大阪地方裁判所 昭和57年(ヨ)3425号 1983年9月13日
申請人
山口公伸
申請人
古賀隆夫
右両名代理人弁護士
相馬達雄
同
山本浩三
同
中嶋進治
同
豊蔵広倫
同
小田光紀
同
藤山利行
被申請人
近畿交通共済協同組合
右代表者代表理事
柏原庸
右訴訟代理人弁護士
川村俊雄
同
中井康之
同
木村保男
同
的場悠紀
同
大規守
同
松森彬
主文
本件申請をいずれも却下する。
訴訟費用は申請人らの負担とする。
理由
第一当事者の求めた裁判
一 申請の趣旨
1 申請人らが被申請人に対し労働契約上の権利を有することを仮に定める。
2 被申請人は申請人山口公伸に対し金四四六万二二〇三円及び昭和五八年八月一日から本案判決確定に至るまで毎月一七日限り月額二八万一〇二七円の割合による金員を仮に支払え。
3 被申請人は申請人古賀隆夫に対し金四〇一万八六五三円及び昭和五八年八月一日から本案判決確定に至るまで毎月一七日限り月額二五万七七二八円の割合による金員を仮に支払え。
4 訴訟費用は被申請人の負担とする。
二 申請の趣旨に対する答弁
主文一、二項と同旨
第二当事者の主張
(申請人両名)
一 当事者
1 被申請人は、組合員が自動車を所有、使用または管理に起因して他人に人的、物的損害を与えた場合における損害のてん補及び組合員の自動車に生じた損害のてん補並びに組合員の事業に従事する従業員の労働災害の補償を行ない組合員の経営の安定を図るとともに貨物自動車運送事業の健全な発達に資することを目的として昭和四五年八月三日に設立された共済事業協同組合である。
2 申請人山口公伸(以下山口公伸という)は、昭和四九年三月大阪市立大学経済学部を卒業し、昭和五一年一一月一日被申請人の職員として採用され、昭和五三年四月一日営業部労災課係長、昭和五七年四月一日営業部浪速南・西・大正・港地域事務所係長に就任し現在に至っている。
申請人古賀隆夫(以下古賀隆夫という)は、昭和四六年三月長崎大学教育学部を中退し、スーパー、塗装店などに勤務した後、昭和五四年八月一日被申請人の職員として採用され、数度の人事異動を経た後、昭和五七年四月一日営業部東大阪・南大阪地域事務所に配属され現在に至っている。
二 申請人両名の退職願の提出
山口公伸と古賀隆夫は昭和五七年七月二〇日被申請人に対し退職願(以下辞表ともいう)を提出した後、同月二二日付の書面により退職願を撤回したが、被申請人は右撤回は認められないとして申請人両名が被申請人事務所へ立ち入るのを拒否している。
しかし、右退職願に基づく退職は無効である。
1 申請人両名が辞表を提出したのは後記のとおり人事異動の撤回要求に圧力を加えるためであり、申請人両名には終始真実退職する意思はなかった。右辞表を受け取った岡清専務理事(以下岡専務という)は申請人両名の真意を十分に理解し、一旦辞表を撤回させ、又、二度目に辞表を受け取った後も古賀隆夫に人事異動の辞令を受け取るよう説得するなどしており、申請人両名に真実退職する意思がないことを十分了解していたものである。従って、申請人両名の提出した右辞表は心裡留保により無効である。
2 辞意の撤回
(一) 申請人両名の辞表提出は人事異動に抗議する目的でされたもので無効であるが、仮に有効であるとしても、申請人両名は同月二一日被申請人に対し内田和人を通じ口頭で辞意の撤回をした。その後申請人両名は同月二二日被申請人に対し書面をもって辞意を撤回した。
辞表の提出は合意解約の申し入れであり、合意解約が成立するためには被申請人の承諾の意思表示が必要である。又、被申請人の就業規則36条一項には、「本人の都合により退職を願い出て組合の承認があったとき、または退職願提出後一四日を経過したとき職員の身分を失う」と定められ、承諾が必要とされている。承諾の意思表示がなされるまでは辞意の撤回は自由である。しかし、後記のとおり被申請人の承認の意思表示はされていない。
従って、申請人両名の辞意の撤回は七月二二日になされているのであるから、合意は成立していない。
(二) 承認行為
(1) 七月二〇日、申請人両名が退職願を提出した際、岡専務はこれを黙って受理したのみで、これを承認するような言葉などなかった。
就業規則1条2項には、「この規則の定めない事項で職員の就業に関して必要な事項は……人事院規則ならびに同細則……の定めるところによる。」と人事院規則に準ずる旨を定めている。そして、人事院規則八―一二(職員の任免)七五条によると、「職員の辞職を承認した場合、職員に人事異動通知書を交付しなければならない。」とされている。従って、申請人両名の退職願を承認する場合、文書によって行なわなければならないが、申請人両名は承認に関する文書の交付を受けていない。被申請人は承認は口頭の意思表示で足りると主張するが、これは就業規則即ち右人事院規則の趣旨が職員の身分関係に重大な変更をもたらす場合には、必ず書面によって明らかにすべきであることとされているのであるから、書面によらない承認は就業規則に定める手続に著しく違反するものとして無効というべきである。被申請人は配置換等の人事異動についてこれまで辞令を交付していたのであるから、職員にとってより重大な身分関係の喪失につき書面を交付すべきことは当然の要求である。
(2) 岡専務には職員の人事に関する権限、即ち退職願を承認する権限がなかった。
禀議規程4条1項別表総務部番号11によると、部長以外の人事権は専務にあるかのように規定されている。しかし、定款32条2項によると、職員の任免権は理事長にあると規定されており、禀議規程4条1項も、「禀議の処理について……別表の定めるところにより……専務理事に対して事務を委任することができる」と定めるのみであるので、これをもって直ちに岡専務に人事権があると断定することはできない。
人事権が誰にあるかについては人事権行使の実態を検討すべきであり、労働組合に対する人事異動の通知書、労働協約書、団体交渉申入れに対する回答書及びその他人事に関する通知書はすべて理事長名義で作成されていること、職員の採用、退職承認、退職金の支払につきすべて禀議書が作成され、副理事長が決裁印を禀議書に押印していること、同年七月二一日申請人両名が退職願の撤回をした後、岡専務が副理事長に対し、右撤回を認めるべきか否かにつき指示を仰いでいること、及び翌二二日岡専務及び俣木浅吉常務理事(以下俣木常務という)が理事長に対し古賀隆夫の提出した退職願撤回の書面を認めるべきか否か伺いをたて決裁を受けに行ったこと、労働組合が岡専務と団体交渉を行なっても岡専務に権限がなく、いつも正副理事長に相談しないと結論が出ないことなどの実情からすれば、人事権は理事長若しくは少なくとも副理事長にあるといわなければならない。
なお、被申請人は申請人両名の退職願承認に関する禀議書(<証拠略>)を提出しているが、右禀議書には左のとおり不自然な点が多く、これはあたかも退職承認の権限が岡専務にあるかの如く装うため後日作成したものである。
イ 同じ退職承認禀議書(<証拠略>)には副理事長の決裁印がありながら、右禀議書には委任事項というゴム印が押されていること
ロ 退職金の支給は人事・給与に関する問題であり、退職承認と同様に考えるべきものであるが、これについては副理事長の決裁印が押されていること
ハ 右禀議書にのみ決裁日の日付印が押されていること
ニ 右禀議書は岡専務が退職願を受理したのちに作成されたものであるが、被申請人が主張するように退職願を受理した時に権限を有するものの承認行為があれば、あえて禀議書を作成する必要がないこと
三 退職願提出の経緯
1 被申請人において昭和五五年三月三一日労働条件を改善する目的で労働組合(大阪一般労働組合同盟近畿共済労働組合、組合員数当初一五名、現在九名)が結成され、それに所属する組合員の人事に関する事項、労災上積み補償等について要求を出し、昭和五六年四月一日組合員の人事に関する協約を左記の通り締結するなどして労働条件の改善を図ってきた。
(一) 正式発令の五日前に被申請人は労働組合に当該組合員の人事異動を通知する。
(二) 被申請人は当該組合員の人事異動について労働組合の意見を聴くものとする。
(三) 被申請人の人事権行使による決定につき、不当労働行為の疑いのないものについては労働組合はこれを尊重する。
当初、山口公伸が副執行委員長、古賀隆夫が執行委員長を務め、現在は山口公伸が執行委員長、古賀隆夫が副執行委員長を務めている。
2 被申請人は労働組合結成後組合員に対し頻繁に人事異動を行ない、被申請人の中枢部である総務部から組合員を廃除し、残業の多い部署に配転するなど不当な人事異動を行なった。
労働組合は右の人事異動に抗議し、特に昭和五七年二月一〇日付の古賀隆夫の人事異動に対し、<1>春季賃上げ交渉開始の直前における異動は明らかに労組活動への制約となること、<2>四月新体制を控え異動そのものが合理性に欠け、不当人事の疑いがあることなどを理由に強く反対し、被申請人と折衝を行なった結果、同年二月一五日次の事項を労使間で確認した。
(一) 経営側は古賀隆夫の異動に際して労働組合活動に支障をきたさないよう十分配慮する。
(二) 経営側は労働組合員の人事異動においては五日前通知の前段階で労働組合の意見を聴く。
それにもかかわらず、被申請人は同年四月一日付で組織改革を理由に人事異動を行なった後、同年七月一五日古賀隆夫に対し同月二〇日付で営業部中央・北大阪・第六地域事務所への異動を命ずる通知を行なった。しかし、右通知は労働組合に意見を求めることなく発せられたもので、これは前記協約及び労使間の確認事項に反する。又、右異動は、営業部中央・北大阪・第六地域事務所の植田圭治が退職したことにより欠員が生じたことを理由とするものであるが、それには合理的理由がなく、又、人事異動通知の際古賀隆夫は同地域事務所にて前任者の時から滞積した対物関係の仕事を担当するように命ぜられ、右人事異動に応じた場合必然的に多くの残業を余儀なくされ、副執行委員長としての組合活動を著しく阻害することは明らかであった。
3 被申請人側との交渉
(一) そこで、労働組合としては右人事異動に抗議するため、申請人両名の正副委員長と書記長の内田和人の三名が同年七月一六日被申請人の岡専務及び俣木常務に会い、人事異動の撤回を申し入れたが、話し合いは平行線をたどり翌一七日に再度話し合うことになった。
(二) 同月一七日、右申請人ら三名は岡専務、俣木常務と再度話し合い、右人事異動の撤回を申し入れたが、納得のいく返事を得られなかったため、申請人両名は労働組合として強い抗議態度を示す目的で辞表を提出しようとしたところ、これに驚いた岡専務が「君達の気持は十分わかった。私がなんとかするから辞表は引込めてくれ。根回しの時間がほしいので返事は月曜日(七月一九日)まで待ってほしい。」と答えたので、辞表を撤回し、岡専務の回答を待つことにした。
(三) 七月一九日、古賀隆夫と内田和人の両名は岡専務に呼ばれ、「今回の人事異動を変更することはできない。」との回答を受け、前回と話しが大きくくい違うと抗議したが、岡専務が姿勢を変えようとしないので、両名は労働組合で再度協議し、翌二〇日再度岡専務と話し合うことにした。
(四) 同月二〇日、右申請人ら三名は、岡専務と会い、再度人事異動に抗議し再検討を要請したが、岡専務は同様に態度を変えようとせず、話し合いが膠着状態となったため、申請人両名は人事異動に対する抗議の目的で辞表を提出したところ、岡専務はこれを黙って受け取った。
なお、岡専務は、同日午後古賀隆夫に対し右人事異動の辞令を理由も告げずに受け取るよう要求したが、古賀隆夫はこれを拒否した。
(五) 労働組合は、被申請人の強硬姿勢に対してこれ以上強く反対することもできず、やむなく今回は譲歩することとし、翌二一日内田和人が岡専務に対し、「古賀は辞意を撤回することにした。山口も同様に考えているので、両名が職場に残る方向で専務の取り計らいをお願いしたい。」と申し入れたところ、岡専務は、「よしわかった。それならなんとかしよう。」と答えた。
(六) 同月二二日、申請人両名は辞意撤回の文書をそれぞれ上司たる所長に手渡し専務への仲介を依頼したところ、古賀隆夫の上司の林静雄所長はこれを受け取り岡専務に手渡したが、山口公伸の上司の矢木俊雄所長はこれを拒否したので、翌二三日俣木常務に手渡した。これに対し被申請人は同月二二日古賀隆夫に対し、同月二三日山口公伸に対しそれぞれ辞意撤回は認められない旨の通知書を交付した。但し、申請人両名は右通知書を受け取る以外に被申請人から申請人両名の辞表提出につき口頭又は書面による何らの通知を受けていない。
四 給与
申請人両名が受けるべき昭和五七年八月から昭和五八年七月までの給与及び賞与の総額は、山口公伸については四四六万二二〇三円、古賀隆夫については四〇一万八六五三円となる。そして、同年八月以降受けるべき月額給与は、山口公伸については金二八万一〇二七円、古賀隆夫については金二五万七七二八円である。なお、給与支給日は毎月一七日である。
五 保全の必要性
申請人両名はいずれも賃金を唯一の生活の資とする労働者であり、他に何ら資産も有せず、山口公伸は現在妻及び四歳の子を、古賀隆夫は妻と子三名をそれぞれ抱え、賃金の支払いを絶たれた結果その生活維持に著しく苦慮している。
よって、本件仮処分申請に及ぶ。
(被申請人らの答弁)
一 申請人らの主張一は認める。
同二の冒頭事実は、右退職願に基づく退職は無効である旨の主張を争い、その余は認める。但し、山口公伸が退職願を撤回する旨の書面を提出したのは七月二三日である。同二の1は否認する。同二の2のうち、七月二一日内田和人が口頭で申請人両名の退職願撤回の許否を打診してきたこと、その後申請人両名が書面をもって退職願の撤回を申し出たこと、被申請人が申請人両名に退職辞令を出していること、就業規則、人事院規則、禀議規程には申請人両名主張の規定が存することは認め、その余は否認する。
同三の1は認める。同三の2のうち、被申請人は労働組合結成後組合員に対し人事異動を行なったこと、昭和五七年二月一五日労働組合員の異動に関して申請人両名主張の事項が労使間で確認されたこと、被申請人は同年七月一五日古賀隆夫に対し営業部中央・北大阪・第六地域事務所への異動を命ずる通知をしたことは認め、その余は否認する。同三の3のうち、申請人両名と内田和人の三名が同年七月一六日に岡専務及び俣木常務と人事異動について話し合いをしたこと、同月一七日申請人両名と内田の三名が岡、俣木両理事と再度話し合いをしたこと、申請人両名が退職願を提出したこと、一九日に再度話し合うことにして一旦退職願を引っ込めたこと、一九日に内田和人と岡専務が話し合い、翌二〇日再度話し合うことにしたこと、二〇日に申請人両名と内田の三名が岡専務と話し合いをしたこと、申請人両名が退職願を提出し、岡専務がそれを受け取ったこと、古賀隆夫の異動を発令したが、同人が辞令を受け取らなかったこと、同月二一日内田が岡専務に対し申請人両名の退職願の撤回を検討してやってほしい旨を申し出たこと、同月二二日古賀隆夫が岡専務に退職願撤回の文書を提出したこと、同月二三日山口公伸が俣木常務に退職願撤回の文書を提出したこと、被申請人が申請人両名に対し退職願撤回は認められない旨の通知書を交付したことは認め、その余は否認する。
同四、五は不知。
二 被申請人の主張
1 申請人両名の退職の経緯
(一) 被申請人の中央・北大阪・第六地域事務所の係員植田圭治が昭和五七年七月九日付で退職したのに伴い、その欠員補充のため被申請人は古賀隆夫を七月二〇日付で東大阪・南大阪地域事務所から中央・北大阪・第六地域事務所に配置換えしたいと考え、七月一五日に労働組合に右人事異動について書面で通知した。この人事異動は植田圭治が主として対物・車両の事故処理をしていたところ、東大阪・南大阪地域事務所には右事務処理に精通していた者が二名いたため、そのうちの一人である古賀が選ばれた。なお、配置換えといっても、同じ建物の同じ部屋の中で机の場所が替るだけであり、古賀隆夫の組合活動に何ら支障を及ぼすものではない。
(二) 同月一六日申請人両名と内田和人が、「古賀の異動を考え直してほしい。」との相談を岡専務に持ちかけ、俣木常務と同席のもとに話し合いを行なった。古賀隆夫の理由は、「新しい事務所長の清水浩が気に入らない。」とか、「新しい事務所で滞っている事務処理を一人でやるのは大変であるし、配置換え先には労組員が一人もいないので、仕事がやりづらい。」というものであった。岡専務と俣木常務は、「一人に事務処理をさせるようにはしないから異動に従ってほしい。」と説得を続けたが、申請人側も意見を述べ、話し合いは平行線のままに終った。翌一七日も同じ顔ぶれで話し合いをしたが、やはり申請人側は説得に応ぜず、最後は申請人両名が退職願を岡専務に提出するに至った。岡専務も俣木常務もその場では更に説得を続け、結局、「そこまで今回の異動について思いつめているのであればもう一度考えてみるが、古賀君も内示に従うことを考えてほしい。」ということで一九日に再度話し合うことにして退職願を引っ込めさせた。
(三) 同月一九日、岡専務と俣木常務と三部長との話し合いの結果、明日二〇日の人事異動は既定方針通り実施すべきであるという結論に達したので、岡専務は内田和人を呼び出し俣木常務同席のうえ内示通り人事異動を行なう旨を伝え、内田和人の申出により、二〇日に再度話し合うことになった。二〇日は岡専務と俣木常務が申請人両名、内田和人の三名と話し合い、「今回の人事異動をもう一度考え直してほしい。」という内田和人の提案に対し、岡専務は「要望に添いかねる。」旨伝えたところ、申請人両名は前回と同様退職願を差し出したので、岡専務は、「それでは致しかたない。退職を認めよう。」といってこれを受け取り、もって被申請人は両名の退職を承認した。
(四) 同月二一日岡専務が出勤したところ、内田和人は両名が提出した退職願の撤回を検討してもらいたい旨申し出たが、岡専務は右申出を拒絶した。
(五) 同月二二日古賀隆夫が岡専務のところへ林事務所長と共にやってきて、退職撤回の願書を提出し、「人事異動の発令通り新事務所で勤務するからよろしくお願いたします。」と申し出たが、岡専務は古賀隆夫に対しこの願書を認めない旨の通知書を大東総務部長を通じて手渡した。翌二三日山口公伸から退職願撤回の申出書が提出されたが、撤回は認められない旨の通知書を作成し俣木常務が山口公伸に手渡した。
2 申請人両名の退職の申出はその真意に出たものである。
前記のとおり、申請人両名は七月一七日に被申請人の岡専務に対し退職願を提出したが、岡専務は右退職願を受け取らず、逆に申請人両名に慰留の説得をした結果、申請人両名は退職願を撤回したのである。その後、申請人両名と岡専務らとの協議を経た後、七月二〇日申請人両名は再度退職願を提出するに至ったものである。岡専務が右退職の申出を承認したので、申請人両名は当日予定されていた組合内の健康診断も「もう退職するから」という理由で受診しなかったばかりか、同日、翌二一日から退職予定日まで従来の退職予定者と同様に有給休暇を利用して欠勤する手続をとっている。
右の経緯に照らすならば、申請人両名の退職願の提出がその真意に出たものであることは明らかである。その退職の動機として、人事異動に対する抗議の表明の意味があったとしても、そのことは退職の意思に何らの影響を及ぼすものではない。
3 申請人両名の退職願の撤回は何らの効力を有しない。
申請人両名は、退職願の申出に対し被申請人が承諾の意思表示をしていないことを前提に退職願の撤回を主張しているが、右前提自体が誤っている。七月二〇日申請人両名が岡専務に対し退職願を提出したのであるが、これを同人らの人事について権限を与えられている岡専務が承認する旨を述べて受け取ったときに、被申請人は申請人両名の退職申出に対し承諾の意思表示をしたものであり、合意解約が成立した。
(一) 退職辞令の不交付
申請人両名は、被申請人が申請人両名の退職の承認を書面で行なっていないことを理由に未だ退職の承認があったとはいえないと主張する。
しかし、労働契約を合意解約するにつき、書面による承諾を必要とする根拠は全く存しない。申請人両名は被申請人の就業規則、人事院規則により文書によらなければならないというが、理由がない。即ち、
同就業規則は、「職員の就業に関して必要な事項は……」と定めており、就業規則に定めのないすべての事項について全面的に人事院規則を準用すると定めている訳ではない。たとえば、申請人両名が主張する人事院規則八―一二(職員の任免)について考えてみても、「任用」・「試験」・「選考」・「任用候補者等」の各規定が被申請人に妥当しないことは明らかであるから、これら各規定を被申請人に適用する余地のないことはいうまでもないし、「第八章任免の手続」についても、同章の規定は一般の労働者とは異なる公務員という特殊な身分関係に鑑み、特に厳格に定められているものであるから、被申請人とその職員との間にこれをそのまま適用するのは妥当とは考えられず、結局右就業規則にいう「就業」とは狭義のそれを意味するものと解される。
のみならず、人事院規則七六条は、「職員を降任させた場合」等には、通知書を交付してその意思表示をすべきことを定めているが、同規則七五条は、任命権者の意思表示があったときには通知書を交付すべきことを定めているに過ぎない。つまり、同条は書面による意思表示を要求しているわけではなく、意思表示の内容を明確にするために書面の交付を要求しているに過ぎない。従って、退職の承認は口頭の意思表示があれば直ちにその効力を生じ、たとえ通知書の交付がなくても、手続違反の問題が生ずるにとどまり、意思表示の効力を害するものではない。
(二) 権限
申請人両名は定款32条2項の規定及び人事権行使の実態を見れば岡専務には職員の退職を承認する権限がない旨主張する。
しかし、どの組織体においても、多かれ少なかれ長の権限に属する事務の一部をその補助者に代行させることは、不可避かつ常態であり、定款の規定がこの種の代行行為まで禁ずる趣旨のものではない。被申請人においては、右代行の権限を有する者とその範囲を明らかにするために禀議規程を設けて、これに即した権限の委譲を行ない、所定の範囲内では専務理事等が事務を専決できることとしており、同禀議規程の別表総務部の11によれば、部長以外の人事、給与に関する権限が専務理事に与えられていることは明らかである。
申請人両名は、職員の採用計画、申請人両名の退職金の支払、申請人両名の退職願の撤回等について、岡専務らが阿知波副理事長に相談もしくは報告していることを理由に、専務理事に退職承認の権限はなかったと主張するけれども、法律上権限を与えられている専務理事が上司である副理事長や部下等の意見を徴し、相談することは奇異なことではなく、重要な事柄についてそうすることがむしろ当然といってよい。
とりわけ、職員の採用計画や労働条件の変更のように、被申請人の組織全体のあり方や予算に関連し、あるいは今後の収支バランスに影響を与える可能性のある問題について、岡専務が正・副理事長会議の議を経るようにしていたとしても、それは当然のことであって、このことから岡専務に人事権がないとか、退職承認をする権限もないという結論を導きうるものではない。
これに反し、職員が辞職を申し出て、しかもその辞意が固い場合、使用者としてはこれを承認するほかはなく、他の措置を選択する余地はないから、申請人両名の退職の申出に岡専務が前記幹部会の意見を徴しただけで、予め副理事長等の意見を徴していないことも異とするに足りない。
なお、本件より前の各禀議書においては、副理事長の決裁印と専務理事以外の決裁事項についての報告了承印等とが明確に区別されていなかった由であるが、禀議書はそれ自体で対外的に意味のある文書ではないから、右の事実は権限の所在等につきその存否を左右するものではない。
申請人両名は、前記退職願撤回申入れの取扱いに関し、岡専務が副理事長と相談していることをもって、岡専務に権限がなかったことの証左であると主張する。
しかし、承認により既に有効に成立している退職の合意を白紙に戻すことは、改めて両当事者の合意があれば法的にも可能である反面、その場合の使用者側の応諾の意思表示は職員の採用と同様の意味を有しており、これを承認よりも前の段階における説得等と同一に論ずることはできないばかりでなく、特に本件の場合には申請人両名の退職はすでに公知の事実となっていて、これを覆すと他の職員感情等にも微妙な影響を与えかねないところから、他の用務もあって副理事長を訪ねた機会に岡専務がその取扱いを相談したものである。それが岡専務に退職を承認する権限がなかったことを示すものではない。
第三当裁判所の判断
一 申請人両名の主張一の事実は当事者間に争いがない。
二 申請人両名の提出した退職願について
1 申請人らが昭和五七年七月二〇日退職願を提出したこと、被申請人の就業規則36条には次のとおり規定されていることは当事者間に争いがない。
36条 職員が次の各号の1に該当するに至ったときは、その日をもって職員としての身分を失う。
(1) 本人の都合により退職を願い出て組合の承認があったとき、または退職願提出後一四日を経過したとき。
右の規定に関連して、(証拠略)によれば、同就業規則37条には次のとおり規定されていることは明らかである。
37条 職員が退職しようとするときは少なくとも退職しようとする日の14日前までに退職願を提出しなければならない。
(2) 前項により退職願を提出した者は組合の承認があるまで従前の業務に服さなければならない。
(3) 退職願の承認があったときは、事務引継ぎをなすとともに、健康保険証、身分証明書その他組合からの貸与物は直ちに返納しなければならない。
2 申請人らが右退職願を提出するに至った経緯
被申請人においては申請人両名と内田和人らが中心となって昭和五五年三月三一日大阪一般労働組合同盟近畿共済労働組合が結成され、発足当初は山口公伸が副執行委員長を、古賀隆夫が執行委員長を務めていたが、昭和五七年当時は山口公伸が執行委員長を、古賀隆夫が副委員長を、内田和人が書記長をしていたことは当事者間に争いがない。
(証拠略)によれば、昭和五七年七月一三日被申請人の人事会議において、中央・北大阪・第六地域事務所の係員植田圭治が同月九日付で退職したのに伴い、被申請人はその欠員補充のため古賀隆夫を東大阪・南大阪地域事務所から中央・北大阪・第六地域事務所へ配置換えすることをきめたこと、右人事異動は同月一五日被申請人の総務課長から書面により労働組合の執行委員長である山口公伸へ通知され、古賀隆夫はその異動を翌一六日山口公伸から知らされたが、内々には同月一四日に右異動のうわさを耳に入れていること、労働組合としては古賀隆夫が昭和五七年二月一〇日補償部対人課地域第一係から補償部対物車両課第一係へ、同年四月一日同第一係から営業部東大阪・南大阪地域事務所へそれぞれ配置換えとなっており、今回の異動は半年足らずの間に三度目の異動であることなどを理由に古賀隆夫の今回の異動は受けられないという結論に達し、申請人両名と内田和人の三名が同月一六日に岡専務と俣木常務に会い、古賀隆夫の人事異動は半年の間で三回目の異動であること、清水所長の許ではやりにくい、植田圭治の欠員補充人事であるから、仕事量が増えて残業が多くなること、古賀隆夫を出向という形で一時的に清水事務所に配置するという妥協案を出したりして、右人事異動の撤回を申し入れたが、話し合いは平行線をたどり、翌一七日に再度話し合うこととなったこと、同月一七日申請人両名と内田和人は岡専務と俣木常務と再度話し合い、人事異動の撤回を申し入れたが、納得の行く返事を得られなかったため、申請人両名はそれぞれ労働組合として強い抗議態度を示す目的で予め封筒に入れて用意してきた辞表を提出しようとしたところ、これに驚いた岡専務は異動位で退職するな、辞表は受け取れない旨繰り返し述べたが、申請人両名も辞表を引っ込めず、岡専務はそこまで今回の異動について思いつめているのであればもう一度考えて見るが、古賀君も内示に従うことを考えるように述べ、俣木常務も古賀隆夫に向って、奥さんともよく相談したうえでの話なのか、土、日曜日でもあるし、よく相談してからにした方がよい旨述べたこと、当日申請人両名も岡専務、俣木常務も辞表は受け取れないということで、内田和人書記長が一時預かることとなったこと、同月一九日岡専務は俣木常務と林栄三郎経理部長、鈴木公一営業部長、大東昇総務部長を集め幹部会会議を開き、これまでの経緯を説明したうえ、七月二〇日の人事異動は予定通り行うべきか否か、予定通り人事異動を発令した場合、申請人両名から再度退職願の提出があった場合の措置について各人の意見を求めたこと、その結果全員が人事異動の内示を変更することになると、今後他の職員が古賀と同様の態度に出ることも考えられ、今後の人事権に悪影響を及ぼすこととなるという理由により、既定方針通り人事異動を実施すべきであり、どうしても辞めるというのなら仕方のないことであるとの考えであったので、岡専務もその旨決意をかためたこと、そこで岡専務は内田和人を理事長室に呼び、「今回の人事異動を変更することはできない。」と伝えたところ、内田和人は前回と話が大きくくい違うと抗議したが、岡専務が態度を変えようとしないので、労働組合で再度協議をし、翌二〇日に岡専務と話し合うこととしたことがそれぞれ疎明され、右疎明をくつがえすに足りる適切な証拠はない。
3 退職願に対する被申請人の承認について
(証拠略)によれば、同月二〇日午前九時頃岡専務と俣木常務は理事長室において申請人両名、内田和人の三名と話し合ったこと、申請人らが理事長室に入るや山口公伸が退職願の入った封筒をテーブルの上におき、最初内田和人が「今回の人事異動をもう一度考え直してもらえないか。」と述べ、申請人両名は人事異動について抗議し再検討を要請したこと、これに対し岡専務は関係者にもいろいろ聞いたけれども、どうにもならないから異動を行なうことになり、君らの意向を聞くことができない旨を繰り返し述べ、話し合いが膠着状態となったため、山口公伸はそれではと言ってテーブルにおいてあった封筒を岡専務の方に押し出すようにし、岡専務はいたし方ないと述べ、続いて辞職を認める趣旨の言葉を発し、封筒の中の各辞職願と題する書面を確かめたこと、その際山口公伸が辞める日まで年休を取らしてもらってよろしいかと聞いたところ、岡専務は認める旨答え、さらに山口公伸の辞職願の日付が古賀隆夫の八月二日と合っていないので、山口公伸の方も古賀隆夫の方に合わせたらどうかという趣旨のことを述べたところ、山口公伸はそうする旨返事をしたこと、申請人両名は各所属の所長に対し年次休暇の承認を申し出て、休暇承認簿にその旨記載したこと、岡専務は同日午後一時三〇分から課長、所長以上の会議を開催し、これまでの経緯を説明したうえ、古賀隆夫の人事異動の発令について出席者各自の考えを問うたところ、古賀隆夫の後任者として発令することが決っている多田係長の人事異動を発令するのに、古賀隆夫について今までの事務所においておくのはおかしいから、古賀隆夫についても既定方針通り人事異動の発令をすべきであるという結論に達し、同日午後三時頃古賀隆夫と多田係長両名の異動を発令したところ、古賀隆夫は右辞令を受け取らなかったこと、古賀隆夫は右のことがあった後直ちに、山口公伸に対し「こんなけったいなこと専務やってきたんや。」と伝え、そこで、山口公伸は岡専務に会い、同専務に対し結局辞令を拒否したということを理由に即解雇ということをやるのではないかと述べて抗議したところ、岡専務はそれを強く否定したこと、申請人両名は事務所に戻り同日事務の引継ぎをしていること、特に、山口公伸は事務所に戻って矢木所長を含む事務所の全員に「辞表を出してきました。ついては八月一日づけで出してますのでそれまでの間は年休消費を認めて頂きましたので年休を取らせてもらう。」旨伝え、矢木所長に事務引継ぎをしていること、矢木所長は引継ぎは六時位になっても残業もつかないけれどもやってくれるかという趣旨のことを山口公伸に述べており、矢木所長も山口公伸も事務引継ぎをする際には泣いてしまって頭に入らない程の状態であったことがそれぞれ疎明され、(証拠判断略)、その他右認定をくつがえすに足りる証拠はない。
以上の疎明事実、特に、岡専務は七月二〇日に申請人両名が辞表を提出した時にはこれを受け取り、それにつき承認することを決意していたこと、岡専務は辞表を受け取る際にいたしかたがないと述べ、辞職を認める趣旨の言葉を発しており、慰留の言葉は一切なく、次回の話し合いの予定日についても約束していないこと、辞表の授受が終ってからの申請人両名の行動は提出した退職願が承認されたことを前提としたものであること、特に、前記就業規則によれば退職願を提出しても承認があるまでは従前通り勤務することとなっており、承認があった時に事務の引継ぎをすることとなっているところ、申請人両名は退職願を提出したその日に事務引継ぎを行なっていること、一方、岡専務と俣木常務も退職願を受け取った時に承認したものとしてその後の行動をしておることなどの諸事情によれば、岡専務は同月二〇日申請人両名に対し前記提出した退職願を受け取る際に、退職を承認する旨の意思表示をしたものと認めるのが相当である。
4 申請人両名は、就業規則1条2項人事院規則によれば、退職願を承認するには書面によることが必要である旨主張するけれども、右の各規定から直ちに書面によることが必要であるとは解釈できず、(証拠略)によれば、被申請人においては昭和五七年七月までは退職願に対して承認行為を書面によって行なっていなかったことが疎明され、右の事実によれば、被申請人の就業規則において退職の承認を書面により行なう旨を定めているものとはいえず、口頭による承認ももとより右効であると解すべきである。
次いで、申請人両名は専務理事には職員の退職願を承認する権限はない旨主張する。確かに、被申請人の定款32条2項には職員の任免権は理事長にある旨規定されていることが明らかであるが、(証拠略)によれば、部長を除く職員の人事、給与に関しては理事長から専務理事に事務委任がされており、必要と認められる事項については事務処理後理事長に報告することとなっており、専務理事が申請人両名の退職願を承認する権限を有していたことは規定上明らかであるというべきである。
申請人両名は人事権行使の実態を検討すべきである旨主張するけれども、たとえ人事権行使の実態が申請人両名のとおりとしても、右の実態から直ちに専務理事が部長を除く職員の人事権を有するという禀議規程が変更をきたしているものとはいえず、岡専務の行なった前記承認に従来の取扱いと相違するものがあったとしても、それは内部の規律違反の問題が生ずることはあるとしても、岡専務のした前記承認行為の効力に何ら影響を与えるものではない。
5 申請人両名は退職願の提出行為は心裡留保である旨主張するけれども、右主張を認めるに足りる適切な証拠はない。
三 以上のとおりであるから、申請人両名のなした退職願の意思表示は岡専務がこれを承認することにより、合意による退職が成立したものというべきであるから、その後申請人両名がした退職願を撤回する旨の意思表示は何らの効果をもたらすものではない。従って、申請人両名は昭和五七年八月二日の経過により被申請人の職員としての身分を失ったものというべきである。
それゆえ、申請人両名の本件各申請はいずれも理由がないから却下することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり決定する。
(裁判官 安齋隆)