大阪地方裁判所 昭和55年(ワ)5378号 判決 1985年9月27日
原告
河村善夫
河村直子
河村亮太
右両名法定代理人親権者
河村善夫
原告
松井由美
右法定代理人親権者
松井克義
松井クニ子
右原告四名訴訟代理人
海川道郎
被告
医療法人緒方会
右代表者理事
緒方脩作
被告
緒方脩作
右被告両名訴訟代理人
前川信夫
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは、各自、原告河村善夫に対し、三二五一万六二三六円及びこれに対する昭和五三年九月一三日から支払ずみまで年五分の割合による金員、同河村直子、同河村亮太及び同松井由美に対し、各二一一七万七四九〇円及びこれに対する昭和五三年九月一三日から支払ずみまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 当事者
(一) 原告河村善夫は、亡河村ヒロ子(昭和一八年三月一四日生。以下、「ヒロ子」という。)の夫であり、原告河村直子、同河村亮太、同松井由美は、それぞれ原告河村善夫とヒロ子との間の長女、長男、二女である(以下、原告の姓は省略する。)。
(二) 被告医療法人緒方会(以下、「被告緒方会」という。)は、大阪市淀川区十三元今里二丁目一〇番一一号において、緒方産婦人科医院を経営する医療法人であり、被告緒方脩作は、被告緒方会の代表者たる医師(以下、「被告医師」という。)である。
2 事実の経過
ヒロ子は、昭和五三年二月二四日、緒方産婦人科医院で被告医師の診察を受け、妊娠中であり同年九月一九日が出産予定日となる旨診断された。その後、同医院で定期検診を受けていたところ、同年九月一三日午前四時一〇分頃、陣痛が始まつたため右医院に入院し、陣痛促進剤の投与を受けたうえ、同日午後三時一三分、右医院分娩室において、被告医師の介助により第三子である原告由美を吸引分娩の方法を用いて分娩した(その際、多量の羊水を排出した)が、同日午後六時五〇分頃、同医院において死亡した(以下、これを「本件事故」という。)。右死亡の原因は、分娩の際に子宮峡部に生じた長さ八センチメートル、最大幅三センチメートル、深さ約〇・五センチメートルに及ぶ不全破裂の裂傷部からの大量出血に起因する失血ショックに基づく心臓衰弱である。すなわち、右不全破裂の創傷面には動脈の開口部がなかつたため、分娩後約一時間を経過した頃から、右裂傷部よりの出血が始まり、それが膣外に流出しないまま徐々に子宮腔内に貯留していつたところ、それより約一時間を経過した午後五時頃、これが飽和状態となつて膣外に大量に溢出するにいたつたものであつて、右大量出血が子宮弛緩によつて短時間の間に突発的に生じたような事実はなく、その事実を裏付けるような状況も存在しない。
3 被告らの責任
(一) 被告医師の責任
被告医師は、以下のとおりその過失によりヒロ子を死亡させたものであるから、民法七〇九条に基づき本件事故により生じた後記損害を賠償すべき義務がある。
(1) 産婦が分娩に際して子宮頸管等の裂傷に起因する出血によつて死亡するにいたるということはしばしば生ずる事態であるから、分娩を介助する医師としては、分娩後産婦の子宮内に出来ることのある頸管裂傷等の有無につき視診・触診等によつて十分観察するとともに、それを発見したときは、早急に必要な処置を講じ、もつて大事にいたることを未然に防止すべき注意義務があるのに、被告医師は右義務を怠り、ヒロ子の分娩の終了後、同女の子宮内の状態を十分観察しなかつた過失により、同女の子宮峡部に生じていた前記不全破裂を発見することができず、そのため必要な措置を講ずることが遅れて同女を失血死させたものである。
(2) さらに、視診・触診等によつても発見することの困難な裂傷が生じ、また、その出血が子宮腔内に貯留して容易に膣外に流出しないことがあり、特に、産婦に対して陳痛促進剤を多く投与し、若くは、吸引分娩を行い、又は、羊水を多量に排出したときには、しばしば頸管裂傷による出血や弛緩出血が発生することがあるのであるから、分娩を介助した医師としては、異常出血の可能性の高い分娩後二時間は、外出血を目で確認するだけでなく、血圧、脈搏を測定したり、顔色や顔貌、産婦との問答の際の受け答えの様子など全身状態を仔細に観察したりすることによつて、外出血又は本人からの訴がなくても子宮腔内に出血が生じていることを容易に認識することができる状態にある分娩室に産婦をとどめておいて医師等の十分な監視下に置くとともに、右のような子宮腔内に血液が貯留することがありうるところから、子宮内に貯留しているかもしれない血液を膣外に流出させるため産婦の腹部から子宮を強く圧迫して出血の有無を確認し、これを発見したときは、早急に必要な措置を講じて大量出血に至ることを未然に防止すべき注意義務があつたものというべきである。
しかるに、被告医師は、右注意義務を怠り、異常出血の危険は一応去つたものと速断して、分娩後約一時間でヒロ子を分娩室から病室に戻して医師等の十分な監視の行き届かない状態に置き、さらに、右病室に戻つてからも、膣外に自然に流出した血液を外部から確認したり、膣外への出血の際にのみ作動し子宮や膣内に血液が貯留している場合には全く作動しない出血報知器を装着するなどの方法で出血状態を監視しただけで、ヒロ子の腹部から子宮を強く圧迫する等の方法で子宮腔内の出血の有無を確認しようとしなかつた過失により、前記のとおり、子宮腔内に貯留した血液が飽和状態となつて膣外に大量に排出されるまで右出血を発見することができず、そのため、その時点ではすでに手遅れで適切な措置をとりえず、遂に同女を失血死させたものである。
(二) 被告緒方会の責任
(1) 被告医師は、被告緒方会の業務である医療業務を行うについて、右のごとき過失により本件事故を発生させたものであるから、被告緒方会もまた、これによつて生じた後記損害を賠償すべき義務を負うものである。
(2) ヒロ子は、昭和五三年九月一三日緒方産婦人科医院に出産のため入院した際、被告緒方会との間で、胎児の分娩及びそれに伴う前後の必要な診療行為を受けることを内容とする診療契約を締結した。
前記2及び3(一)の事実からすれば、本件事故は、被告緒方会が右診療契約上の同被告の債務を、その本旨に従い善良な管理者の注意をもつて履行しなかつたことによつて発生したものというべきであるから、同被告は、右事故によつて生じた後記損害につき、債務不履行責任としてこれを賠償すべき義務を負うものである。
4 損害
(一) ヒロ子の損害
(1) 給与所得分 五五九〇万二四一九円
ヒロ子は、死亡当時三五歳の健康な女子で、大阪府高槻市立富田第二保育所に保母として勤務し副所長の地位にあつたものであるが、死亡する直前の昭和五二年一〇月から一年間の収入は、三九八万〇六〇八円である。同女は地方公務員であつて、退職時までの賃金上昇が具体的金額で確実に把握でき、かつ、本件事故で死亡しなければ通常退職勧奨を受けて退職する満五八歳まで勤務することが可能であつたから、その生活費を収入の三分の一としたうえ、年別ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して、ヒロ子の死亡による逸失利益のうち給与所得分を死亡時の現価に引き直して求めると、別紙のとおり、その総額は、五五九〇万二四一九円となる。
(2) 退職金分 一一一一万〇四八八円
ヒロ子が前記のとおり満五八歳まで勤務していた場合には、地方公務員等共済組合法の規定により、退職金として三四二二万八七〇〇円の支給を受けることができたはずであるが、これから年別ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して(その係数〇・四六五一)死亡時における右退職金の現価を求めると、一五九一万九七六八円となる。ところで、ヒロ子の死亡に伴い、退職金としてすでに四八〇万九二八〇円が支給されているので、右現価からこれを控除した一一一一万〇四八八円が、本件事故によるヒロ子の逸失利益の退職金分の額である。
(3) 年金分 一三三三万五八〇二円
ヒロ子が本件事故で死亡しなければ、前記退職時以後は、右共済組合法の規定により、毎年二六四万四一〇四円宛の年金の支給を、五八歳女子の平均余命である二〇・九二年間受けることができたはずであるが、生活費をその三分の一としたうえ、年別のホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して死亡時の現価を求めると、一三三三万五八〇二円となる。
(4) 慰藉料 一〇〇〇万円
本件の一切の事情を考慮すれば、ヒロ子の死亡による精神的苦痛を慰藉するに足りる慰藉料の額は、一〇〇〇万円が相当である。
ヒロ子の被つた以上の(1)ないし(4)の損害の合計額は九〇三四万八七〇九円となるところ、同女の死亡により、それぞれその法定相続分に従い、原告善夫は三分の一に相当する三〇一一万六二三六円、その余の原告らはいずれも九分の二に相当する二〇〇七万七四九〇円の各損害賠償請求権を相続によつて承継した。
(二) 原告善夫の損害
(1) 葬祭費 七〇万円
原告善夫は、妻ヒロ子の死亡により、同女の葬祭費として七〇万円を下らない金額を支出した。
(2) 弁護士費用 一七〇万円
原告善夫は、本訴の提起及び追行を原告訴訟代理人弁護士海川道郎に委任し、その費用として、原告善夫において一七〇万円を支払うことを約した。
(三) その余の原告らの損害
弁護士費用 各一一〇万円
その余の原告らは、右(二)(2)と同趣旨の弁護士費用として、各一一〇万円を支払うことを約した。
よつて、被告緒方会に対しては、不法行為又は債務不履行に基づき、被告医師に対しては、不法行為に基づき、原告善夫は、右(一)及び(二)の合計額三二五一万六二三六円及びこれに対する本件事故の日である昭和五三年九月一三日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、その余の原告らはいずれも、右(一)及び(三)の合計額二一一七万七四九〇円及びこれに対する右昭和五三年九月一三日から支払ずみまで右同率の遅延損害金の支払を、それぞれ求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実は認める。
2 同2の事実のうち、ヒロ子の死亡原因を除くその余の事実は認める。右死亡原因については、分娩の際にその主張のような不全破裂が生じたことは認めるが(ただし裂傷の最大幅が三センチメートルというのは、解剖時ホルマリン液に漬けた際の寸法であつて、分娩時にそのような幅の裂傷であつたというわけではない)。その余の点は否認する。ヒロ子の死亡原因となつた大量出血は、右子宮峡部不全破裂自体に起因するものではなく、分娩後約二時間を経過した時点で突然に起こつた子宮弛緩によるものである。すなわち、右不全破裂は、動脈切断を伴うものでなかつたため、子宮筋の自然の収縮によつてまもなく閉塞し、そこからの出血もすぐに止まつたものであつて、このことは、分娩時の出血量が三〇〇cc(ほぼ正常値)にすぎなかつたことや、分娩後約一時間を経過した時点で被告医師がヒロ子の子宮収縮状態などを調べた際に子宮からの出血はなく、また子宮の収縮状態も良好であつたことなどからも明らかである。この点につき、原告らは、右不全破裂部位からの出血が、時間の経過とともに徐々に子宮腔内に貯留し、それが飽和状態に達したため、分娩後約二時間を経過した時に体外に溢出したものである旨主張するが、仮にそのように分娩直後から不全破裂部位により出血が持続していたのであれば、少なくとも、分娩後約一時間を経過してヒロ子を病室に移した時点では相当量の血液が子宮内に貯留し、子宮も拡張していたはずであるが、被告医師がその時点で二度にわたつて子宮底を圧迫した際にも子宮底の収縮状態は良好であり、血液の体外への流出もなかつたこと、また、長時間にわたつて出血が継続し、それが相当の量に達していたのであれば、ヒロ子の血圧や脈搏に異常が表われ、一般状態も悪化していたはずであるが、病室に戻つた時点での血圧は最高一一〇最低七二、脈搏七八で全く正常であり、しかも、その後同女は食事をし、出血直前まで看護婦と雑談をするなど一般状態もきわめて良好であつて何ら異常はなかつたこと、などから考えれば、原告ら主張のような状態で出血が続き、これが大量に子宮腔内に貯留していたというがごときことはありえないというべきである。
3 同3(一)(1)の事実中、被告医師がヒロ子の分娩終了後、その子宮内の状態を十分観察しなかつたとの事実は否認する。被告医師は、触診(右手を腹壁上から子宮底に当てて下方に圧迫し、左手の示指と中指を子宮腔内に挿入して子宮底をさぐり、胎盤・卵膜残留の有無、裂傷の有無等を調べる診察方法)、次いで視診(膣口に翼状鉤を上下に掛けて膣口を露出し、子宮口に無鉤鉗子を五か所ほどかけて子宮口を伸展し、裂傷や異常出血の有無を肉眼で確認する診察方法)によつて子宮内の状態を丹念に観察したものである。
ヒロ子の死亡原因である大量出血が、子宮峡部不全破裂自体によるものでないことは前記のとおりであるから、仮にその発見が遅れたからといつて、そのためにヒロ子が死亡するにいたつたものということはできない。のみならず、被告医師は、右のとおり触診・視診によつて子宮内の状態を丹念に観察したものであるが、それにもかかわらず、右子宮峡部不全破裂がその位置(内子宮口のさらに奥)・形状から、視診・触診によつて発見することが極めて困難なものであつたため、これを発見するにいたらなかつたものであるから、その点について被告医師には何らの過失もないというべきである。
4 同3(一)(2)の事実中、分娩後約一時間を経過した時に被告医師がヒロ子を分娩室から病室に戻し、ヒロ子に出血報知器を装着したことは認めるが、ヒロ子の腹部から子宮を強く圧迫する等の方法で子宮腔内の出血の有無を確認しなかつたとの事実は否認する。被告医師は、ヒロ子を分娩室から病室に移すに際して、前記のとおり、子宮の収縮状態を確認するため、二度にわたつてヒロ子の腹壁の上から手で子宮底を圧迫したものである。したがつて、仮に子宮腔内に出血が貯留していたのであれば、そのときにこれが外部へ流出していたはずであるが、実際には何らそのような異常は認められなかつたのである。
しかして、ヒロ子の死亡原因である大量出血が分娩後約二時間を経過した時に突如生じた子宮弛緩によるものであることは前記のとおりであるから、被告医師が分娩後二時間を待たず、一時間を経過した時にヒロ子を分娩室から病室へ移したこととヒロ子の死亡との間にはなんらの因果関係も存在しないし、また、そのような処置をしたことが被告医師の過失になるものでもない。
一般に、分娩を終了した産婦を分娩後二時間は分娩室に置くべきものとされているのは、異常の生じ易いその時期を通じて、産婦の分娩後の子宮出血状態や子宮収縮状態を医師の監視下に置いておくことが適当とされていることによるものというべきところ、通常、大病院においては、産婦を分娩室から病室に移せば、医師や看護婦による産婦の子宮出血状態に対する監視が行き届かなくなる虞があるところから、そのような病院で分娩した産婦については、分娩後二時間は産婦を分娩室に置いておかなければならないということになるであろうが、緒方産婦人科医院のごとき小規模な開業医にあつては、病室と看護婦詰所とは近接し、また、その看護婦詰所には酸素吸入器具を含めて救急の措置に必要な一切の器具や薬剤が常備されているので、産婦が分娩室に置かれている場合と少しも変わらない監視が可能であり、緊急時にも分娩室におけると全く同様の救急処置を施すことができるのであるから、分娩後二時間の産婦に対する監視を、必ず分娩室においてしなければならないという理由もなかつたのである。しかも、ヒロ子を病室に戻す際には、現に被告医師も病室まで付き添つて移動し、二度にわたつて子宮底を圧迫してその収縮状態を確認し、自ら同女の出血状態等を観察し、その後もベテランの看護婦によつてヒロ子の出血状態、全身状態を監視させていたのであるから、被告医師がヒロ子の分娩後約一時間で同女を分娩室から病室へ戻したことについては、全く過失はないというべきである。
5 請求原因3(二)(1)・(2)の各事実中、本件事故が被告緒方会の業務の執行につき発生したものであること、ヒロ子と被告緒方会との間に、原告主張のような診療契約が締結されたことは認める。
6 請求原因4の事実は知らない。
第三 証拠<省略>
理由
一請求原因1の事実(当事者)及び2の事実(事実の経過)のうちヒロ子の死亡原因を除くその余の事実については、当事者間に争いがない。
二そこで、まずヒロ子の死亡原因について検討することとする。
1 本件事故の発生にいたる経過について
<証拠>を総合すると、次の事実が認められ、この認定事実を左右するに足りる証拠はない。
(一) ヒロ子は、特段の異常も認められないまま妊娠期間を過ごした後、陣痛を感じ始めたため、出産予定日の六日前である昭和五三年九月一三日午前四時一〇分頃緒方産婦人科医院に入院した。同日正午頃子宮口が三横指開大し、陣痛が一五分毎に規則的に生ずるようになつたが、それがやや微弱であつたので、被告医師は、プロスタルモンE(子宮頸管熟化剤、陣痛発来剤)を一時間おきに投与することとして、その時点で同女を病室から分娩室に移した。午後二時頃、子宮口は四横指開大し、子宮は熟化しているもののなお陣痛が弱かつたため、同女の腕部から、五パーセントのブドウ糖液五〇〇ccに、パルトシン(子宮収縮剤)、プロスタルモンF(子宮頸管熟化剤)、トランサミン(止血剤)、ビタカン(強心剤)、ビタミンB1・Cを加えて、点滴によつて静脈注射を始めた。午後二時五〇分頃、子宮口が全開(五横指開大)したため、導尿、排便等の処置をしたうえ、被告医師、助産婦藤原、看護婦武部、同上奈路の四名が分娩に立会う態勢を整えたところ、同三時頃、排臨状態(子供の頭の先端が外側から見える状態)となつたが、児心音が乱れ始め、ヒロ子からも娩出を早めてほしい旨の要望があつたので、被告医師は吸引分娩を行うこととし、吸引器によつて約五〇ミリグラムの圧力で二、三回吸引したところ、三時一三分ヒロ子は原告由美を娩出した。
(二) ヒロ子は胎児娩出後三時一七分に胎盤を排出したが、その際、被告医師は、自己の経験に照らして、排出された羊水の量が通常よりやや多いと感じたものの、出血は暗褐色(静脈血)で目測したところ三〇〇cc前後であり、通常の場合と比べて特に異常と認められるものはなかつた。そこで、被告医師は、分娩後の通常の処置として、ヒロ子の血圧、脈搏・呼吸数を調べ、顔色、顔貌などの一般状態を観察しながら、継続中の点滴の注射液にメテルギン(子宮収縮剤)を加え、さらに、子宮の収縮を促進するために、氷罨法で子宮を冷やし、子宮マッサージを施したが、これらの処置により同女の子宮は順調に収縮を始めた。続いて、被告医師は、これまた通例の措置として、右手で同女の腹部から子宮底を強く押え、左手の示指と中指を子宮口(すでにかなり収縮していたため指二本程度しか入らなくなつていた。)から子宮腔内に挿入し、子宮腔内の卵膜の遺残の有無や裂傷の有無を触診によつて調べたが、裂傷や組織欠損を触知するにはいたらなかつた。その後、ジモン(膣開口器具)の翼状鉤を上下にかけて膣部を開口し、さらにペアン鉗子を四、五か所に掛けて子宮口を伸展させて子宮腔内部を視診し、しばらくそのままの状態で子宮の収縮状態と出血状態の観察を続けたが、子宮頸管の裂傷の存在や異常な出血は認められなかつたので、これらの器具をはずすとともに、会陰裂傷を縫合し、内部をガーゼで消拭したうえ、ガーゼを膣部に入れて出血を膣外の膿盆と計量器に誘導するように装置し、胎盤排出後の出血量の測定を開始した。そのようにして測定された出血量(病室に戻るまでの分)は四〇ないし五〇ccであつて、通常の分娩の場合とほとんど変わるところはなかつた。なお、その間、前記点滴による静脈注射は継続されており、血圧も一〇分ないし一五分に一回程度測定されていたが、特に異常な測定値が認められるようなこともなかつた。
(三) 以上のように、分娩後のヒロ子の子宮の収縮状態は良好で、特に異常と認められるような量の出血もなく、血圧、脈搏、一般状態もすべて良好であつたので、被告医師は、分娩後約一時間を経過した頃、ヒロ子を分娩室から病室に戻してもよいと判断し、再度同女の膣部を翼状鉤で開いて子宮腔内を清拭し、出血状態を調べて異常のないことを確認したうえ、武部看護婦にその旨指示し、家族にも無事出産を終えた旨連絡させた。
かくして、同日午後四時一五分頃、被告医師は、前記看護婦二名及び助産婦とともに、ヒロ子を二階の分娩室から三階の病室へ戻したが(そのころ分娩室から病室に戻したことについては当事者間に争いがない。)、その直後にヒロ子の血圧を測定したところ、最高一一〇最低七二であり、脈搏も一分間七八であつて、いずれも正常値を示していた。そこで、被告医師は、膣外部のパットをはずして出血状態をみるとともに、腹壁の上から手で子宮底を押えて子宮の収縮状態を調べ、異常な出血がないこと及び子宮が順調に収縮していることを確認したうえ、子宮底の上の部分にこぶが当たるようにして腹壁を腹帯で締め、同時に、羊水の量がやや多かつたことも考慮して、液体が触れるとブザーが鳴るように作られた出血報知器を膣外部に当てたパットの上に丁字帯で装着した。さらに、その後もしばらくの間、ヒロ子と雑談しながら、顔色、顔貌、対話の際の応答の仕方などによりその一般状態を観察していたが、何らの異常も認められなかつたので、同女に食事をとらせることとし、その前にいま一度、同女の子宮底を手で圧迫して子宮の収縮状態を観察し、武部看護婦に悪露交換をさせて出血状態を見、いずれも異常がないことを確認したうえ、ヒロ子が食事をとり始めた頃合を見計らつて、午後四時四〇分頃、右病室から出て四階の自室に戻つた。
(四) ヒロ子は体を横にしたまま食事をとり、多少残しながらも一応食事を終えたが、その直後、武部看護婦は、体を横にした際に子宮や膣の中に貯留している血液が外に出ることもありうると考えたことから、ヒロ子の丁字帯をあけて出血の有無を見、さらに、腹壁の上から子宮底に触れてその状態を調べ、腹部から子宮底を冷やしている氷の溶け具合や腹帯の締まり具合等を確かめ、いずれも異常がないことを認めた後、引き続き同女と雑談を交わしながら脈搏数を測つたり顔色を見たりしてその一般状態を観察していた。その間、同看護婦は、時折、病室と廊下を隔ててすぐ向かいにある看護婦詰所との間を往復して食事の後片付けやカルテの整理をしたりしていたが、たまたま、ヒロ子の局部の清毒をするため看護婦詰所に戻つていた際、午後五時頃、ヒロ子の膣外部に当てたパットに装置していた前記出血報知器が鳴り始めた。
(五) これを聞いた武部看護婦が、直ちに病室に赴いたところ、ヒロ子の顔面は蒼白となり、前を開くと大量に出血していたので、わずかの間の事態の急変に驚き、とつさに室内電話で被告医師を呼び出したが、同被告がすぐに右病室にかけつけた時には、既にベットに染み透るほど大量に(その量は正確には分からない)出血し、さらに、腹壁の上から子宮底を圧迫したところ、なおも大量の凝血が膣口から排出され、その上、顔面蒼白で意識を失い、呼吸もほとんどなく、いわゆるショック状態を呈していた。これをみた同被告は、自己の知識経験に照らして弛緩出血ではないかと判断し、右手を腹壁の上から子宮部分に当て、左手を膣内に挿入して両方から挾むようにして子宮の状態を調べてみたところ、それまで順調に収縮して固くなつてきていた子宮が緩んで柔らかくなつてしまつていた。そこで、同被告は、弛緩した子宮を再び収縮させるため、直ちに子宮頸をつかんで子宮をもむ措置(子宮マッサージ)を開始し、継続中の点滴のほかに、看護婦に対し、テラプチク一本(呼吸促進剤、強心剤)、オルガドロン一本(抗ショック剤)、ビタカン五本(強心剤)、アンナカ三本(強心剤)、ケフロジン一本(抗炎症剤)、トランサミン一本(止血剤)、ロメダ二本(止血剤)、カチーフ一本(止血剤)、メテルギン三本(子宮収縮剤)、アトムラチン三本(呼吸促進剤)等の注射を指示して行わせた。それと同時に、武部看護婦に命じて、従来から何度も被告緒方会の依頼を受けて通常三〇分ないし四〇分で供血者を伴つて来院していた供血斡旋業者富士輸血協会に連絡させ、ヒロ子と同じ血液型のAB型又はO型の血液を一〇〇〇cc以上至急供給するように依頼させるとともに、警察に対しても、供血者輸送のためにパトカーの出勤をみずから要請しその了承を得た。さらに、被告医師は、ショック状態にあるヒロ子の舌を舌鉗子でつまんで気道を確保した上、人工呼吸を施しながら酸素吸入をし、加えて心臓マッサージも行つた。また、その間、近隣の木内医師にも応援を求めてその来援を得たが、搬送用パトカーの出動に手間取つたり、途中の高速道路が渋滞したりしたため、富士輸血協会からの供血者の到着が大幅に遅れ、午後六時すぎになつてようやく三名の供血者がパトカーで到着し、次いで五名がタクシーで到着した。そこで、被告医師らは、供血者の到着と同時に直ちに輸血の準備にとりかかり、そのうち七名の供血者からそれぞれ三〇〇ccずつ採血して、その大半を点滴の側管、手・足・股の各静脈から輸血したが、結局、ヒロ子は、同日午後六時五〇分、ショック状態が回復しないまま前記のとおり死亡するにいたつた。
(六) なお、ヒロ子の遺体は、夫である原告善夫の希望により、翌九月一四日大阪医科大学病理学教室において、中田勝次教授の執刀により病理解剖されたが、その解剖結果によれば遺体から摘出された子宮は、全長二三センチメートル、幅一四センチメートル、高さ五センチメートルであり、頸部後壁のやや左方寄りの子宮峡部に長さ八センチメートル、深さ〇・五センチメートル、幅最大三センチメートルの裂傷(不全破裂)があり、静脈が裂傷面に開口していたが、動脈の切り口は認められなかつた。さらに、頸部前壁には、長さ三センチメートル、粘膜の厚さ程度の深さの裂傷があり、凝血が少量付着していた。その他、子宮体部の底に近いところに胎盤付着部(一一センチメートル×九センチメートル)があり、前壁に少量の暗赤色の凝血が付着していたが、右解剖結果からは子宮弛緩が生じていたことを窺わせるようなものは見当らなかつた。
2 ヒロ子の大量出血の原因について
(一) 弛緩出血と頸管裂傷による出血
<証拠>によれば、一般的な医学上の知見として、次のような事実が認められる。
(イ) 一般に、分娩に際しての産婦の死亡原因としては出血が最も多く、その出血の原因としては、子宮の弛緩、子宮破裂、頸管裂傷などがあげられ、このうち最も多くみられるのは弛緩出血による死亡例であるとされている。
(ロ) 産婦が胎児を分娩し、胎盤が剥離すると、その直後に子宮筋に強い収縮及び退縮が起こり、その結果、子宮内の断裂血管や静脈洞が圧迫閉鎖され、多量の出血をみることなく分娩が終了するのが通常の経過であるが、右子宮筋の収縮が何らかの理由によつて不全となる(子宮弛緩症)と、断裂した血管や静脈洞が圧迫閉鎖されず、そのために強出血を生ずることになる。これがいわゆる弛緩出血であつて、虚弱体質、栄養失調などの全身的疾患、分娩遷延による衰弱、遺伝的素因などの全身的原因、羊水過多、巨大児などによる子宮筋の過度伸展、鉗子などによる急速分娩、不適切な陣痛促進剤の濫用その他の局所的原因によるものとされている。
(ハ) これに対し、頸管裂傷は、子宮膣部から頸管にわたつておこる損傷であるが、分娩の際には、ほとんど常に頸管に軽度の損傷が生ずることは避けがたいところであるが、稀に頸管裂傷のために大出血をきたすこともありうる。
(ニ) ところで、弛緩出血の一般的特徴は、胎盤娩出から一定時間経過後に発作的に大量出血することであり、その血液は、静脈血成分を多く含み、いつたん子宮腔に貯留してから流出するため、凝血で暗赤色である。また、出血時の子宮の状態はきわめて柔軟で、子宮底の確認が困難なことが多く、産婦の全身症状はショック状態(脱力、あくび、悪心、嘘吐、浅表頻数な呼吸、頻脈、血圧下降、不安、苦悶、意識混濁、顔面蒼白、チアノーゼ、冷感、冷汗など)を呈することが多い。これに対し、頸管裂傷出血は、分娩直後から、子宮腔内に貯留することなく、持続的、流動的に流出することが多く、血液の色も鮮紅色である。また、出血時、子宮の収縮状態も良好で、硬く触知されるにかかわらず、なお出血が止まらないことが多い。
(二) 本件におけるヒロ子の出血原因
(イ) 原告らは、ヒロ子にみられた本件大量出血が、右子宮峡部不全破裂による出血が一定時間持続し、これが子宮腔内に貯留した後、腟外に大量に流出するという経過をたどつたものであると主張するので、検討する。
ヒロ子の遺体を解剖した結果、その子宮の頸部後壁のやや左寄りの子宮峡部に長さ八センチメートル、深さ〇・五センチメートル、幅(最大)三センチメートルの裂傷(正確には不全破裂)があり、動脈の切り口はなかつたものの、静脈が裂傷面に開口していたことは前記認定のとおりであり、また、前記のとおり、頸管裂傷(子宮峡部不全破裂よりもその程度が軽い)による出血は、通常、分娩直後から、子宮腔内に貯留することなく、持続的、流動的に流出するものではあるが、鑑定人野田洋一の鑑定の結果及び証人野田洋一の証言によれば、子宮峡部不全破裂の場合においても、裂傷の状況によつては、分娩直後に大量の出血がなく、後刻にその裂傷部から大量の出血が生じうる可能性を全く否定することができないことが認められ、かつ、証人中田勝次の証言中には、本件ヒロ子の大量出血の主な出血源は右子宮峡部不全破裂であると考えられる旨の供述部分が存在するのであつて、これらの諸点からすれば、本件大量出血の経過は、右原告主張のとおりであるかのごとくみえないわけではない。
しかしながら、右裂傷からの出血がいつたん子宮腔内に貯留し、その後これが飽和状態に達して一時に外部へ溢出するにいたつたものであることを窺わせるような状況は本件証拠上全く見当らないばかりでなく、右証人中田勝次の供述も、本件大量出血が子宮峡部の不全破裂のみによつて単独に生じたものとする趣旨のものとは解することができない。さらに、本件出血が、通常の場合における頸管裂傷による出血の経過とは異なつた経過をたどつた例外的事例であつたことを推認させるような事情も何ら存在しないのである。すなわち、前記認定事実を前提として考えれば、ヒロ子を死にいたらせた大量出血が、午後三時一三分の分娩直後から徐々に生じたものであり、それが子宮腔内に貯留し続けたというのであれば、少なくとも分娩後一時間は監視及び経過観察をした分娩室において何らかの徴候がみられたはずであり、そうであれば、本件監視及び経過観察の方法等にかんがみ、必ず異常出血を発見することができたはずである。また、午後四時一五分頃病室に戻つた後にも、さらには、午後四時四〇分頃被告医師が退室して武部看護婦のみが経過を観察していた時でも、膣外への排出、血圧・脈搏その他一般状態の悪化等により、出血に伴う何らかの異常な徴候が表われたはずであり、そうであればこれが被告医師らに看取される機会は十分にあつたはずであるといわなければならない。しかるに、前記認定事実によれば、ヒロ子には分娩室ではもとより、病室に戻つてからも性器からの出血状態、血圧、脈搏その他の一般状態において異常出血を疑わせるに足りる徴候は全く認められていないのである。特に、病室に戻つてからは、被告医師が、前後二回にわたり腹壁の上から子宮底を圧迫して子宮の収縮状態を調べ、一般状態も観察し、さらに、同医師退室後の午後四時四〇分以降も、武部看護婦がヒロ子の一般状態を観察し、出血状態を調べたが、いずれも異常を認めなかつたのに、そのわずかの後である午後五時頃に出血報知器が鳴り、武部看護婦や被告医師がかけつけた時には、ヒロ子はすでに大量に出血し、ショック状態に陥つていたというのであるから、この出血が、分娩直後から継続して子宮腔内に貯留し、それが飽和状態になつて溢出したものとみるのはきわめて不自然といわなければならない。したがつて、本件大量出血の経過が前記原告主張のとおりであつたことは、これを認めるに十分な証拠がないというべきである。
(ロ) のみならず、前記認定の本件事故の発生にいたる経過及び鑑定人野田洋一の鑑定の結果によれば、ヒロ子が病室に戻つた後、それも出血報知器の鳴つた時点に近接した時から、比較的短時間の間に大量の出血を生じたものと推認するのが合理的であり、したがつて、本件ヒロ子の出血は、胎盤の娩出から二時間近くを経過した後に突発的に生じた大量出血であつて、前記認定の医学上の知見からすれば、子宮弛緩による出血の可能性が濃厚であることが窺われるところ、右出血直後のヒロ子の子宮が緩んで柔らかくなつてしまつていたこと、腹壁の上から子宮底を圧迫した際、なおも大量の凝血が膣口から排出されたこと、ヒロ子の顔面は蒼白で意識を失い、呼吸もほとんどしていない状態で、その全身状態はいわゆるショック状態を呈していたことはいずれも前記認定のとおりであるから、右知見によれば、本件出血は、子宮弛緩による大量出血である可能性がきわめて高いものといわざるをえず、前記認定のごとくヒロ子の解剖所見に子宮弛緩症の痕跡のごときものが存在しなかつたからといつて、そのような機能的病変の痕跡が必ず解剖所見にあらわれるものとはいえない以上、右の判断が左右されるものではないといわなければならない。もつとも、ヒロ子の子宮峡部に前記のように大きな不全破裂が生じていたことから考えれば、分娩直後の子宮の順調な収縮によつていつたんは出血が止まつていたものの、分娩後二時間近くを経過した時点で突然生じた子宮弛緩のため、再び右不全破裂部分から出血が始まり、それが大量出血を生ずる原因のひとつとなつた可能性を否定することはできないけれども、右不全破裂の存在にかかわらず、分娩後約二時間近くの間、何ら異常な出血状態が認められなかつた前記認定のごとき経過からすれば、右子宮弛緩が生じない限り、本件のごとき大量出血の発生をみるにはいたらなかつたものと推認するのが相当であるというべきである。
三以上の事実を前提として、次に被告らの責任について検討することとする。
1 被告医師の責任
(一) 分娩に際して産婦に発生する異常な事態、なかんずく死亡にいたるような事故の原因として最大のものが出血であることは前記認定のとおりであるから、分娩を介助する医師としては、分娩後の産婦の出血状態につき十分に監視し、特に出血の原因となる頸管裂傷については視診・触診等によつてこれを発見することに努め、これを発見したときは、直ちに縫合手術その他適切な方法によつて止血の処置をとり、産婦の死亡事故を未然に防止すべき注意義務があるといわなければならない。特に、産婦に対し陣痛促進剤を多く投与し若しくは吸引分娩を行い、又は産婦の羊水が過多の場合には、出血の発生する頻度が通常の分娩の場合よりも高く、しかもヒロ子に対して右のような処置がとられ、同女の羊水が通常の産婦よりやや多かつたことは前記認定のとおりであるから、被告医師としては、一層慎重に右のように産婦の出血状態やその原因となる裂傷等について監視すべき義務があつたというべきである。
しかるところ、被告医師がヒロ子の分娩に際してその一般状態を観察し、子宮膣内の卵膜の遺残や裂傷の有無を触診して調べ、さらに子宮腔内を視診して子宮の収縮状態と出血状態を観察したことは前記二1の(二)において詳細に認定したとおりである。もつとも、それにもかかわらず、被告医師が裂傷の存在や異常な出血状態を認めなかつたこともまた前記認定のとおりであつて、その点からすると、右観察や触診・視診の方法が慎重を欠いたずさんなものであつたかのごとくであるけれども、鑑定人野田洋一の鑑定の結果及び証人野田洋一の証言によれば、ヒロ子の子宮に生じていた前記不全破裂は、子宮体部に近い子宮峡部に存在し、それも発見しにくい形状のものであつたことが認められるとともに、その破裂部位に静脈の切り口は認められたが、動脈のそれは認められなかつたことも前記のとおりであるから、これを触診・視診によつて発見することはきわめて困難な状態にあつたものといわなければならず、したがつて、それを発見することができなかつたからといつて、被告医師のとつた措置が慎重を欠くずさんなものであつたとすることはできないのであつて、被告医師のとつた前記一連の行為は、分娩を介助する医師のとるべき措置として必要かつ相当なものであり、前記注意義務に違反するものではないといわなければならない。したがつて、被告医師がヒロ子の子宮峡部の不全破裂を発見することができなかつたことについて同被告に過失ありとすることはできない。
(二) <証拠>によれば、分娩に際しての産婦の大量出血は、経験上、分娩後ほぼ二時間以内に発生することが多いところから、そのような出血に備えて、分娩後二時間は、出血状態の確認が容易でありまた出血時の処置に好都合な設備も整つている分娩室に産婦を留めておき、その出血状態、全身状態等を入念に監視観察するのが医学上妥当な措置とされており、そのことは、本件事故発生当時においても、分娩を介助する医師のとるべき措置として一般的に知られていたことが認められるところ、分娩に際しての産婦の死亡原因としては、出血が最も多く、その出血の原因としては子宮弛緩が一番多いこと、子宮弛緩による出血が分娩後一定時間経過後に突発的に大量に出血することを一般的特徴としていること、さらに、ヒロ子に陣痛促進剤の投与、吸引分娩、羊水過多等の出血原因となるうる要因が存在したことはいずれも前記認定のとおりであるから、分娩室でのヒロ子の分娩を介助した被告医師としては、医学上妥当とされる右措置に従つてヒロ子を分娩後二時間は分娩室に留め、少なくとも分娩室に匹敵するような状況の下においてヒロ子の出血状態、全身状態等を入念に監視観察するとともに、出血を発見したときは、直ちに適切な措置を講ずべき注意義務があつたといわなければならない。
しかるに、被告医師が分娩後約一時間を経過した時にヒロ子を分娩室から病室に戻したことは当事者間に争いのないところであつて、この事実からすれば、被告医師において右注意義務に違背した過失があるものといわざるをえないかのごとくである。しかしながら、前記認定のとおり、被告医師は、ヒロ子を病室に戻すに際して自らもそれに付き添つて病室に赴き、同室に約二〇分ないし三〇分程度とどまつて、その間、二度にわたつて子宮底を圧迫して子宮の収縮状態を確認する等の措置をとつているほか、退室の際には、看護婦歴二〇年のベテラン看護婦である前記武部に付き添つて経過を観察するように指示し、武部もほとんど病室を離れないでヒロ子の出血状態、全身状態等を監視観察しているのであり、しかも、分娩後ヒロ子の容態が順調に経過しているようにみられ、午後五時頃の突然の大量出血まで格別の異常が認められなかつた事情にかんがみれば、それらの措置や監視観察の方法・程度が特に適切を欠くものと認めることもできないから、分娩後一時間でヒロ子を病室に移したことにより産婦への監視を切り上げたわけでないことは勿論であつて、むしろ当該状況に応じて適切に監視義務を遂行していたものといわなければならない。さらに、前記認定のとおり、被告医師はヒロ子に出血報知器を装着し、それが鳴り始めるのを聞いた武部看護婦が、直ちに病室にかけつけるとともに、ヒロ子の出血状態を発見するや、すぐに室内電話で自室にいた被告医師に連絡し同被告も即刻病室にかけつけているのであり、また、証人武部一子の証言及び被告緒方脩作本人尋問の結果(第二回)によれば、右病室には、応急措置に必要な設備は存在しないものの、本件病室と廊下一つを隔てた向かい側には看護婦詰所があり、その詰所には産婦が出血した場合の処置に必要な薬剤や酸素吸入器その他の救急器具類がそろつていたこと、ヒロ子の大量出血発見後の処置の準備にさほど手間どつた形跡もないことが認められるのであつて、ヒロ子を病室に移したことにより、出血発見後の処置に格別の支障を来たしたものとは窺えないのである。
これを要するに、ヒロ子を病室に移した後も被告医師及び看護婦の監視観察が行われている上、病室に移したことが出血発見後の処置に支障を来たしたとも窺われない本件においては、分娩後二時間ヒロ子を分娩室に留めて監視することなく、約一時間で分娩室から病室へ戻してしまつたことのみをもつて、被告医師に前記注意義務に違背した過失があるとまでは認めることができないというべきである。
なお、原告らは、ヒロ子の子宮峡部不全破裂からの出血が一定時間持続し、それが子宮腔内に貯留していたところ、これが飽和状態となつて膣外に流出し、本件大量出血となつたものであるとの事実を前提として、腹部の上から子宮を圧迫する等の方法でこれを膣外に流出させることにより、出血の有無を確認すべき注意義務があつたのに、被告医師がこれを怠つたため、出血の発見が遅れ、ヒロ子を死亡するにいたらしめたと主張するけれども、原告主張の前提である右事実が認められないことは前記のとおりであるから、右主張はその前提を欠くものとして失当というよりほかはない。
のみならず、前記認定のとおり、被告医師は、午後四時一五分頃にヒロ子が病室に戻つた時と午後四時四〇分頃に病室を去る直前頃の二回にわたつて、ヒロ子の子宮底を腹壁の上から手で押えて強く圧迫してその収縮状態を調べているのであつて、その際、もし子宮腔内に大量の血液が貯留していたのであれば、必ずこれが膣外へ流出していたはずであるのに、何ら異常な出血は認められなかつたのであるから、被告医師に原告主張のような過失がないことは明らかである。
(三) 以上のとおり、本件診療行為及び処置につき被告医師に過失があつたものと認めることはできず、他に被告医師の責任原因を肯認すべき事実を認めるに足りる証拠はない。
2 被告緒方会の責任
被告医師のとつた本件診療行為及び処置につき、前記のとおりいずれの点にも過失を認めることができない以上、これを前提とする被告緒方会の不法行為責任もまた、これを認めることができない。
また、被告医師のとつた本件診療行為及び処置につき過失が認められない以上、被告緒方会がヒロ子との間の診療契約に基づいて負担する債務、すなわち、善良な管理者の注意をもつて、当時の医療水準に照らしても適切と認められる措置をとるべき債務を履行しなかつたものということができないから、被告緒方会の債務不履行責任を肯認することもできない。
四以上の次第であつて、被告らについてはいずれの点よりするもその責任原因を肯認することができないので、その余の判断をするまでもなく原告らの本訴請求はいずれも失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官藤原弘道 裁判官加藤新太郎 裁判官浜 秀樹)