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大阪地方裁判所 昭和55年(ヨ)5279号

申請人

岩城宏介

右代理人弁護士

河村武信

永岡昇司

大江洋一

関戸一考

被申請人

株式会社日新化学研究所

右代表者代表取締役

加藤銕雄

右代理人弁護士

角源三

右当事者間の転勤命令効力停止仮処分申請事件について、当裁判所は次のとおり決定する。

主文

本件仮処分申請はいずれもこれを却下する。

申請費用は申請人の負担とする。

理由

〔当事者双方の申立〕

一  申請人は「被申請人は、申請人を被申請人の高槻工場に勤務する従業員として取扱い、かつ申請人に対し、昭和五五年一〇月二二日以降同五六年三月まで一か月金二七万八三〇〇円、同年四月以降同五七年三月まで一か月金二九万四八三一円、同年四月以降一か月金三〇万九三三一円の各割合による金員をいずれも毎月二五日限り、並びに金二三八万七七一九円を仮に支払え。申請費用は被申請人の負担とする。」との決定を求めた。

二  被申請人は主文と同旨の決定を求めた。

〔申請人の主張〕

一  被申請人は、昭和五五年一〇月当時愛媛県川之江市に本社を置き、川之江市、大阪府高槻市に工場を、広島県福山市に営業所をそれぞれ設け、製紙、繊維、伸線の各製造工程に必要な油剤の製造販売を主な営業とし、特に製紙薬品については総合商社である丸正産業株式会社(以下「丸正産業」という)を通じて日本の殆んどの製紙会社に納品をしているものであって、その従業員は約六〇名である。

申請人は、昭和三六年三月京都工芸繊維大学短期大学部化学工業科を卒業した後、同年四月被申請人に雇用され、当時被申請人が借り受けていた大阪府立工業奨励館内の研究室に勤務して、製紙過程及び繊維加工における薬剤の研究開発業務に従事し、同三八年被申請人が高槻市に高槻工場を新設してからは、同工場内の研究室において引き続き右研究開発業務に従事してきた。その間、研究開発の成果を取引先(担当工場)に持ち込んで販売し、さらに研究を重ねるという、いわゆるセールスエンジニア(営業部員)の業務にも従事してきたが、昭和五三年六月から被申請人の機構整理に伴って新たに設けられた研究部の係長となり、翌五四年六月以降は同じく新設された開発本部において技術係長として研究開発業務に専念してきたものである。

また申請人は、昭和四〇年九月に申請人が中心となって結成した総評合化労連大阪合同労組日新化学労働組合(現総評合化労連化学一般関西地本日新化学支部、以下単に「組合」という)に加盟し、昭和四六年から同五四年九月まで連続八期にわたり組合執行委員長(支部長)を務めた。

二  被申請人は、申請人に対し、昭和五五年七月二四日、新たに北海道に営業所を設けることにしたとして右新設の札幌営業所への転勤を内示したうえ、同年一〇月六日、同日から札幌出張所所長として同出張所勤務とする旨の転勤命令(以下「本件転勤命令」という)を発したが、申請人が右転勤命令を拒否し、同月一七日その効力停止の仮処分を申請するや、同月二二日、就業規則第二四条第一項第五号により申請人を解雇する旨の意思表示(以下「本件解雇」という)をした。

被申請人が本件解雇の理由とするところは、昭和五四年四月一日施行の被申請人の就業規則第一六条第一項は「業務の都合により必要がある場合は、従業員に異動(転勤、職場・職種の変更、出向等)を命じまたは職階の変更を命ずることがある」と定め、同条第二項は「前項の場合、従業員は、正当な理由なくこれを拒んではならない。」と定めているところ、申請人の本件転勤命令拒否は右条項に違反するものであり、通常解雇の事由を規定する同規則第二四条第一項第五号所定の「その他、前各号に準ずるやむを得ない事由がある場合」に該当するというにある。

三  しかしながら、本件転勤命令は申請人の同意を得ずに労働契約の重要な要素である職種と勤務場所とを変更するものであって無効であり、かかる命令に服しないことを理由とする本件解雇もまた無効である。即ち、

申請人は、被申請人に雇用されて以来昭和五三年六月まで、そのうちの相当長期間にわたりいわゆるセールスエンジニアの職務にも従事してきたけれども、被申請人が昭和五三年六月に行った機構改革により、従来担当してきた取引先を他の従業員に引き継いで研究部係長となり、次いで同五四年六月の機構改革及び職掌の明確化によって開発本部技術係長となったのであって、申請人と被申請人との間に、少くとも昭和五四年六月以降は申請人が日常業務から離れて研究開発業務に専従することが特に合意されていたのである。申請人の右業務内容は営業的性格を有するものではないのに、本件転勤命令は札幌出張所における出張所長としての北海道地区の現在の得意先の再開発及び同地域の新規ユーザーの開拓というセールスエンジニアとしての業務に従事することを要求するものであって、その労務内容についての変更を伴うことは明らかである。

さらに申請人は十数年間にわたって高槻工場内で実験台を与えられて研究開発業務に従事してきており、これは前記昭和五三年六月の機構改革以降、とりわけ同五四年六月の同改革以降、他の従業員が実験台を離れていったにもかかわらず変更がなかったのであり、また申請人が被申請人に雇用された当時、被申請人には、本社以外にはごく少数の出張所等があるにすぎず、就業規則にも転勤について何らの定めもなく、したがって申請人のみならず被申請人においても申請人が北海道で勤務することを予想することすら不可能であったし、昭和五四年四月一日施行の就業規則には前記の如く転勤に関する規定が設けられはしたものの、右事情は本件転勤命令発令時においても同様であった。しかも、被申請人における従来の転勤例はいずれも高槻、川之江、福山間に限られ、かつ従業員の同意を得て行われていたものである。

以上のとおり、申請人と被申請人との間には、申請人が研究開発業務に専従する旨の合意、及びその勤務場所を高槻工場とする旨の黙示の合意があったのであって、右各合意の変更をきたす本件転勤命令は申請人の同意がない限り効力を生ずる余地がないものである。

四  また本件転勤命令は被申請人がその人事権を濫用したものであって無効であり、これを拒否したことを理由とする本件解雇もまた無効である。即ち、

(一)  北海道地区においてはその紙生産量に比べて被申請人の売上げが少なく、その意味では同地区にポテンシャル(潜在需要)が存するということができる。

しかし、同地区での外材チップ等の使用量の増加は昭和四七年ないし同四九年ごろに始まっており、これに伴う製紙用薬品の需要増、ひいては製紙薬品業界の競争もすでに同時期に始まり、古新聞、古雑誌の故紙の使用に伴う脱墨剤の需要増についても、新聞社等が新しい樹脂性インクを使用し始めたため、これにも効果がある脱墨剤の開発が先決であって、昭和五五年当時、出張所を開設しなければ新たな需要を確保する上で他社に立ち遅れるといった情況は存在しなかった。同地区は、他の四国、富士両地区に比べて未開拓の市場というものではなかったのである。また被申請人が同地区の製紙用薬品の需要量を予想するに際して使用した資料中には、製紙工場において新設機械が稼動することによって旧機械が稼動を停止するという事実を無視したものもあり、他に製造紙の種類、使用薬品、他の競合会社等を具体的に示す資料はなかったのである。

被申請人は、昭和五四年六月ころからユーザー密着主義、拠点主義(常駐)の検討を始め、同五五年二月の段階で北海道地区を今後被申請人の八〇年代の活路を切り開くための拠点とする旨決定していたと主張するが、被申請人は申請人に対し同五五年四月に北海道への出張を命じるに際してこの旨を伝えることもせず、より詳細な情報を収集するようにとの指示すらしなかったのであって、当時被申請人が右決定をしていたか否かは疑わしく、さらに被申請人の主張する丸正産業の西尾常務からの出張所開設要請についても、丸正産業と被申請人との従来からの関係、要請の時期、内容等から不自然な部分が多く、真にその要請があったか否か疑問である。

(二)  仮に被申請人が北海道地区を重点地区にすることを決定し、かつそれが相当であったとしても、売上げ増という目標を達成するには出張所の開設よりも従前どおりの出張の方がその効果及び経費等の点からも優れており、出張所開設の必要性はない。即ち

製紙薬品業界においては、ユーザーの動向を把握し、その求める技術情報の提供や各ユーザーの用途に適した製品の開発が重要であるが、特に北海道地区においては多くのユーザーが薬品使用上のより詳細な技術的情報の提供を要求する。しかし、右要求を満たすためのユーザーへの訪問回数という点は、高槻から出張しても北海道地区の一〇工場を五日間で一巡できるのであるから、高槻からの月二回の出張で充分まかなえるし、その方が申請人自身が高槻工場内の充分な実験設備で実験することができ、また他の技術者との討論によって種々の情報が得られるという利点がある。また経費の点から観ても、出張所開設自体の経費の他、営業用自動車の維持、償却費、高槻工場への出張費等を考慮すれば、出張所を開設するよりも高槻からの出張の方がはるかに有利である。

このように北海道に出張所を開設する必要性がないことは、もし真にその必要性があるのであれば、被申請人において申請人が転勤を拒否した時点で直ちに他の人選を行うのが自然であるのに、これをしなかったことからも窺うことができる。

(三)  申請人は、昭和五五年当時、「長期物」あるいは「緊急物」を対象とする研究開発業務に従事し、日常業務から離れて技術上の要請に応じ、また技術・研究面で営業技術部への援助・協力を行っていたのであり、同五三年以降の出張は、営業に関するものであっても純粋の営業目的でしたものではなく、後任者への引き継ぎを目的としたものであって、その他の出張はユーザーの研究所へ研究ないし技術上の目的でしたものである。もっとも、申請人は同五五年四月から営業のために北海道へ出張したことがあるが、この出張も申請人の研究業務について後任者を選任しなかったことからも窺えるように、臨時的なものにすぎなかった。ところで、被申請人が大手資本と対抗するためには、技術力によって有力な商品を開発していく他に道はなく、その唯一の専任者が申請人であったから、その意味でも申請人を札幌に転勤させる必要はなかったのである。

(四)  申請人には、保母として枚方市に勤務する妻と小学校六年生及び三年生の子供がおり、申請人が札幌に転勤するとすれば必然的に単身赴任とならざるをえないのであって、その結果申請人の夫婦関係及び親子関係に否定的な影響を与え、特に成長期の子供にとっては父親の不在という事態が微妙な作用を果して非行等の一要因ともなりかねない。

また申請人は、被申請人においては遠方への転勤が予定されていないので、昭和五三年に借金をして肩書地(略)に居宅を新築し、そのための借入金を毎月返済しなければならず、加えて申請人の妻の母が病弱であるため、近い将来申請人方に引き取って扶養する必要があるのであるが、かかる事情の下に北海道への転勤によって二重生活を強いられるとすれば、これによる生活費の増大は、出張所勤務によって支給される諸手当によってまかない切れるものではない。

右のとおり申請人が本件転勤命令に従うことによって受ける不利益は甚大であるのに、被申請人は右のような申請人の事情について調査することさえもせず、また他に札幌出張所所長としての適任者を求めようともしなかったのである。

(五)  以上のように本件転勤命令は、そもそも業務上の必要性がないばかりか、申請人に著しい不利益を与えるものであって、被申請人が人事権を濫用して行ったものであることは明らかである。

五  本件転勤命令は、申請人が長期にわたって労働組合の執行委員長を務め、活発な組合活動をしたことの故をもって行われた、申請人に対する不利益な取扱いであって不当労働行為に該当し、また申請人の右組合活動に代表される申請人の思想信条を理由とする差別的取扱いに他ならないので無効であり、これに基づく解雇もまた無効である。

即ち、

(一)  申請人は、自らが中心となって昭和四〇年九月に組合を結成し、同四一年に書記長、同四四年に副委員長となった後、同四七年から同五四年九月まで連続八期にわたって執行委員長を務め、積極的に組合活動を行った。

組合結成以来昭和五二年当時までの組合としての活動実績としては、大阪合同労組内で最上位の賃金水準を獲得したこと、労働時間について比較的高水準を維持し昭和五〇年、同五一年の二年間に八八・三二時間の時間短縮を勝ち取ったこと、就労時間内における組合活動を無条件に保障する労使慣行を確立させたこと、被申請人に組合事務所及び掲示板の改善設置を実現させたこと、昭和四九年ころ、被申請人が行っていた考課査定制度を事実上廃止させたこと等があげられる。また被申請人が昭和五二年六月に、同年夏の一時金につき、従前の単純な方法による出勤査定を、有給休暇、出産休暇、生理休暇、忌引等すべての休暇をマイナス算定の材料とし、その控除率についても大幅な上昇を含む方法に変更する旨一方的に通告してきた際、組合は一〇日間にわたるストライキでこれに対抗し、そのため被申請人が地方労働委員会に斡旋を申立て、結局被申請人の通告を事実上撤回させたし、被申請人が昭和五三年春に昇給分を退職金の算定の基礎とする部分と基礎としない部分とに分け、退職金を低額に押える第二基本給制度を導入しようとした際にも、これを撤回させることに成功した。

(二)  ところが被申請人は、昼休みの外出許可制をとり、時間内の組合用務での面会及び電話の取次ぎを拒否し組合による会社のコピー使用を有料化し、時間内組合活動を原則的に禁止する等して、組合が有していた数々の既得権を剥奪した。

さらに被申請人は、昭和五三年ころから労務管理の経験者等高年令者を縁故採用し、組合内部からの切崩しを図り、昭和五四年二月に考え方の相違を理由に組合を脱退した板山好範や右縁故採用者の一部の者を組合へ加入させ、これらの者によって、昭和五四年二月に時間内に上部団体の会議に出席した組合員に対し、被申請人が行った賃金カットについて、組合が地方労働委員会への救済命令の申立を断念するよう議論を展開させた。昭和五四年九月二二日には組合役員の選挙が行われたが、その結果右板山が執行委員長に、入社後数か月の藤岡甚一が書記長に、申請人が執行委員長をしていた時代に執行委員ではあったが組合活動に消極的であった木村茂が副委員長に、それぞれ選任された。これが申請人ら旧組合執行部を追い落すために事前に票を集めるべく被申請人が画策した結果であることは、新執行部の顔ぶれ及び票の出方からも明らかであり、現に加藤晴雄専務は組合員である片山洋一に対して板山らに投票するよう依頼しているのである。

(三)  その後組合活動は低迷の一途をたどり、被申請人と同一の立場に立って昭和五五年一一月一二日には組合臨時大会において申請人の組合脱退を決議するまでに到った。

(四)  被申請人は、右のように申請人を組合から排除したものの、板山新執行委員長は二一票中一一票の得票数でようやく過半数を得たにすぎず、申請人らの旧執行部が反撃に転ずることが容易に予想されたので、申請人を隔離して他の組合員に与える影響を遮断するため本件転勤命令を発したものであって、右転勤命令は労働組合法第七条第一項第一号に該当する不当労働行為である。

また本件転勤命令は、職場での共産党機関紙「赤旗」の配布や右のような組合活動によって、被申請人が共産党員もしくは共産党支持者と目していた申請人に対し、その思想信条を理由として、ただひとり札幌に転勤させ、従来の組合員に対する一切の人格的思想的影響を断つという差別的取扱いに他ならず、労働基準法第三条に違反するものである。

(五)  なお、被申請人は、昭和五四年六月、当時組合の執行委員長であった申請人及び高橋執行委員に対し、課長職につけば非組合員となることを知りながら両名に対し課長となるよう求め、本件仮処分事件について被審人として予定されていた岩本伸明に対してその出廷を妨害しようとし、本件仮処分申請後、申請人を支持する従業員に対して懐柔工作や種々の不利益な取扱いをし、従業員全体に対する社員教育を徹底し、さらには企業防衛の名のもとに「日新会」を組織して申請人の排除を推進しようとしたのであって、これらの事実はいずれも被申請人の不当労働行為意思を窺わせるものである。

六  ところで、申請人が本件解雇前である昭和五五年七月ないし九月の三か月間に受領した賃金は一か月平均二七万八三〇〇円であり、その支払は毎月二五日であった。

その後被申請人と組合間で、昭和五六年四月以降について基本給増額分として一律三三一一円、年令加算として一歳当り六〇円、年代加算として三六歳から四五歳までの者が四五〇〇円、手当増額分として妻についての家族手当二〇〇〇円、子供について一〇〇〇円、食事手当二二〇〇円の増額をする旨の合意が成立し、これを年令四二歳で妻と二人の子供を家族とする申請人にあてはめると合計一万六五三一円の増額となり、結局右同月以降の賃金は一か月二九万四八三一円となる。さらに昭和五七年四月以降について、基本給増額金として一律二四〇〇円、年代加算として三五歳以上四五〇〇円、手当増額分として妻についての家族手当二〇〇〇円、子供について一〇〇〇円、食事手当三六〇〇円の増額をする旨の合意が被申請人と組合間で成立したので、これを申請人にあてはめると合計一万四五〇〇円の増額となり、結局右同月以降の賃金は三〇万九三三一円となる。

また一時金について被申請人と組合間に成立した協定及びこれを申請人に適用した金額は、(イ)昭和五五年度年末一時金についての協定は基準内賃金(二七万八三〇〇円)の二・〇九〇三か月分プラス一律三万円で、申請人の場合は六一万一七三〇円となり、(ロ)昭和五六年度夏期一時金についての協定は基準内賃金(二九万四八三一円)の一・九一一五二か月分プラス一律三万五〇〇〇円で、申請人の場合五九万八五七五円となり、(ハ)同年度年末一時金についての協定は基準内賃金(二九万四八三一円)の一・九一九二か月分プラス一律三万五〇〇〇円で、申請人の場合六〇万〇八四〇円となり、(ニ)昭和五七年度夏期一時金についての協定は基準内賃金(三〇万九三三一円)の一・七〇二三か月分プラス一律五万円で、申請人の場合五七万六五七四円となり、申請人が支給を受けるべき一時金の合計額は二三八万七七一九円である。

七  申請人は、被申請人から支給される賃金を唯一の生活の糧とする労働者であって、本件仮処分申請後今日までの定期収入といえば毎月の妻の給料約二〇万円のみであり、このうちから住宅ローンの返済金を支払い、年老いた母を含む申請人一家計五名の生活費を支出しなければならず、不足分については身内からの借金でまかなっているありさまで、このままでは折角新築した住宅も処分せざるをえなくなり、本案判決を待っていては申請人の生活は破壊され回復し難い損害を蒙ることになるので本申請に及んだ。

〔被申請人の主張〕

一  申請人の主張一の事実のうち、申請人が昭和五三年六月以降研究開発業務に専念してきたものであるとの点及び申請人が中心となって組合を結成したとの点は否認するが、その余の事実は認める。同二の事実は認める。

二  本件転勤命令は、何ら違法不当なものではなく有効なものである。

まず申請人は本件転勤命令が申請人の同意を得ずに労働契約の重要な要素である職種と勤務場所とを変更するものであるから無効であると主張する。しかし、

(一)  札幌出張所長がセールスエンジニアとしての業務に従事することは申請人の主張するとおりであるけれども、申請人は入社当時から一貫してセールスエンジニアあるいはセールスエンジニアの補助の業務に従事してきたのであり、これは昭和五三年六月に申請人が研究部係長となった後も、また同五四年六月に開発本部技術係長となった後も変化はなかったのであって、申請人が本件転勤命令に応じてもその職種に変更はないのである。

確かに申請人は、昭和五三年六月、研究部係長となりそれまで申請人が担当してきたユーザーを他の者に引き継いだが、申請人はなお右主任担当者の補助として臨機応変に出張したり、若手セールスエンジニアの育成及び社内各部署からの依頼に基づく実験、研究等に従事していたし、また同五四年六月以降は繊維用カラーフィックス、ワックス・エマルジョン等の研究開発業務を行うと共に、ユーザーへの出張及び若手セールスエンジニアの育成業務に従事してきたのである。セールスエンジニアは出張業務と研究開発業務の双方を行うものであって、その割合は時期によって相当のひらきがあるのは当然であり、昭和五三年六月以降申請人の出張量が減少したからといって申請人がセールスエンジニアでなくなったとはいえない。申請人も右事実を了解していたからこそ昭和五五年四月以降北海道への出張を異議なく承諾したのである。なお、研究開発業務を行っていた者は申請人のみではなく、他のセールスエンジニアも同様であった。仮に申請人が昭和五三年六月以降研究員となりセールスエンジニアでなくなったとしても、これは単に一定期間研究員という職種についたにすぎないのであって、これによって申請人と被申請人との間で申請人の職種を研究員と特定する旨の合意が成立したわけではない。

また仮に申請人の職種が昭和五三年六月以降研究員として特定されたとしても、これを再びセールスエンジニアとすることは、申請人の技術上の専門知識・技能を生かす職種への変更であって合理性があり、このような職種の変更については申請人が黙示的に承諾していたものというべきである。

(二)  また勤務場所については、申請人は被申請人に対し、入社時の面接において、勤務場所について何らの具体的な発言も要請も行わなかったし、従業員数約六〇名の被申請人において、過去川之江、高槻、富士の間で、高槻で採用された者が他の二地区に転勤した例が六名について、川之江で採用された者が高槻に転勤した例が五名の者についてあり、右計一一名のうち五名は二回の転勤経験者である。申請人が入社した当時、被申請人の従業員が勤務する場所は川之江工場(本社)、大阪営業所、大阪実験室、福山営業所の四個所のみであったから、申請人において札幌に転勤することを予想することができなかったとしても、このことから直ちに当事者間にどのような事態が生じようとも申請人が退職するまで申請人の勤務地を高槻工場に特定する旨の黙示の合意が成立したとはいえない。

三  申請人は、本件転勤命令は被申請人が業務上の必要性がないのに申請人の事情を無視して行ったものであって、人事権を濫用したものであるから無効であると主張する。しかし、

(一)  製紙用薬品業界は、不況が長期化するのに伴って大企業が新規にこの業界に進出するという情況にあり、このため被申請人も重大な影響を受けることが予想され、現に被申請人の財務状況は悪化しつつある。そこで被申請人は、この難局を乗り切るべく、未開拓市場における「ユーザー密着主義」の強化策をとることにした。

まず昭和五四年六月、前年六月に変更した組織をさらに変更することによってユーザーへの訪問回数を増加させて売上の増加を計った。しかし、被申請人の人的及び経済的状況から、全てのユーザーに対してこのような体制をとることが不可能であったので、とりあえず一地区を重点地区として選定し、この地域内のユーザーにセールスエンジニアを頻繁に訪問させることにした。そして、被申請人は、昭和五四年六月ころから右重点地区の検討に入り、その候補に上った北海道、富士、四国の各地区について、重点顧客、重点商品、売上高、チップ使用状況、各工場の機械の増設状況等多方面から具体的検討を加えた結果、昭和五五年二月下旬に右各地区のうち北海道地区が最もポテンシャルが大きく、かつシェアの固定化に到っておらず、したがって最も有望な地区であるとの結論を得たのである。北海道地区は従前はエゾ松、トド松のような良質の北洋材を原材料としていたため、製紙用薬品不要の地と考えられていたが、右原材料の不足から外材チップ、古新聞、古雑誌等の故紙が使用され始め、他地域と同様な状況になってきたので、生産量が莫大なだけに製紙用薬品の需要増が見込まれたのである。さらに取引先の丸正産業の西尾常務から北海道地区に経験豊かなセールスエンジニアを派遣してもらいたい旨の要請があったこともあって、被申請人は北海道を重点地区とすることに決定した。

そこで被申請人は昭和五五年四月から申請人を北海道に出張させてユーザーを訪問させたところ、その結果が良好で前記西尾常務からセールスエンジニア常駐の要請もあったので、同年七月の役員会で札幌出張所開設を決定したのである。

ところで被申請人が販売する製紙用薬品は、ユーザーによって全て異るのみならず、同一工場内の機械であってもその年式・形態によって異るのが常であり、したがってユーザーの使用する機械に応じて製品を開発研究しなければその要請に応えることができないため、被申請人は設立以来セールスエンジニアの制度をとってきたのである。右制度の効果をあげるためには、まずユーザーの要求を察知する必要があり、それにはできる限りセールスエンジニアがユーザーを数多く訪問し、困った時はすぐに薬品会社が来てくれるという密着感覚をユーザーに持たせることと、ユーザーの内部において誰が薬品購買についての決定権限を有するかを把握することが必要である。しかし、セールスエンジニアに代って代理店が右役割をはたすことは、代理店の社員が技術者でないことから困難であるし、またセールスエンジニアが出張する方法では充分に時間をかけてユーザーを訪問することができないため満足できる効果を望めないに拘わらず、経費的には出張所を開設したのと同程度の支出を要するのである。

被申請人は、札幌出張所にもセールスエンジニアとして必要な実験ができるよう簡単な実験設備は準備する予定であったし、それで不充分な点は、試験依頼書によって高槻工場の実験室に実験を依頼すればよいし、その他全国的な情報も各セールスエンジニアの作成した出張報告書や営業日報を見て充分承握することができるものと考えていた。

被申請人は札幌出張所の開設を北海道地区の市場開拓の最善の方策にし、かつ一九八〇年代における被申請人の唯一の活路としていたのである。

(二)  被申請人には申請人の他に経験豊かなセールスエンジニアとして数名の者がいたが、いずれも担当分野が異ったり、研究開発業務に従事中である等の事情があったのに対し、申請人は当時担当ユーザーを持たずフリーの立場にいたため異動による業務上の支障が少なく、前記西尾常務が北海道出張の実績がある申請人を出張所長とするように推薦したこともあって、結局被申請人は申請人を札幌出張所所長の最適任者と考えたのである。

(三)  被申請人は、申請人に対し本件転勤命令発令の前後数ケ月にわたって、札幌出張所の所長となるよう説得を続けたのであって、妻と子供二人をかかえる申請人の家庭の事情等には充分に配慮を加えていたのである。しかし申請人の妻には結婚して堺に住む姉がいるに拘らず、妻の母を申請人が引き取らなければならないと主張する点には納得し難いところがあるし、経済面においても、転勤の期間は二年間に過ぎず、しかも被申請人は、申請人が月に一回は被申請人の費用で高槻に帰ることを保証し、札幌での住居費、光熱費等を寮と同様被申請人の負担とすることとしていたのであるから、申請人の受ける経済的不利益も最少限であった。

本件転勤は、現在のサラリーマンの転勤の一般的状況から判断しても不合理ではなく、他に申請人に重病人がいる等の転勤しがたい特別の事情はなかったのである。

(四)  したがって、被申請人の申請人に対する本件転勤命令は何ら人事権を濫用したものではないのである。

四  また申請人は本件転勤命令が申請人の活発な組合活動をしたことの故をもってなされた申請人に対する不利益な取扱いであって不当労働行為に該当するか、あるいは申請人の思想、信条を理由とする差別であると主張する。しかし、被申請人には、申請人に対する不当労働行為意思は全く存在しないし、申請人をその思想、信条によって差別する意思もない。申請人は右主張を裏付けようとして種々の事実を主張するけれども、

(一)  まず申請人は組合結成当時は委員長ではなく、申請人が組合結成の中心人物であったことには疑問がある。また申請人が組合活動の実績として挙示する諸点は、いずれも申請人が委員長として特に活動した結果ではなく、被申請人における賃金の高水準、労働時間の短縮は、被申請人が多数の社宅の購入、中小企業退職金共済制度への加入、企業年金制度への加入、住宅財形貯蓄制度の導入等従業員の福祉のために行った諸施策の反映として現われたものである。申請人の組合活動が必ずしも活発でなかったことは、申請人の委員長時代よりも、申請人の後任として板山好範が委員長に就任してから後の方が高水準の一時金を獲得していることや、諸手当については申請人とその前、後の三委員長時代を比較してもさほどの差異はみられないことからも窺える。

また被申請人は、過去においても時間内組合活動を無条件に認めたことはないし、考課制度については、羽田委員長時代にその実績があがらなかったことから、さらに効果的な考課制度を定めるまでこれを一時停止したにすぎず、第二基本給制度についても被申請人はこれを撤回したのではなく、食事手当の増額という形で収束したのであって、結果的には退職金にはね返らない第二基本給制度を導入したのと同様になった。

(二)  被申請人は、従業員の昼休み時間中の外出について、口頭による届出制を導入したことはあるが、許可制をとったことはなく、また、ある程度の制約があるのは当然としても、従業員の就業時間内の私用の面会を全面的に禁止したことはないし、電話の取次ぎを拒否したこともない。被申請人のコピーを従業員が私的に使用したときは、これを有料とするのはむしろ当然のことである。

また、被申請人のような中小企業に何らかの縁故採用者が多数存在することは自然なことであるし、年令が比較的高い者の採用も特に異例の人事ではない。そして、被申請人が昭和五四年九月二二日の組合の役員選挙について何らかの画策をした事実は全くないのであって、申請人の落選は、組合内部の運動路線の対立から生じた結果に外ならない。

(三)  被申請人が昭和五四年六月、当時組合の執行委員長であった申請人及び高橋執行委員に対し、課長職就任を求めたのは、被申請人の会社としての規模や申請人らの経歴等からいって自然なことであり、組合役員から管理職になった事例は従前からあるのである。

また「日新会」は従業員の自発的な希望に基づいて発足したものであって、何ら非難される理由はないし、被申請人が申請人の支持者である従業員に対して懐柔工作や攻撃等をしたことは全くない。

五  申請人の主張六の事実のうち、申請人が昭和五五年七月ないし九月の三か月間に受領した賃金が一か月平均二七万八三〇〇円であったことは認める。同七の主張は争う。

〔当裁判所の判断〕

一  申請人の主張一の事実のうち、申請人が昭和五三年六月以降研究開発業務に専念してきたものであるとの点、及び申請人が中心となって組合を結成したとの点を除くその余の事実並びに同二の事実は当事者間に争いがない。

二  申請人は、まず、本件転勤命令は申請人の同意を得ずに労働契約の重要な要素である職種と勤務場所とを変更するものであるから無効であると主張する。

しかし、一般に労働契約においては、労働者は企業の運営に寄与するために使用者に対して包括的に労務の提供を約するのが通常であるから、使用者は、労働者との間に職種や勤務場所を限定する個別的な特別の合意がない限り、労働契約の趣旨の範囲内において労働者に対し、職種や勤務場所を具体的に決定して労務の提供を命ずることができ、労働者はその命令に従って労務を提供すべき義務を負うのである。そして、職種や勤務場所の変更を伴う配置転換または転勤の場合もその例外をなすものではなく、被申請人の前記就業規則第一六条の規定はこの理を確認したものということができる。

そこで、本件転勤命令が申請人の職種を変更するものか否か、被申請人と申請人との間に職種または勤務場所を限定する特別の合意が存在したか否かについて検討する。

(一)  まず、職種について観ると、

申請人が被申請人の高槻工場に所属して、昭和五三年六月までいわゆるセールスエンジニアとして勤務していたことは当事者間に争いがなく、疎明資料によれば、被申請人は同月一五日、それまであいまいであった会社組織を営業技術部、研究部、総務部、工務部及び開発部の五部門に分け、これに伴って申請人は研究部係長となり、それまで申請人が担当していた三菱製紙等一八社の工場を高橋一夫及び薦田毅の両名に引き継いだこと、その後も申請人は引き継ぎのため、あるいは従来からの関係から、ユーザーの工場へ出張していたが、申請人の主な仕事は直接ユーザーと接触するというものではなく、三菱製紙の中央研究所に出張して剥離剤の基礎的研究を行うとか、あるいはビスマーDQ―3の改良のような他のセールスエンジニアからの依頼による技術的解決のために実験室で改良等を行うというものであったこと、さらに昭和五四年六月の組織変更によって、申請人は従来の営業技術部と研究部を統合した開発部部長付係長となり、申請人一人が同部部長の技術関係の補佐役として、製紙薬品を担当する第一開発部と繊維関係薬品、伸線潤滑剤等を担当する第二開発部の両者を調整する職務に従事していたことが一応認められる。そして、右事実によれば、申請人は昭和五三年六月以降、直接担当ユーザーを持ちこれらを訪問して製品の販売をするという純粋な意味でのセールスエンジニアではなくなったものと考えられる。

しかし、申請人が右のように一旦純粋のセールスエンジニアの仕事を離れた際に、被申請人との間にそれ以後申請人の職種を研究員に限定する旨の明示の合意が成立したことを疎明する資料は見当らないし、また、疎明資料によると、被申請人の昭和五三年六月の組織変更による体制は一年で見直され、同五四年六月に採られた体制では全員がいわゆる前衛として営業活動に当るという方針に変更されたこと、そして、この体制のもとでの開発部においても技術開発を主な仕事としながら、営業面についてもなお考慮を払っていたこと、従来のセールスエンジニアの仕事は、その技術的知識に裏づけられた営業要員であって、一定期間基礎的研究に従事することと全く矛盾する職種ではないことが一応認められるのであって、これらの事実に照らせば、申請人と被申請人との間に申請人を研究開発業務に専従させ、他の職種には就かせないとの黙示の合意が成立していたとも考え難い。

(二)  また勤務場所については、申請人が被申請人に入社して以来大阪府下以外で勤務したことがなく、申請人の入社当時、被申請人には愛媛県川之江市に本社が、大阪府高槻市に営業所が、大阪市に実験室が、広島県福山市に営業所が、それぞれ存したのみであることは当事者間に争いがないので、当時申請人はこれら四地区以外に転勤することを予想しなかったと考えられる。

しかし、疎明資料によれば、申請人は入社時の面接において勤務場所について特に意見を述べなかったこと、それ以後被申請人においては高槻で採用された六名の者が川之江及び静岡県富士市に転勤したが、このうち昭和四三年九月に高槻から富士に転勤した高橋一夫は、新しく開設された出張所への転勤であり、また川之江で採用された五名の者が高槻工場の新設に伴って高槻に転勤し、右合計一一名のうち五名が二回の転勤経験を有していることが認められる。そして、右事実によると、申請人が主観的にどのように考えていたにせよ、被申請人の業務上の必要ないしはその事業の発展に伴って、従来から存在した事業所への転勤はもちろん、新規に開設された出張所等への転勤も予想すべき事柄であって、現にそのような先例があるのであるから、それにも拘らず、被申請人が申請人についてのみ将来いかなる事態が生じようとその勤務場所を高槻工場に限定することを、黙示的にせよ約諾したとはとうてい考えられないし、他にこのような約束が存在したことを窺わせる疎明資料はない。

以上のとおり、申請人と被申請人との間に申請人の職種及び勤務場所を限定する旨の合意が存在したものと認めることはできないから、申請人の前記主張はいずれの点からしても理由がないものという外はない。

三  申請人は、次に、本件転勤命令は被申請人がその人事権を濫用して発令したものであるから無効であると主張する。そして、前記の如く労働者の職種や勤務場所は使用者がその裁量によってこれを決定・変更できるのが原則であるとしても、その決定・変更に何らの合理性もない場合とか、これによって労働者に著しく不相当な不利益をもたらす場合等には、使用者の人事権の濫用としてその決定・変更命令の効力が否定されることがあることは、いうまでもない。

そこで、この見地から申請人の右主張の当否を検討する。

(一)  まず、本件転勤命令について、被申請人に業務上の必要があったか否かを観ると、疎明資料によれば、北海道地区における古新聞、古雑誌等の故紙のパルプへの混入量は、昭和四七年ころから増加し始めているけれども、その後も全体的にみて増加傾向にあり、それに比例して脱墨剤等の需要増も見込まれる(同地区における被申請人の売上げは、同地区の紙生産量に比べて少なく、その意味で同地区に潜在需要が存在することは申請人の自認するところである。)のに、まだシェア(市場占有率)の確立が進んでいないので、今後、同地区において被申請人の脱墨剤等の販売量を増加させる可能性があること、製紙用薬品業界においては、ユーザーの各工場ごとに、さらに同一工場内でも各機械ごとにそれぞれ異った薬品を開発しなければならず、またユーザーがどのような薬品を必要とするかはその時々によっても異るので、たえずユーザーと接触してこれを知る必要があること、ユーザー側の技術者には、薬品の使用を嫌う者が多いため、製紙用薬品の販売を促進するには、セールスエンジニアがユーザーの工場へ頻繁に訪問してその要望をつかみ、人間的な密着感を増すことも重要な要素となること、また遠隔地からの出張と現地での出張所開設とを比較した場合には、セールスエンジニアがユーザーの工場に滞在できる時間や回数、その柔軟性等から出張所を開設する方が有利であり、しかも経費の点からは、両者にそれ程大きな差がないこと、昭和五五年三月五日、被申請人の最大の取引先である丸正産業主催の二月会において、同社の西尾準二常務取締役から被申請人に対し、北海道地区へベテランセールスエンジニアを派遣して陣容を強化するよう要請があり、さらに西尾は同月七日付で被申請人宛に同趣旨の手紙を送り、同年六月にも被申請人に対し北海道出張所の開設を要請していることが一応認められる。

右事実からすると、被申請人において北海道に札幌出張所を設けることによって被申請人の販売量を増加させ、シェアの拡大をもたらす利益が期待されるのであるから、被申請人には右出張所を開設する業務上の必要があったということができる。

もっとも、出張所を開設してセールスエンジニアが現地に留まることになると、ユーザーの要求に応じた薬品を提供するための本格的な実験に不便を生じる可能性はあると考えられるが、疎明資料によれば、被申請人は出張所にも簡単な実験設備を設けることにしており、簡単なものはこれによって実験し、これでは及ばないものは高槻工場に試験を依頼することによって不都合を回避することができ、その他技術上の資料や情報等の収集も、他のセールスエンジニアから書類の送付を受けたり、札幌から高槻へ逆に出張する等の方法によって充分にまかなうことができることが一応認められるので、これらの点はいずれも被申請人の札幌出張所開設の業務上の必要を減殺する事由とはならない。

(二)  次に、被申請人が右業務上の必要を充すために札幌出張所所長として申請人を選んだことが相当であったか否かを検討すると、疎明資料によれば、申請人は、従前から製紙担当のセールスエンジニアとして豊富な経験を有していたうえ、昭和五四年六月以降は開発本部長付技術スタッフであって特定の営業地区を担当していなかったため、他の者より比較的自由に勤務を変更できる状況にあったこと、そして右事情から申請人はすでに昭和五五年四月以降北海道地区のユーザーの新規開拓を目的として北海道への出張を重ね、徐々に北海道地区の実情を把握しつつあったこと、更に前記西尾は、被申請人に対し、前認定の如く北海道出張所の開設を要請すると共に、北海道出張の実績がある申請人を出張所長とするように推薦していたことが一応認められ、右事実によれば被申請人が札幌出張所所長として申請人を選んだことは、その経歴、能力、被申請人の全社的な人員配置の点からみて相当なものであったということができる。

この点に関して、申請人は、被申請人は当時大手資本に対抗する商品を開発するため、申請人をその技術上の研究の専任者としていたのであるから、申請人に対する本件転勤命令は不当であると主張する。しかし、疎明資料によれば、申請人は被申請人の社内でも優秀な技術者であって、従前から基礎的な研究開発に従事してきた者であること、製紙用薬品業界において被申請人が優位を保持するには今後一層の技術開発が必要であり、特に脱墨剤については昨今使用されている樹脂性のインクに対して効果を発揮できるようにするための技術開発が必要であることは一応認められるけれども、他方、被申請人の従業員の中には申請人以外にも化学系の大学を卒業した有能な技術者がいることが一応認められるのであって、申請人でなければ前記研究開発を進めることができない事情にあったものとは考えられないから、申請人主張の如き理由で被申請人の人選を不当視することはできない。

(三)  さらに、本件転勤命令に応ずることによって申請人が著しく不相当な不利益を受けることになるか否かを観ると、申請人に本件転勤命令発令当時妻と小学校六年生と三年生の二人の子供とがあったことは当事者間に争いがなく、疎明資料によれば、申請人は将来妻の母を引き取って扶養する必要があると考えていること、妻は枚方市に保母として勤務し、毎月約二〇万円の収入があり、年金がつくまでは勤務を続ける意思でいること、申請人は昭和五三年頃肩書地に住宅を新築し、そのための借入金を毎月一〇万円位宛返済しなくてはならないことが一応認められる。したがって申請人が本件転勤命令によって北海道へ転勤するとすれば単身赴任とならざるを得なくなる可能性が大きく、申請人の家庭生活に重大な影響が生じることは否定できない。

しかし、一方疎明資料によれば、申請人の転勤期間は二年間が予定されており、しかも申請人が月に一度高槻に帰る費用を被申請人が負担することを保証したこと、札幌での住居費、光熱費等についても被申請人の従業員寮と同様に月額一〇〇円を徴収するのみで、その余はすべて被申請人が負担し、申請人には寒冷地手当、別居手当及び所長手当として合計一万五〇〇〇円の手当が支給されることになっていたこと、被申請人は申請人に対して、本件転勤命令を内示した昭和五五年七月二四日から本件転勤命令発令直後まで十数回に亘って、専務取締役加藤晴雄、開発本部長田中喜久治、総務課長北田茂子らが交替で、諸手当等の明細書を交付するなどして具体的に前記転勤の条件を示して説得にあたっていたこと、その結果申請人も転勤の諸条件については充分に知らされていたことが一応認められるのであるから、これらの措置によって申請人の精神的、経済的負担は相当程度軽減すると考えられるし、また今日の我が国において夫が単身転勤先に赴任する事例が少くないことは公知の事実であって、本件転勤命令が申請人において全く予想ができないような異常なものであるとも考えられない。

そして、これらの事情に照らせば、被申請人が本件転勤について有する業務上の必要性を上回る程度の不利益が申請人に生じるということはできないものというべきである。

してみれば、本件転勤命令が被申請人の人事権の濫用によるものであって無効であるとの申請人の前記主張もまた理由がないものとする外はない。

四  さらに、申請人が本件転勤命令は被申請人による不当労働行為であり、また申請人の思想信条を理由とする差別的取扱いであって無効であると主張するので、この点について検討する。

(一)  まず、申請人が昭和四七年から昭和五四年九月まで連続八期にわたって組合の委員長を務めたことは当事者間に争いがなく、疎明資料によれば、申請人が昭和四〇年九月の組合結成時から組合活動に参加し、同四一年に書記長を務め、同四三年に一度委員長となった後、同四四年から副委員長に選出されていたこと、申請人の組合執行委員長在任期間中、組合員の平均基準内賃金は、大阪合同労組内でも上位の高賃金水準を維持してきたし、労働時間の短縮も実現されているが、諸手当については羽田圭一郎が申請人の前任委員長をしていた時代と目立った変化はなく、勤怠考課以外の考課制度も羽田委員長の時代から事実上中止されていたこと、昭和四九年ころにはそれまで工場角の一番奥にあった組合事務所が門の近くに移動され、電話設置料等も被申請人が負担することとなり、同五二年ころには、タイムカードの背後の壁に組合用掲示板が設置されたこと、昭和五二年には被申請人が同年の夏期一時金の査定方法を有給休暇、出産休暇、生理休暇、忌引等すべての休暇をマイナスの算定材料とし、控除率も上昇させるという、従来よりも従業員に不利益なものに変更することを組合に提案したところ、組合がこれに対抗して同年七月一一日から一五日にかけて午後半日のストを、同月一八日から二二日にかけて全日ストを行ったため、被申請人において大阪地方労働委員会に斡旋を申立て、同委員会の提示した組合員一人平均四五万五〇〇〇円の夏季一時金を支給すること等の斡旋案を受諾してこの問題を解決し、翌五三年には被申請人から第二基本給導入の提案があったが、被申請人と組合の協議の結果、これを組合員平均一万一〇〇〇円とし、このうち退職金に反映しない食事手当を一〇〇〇円増額することで解決したこと、昭和五四年二月には、被申請人から組合に対して、就業時間内の組合活動を原則的に禁止し、所属団体の代表者会議への出席等組合活動のための外出は従前は有給であったのを、年間延一二日以内で業務に支障がない限り無給休暇として認めること等を内容とする通告書が提示され、これに対して組合から抗議文が出されたのを契機として、両者間で小委員会がたびたびもたれたが、組合内部において地方労働委員会に不当労働行為として救済の申立をするか否かについて意見が一致せず、組合としての結論が出されないまま、以後被申請人との交渉も途絶えてしまい、また、この頃から被申請人のコピーを従業員が私的に使用する際には、その費用を支払うべきこととされたこと、これより先、昭和五三年一月には、社会保険労務士の資格を有する北田茂子が被申請人に入社し、同年一一月には藤岡甚一が、同五四年には西堀茂雄及び東野勝美がそれぞれ入社して、右藤岡と東野はその後組合に加入し、昭和五四年二月には、同四五年に一旦組合から脱退した板山好範が再び組合へ加入したこと、昭和五四年九月二二日組合の役員選挙が行われたこと、当時の組合員数は二一名であったが、右選挙の結果、委員長に前記板山が一一票の得票で、副委員長に木村茂が九票の得票で、書記長に前記藤岡が一〇票の得票で、執行委員に白川明文が一二票、薦田毅及び堂浦和男がいずれも一〇票の得票で、それぞれ当選したこと昭和五四年一〇月五日に組合川之江支部は組合員全員の意見により解散したことが、一応認められる。

そして以上の事実を総合すると、昭和五三年ころから被申請人の労務対策に変化が生じ、組合活動に対して厳しい態度をとるようになり、これと同時に組合の内部において申請人ら執行部の組合活動方針に反対する勢力が増加してきたことが窺えるけれども、これは新組合員が加入したことなどにより組合内部で意見が対立したことが原因であったと考えられ、また申請人の従来からの組合活動が特に過激であったわけでもなく、申請人が組合の委員長をしている頃に組合が獲得した成果も著しく被申請人に不利益をもたらす程のものではなかったのであって、被申請人が申請人の組合活動を理由にこれを高槻工場から排除しなければならなかった事情は見出し難い。

(二)  申請人は、前記北田、藤岡及び西堀らは被申請人が組合の切崩しを図るために高令者であるのに縁故採用したものであると主張する。しかし、疎明資料によれば、同人らは縁故採用者ではあるけれども、被申請人が縁故によって従業員を採用することは従前からあったことであって、格別異例に属する事柄ではないことが一応認められるから、右三名の者が縁故採用であるからといって、直ちに組合の切崩しを図る目的であったと観ることはできない。申請人は、また、前記板山も被申請人が同様の意図の下に組合に復帰させたというけれども、これを裏付けるに足る疎明資料はない。

次いで、申請人は、被申請人は右と同様の目的で、昭和五四年六月、当時組合の執行委員長であった申請人及び執行委員であった高橋一夫に対し、課長に昇格することについて意向を打診したと主張する。そして、疎明資料によれば、被申請人が右の如き意向聴取を行ったことは一応認められるが、一方で、これは当時被申請人が予定していた内部組織の変更に対処するため新たに高槻工場での業務の推進に当るべき管理職としての課長を必要としたという事情に基づくものであって、被申請人においては従前から組合役員ないしその経験者が管理職となった事例もあり、右両名の年令からしても不自然な人事構想ではなかったことが一応認められるから、右意向聴取をもって直ちに被申請人が申請人主張の如き目的に出たものとすることはできない。

また、申請人は、前記昭和五四年九月二二日の組合役員選挙に先立ち、被申請人の専務取締役加藤晴雄が組合員片山洋一に対し前記板山らに投票するよう依頼したと主張する。しかし、疎明資料によると、同月一五日の敬老の日に右加藤が片山を社長宅に招待して食事を共にしたことはあるが、これは九月中に誕生日を迎える社長や右加藤らの誕生会に、名古屋工大出身の社長の後輩に当る右片山と松本直三の両名を招いたところ、松本は他に所用があったため、片山のみが招待に応じたものであったことが一応認められ、その席で申請人主張の如き投票依頼があったことを認めるに足る疎明資料はない。

さらに、記録によると、申請人は、本件仮処分申請後、被申請人の従業員の一部の者が「日新会」を結成して申請人が高槻工場へ立入るのを阻止していること、被申請人がその従業員に対して洋上研修を実施し、管理者養成学校へ参加させたこと、岩本伸明が管理者養成学校に参加中、北田茂子課長が岩本の妊娠中の妻をその自宅に二度訪問していること、宮内啓尚が昭和五五年一一月に高槻工場から川之江工場に転勤していること、片山洋一が同五六年七月、同じく高槻工場から川之江工場に転勤し、その後退職したこと、被申請人が本件仮処分申請事件の記録の写しを社内に備えつけて従業員が閲覧できるようにしていること等をも、被申請人の不当労働行為意思を推認させる事実として主張するかの如くであり、これらの事実自体は疎明資料によって一応これを認めることができるけれども、いずれも本件仮処分申請後の出来事に属するばかりでなく、これらの事実を綜合して考えても被申請人に申請人主張の如き意思があったことまで推認するには足りない。

したがって、本件転勤命令を被申請人が申請人の組合活動を嫌い、これを高槻工場から排除する目的に出た不当労働行為とすることはできないし、またこれを申請人の思想信条による差別処分であることを認めるに足る疎明はないから、これらの事由によって本件転勤命令を無効とする申請人の前記主張もまた理由がないものという外はない。

五  以上の説示の如く、本件転勤命令を無効とすべき理由がないとすれば、申請人がこれを拒否して右命令に服しなかったことは、被申請人の前記就業規則第一六条第二項に違背する所為というべきであって、申請人の右所為は職場の秩序を乱し被申請人の企業の円滑な運営を阻害するものという外はないから、被申請人がこれを右規則第二四条第一項第五号に当るものとして本件解雇に及んだこともやむを得ないものとしなくてはならない。

六  してみれば、本件仮処分申請は、その被保全権利の存在について疎明がないことに帰着し、右疎明に代えて保証をたてさせることも相当とは認められないから、理由がないものとしてこれを却下することとし、申請費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 中川臣朗 裁判官 安藤裕子 裁判官 小野木等)

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