大阪地方裁判所 昭和55年(ヨ)2865号 1981年1月27日
申請人
片岡正司
右訴訟代理人弁護士
藤井光男
同
蒲田豊彦
同
萬和子
被申請人
ヤマトタクシー株式会社
右代表者代表取締役
坂東政雄
右訴訟代理人弁護士
原滋二
主文
1 申請人の申請をいずれも却下する。
2 申請費用は申請人の負担とする。
理由
第一当事者の求めた裁判
一 申請人
1 被申請人は、申請人を被申請人の従業員として仮に取り扱い、かつ一九万六、三八七円及び昭和五五年七月から毎月二八日限り二七万三、九八七円を仮に支払え。
2 申請費用は被申請人の負担とする。
二 被申請人
主文と同旨
第二当裁判所の判断
一 前提となる事実
被申請人は乗用車による旅客運送業を営む株式会社(以下、単に「会社」という。)であり、申請人は昭和四八年五月頃会社に雇用され、以降運転手並びに塗装工として勤務してきたものであるところ、会社は申請人に対し「貴殿は昭和五五年六月三日の営業に勤務中営業報告書の入庫指数を偽って報告し、営業運収金を着服、横領した行為は就業規則第一〇六条の第七号、第一〇号、第一五号、第一九号に該当するので、昭和五五年六月七日付を以って懲戒解雇に処する。」旨記載のある同日付の「懲戒解雇処分通知書」をもって申請人を懲戒解雇に処する旨の意思表示(以下、「本件懲戒解雇」という。)をしたことは当事者間に争いがなく、疎明資料によれば、右就業規則一〇六条には「会社は従業員が次の各号の一に該当するときは懲戒解雇に処する。但し情状により出勤停止或は減給に止めることができる。」とあり、その第七号には「業務上の重要な回答報告等を偽ったとき」、第一〇号には「職務上の規則及び指示命令に違反し、又は不当に反抗し職場の秩序をみだしたり、みだそうとしたとき」、第一五号には「会社内及び業務中、刑法に触れる様な行為をなしたる場合」、第一九号には「料金メーター不正操作、メーター封印切、料金不正使用、車兩放置の行為があったとき、或はそれらの現行が捕捉されなくても、その行為のあった事が確実となったとき」とそれぞれ規定されていることが認められる。
二 本件懲戒解雇に至る経緯
争いのない事実及び疎明資料によれば、本件懲戒解雇に至る経緯として次の事実が認められる。
1 申請人は、昭和五五年六月三日午前九時一五分頃担当車(大阪五二五三号)に乗車して当日の運転業務に従事し、翌四日午前四時頃右乗務を終え帰社したところ、既に事務所が閉鎖されていたため直ちに営業運収金の納金手続をとることができなかったので、一時仮眠した後同日午前七時三〇分頃納金手続をとるべく、営業運収金の計算をしたところ、営業報告書及び料金メーターの指示する料金額よりも手持ちの金額が約三、四〇〇円ほど不足していることが判明した。そこで申請人は、営業報告書に不実を記載してこれを湖塗せんとし、営業報告書の現金収入欄に当日の営業運収金額を総額において三、五〇〇円不足させて記載し、かつこれに合わせてメーターの入庫時の爾后料金欄に正規のメーター指数よりも五〇回分不足する指数を記載(これを会社従業員の間で「メーター指数の送り込み」と呼んでいる。)して三、五〇〇円を不足させたまま納金手続を終えた。
2 ところが、同日午前九時頃右不実記載及び三、五〇〇円の不足納金の事実が会社の知るところとなり、直ちに会社釜渕営業部長が申請人を探したが見あたらず、翌五日も申請人が点呼時の午前九時に出社していなかったためか同人と出会うことができず、翌々六日になってやっと申請人と出会うことができたので、同日午前一〇時頃営業事務所応接室において右不実記載及び不足納金の件につき弁解を求めるとともにこれを問い糺したところ、三、五〇〇円を使用したことを認めて謝罪したものの、その使途等については何らの弁解もしなかったので、右釜渕営業部長は、申請人が三、五〇〇円の料金を着服横領したと認定し、最終的処分を留保して同日は始末書を提出させるに止めた。そして翌七日申請人が当時属していた従業員組合の役員に対し、申請人を右横領行為を理由に懲戒解雇に処する所存である旨を告げた後、申請人に対し同一の理由をもって懲戒解雇に処する旨の本件懲戒解雇処分を行い、同月一六日前記「懲戒解雇処分通知書」なる書面を交付した。
三 本件懲戒解雇の効力
1 申請人は、本件懲戒解雇は、(一)申請人が三、五〇〇円を横領していないのに拘らず、これを横領したとの前提に立って行われたもので、事実誤認に基づくものであり、(二)違反行為の程度からすれば、相当性の範囲を逸脱しており、(三)他の処分事例と対比すれば明らかに均衡を失するから、解雇権の濫用に当り無効であると主張するので以下検討する。
(一) まず(一)の点については、前記認定の事実によれば、申請人が昭和五五年六月四日午前七時三〇分頃同月三日の乗務による営業運収金から三、五〇〇円を横領したといわざるをえないのであろう。
なるほど、疎明資料によれば、申請人は前記納金後に相勤乗務員に対し営業報告書に前記不実記載をしたが、これは翌五日の次乗務の際に補正する旨告げ、一応同人の了承を得たことが認められるが、他方会社においては、タクシー乗務員は原則として当日の営業運収金の全額をその都度会社に納金すべきことが義務付けられていることが認められる以上、申請人が右のごとく相勤者の同意を得たからといって、会社との関係において右横領の意思を阻却するものではなく、まして申請人は次乗務の日であった同月五日の乗務時に右不実記載の事実が既に会社の知れるところとなっていることを知ったにも拘らず、かつて同種の事件を起した際会社がこれをいわゆる未収金扱い(本来あるべき営業運収金が、客の踏みたおし、つり銭の過払い、運収につながらない高速料金の支払い、更には自己所持金との混同からくる使い込み等のため、その一部に不足をきたす場合があるが、このような場合に右不足分を未収金ということで取扱い、後刻給料から右未収金額を差し引く等の方法で清算することをいう。)にしてくれたことがあったので、今回も同様の取り扱いをしてくれたものとの全く身勝手な解釈をし、右納金不足分を直ちに納金することもしなければ(相勤者との約束では同日右不実記載の点が補正され、三、五〇〇円が申請人の同日の営業運収金の一部として会社に納金されるはずであった。)、進んで右不実記載及び不足納金の件について説明を行わなかったことが認められ、右事実によれば、申請人に横領の意思がなかったとはいえなく、従って右主張は採用できない。
(二) 次に(二)の点については、疎明資料によれば、会社では従来から乗務員が営業運収金の一部を未収金扱いにすることが多かったため、会社は昭和五五年二月七日原則として未収金は認めない、もしこれに違反した場合は就業規則一〇六条所定の懲戒事由に該当するとして厳重に処分する旨告示したため、未収金があれば、始末書の提出とともに譴責、減給等の懲戒処分を受ける可能性が強くなったこと、ところで会社では、営業車の出入庫における料金メーターの指数と営業報告書の記載との照合を必ずしも励行していなかったため、前記指数の送り込み、営業報告書への不実記載によって右未収金の取り扱いを避け得る余地があったこと、従って会社が未収金を認めない方針を強化すればするほど、その当否はさて措き、乗務員に対し未収金に伴う右懲戒処分を避けんがための指数の送り込み、営業報告書への不実記載を助長させる面を与えたこと、前記認定のとおり申請人に横領の意思が生じたのが営業運収金の計算後であったこと、更に申請人の本件横領行為は料金メーターを操作するものとは異なり、営業報告書と料金メーターとを照合しさえすれば容易にこれを発見することができるものであるから、横領行為の態様としてははなはだ幼稚であること、その金額も三、五〇〇円と少額であること等の情状が認められる。しかし、およそタクシー会社において、乗務員が、その当日の営業運収金全額を所定の方法で納金することは、まずもって遵守しなければならない基本的な事項であって、これが遵守されない時はその営業は成り立たないといっても過言でないものであるから、乗務員は常に未収金の生じないように心懸けるとともに、仮に未収金が生じたときは、これを卒直に会社に届出るべきである。従って、申請人の前記不実記載及び不足納金の行為は、乗務員として最も遵守すべき基本的な事項に違反したものであって、これを仮に申請人が前記営業運収金の不足分約三、四〇〇円を未収金として取り扱って納金した場合と比較すると、その動機、態様においてその違反の程度は決して軽いものとはいい難く、従って右主張も採用できない。
(三) 続いて(三)の点については、疎明資料によれば、会社では、昭和五二年七月から同五五年一月までの間において、乗務員が就業中にも拘らずマージャンをしたり、営業車を放置してマイクロバスを運転したり、会社の定める営業時間を超過して勤務し、多額の営業運収金を得たり等して、会社から始末書提出、譴責の懲戒処分を受けたこと、もっとも昭和五五年四月に一乗務員が他の従業員と喧嘩して同人に傷害を負わせる事件を起したが、却って被害者の立場であるとして処分を受けなかったこと、更に同年六月に一乗務員が営業運収金につき一、五〇〇円の不足金を生じさせたが、同人がこれを未収金として会社に申告したため処分を受けなかったことがそれぞれ認められるが、申請人の本件横領行為とその態様、程度において同一であると認め得るような行為があったと認めるに足る適格な疎明はない。そうすれば、対比すべき処分事例としては右に認定した就業中のマージャン、マイクロバスの運転、超過勤務ということになるが、右各行為は申請人の右横領行為よりもその違反の程度においてはるかに軽く、いずれも対比すべき処分事例とはなり得ないといわざるを得ない。
ところで疎明資料によれば、昭和五四年五月に申請人が本件横領行為と同様の方法で営業運収金六、六六〇円を納金せず、会社から始末書提出、減給の懲戒処分を受けたことが認められる。従って本件懲戒解雇は右処分事例と対比する限りにおいては均衡を失しているといえなくもないが、疎明資料によれば、本件懲戒解雇は申請人の右行為を前提としてなされたものであることが認められるのであって、この点を勘案すれば、本件懲戒解雇は決して均衡を失した処分とはいい得ないから、右主張も採用できない。
2 申請人は、会社が昭和五五年六月六日本件横領行為につき始末書を提出させた時点では、申請人を懲戒解雇に処する意思などなかったのに、その後右行為が社長の耳に入ったという事情の変化によって本件懲戒解雇がなされたもので、その恣意性からすればその効力に疑問があると主張するので、以下検討する。
本件懲戒解雇は前記認定のとおり始末書を提出させたうえ更になされたものであるところ、疎明資料によれば、右始末書には「右の様な不仕末を致しまして誠に申し訳けありません。今後は十分反省すると共に御社の諸規則を遵守し誠実に勤務致しますから今回に限り御寛大なる処置をお願い致します。尚今後この様な不仕末をした場合は御社による如何なる処分を受けても異議申立等は一切致しません。」との記載があり、また就業規則によれば、会社の懲戒は譴責、減給、出勤停止、懲戒解雇の四種類であり、始末書の提出を求めるのは右前三者の処分をなす場合であって懲戒解雇に処する場合はこれを提出させないことになっていること、前記のとおり本件懲戒解雇について昭和五五年六月七日釜渕部長と従業員組合とが接渉したが、その席上申請人の本件横領行為の件が社長の耳に入った以上懲戒解雇は避けられない旨の発言もあったことがそれぞれ認められ、右各事実によれば、会社では懲戒の処分等が恣意的に行われるという面があるのではないか、申請人の右横領行為についても始末書の提出をもって少なくとも懲戒解雇だけは免れさせようとしたのではないかとも推認できなくはないが、これは、右横領行為が懲戒解雇の事由となり得ないということではなく、右横領行為の件が会社の最高責任者である社長の耳に入った以上もはや申請人を救い得なくなったということとみるのが相当である。そうすれば、本件懲戒解雇が恣意的になされたとはいまだいい得ないところであるが、仮に恣意的になされたといい得ても、右事実によれば、その効力を左右する程のものとはいえず、いずれにしても本件懲戒解雇の効力に消長をきたさず、従って右主張もまた採用できない。
以上によれば、本件懲戒解雇は有効というべきである。
四 結び
そうすれば、本件仮処分申請は、その余の判断をするまでもなく被保全権利の疎明を欠くことになり、事案の性質上保証を立てしめて右疎明に代えさせることも相当でないので、これを失当として却下することとし、申請費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり決定する。
(裁判官 最上侃二)