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大阪地方裁判所 昭和55年(ワ)3413号 1984年2月01日

原告

建部昌晴

右訴訟代理人弁護士

浦功

上野勝

川崎伸男

右訴訟復代理人弁護士

浅田憲三

大西悦子

被告

学校法人大阪工業大学

右代表者理事

藤田進

右訴訟代理人弁護士

樫本信雄

大久保純一郎

右当事者間の頭書請求事件について、当裁判所は、昭和五八年九月一三日終結した口頭弁論に基づき、次のとおり判決する。

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

一  申立

1  原告

(一)  原告が被告との間で雇用契約上の地位を有することを確認する。

(二)  被告は原告に対し、金一七一万二三五四円と、昭和五五年五月二〇日以降毎月二〇日限り金二四万四六二二円と、を支払え。

(三)  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決、並びに右(二)につき仮執行の宣言。

2  被告

主文と同旨の判決。

二  主張

1  原告の請求原因

(一)(雇用契約)

被告は、大阪市旭区大宮五丁目一六番一号に付属高校・短大・大学を有し、生徒らの教育を行なっている学校法人であり、原告は、被告の大学の卒業生(昭和四〇年三月工学部卒)であるところ、原告は被告との間で、原告が被告の守衛として昭和五三年四月一日から勤務する、との旨の雇用契約を結んだ(以下適宜、本件雇用契約という)。

(二)(就労拒絶)

原告は、本件雇用契約に基づき右同日から被告の守衛として勤務していたところ、被告は、原告との雇用契約が、雇用期間満了を理由とする解雇により昭和五四年九月末をもって終了した、として、同年一〇月以降、原告の就労を認めない。

(三)(賃金)

原告の被告における賃金は、毎月一〇日締切同月二〇日支払の定め乃至労働慣行であったところ、その昭和五四年七乃至九月の各月の支払分の平均月額は、金二四万四六二二円であった。

(四)(本訴請求)

ところで、被告のいう原告との雇用契約終了は法律上の理由のないものであり、本件雇用は有効に存続しているから、原告は被告に対し、本件雇用契約に基づき、原告が被告との間の雇用契約上の地位を有することの確認、昭和五四年一〇月から昭和五五年四月までの七カ月分の賃金として金一七一万二三五四円の支払、及び、昭和五五年五月以降毎月二〇日限り当月分の賃金として金二四万四六二二円宛の支払、とを求める。

2  請求原因に対する被告の認否

請求原因(一)(雇用契約)は認める。

請求原因(二)(就労拒絶)のうち、本件雇用契約終了原因として被告の主張する事由が「解雇」であるとの点は否認し、その余は認める。

請求原因(三)(賃金)は、賃金支払日の点を除き、認める。被告における賃金支払日は毎月二一日である。

請求原因(四)(本訴請求)は争う。

3  被告の抗弁

(一)  契約期間満了による雇用契約の当然消滅

(1)(期間の定め)

本件雇用契約は、昭和五三年三月一五日頃、締結されたが、その際に、契約期間を昭和五三年四月一日から一年とする、との旨の期間の定めが付された。

その後、右契約期間満了直前の昭和五四年三月二六日頃、被告は原告との間で、本件雇用契約につき、契約期間を昭和五四年四月一日から同年九月三〇日までと約して、契約の更新をした。

(2)(期間の定めを付した事情等)

<1>(採用の経緯等)

昭和五二年一一月一四日頃、原告は、被告人事課長吉田真宏を訪ねて、「被告の大学の卒業生だが、倉敷紡績を同年七月に退職し、現在求職中である」との旨事情説明のうえ、被告へ高校教員として就職する希望を申し出た。

これに対し、被告人事課長吉田真宏が、原告の専攻に合った高校教員の採用予定はない旨応答すると、原告は、他の職種の採用予定を尋ねたので、右吉田人事課長は、職員の補充採用の機会が生じたときの為に履歴書だけでも預かって置くから提出するよう申し述べて別れた。

昭和五三年一月二九日頃、原告から履歴書の提出があった後、同年二月二〇日頃、右吉田人事課長が、原告に対し、機械実習工場の教員(実習指導員)の欠員補充の話をしたところ、原告は、経験がないので出来ない、と断った。

同二月二八日頃、右吉田人事課長が、原告に対し、守衛の採用予定の話をしたところ、原告は、「母校で働けるのなら職種は何でも結構です」との旨答えて、守衛に採用されることを希望したので、右吉田人事課長は、採用試験の日取りを告知(同年三月二日正式な文書で通知)し、原告を帰した。その際、原告から将来の職種変更の可能性につき質問があり、右吉田人事課長は、一般論として被告において職種変更はありうることであって現にその該当者もいたとの旨を述べた。

同年三月八日、被告は、事務系職員選考委員五名による守衛採用の面接試験と身体検査とを実施し、原告は、これを受けたが、その結果は、原告を被告の専任職員として採用してよいという評点には達しなかった。しかし、被告は、原告が被告の卒業生であることを考慮して、原告を臨時職員として一年間に限って雇用しその間の勤務振りが芳しくなければ更新しない、ということで、試みに雇用する案を立てた。

同三月一四日、右吉田人事課長は、原告に対し、「臨時職員としての守衛ならば採用するがどうか」と問うたところ、原告から臨時職員の意味や将来の事務職への職種転換の可否につき質問が出て、これにつき同課長が、「雇用期間は一年。その後のことは、その時点で、双方の事情や都合を検討して決める。被告にとって必要で、原告に適性があり、勤務振りが悪くなく、原告も希望するときは、再雇用されることがある。また、守衛として勤めるなら、一生守衛をする覚悟で、先には守衛長にでもなってやろうぐらいの心構えがないと勤まらない。」との旨の話をした経過のあった後、原告は、右吉田人事課長に対し、「採用をお願いする」との旨の意思表示をした。

右のとおりの経緯があって、同年四月一日、本件雇用契約が成立し、同日頃被告は原告に対し、「学校法人大阪工業大学臨時職員(守衛)に採用する。雇傭期間は一年とする。」と記載した辞令(乙第一号証)を交付した。

なお、被告の職員には、雇用期間の定めのない専任職員とその定めのある嘱託職員(当時は、臨時職員と称した)等とがあり、被告は、内部規定により、教授等一部の職員を除く職員の採用及び雇用形態決定は理事長の権限であり、嘱託職員(臨時職員)の雇用期間は一年以下(年度途中採用のときは年度末まで)とする取扱をしており、また、嘱託職員(臨時職員)の給与形態は、月俸と通勤手当だけであり、専任職員には存する年功・家族・住宅の諸手当、退職金、俸給表による定期昇給、という諸制度がない、等の差異があったところ、原告は、被告に在職中は、嘱託職員(臨時職員)の規定に従って処遇された。

<2>(更新の経緯等)

昭和五四年三月一三日、被告は、事務系職員選考委員会において、同月三一日で雇用期間満了となる原告を再度雇用するか否かにつき検討した結果、原告の勤務振りについては、「原告の人格識見及び適性につき問題があり、勤務成績も悪く、同僚との人間関係は非常に悪く、これらにつき改善の見込もない」との評定に達し、原告の再雇用問題については、「雇用期間が満了する昭和五四年三月末をもって雇い止めとしたいが、卒業生のことでもあり、原告にも次の勤め先をさがす等の都合もあろうから、猶予を与える為、最長同年九月三〇日までの新たな雇用契約を締結する」との結論を出した。

なお、この間の原告の勤務振りは、後記(二)(2)のとおり劣悪であり、職場におけるトラブルメーカーであって、守衛長らからは、原告の右半年の再雇用にすら反対の意見が出された。

同三月二六日、前記吉田人事課長は、原告に対し、同年四月以降の再雇用の件につき、「原告は、同僚との人間関係が非常に悪く、判断がすべて自己本位であって、学園組織の中で働くことは不適格である。原告の都合や卒業生であることを考慮して、次の就職先の決るまでの恩情として同年九月末までは雇用するが、それまでに次の就職先が見付かれば、退職してもらって結構である。」との旨の話をしたところ、原告は、「そうですか」と述べて、被告の意を諒解した。

右のとおりの経緯があって、被告は、同年四月一日、雇用期間を同年九月末までとする期限を付して、原告を再度雇用し、同月二日頃、原告に対し、「学校法人大阪工業大学臨事職員(守衛)に採用する。雇傭期間は昭和五四年九月三〇日までとする。」と記載した辞令(乙第二号証)を交付し、原告はこれを受領した。

<3>(雇用継続期待の合理的理由不存在)

右のとおり、本件雇用契約は、被告が、専任職員の採用基準に達しなかった原告を、卒業生で失業中という事情を酌んだ温情的配慮により、臨時職員(嘱託職員)として期間を区切って採用し、かつ、その期間満了時にも他の適職を見付けるための猶予として特に半年に限り再雇用した、というものであって、原告も、これらの期間の定めを了解して契約したもので、原告・被告いずれにとっても、原告が定年まで当然に勤務することを予定した契約ではなかった。

仮に、原告が、定年までの雇用継続を期待していたとしても、それは、単なる原告の主観的期待に過ぎず、合理的理由を欠くものである。

(3)(期間の経過による契約消滅)

よって、原告と被告との間の右雇用契約は、右契約期間の末日である昭和五四年九月三〇日の経過により、当然に消滅した。

(二)  解雇法理類推適用の場合の有効な更新拒絶による雇用契約の消滅

(1)(更新拒絶の意思表示)

被告は、昭和五四年九月三〇日、原告に対し、「雇用期間満了により職を解く」との旨の辞令を交付した。

これは、雇用契約消滅の確認の為のものであったが、仮に、本件雇用契約の期間満了による雇い止めに、解雇に関する法理が類推適用されるとすれば、右辞令交付は、本件雇用契約の更新拒絶の意思表示というべきである。

(2)(更新拒絶の正当な理由)

原告の被告における本件雇用契約に基づく守衛としての勤務振りは、次の<1>乃至<4>のとおり、職場の人間関係が悪く、業務に支障のある勤務態度で、職務に専念する意識も希薄で、これらにつき上司の注意によるも改善がなく、結局、勤務成績不良で守衛としては不適格であった。

本件雇用契約の右更新拒絶は、右勤務成績不良という事情に基づき、原告が次の適正な就職先を見付けるための期間として半年の猶予を置いたうえで、為されたものであった。

<1>(職場の人間関係)

被告においては、守衛は一一名の小数で互いに協力して業務を遂行することが不可欠であったところ、原告は、専ら原告自身に起因する事由が積って、同僚との人間関係を著しく阻害し、信頼関係・協力関係を失していて、守衛として業務遂行に不適格となっていた。

即ち、原告は、守衛中ただ一人大学卒であることをことさら自慢し、他の同僚を蔑む言動が多く、同僚から反感を買っていたうえ、みだりに同僚の言動を自己の手帳に記録し、当を得ない形で上司や同僚に告げ口をしたり同僚を攻撃したりしたことがしばしばあって、同僚から警戒され、また、原告の身勝手さから来る上司・同僚に対する不平・不満が著しく多く、これを他の部署で悪口として言いふらすので、皆から嫌われ、他の守衛は原告と同一班に編成されるのを嫌がる為、守衛の職場では無理な班編成をせざるをえない状況であった。

<2>(勤務状況)

被告においては、守衛の業務としては、日常構内各出入口にいて、出入者の監視・来訪者の受付が重要な業務としていたが、原告は、次のイ乃至ヘのとおり、右の監視・受付業務に支障を及ぼし或いはこれを全うしない行動が多々みられた。

イ 勤務中しばしば業務外の書きものをして、出入者の注視を怠ること。

ロ 勤務中しばしば居眠りをし、公用車・外来者の出入の確認が不十分。

ハ 勤務中に立話・長話が多く、他の者への応対が滞る等の受付業務に支障を及ぼすことがしばしばあったこと。

ニ 勤務中しばしば所定の勤務場所を無断で離れ、業務を全うしないこと。

ホ 応接中、人を眼鏡越に見るなど、態度が悪く、来訪者に悪印象を与えることが多かったこと。

ヘ 勤務中の私用の長電話が多く、被告に経済的損失を与えたのみならず、他部署からの連絡に支障を及ぼすことがしばしばあったこと。そのために被告は、昭和五三年一〇月四日、一人勤務の東門の電話を自由に構外発信のできないものに取替えたほどであった。

更に、原告は、昭和五四年四月二〇日朝六時三〇分頃、構内巡視業務中に、体育館のマスターキーを紛失するという事故を起こした。右マスターキーは、同日午後一時三〇分頃発見されて、ことなきを得たが、右事故は、守衛としては根幹的な失態であった。

<3>(職務専念意識の希薄さ)

原告は、守衛としての職務に専念する意識が薄く、このことが、業務遂行上の姿勢にもあらわれ、また、同僚との人間関係にも悪影響を与えていた。例えば、他の職種への転職を意図して当該部署に出入りし、顰蹙をかったりもした。

<4>(上司の注意)

原告は、右の諸点につき、上司から再三に亘って注意・助言を受け、其の際に、一応反省の言を述べるものの、他に責任を転嫁する弁明をし、結局、その言動に改善は見られなかった。

(3) 従って、右更新拒絶は正当であって、権利濫用には該当しないから、右更新拒絶の意思表示により、本件雇用契約は、昭和五四年九月三〇日限りで終了した。

(三)  よって、本件雇用契約は、いずれにせよ、昭和五四年九月三〇日限りで終了し、現在存しないから、被告は、原告の本件雇用契約に基づく請求には応じられない。

(四)  なお、後記3(二)の原告の主張は争う。

4  抗弁に対する原告の認否及び主張

(一)(認否)

本件雇用契約が期限の定めのある契約であり、昭和五四年九月三〇日の到来により当然終了した、との被告の主張(抗弁(一))、及び、解雇(雇い止め)には相当の理由が存在する、との被告の主張(抗弁(二)の一部)は、いずれも、否認し、次記(二)(主張)のとおり主張する。

(二)(主張)

(1)(期間の定めのない雇用契約)

本件雇用契約は、たとえ、被告の内部規定乃至辞令に期間を一年とする旨記されていたとしても、次の<1>乃至<6>の右契約成立の経緯並びに被告における慣行に照らし、更新を予定され或いは正職員になることを予定されたものであって、右期間は単なる便宜上のものでしかなく、その実質は、期限の定めのない雇用契約であった。

<1> 原告は、昭和二二年以来、倉敷紡績株式会社に勤務していたが、同社が希望退職を募ったのに応じて、昭和五二年七月、同社を退職し、その後は求職中であった。この間、原告は、昭和三六年四月被告大学工学部第Ⅱ部機械工学科に入学し、のちに同学部第Ⅰ部へ転部して昭和四〇年三月卒業した。

<2> 原告は、昭和五二年一一月一四日頃、母校である被告へ、求職の相談へ赴いた際、被告人事課長吉田真宏に対し、被告の高校教員として就職を申し出たところ、同課長は、「今は欠員がないので難しいが、昭和五四年四月には学生課事務職の午後勤務が空く。その頃何か欠員が出れば、取敢えずそこで勤めて、一年後に学生課の事務職に就けば、将来のことは何とか考えられる。原告は、被告大学の卒業であるから出来る限りのことはしてあげたい。」との旨述べた。

<3> 原告は、昭和五三年一月二九日被告に履歴書を提出した後、同年二月二〇日右吉田課長に電話したところ、「機械実習工場の教員に欠員があるが出来ないか。」との旨言われたが、「経験がないので出来ない。機械製図の教員なら出来る。」との旨答えると、「仕方ないな。」とのことであった。

<4> 原告は、同二月二八日、右吉田課長を訪れ、何か職はないかと尋ねたところ「守衛なら今年採用の予定がある。来年学生課事務職の午後勤務にでも換わることが出来る。今までもこうした人が幾人かいる。原告は守衛という仕事はできるか。」との旨言われた。原告は、「母校で採用して貰えるなら何の職種でも良いからお願いします。」との旨答えたところ、同課長は、「いずれ改めて通知するが、三月八日頃に採用試験があるから、その時に出て来て下さい。」と言った。その後、被告から原告に対し、同年三月二日付文書で、同月八日に職員採用試験がある旨の通知があった。

<5> 原告は、右三月八日、被告に赴いたところ、応募者三名に対し、勤務体制や給与につき説明があり、面接試験、身体検査があったが、右面接試験は一〇分から一五分程度で卒業論文のテーマと家族構成を聞かれた程度の簡単なもので細かな評定を下すようなものではなかった。その後、同月一四日、右吉田課長から、「臨時職員(その後、嘱託職員と改称になる)としての守衛なら採用するがどうするか。勤務状態によって、早ければ一年で専任職員になれる。そして、守衛長になって貫うことも考えている。」との旨言われた。そこで、原告は、「採用して戴くようお願いする。しかし、臨時職員では雇用不安で困る。前の会社に退職届を出していないがどうしたらよいか。」との旨話したところ、同課長は、「たとえ臨時職員でも、悪いことをしたり自分で辞めない限り、心配はない。たとえ、正職員になれなくても六四才定年まで毎年雇用更新を続けるから、前の会社には明日にでも退職届を出しなさい。直ちに、採用決定通知を送る。」との旨言ったので、原告は、前記倉敷紡績を退職後に勤務していた日華染色株式会社へ退職届を提出した。

<6> 以上の経過で原告は被告に昭和五三年四月一日付で守衛とし採用されたが、それまでに、紹介された職は、いずれも、定年まで継続雇用が予定されているものであり、守衛についても、臨時的なものとして紹介されたものではなく、また職種の性質自体からみても、原告・被告双方にとって定年まで雇用継続が予定されていた職であって、だからこそ、前記一連の吉田課長の発言があったのであり、原告も前記勤務先を退職してまで被告に就職したのである。現に、原告は、被告においては、家族・住宅・年功の各手当、及び退職金の年数加算がない外は、すべての労働条件は正職員と同一であったし、原告の後任として採用された守衛は、正職員であった。

(2)(原告の勤務状況)

原告の被告における勤務状況は、無遅刻無欠勤で、勤勉誠実かつ確実に少しの手抜きもなく与えられた業務を遂行し、母校での勤務に誇りと情熱を持って取り組んでいたのであって、原告の勤務態度は極めて良好であった。

原告は、所定の業務を右のとおり誠実に遂行した外、他人の嫌がる夜間勤務のピンチヒッターを何回も引受け、また、守衛の立場から総合体育館使用チニック一覧表等の業務改善提案を次々に出したり、体育科辻助教授や池田学生課長らの依頼を受けて被告の学生に歌われて来た学生歌・逍遙歌・応援歌の楽譜の作成等も勤務時間外に行なう等、被告に貢献した。

これに対し、原告の劣悪な勤務状況を言う被告の主張は、誰にでもあることや社会通念上看過されるべき行態を針小棒大に強調したものや虚構乃至一部の風評をそのまま取上げたもので、次の<1>乃至<4>のとおり根拠のないものである。

<1> 原告は、被告の職場において、大学卒であることを鼻にかけたり、守衛という職種や同僚を蔑んだりしたことは一度もなく、手帳を持ってもいなかったし、同僚の告げ口や悪口を言いふらすこともなかった。原告は、当時、北村守衛ら数名の同僚から「原告と組んで仕事するのが一番良い。人間が素直で正直だ。」等と言われたことはあったが、直接、原告と組むのは嫌だと言われたことはなく、ただ、原告が余りに誠実である為息が抜けなくて嫌だという同僚がいる話は聞かされたが、これについても、当時の上司である大館守衛長からは、「原告はこれまでどおりのやり方で通せば良い。」との旨言われた。従って、原告が職場の人間関係を著しく阻害し、これが原告の責に帰すべき事由に基づくものであり、かつ、それゆえに業務に支障を及ぼした、ということは全くない。

<2> 原告は、被告において、出入口での監視・受付業務に従業中に、業務外の書きものをしたことはなく、また、居眠りをしたのは一回だけであり、恩師や知人が通りかかったとき挨拶傍々言葉をかわしたことはあるが、これらは、同僚においても間々あることで、原告は、同僚と同等以上に右監視・受付業務を遂行しており、現に、外来業者等からは原告のチェックが最も厳格であると言われた位である。それに、原告には応待時に時々人を眼鏡越に見る癖があるが、これも上司から注意され極力矯正に努めていたところがあり、また、私用電話については原告にも反省すべき点はあるが、守衛仲間で私用電話をしたことのない人間は一人もなく、原告だけを非難することはできない筈であり(この件では守衛全体が守衛長らから注意を受けたことがあったが、原告だけが特別に注意されたことはない)、原告が「長電話」であるとか「他部署からの連絡にしばしば支障を来たした」とかいうことはなかった。更に、原告が体育館受付業務中に離席したことがあったが、これは、第二体育館の戸締り等所定の業務の為であって、業務外の理由で離席したことはなく、その際にも、同席者に声を掛けて出たし、同席者が居ないときにそのまま右受付場所を離れるのは容認された慣行であった。なお、鍵の紛失については、原告の管理に手落ちがあったのは確かであり、この件で原告は謝罪文も提出したが、同種の事故は総務課に届けられないだけで守衛の間ではしばしば起こることであって、原告の場合にも大館守衛長から原告の為に嘆願書が出された。

<3> 原告は、被告において、内心他の職種へ転出することを希望していたが、原告が取得した教職資格を生かそうと考えるのは当然であって、右希望を持っていたから守衛職への専念意識が希薄であったとするのは、短絡的発想であり、原告の勤務振りからみれば、人一倍職務に励んでいたことが明らかである。なお、原告が、池田学生課長の下を訪れたのは、恩師である同課長に転職の希望を述べたのとともに、質問された学生の施設利用状況につき話をし、更に、依頼された応援歌の楽譜作成の件の話の為であり、いずれも、勤務時間外のことであった。

<4> 原告は、勤務態度等について、上司からの注意を受けたことは、右で触れた若干の場合の外は別段なく、従って、仮に多少の問題な点があったとしても、注意を受けたが改善の見込がない等とは到底いえない。

(3)(雇い止め(解雇)の無効)

被告は原告に対し、昭和五四年九月三〇日頃、同日をもって原告を雇い止め(解雇)する旨の意思表示、或いは、同年三月三一日頃、同日から六カ月間の猶予期間をおいて原告を雇い止め(解雇)する旨の意思表示、をした。

ところで、本件雇用契約は、右(1)のとおり、期限の定めのないものであり、たとえ、形式的には、臨時職員とされ期間が一年とされていようとも、その実質は定年まで雇用を継続する趣旨の契約であって、原告は、定年までの契約更新を期待しており、その期待には合理的理由があったから、本件雇用契約の期間経過による雇い止めは、実質的には解雇と変わりがなく、右雇い止めには解雇に関する法理が類推適用される。

そして、右各雇い止め(解雇)の意思表示は、次の<1>乃至<3>の理由で、権利の濫用であって、無効である。

<1> 被告が右雇い止め(解雇)の理由として挙げている原告の勤務態度の著しい不良というものは、右(2)のとおり、事実に反し、或いは、解雇事由にはならない些細な事実を誇張したもので、右雇い止め(解雇)は理由がないものであること。

<2> 被告は右各雇い止め(解雇)の際、原告の弁解を聴取しなかった等、判断の手続きが不適正であったこと。

<3> 右各雇い止め(解雇)による原告の生活に与える打撃が大きいこと。

(4) よって、被告の為した右各解雇(雇い止め)は、権利の濫用で無効であって、これによって本件雇用契約が終了することはない。

三  証拠

証拠関係は、一件記録中の書証・人証等目録記載のとおりであるから、それをここに引用する。

理由

一  本件雇用契約の締結等

請求原因(一)乃至(三)(本件雇用契約の締結、原告に対する就労拒絶、当時の原告の賃金額)については、請求原因(二)のうちの本件雇用契約終了原因として被告の主張する事由が「解雇」であるとの点、請求原因(三)のうちの賃金支払日の点、を除けば、いずれも、当事者間に争いがない。

二  本件雇用契約の期間の定め

そこで、本件雇用契約の期間の定め(被告の抗弁(一))について検討する。

1(一)  弁論の全趣旨並びに原本の存在及び成立に争いがない乙第一、二号証(被告の原告に対する採用辞令)、成立に争いがない同第五、六号証(但し、右第六号証は一、二)(被告の任用規定、臨時職員規定、嘱託職員規定)によれば、次の(1)、(2)の事実が認められる。

(1) 本件雇用契約については、被告から理事長名で原告に対し、昭和五三、五四年の各四月一日頃、各同日付の職員採用の辞令が交付され、原告は特段異議を述べずにこれを受領して爾後も就労したが、その辞令には、次の記載があったこと。

<1> 昭和五三年四月一日付辞令

学校法人大阪工業大学臨時職員(守衛)に採用する、雇用期間は一年とする、

<2> 昭和五四年四月一日付辞令

学校法人大阪工業大学臨時職員(守衛)に採用する、雇用期間は昭和五四年九月三〇日までとする、

(2) 右辞令の雇用期間の記載は、当時の被告の職員採用等に関する規定である任用規定・臨時職員規定で、臨時職員の雇用期間は一カ月以上一年以内とする旨、定められていたことに基づくものであったこと。

(二)  そうであれば、特段の事情のない限り、本件雇用契約には、右辞令記載のとおりの雇用期間の定めの合意があったものというべきである。

2  これに対し、原告は、本件雇用契約の右期間の定めは、単なる形式だけのもので、その合意は存在しなかった、とも主張するようであるが、後記三2(一)の(2)(6)(7)のとおり、原告・被告とも、当時本件雇用契約につき右期間の定めが存することを前提に、その更新を問題にした行動をとっていたことが明らかであり、他に右期間の定めについての合意の認定を覆すに足る主張立証はないから、右原告の主張は採用できない。

3  従って、本件雇用契約は、雇用期間を昭和五三年四月一日から一年間とする、との旨の期間の定めが付され、更に、その期間満了時頃に、雇用期間を昭和五四年四月一日から同年九月三〇日までとする、との旨の期間の定めを付して更新された、というべきである。

三  解雇の法理の類推適用の可否

1  次に、原告は、右雇用期間経過による雇い止めに解雇の法理が類推適用される根拠となる事由として、本件雇用契約は、毎年の更新が予定されていたもので実質的には期限の定めのない契約であり、少なくとも原告において右更新を期待するについての合理的理由があったことを、<1>守衛採用の際の被告人事課長の言辞が定年までの雇用継続を保証する内容であったこと、<2>守衛採用の紹介までに原告が被告から専任職員への就職を斡旋されて来たこと、<3>被告の守衛は専任職員を充てることを予定した職種であったこと、<4>原告は将来の保証のない臨時職員であれば当時の勤務先を退職してまで被告に就職すること等考えられない事情であったこと、等の事情を挙げて、主張する(抗弁に対する原告の主張(二))ので、この点につき検討する。

2(一)  右の<1>乃至<4>の諸点に関する事実としては、前記1(一)掲記の証拠及び証人吉田真宏(被告人事課長)の証言、原告本人尋問の結果(但し、後記採用しない部分を除く)、成立に争いがない乙第四号証(原告が被告に提出した履歴書)、弁論の全趣旨によれば、次の(1)乃至(7)の事実が認められる。

(1) 本件雇用契約成立の経過の概要は次のとおりであること。(但し、「昭和×年×月×日」は、「×・×・×」と略記する。)

52・11・14頃 原告は被告を訪問し、被告人事課長吉田真宏に対し、被告の高校教員等への就職の希望を申し出た。

53・1・29頃 原告は右人事課長に対し履歴書を提出し、被告職員採用予定が出た場合の紹介を依頼した。

53・2・20頃 原告は右人事課長から電話で、被告の機械実習工場の指導員(教員)採用の話を伝えられたが、消極的な回答をした。

53・2・28頃 原告は被告を訪問し、右人事課長から、53・4・1付で守衛一名54・4・1付で学生課午後勤務職員一名の各採用予定の話を聞かされ、右守衛への就職を希望した。

53・3・8 原告は被告の右守衛の採用試験(面接試験と身体検査)を受けた。

53・3・14頃 原告は被告の呼出を受けて右人事課長と面談し、被告は原告を雇用期間一年の臨時職員としての守衛になら採用する旨告げられて就職の意思を問われたが、同課長と二、三やりとり(その内容は双方の言分が大きく異なるところである)があった後、原告は同課長に対し、右臨時職員である守衛に就職する旨の返答をした。

53・3・27頃 原告はアルバイトとして被告の守衛に従事を始めた。

53・4・1頃 原告は被告の採用辞令(前記乙第一号証)を受領し、正式に被告の守衛に就職した。

(2) 右の経過のうち、昭和五三年三月一四日頃欄記載の人事課長と原告とのやりとりは、右人事課長が、他の職種への転換及び雇用期間経過後の更新の点についての原告の質問に答えて、一般論として、「守衛から他の職種へ換った者も居ること。雇用期間中の原告の勤務振りが良ければ期間経過後に契約を更新することもありうること。」との旨を話した、という限りのものであったこと。

(3) 右経緯の中で、原告が右人事課長から紹介された採用予定の被告職員は、いずれも雇用期間の定めのない正規の職員(被告においては専任職員と呼ぶ)であり、右守衛採用も右専任職員としての守衛の採用が予定されていたこと。

(4) 被告の守衛は、当時、原告以外はすべて専任職員であり、原告の後任として被告が採用した守衛も右専任職員としての守衛であったが、被告においては、当時の臨時職員規定(前記乙第六号証の一)に臨時職員としての守衛の記載もあり、守衛は右専任職員に限る訳ではなかったこと。

(5) 原告は、昭和五二年七月に約三〇年勤務した会社を退職して別の会社に再就職したということであるが、被告に対しては、右経過の中では、右履歴書(前記乙第四号証)には右退職後はずっと失業中とみられる記載をする等、当時別の会社で勤務している話は、全くしていなかったこと。これにつき、原告は、右再就職先は欠勤がちであったうえ小さい会社で単身赴任を強いられる等条件が悪かったので他へ就職するまでの一時的な勤務先と考えていた、と説明していること。

(6) 原告は、被告において、給料と雇用期間の点で専任職員とは異なる処遇を受けていたが、業務内容では専任職員としての守衛との違いはみられなかったこと。

(7) 本件雇用契約の昭和五四年四月以降の更新について、被告人事課長は、同年三月二六日頃、原告に対し、「同年三月末で雇用期間が切れるが、今すぐ辞めるという訳にもいかないだろうから、半年限りの更新をし、同年九月末までで辞めてもらう。その間に適職を捜すように。」との旨の話をしたところ、原告は、「何とか雇用継続してほしい。」との旨懇願したが、最初の約束と違う等の旨の話はしておらず、同年四月初めに右半年更新の辞令(前記乙第二号証)を受領したときには何も言わずにこれを受領したこと。そして、被告は、本件雇用契約については、同年九月三〇日限り終了という取扱をしたこと。

(二)  なお、原告は、右(一)(2)の認定事実に対し、被告人事課長は、右当日原告に対し、「早い時期に専任職員にする予定であること。たとえ、臨時職員であっても、悪いことをしたり辞職したりしない限り、六四才定年まで毎年更新を続けること。」の旨を述べて雇用継続を約束した事実があった、と主張し、これに副う原告本人尋問の結果も存する。

しかしながら、原告本人尋問の結果によっても、原告自身、本件雇用契約では雇用期間が一年とされていること、一年後に契約が更新されるか否かはその間の原告の勤務成績次第であること、との理解であったとみられ、また、前記吉田真宏の証言、弁論の全趣旨によれば、被告においては、守衛職員の採用及び雇用形態を決定する権限は理事長にあり、本件雇用契約についての被告理事長の最終決裁は辞令記載のとおりの内容であり、かつ右原告の就職意思確認の後に為されたとみられるから、人事課長としては、実務担当者であっても右辞令の内容と実質的に異なる内容を確定的な形で話すことはできないと考えられる。

従って、右原告主張事実については、これらの点に照らせば、前記(一)(2)の認定に反する原告本人尋問の結果は措信できず、他にこれを認めるに足る証拠はない、というべきである。

(三)  そこで、右(一)の認定事実に基づき、原告の主張する前記1の<1>乃至<4>の事情に関し、検討する。

(1) 右人事課長の言辞は、一般論としての本件雇用契約更新の可能性を述べたに過ぎないものというべきであって、右言辞を、原告に対し、臨時職員という雇用形態にかかわらず、毎年契約更新を続ける等により、実質的に期間の定めのないものとして取扱うことを約束する趣旨のもの、とみることはできない。

(2) また、原告が採用された被告守衛職については、確かに被告は当初期間の定めのない専任職員の採用を予定する等、原告勤務予定の守衛の職務自体の臨時性はみられないし、原告が当時被告人事課長から就職を紹介されたその外の職種はいずれも右専任職員を採用予定のものばかりであった、といえるが、そのような事情の下で、被告が、敢えて、臨時職員としての守衛として原告を採用したということは、期限の定めについて意味を持たせる趣旨であった、と考えられ、また、被告において、当時、臨時職員としての守衛も予定されていなかった訳ではないから、被告が専任職員の採用予定でいた等の右事情があったからといって、本件雇用契約における臨時職員としての期間の定めが単に形式だけのものに過ぎないとはいえない。

(3) 更に、原告の当時の事情からみても、本件雇用契約当時、他でどの程度勤務していたか必ずしも明らかではないが、少なくとも、将来雇用継続されるはっきりした保証がない限り被告には就職しなかったといえる程の安定した勤務先を持っていたとは、到底みられないから、原告が臨時職員という不安定な形では被告に就職することがありえないことを前提にした推論をすることはできない。

(四)  右(一)、(三)の認定・検討によれば、本件主張立証上、本件雇用契約が、当初原告・被告とも毎年の更新を予定したものであったとか、原告が右更新を期待するにつき合理的理由があったとか、いえるだけの事情は見当らず、この点に関する右原告の主張は、右のとおり、いずれの点をとっても、根拠とする事実を欠き、或いは、根拠とならない事実を前提とするもので、採用することができない。

3  従って、本件雇用契約の右雇用期間経過による終了の関係につき、これを雇い止めとして解雇の法理を類推適用する余地はない、というべきである。

四  結論

1  以上の検討結果によれば、本件雇用契約は、右雇用期間の経過により、昭和五四年九月三〇日限り、当然に終了した、ということができる。

そして、原告の被告における勤務成績等については、双方が主張立証を尽したところではあるが、いずれの主張のとおりであっても、本件の双方の主張上、右結論を左右するものとはならない。

2  よって、これ以上の検討をするまでもなく、原告の本訴請求は、いずれも理由がないことになるから、これを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判官 千徳輝夫)

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