却下する。
三 申請費用は、申請人仲川宗男と被申請人との間においては、同申請人に生じた費用の四分の一を被申請人の負担とし、その余は各自の負担とし、申請人吉岡肇と被申請人との間においては、同申請人に生じた費用の二分の一を被申請人の負担とし、その余を各自の負担とし、申請人渡部健次と被申請人との間においては、被申請人に生じた費用の三分の一を同申請人の負担とし、その余を各自の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 申請の趣旨
1 被申請人は申請人仲川宗男に対し金二四〇万一九五六円を、申請人吉岡肇に対し金二四一万〇五五一円を、申請人渡部健次に対し金三〇一万一九七四円を仮に支払え。
2 申請費用は被申請人の負担とする。
二 申請の趣旨に対する答弁
1 本件申請をいずれも却下する。
2 申請費用は申請人らの負担とする。
第二当事者の主張
一 申請の理由
1 被申請人(以下被申請会社ともいう)は歯車等の製造販売を目的とする会社である。
2 申請人らは、被申請会社に勤務していたが、昭和五五年三月二〇日付で退職した。
3 申請人らが被申請会社から受取るべき退職金額は別表記載のとおりである。
4 被申請会社の退職金規定には次のとおり定められている。
退職金は従業員の退職の日から一か月以内に通貨で全額を支給する。但し会社の経理事情、別に定める退職年金支払い、その他やむをえない場合は分割して支給することがある。
この場合は本人および組合の同意を得るものとする。
支払い遅延の場合は八パーセントの利息を支払う。
5 被申請会社は申請人らに対し、昭和五五年四月三日、別表記載の金員を支払い、残額については同年同月二五日より一年間の分割払として、同年五月二四日までに別表記載の金員を支払った。
6 申請人らは、賃金を唯一の糧とする労働者であり、退職金をもとにして第二の人生を計画していた。
(一) 申請人仲川宗男は、退職後自営する予定の機械修理工場のための資金および息子の結婚資金として退職金をあてにしていたが、退職金全額を受領できないため工場に必要な機械も購入できない。
(二) 申請人吉岡は、退職後喫茶店を経営する予定で、そのための店舗を見つけていたが、退職金全額を受領できないため店舗を購入することができず、このままでは右計画そのものが破綻しかねない。
(三) 申請人渡部健次は、娘婿が独立して工務店を経営するための設備資金として退職金を使用する予定であったが、退職金全額を受領できないため、右設立計画自体が苦境に陥っている。
7 よって、申請人らは退職金残額の仮払を求めるため、本件仮処分申請に及んだものである。
二 申請の理由に対する認否
申請の理由1ないし5の各事実は認める。同6の各事実は争う。
三 抗弁
1 分割支給の合意
(一) 申請人ら主張の退職金規定は、被申請会社とその従業員を構成員とする総評全国金属労働組合北条歯車支部(以下組合という)との間で結ばれた労働協約である。
(二) 被申請会社は組合との間で、昭和五五年二月五日、退職金の支給について左記のとおり(申請人らと無関係の条項省略)合意した。
(1) 昭和五四年一一月二一日から昭和五五年五月二〇日までの間の自己退職者に対する退職金は分割支給とし、退職金から日本信託銀行より直接本人に支給される退職年金(退職金)額を控除した残額を、退職の翌月から一二か月以内に毎月二五日限り均等分割支給する。
(2) 本人は、分割支給の運用につき多少の弾力的配慮を希望することはできるが、一括支給を求めることはできない。
2 同意権の濫用
被申請会社は、昭和四八年頃から赤字経営が続き、昭和五四年秋には累積赤字四億八〇〇〇万円を計上するに至り、退職金を即時支給する源資および捻出可能な経理余裕はなく、将来の収益を退職金の源資に補填して支給するよりほかない。ところで、申請人らは労働者として退職金を受領するものであるが、労働者は事業内において使用者の意思を理解しこれに協力して労働に従事する立場にあり、このような労働者の本位は退職金の支給に関しても当然適用がある。従って、申請人らは、将来の収益を源資に補填する被申請会社の経理の実情を理解し、これに協力して退職金の分割支給を了解することが要請されるということができる。
してみれば、仮に退職金の分割支給につき申請人らの同意を要するとしても、本件仮処分申請は、申請人らが労働者として退職金規定の適用を受ける立場を全く顧慮しないものであるから、申請人らは同意権を濫用しているものと評価すべきである。
3 一部弁済
被申請会社は、昭和五五年六月二五日、申請人らに対し別表記載の金額(年八パーセントの利息込み)をその各取引銀行に送金して支払った。
四 抗弁に対する認否
抗弁1(一)の事実は認める。同1(二)、2の各事実は争う。
理由
一 被保全権利について
1 申請の理由1ないし5の各事実については当事者間に争いがない。
2 抗弁1(一)の事実については当事者間に争いがなく、疎明によれば、被申請会社と組合との間で、昭和五五年二月五日、抗弁1(二)(1)の合意が成立したことを一応認めることができる。しかして、右合意成立の時に被申請会社と組合とが作成した覚書(乙第一〇号証末尾添付)には「本人の同意を得たうえ分割支給する」との文言が記載されていることおよび被申請会社と組合とが作成した「昭和五五年二月五日付覚書についての疑議確認」と題する同年四月二五日付書面(乙第一一号証)には、右覚書にいう本人の同意とは、退職金分割支給の内容のみに関するものであるという趣旨の記載がなされていることを一応認めることができる。しかし、右覚書にいう本人の同意が右の如きものであるとすれば、当初から覚書にそのような文言を記載し得た筈であるにもかかわらず、被申請会社の退職金規定(申請の理由4)中の本人の同意に関する記載(同規定にいう本人の同意とは、退職金を分割支給することの可否に関するものであることは、同規定の体裁から明白である)とほぼ同趣旨の文言を覚書に記載し、後日その解釈について別に書面を作成するのは不自然であることおよび疎明によれば、乙第一一号証は、申請人らの退職後一か月を経過したにもかかわらず退職金が全額払われてはいないことに対する大阪西労働基準監督官作成の是正勧告書(乙第一三号証の一)が被申請会社に到達した日に作成されたことが一応認められることに照らせば、右覚書にいう本人の同意についての乙第一一号証の記載は信用しがたく、右覚書の記載文言については、被申請会社の退職金規定を参照しつつ、その文理に従って解釈するほかないところ、右覚書の内容からすれば、分割支給の内容についてのみ本人の同意の余地を残したものと解することは困難である。結局、抗弁1(二)(2)の合意が被申請会社と組合との間でなされたことの疎明はないといわざるをえない。
3 被申請代理人は、同意権濫用の抗弁を主張する。しかし、被申請会社の退職金規定(申請の理由4)によれば、被申請会社は、経理事情その他やむをえない事由により退職金の分割支給をせざるをえない場合においても、そうするためにはなお本人の同意を得ることを要するとされ、退職金債権は、その支払期が被申請会社の経理事情等で一方的に変更されることを禁じられているというべきである。しかして、右抗弁は、退職者の同意権の行使に被申請会社の経理事情、資力等に応じた制約が課せられることを前提とするものであり、それは、結局、右退職金規定の文理および趣旨を無視するものといわざるをえない。右抗弁は主張自体失当である。
4 疎明によれば、抗弁3の事実を一応認めることができるから、右金額から利息分を控除した金額を申請人らの退職金残額から控除すると別表のとおりである。
二 仮処分の必要性について
1 疎明によれば、申請人仲川宗男は、被申請会社を退職後、従業員三名を雇用して機械修理請負業を営むつもりで、そのための機械・工具類・貨物自動車の購入代金、従業員に対する当座の賃金、同申請人が自動車運転免許を取得するための費用等に退職金をあてる予定であることを一応認めることができる。
そこで、同申請人が右営業を行うために現時点で必要とする資金についてみるに、疎甲第六号証(同申請人作成の報告書)には右資金額が記載されているけれども、疎甲第一二ないし第一五号証に照らせば、疎甲第六号証記載の機械・工具の代金、自動車の代金および保険料等の金額は、実際に要する金額よりも多額であることが一応認められる。そして、自動車代金について、同申請人は現金による全額一時払を考えていることが窺われるのであるが、月賦による支払も可能であることを考慮すれば、自動車購入のために現在要する金額は月賦購入の場合を前提として考えるのが相当である。また、同申請人は、営業開始後、修理代金が満期までの期間が六か月の手形で支払われることを予想して、その間の人件費を予め準備しておく必要があるとしているが、ある程度の人件費を予め準備しておく必要のあることは首肯しうるとしても、受取手形の期間を右の如く予想することに合理性があることの疎明はない。
してみれば、疎明により、同申請人が機械修理請負業を営むために現時点で必要とする費用として一応認めることができる金額は、別紙費用目録記載のとおり合計三五七万七四五〇円である(疎甲第六号証と疎甲第一二ないし第一五号証とを対照のうえ、同目録一については疎甲第六号証の金額の九五パーセント、同目録二、三については同号証の金額の八〇パーセントとし、同目録四については前記理由により自動車価格の三五パーセントとした。また同目録六については前記理由により同号証の金額の三分の一とした)。
なお、同申請人は息子の結婚資金に退職金の一部をあてる予定であるというのであるが、右結婚の具体的な日取等については疎明がないから、右結婚は仮処分の必要性を判断するについては考慮しない。
2 疎明によれば、申請人吉岡肇は、退職後喫茶店を経営する計画で、その資金に退職金をあてる予定であることならびにそのための費用として、現時点において、借入店舗の敷金三〇〇万円および当初の賃料六万円、カップ・スプーン等什器備品の購入代金一四万〇八八〇円のほか店舗内装費を必要としていることを一応認めることができる。しかして、内装費については、(証拠略)によれば一五〇万円を要するというのであるが、その内装の具体的内容については何ら疎明がないので、右金額の六〇パーセントである九〇円万をもって相当な金額と認める。
3 疎明によれば、申請人渡部健次は、二女の婿がその父親から独立して工務店を経営するための資金として、退職金を貸すつもりであることを一応認めることができる。
しかし、金員の仮払を求める仮処分の必要性は、金員の仮払を得ることができなければ、当該申請人および同人と生計を一にしその収入に頼って生活している者に対し著しい損害を生じる場合に、右必要性を肯定すべきであると解するのが相当であるところ、同申請人の二女の婿は、同申請人とは生計を別にしているものと推認されるから、同申請人については、本件仮払の必要性の疎明がないといわざるをえない。
4 ところで、労働協約に基づき労働者が受領する退職金は労働の対償として使用者が労働者に支払うものであると解される。そして、労働者は、退職後においては退職金を最大限に効率的に運用してその生活の維持を図るものであり、労働者がその生活を退職金に依存する度合は、労働者が同一企業に勤務した期間が長ければ長い程強くなる。
疎明によれば、申請人仲川宗男が被申請会社に勤務した期間は約二四年六か月、申請人吉岡肇のそれは約二八年であることを一応認めることができるから、右申請人らにおいては、いわゆる第二の人生を歩むにあたり退職金に依存する度合が強いというべきである。しかるところ、右申請人らが計画していた事業の開始が、退職金の全額一時支給を受けられないために遅延すれば、事業開始の時機を失し、毎月分割支給される退職金は月々の生活費にあてられて費消される結果、右申請人らは、多年の労働の対償である退職金の効率的な運用を図ることができず、退職後の生活設計そのものの変更すら余儀なくされることになる。
してみれば、右申請人らについては、本案訴訟の判決を待っていては著しい損害を生じるおそれがあるというべきであるから、被申請会社に対し、右申請人らが計画している事業を開始するために必要な資金額から、既に支給した退職金額を控除した金員(申請人仲川宗男につき金六二万〇八七二円、申請人吉岡肇につき金一二〇万二二五九円)の仮払を命じる必要性があるということができる。
5 被申請代理人は、被申請会社には退職金を即時支給する源資がないと主張するのであるが、右程度の金員を支払った場合、被申請会社の経営に破綻を来すような事情を認めるに足る疎明はない。
三 結論
よって、本件仮処分申請は、申請人仲川宗男に対し金六二万〇八七二円の、申請人吉岡肇に対し金一二〇万二二五九円の仮払を求める限度で理由があるから、右限度において本件事案に鑑み保証を立てしめないでこれを認容することとし、右申請人らのその余の申請および申請人渡部健次の申請は、理由がないからこれを却下することとし、申請費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を適用して、主文のとおり決定する。
(裁判官 楢崎康英)
別表
<省略>
費用目録
一 機械修理用機器、工具類、運搬用具(チェンブロック、滑車、麻ロープ、シャックル)の代金(雑費を含む) 二五万〇四二〇円
二 測定器具(ノギス、パス)の代金 六万二七二〇円
三 仕上用工具(ヤスリ、ペーパー、熔接機、ドリル、タガネ、ハンマー、グラインダー、熔接棒)の代金(雑費を含む) 四一万八九六〇円
四 貨物自動車の代金 五四万四六〇〇円
五 自動車税および保険料 四〇万〇七五〇円
六 申請人仲川宗男および従業員三名の給料支給準備金 一七〇万〇〇〇〇円
七 申請人仲川宗男が自動車運転免許を取得するための費用 二〇万〇〇〇〇円