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大阪地方裁判所 昭和55年(ワ)1526号 判決 1982年12月23日

原告

村山周子

ほか二名

被告

小園久人

ほか一名

主文

一  被告らは、各自、原告村山周子に対し、二三一万一六六七円及びこれに対する昭和五四年八月一七日から右支払ずみまで年五分の割合による金員を、同村山義彰及び同村山昌毅それぞれに対し、二二五万五二七六円及びこれに対する同日から右各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その九を原告らの、その余を被告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮りに執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

原告ら代理人は、「(一)被告らは各自、原告らそれぞれに対し、五一八三万七〇九九円及びこれに対する昭和五四年八月一七日から右各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。(二)訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被告ら代理人は、「(一)原告らの請求をいずれも棄却する。(二)訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求めた。

第二当事者の主張

一  原告ら代理人は、請求の原因として、次のとおり述べた。

1  事故の発生

(一) 日時 昭和五四年八月一七日午前七時五分ころ

(二) 場所 大阪府寝屋川市大字寝屋一〇六七番地の一先のアスフアルト舗装の府道枚方交野線路上(以下「本件道路」という。)

(三) 事故車 普通貨物自動車(登録番号横浜一一い四五三号。以下「被告車」という。)

右運転者 被告小園久人(以下「被告小園」という。)

(四) 被害者 亡訴外村山雅幸(以下「雅幸」という。)

(五) 態様 雅幸は、原動機付自転車(以下「原告車」という。)を運転して本件道路を西進し、前記現場西方交差点(以下「本件交差点」という。)東詰停止線の東方約一〇メートルの地点に停止していた被告車の左側方を通過しようとした際、同交差点の対面信号が青色に変つたのに従つて発進した被告車に、原告車のハンドル右端部に接触されるとともに被告車の左後輪ホイール部分で原告車の後部荷台の先端を狭む形で前方へ引きずられて路上に横転させられたうえ、被告車左後輪で頭部をれき過されたため、頭蓋内出血、頭蓋骨骨折の傷害を受け、その場で死亡した。

2  責任原因

(一) 一般不法行為責任(民法七〇九条)

被告小園は、以下の過失により本件事故を惹起した。すなわち、

(1) 本件事故現場付近の本件道路中央にはゼブラゾーンが設置されているため、西行車線の幅員が狭くなつており(事故現場西方の横断歩道に接する部分では幅員約三・三メートル)、車幅約二・二メートルの被告車が、道路左端を進行する単車と接触する危険性が少なくなく、しかも、本件事故現場付近は単車の通行量が非常に多い場所である。したがつて、被告小園には、西側交差点手前で停止した後、発進するに際し、被告車と本件道路左端を進行する単車や自転車と接触することのないよう、バツクミラー等で道路左端を進行する単車や自転車の有無を確認すべき注意義務があるのに、これを怠り、道路左端を進行する車両の有無を全く確認せずに発進した過失がある。

(2) また、被告小園は、発進直後に「ガチヤン」という音を聞いたのであるから、同被告には、直ちにバツクミラー等で原告車と被告車とが接触したことを確認し、直ちに、被告車を停止させるべき注意義務があるのに、これを怠り、原告車と被告車との接触を確認しないまま進行し続けた過失がある。

(3) さらに、被告小園は、ヘルメツトを着用した雅幸の頭部をひいたのであるから、当然被告車に強い衝撃があつたはずであるにもかかわらず、これに気付かなかつたのであつて、このような注意力に欠けたため、事故を回避する適切な処置を何らとらなかつた過失がある。

(二) 運行供用者責任(自賠法三条)

被告松崎商事有限会社(以下「被告会社」という。)は、被告車を保有していた。

3  損害

(一) 雅幸の損害

(1) 逸失利益 一億三三六五万一〇四一円

雅幸は、昭和三九年三月、松下電器産業株式会社(以下「松下電器」という。)付設の松下電器工学院を学科成績七〇名中首位(実習七位)の抜群の成績で卒業し、同年四月に松下電器に入社した後も成績優秀の評価を得て順調に昇格を続け、職業訓練法による機械加工一般技能の検定に合格して一級機械技能士の資格を取得し、事故直前の人事考課においても会社より高い評価を得ており、将来の有力な幹部候補者であつた。

そして、雅幸は、本件事故当時三四歳で、松下電器中央研究所に主任職(三号)として勤務し、本件事故に遭わなければ、六〇歳までなお同社に勤務することができたと考えられる。この間の同人の収入は、同社の社員就業規則、社員給与規程の定めるところにより支給される別表(一)記載の本給、賞与、職責加給(手当)の合計額であり、これらは同人が勤務を続けていくかぎり増額し続けるもので、本給については、昭和四〇年度以後の平均昇給率の最低である年七・〇六パーセント程度の昇給は、松下電器の業界における地位、同人の過去の実情、考課ランク等に鑑み、十分可能であるから、別表(一)記載の本給(月額)欄の額となり、また、賞与についても、同様に本給の五・五か月分は少なくとも維持されるから、同(一)記載の賞与(年間)欄の額となり、さらに、職責加給についても、同人の場合一般事務職と異なり、専門職で、前記の資格を取得するなど昇格評価に際しての不確実要素が少ないほか、同僚従業員の昇格状況等に照らすと、同(二)記載の昇格は確実に予想でき、したがつて、前記規程により、同(一)記載の職責加給(月額)欄の額となるから、この間の逸失利益を、生活費を収入の三割として、年別のホフマン式により年五分の割合の中間利息を控除して算定すると、同(一)記載の現価欄のとおりとなる。

次に、雅幸は、松下電器を退職した後も、なお、六七歳までの間は、少なくとも、退職時の本給の五割の収入を得ることができると考えられるから、この間の逸失利益を同様にして算定すると、同(一)記載の現価欄のとおりとなる。

(2) 退職金差額 二〇三九万〇〇一七円

雅幸には、死亡退職時において、三〇八万七二〇〇円の退職金が支払われているが、同人が六〇歳まで勤務した場合には、社員退職金規程に定めるところにより、退職時の本給月額一二三万五六四三円(別表(一)参照)の四三・七倍分の退職金を得ることができたはずであるから、年別のホフマン式により中間利息を控除して算定した得べかりし退職金との差額を算定すると、右金額となる。

(算式)

一二三万五六四三円×四三・七×〇・四三四七八二六一-三〇八万七二〇〇円=二〇三九万〇〇一七円

(3) 相続

雅幸の死亡の結果、妻である原告村山周子、子である同村山義彰、同村山昌毅は、前記逸失利益相当額の損害賠償請求権を、法定相続分に従い、各三分の一ずつの割合で相続した。

(二) 原告ら固有の損害

(1) 慰藉料 原告ら 各五〇〇万円

原告村山周子、同村山義彰(事故当時満六歳)及び同村山昌毅(事故当時満三歳)は、いずれも全面的に雅幸の収入に依存して生活してきたが、本件事故による雅幸の死亡の結果、悲嘆のどん底に突き落とされた。これに対し、被告らは、原告らに対する謝罪等の誠意を全く見せず、本件事故は雅幸の過失によつて起きた事故である等と主張してその責任を全面的に雅幸に転嫁し、本件事故の責任を回避しようとする態度に終始している。このような事情で原告ら三名が被つた精神的苦痛を慰藉するには、原告ら三名につき、それぞれ五〇〇万円が相当である。

(2) 葬祭費、仏壇仏具等の費用

原告ら 各四九万〇〇八〇円

原告らは、雅幸の葬儀を行い、葬儀費及びその関連費用として一〇四万五二四〇円を支出し、また、雅幸の供養のために仏壇を購入し、その購入に関し八五万円を支出し、相続分(各三分の一ずつ)に応じてその費用を負担した。葬儀費及びその関連費用の全額と仏壇の購入に際して要した費用の二分の一(四二万五〇〇〇円)とは本件事故と相当因果関係のある損害である。

(3) 弁護士費用 原告ら 五〇〇万円

原告らは、本件訴訟の追行を原告ら代理人に委任し、着手金及び報酬として五〇〇万円の支払を約したが、原告らは相続分(各三分の一ずつ)に応じて弁護士費用を負担することにしている。

(三) 損害の填補

原告らは、本件事故に関し、自賠責保険金として二〇〇〇万円を受領したので、これを相続分(各三分の一ずつ)に応じ、各原告につき六六六万六六六六円ずつ、右各損害に充当した。

4  よつて、原告らは、それぞれ、被告ら各自に対し、五一八三万七〇九九円及びこれに対する本件事故の日である昭和五四年八月一七日から右支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  被告ら代理人は、請求の原因に対する答弁及び被告の主張として、次のとおり述べた。

(答弁)

1 請求の原因1の(一)ないし(四)記載の事実は認めるが、(五)記載の事実は否認する。なお、本件事故態様は、後記(主張)の1記載のとおりである。

2 請求の原因2の(一)記載の事実は否認する。被告車は直進車であり、かつ、車体も正しく前方に向いていたのであるから、道路左端を進行しようとする単車が転倒することが予見できるような特段の事情のない限り、信号機の表示に従つて発進する被告小園には、バツクミラー等で道路左端を進行する単車や自転車の有無を確認すべき注意義務はない。また、「ガチヤン」という音は被告車の後輪と原告車の後部荷台とが接触した際の接触音と考えられるところ、雅幸は右接触の直後にれき過されており、被告小園が「ガチヤン」という音を聞いた後直ちにブレーキを踏んだとしても被告車の左後輪が雅幸をれき過することを防ぐことはできなかつたのであるから、被告小園には原告ら主張の注意義務はない。なお、被告小園は、「ガチヤン」という音を聞いた後一旦停止したが、本件事故を防ぐことはできなかつたものである。

3 請求の原因2の(一)記載の点は認める。

4 請求の原因3の(一)、(二)記載の事実のうち、雅幸が事故当時三四歳であつたことは認め、その余の事実は知らない。なお、毎年会社と労働組合との団体交渉によつて定められる賃金の上昇はいわゆる「ベースアツプ」と考えられるが、ベースアツプは物価の上昇に対する賃金土台の上昇であつて、将来、ベースアツプがあるか否か、あるとしてもどの程度かは不明であるから、毎年の賃金の平均上昇率を基礎に得べかりし給与の額を算定するのは不当である。のみならず、現時の日本経済、国際経済の情勢からみて、松下電器が将来数十年にわたつて昇給等の規定に基づく昇給を実施しうるかどうかは疑問であること、雅幸は中学卒の社員であることからすれば、雅幸の給与が別表(一)のとおり昇給していくかどうかは不確定である。また、原告らは中間利息を控除する方法として年別のホフマン式を採用しているが、年別のホフマン式自体に将来の物価の変動等を補完する作用があるとされているのであるから、これにベースアツプ、昇給を加味するのは無用である。中間利息を控除する方法としてはライプニツツ式によるべきであり、ホフマン式によるのであれば基礎となる収入額は口頭弁論終結時の給与の額で固定すべきである。

なお、原告らの請求する慰藉料額は高額に過ぎる。

(主張)

1 免責(被告会社)

本件事故は、雅幸の一方的過失によつて発生したもので、被告小園及び被告会社には何らの過失もなく、かつ、被告車には構造上の欠陥又は機能の障害もなかつたから、被告会社には損害賠償責任がない。

すなわち、雅幸は、原告車を運転して信号待ちのため停車中の被告車の左側方を時速一〇ないし二〇キロメートルの速度で西進しようとしたが、その際、ハンドル操作を誤つて原告車を被告車後部に接触させ、このためハンドル操作の自由を失つたことにより、あるいは被告車との接触を避けるために左へ転把しようとして操作を誤つたことにより、道路左側の縁石に原告車を乗り上げさせ、この衝撃で原告車もろとも右方へ転倒して被告車の下に入りこみ、その頃信号機の表示に従つて発進した被告車に頭部をれき過されたもので、本件事故は雅幸の一方的過失によるものである。

2 過失相殺(被告両名)

仮りに、被告小園に何らかの過失があるとしても、あるいは被告会社の免責の主張が認められないとしても、本件事故の発生については、雅幸にも前記のような重大な過失があり、これに比して被告小園の過失はさ少であるから、損害賠償額の算定に当たつては大幅な過失相殺がなされるべきである。

3 損害の填補

原告らは、本件事故による損害の填補として、自賠責保険から支払いを受けたほか、労災保険より一九九万九八四八円の支払いを受けた。

三  原告ら代理人は、右抗弁1、2に対する答弁として、「争う、なお、被告らは雅幸に過失があつた旨主張するけれども、松下電器の始業時刻は午前八時であり、現場から松下電器までは単車を運転して約二〇分で到着することが可能であるから、雅幸が無理な運転をする必要は全くないのみならず、雅幸は昭和五四年六月頃に原告車を購入してから一度も事故を起こしたこともなく、日頃から慎重な運転を心掛けていたもので、事故当日も交差点から約六五メートル手前で既に原告車の速度を充分落としており、また、健康状態も全く良好であつたから、雅幸の方から被告車に接触したり、転倒したりするようなことは全く考えられない。」と述べた。

第三証拠〔略〕

理由

一  事故の発生

請求原因1の(一)ないし(四)記載の事実は、当事者間に争いがない。

そして、右争いのない事実に、成立に争いのない甲第一ないし第八号証、第五七号証、第六一号証、原告ら主張のとおりの写真であることに争いのない検甲第一ないし第四号証、原告ら主張のとおりのヘルメツトであることに争いのない同第八号証、証人米崎幸美、同清水年雄、同平原隆の各証言、原告村山周子、被告小園久人各本人尋問の結果に弁論の全趣旨を併せ考えると、次の事実が認められる(但し、原告村山周子、被告小園久人各本人尋問の結果中、後記信用しない部分を除く。)。

1  本件事故現場は、寝屋川市内をほぼ東西に通じる本件道路の、本件交差点(信号機の設置のある変形交差点である。)東側の道路上であること、現場付近の本件道路は、別紙図面のとおりであり、直線かつ平たんで、歩車道の区別のあるアスフアルト舗装道路であり、車道は、同図面のとおり、中央のゼブラゾーンによつて南側西行車線と北側東行車線とに分けられ、ゼブラゾーンと東西各行車線とを画する白線上にはキヤツツバーンが設置され、また、本件交差点東詰横断歩道の東端の線から三・二〇メートルの位置に白色で停止線が引かれていること、車道の南側歩道は、車道と〇・二〇メートルの段差のあるアスフアルト舗装で、その北端には、同図面のとおり、横断歩道東端の線と交わる部分から東側にガードレールが、さらに、その東側には、金属製の安全柵がそれぞれ設置されていること、現場付近の本件道路の最高速度は時速四〇キロメートルに規制されていること、単車で通勤通学する付近住民が本件道路を利用するため、本件道路の単車の通行量は少なくないこと、事故当時、本件道路の西行車線の自動車の交通量は多く、また、路面は乾燥していたこと。

2  被告小園は、電線ドラムと鋼鉄製のドラム(キヤビン)を積載した被告車(車体の長さ八・三九メートル、車体の幅二・二〇メートル、車体の高さ二・三九メートル、車両総重量七九四五キログラム)を運転して本件道路を西進し、本件交差点の手前四〇ないし五〇メートルの地点に差しかかつた際、対面信号の表示が赤色に変わるのを確認したので、先行する二台の乗用車が停止するものと考え、減速しながら進行したところ、右乗用車二台とも、予期に反して信号機の表示を無視して加速しつつ交差点を通過していくのを認めたが、そのまま自車を停止させたこと、このときの被告車の先端と横断歩道の東端の線との間隔は五ないし六メートルであり、また被告車と本件道路南側の歩道との間隔は一メートル一〇センチメートル程度で、被告車の車体は、ほぼ右歩道北端の線と平行に停止していたこと、その後、被告小国は、本件交差点の対面信号が青色に変つたので、左右のサイドミラー、アンダーミラーを一瞥したうえ、ローギアで発進し、時速五キロメートル程度で、二ないし四メートル直進し、次いでセコンドギアを入れてクラツチを上げた直後、「ガチヤン」という音を聞いたこと、しかし、被告小園は、被告車の車輪がキヤツツバーンに乗り上げたために車体が振動する音ではないかと考え、格別気にも留めず、本件交差点内に被告車を進入させたこと、こうして、被告小園は、本件交差点内を西に向け、約二〇メートル(本件交差点の東西横断歩道の間隔は約四〇メートルある。)直進したとき、対向乗用車の運転者米崎幸美が窓から手を出して停止するよう求めているのに気付き、先程の物音が気になり、自ら後方を確認したところ、雅幸の転倒している姿が認められたので、急いで交差点を西側に渡り切つたうえ、被告車を停止させたこと、なお、事故後の実況見分によると、被告車の運転者が通常の注意力を用い、同車の左アンダーミラー、サイドミラーを見ていれば、左側方に死角はなく、すべて見通せていたことが判明していること。

3  雅幸は、出勤のため、原告車(車体の長さ一・五五メートル、車体の幅〇・六四メートル、車体の高さ一・一五メートル)を運転して本件道路の西行車線を進行し、事故現場付近に差しかかつたところ、当時通勤時間帯であつたこともあつて、本件交差点の西行車線は、自動車が数珠つなぎになつて徐行しては停止するといつた状況にあつたので、進路を歩道寄りにとつて、右自動車の左側方を進行していつたこと、清水年雄は、普通乗用自動車を運転し、被告車の後方(何台目か必ずしも定かではない。)を追従していたが、直前の乗用車(三菱ギヤラン)が信号待ちのため、停止していたのに接近中、自車左斜前方約二九・四メートルの歩道寄りで(後記雅幸の転倒位置の東方約五・五〇メートルの地点)、原告車が、浮き上がつて、前記安全柵側に傾いている状況と、その際、被告車がなお停止中であつたこととを目撃したこと、また、前記米崎は、対面信号に従い、発進した直後(同証人は、この間一ないし二秒程度と述べている。)、発進した被告車の前輪と後輪との間に、雅幸が倒れ込んでいき、同人の着用ヘルメツトが道路の中央のゼブラゾーンの方へ転がり出るのを目撃したこと、かくて、雅幸は、発進した被告車の左後輪で頭部をれき過され、別紙図面記載の×印の地点に、頭部を北東の方角に向けてうつ伏せの状態で倒れ、即死であつたこと、また、右雅幸の転倒位置の北側のゼブラゾーン内の、車道南端より五・三〇メートルの位置に同人着用の白色のヘルメツトが遣留されていたこと(なお、ヘルメツトの上部左右には擦過痕、ひび、変形が、後部右側にはひび割れがそれぞれ認められた。)、さらに、原告車は、雅幸の転倒位置よりもやや西方に、右側面を下にして倒れていたこと。

4  事故後の原告車については、<1>後部荷台の先端が上方に上がつて右にねじれ、<2>車体右側のステツプ先端、ブレーキ板先端、後輪フオークのほか、前輪タイヤ右側にも擦過した痕跡が、また、マフラー(車体右側に設置)の横に、斜めに走る擦過凹痕がそれぞれ認められたこと、一方、被告車については、<3>左後輪タイヤホイル部分(車体の前端から五・六九メートルないし六・一五メートルの部分)に擦過痕が認められたこと、右擦過痕は、右<1>と対比すると、そのつき具合からみて、原告車が右倒しとなつて被告車側に倒れ込んだ際、前記後部荷台先端が、右ホイル部分にはいつたため生じたものであると推認されること、また、<4>左サイドバンパー(車両の左前角から四・四六メートルないし五・〇三メートルの部分(なお、車体の前端から後輪シヤフトまでの距離は五・八五メートル)、地上〇・六メートルから〇・四八メートルの部分)に、擦過払拭痕が認められ、これは人体のような柔かい物体と接触したために生じたものと考えられること、さらに、<5>左後輪ダブルタイヤの外側タイヤ内側トレツドに約一〇センチメートルの繊維付着が認められたが、被告車にはその後部を含め、右痕跡のほか、原告車ないし雅幸との接触ないし衝突をうかがわせる痕跡は全く存在しなかつたこと。

5  事故発生後、<1>現場南側の歩道側壁には、別紙図面記載のとおり車道に沿う様に伸びる黒色でゴム様のタイヤによる擦過痕が認められ、この痕跡は、その始点にあたる東端の部分は鮮明に印象されていて、幅は狭く、その西側は、次第に幅が広く流れるように薄くなり、再び、鮮やかになつたりしているが、この間には金属で印象された擦過痕も混在していたこと、そして、これらの痕跡は、原告車が車体を右方に傾斜させた状態で前進した間に、その前輪タイヤあるいは、マフラー等が歩道の敷石側面と接触したことを示すものと推認されること、また、<2>別紙図面記載のとおり、雅幸の転倒位置の東方約七・一メートル、歩道から五〇ないし六〇センチメートル北側の地点から、原告車の進行方向に沿つて路面に払拭様の擦過痕が一条あつたこと、右擦過痕は、始点辺りではブレーキをかけた際、印象されたものとみられるタイヤ痕跡であつたが、その西方では、雅幸の身体の一部が路面に接したことにより印されたものと認められる痕跡となつていたこと、なお、ガードレール、安全柵には本件事故と関係があると認められる痕跡は残つていなかつたこと。

以上の事実が認められ、(一)甲第三六号証、原告村山周子本人尋問の結果中には、被告小園は、事故後、原告村山周子及び雅幸の親族らに対し、「直前に乗用車が二台いたので停止線後方約八メートルの位置に停車した、」と語つた旨の、(二)甲第二九号証、証人小林喜美男の証言中には、同人が事故の一週間後である昭和五四年八月二四日の午前七時ころ、現場付近でプラカードを掲げて事故の目撃者捜しをしていた際、現場付近を通りかかつた大型トラツクの運転手から事故を目撃した旨の申告があり、その人物の話すところによると、本件事故は、被告車が車体を振つたか寄せたかしたため、それによつて単車がガードレール(鉄さく)にぶつかつたため生じたものであるとのことであつた旨の、(三)前記甲第三号証、被告小園久人本人尋問の結果中には、被告小園が、発進直後に「ガチヤン」という音を聞き、すぐにブレーキを踏んで被告車を停止させた旨の、(四)甲第六〇号証の一ないし三、原告村山周子本人尋問の結果中には、事故の四日後である昭和五四年八月二一日に雅幸の親族及び松下電器の担当者が寝屋川警察署に赴いて被告車を見分したところ、被告車の左側のサイドバンパーには、前部に長さ約一メートルの、後部に長さ約三〇センチメートルの二箇所の擦過痕が認められた旨、及び同月二五日に雅幸の親族が再び寝屋川警察署に赴いた際、同署の平原主任が左側サイドバンパーの前方と後方の擦過痕は同一事故によつて印されたものの様であると語つた旨の、いずれも、右認定に反する供述記載ないし供述が存するけれども、(一)及び(二)はいずれも単なる伝聞にすぎないうえ、前顕各証拠、とりわけ、(一)については、前記甲第三号証、証人平原隆の証言と、(二)及び(三)については、証人米崎幸美、同清水年雄の各証言と、(四)については、前記甲第三号証、同第七号証、証人平原隆の証言とそれぞれ比照してにわかに信用できないし、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

以上の認定事実によると、雅幸は、原告車を運転して本件道路を西進し、本件交差点手前で信号待ちのため停止していた渋滞車両の左側方を進行して被告車の後方二メートル辺りに至つたとき、被告車の左側方を通過しようとしてブレーキを踏むとともに(このため、路面に一部タイヤ痕が認められた。)進行方向左側に車体を寄せようとした際、車体の平衡を失つて、歩道の車道側側壁の、別紙図面記載の側壁タイヤ擦過痕開始地点に原告車前輪タイヤを衝突させ、その衝撃で、いつたん、車体が浮き上がるようになつて、右側に大きく傾いて倒れ込んだうえ、原告車の後部荷台先端部分がそのころ発進した被告車左後輪ホイル部分に入つてしまつたため、被告車の進行方向に押される状況になつたこと、このため、雅幸は、遂に原告車から放り出された形で被告車の後輪タイヤのやや西方の路面に倒れ込み(その際、同人の身体の一部が被告車の左サイドバンパーに触れた。)右タイヤによつて頭部をれき過され、原告車は、雅幸の転倒位置のやや西方に右倒しの状態で倒れたことが認められる。

二  責任原因

1  一般不法行為責任(民法七〇九条)

前記一で認定した事実によると、被告小園は、被告車を運転して本件交差点の手前で信号機の表示に従つて停止し、信号待ちののち、同車を発進させ、本件交差点を直進しようとしたものであることが認められるけれども、停止中の被告車と本件道路南側の歩道との間隔はわずか一メートル一〇センチメートル程度であり、しかも、二輪車の運転者は、信号待ちで渋滞する車両と歩道との間隙を縫うようにして自車を進行させることも間間あると認められるので、これらの諸点のほか、二輪車自体車体の安定性に乏しいことをも併せ考えると、信号に従い発進する車両が、そのまま直進するとしても、その側方を走行する二輪車との間に不測の事態を招来する危険性も少なくないと認められるから、被告小園には、自車を発進させるに際し、左アンダーミラー、サイドミラーにより、左側方の状況を確認すべき注意義務があるといわなければならない。

そこで、被告小園が右の注意義務を尽くしたかどうかにつき検討するに、前記一認定のとおり、原告車は、被告車が発進する直前に前輪タイヤを車道南側の歩道側壁に衡突させ、そのまま前進し、次いで、右側に大きく傾いて被告車の方へ倒れ込んだものであり、他方、被告車の運転席から、被告車の左前部に取り付けられているアンダーミラーとサイドミラーを使用すれば車両の左側方の見通しは良好であつたのであるから、被告小園が発進の際に左のアンダーミラーとサイドミラーを十分確認しさえすれば、当然、原告車及び雅幸に気付いたと認められる。したがつて、被告小園には、左側方確認の方法が不十分であつた過失があるといわなければならない。

以上のとおりであるから、その余について判断するまでもなく、被告小園には民法七〇九条により、本件事故による損害を賠償する責任があるものといわねばならない。

2  運行供用者責任(自賠法三条)

(一)  被告会社が被告車を保有していたことは当事者間に争いがない。したがつて、被告会社は、自賠法三条本文により、同条但書所定の免責の主張が認められない限り、本件事故による損害を賠償する責任がある。

(二)  そこで、被告会社の免責の主張について判断するに、被告小園に前記1において認定したとおり過失の認められる本件においては、その余の判断を加えるまでもなく、右主張は採用できない。

三  損害

1  雅幸の損害

(一)  逸失利益 七二四六万一三四六円

成立に争いのない甲第一九ないし第二三号証、同第二四号証の一ないし三、同第二五号証の一ないし四、同第二六、第二七号証の各一、二、同第三七号証、同第三九ないし第四三号証、同第四四号証の一、二、同第四五、第四六号証、同第五〇号証、同第五三、第五四号証、同第五八号証、同第六四号証、同第六七号証、同第六九ないし第七一号証、同第七三、第七四号証、同第七六ないし第七八号証、同第八〇号証の二、同第八一号証、同第八四ないし第八六号証(甲第一九、第二一号証については原本の存在も含む。)、証人原昭の証言(第一回)により成立を認められる同第九ないし第一一号証、同第一三ないし第一八号証、同第四九号証、同第五二号証、証人原昭の証言(第一、二回)、原告村山周子本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を併せ考えると、次の事実が認められる(ただし、証人原昭の証言(第一回)中、後記信用しない部分を除く。)。

(1) 雅幸は、昭和二〇年五月一一日生で、昭和三六年中学校卒業後松下電器工学院に入学し、三年の教程を経て、昭和三九年同期生七〇名中、学科順位七〇名中一位、実習順位同じく六位の優秀な成績で卒業し、同学院の設立母体である松下電器に入社したこと、同人は、同社では、技術本部電子機器研究所試作工場に配属され、機械加工等に従事する技能畑を歩み、昭和四六年三月には職業訓練法の規定による機械製図二級技能検定、昭和五〇年一〇月には同法の規定による機械加工(フライス盤作業)一級技能検定にそれぞれ合格していたこと、事故当時、妻と六歳の長男、三歳の二男を扶養し、本給二〇万九七〇〇円、職責加給一万二五〇〇円(主任職三号)、扶養加給二万三〇〇〇円及び相当額の超勤手当の給与を受けていたこと。

(2) 松下電器における従業員の賃金体系は、一般の従業員である一級社員(非完全月給者ともいう。以下、「非完月」という。)の場合、基準内賃金として支給される本給、職務加給(職責加給、作業加給、勤務加給)、扶養加給と、基準外賃金として支給される超勤、当直等の手当とからなり、幹部職に該当する完全月給者(以下、「完月」という。)の場合、本給と職責加給に相当する幹部職加給とからなつていること。

(3) 雅幸は、昭和五一年に職責加給の支給対象となる非完月主任職一号に、昭和五二年に主任職二号に、昭和五三年に主任職三号とそれぞれ昇任していたこと、ところで、松下電器では、非完月主任職三号にある者は、同四号を経て主事職一号に、さらに同二号に至つて、はじめて完月昇格試験の受験資格を取得すること、そして完月に昇格した者は、雅幸のような学歴と職種の場合には、幹部職一級―一B―B、一A―B、二―B、三―B、四―Bを経て二級―二―Bに昇進する道が開かれていること、したがつて、雅幸の場合にも、そのまま勤務しておれば、右の職責等級に従つて昇任、昇格したものと考えられるところ、同人の昇給考課、その職種に照らし、昭和五五年には、主任職四号に、その後は、控え目にみても、別表(三)のとおり三年毎には昇任、昇格したはずであると推認されること(なお、原告らは、昭和五七年中には、雅幸が主事職一号に昇任したはずであると主張しているけれども、雅幸とほぼ同等の学歴、職種、条件のもとで勤務している同僚作本秀樹の場合、昭和五五年主任職四号に昇格していながら、昭和五七年の昇給決定の段階ではなお同号にとどまつていることが認められ、必ずしも、原告らの主張どおりともいえない。)。

(4) また、松下電器では、本給については、<イ>非完月の場合、入社後三年以上の社員を学歴、性別、勤務年数とは別に、職種に応じてグループ(以下、「仕事グループ」という。)に分けたうえ、グループ毎に支払基準を設定していたこと、そして、右基準は、社員給与規程二七条、労働協約四九条に基づき、毎年一回労使間の協議により、引き上げられることになつていたこと、そして、雅幸の属する仕事グループである主任職(C2)についての標準昇給月額は、昭和五五年度は一万五一〇〇円、昭和五六年度は一万六八〇〇円、昭和五七年度は一万六一〇〇円となつていること、したがつて、雅幸は、勤務していれば、過去の成績考課に鑑み、右標準額程度の加算があつたことは疑いないうえ、非完月にとどまる限り(主事職まで)、毎年の労使間交渉による昇給に浴することも間違いなく、その引き上げ率が、企業成績、物価の変動等の経済事情に左右される面が大きいことは否定できないとしても、雅幸の経歴、過去の人事考課の結果、同社における一般社員に対する過去の給与の引き上げ率、我国の経済成長率についての予測指標等を勘案すると、控え目にみても対前年度比において、年三パーセントを下回ることはないと予測されること、しかしながら、<ロ>完月に昇格した後においては、昇給自体、労使間交渉に基づくものではなく、いかなる方式で、どのような形で実施されているのか、これを詳らかにするような事情は見当らないこと。

(5) 次に、松下電器では、本給以外に、<イ>非完月の場合、社員給与規程一六条に基づく同規程別表第二により職責加給が、また、完月の場合、完全月給社員規程に基づく別表により幹部職加給がそれぞれ支給されるところ、いずれも昭和五七年四月に改訂されたこと、したがつて、雅幸は、勤務していれば、前記(3)で認定した職責等級に従い、改訂前あるいは改訂後の右各表に基づき、右各加給の支給を得たはずであること、さらに、<ロ>非完月に支給される扶養加給は、雅幸のように配偶者及びその他の扶養家族を有する場合には、昭和五五年四月から月額二万四〇〇〇円に、昭和五六年四月から月額二万五〇〇〇円に、昭和五七年四月から月額二万六〇〇〇円にそれぞれ引き上げられ、雅幸が勤務していれば、引き上げられた扶養加給をそれぞれ受給していたはずであること。

(6) さらに、賞与については、<イ>非完月の場合、社員給与規程三一条に基づき、毎年七月(上期)、一二月(下期)に支給されることになつていること、そして、賞与には、本給の額に各社員ごとに定められる支給率を掛け合わせることによつて支給額が決定される一般賞与の他に、基準内賃金の額に従業員一律に一定の支給率を掛け合わせることによつて支給額が決定される特別賞与が支給されるところ、毎年一一月にその年の一二月と翌年七月に支払われる賞与の額について会社と労働組合との間で協議が行われ、この協議に基づき、一般社員に対して支払われる賞与の総額、仕事グループ別の一般賞与の標準支給率、最高、最低支給率、特別賞与の支給率等が定められること、各社員の一般賞与の支給率は、社員の属する仕事グループについての最高支給率と最低支給率の範囲内で、人事考課の結果に基づいて決定されること、会社と労働組合との協議により、雅幸が属する仕事グループについての一般賞与の標準支給率は昭和五四年下期及び昭和五五年上期についてはそれぞれ三・〇二か月分、同年下期及び昭和五六年上期についてはそれぞれ三・〇一か月分、同年下期及び昭和五七年上期についてはそれぞれ三・〇一か月分と決められ、また、特別賞与の支給率は昭和五四年下期と昭和五五年上期についてはそれぞれ〇・三、同年下期については〇・四、昭和五六年上期については〇・三、同年下期については〇・四五、昭和五七年上期については〇・三と決められたこと、なお、昭和四〇年度から昭和五七年度までを通じて同社の本給の額を基準とした賞与の支給率が最も低いのは昭和四〇年度の五・三五か月分であること、したがつて、雅幸の場合にも、昭和五四年下期分から、昭和五七年上期分に関しては、各年度ごとに会社と労働組合との協議に基づいて定められる雅幸の属する仕事グループについての標準支給率を上回る一般賞与と、一般社員全員について一律に定められる支給率による特別賞与との支給を受けていたはずであり、昭和五七年下期以降も年額にして少なくとも本給の額の五・三五か月分の賞与を受けたはずであると推認されること、しかしながら、<ロ>完月に昇格した後では、賞与の支給額の増額についても、本給の昇給と同じような事情があること。

(7) 松下電器では、満六〇歳を定年とし、定年到達日の後に最初に到来する二〇日をもつて退職日とする取扱いをしていること。

以上の事実が認められ、証人原昭(第一回)の証言中、右認定と異る部分は、前掲各証拠と比照してにわかに信用することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

以上のとおりであるから、雅幸は松下電器在勤中に別表(三)逸失利益計算表のとおりの本給、加給、賞与の支給を受けたはずであつたと認められ、また、同社退職後の昭和八〇年から稼働可能と認められる昭和八七年までの七年間の逸失利益に関しては、高齢で他に再就職して働く時の所得は、退職時のそれに比べて、かなりの程度低下するのが通常であるから、これを控え目にみて、前記認定の退職時の年収の五割に相当する収入を挙げ得たものと認めるのが相当である。そして、雅幸の死亡による得べかりし収入額につき年別のホフマン式により年五分の中間利息を控除して本件事故当時における現価を算定すると別表(三)逸失利益計算表の現価欄記載のとおりとなり、同人の生活費は収入の三割と考えられるから、同人の得べかりし給与額は七二四六万一三四六円となる。

(円未満切捨て。以下同じ。)

なお、年別のホフマン式の使用にあたつては、毎年基準日を八月一七日とし、基準日に当該年度の給与の引き上げが行われたものとし、上期賞与受給額の算定については当該年度の給与の引き上げを考慮に入れずに算定した。昭和五四年下期から昭和五七年上期までの得べかりし賞与の額の計算の結果は別表(四)のとおりである。事故後二六年目については、一年間のうち九か月間松下電器に在職したはずであると認められるところ、松下電器在勤中の収入については年収の一二分の九の収入を挙げ得たものとして計算した。)

(二)  退職金差額 二七五万八〇八〇円

証人原昭の証言とこれにより成立を認められる甲第九号証、成立に争いのない甲第六四号証及び弁論の全趣旨を総合すると、松下電器では、社員退職金規程により退職金の支給基準を定めているところ、同規程六条によれば、勤続一年以上の社員が満五五歳以上で退職するときに支給される退職慰労金の額は、「退職時の本給の額×同規程別表第一支給率A表の支給率」の算式によつて求められること、雅幸が満六〇歳まで松下電器に勤務したと仮定した場合の同人の勤続年数は四一年一月(昭和三九年四月入社、昭和八〇年五月退職)であり、前記支給率A表によると、支給率は四三・七であることが認められ、一方、退職慰労金算定の基礎となる雅幸の本給の額は別表(三)のとおり三〇万七七〇四円であるから、雅幸が満六〇歳の退職時に受け取るはずであつた退職金の額は一三四四万六七〇〇円(退職金規程五条による端数処理を行つた。)と算定され、右金額につき年別のホフマン式により年五分の中間利息を控除して本件事故当時における現価を算定すると、次の算式のとおり五八四万五三二三円となるところ、原告らが既に雅幸の退職金として三〇八万七二〇〇円を受領していることは原告らにおいて自認するところであるから、これを差し引いた二七五万八〇八〇円が退職金に関する損害となる。

(算式)一三四四万六七〇〇円×〇・四三四七=五八四万五二八〇円

(三)  相続

成立に争いのない甲第六四号証及び原告村山周子本人尋問の結果によると、請求原因3の(一)の(3)の事実を認めることができるので、原告らは、前記逸失利益、退職金差額相当額の損害賠償請求権を、法定相続分に従い(各三分の一)各原告につき、それぞれ二五〇七万三一四二円宛相続により取得したものと認められる。

ところで、調査嘱託の結果によると、労災保険から原告周子に対し、遺族年金として、八一万二〇三〇円が支払われたことが認められるから、原告周子の前記相続分から右保険給付分を差し引くと、二四二六万一一二円となる。

なお、調査嘱託の結果によると、原告周子には、右のほか、労災保険から、遺族特別支給金、遺族特別年金が支給されていることが認められるけれども、これらは、本来の保険給付として支給されるものではなく、労働福祉事業の一環として給付されるものであるから、その支給目的に徴し、損害を填補する性質を有するものとはいいがたいから、同原告の損害額から控除することはできない。

2  原告ら固有の損害

(一)  慰藉料 原告周子 五〇〇万円

同 義彰、同 昌毅 各四〇〇万円

雅幸が本件事故によつて死亡したことにより、原告周子は妻として、同義彰、同昌毅は子として多大の精神的苦痛を受けたことは明らかであり、これを慰藉するには、原告周子につき五〇〇万円、同義彰、同昌毅につき各四〇〇万円とするのが相当であると認められる。

(二)  葬儀関係費 認められない。

原告村山周子本人尋問の結果とこれにより成立を認められる甲第三八号証の一ないし三、同号証の六、七、同号証の九ないし一六、成立に争いのない同号証の四、五、同号証の八、調査嘱託の結果及び弁論の全趣旨を総合すると、原告周子は雅幸の葬儀を行い、葬儀費のほか、その関連費用を併せて一〇四万五二四〇円を、仏壇の購入等のため八五万円をそれぞれ支出したこと、労災保険から、原告側に葬祭給付として六三万六五〇四円の支給があつたことが認められるところ、雅幸の年齢、境遇、家族構成、社会的地位、職業等諸般の事情に照らすと、本件事故と相当因果関係のある損害と認められる葬儀関係費の額は右労災保険によつてまかなわれたものとするのが相当である。

四  過失相殺

前記一において認定した事実によると、雅幸は、被告車の後方に至つたとき、二輪車の特性を考慮し、速度を調節しながらハンドルを適切に操作することを怠つた過失により平衡を失い、車道南側の歩道の側壁に原告車の前輪タイヤを衝突させ、その衝撃で右側に大きく傾いて被告車の方へ倒れ込む格好となつた原告車に対する操縦の自由を失い、本件事故に遭遇したものと認められるから、本件事故発生に関する雅幸の過失の程度は大きいものといわなければならない。そして、右雅幸の過失のほか、前記認定の被告小園の過失の内容、程度、双方の車種の違い、本件事故の態様等諸般の事情を勘案すると、過失相殺として、原告らの損害の七割を減ずるのが相当であると認められる。

そして、過失相殺の対象となる損害額は、原告周子については、前記三で認定した二九二六万一一一二円であり、原告義彰、同昌毅についてはそれぞれ前記三で認定した二九〇七万三一四二円であるから、これから七割を減じて原告らの損害額を算出すると、原告周子につき八七七万八三三三円、原告義彰、同昌毅につき八七二万一九四二円となる。

五  損害の填補

原告らが、本件事故に関し、自賠責保険金を受領し、各原告につき六六六万六六六六円宛ずつ右各損害に充当したことは原告らが自認するところである。

よつて、原告周子については、前記五で認定した八七七万八三三三円から右填補分六六六万六六六六円を差引いた残損金額は二一一万一六六七円、原告義彰、同昌毅については、前記五で認定した八七二万一九四二円から右填補分六六六万六六六六円を差引いた残損金額は二〇五万五二七六円となる。

六  弁護士費用 原告ら 各二〇万円

本件事案の内容、審理経過、認容額等に照らすと、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用の額は、各原告につきそれぞれ二〇万円とするのが相当である。

七  結論

以上のとおりであるから、本件損害賠償として、被告らは、各自原告周子に対し、二三一万一六六七円及びこれに対する本件事故の日である昭和五四年八月一七日から右支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の、同義彰、同昌毅それぞれに対し、二二五万五二七六円及びこれに対する同日から右支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の、各支払義務があるから、原告らの本訴請求は右の限度で理由があるのでその限度で正当としてこれを認容し、その余の請求はいずれも理由がないので失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 弓削孟 佐々木茂美 孝橋宏)

別表(一)

<省略>

別表(二)

<省略>

別表(三)

<省略>

別表(四)

<省略>

別紙図面

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