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大阪地方裁判所 昭和55年(ワ)6442号 判決 1982年4月27日

原告

應和芳則

原告

應和陽子

原告

大西繁治

右原告三名訴訟代理人

清水孝雄

被告

右代表者法務大臣

坂田道太

右訴訟代理人

井上隆晴

外一〇名

被告

井手勝弘

右訴訟代理人

矢田部三郎

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実《省略》

理由

一本件事故発生の状況

1  事故現場付近の本件国道が、歩車道の区別がなく、西方に向つて約一〇〇分の四の下り勾配となつているアスファルト舗装道路であり、その車道が、東西各一車線であることは、原告らと被告国との間に争いがない。

また、弘和が、原告ら主張の日時場所において、本件単車を運転し西進中であつたこと、右単車が被告井手運転の本件ダンプカー左前輪タイヤショルダー部に接触し、同車の左前輪と左後輪との間に転倒したため、弘和は、右ダンプカーの左後輪に轢過され、このため受けた頸髄損傷等の傷害により約一時間後に死亡したことは、原告らと被告井手との間に争いがない。

2  そして、<証拠>を総合すると、前記1記載の事実並びに次の事実を認めることができる。

(一)  本件国道は、四条畷市内を、ほぼ東西に走るアスファルト舗装道路で、事故現場から東側(同市清滝峠方面)ではわずかに北側に湾曲しているものの、西側(同市東中野交差点(現場西方約二〇〇メートルに位置する。)方面)では一〇〇分の四程度の下り勾配で、直線状となつているため、東西の見通しは良好であること、現場付近の本件国道の状況は、別紙図面(1)記載のとおりで、歩車道の区別はなく、道路中央には、車道の中央を示す中央線が白色破線で、南北両端付近には、車道の外側の縁線を示す車道外側線が白色実線で、それぞれ引かれていること、また、現場付近の右国道は、付近一帯の土地よりも一段高い構造となつている関係で、その南北両端沿いに設置されたガードレールを隔てて南北両側は、ともに法面となつていること、そして、右外側線の外側の路肩部分から法面に至る状況は別紙図面(2)記載のとおりで、路肩内には、路面排水の必要からコンクリート製の街渠が設けられているため、外側に一〇〇分の一三ないし一八程度傾斜している部分があること、路肩のガードレールの基礎にあたる部分及び法面は、アスファルトないしコンクリート舗装はされておらず、単に土を盛り上げ固めることによつて築造されたものにすぎなかつたこと、現場付近の本件国道の最高速度は、時速四〇キロメートルに制限されていること、なお、本件事故当時、付近路面は、乾燥していたこと。

(二)  ところで、本件事故当時、事故現場付近では、ガードレールの基礎部分及び法面に生えた雑草が、別紙図面(1)記載のとおり、東西約六メートルにわたり、ガードレールから内側の車道外側線辺りを覆うように、幅約七〇センチメートルの帯状となつて伸び茂り、路肩中央では高さ約1.2メートルにまで及んでいたため(ガードレールも覆われていた。)、通行車両の運転者からは、車道外側線そのものはほぼ確認できるものの、街渠部分は雑草に覆われていて判らない状況となつていたこと、そして、このように雑草が路肩部分を覆うように茂つていた箇所は、事故当時、西行車線側に限つてみても、現在付近以外所所において見受けられたこと、なお、被告国は、昭和四三年以後、原則として年二回(初夏、晩秋)、本件国道の除草作業を実施しており、昭和五四年度も六月初頃から右作業を開始し、事故後の同月二三日現場付近一帯についてその作業を完了したこと。

(三)  現場付近の本件国道は、もともと交通量が多く、とりわけ西行車線では、午前七時三〇分を過ぎる頃からは、長距離トラック、ダンプカーは勿論、現場東方約五〇〇メートルにある清滝団地の住民など付近住民が大阪方面に向う通勤通学時間帯と重なるため、車両の渋滞ははなはだしく、現場から東中野交差点に至ることは常態で、時に同交差点を経て外環状線に及ぶこともあつたこと、このため、先を急ぐ自転車、単車等二輪車の利用者は、車道の混雑を避け、街渠部分の傾斜にもかかわらず路肩(道路交通法上、路側帯として規制を受ける。)上を進行することがしばしばあつたこと(現場付近に、自転車等軽車両の路側帯進行を禁止する道路標示がないことは前記(一)及び別紙図面(1)記載のとおりである。)、そして、本件事故時、現場付近の西行車線上は、いつもと同様、車両は、東中野交差点付近まで、数珠つなぎの状況にあり、同交差点の信号が変るたびに三〇ないし八〇メートル進行しては停止するといつた有様であつたこと、なお、事故当日の午前八時三〇分から午前九時四〇分までの間に実施された実況見分の際には五分間に東西一三〇台の車両が現場付近を通行したことが認められていること。

(四)  本件ダンプカーは、定員三名、長さ7.35メートル、幅2.47メートル、高さ2.88メートル、最大積載量一〇五〇〇キログラムの大型貨物自動車で、事故時、ハンドル、ブレーキに異常はなかつたこと、一方、本件単車は、定員一名、長さ1.8メートル、幅0.75メートル、高さ1.1メートル、排気量五〇ccの原動機付自転車であること。

(五)  被告井手は、事故当時、約一〇トンの土砂を積んで門真市方面に運搬すべく本件ダンプカーを運転し、本件国道西行車線を前記(三)で認定した数珠つなぎの車両の流れに沿つて西進し、時速一五ないし二〇キロメートルの速度で、別紙図面(1)記載の①地点に差しかかつた際、突如左後輪に衝撃を感じ、直ちにブレーキをかけ、同図面記載の②地点に停止したが、この間弘和の動静には気付いていなかったこと、一方、弘和は、昭和五四年四月、近畿大学理工学部に入学し、以来本件単車で本件国道を利用して通学していたが、事故当日も、いつものように、本件単車を運転し、本件国道西行車線の車道外側線沿いを進行し、少なくとも、別紙図面(1)記載の雑草の生えている部分の手前約五メートルに差しかかつたときには、同一方向に進行中の本件ダンプカーの左側方を追抜こうとして、右外側線を左側に越え、路肩部分を、右ダンプカーの速度を上廻る速度で走行しており、そのまま雑草の茂つている部分に乗り入れるように進行した結果、雑草に引つかかつて車体の安定を失い、右側に傾きながら、別紙図面(1)記載のとおり、街渠部分にスリップ痕を残して前進し(スリップ痕の印象された北側の街渠部分に、平行して、本件単車右側ステップによると認められる擦過痕が一条残つていた)、ついに、西行車線上を走行中の本件ダンプカーの左前輪タイヤショルダー部に倒れ込むようにして接触するに至り、前記1記載のとおり轢過されたこと(弘和は、別紙図面(1)記載の地点、本件単車は同地点にそれぞれ転倒していた。)。

以上の事実が認められ<る。>

二責任原因

1  被告国

(一)  被告国が、本件国道を管理していることは、原告らと同被告との間に争いがない。

(二)  そこで、本件事故の発生が本件国道の管理の瑕疵に帰せられるべきものであるか否かについて、以下判断する。

(1) 前記一認定の事実(争いない事実を含む。)によると、本件国道の路肩は、道路の主要構造部を保護し、又は車道の効用を保つため設けられ(道路構造令二条一〇号)、元来自転車等の軽車両を除く車両の通行は原則として禁じられていたばかりか(道交法一七条一項本文、同条の二参照)、その中央部分には街渠が設置されて傾斜面となつていて車両の通行には不向きな構造となつているうえ、雑草の繁茂する箇所が点在していたことが認められ、しかも、このような路肩の状況を、大学入学以来通学のため本件国道を利用していた弘和は、その利用度からみて、充分知つていたと推認されるから、同人において、当時、西行車線上の流れに従い、法規の要求する同車線を、適宜の速度で進行する限り、本件事故の発生を回避し得たことは疑いなく、この点で、同人に過失のあることも明らかである。

(2) しかしながら、一方、前記一認定の事実(争いない事実を含む。)、殊に同2の(一)及び(三)において認定した事実によると、本件国道は、重要な幹線道路として交通量も多く、とりわけ西行車線は、本件事故の発生した時間帯には、長距離トラック、ダンプカーのほか、通勤、通学用の車両が連日のように数珠つなぎの状態となり、しかも、国道としては片側一車線の幅員が約3.7メートルと比較的狭く、本件ダンプカーのような大型貨物自動車が通行すると、同車線を閉塞する形となるため、法規上、通行の許されている自転車は勿論、本件単車のような原付自転車、自動二輪車等も、いきおい、路肩を通行するようになつていたことが認められるので、これらの点からすると、単車等二輪車が、本件国道ではなく路肩を通行するといつた事態は、特に異常とまではいえず、客観的には十分予測できる事柄であるということができ、したがつて、道路管理者たる被告国としては、本件の路肩部分についても、その通行の安全性を確保することが要求されているものといわなければならない。ところが、前記一認定の事実(争しない事実を含む。)によると、本件事故当時の路肩部分は、所所で法面等で生育した雑草に覆れ、ただでさえ、車体のバランスを失い易い二輪車の走行にとつて危険な状況のまま放置していたと認められるから、右部分は通行の安全性を欠いていたものといわなければならず、したがつて、その余の点に触れるまでもなく、この点において、被告国の管理に瑕疵があつたといわざるを得ない。

(3) また、前記一の2の(五)において認定した本件事故発生の経過に照らすと、本件事故発生については、弘和にも前記(1)記載のとおりの過失があり、しかも、その程度も重いものといえるけれども、前記(2)において認定した本件国道の管理の瑕疵もまた本件事故発生の一因をなしており、その間に相当因果関係があることを否定することはできない。

(三)  以上のとおり、被告国には、国賠法二条一項により、本件事故によつて生じた後記損害を賠償する責任がある。

2  被告井手

(一)  被告井手が、本件ダンプカーを所有し、これを自己のため運行の用に供していたことは、原告らと同被告との間に争いがない。したがつて、同被告は、自賠法三条本文により、同条但書所定の免責の主張が認められない限り、本件事故によつて生じた損害を賠償する責任があるといわなければならない。

(二)  そこで、被告井手の免責の主張について判断する。

(1) 前記一記載の事実によると、被害者である弘和には、本件事故発生について、前記1の(二)の(1)で説示したとおり、本件国道の状況(とりわけ路肩部分)、先行する本件ダンプカーの動静のほか、二輪車の特性を考慮したうえ、安全な速度と方法で走行すべきであるのに、これを怠り、本件ダンプカーを追抜くべく、これを上廻る速度で、法規に違反して路肩内を走行し、繁茂する雑草部分に入つた重大な過失があることは明らかである。

(2) そして、前記一認定の事実(争いない事実を含む)によると、確かに、原告ら主張のとおり、被告井手において、①走行中サイドミラーで後方を確認しておらず、②本件単車が自車左前輪タイヤショルダー部に接触したことに気付かなかつたことが認められるけれども、右事実、殊に本件事故発生の経過、本件両車両の形態、重量等の差異等に鑑みれば、①については、格別進路を変更することもなく、通常の方法で前進中の車両の運転者には、本来、後方から自車を追抜こうとする二輪車が自車の進路上に転倒してくる事態の有り得ることまでも予想して、サイドミラー等で後方を確認する義務はないといわなければならず、また、②についても、一瞬の接触に気付かなかつたとしても不当ともいえないばかりか、本件ダンプカーの速度、本件単車の動向に照らすと、かりに、右の時点で直ちに急制動に及んでいたとしても、自車前・後輪間に倒れ込んでくる弘和を轢過することなく停止することは不可能であつたものと認められるから、いずれにしても、同被告には、原告らの指摘する過失はなかつたものというほかはない。そして、同被告が、交通法規に従つた速度と方法で進行していたと認められる本件においては、他に同被告が注意を払うことによつて、本件事故の発生を回避し得たと認められるような事情は一切存しない。

そうすると、同被告には、事故発牛に関し、過失はなかつたものといわざるを得ない。

(3) さらに前記一の2の(四)記載の事実に、弁論の全趣旨を併せ考えると、本件ダンプカーには、本件事故の原因となるような構造上の欠陥、機能上の障害はなかつたものと認められる。

したがつて、被告井手の免責の主張は理由があるものといわねばならない。

(三)  そうすると、原告らの被告井手に対する請求は、いずれも、その余の点について判断するまでもなく、失当である。

三損害

<中略>

2 過失相殺

(一) 本件事故発生については、弘和にも、前記二の1の(二)において認定のとおりの過失が認められるところ、被告国の管理の瑕疵の態様、程度、本件事故の態様等諸般の事情を考慮すると、過失相殺として原告らの損害の七割を減ずるのが相当と認められる。<以下、省略>

(弓削孟 佐々木茂美 長久保守夫)

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