大阪地方裁判所 昭和56年(ワ)892号 判決 1982年5月28日
原告
渡辺戊
右訴訟代理人弁護士
佐野喜洋
被告
大銅建設株式会社
右代表者代表取締役
銅伝博
右訴訟代理人弁護士
金子光一
右当事者間の頭書請求事件について、当裁判所は、昭和五七年四月五日終結した口頭弁論に基づき、次のとおり判決する。
主文
一 被告は原告に対し金二一九万七一六〇円とこれに対する昭和五六年二月二一日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の、その余を被告の、各負担とする。
四 この判決は第一項に限り仮に執行することができる。
事実
第一申立
一 原告
1 被告は原告に対し金六五五万五〇〇〇円とこれに対する昭和五六年二月二一日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え(但し、退職金五七六万円と未払給与昭和五五年一、二、三月分計金七九万五〇〇〇円の合計金とその遅延損害金の請求である)。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
との判決、及び仮執行宣言。
二 被告
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
との判決。
第二主張
一 原告の請求原因
1 原告は、昭和三四年六月、被告(以下適宜、被告会社という)と雇傭契約(以下適宜、本件雇傭契約という)を結んで入社し、以降二一年間余その従業員として就労し、昭和五五年一二月六日右契約を解除して被告会社を退職した。
2 被告会社の当時の就業規則中の退職金規程では、勤続二一年間の従業員に対する退職金は基本給の三二カ月分という定めであった。
3 原告の昭和五五年当時の被告会社での給与は月額金二六万五〇〇〇円であり、内金一八万円が基本給であった。
4 従って、原告は被告に対し、昭和五五年一、二、三月分給与として計金七九万五〇〇〇円、右退職に伴なう退職金として右基本給の三二カ月分の金五七六万円、の各債権を有するところ、被告はこれを支払わないので、原告の申立1のとおり、右合計金と遅延損害金(訴状送達の翌日から民法所定割合によるもの)の支払を求める。
二 請求原因に対する被告の認否
1 請求原因事実1のうち本件雇傭契約の成立、原告が被告会社で昭和三四年一二月一日以降二一年間余被告会社で就労したことは認め、原告の入社日・退職日、退職事由は否認し、退職当時原告が被告会社の従業員であったこと、昭和四五年八月一一日以降の原告の就労が従業員としてのものであったこと、は争う。
なお、原告が被告会社へ入社した日は昭和三四年一二月一日であり、退職した日は昭和五六年三月三〇日である。
2 請求原因事実2は認める。
3 請求原因事実3のうち、原告の昭和五五年一月の支給分が金二六万五〇〇〇円であったこと、原告の同年における基本給が金一八万円であったこと、は認めるが、その余の点は否認し、右支給分が給与の趣旨であることは争う。
なお、原告の昭和五五年二、三月支給分は、月額金二三万八五〇〇円であった。
4 よって、請求原因4の法律関係は争う。
三 被告の抗弁
1 (取締役就任時に本件雇傭契約終了済)
(一) 原告は、昭和四五年八月一一日被告会社の取締役に就任し、その際本件雇傭契約は終了した。
(二) 右以降原告は被告会社内外にあって取締役の肩書で振舞っており、被告会社も原告に対し、それまでの従業員給与に換え、同額以上の役員報酬を支給し、かつ、従業員の定年六〇歳を超えても退職を求めなかった。
(三) よって、原告は前記退職日(昭和五六年三月三〇日)当時は被告会社の取締役であって従業員ではなく、その退職事由も雇傭契約解除ではなく取締役辞任であるから、右退職については就業規則中の退職金規定による退職金は支給されず、株主総会決議があった場合それに従った退職慰労金等が支給されるところ、原告に退職慰労金等の支給をする旨の被告会社の株主総会決議は為されておらず、右退職に伴ない被告会社が原告に退職金等を支給する理由はない。
2 (人員整理による退職の場合の退職金不支給規定の準用)
(一) 被告会社の就業規則中の退職金規程では、「事業の縮少又は廃止により人員整理を行う時の退職については、本退職金規程を適用しないことがある」(第一〇条)との定めがある。
(二) 被告会社は昭和五五年一〇月二〇日和議認可決定を受けたものであって、右和議申立前後頃に退職した従業員の退職金については、被告会社に支払資金がなかった為、実質的に右条項(退職金規程第一〇条)を適用したのと変わらない処遇であったのに、原告だけが完全な退職金を取得するとすれば不公平である。
(三) 原告は、右和議認可時にも被告会社の取締役の一人であって、右和議の履行に責任を負うべきところ、その認可直後一方的に自分の都合で退職を申出、かつ自らが被告を代理して売却契約した被告会社所有の土地をその履行直前に本件退職金債権を被担保債権にして仮差押をし、被告会社の右和議の履行を妨害する等、信義に反する挙に出ている。
(四) そこで被告会社は、原告に対しては、右退職金規程第一〇条(不支給条項)の準用により、その退職金を支給しないこととしたが、この措置は、右(二)、(三)の事情の下では相当である。
(五) よって、原告の右退職金請求は理由がない。
3 (差引勘定)
(一) 被告は、原告の右退職日(昭和五六年三月三〇日)当時、原告に対し、次記(1)及至(3)の各債権及び同(4)の前渡金があり、その合計額は金四三九万一八〇〇円であった。
記
(1) 貸付金一一一万九五六〇円。
(2) 仮払金九万二五〇〇円。
(3) 立替金一七万九七四〇円。
右は、原告の昭和五五年一及至三月分支給金から官公署へ納付すべき社会保険料、所得税、住民税源泉徴収分等の公租公課の計金一一万二七八〇円と、原告が事実上出社しなくなった後正式に退社するまでの間である昭和五六年一及至三月分の原告が負担すべき社会保険料計金六万六九六〇円とにつき、当時被告が立替払したものである。
(4) 退職金の前渡金三〇〇万円。
右は、昭和五〇年一〇月二八日原告の申出により被告が退職金の前渡として原告に支給したものである。原告主張の如き、手形割引の謝礼等ではない。
(二) 被告は、本訴口頭弁論期日において、原告に対し、仮に原告の右未払給与・退職金が存する場合は、右(一)の(1)及至(4)の合計金四三九万一八〇〇円をもって差引計算する旨申出をし、原告もこれに同意したし、また前記退職金規程第一三条では、被告会社がこれらを退職金から控除して清算しうる旨定めてある。
(三) よって、原告に右未払給与・退職金が幾分か存するとしても、右(一)の(1)乃至(4)の合計金が控除されて残は存しないから、原告の右未払給与・退職金請求は理由がない。
四 抗弁に対する原告の認否
1 抗弁1(取締役就任時に雇傭契約終了済)につては、その(一)の事実中、原告が昭和四五年八月一一日に被告会社の取締役に就任したことは認め、これにより本件雇傭契約が終了したことは否認し、その(二)、(三)は争う。
原告の右取締役就任は名目的なものにすぎず、右以降も原告は以前と同様の雇傭条件で被告会社の従業員である総務部長等として就労し給与を受けてきたのであって、取締役としての就労・報酬はなかった。
2 抗弁2(人員整理による退職の場合の退職金不支給規定の準用)については、その(一)の事実は認め、その(二)乃至(五)は争う。
原告の退職は、「自己都合退職」であり、右退職金規程第一〇条所定の「人員整理による退職」の場合ではないから、同規程の適用はなく、準用もありえない。
3 抗弁3(差引勘定)については、次のとおり認否及び反論する。
(一) 右抗弁の(一)の(1)・(2)の各債権は認める。
(二) 同(一)の(3)については、その内、昭和五五年一乃至三月分公租公課計金二万二七八〇円の立替金債権は認めるが、その余の債権は争う。
原告は昭和五五年一二月六日に退職しその際取締役も辞任しており、その後は被告会社から給与等一切受けておらず、被告が昭和五六年一乃至三月分の原告の社会保険料を立替払する余地はない。
(三) 同(一)の(4)については、当時金三〇〇万円を受領したことは認めるが、その趣旨は否認する。
右は当時原告が業務とは別の個人的才覚によって、被告会社に対し、手形割引により金一六〇〇万円程度の利益を与えた功労金として受領したもので、その金員の出所も被告会社であるかその代表者個人であるか定かではない。
(四) 同(二)については、被告の原告に対する債権等(前記抗弁3(一)の(1)乃至(4))が存すれば、その存する限度で原告の本訴請求債権から差引くことには異議がなく、同(三)は争う。
第三証拠(略)
理由
一 退職金について
1 原告が昭和三四年に被告と雇傭契約(本件雇傭契約)を結んで被告会社に入社し、以降、二一年間余被告会社において就労し、退職したこと、原告の昭和五五年当時の被告会社での月々の支給金の内基本給部分は月額金一八万円であったこと、被告会社の当時の就業規則中の退職金規程では、勤続二一年間の従業員に対する退職金は基本給の三二カ月分という定めであったこと、原告は昭和四五年八月一一日被告会社の取締役に就任したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。
2 そこで、次に、本件雇傭契約が右取締役就任により終了したか否か、右退職時原告の被告会社における就労・支給金は取締役としてのものか従業員としてのものか、の点について判断する。
(一) (書証・人証略)を総合すると、次の事実が認められる。即ち、
(1) 被告会社の就業規則中の従業員退職規程第三条六号には、従業員に退職金を支給する場合の一つとして「会社役員に就任したとき」と定めてあるが、原告が右取締役就任の際には右規程によるものを含め退職金は一切支給されていないこと。
(2) 原告は、右取締役就任当時被告会社の総務部長等として総務・経理その他事務全般を担当していたが、右取締役就任後も、後任の総務部長等の任命はなく、右事務全般は引続き原告が以前同様に担当してきたものであること。
(3) 原告に対しては、右取締役就任後も、被告から取締役としての報酬の支払はなく、以前同様従業員としての水準の給与が支払われており、以降、原告の被告会社での就労条件、待遇に、取締役就任によるものといえる変化が窺えないこと。
(4) 原告が右取締役に就任した経緯は、当時、被告会社の取締役に欠員が生じ、その補充に就任が予定されていた者が取締役就任を断った為、被告会社代表者の求めで、急拠原告が就任するに至ったものであること。
以上の事実が認められ、これらの点につき右認定を覆すに足る反証はない。
(二) 右事実によれば、原告の右取締役就任は単なる名目的なものに過ぎず、右取締役就任によって本件雇傭契約は終了しておらず、以降も原告は引続き従業員として就労していたというべきであり、原告に対する被告会社の月々の支給金も全額従業員としての給料であったということができ、この状況は原告が被告会社を退職するまで変わりはなかったとみられるところである。
(三) もっとも、被告は、<1>原告が従業員であれば前記就業規則第四〇条により六〇歳で定年となり、従業員として残るとすれば嘱託として再雇傭となり給与も六割位に減額されるはずのところ、原告が七〇歳以上まで退職を求められることなく就労を続け、月々の支給金も以前と同等又はそれ以上の額が支給されていたこと、<2>原告が取締役としてふるまい被告会社の経営に実質的に参画していたこと、<3>原告が退職の際に昭和五六年三月三〇日付取締役辞任届(書証略)を提出していること、<4>原告に対し右取締役就任の際退職金が支給されなかったのは、前記退職金規程による退職金の額に見合う仮払金等の反対債権が存した為であったこと、等の点を根拠に、原告の前記取締役就任後の就労は従業員としてのものではなく取締役としての就労であり、その退職も取締役辞任であって、前記退職金規程による退職金支給の対象とならないものである旨主張し、それに副う証拠として(書証略)も存するところであるが、右<2>、<4>の点は、(書証略)、現在抗弁3(一)(1)の貸付金が存することにつき双方に争いがないこと等をもっては、(書証・人証略)に照らし、未だこれを認めるに十分ではなく、他にこれを認めるに足る証拠はなく、右<1>、<3>の点は、(書証略)により、その外形的事実は認められるも、(書証・人証略)により認められる事実、即ち、原告は、右取締役就任当時既に被告会社の定年を超えていながら総務部長等として就労していたこと、その事情は、原告が退職すると被告会社では経理事務等を行なう適当な後任者がいなかった為、被告会社代表者からの要請で、原告が定年後も従前どおり就労していたというものであったこと、原告としては、当時から退職金をもらって適当な機会に被告会社を退職する心づもりでいたこと、前記取締役辞任届(書証略)は原告が被告会社を退職した後、後日、被告会社の事務処理の都合上提出方求められて提出したものであり、右届の提出により退職したものではないこと、以上の事実によれば、原告が被告会社において定年を過ぎ七〇歳を超えてなお従前の給与水準で就労していたことが単に取締役に就任した為だけともいえず、かつ、右取締役辞任届の提出は単なる事務処理上の都合であったというべきであって、結局、これらの点も右(二)の結論を覆すに足る事情とはいえず、よって、右(二)の結論に反する被告の右主張は根拠がない。
3 なお、被告は抗弁2において、種々の理由を挙げて、原告の退職及び本件退職金請求が信義則に反するとか、前記退職金規程第一〇条の人員整理による退職の場合の不支給規定が適用又は準用されるとか、主張するが、原告本人尋問結果、弁論の全趣旨によれば、原告の退職は、自己退職であって人員整理による退職の場合ではないことが明らかであり、そうとすれば、右退職金規程第一〇条の効力はさておき、そもそも原告の退職に右不支給規定の適用又は準用はなく、また被告の抗弁2で主張する事情は、仮にそれが存するとしても、右退職金請求が信義則上許されないとする事情とはいえないものであるから、被告の右主張は失当である。
4 以上によれば、その余の点につき確定するまでもなく、原告は、被告会社の右退職金規程により、従業員として二一年間勤続して退職した場合として、基本給金一八万円の三二カ月分の退職金五七六万円の債権を被告に対し有するものということができる。
二 未払給与について
原告の被告会社における昭和五五年一月の支給分が金二六万五〇〇〇円であったこと、及び同じく同年二、三月の支給分につき金二三万八五〇〇円の限度では、当事者間に争いがなく、右支給分が従業員として給与であったことは前記一2(一)(3)、同(二)の認定・評価のとおりである。そこで、これを前提に原告の昭和五五年二、三月分給与が金二三万八五〇〇円を超えて金二六万五〇〇〇円までの額となっていたか否かの点につき判断する。
(一) (書証略)の各記載内容、及び弁論の全趣旨によれば、昭和五五年一月被告会社は資金繰がいき詰り和議申請をし、当時取締役でもあった原告への給与も同年一乃至三月分は貸付金等と相殺含みで現実の支払を止め、また同年二月分以降原告の役職手当を従前七万円から四万三五〇〇円に減額することとしたところ、原告はこれを了承し、原告の同年二月分以降の給与は金二三万八五〇〇円となったことが認められる。
(二) なお、(書証略、給料明細)は当該月分を欠き、記載内容から昭和五四年一一月分のものと認められる(書証略)の給与額は金二八万五〇〇〇円、同じく昭和五五年一〇月分のものと認められる(書証略)の給与額は金二三万八五〇〇円であり、(書証略)は四乃至八月分のもので給与額金二八万五〇〇〇円となっているが、その記載からは年度は不詳であり、(書証略)に照らせば昭和五四年のものと推認されるものであって、結局これらは右(一)の認定と矛盾するものではなく、また(書証・人証略)のうち右(一)の認定に反する部分は、他の証拠に照らし措信できない。
(三) よって、原告の昭和五五年一乃至三月分の右未払給与は計金七六万二〇〇〇円ということができる。
三 差引勘定について
1 被告が原告に対し、昭和五六年三月三〇日当時貸付金一一一万九五六〇円、仮払金九万二五〇〇円、立替金一一万二七八〇円(但し、原告の昭和五五年一乃至三月分支給金から官公署へ納付すべき社会保険料、所得税・住民税源泉徴収分につき被告が当時立替払したものである)、以上計金一三二万四八四〇円の債権を有していたことは、当事者間に争いがなく、その後、これらにつき原告が弁済したことの主張・立証はない。
また、昭和五六年一乃至三月分の原告の社会保険料についての被告の立替金六万六九六〇円については、(書証・人証略)によれば、原告は昭和五五年一二月に退職の申出をし、昭和五六年一月七日以降は被告会社に就労しておらず、同月分以降の給与の支給も受けていないのであり、原告・被告ともこれらにつき相手方に異議を述べていなかったことが認められ、右事実によれば、原告は昭和五六年一月初以降は、既に、被告会社を退職していたとみられるから、原告が被告会社に勤務していることを前提とする右社会保険料を原告が負担すべきであったとは直ちにはいえないのであり、従って、被告が右社会保険料を官公署に支払ったことの有無を判断するまでもなく、右昭和五六年一乃至三月分社会保険料の立替金債権を認めるに足る主張・立証はないというべきである。
2 次に、被告会社又はその代表者個人が原告に対し昭和五〇年一〇月二八日頃金三〇〇万円を交付したことは当事者間に争いがないところ、その趣旨につき、退職金の前渡金か手形割引の功労金かの争いがあるので、この点につき判断する。
(一) (書証・人証略)によれば、原告が当時手形割引により資金捻出をしたことはあったが、その内容は、他人の手形を被告会社名の裏書により、被告会社が金融機関に有する手形割引の枠の余裕分を用いて割引現金化するという、被告会社の信用と危険負担によるものがほとんどであり、ただ少額の手形につき合計数百万円程度の分を原告が裏書し知人のところで割って資金捻出したことがあったにすぎないことが認められ、右認定に反する(書証・人証略)はたやすく措信できず、他に右認定を覆すに足る証拠はない。
右事実によれば、右金三〇〇万円の出所が被告会社かその代表者個人かはさておき、原告が当時右金三〇〇万円を手形割引の功労金として受けうるほどの特別の利益を被告会社やその代表者個人にもたらしたとはいえないのであって、従って、右金三〇〇万円が原告の主張するような手形割引の功労金ということはできない。
(二) そうすると、他に右程度の金額の金員を当時原告が被告会社又はその代表者から交付される理由が見当らず、また前記(書証略)、前記一2(三)中の認定事実、弁論の全趣旨によれば、原告は、取締役就任当時から退職時の退職金の支払確保に強い関心を抱いていたが、右金員交付当時、被告会社の経営の先行不安を危惧していたところ、被告会社又はその代表者個人に偶々手形割引による金一〇〇〇万円位の余裕が生じたのを知ったことが認められることを考え合わせれば、右金員交付の趣旨は、退職金の前渡以外に考えられないところであって、(書証・人証略)のとおり、右金員交付の趣旨は退職金の前渡と認めるのが相当である(なお、当時、原告が退職した場合の退職金の額は証拠上確定できないが、前記一で認定した退職金の額と計算方法に鑑み、右金三〇〇万円は当時の退職金の前渡としても不合理な額とはいえない)。
(三) もっとも、成立に争いがなく、その内容や弁論の全趣旨により昭和五〇年一月頃被告会社が申立した和議につき公認会計士が作成した調査報告書の一部と認められる(書証略)には、退職給与引当金欄に、原告につき「退職金五四五万九四〇〇円、前渡金一一一万九五六〇万円と相殺」との旨の記載が存するものの、右金三〇〇万円の前渡に関する記載は存しないが、(書証略)によれば、右欄の記載は、経理事務を担当していた原告の説明と提供資料に基づく将来の支払予測の数値であって、確定債務としての計上ではないことが認められ、また、(書証・人証略)によれば、右金三〇〇万円の授受につき被告会社の帳簿に記載がなく、かつ、その金員の出所が被告会社かその代表者個人か必ずしも明らかでないことが認められるが、右証拠に(書証略)を総合すれば、被告会社はいわゆる同族会社であって被告会社の計算とその代表者個人の計算が混然とし、被告会社の支出すべきものをその代表者個人が負担することもありうる状況で、帳簿の記載も必ずしも正確でなかった点もあったと推認され、従って、右調査報告書や帳簿に右金三〇〇万円に関する記載がないことや仮に右金員を被告会社代表者個人が支出したとしてもそのことをもって、右(二)の結論を覆すことはできないものであり、右(二)の認定に反する(書証・人証略)は措信できず、他にこれを左右するに足る証拠はない。
3 してみると、被告は原告に対し、前記貸付金一一一万九五六〇円、仮払金九万二五〇〇円、立替金一一万二七八〇円、以上計金一三二万四八四〇円の債権と、前記退職金の前渡金三〇〇万円を有するものということができる。
そして、弁論の全趣旨によれば、原告・被告は、本件口頭弁論期日において、被告主張の債権・前渡金につき、その存する限度で原告の請求債権から差引計算することに合意していると認められるところ、右合意は、退職後に為され、本件雇傭契約終了に伴なう残存債権債務の清算として合理性があるから、労働基準法二四条の趣旨を潜脱するものではなく、もとより有効である。
4 そうすると、原告の本訴請求債権中認めうるのは、前記一、二のとおり、未払給与計金七六万二〇〇〇円と退職金五七六万円であるところ、これから差引計算しうる被告の反対債権、前渡金は、右3のとおり、反対債権計金一三二万四八四〇円と退職金の前渡金三〇〇万円であるから、差引計算をすると、まず右退職金から右前渡金が弁済ずみとして控除され、次に、右一、二の認定から先に弁済期が到来したことが明らかである右未払給与、右退職金残高の順で右反対債権と対当額で相殺として控除され、結局右退職金のうち、金二一九万七一六〇円が残存していることとなる。
四 結論
以上の次第によれば、原告の本訴請求は、そのうち右退職金の一部金二一九万七一六〇円とこれに対する訴状送達の翌日であることが一件記録上明からである昭和五六年二月二一日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金とを請求する限度で理由があり、その余は理由がないから、右理由の有無に従い、一部認容一部棄却とし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行宣言につき同法一九六条を、各適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 千徳輝夫)