大阪地方裁判所 昭和56年(わ)45号 判決 1981年2月19日
主文
被告人を懲役五年六月に処する。
押収してある果物ナイフ(刃の部分)一本(昭和五六年押第六四号の一)及び果物ナイフ一本(鞘付、同号の二)をいずれも没収する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、
第一 大阪市西成区内にある簡易宿泊所に止宿し日雇人夫として稼働していたものであるが、昭和五五年一〇月ころ同区内で俗にいう「しのぎ」(路上強盗)に所持金を奪われていたく立腹し、また、人から同区内ではしのぎによる被害が多いことを聞くにつけ、今後しのぎに遇つたらこれに対抗し攻撃しようと考え、同年一一月中旬ころ果物ナイフ(刃体の長さ約10.2センチメートル、昭和五六年押第六四号の一はその刃の部分)を買い求め、これを常にポケットに入れて持ち歩いていた。同年一二月一九日午前八時ころ、同区内の愛隣センター内にある公共職業安定所で求職者給付金受領手続を終えた被告人は同給付金支給時間が午前一一時であつたことから時間待ちのため付近の食堂等で飲酒し、引き続き午前一〇時三〇分ころから同区萩之茶屋一丁目一〇番二〇号先路上で営業中の屋台で飲酒していたところ、同日午前一〇時四〇分ころ、右屋台へ来た後田正晴から「江崎じやないか。貸した金を返せ」などと話しかけられ、人違いである旨答えたが、右後田及び同人の連れの村下勝徳(当時三六歳)、倉橋仁らからしつこく「貸した金返せ」「返したらんかい」などとからまれ、同人らが三人組のしのぎであることに気づいたものの「なんの話や」などと大声で怒鳴り返したりするうち、右屋台の従業員から同所で喧嘩をしないよう注意されるや、後田の求めに応じ約二〇メートル東方の路上に赴き、同所においても同人らからしつこく金銭の交付を要求された。被告人は右のような後田らの言動にいたく立腹し、所携の前記果物ナイフで攻撃しようと思つたもののいまだ決心がつかず、「俺はこれから認定の金をもらいに行くんや」と言つてその場を後にし西の方へ歩きかけたが、後田らはなお被告人につきまとつて来たうえ同所から約一〇メートル西方の路上で村下が「認定なんかどうでもええ。話をつけたるからこつちへ来い」などと言いながら被告人の身体を引つ張るなどしたため、被告人はそれまで抑えていた怒りを一気に爆発させ、同人が死亡するに至るかも知れないことを認識しながら、あえて、上衣の左ポケット内から左手で前記果物ナイフを取り出し、これに右手をそえて同人の腹部中央を一回力強く突き刺し、よつて同日午後八時一〇分ころ同市住吉区万代東四丁目二五番地所在の大阪府立病院において、右総腸骨動脈切破に基づく循環不全により死亡させて殺害した
第二 業務その他正当な理由がないのに、同月二二日午後一一時一〇分ころ、神戸市北区道場町塩田一九四五番地先路上において、刃体の長さ約9.6センチメートルの果物ナイフ一本(鞘付、同号の二)を携帯した
ものである。
(証拠の標目)<省略>
(弁護人の主張に対する判断)
一弁護人はまず、被告人の判示第一の犯行は過剰防衛ないし誤想防衛に該る旨主張するので、この点について検討する。
前掲各証拠によれば、前記村下、後田らは被告人に対ししのぎを企図し、前記屋台から約二〇メートル東方の路上(以下東方の路上という。)を経て本件犯行現場に至るまで、前認定のように被告人につきまとつて執拗に金員の交付を要求し、その間東方の路上で村下が被告人の顔面を手拳で殴打する暴行等に及んだことが認められ村下らの右一連の行為は被告人の身体あるいは財産等に対する不正の侵害行為に該るものと認められるけれども更に同証拠を仔細に検討すると、右のような村下らの暴行等の事実について被告人は警察、検察庁を通じ、ほぼ一貫してはつきり覚えていない旨供述しており、この点からみて、被告人が右暴行等を明らかに認識し、これに対応する防衛の意思をもつて本件犯行に及んだものとは到底認められないのみならず、被告人は屋台のところで後田らにからまれた際、これに対抗して大声で怒鳴り、あるいは東方の路上に連れて行かれる際も何ら抵抗したり救援を求めたりした形跡はなく(屋台には他に三ないし四名の客がいた。)、むしろ積極的にこれに応じているのであつて、当時被告人は後田らに対しさほど強い恐怖感を抱いていなかつたことが窺えるうえ、東方の路上に連れて行かれる際、かねて上着の左ポケットに隠し持つていた果物ナイフの柄を握り、いつでもこれを取り出して攻撃できる状態にしていたことや本件犯行場所では村下らからその身体を殴打されるなどその身に差し迫つた危険がなかつたと思われるのに、判示のような村下の言動を契機にして振り向きざま村下の腹部中央をめがけ果物ナイフで思い切り突き刺し、右一撃で同人に致命傷を与えていることが認められ、また右果物ナイフの柄だけが抜け刃の部分は村下の腹部に刺さつたままになつていたことからみて、被告人は同ナイフを抜いたうえ他の二名に対しても攻撃しようと考えていたことが窺えないではなく、更には被告人はかねてからしのぎに対し根強い反感を抱いていたことが認められるなど本件犯行前あるいは犯行時の状況、犯行の動機、原因等に徴すれば、被告人は村下らの前記のような言動に対し、憤激の余り積極的に攻撃を加える意図のもとに本件犯行に及んだものとみるのが相当である。してみれば、本件犯行は防衛行為としてなされたものとはいえず、弁護人の過剰防衛である旨の主張はその前提を欠き採用しえない。なお被害者らによる不正の侵害行為があつたことは前判示のとおりであり、その他誤想防衛にもあたらないことは以上述べたことから明らかであるから、弁護人のこの点の主張も採用しえない。<以下、省略>
(大西一夫 平弘行 氷室眞)