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大阪地方裁判所 昭和56年(ヨ)3172号 1982年9月28日

申請人

与那嶺実男

右代理人弁護士

樺島正法

中道武美

近森土雄

被申請人

株式会社ウォタマン

右代表者代表取締役

宮野良秋

右代理人弁護士

笹川俊彦

山上東一郎

須知雄造

右当事者間の頭書地位保全・金員支払仮処分申請事件について、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

申請人が被申請人に対し、労働契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。

被申請人は申請人に対し、昭和五六年七月一日以降本案訴訟の第一審判決の言渡しに至るまで毎月二五日限り金一七万六一四三円を仮に支払え。

申請人のその余の申請を却下する。

申請費用は被申請人の負担とする。

理由

第一当事者の求める裁判

一  申請人

1  被申請人は申請人を、本案判決確定に至るまで、被申請人の従業員として仮に取り扱え。

2  被申請人は申請人に対し、昭和五六年七月一日以降本案判決確定に至るまで毎月二五日限り金一七万六一四三円を仮に支払え。

3  申請費用は被申請人の負担とする。

二  被申請人

1  本件仮処分申請をいずれも却下する。

第二当事者の主張

一  申請の理由

1  当事者

被申請人(以下「会社」という。)は、ポンプ船及び浚渫器具の設計・製作・修理並びに販売、浚渫工事設計施工請負、土砂採取業等を目的とする資本金一〇〇〇万円、従業員一五名、年商金一四ないし一五億円の株式会社である。

申請人は、昭和五四年八月朝日新聞の広告を通じて会社の社員募集に応募し、同月一六日会社に営業部員として採用され、以来本件解雇に至るまで一貫して営業に従事し、会社の営業方針に従い見込み客の開拓と工事情報を得るため、全国の官公庁(建設省等)、電力会社、骨材業者を訪問する一方、消耗部品(主としてポンプ器具)を販売してきた者である。

2  解雇の意思表示

会社は、昭和五六年六月三〇日申請人に対し、突然、会社の就業規則二〇条三号の規定(解雇事由として「やむを得ない経営上の都合があるとき」と定められている。)に基づき解雇の意思表示(以下「本件解雇」という。)をしてきた。

3  本件解雇の無効

しかしながら、本件解雇は、以下の理由により無効である。

(一) 本件解雇はいわゆる整理解雇であるところ、整理解雇は労働者側に帰責事由がないにもかかわらず企業側の一方的都合によって行うもので、労働者の生活に及ぼす影響は甚大であり、その生存権・労働権を著しく脅かすものであるから、一般解雇制限法理より一層厳格に制約されなければならない。したがって整理解雇が適法有効であるためには、<1>人員整理の必要性(解雇をしなければ企業の維持・存続が危殆に瀕する程度に差し迫った必要があること)、<2>解雇回避努力(他に整理解雇回避の可能性がなく、もしくは解雇以外の合理化策によって余剰労働力を吸収する努力がなされたこと)、<3>解雇基準と人選の合理性(整理解雇基準自体に合理性があり、かつその基準適用が妥当性を有すること)、<4>解雇手続の合理性(使用者が解雇につき労働者の納得が得られるような努力を尽くしたこと)の四つの要件を具備充足することが必要不可欠である。

(二) しかるに、本件解雇は、次に述べるとおり前記四つの要件をどれ一つとして充足しておらず、解雇権の濫用であって無効である。

すなわち、<1>の要件については、会社の各期計算書類はきわめて不正確であって、会社に利益隠しの疑いがあること、会社は、自己の生産工場を持たない外注会社であるから、固定費に拘束されない利点を有していること、従業員に対して賃金を欠配、遅配したことがないばかりか、これまで順調にベースアップを実施し、かつ毎年六月、一二月の賞与も慣行どおり支払ってきていること、更に本件解雇直前に新卒者を採用し技術課に配属しているほか、解雇後すぐ従業員二名を海外に出張させていること、会社の経営危機について、会社内部は勿論のこと、取引先からも何の信用不安も生じていないこと、以上の諸事情を総合考慮すれば、会社を取り巻く業界が不況下にあるとしても、申請人を解雇しなければ会社の維持・存続が危殆に瀕する程度に差し迫った情況にあるとは到底いえず、人員整理の必要性は全くなかった。

次に<2>の要件については、会社は、本件解雇に先立ち、申請人の配置転換、出向を試みていないばかりか、会社内部において希望退職者の募集さえ行っておらず、また、経費節減につき、何の努力もなしていないうえ、更に減量経営のため、その所有の遊休資産及び有価証券等の資産を売却する努力を全く放棄しており、その他経営陣容の交替、新規採用の停止、一時帰休等、人員整理回避のために相当な努力をなさず、いきなり申請人を解雇したもので、整理解雇回避努力の欠けつは明らかである。

更に<3>の要件については、会社は、本件解雇につき何ら明確な整理解雇基準を定めておらず、基準合理性の不存在は明らかであり、また、申請人は、宮平課長と比較して、勤務年数、営業能力、会社に対する貢献度、将来性のいずれにおいても優れており、本件解雇につき人選の合理性は全くなかった。

最後に<4>の要件については、会社は、申請人に対し、経営危機の実態、人員整理の必要性、整理解雇基準等について、資料を添えて十分な説明をしないばかりか、協議を尽くすことなく、一方的に解雇を通告したもので、本件解雇につき解雇手続の合理性は全く欠けつしている。

4  申請人の賃金

申請人は、本件解雇当時会社から、毎月二〇日締め二五日払いで賃金を受け取っていたが、本件解雇前三か月間(昭和五六年四月から同年六月まで)において合計金五二万八四三〇円を支給されているので、その一か月平均の賃金は金一七万六一四三円になる。

5  保全の必要性

申請人は、現在独身であるが、賃金のみによって生活する労働者であるところ、本件解雇によってその唯一の収入源が断たれ、その生活は危機に瀕している。そこで申請人は、雇用関係存在確認請求の本案訴訟を準備中であるが、本案判決の確定を待っていては申請人の生活は完全に破壊され、回復し難い損害を蒙ることは明らかである。

二  申請の理由に対する答弁

1  申請の理由1の事実のうち、会社の従業員数、年商額の点については否認するが、その余は認める。

2  同2の事実は認める。

3  同3の主張は争う。

4  同4の事実は認める。

5  同5の主張は争う。

三  被申請人の主張

本件解雇は、以下に述べるとおり企業の存続を図るうえで必要不可欠のものであり、有効である。

1  人員整理の必要性

本件解雇は、次に述べるとおり、会社の長期的な経営不振により、倒産を回避して企業の存続を図るために必要やむを得ざるものであった。

すなわち、昭和四九年頃に端を発した浚渫船のユーザーである浚渫業界・骨材業界の長期にわたる不況のため、浚渫業界は受注競争の激化、収益率の低下といった悪循環に陥り、特に専業メーカーの打撃は大きく大手の株式会社渡辺製鋼所及び株式会社川浪製作所は昭和四九年、五〇年に相次いで倒産した。会社も、昭和五〇年三月度決算において約金九〇〇〇万円以上の期間損失を計上するに至り、資金繰りを大きく圧迫し、和議申請まで検討せざるを得ない状態となったが、製造を全面的に外注に依存している会社の場合、和議申請により外注先が離散すると企業存続が全く不可能となるため、やむなく自力更生の道をとらざるを得なかった。

そこで、会社は、企業の維持・存続のため経営規模の縮小を迫られ、その一環として固定費の節減を目的とする数次にわたる人員整理等を行った結果、昭和五〇年に三六名を擁した人員も同五五年一〇月には一九名となった。しかし、右のような人員削減にもかかわらず、昭和五〇年度以降の収支は赤字・黒字を繰り返し、特に同五六年三月には再び赤字に陥るとともに受注残も一台しかない状態となり、資金繰りが切迫するに至ったため、やむなく五名の人員整理を断行した。ところが、同年六月に至っても新規受注が一台もなく、かつ過去に納船した浚渫船の稼働状況、部品及び修理等の受注状況、商談の状況等から判断しても、受注の目処が全く立たない状態となり、そのまま放置すると資金ショートを来たす状態となったため、やむなく本件解雇に踏み切らざるを得なかったものである。

2  解雇回避努力

会社は、昭和五〇年度以降経営を立ち直らせるべく様々な経営努力を払っており、例えば昭和五二年の三井海洋開発株式会社との提携による海外販路の開拓、同じ頃販売拡大の一環として行った浚渫工事部門の新設、更に大手商社との提携による海外受注の獲得から始まり、社内的にも冗費節減、配置転換等の合理化策を重ねたが、ユーザー業界の長期不況に抗することができず、やむなく本件解雇に踏み切ったものである。特に回復の兆しすら見えない国内販売に見切りをつけ、企業維持の最後の手段として国外販売、就中、中近東向け販売に全力を注いだところ、イラン・イラク戦争の影響等もあって見込み外れとなってしまったものである。

なお、昭和五四年春には、解雇人員の吸収を目的として、タイヤ熱分解機の製造販売を業とする株式会社ケミカルマンを設立したが、その後の石油代の値上り等によりタイヤ自体を燃料にして使用するようになったため、タイヤ熱分解機の必要性がなくなり、右会社の業績も悪化の一途を辿っている。

3  人選の合理性

本件解雇につき会社が申請人を選んだことには、次に述べるとおり合理性がある。

すなわち、会社の職制のうち、製造部及び技術部については、昭和五六年三月に四名の人員削減をしたため人員不足となり、互いに兼務している状態であって余剰人員は全くなく、総務部についても同じ時に一名削減したため余力はなく、結局、本件解雇時に他部門と比較して余力があるといえるのは営業部でしかなかった。特に本件解雇を必要としたのは、得意先の浚渫船の稼動状況、商談の状況、ユーザーを取り巻く経済環境からみて、先行きの受注の目処が立たなくなっていたためであり、その意味からも営業部から人選せざるを得なかった。そして、営業部の場合、仲田部長、宮平課長及び申請人の三名しかおらず、営業経験、営業能力からみて、補佐的職務に従事していた申請人を人選するほかなかった。また申請人の場合、若年であって再就職の道も他の二名と比較すると容易であり、更に独身であって解雇による打撃も比較的少ないことも、人選の基準となったものである。

4  解雇手続の合理性

昭和五六年三月に会社が製造部員等五名を人員整理した際、会社の浚渫船の受注残が一台であり、かつ受注見込みもない状態であって経営が危機に瀕していることは、被解雇者のみならず他の社員にも十分説明しており、申請人も会社の経営状態を熟知していた。その後浚渫船の受注が一台もなく、かつ受注の目処も立たないため会社の経営状態が更に悪化していたことは、営業部に所属していた申請人も熟知していたはずである。

会社は、本件解雇の際申請人に対し、解雇の必要性・人選基準等を説明してその理解を得るべく努めている。そして、会社の右説明協議は、取締役を含めて従業員数が一五名程度の規模の会社の営業部に所属する社員として、申請人が当然に熟知している事柄を前提としてなしているのであり、その前提事項を黙殺して納得しない場合にまで更に協議を続けなければならないとするのは不可能を強いるものである。

四  被申請人の主張に対する答弁

被申請人の主張は争う。

第三当裁判所の判断

一  当事者並びに本件解雇の意思表示

申請の理由1の事実(ただし、会社の従業員数、年商額の点を除く。)及び同2の事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二  本件解雇の効力

1  整理解雇の有効要件

本件解雇がいわゆる整理解雇であることは、当事者間に争いがない。

ところで、整理解雇はもっぱら使用者側に存する事由に基づいて労働者を一方的に解雇するものであるから、憲法上労働者のいわゆる生存権、労働権が保障されている趣旨にかんがみ、整理解雇が有効であるためには、<1>人員整理の必要性(企業が客観的に高度の経営危機にあり、解雇による人員削減が必要やむを得ないものであること)、<2>解雇回避努力(解雇を回避するための具体的な措置を講ずる努力が十分になされたこと)、<2>人選の合理性(被解雇者の選定が合理的に行われたこと)、<4>労働者に対する説明協議(人員整理の必要性と内容について労働者に対して誠実に説明を行い、かつ十分に協議して納得を得るよう努力を尽くしたこと)の四つの要件を具備充足することが必要不可欠であり、右要件のうち何れか一つでも欠く場合は、その整理解雇は無効であると解するのが相当である。

そこで、以下、本件解雇が右四つの有効要件を具備充足するか否かについて、順次、判断することとする。

2  人員整理の必要性

疎明資料によれば、次の事実が一応認められる(一部、当事者間に争いのない事実を含む)。

(一) 会社は、従来、浚渫船(浚渫器具を含む。)の設計・製作・修理並びに販売を主たる目的とし、浚渫船業界では他に収益部門を持たないいわゆる専業メーカーに属していたが、浚渫船の製造については自社工場等の生産設備を保有せず、これを全面的に外注先に依存する外注会社であった。会社には、職制として、庶務・経理事務を掌る総務部、浚渫船の販売を担当する営業部、浚渫船の製造指導・補修・サービス・資材の調達等を所管する製造部、浚渫船の設計を担当する技術部及び新商品の開発に携わる開発部門が設けられていた。

(二) いわゆるオイル・ショックを契機として、昭和四九年頃から公共投資の抑制により、浚渫船のユーザーである浚渫業界や骨材業界が長期にわたる不況に陥ったため、浚渫船業界は、受注競争が激化して業績不振となり、経営状態が極度に悪化した。その中でも専業メーカーの受けた打撃は大きく、大手の株式会社渡辺製鋼所及び株式会社川浪製作所は相次いで倒産に瀕し、前者は昭和四九年一一月東京地方裁判所に更生開始手続の申立を、後者は翌五〇年四月佐賀地方裁判所に和議開始の申立を行った。

会社でも、昭和五〇年三月期の決済において、銀行融資の都合により帳簿上は土地評価益約三九〇〇万円を計上して損失額を約五四三五万円に止めたものの、実質約九〇〇〇万円にのぼる期間損失を出した。会社では、その頃業績不振を打開するため新しく油中ポンプを開発、製造して、その販売を目論んだが、失敗に終った。このため、弁護士と相談のうえ和議開始の申立の当否について検討したが、外注会社の体質からみて和議認可を得ることがきわめて困難であると見込まれたところから、右申立を回避し、自力により企業の存続を図ることとした。

(三) そこで、会社は、急場を手形の支払期日の延期や銀行からの短期借入金の増額等によって乗り切るとともに、経営規模の縮小、経費の節減を目的として、昭和五〇年秋頃から翌五一年初め頃にかけて一二名の人員整理を断行した。また、会社の経営を立て直すため、昭和五〇年から翌五一年にかけて三井海洋開発株式会社等に接触し、海外における新販路の開拓に努力したが、これはうまく行かなかった。かくて、昭和五一年三月期の決算では約四二三万円の損失を計上したものの、右人員整理等により、同五二年三月期の決算では約一九二八万円の利益を計上することができた。しかし、同五三年三月期の決算では貸倒損失の発生もあって再び約一九六八万円の損失を計上するに至り、累積欠損も実質約一億円近くに達したため、昭和五三年秋頃には会社の人員整理により四名が退職した。

(四) 会社は、昭和五三年頃からバックリベート等を用いて売上高の拡大を図ったため、昭和五四年三月期の決算で約二五二七万円の利益を計上したが、会社の右販売方法に対し同業他社及びユーザー等から多大の批判が生じた結果、昭和五四年度の売上高がかなり落ち込み、同五五年三月期の決済では約五〇八万円の利益に止った。

会社は、これより先の昭和五二年頃売上高拡大策の一環として浚渫工事部門(会社が浚渫工事を受注し、これを浚渫船のユーザーに下請けさせる業務を担当する部門)を新設し、工事による収益を図ろうとしたが、工事の注文が十分になく、しかも無用の経費がかさんで採算割れを来たしたため、同五五年春頃右部門を閉鎖するのやむなきに至った。

更に会社は、昭和五四年春頃、従業員の吸収を目的として、タイヤ熱分解機の製造販売を業とする株式会社ケミカルマン(以下「ケミカルマン」という。)を新設し、瀬戸営業部長ら五名を右会社に出向させ、右瀬戸をその代表取締役に据えるとともに、同人に対し退職金を支払う代わりに同会社に六〇〇万円を出資した。しかし、その後大型プラントで廃タイヤを燃料に利用することが可能になったため、タイヤ熱分解機の必要性が減少し、ケミカルマンの業績は悪化した。

(五) 五名の従業員が会社からケミカルマンに出向した後、会社のベテラン営業部員が会社の将来を見限り、うち一名が任意退職し、他の一名(野村営業課長)も近く任意退職することが予想された(ちなみに同人は昭和五五年三月退職した。)ことから、会社は昭和五四年七月頃清水、同年八月申請人及び西岡を採用した。そして、右三名を営業部に配属したうえ、申請人には同部の営業業務を、残りの二名には浚渫工事部門の業務を担当させたが、前記のとおり昭和五五年春頃右部門が閉鎖のやむなきに至ったため、右二名を製造部製造サービスに配置転換した。会社は、昭和五五年中に三名の従業員がやめたため、これを補充すべく、同年中に新たに三名の社員を採用し、そのうち宮平を営業部営業課長に、吉田を製造部に、山下を技術部にそれぞれ配置したほか、玉置に対し開発部門の業務を嘱託した。

(六) 浚渫業界は昭和四九年以来引き続き低迷を続けていたため、会社は、昭和五五年以降は国内販売にある程度見切りをつけ、国外販売に重点を置く方針をとり、大手商社等と提携して国外販売に全力を注入した結果、インドネシアやフイリッピンなどでは順調に注文がとれたものの、その他の国ではなかなか受注に結びつかず、思うような成果を上げることはできなかった。そのため、昭和五六年三月期の決算では帳簿上約一〇三三万円、実質約二〇〇〇万円の損失を計上し、累積損失額は約五〇〇〇万円にのぼった。しかも、当時の浚渫船の受注残は、昭和五五年一二月頃岩倉組土建株式会社から受注した一隻のみで、先行き受注の目処は全く立たない状況であった。そこで、会社は、納船した浚渫船の稼働状況等を踏まえて、製造部の製造サービス部門を縮小することとし、同部門所属の三名(西田、清水、吉田)を解雇したほか、同部資材課及び総務部所属の各一名を解雇した。かくて、昭和五〇年には取締役を含めて三六名を擁した会社の従業員も、昭和五六年三月には一五名にまで減少するに至った。

(七) 浚渫船業界の不況はその後もいっこうに回復の兆しが見えず、依然として継続しており、この影響により、会社では、昭和五六年四月以降本件解雇時に至るまで新規受注は一隻もなく、しかも将来における受注の目処は国内は勿論、国外においても全く立たない状況であった。そして、この間、会社の売上高は浚渫船の修繕及び部品売り等の代金を計上するのみで固定費すら賄えない状態であり、このまま推移すれば毎月六〇〇万円強にのぼる赤字の発生が見込まれ、今後資金繰り等を強く圧迫することが予見される事態に立ち至った。特に営業部は、出張旅費や接待費等の費用が膨大にかさみ、人件費等を含めると営業部員一名あたりの月額経費は約二〇〇万円で他部門のそれの約三倍にも及んでおり、営業部員にかかるコストがきわめて大きかった。

そこで、会社は、経費節減の一環として、やむなく営業部員一名を整理解雇することとし、本件解雇に踏み切ったものである。

(八) なお、会社においては、本件解雇以前に、取締役部長に対してベース・アップの据え置きがなされたことはあったものの、従業員に対して一度も給与の欠配・遅配がなされたことはなく、昇給も慣行どおり実施され、夏期賞与・冬期賞与とも欠かさず支給されていた。

(ちなみに、申請人は、会社の各期計算書類はきわめて不正確であって、会社に利益隠しの疑いがあると主張するが、これを認めるに足りる疎明はない)。

以上の認定事実によると、会社は、昭和四九年以来浚渫船のユーザーである骨材業界等の長期にわたる慢性的な不況の煽りを受けて、経営不振に喘ぐようになり、減量経営や販売の拡大策など様々の経営努力を払って企業の維持・存続を図ってきたものの、昭和五六年三月以降本件解雇時にかけては、浚渫船の新規受注は一隻もなく、国内・国外とも将来の受注の見込みは全く立たず、毎月約六〇〇万円強の赤字の発生が見込まれ、今後資金繰り等を強く圧迫することが予見される事態に立ち至ったというのであって、このような状況の下では、たとえ本件解雇以前に従業員に対して給与の欠配、遅配をしたことがなく、昇給も慣行どおり実施され賞与も欠かさず支配されていたとしても、会社は客観的に高度の経営危機にあり、解雇による人員削減は必要やむを得なかったものと認めるのが相当である。

3  解雇回避努力

前記認定事実によると、会社は、経営不振から立ち直るため、再三にわたる人員整理のほか、国外販路の開拓、浚渫工事部門の新設、別会社ケミカルマンの設立など様々な経営努力を払ってきたことが認められる。

しかしながら、他方、疎明資料によれば、会社は、本件解雇に先立って営業部の膨大な経費を節減するため人員削減以外に何ら有効適切な方策を講ずる努力をしていないこと、また、遊休資産として、兵庫県淡路島に広大な土地を所有しているほか、約一〇〇〇万円相当の有価証券を保有しているにもかかわらず、これらを相当時価で売却処分して資金繰りを図る努力をしていないこと、更に、会社は、本件解雇に際して、申請人を膨大な経費のかかる営業部から比較的割安な経費ですむ他部門に配置転換するとか、別会社のケミカルマンに出向させる(ちなみに、同会社は、本件解雇より二か月後の昭和五六年八月下旬新聞広告により営業部員等の募集をしている。)可能性を具体的に、かつ真剣に検討していないこと、他に希望退職者の募集や一時帰休等の方法をとったこともないこと、が一応認められる。

以上によれば、会社において本件解雇を回避するための具体的な措置を講ずる努力が十分になされたものと認めることは困難である。

4  人選の合理性

疎明資料によれば、次の事実が一応認められる。

(一) 本件解雇当時における会社の各部門別陣容をみると、総務部は取締役部長、次長兼経理課長及び部員各一名の合計三名、営業部は取締役部長、営業課長及び部員(申請人)各一名の合計三名であったほか、製造部は取締役部長、製造担当の次長、技術担当の次長、製造課長兼資材課長、製造サービス員二名が配置されていたものの、製造部長は技術部長が、技術担当の次長は技術部技術課長がそれぞれ兼任していたため、実人員は四名であり、また、技術部は取締役部長、技術課長各一名及び部員二名の合計四名、開発部門はテクニカルアドバイザー一名(嘱託)であった。

(二) 右各部門のうち、製造部及び技術部については、昭和五六年三月に製造部員四名を人員整理しており、いずれも必要最少限度の人員しか残っておらず、会社がこれまで納船した浚渫船のサービスや資材の購入状況等に照らし、解雇の対象となるような余剰人員はなかった。また、総務部についても、右と同時期に一名を人員整理していたため、三名しかおらず被解雇者に選定できるような余力は存しなかった。これにひきかえ、営業部については、人員は三名であったものの、昭和五五年度から大手商社等と提携して国外受注に力を注いでおり、商社の営業力に依存する度合が高まっていた関係で、他部門と比較すると未だ増しな状態であった。そのほか、営業部においては、出張等の費用が膨大にかさみ他部門よりも営業部員にかかるコストがきわめて大きかったばかりでなく、当時先行き受注の目処が全く立たず、営業部員の営業活動が受注に結びつく可能性は殆ど考えられない状態であった。

(三) 本件解雇当時における営業部員は、取締役部長の仲田武二、営業課長の宮平衛輔及び申請人の三名であった。このうち、宮平課長は、宮野社長が以前に営業部長として勤務していた別会社の課長であったところ、同会社の経営状態が悪くなったため、同社長との縁故関係により、野村前営業課長の後任として昭和五五年四月頃会社に入社したものである。同人は、水中ポンプ業界の営業マンとして一〇年以上のキャリアを有してはいたものの、浚渫船については格別知識、経験を持ち合わせていたわけではなかった。他方、申請人は、昭和四七年三月頃立命館大学理工学部を中退後、一時家業のネジ製造業を手伝ったが、同五一年一一月頃倒産したので、以後倉庫業務のアルバイトをし、次いで会社員として自動販売機のセールス業務に携わったのち、昭和五四年八月求人広告に応募して会社に採用されたものである。

(四) 申請人は、宮平課長より約八か月早く会社に入社していた関係で、同課長の入社後は宮野社長の指示に基づき申請人が先輩として同課長に対し浚渫船に関する技術的知識や営業業務全般について指導教育しており、同課長よりも申請人の方が右知識、経験が豊富で、それなりに業績も上げていたほか、英文の仕様書の読解力の点でも優れていた。宮平課長と申請人とは、一方が課長、他方が平社員という身分的地位、役職上の差異があったとはいえ、営業業務の内容の面では別段その間に径庭は存しなかった。また、宮平課長は、当時四二才位で家族持ちであったのに対し、申請人は、当時未だ三二才の独身にすぎなかった。

(五) 会社は、本件解雇にあたって何ら明確な整理解雇基準を定めていなかった。

以上認定のような本件解雇当時における営業部と他部門間の人員の余力の程度、営業部員と他部門の部員にかかる経費の多寡、営業部における先行き受注の見込み状況等からみると、会社が整理解雇の対象者を営業部から人選したこと自体はあるいはやむを得なかったものといえなくもない。しかし、本件解雇については何ら明確な整理解雇基準が定められていなかったことや、前記認定のような宮平課長と申請人間の営業経験・営業能力・業績の比較の結果に照らして考えると役職の有無・年令差・家族の存否等の点を考慮に入れたとしても、被解雇者の選定が合理的に行われたと認めるにはいささか疑問があるというべきである。

5  労働者に対する説明協議

疎明資料によれば、次の事実が一応認められる。

(一) 申請人は、昭和五六年六月二九日午後四時頃仲田営業部長に呼ばれ、会社の会議室において、阪野総務部長の同席の下に、仲田部長から、突如、今までの申請人の苦労を労われたあと、「申し訳ないが、君にやめて貰うことになった。」と言われ、予告解雇の通告を受けた。これに対し、申請人は、一驚すると同時に、仲田部長らに対し、解雇理由を明示するよう要求したところ、同部長は、「会社の経営が苦しいから。」と言ったので、申請人は、更に具体的な説明方を要求したところ、同部長らは、「会社の方針である。」、「一か月前の予告通告である。」などと繰り返すばかりで、会社の経営状態や申請人が被解雇者に人選された理由等について何ら具体的な説明をしなかった。そこで、申請人は、会社に明確な解雇の意思表示をさせるとともに、解雇の理由を具体的に明示させる必要があると考え、仲田部長に対し、解雇通告書を交付して欲しい旨依頼した。

(二) 申請人は、翌六月三〇日平常どおり出社して勤務していたところ、同日午後四時頃宮野社長に呼ばれ、会社の会議室において、仲田、阪野両部長の同席の下に、同社長から、就業規則二〇条三号により解雇する旨の同日付解雇通知書を手交され、正式に予告解雇の通知を受けた。その際、申請人は、宮野社長に対し、「経営上の都合とは具体的にどういうことなのか。」、また、「何故私のみが解雇されなければならないのか。」などと詰め寄り、その説明を求めたが、同社長は、「そんなことは君に説明する必要はない。」、「解雇をするのは経営者の勝手である」などとつっぱね、会社の経営状態や申請人が被解雇者に人選された理由等について相変らず具体的な説明をしなかった。

(三) 申請人は、本件解雇前に会社側から、会社が高度の経営危機にあるとの具体的説明を受けたようなことはなく、会社内部においては勿論、会社外の外注先等において会社の経営危機に関する風評を聞いたこともなかった。申請人は、昭和五五年の上半期に、岩倉組土建から浚渫船の代金が会社に入金された旨の電話連絡を傍らで聞いたり、インドネシア向けの輸出船の代金が会社に入金されたことを知っていた。また、同年六月初旬には、仲田営業部長の指示により、浚渫工事の計画・予定等を整理した営業情報を作成し、更に宮野社長の指示により、各営業担当者の行動予定・出張計画を立て、同月中旬頃開かれた営業会議の席上で同社長に対しその説明をしたが、その際同社長から、中部電力とのコンサルト契約を赤字でもいいから受注せよと指示されていた。

以上の認定事実によると、本件解雇当時申請人において会社が高度の経営危機にあることを十分に認識していたものとは認め難く、六月二九日及び三〇日における会社側の解雇通告の状況に照らすと、会社が人員整理の必要性と内容について労働者たる申請人に対して誠実に説明を行い、かつ十分に協議して納得を得るよう努力を尽くしたものと認めることは困難である。

6  以上の次第であって、本件解雇は、整理解雇の四つの有効要件のうち、解雇回避努力、人選の合理性、労働者に対する説明協議の要件を具備充足しているものとは認め難く、したがって無効といわざるを得ない。

三  申請人の賃金並びに保全の必要性

申請の理由4の事実は、当事者間に争いがない。

疎明資料によれば、申請人は、会社から支給される賃金のみで生計を維持してきた労働者であるところ、本件解雇によってその唯一の収入源を断たれたこと、申請人は、現在独身で、両親と同居して生活しているものの、両親から十分な経済的援助を受けられず、自己の貯金や時計・カメラ等所持品の売却代金、あるいは両親・兄弟・友人からの借金を生活費に充てて辛うじて生計を維持していることが一応認められ、同事実によると、本案判決の言渡しを待っていては申請人の生活は完全に破壊され、回復し難い損害を蒙るおそれがあるものと判断される。

以上によれば、本件仮処分申請については、保全の必要性を肯認するのが相当であるが、ただ、本案訴訟の第一審判決言渡し後の賃金の仮払を求める申請部分については、申請人が第一審において勝訴すれば仮執行の宣言を得ることによってその目的を達することができるわけであるから、保全の必要性を欠くものというべきである。

四  結論

よって、本件仮処分申請は、主文第一、第二項掲記の限度で理由があるから、申請人に保証を立てさせないでこれを認容し、その余は理由がなく、かつ疎明に代わる保証を立てさせてこれを認容することも相当でないから、これを却下し、申請費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条但書を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 竹原俊一)

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