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大阪地方裁判所 昭和55年(ヨ)3230号 決定 1981年3月12日

申請人

新谷明博

右訴訟代理人弁護士

海川道郎

河村武信

上山勤

被申請人

近畿保安警備株式会社

右代表者代表取締役

竹本政輝

松岡勝

右訴訟代理人弁護士

中山晴久

夏住要一郎

主文

1  被申請人が申請人に対して昭和五五年七月一八日付でなした管制室勤務を命ずる旨の業務命令の効力を仮に停止する。

2  被申請人は申請人に対し、二八万八二〇〇円及び昭和五五年七月二八日から毎月二〇日限り一六万一三五一円を仮に支払え。

3  申請人のその余の申請を却下する。

4  申請費用は被申請人の負担とする。

理由

第一当事者の求めた裁判

一  申請人

主文第1、第4項同旨及び「被申請人は申請人に対し、二九万二二〇〇円及び昭和五五年七月二八日から毎月二〇日限り一六万一五三一円を仮に支払え。」

二  被申請人

1  本件申請をいずれも却下する。

2  申請費用は申請人の負担とする。

第二当裁判所の判断

一  前提となる事実

争いのない事実及び疎明資料によれば、被申請人(以下、「会社」という。)は昭和四三年四月に設立され、設立と同時に株式会社サービスセンターの下請として大阪府立高等学校等の警備業務を担当してきたが、同四八年四月からは直接大阪府教育委員会(以下、「大教委」と略称する。)と大阪府立学校警備業務委託契約(以下、単に「委託契約」という。)を締結し、以降毎年右委託契約を更新して現在に至っているものであるところ、会社の業務は、その大部分が右委託契約に基づく大阪府立学校の警備であり、従ってその収益も昭和五四年度においては実に九五パーセント以上が右委託契約によるものであった。一方申請人は昭和四五年一二月一日会社に雇用され、以降大阪府立花園高等学校、同生野ろう学校、そして同五一年一一月から同桃谷高等学校(以下、「桃谷高校」という。)においてそれぞれ学校警備の業務に従事してきたものであるところ、入社と同時に現在従業員約五〇名で組織する大阪府立高等学校保安警備員労働組合(当時はオー・エス・シー保安管理事務所労働組合と称した。以下、単に「組合」という。)に加入し、直ちに執行委員代行となったのを皮切りに昭和四六年の定期大会で執行委員、同四九年の定期大会で書記次長にそれぞれ選任され、更に同五〇年一月に書記長代行となり、同五一年の定期大会で書記長に選任され、以降毎年再選され、現在組合書記長の地位にあるものであるが、昭和五五年七月一八日会社から同月二八日付をもって管制室勤務を命ずる旨の意思表示(以下、「本件配転命令」という。)を受けた、ことが認められる。

二  本件配転命令の効力

被申請人は、本件配転命令は前記委託契約一二条に基づき申請人を学校警備業務からはずすようにとの府教委からの要請によるもので、もとより有効であると主張するのに対し、申請人は、本件配転命令は組合の弱体化を計ろうとする不当労働行為であり、組合と会社との間の事前協議同意約款に違反するものであり、人事権の濫用であるから、いずれにしても無効であると主張するので、以下検討することとする。

1  本件配転命令に至る経緯

争いのない事実及び疎明資料によれば、次の各事実を認めることができる。

(一) 申請人が勤務していた桃谷高校において、同校の電話料金が昭和五四年六月請求分(ダイヤル通話期間は同年五月一四日から同年六月一三日まで)から異常に高額となりはじめたところ、同年一〇月に至り、これは、申請人が組合用務等のため同校に設置されている公用電話を無断使用していたことが大きな原因であることが判明した。そこで同年一一月五日桃谷高等学校長は府教委に対し、申請人が同校設置の公用電話を無断で使用し、同年六月から同年一〇月までの間に推定金額二八万一一二五円の損害を与えたので善処されたいと要請をし、その頃同校事務長を通じ申請人に対し公用電話使用について注意を与えた。右善処方を要請された府教委は昭和五四年一二月二六日会社に対し、申請人が桃谷高校の公用電話を無断使用して同年六月から同年一〇月までの間に二六万三〇〇〇円の損害を与えたので賠償されたい、今後このようなことが発生すれば、会社との委託契約を解除することがあると警告した。

(二) 会社松岡社長は昭和五五年一月一六日申請人に対し、府教委から右電話無断使用の件及び二六万三〇〇〇円の損害賠償を請求されていることを告げ、組合用務等に公用電話を使用しないように注意を与えたが、申請人は、組合用務のための電話使用は認められている、右金額全てが申請人において使用した電話料金だとは思われないとの態度をとり、会社も右損害額については申請人の言分に一部同感するところはあったが、翌一七日右損害金を支払い、後記のとおり府教委から再度の警告のあるまでは、この問題をとくに取りあげることはしなかった。このため、申請人は後記のとおり昭和五五年二月四日法廷において右電話無断使用の件について質問を受けるまで、これが府教委及び会社において大きな問題として取り上げられていることとは知らなかった。

(三) ところで府教委は昭和五五年一月末頃桃谷高等学校長から、昭和五四年一一月分以降の電話料金についても依然として高額であり、更に昭和五五年一月一六日以降も関東方面へ夜間一時間程度の通話が四回記録され、これらはいずれも申請人の電話無断使用によるものであるとの連絡を受けたので、同年二月二日会社に対し、申請人は委託契約一二条一項にいう「契約の履行又は管理につき不適当と認められる者」である、今後このような事態が続くならば、契約解除も含めて何らかの処置を考えざるを得ない、との再度の警告をした。

(四) 申請人は昭和五五年二月四日後記のとおり申請人ら組合員が会社及び大阪府並びに国を被告として提起している時間外手当等の支払いを求める訴訟の証拠調べ期日において、証人として出廷したところ、大阪府の代理人から前記電話無断使用の件について質問を受け、右電話使用の件が府教委において大きく取り上げられていることを知るに至り、以降組合用務等のために桃谷高校設置の公用電話を使用することを一切止めた。

(五) 昭和五五年二月二八日申請人が約一週間の組合用務を終えて平常どおり桃谷高校へ出勤したところ、会社は当日申請人が同校へ勤務することになっていることを知っていたのに拘らず、いわゆる代勤者を派遣していた。会社の説明では、府教委から前記電話無断使用の件で申請人を学校警備からはずせとやかましくいわれているし、会社にとっては重大な委託契約の更新時期でもあるから、府教委の右要求に従わざるをえない、一週間程休んで欲しいというので、申請人にとっては到底納得できないものであったが、当日は既に代勤者が勤務についていることもあって混乱をさけることと右「一週間程休んで欲しい」という趣旨が必ずしも明らかでなかったので、翌日に右問題を話し合うことにした。

(六) 翌二九日申請人は、会社と前日の件につき話し合ったところ、その趣旨は一週間の出勤停止という懲戒処分であることが判明したので、右処分は会社との間に締結されている昭和五一年六月二一日付労働協約及び同五四年一一月三〇日付雇用及び労働条件に関する協約にいういわゆる事前協議同意条項に違反するものであるから、かかる処分は受けることはできない、明日から桃谷高校へ勤務につくと反発し、結局この日の話し合いは物別れとなった。

(七) 昭和五五年三月一日申請人が桃谷高校へ勤務すると、会社から永井支配人が来校し、「前記電話無断使用の件については、府教委から文書をもって善処方の依頼があり、以来口頭でこれが是正方を要求してきたが、今後は緊急止むを得ない場合を除き事前に学校側の諒解を得た上で使用し、絶対に迷惑をかけない様に勤務すること、従って以後学校側から再び注意があった場合は如何なる処分を受けてもいたし方ないことをお含みの上勤務されるよう文書をもって厳重警告する。」旨の同年二月二八日付警告書を手交された。申請人は右警告は前記電話無断使用につき申請人に対しなされた譴責或いは書面による厳重注意という一種の懲戒処分であると受けとったが、引続き桃谷高校への勤務を認めていること、右処分によって右電話無断使用の件はむしかえされることはないとして右処分を受けることとし、以降従前どおり同年三月二一日まで桃谷高校へ勤務した。その間の同月四日会社は府教委に対し電話無断使用の件については右のとおり対処した旨通知したが、府教委はこれに著しく不満の意を表するとともに、同月一四日、一七日の両日会社に対し、申請人を府教委が管理する府立学校の警備業務からはずすように強く要請した。

(八) 右要請を受けた会社は止むなく昭和五五年三月二一日申請人に対し同月二四日付をもって管制室勤務を命ずる旨の意思表示をしたが、申請人は右配転命令も前同様前記事前協議同意条項に違反するものであるから、これに従うことはできないとして従前どおり桃谷高校へ勤務したところ、同月二六日に至り会社から同月二五日付で前記電話無断使用の件を理由とする懲戒解雇の意思表示を受け、同日以降桃谷高校への就労を拒否された。

(九) 申請人は、会社に対し、右懲戒解雇に対しても前記事前協議同意条項に違反するものであるから、これを撤回するよう要求したが、会社はこれに応じなかったので、止むなく昭和五五年四月七日当庁へ地位保全等の仮処分を申請したところ、会社は同月一五日右懲戒解雇処分を前記二月二八日付の出勤停止処分、三月二一日付の配転命令とともに撤回する旨の意思表示をなし、あらためて申請人の配転について事前協議を行いたいとの申入れをしてきたが、依然として申請人の桃谷高校への就労を拒否した。

(一〇) 昭和五五年四月二五日右事前協議の申入れに基づき労使の交渉がもたれたが、組合は前記のとおり申請人に対する配転・解雇を撤回しておきながら申請人を桃谷高校へ就労させないことの非を問い、これが就労を強く要請するとともにあえてこれを拒むならば強制就労もあり得る旨を述べたところ、会社は大教委から申請人を就労させてはならないとの強い要請があり、立場上右要請を無視することができないので当分の間賃金は保障するから自宅待機して欲しい、引き続き申請人の就労場所については誠意をもって協議する、右解雇理由とされた電話無断使用の件はむし返えさず、申請人の身分は保障することを約した。その後申請人は労使交渉の席上で二回程会社から管制室への配転に応じて欲しい旨要望されたことがあったがそれ以外に申請人の就労場所についての協議はもたれることなく、日時の経過をみ、同年七月一八日本件配転命令がなされた。

2  会社における労使関係

争いのない事実及び疎明資料によれば、次の各事実が認められる。

(一) 会社には前記のとおり昭和四三年六月に会社従業員で組織された組合が存在するが、会社は結成当初から組合員に対し嫌がらせを行い、中でも昭和四六年三月には組合執行委員五名を含む六名の組合員を組合がストライキを行ったとの理由で解雇(もっとも右解雇は二週間後に撤回された。)するということがあった。

(二) 昭和五一年一二月に至り組合と会社との間において組合員の時間外勤務手当及び深夜割増手当の未払いをめぐり次のような争いが生じた。

即ち、昭和四三年六月三日天満労働基準監督署長は会社に対し監視に従事する者に対する労働基準法四一条三号の適用除外許可処分をしたが、同四四年四月七日労働省労働基準局長は「公立学校における教職員による宿日直勤務の廃止に伴いいわゆる委託契約によりこれらの業務に従事する用務員等に対する労働基準法上の取扱いについて」と題する通達(基収第三四三号の三)を出し、組合員のような勤務に従事する労働者が同法三号の規定による適用除外の許可がなされるためには、一日の拘束時間が一二時間以内であること、ただし当直勤務の途中に睡眠時間をおく場合には、当該睡眠時間を含む拘束時間が一六時間をこえない限りこれに相当する時間を拘束時間の延長として認めるものとする、等の条件が必要であることを明らかにした。しかし組合員らの学校警備という勤務内容からすれば、勤務時間中に睡眠をとることなどできないところ、平日の勤務時間が午後五時から翌日午前八時三〇分までの一五時間三〇分、土曜日が午後〇時三〇分から翌日午前八時三〇分までの二〇時間、日曜祭日が午前八時三〇分から翌日午前八時三〇分までの二四時間といずれも右除外基準に該当しないものであったので、天満労働基準監督署長は右通達に基づき直ちに前記許可処分を取消すべきであったのに昭和五一年一二月九日に至るまでこれが取消しをしなかった。しかしながら会社は右通達により組合員に対し労働基準法四章の時間外賃金を支払わなければならないのに拘らず、右取消しがなされなかったことを奇貨としてこれが支払いを拒み、更に右取消し後も支払いを拒んだため、これが支払いをめぐり紛争が生じた。

(三) ところで前記のとおり、会社はその収入の九五%以上を委託契約に基づく大阪府立学校の警備業務に依存しており、しかも右収入額も契約締結当初に委託料として定められる関係上年度途中において例えば右未払賃金などを支払うべき財源はなく、従って組合員らの労働条件の正常化或いは改善化はいきおい府教委との委託契約の委託料の増加にまつより方法がないというのが実情であった。

(四) そこで組合は、かねてから府教委は会社との委託契約に基づき労務の提供を受けているが、その労務提供は組合員らを府立学校の運営上不可欠の必要的業務の担当者としてその組織の中に組み込んで支配下に収めているから、府教委と組合員らとの間には労働契約が成立し、或いは成立しているのと同様の法的効果が認められるとして、組合員らの労働条件の改善等については会社のみならず府教委に対しても交渉を求めてきた。

(五) このようなことから組合は右未払賃金について、府教委もこれを支払う義務があるとして昭和五三年四月大阪府をも相手に右未払賃金請求の訴を提起し、現に当庁に係属している。

(六) 昭和五四年六月一日かねての懸案であった組合員らの隔日勤務につき、会社と組合との間で同年一〇月一日からこれを実施する旨の合意が成立し、同年六月五日付でその旨の確認文書が作成された。しかし右実施日の三日前である同年九月二八日会社は右合意は府教委に対する学校警備委託料が増額されることが条件となっていたが、府教委においてこれが増額要求を認めなかったため、実行できなくなった旨回答して右合意を破棄するに至った。

しかし右破棄については、府教委が同年五月に隔日勤務を実施している埼玉県へ二度も調査員を派遣してその実情を調査していること、右確認文書作成の前日である同年六月四日府教委は会社松岡社長から右隔日勤務について覚書を作成するよう要求されている、これに伴う予算措置について配慮されたい旨の依頼を受けたこと、右確認文書には「現在会社から府教委に対する『学校警備の予算増額』処置について嘆願しております。」との記載があるが、右予算増額が右隔日勤務実施の条件となっているとの明確な記載はないこと、実施日が右のとおり同年一〇月一日からであることを勘案すれば、会社と府教委との間においても右隔日勤務制の実施についてはかなりの具体性をもっていたものとみるのが相当であるところ、これが実施できなかったことについては、実施に必要な予算が獲得できなかったという結果以外に何ら疎明はなく、これに後記のとおり第二組合の結成等の諸事情を勘案すれば、右合意の破棄にはなお疑問の残るところである。

(七) 然るところ、同年一〇月三日会社従業員約八〇名をもって近畿保安警備労働組合といういわゆる第二組合が結成され、ここに組合と会社との間は益々紛争状態が拡大する傾向をみせ、緊張した労使関係へと発展したが、これと歩調を合せるように府教委もこれ以降従来ほぼ定期的に行ってきた組合との交渉を打ち切るに至った。

(八) そして、このような状況の下で、申請人の前記電話無断使用の件が起り、ここに前記の経緯をもって本件配転命令がなされたのである。

(九) ところで本件配転命令にいう管制室には組合員は一人もおらず、その勤務時間も二四時間の隔日勤務(もっとも右勤務時間については常駐警備員のそれと同じにすることが可能ではある。)であり、組合員らは管制室を本社とともにいわゆる「会社側」と意識しているものであるが、申請人が学校警備以外の勤務につこうとするならば、その機構等から右管制室以外に勤務すべき職場はない。

3  会社及び府教委の警備員の不詳事に対する処置

争いのない事実及び疎明資料によれば、過去会社において次のごとき警備員の不詳事が発生し、会社及び府教委は次のごとくこれに対処してきたことが認められる。

(一) 昭和五三年一〇月頃から翌五四年一月頃までの約三か月間に亘り当時パトロール隊員であった下崎が、体の不調を理由に娘婿に自らのパトロール業務を代行させたが、会社はこれに対し何らの処分もせず、却って昭和五四年一一月組合役員から右事実を知らされた府教委に対しても「下崎が昭和五三年一〇月から一一月にかけて体の調子が悪かったので、永井支配人の許可を得て娘婿をパトロール車に同乗せしめたものであり、本人も反省している。」との虚偽の報告をなし、府教委も、右報告を鵜呑みにしたうえ右事件が相当時間が経っていることを理由に本人に対する特段の処置を求めなかった。因みに右下崎は前記第二組合結成の中心人物であった。

(二) 昭和五四年二月当時茨木工業高等学校の常駐警備員であった中島が、同校設置の複写機を使用してわいせつ本を複写し、その原本を右複写機に置き忘れるという事件を起した。会社は府教委から同人を学校警備からはずすよう求められたが、同人を茨木養護学校の常駐警備員として配転しておきながら、府教委に対しては、同人は同年三月一二日に自主退職したとの虚偽の報告をなすとともに会社が府教委に毎月一日に行う警備員の配置状況報告にも同年五月以降同人の名前を記載しなかった。このため、右配転は同五六年二月九日に至るまで府教委の知るところとはならなかったが、同人は今なお同校の警備員として勤務している。

(三) 昭和五四年九月三〇日当時守口局等学校の警備員であった越智が、同校が地域の災害避難所の一に指定されていたうえ当日台風下であったにも拘らず、勤務時間中に職場を留守にしたため、避難に来た人達が同校へ入れないという事件が発生した。府教委は会社に対し同人を学校警備からはずすよう善処方を要求し、右要求を受けた会社も組合に対し、同人を解雇処分にしたい旨事前協議の申入れをしてきたが、組合の反対にあい、協議がととのわないまま推移し、その間同人は従前どおり同校に勤務していた。しかし府教委は同人が同五五年二月に退職するまで、これ以上の要求はしなかった。

(四) 昭和五二年頃当時パトロール隊員であった小松が、枚方高等学校においてパトロール中に当時同校の常駐警備員であった谷岡と殴り合いのけんかをしたのをはじめ、同じ頃寝屋川高等学校においても同校の窓ガラスを割って校内に侵入し、同校事務職員を殴打して警察沙汰になる事件を起し、更に飲酒運転の現行犯で逮捕されるという事件までも起したが、会社は府教委に対し右各事件につき何ら報告をしなかったためか、府教委は右各事件については全く知らなかったとして、会社に同人に対する処分等何ら善処方を要求しておらず、会社も同人に対し何らの処分もしていない。因みに同人も前記第二組合結成の中心となった人物で、現に同組合の執行委員である。

上記1の(一)ないし(一〇)及び3の(一)ないし(四)で認定した各事実を総合すると、申請人の電話無断使用の件は、仮に組合用務のためであったとしてもやはり節度を越えたものというべきで、府教委がこれを理由に同人を学校の常駐警備員として不適格であると判断し、会社に対し委託契約一二条に基づき同人を学校の常駐警備からはずすよう要求したことは必ずしも不当なことではない。しかし右電話無断使用による損害金は既に会社によって支払われており、又申請人は昭和五五年二月四日以降組合用務のための公用電話使用を一切止めており、会社も組合との間の前記事前協議同意条項のため、府教委の右要求を実現することができず、止むなく同年三月一日申請人を同年二月二八日付「警告書」をもって譴責或いは文書による厳重注意処分にして右問題を一応解決し、この旨を同年三月四日府教委に報告し了承されるよう求めているのに拘らず、府教委がなおも申請人を学校警備からはずすよう強く要求し、右要求が入れられない場合には委託契約二一条に基づき右契約の解除もあり得ると警告し、あくまで右要求を貫徹しようとしたことは、他の不詳事を起した学校警備員等に対する府教委の対処の仕方と比較すると、何故に申請人に対してはかくまで右要求に固執するのかに疑問を抱かざるを得ないところ、これに前記認定にかかる申請人の組合における地位及びその活動並びに上記2の(一)ないし(九)で認定した各事実を勘案すると、そこにはやはり申請人の組合活動を嫌悪し、これを阻害せんとする不当労働行為意思が存在すると認めざるを得ず、会社も、府教委の右要求が右不当労働行為意思をもってなされていることを知悉しながら、これに加担して申請人に対し本件配転命令をなしたものといわざるを得ない。

そうすれば、本件配転命令は、その余の判断をするまでもなく、不当労働行為として無効というべきである。

三  賃金

前記のとおり本件配転命令は無効であるから、申請人は依然として桃谷高校において常駐警備員として勤務しうる地位にあるというべきところ、会社は申請人に対し本件配転命令を理由にこれが就労を拒否し、右業務命令に従わないとして昭和五五年七月二八日以降の賃金を支払っていないこと当事者間に争いがないから、申請人は会社に対し昭和五五年七月二八日以降も賃金請求権を有するというべきである。そして右賃金額は、申請人が本件配転前三か月間に受給した賃金の平均賃金額によるのが相当であるところ、申請人が本件配転前である同年五月から七月一〇日(一〇日しめの二〇日払い)までの三か月間に受給した平均賃金額は一六万一三五一円であることは当事者間に争いがない。

更に疎明資料によれば、昭和五五年一二月一七日会社及び組合は昭和五五年下期賞与等に関する大略次のごとき内容の協定を結んだ。即ち、賞与として、(一)基本給(本給+職能給)の二・八か月分(但し対象者は昭和五五年五月一〇日以前に入社した者で支給当日在籍する者)、(二)年功加給四〇〇〇円×勤務年数(但し対象者は昭和五四年三月三一日以前入社した者)、の支給基準で算出した金員を同五五年一二月二〇日に支払う、年末年始手当として、昭和五五年一二月二八日から同五六年一月四日までの七日間に勤務した者を対象に一日につき一万三〇〇〇円の割合で算出した金員を支給する。ところで申請人の支給時の基本給は七万一五〇〇円、勤続年数は九年であること、又右年末年始の勤務については通常の場合七日間のうち四日間を勤務するものとされ、実際にも大半の従業員が四日間を勤務してきているので、申請人も桃谷高校に就労しておれば四日間は勤務したであろうとみれることがそれぞれ認められるので、右各資料により申請人の昭和五五年下期の賞与及び年末年始手当をそれぞれ算出すると、賞与が二三万六二〇〇円、年末年始手当が五万二〇〇〇円となる。

四  保全の必要性

疎明資料によれば、申請人が賃金を唯一の生活資源としている労働者であり、他にさしたる資産も有せず、前記のとおり賃金の支払いを受け得なくなった昭和五五年八月以降は組合員からのいわゆるカンパ、労働金庫からの借入金等で生計を維持してきたことが認められ、右事実によれば、申請人において今、賃金等の仮払いを受けなければ、その生活は破綻に瀕することは明らかである。

五  結び

以上によれば、申請人の本件仮処分申請は昭和五五年下期の賞与分として請求する四〇〇〇円の部分を除いてはすべて理由があるから、右限度でこれを認容することにし、民訴法八九条を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 最上侃二)

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