大阪地方裁判所 昭和57年(ヨ)4046号 1983年12月26日
申請人
小河憲一郎
申請人
水渕平
右申請人両名代理人弁護士
佐井孝和
同
大川真郎
同
西垣昭利
同
木村奉明
被申請人
株式会社経済通信社
右代表者代表清算人
松本スミヱ
右代理人弁護士
中嶋進治
同
相馬達雄
同
山本浩三
同
小田光紀
同
豊蔵広倫
同
藤山利行
右当事者間の地位保全、金員支払仮処分申請事件について、当裁判所は次のとおり決定する。
主文
申請人らの本件仮処分申請はいずれもこれを却下する。
申請費用は申請人らの負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 申請人ら
1 申請人らが被申請人に対し雇傭契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。
2 被申請人は、昭和五七年九月から本案判決確定に至るまで毎月二七日限り、申請人小河憲一郎に対し金九万〇五一五円、同水渕平に対し金一五万六一九五円をそれぞれ仮に支払え。
3 申請費用は被申請人の負担とする。
二 被申請人
主文同旨
第二当事者の主張
(申請の理由)
一 被申請人会社は、肩書住所地(略)に本社(以下、「東京本社」という。)を、大阪市内に事務所(以下「大阪事務所」という。)を有し、経済誌オール大衆及び老人向け一般誌ニューヤング等の刊行物の出版、頒布を業とする資本金九〇〇万円の株式会社であり、代表取締役松本利治(以下単に「松本利治」という。)及びその妻松本スミヱ(以下単に「松本スミヱ」という。)を除いて、従業員は東京本社に六名、大阪事務所に所長を含めて三名である。
申請人小河は昭和四七年一月、同水渕は同五二年八月それぞれ被申請人会社に雇用され、いずれも大阪事務所で小河は営業と経理を、水渕は編集を担当してきた。なお、申請人らは、昭和五七年九月二〇日経済通信社労働組合(以下単に「組合」という。)を結成し、右組合の組合員である。
二 被申請人会社は、同年九月末日限り大阪事務所を閉鎖し、これに伴い申請人らを解雇したと主張して以後申請人らが被申請人会社に対し、雇用契約上の権利を有することを否認するとともに、申請人らの就労及び申請人らに対する賃金の支払いを拒絶している。
三 申請人小河の昭和五七年八月の賃金は、九万〇五一五円、同水渕の同月の賃金は、一五万六一九五円である。なお、申請人らの賃金は、前月一六日より当月一五日までの分を当月二七日に支給されることになっている。
四 申請人小河は、母親と二人で暮しているが、母親がパンション管理人として得る収入八万円以外何らの資産、収入がなく、同水渕は、妻と幼児の三人で暮しているが、何らの資産、収入がない。そこで申請人ら及びその家族は、被申請人から賃金の支払いを受けられないと生活に困窮し、著しい損害を蒙るおそれがある。
(申請の理由に対する答弁)
申請の理由一項ないし三項記載の事実は認め、同四項記載の事実は不知。
(被申請人の主張)
一 申請人らの解雇に至る経過
1 被申請人会社の営業年度は、毎年四月一日から翌年三月三一日までであり、被申請人会社は、昭和五三年度(昭和五三年四月一日から同五四年三月三一日まで、以下「年度」で表示する場合は営業年度を意味する。)から同五五年度まで三期連続当期損失を計上したが、右損失をオール大衆創刊三〇周年記念事業による繰越利益で補填して経営を維持し、ようやく同五六年度の決算時においてオール大衆創刊三五周年記念事業により広告収入の増加がもたらされ、約一五五万円の当期利益を出した。右各年度の決算時における収支は別表一(5)(6)欄記載のとおりである。同五七年度もオール大衆三五周年記念事業による広告収入の増加により、同年八月末現在で約二二五万円の利益を計上した。
2 大阪事務所の収支は、昭和五三年度で約二八五万円、同五四年度で約二七三万円、同五五年度で約三一七万円、同五六年度で約二一八万円、同五七年度は同年九月末現在で約一二四万円の損失をそれぞれ計上しており大阪事務所は毎年赤字を出している。なお、右の収支計算は会計処理上東京本社が被申請人会社発行雑誌の印刷費、編集費、広告宣伝費等の直接費(以下、単に「直接費」という。)を負担しているため、この費用を東京本社と大阪事務所の従業員の割合(八対四)で按分した平均月額約八〇万円(年平均約九六〇万円)を大阪事務所が負担すべきもの(以下「大阪負担金」という)とし、これを大阪事務所の試算表上の損益(大阪事務所の売上高から大阪事務所の従業員給料、営業販売費、維持管理費(以下「大阪事務所経費」という。)を控除したもの)からさらに控除して算出した。
3 ところで昭和五六年六月に成立した商法等の一部を改正する法律により、株主の権利行使に関する利益供与を禁止する商法二九四条ノ二が新設され、これが同五七年一〇月一日から施行されることとなり、これに先だち経済誌への広告掲載が右規定に牴触することを懸念してオール大衆への広告掲載を断る企業が続出し、大阪事務所だけでも松本利治を通じてオール大衆に広告を出してきた企業(以下「松本得意先企業」という。)一〇七社(この広告売上高は大阪事務所全体の広告売上高の約五九パーセントを占める)のうち八三社が同年八月末までに広告掲載を断ってきたため、被申請人会社の収入の九七パーセントを占める広告収入が一〇月一日以降途絶または著しく減少することが確実となった。しかも将来、断られた広告の出稿が復活する見通しもなかった。(なお、現に改正商法の影響により被申請人会社より規模の大きいケイザイ春秋社や野田経済研究所は、同五八年以降倒産し、他にも休刊あるいは倒産した雑誌社が多数ある。)
また、被申請人会社は、改正商法の影響を予測して会社存続のために広告収入に依存しない新雑誌ニューヤングを同五七年七月末ころ創刊したが、これが店頭に並んだ八月初旬から売行きが悪く、八月中旬には返品が相次いだ。
二 大阪事務所の閉鎖及び申請人らの解雇
前記一に述べたとおり改正商法の影響と新雑誌ニューヤングの売行不振のため、被申請人会社は、経営の見通しがたたなくなり、やむをえず会社解散を決意していたところ、たまたま、同五七年九月末日限りで大阪事務所長細井滋夫が退職する予定であったことから、右解散に先だってまず不採算部門である大阪事務所を同日限りで閉鎖することにし、同年八月二五日申請人らに対し、同年九月末日限りで解雇する旨の通告(以下「本件解雇通告」という。)をし、これが翌日申請人らに到達した。
三 本件解雇通告後の経過
1 被申請人会社は、オール大衆を同年九月一五日発行分を最後に廃刊し、同月末日大阪事務所を閉鎖し、その頃、東京本社従業員六名全員に対し、同年一〇月二五日限りで被申請人会社を解散し、これに伴い解雇する旨通知し、全員これを諒とした。被申請人会社は、同年一〇月一九日株主総会を開催し、同月二五日限り被申請人会社を解散する旨の決議をし、同月二五日被申請人会社は、解散(以下「本件解散」という。)し、松本スミヱを代表清算人として清算手続中である。
2 ところで、被申請人会社の本件解雇通告後の収支をみると、昭和五七年八月分の広告売上高は約四二三万あり同月末現在で約二二五万の利益を計上していたが、同年九月分の広告売上は約一七四万と例月(同五七年四月一日から同年八月三一日までの平均広告売上高は、月額約五八四万円である。)の三分の一に減少し、同月末現在では約二二六万円の損失を出し、さらに同年一〇月は、同月一日から同月一五日までの広告売上高が約二九万円しかなかったため、同月一五日現在における損失は、三七八万円に膨れあがった。
(被申請人の主張に対する申請人の認否、反論)
一 被申請人の主張一1記載の事実はすべて認める。
なお、被申請人会社の昭和五六年度決算時の貸借対照表では資本の部に資本金九〇〇万円、利益準備金一五〇万円、前期繰越利益金約二〇八万円、当期利益金約一五五万円が計上され、資産の部には現金、預金約四三九万円、売掛金約八六三万円(ほとんどが広告料で債務者は大企業であるから、回収の確実なものである。)出資金約三〇九万円等いずれも良好な資産合計約一七一四万円が計上されているのに対し、負債の部には僅か約三〇〇万円の負債しか計上されておらず、これからみると被申請人会社は規模は小さいながら堅実な経理基礎をもった会社である。
二 被申請人の主張一2記載の事実はすべて否認する。
被申請人は、大阪負担金が月額約八〇万円であることを前提に大阪事務所が毎年赤字を出している旨主張するが、これは理由がない。すなわち、大阪事務所がなくても被申請人会社が存続して雑誌を発行する限り、その直接費は被申請人会社において同程度負担しなければならないものであるから、大阪事務所の売上から大阪事務所経費を控除して余剰が出る限り大阪事務所は被申請人会社に利益をもたらしているといわざるをえない。ところで、大阪事務所の昭和五五年度ないし同五七年度の収支は、別表二記載のとおりであり、これによると大阪事務所は常に利益をあげ、同五五年度では約六五九万円、同五六年度では約七四一万円、同五七年度(同年八月末まで)では約四二八万円を東京本社へ送金しており、被申請人会社に利益をもたらしていることが明らかである。そのうえ、大阪事務所のオール大衆昭和五六年新春号から同年一二月一五日号までの二二号の広告売上高は、合計約一五四九万円であるのに対し、同五七年新春号から一〇月一日号までの一七号の広告売上高は、合計約一五〇二万円でこれはほぼ五六年一年間の広告売上に匹敵するものであり、また、同五七年のオール大衆一号当りの平均広告売上高は、前年比二五パーセントの伸びを示し、これは大阪事務所経費の増加率をはるかに超えている。
三 被申請人の主張一3記載の事実のうち商法改正により同法二九四条ノ二が新設され、これが昭和五七年一〇月一日から施行されることになったこと、改正商法の影響により、施行に先だち一部の企業がオール大衆への広告掲載を断ってきたこと、被申請人会社が広告収入に大きく依存していることはいずれも認める。改正商法施行後有名な雑誌社が倒産している例があることは認め、倒産原因は否認する。
新雑誌ニューヤングを主張のころ創刊したことは認める(創刊の経緯、創刊後の売行については認否しない。)。その余の事実は否認する。
大阪事務所扱いで過去一、二年間にオール大衆に広告掲載した企業は約四七〇社あったが、そのうち改正商法の施行を機に広告掲載を断ってきた企業は、一時的な断りを含めて約一〇〇社であり、しかもその大半が一社当りの年間広告売上高が一万円以下であり、金額的に大きくない。
また、被申請人会社は、経済雑誌界では伝統のあるまともな出版社であるから、その発行するオール大衆の広告料(一万円ないし五〇万円)、購読料(月二回発行で年間購読料六〇〇〇円)などは、商法二九四条ノ二にいう「財産上ノ利益」に該らないうえ商法改正に伴う企業の広告、購読規制に対し出版業界から強く批判されているのであるから、一部企業のオール大衆への広告掲載の中断は一時的なものである。
四 被申請人の主張二記載の事実のうち、大阪事務所長細井滋夫が昭和五七年九月末日で退職する予定であったこと、被申請人会社が同年九月末日限り大阪事務所を閉鎖することを理由に本件解雇通告をし、これが翌日申請人らへ到達したことはいずれも認め、その余の事実は否認する。
被申請人会社は、商法改正が被申請人会社の広告収入に及ぼす影響を一時的なものと予測し、昭和五六年一〇月には三〇〇万円の増資をし、同年末からオール大衆三五周年記念事業に精力的に取り組み、同五七年三月、申請外尾上、石橋を東京本社の編集部員として新規採用し、同年六月新雑誌ニューヤングの創刊を決定し、また、犬塚を東京本社の営業部員として新規採用し、さらに同年九月以降においても地下鉄車内の吊り広告、新聞広告、立看板などでニューヤングの宣伝に力を入れるなど事業継続に意欲をもっていたこと、被申請人会社の同年八月末ころの業務連絡文書では一〇月以降もオール大衆の刊行が予定されていたこと、被申請人会社は、昭和五六年度決算時に約一七一四万円の良好な資産を有し、次期繰越金約三六三万円も残していること、同五七年度は、八月末現在で累計約二二五万円の利益を計上していること、商法改正の影響による被申請人会社の広告収入の減少額もさほど大きなものでなく、減収も一時的なものであること、さらに大阪事務所の収支は常に黒字で、広告売上高も増加の傾向にあることを総合すれば、本件解雇通告当時被申請人会社が解散をすべき経営上の理由などなく、解散を決意していたとは到底考えられない。従って、また大阪事務所を閉鎖しなければならない経営上の理由もないといわなければならない。
五 被申請人の主張三1、2記載の事実のうち、被申請人会社がオール大衆を昭和五七年九月一五日発行分を最後に以後発行してないこと、被申請人会社は、同月末ころ、東京本社従業員六名に解散の意図を明らかにしたこと、同月末日大阪事務所を閉鎖したこと、被申請人会社が一〇月一九日の株主総会決議に基づき同月二五日解散したことは認め、その余の事実は認否しない。
なお、前記のとおり被申請人会社には解散しなければならない経営上の理由はなく、右解散は、申請人らが組合を結成し、組合としての要求をするに至ったため、組合を嫌悪し、これを潰滅させようとする不当労働行為意思に基づく無効のものである。
(申請人の主張)
一 信義則違反
解雇は労働者とその家族を危機に陥れるものであるから、不況による事業所閉鎖の場合であっても直ちにその従業員を解雇することが許されるものではなく、事業の経営者としてはその従業員に対し事前に会社の状況を説明または相談し、解雇以外の方法を検討する等労働契約関係を規律する信義則上の義務があるにもかかわらず、被申請人会社は、右義務を全く尽さず突然本件解雇通告に及んだものであるから、本件解雇通告は、信義則に違反した無効のものである。
二 公序良俗違反
申請人水渕は、昭和五七年四月二三日被申請人会社代表者松本利治に対し一か月二万円の賃上げ及び年間四か月の賞与を要求したところ、右松本は、申請人水渕の解雇をほのめかした回答をし、同年五月一九日には同水渕の要求行動を嫌悪して同人を同年六月末日限り解雇する旨の通告(以下「第一次解雇通告」という。)をしたものの、同年六月一六日には同水渕との間で右解雇が無効であることを認めて撤回する旨の合意までしておきながら、その約二か月後に突然本件解雇通告をなした経過に照らすと、本件解雇の真の意図は、被申請人会社が申請人水渕の思想、信条を嫌悪した結果、商法改正や細井大阪事務所長の退職に藉口してこれを企業外に排除せんとするところにあり、このような意図に基く本件解雇通告は公序良俗に反する無効のものである。
(申請人の主張に対する被申請人の認否、反論)
一 申請人の主張一記載の事実は否認する。
なお、松本利治は、申請人らに対し、業務のため大阪事務所で月数回勤務した際、商法改正の影響により被申請人会社の広告収入が途絶し、経営がなりたたなくなり、その結果解散に至らざるをえないことを十分説明している。
二 申請人の主張二記載の事実のうち、被申請人会社が申請人水渕に対し第一次解雇通告をなし、後日これを撤回したことは認め、その余の事実は認否しない。
理由
一 被申請人会社が東京本社及び大阪事務所を有し、経済誌オール大衆及び老人向け一般誌ニューヤング等の刊行物の出版、頒布を業とする資本金九〇〇万円の株式会社であり、松本利治及び同スミヱを除いて、従業員は東京本社に六名、大阪事務所に所長を含め三名であること、申請人小河は昭和四七年一月、同水渕は同五二年八月それぞれ被申請人会社に雇用され、いずれも大阪事務所で小河は営業と経理を、水渕はオール大衆の編集を担当してきたこと、被申請人会社の営業年度は毎年四月一日から翌年三月三一日までであること、被申請人会社は、昭和五三年度から同五五年度まで三期連続当期損失を計上したが、これをオール大衆創刊三〇周年記念事業による繰越利益で補填して経営を維持してきたこと、同五六年六月商法改正により株主の権利行使に関する利益供与を禁止する同法二九四条ノ二が新設され、これが翌五七年一〇月一日から施行されることとなったが、これに先だち経済誌への広告掲載が右規定に抵触することを懸念してオール大衆への広告掲載を断る企業があったこと、被申請人会社は、同年八月二五日申請人らに対し、同年九月末日限り大阪事務所を閉鎖することを理由に本件解雇通告(翌日申請人らに到達)をし、同年九月一五日発行分を最後にオール大衆の刊行を中止し、同月末日大阪事務所を閉鎖し、そのころ、本社従業員六名に対しては会社解散の意図を明らかにし、翌一〇月一九日開催の株主総会決議に基づき同月二五日本件解散をしたことは当事者間に争いがない。
二 本件解雇通告の効力を判断する前提として、まず、大阪事務所閉鎖及び本件解散の理由について検討する。
1 疎明資料によれば、被申請人会社は、従前会社全体の収入の九五パーセントをオール大衆誌の広告収入に依存していたところ、改正商法の施行による被申請人会社の広告収入の減少を考慮して、本来は同五七年度の事業である創刊三五周年記念事業を同五六年一二月から開始したため、広告収入の増加を見て同五六年度決算時において一五五万円の当期利益を計上したが、将来の経営見通しの不安からこれを株主に配当せず内部留保としたこと、昭和五七年四月以降、経済誌等への広告掲載が改正商法二九四条ノ二に抵触することを懸念して一〇月一日以降のオール大衆への広告掲載を断る企業が多数あらわれ、大阪事務所だけ見ても、最近一、二年の間にオール大衆誌へ広告を掲載した企業が約四七〇社(内年間一〇万円以上の広告料を出す企業は約四〇社)あり、そのうち松本得意先企業が一〇七社あったが、同年八月末までの間に右一〇七社のうち八三社が松本に対し直接、口頭で同年一〇月以降のオール大衆誌への広告掲載を断り、この中には年間一〇万円以上の広告料を出す企業が約三〇社含まれていたこと、同五七年四月一日以降八月末までの間は、東京本社、大阪事務所とも別表三記載のとおり比較的安定した広告売上を達成したが、同年九月には被申請人会社全体として一か月約一七四万円(内大阪事務所の売上高は約八万円)の売上しかなく、これは同年四月一日から八月三一日までの広告売上高が合計約二九二二万円で、一か月平均約五八四万円であったのに対し、その三分の一以下であること、さらに一〇月一日以降同月二五日までの広告売上高は約二九万円しかなかったこと
以上のとおり認められ、(証拠略)には大阪事務所扱いの広告掲載企業約四七〇社のうち改正商法施行により広告掲載や購読を断ってきた企業は約一〇〇社で、その大半が年間広告料一万円以下の企業である旨の記載があるが、(証拠略)に照らしにわかに措信し難い。また、(証拠略)によれば、同年八月末までに広告掲載を断った大阪事務所扱いの松本得意先企業のうち、日本ハム、久保田鉄工など十数社が九月一日発行のニューヤング又は同月一五日発行のオール大衆に広告を掲載していることが認められるが、(証拠略)によれば、右各社は、八月にオール大衆への広告掲載を発注し、その際に松本利治に対し、一〇月一日以降広告を出さない旨言渡したというのであって、前記各雑誌に右各社の広告が掲載されていても松本得意先企業八三社が一〇月一日以降の広告掲載を断ったとの前記認定と何ら矛盾するものではない。その他前記認定を左右するに足る疎明はない。
被申請人会社全体として一〇月一日以降の広告掲載を断った企業の実数を把握する適確な資料はないが、以上認定した事実に(証拠略)を総合すると、被申請人会社は、同五七年九月末までに従前広告を受注していた大部分の企業から一〇月一日以降の広告掲載を断られ、右日時以降オール大衆による広告収入が著しく減少することが確実となり、しかもその回復の見込みもなかったことが認められ、右認定を左右するに足る疎明はない。
この点につき、申請人らは、被申請人会社は伝統あるまともな出版社であるから、企業が出すオール大衆への広告掲載料は商法二九四条ノ二にいう財産上の利益の供与に該当しないうえ、商法改正を機に企業が広告、購読規制を行なうことに対し、出版業界から強く批判されているのであるから、オール大衆への広告掲載の断りも一時的なものであり、被申請人会社がオール大衆を刊行し続ければ事業を継続しうる収入をあげられたはずである旨主張する。疎明資料によれば、被申請人会社は、創刊三五周年の伝統ある経済誌出版社であり、その発行誌の記事内容も概ね穏健かつ常識的なものであり、商法二九四条ノ二がその目的において排除せんとする総会屋とのつながりを疑わせるものがないこと、商法改正を機に企業が雑誌、新聞等への広告掲載を自主規制することに対しては出版界から強く批判されていることが認められるけれども、多数の企業が被申請人会社に対して行なった広告規制の当否はともかくとして、右事実から企業が現実に被申請人会社に対して行なった広告規制が一時的なものであるとにわかに断ずることはできない。また、疎明資料によれば、かつてオール大衆に広告を出していた一部の企業が「週刊東洋経済」、「週刊ダイヤモンド」、「財界」、「実業の日本」等の経済雑誌には昭和五七年一〇月以降も広告を出していること(<証拠略>)が認められるが、「実業の日本」を除く各雑誌の出版社は、経済誌出版界では大手といわれ名も通っており(<証拠略>)、被申請人会社とは規模、その雑誌記事内容、発行部数も異なるのであるから、右の事実から直ちに右各雑誌に一〇月以降広告を掲載した企業がオール大衆にも広告を出したはずだと断定することはできない。かえって(証拠略)によれば、昭和五八年二月「経済春秋」を発行するケイザイ春秋社(資本金二〇〇〇万円)が、同年五月「野田経済」を発行する野田経済研究所(資本金六三〇〇万円)がそれぞれ商法改正による広告収入の減少を抜きにしては考えられない倒産に至っていることが認められ、これによれば企業の広告規制がいつ解除されるかは全く不確定であるといわざるをえない。
2 疎明資料によれば、被申請人会社は、商法改正による広告収入の減少に備えて、同年六月ころ販売収益を当て込んで、新雑誌ニューヤングの創刊を具体的に企画し、同年七月末に第一号(九月号)を六〇〇〇部(市場に出したのは五六〇〇部、一部定価三〇〇円、小売価格一九五円)発行したこと(七月末ころニューヤングを創刊したことは当事者間に争いがない。)、その後、八月末か九月初めに第二号(一〇月号)を五六〇〇部、九月末か一〇月初めに第三号(一一月号)を五四〇〇部、一〇月末に第四号(一二月号)を一七〇〇部それぞれ市場に出したこと、第一号は、販売店の店頭の状況から売行きが悪かったところ、予想どおり八月中に九〇部の返品があり、九月中に約三六〇〇部、一〇月中に約一三〇部と返品が相次ぎ最終的には約五二〇〇部が返品となったこと、第二号ないし第四号も最終的にはそれぞれ約四七〇〇部、約三七〇〇部、約一三〇〇部が返品になったことが認められ、右認定を左右するに足る疎明はない。
3 疎明資料によれば、昭和五七年度に関していえば、オール大衆一号当りの直接費は約一三〇万円、ニューヤング一号当りの直接費は約二〇〇万円を要し、直接費を除いた人件費、事務所維持費等の諸経費は、東京本社で月額約二三〇万円、大阪事務所で月額約七〇万円を要すること、被申請人会社は、同年八月三一日現在右経費を賄ったうえでなお約二二五万円の利益を計上し、法定準備金一五〇万円及び前年度からの繰越利益約三六三万円を合計すると約七三八万円の剰余を有したが、既に認定した九月分広告収入の著しい減少とニューヤングの売行不振のため、九月三〇日現在では右の剰余が約二八七万円に減少したこと、オール大衆の刊行を中止し、大阪事務所を閉鎖した一〇月以降も被申請人会社の損失は拡大し、一〇月二五日の解散時の決算では右剰余を取り崩しただけでなく、約五五四万円の欠損を出したこと一方、大阪事務所の同五五年度から同五七年度(八月三一日まで)の収支概要は別表二記載のとおりであるが、オール大衆の直接費の大部分を東京本社が負担しているため、従前から被申請人会社としては、右経費を東京と大阪の従業員数の割合(八対四)で按分した月額約八〇万円(年間約九六〇万円)を大阪事務所にも分担させ、大阪事務所の毎月の収益の中から右約八〇万円が東京本社へ送金されてくることを期待していたが、大阪事務所は、右期待に沿うだけの収益をあげなかったことが認められ、他に右認定を左右するに足る疎明はない。
4 当事者間に争いのない事実及び以上1ないし3認定の事実によれば、被申請人会社の本件解散は、同社の収入の大部分を占める広告収入の著しい減少及び会社再建のために企画刊行した新雑誌ニューヤングの売行不振により、経営再建の目途が立てられなかったためになされた真実の解散であると認められる。そして大阪事務所の閉鎖も、単なる一時的経営難や収入の減少に対処するために不採算部門を閉鎖してこれを一時的に凌ごうとしたのではなく、右の解散に至る一過程として損失の拡大を未然に防止するためになされたやむをえないものというべきである。
申請人らは、大阪事務所の閉鎖及び本件解散には何らの経営上の理由がない旨主張し、その論拠として、被申請人会社が同五六年一〇月に増資をし、同五六年度決算時において優良な資産を有し、当期利益を出し、さらに同五七年度も同年八月三一日現在で利益を出していること、被申請人会社が同五六年度から同五七年度にかけて新規に従業員を採用し、オール大衆三五周年記念事業及びニューヤング刊行に精力的に取り組んできたことなどを主張する。なるほど被申請人会社が同五六年度決算時には一五五万円の当期利益を出し、同五七年度も同年八月三一日現在で約二二五万円の利益を出し、法定準備金及び前年度からの繰越利益を含めて約七三八万円の剰余を出したこと、大阪事務所の同五五年度から同五七年度(八月三一日まで)の収支概要は別表二記載のとおりであることは前記認定のとおりであり、疎明資料によれば、被申請人会社は、同五六年一〇月三〇〇万円の増資をしたこと、同五六年度決算時において現金、預金約四三九万円、売掛金約八六三万円(そのほとんどが広告料で債務者はほとんどが大企業であるから、回収が確実なものである。)、出資金約三〇九万円等合計約一七一四万円の資産を有し、負債は約三〇〇万円しかなかったこと、同五七年三月ころに東京本社で編集部員二名、事務員一名を、同年七月ころには営業部員一名を新規に採用していることが認められるが、右事実は、商法改正による広告収入の減少が僅かで、しかも一時的であることを前提とする限り、被申請人会社の主張に対する有力な反証となりうる余地があるが、右前提事実が認められないことは既に認定した通りであるから、これらの事実は、大阪事務所の閉鎖及び本件解散が被申請人会社の経営上やむをえないものであったとする前記認定を妨げるものではなく、他に前記認定を覆すに足る疎明はない。
三 大阪事務所の閉鎖がやむをえない経営上の理由によるとしてもそれによって本件解雇通告が直ちに有効となるのではなく、そのためには本件解雇通告もまたやむをえないものであることを要すると解すべきである。そこで本件解雇通告にやむをえない理由があったか否かについて検討する。
前記二で認定した事実及び疎明資料を総合すると、被申請人会社は、本件解雇通告をなした同五七年八月二五日当時において、既に認定した多数の企業からの広告掲載断りの状況からみて、一〇月以降のオール大衆の刊行は困難と判断していたこと、さらにニューヤングの売行状況からみて大阪事務所を九月三〇日に閉鎖したとしても早晩会社経営が困難となり、東京本社の閉鎖、解散も余儀なくされるであろうことを相当程度の確実性をもって予測していたこと(なお、<証拠略>には本件解雇通告当時にはオール大衆の廃刊、会社解散は既定の方針であったかのような供述記載があるが、供述自体あいまいで当時ニューヤングの今後の見通しはいまだ流動的要素を残していたことから右供述記載は直ちに措信し難い。)、その後被申請人会社は、おそくとも組合との第一回団体交渉が行なわれた同年九月二四日には同年一〇月末の会社解散をほぼ確定的に決意し、右解散に至る一過程として大阪事務所を閉鎖したことが認められる。
この点につき申請人らは、被申請人会社は、九月以降もオール大衆、ニューヤングの広告宣伝をし、被申請人会社の内部的業務連絡文書で一〇月以降のオール大衆の刊行を予定しているのであるから、本件解雇通告当時被申請人が会社の解散を考えていたはずがない旨主張する。なるほど疎明資料によれば、オール大衆九月号の広告を九月一五日付の新聞に掲載していること、ニューヤング三号(一一月号)の広告を九月二九日、一〇月六日付の新聞に掲載し、地下鉄車内の宙吊り広告まで出していること、ニューヤング四号(一二月号)を九月ころから準備しこれを一〇月末ころに発行していること、被申請人の八月三〇日付、九月六日付業務連絡文書(<証拠略>)の中には一見一〇月以降のオール大衆を予定しているかのように受け取れる文言があることが認められ、右事実は、本件解雇通告当時被申請人は会社の解散まで決意していた旨の被申請人の主張に対する反論の資料とはなりえても、前記認定の事実とは何ら矛盾せず、ただ右事実からは、被申請人会社としては客観的状況はどうであろうとなお、会社存続に未練を残していたことが窺われるにすぎず、他に右認定を左右するに足る疎明はない。
以上の事実によれば、被申請人会社に対し、大阪事務所閉鎖に伴う申請人らの解雇を回避する措置を期待することは困難であり、結局本件解雇通告は避けることのできないやむをえないものであったといわざるをえない。
そうであるとすると、申請人らの解雇は、疎明資料により認められる被申請人会社就業規則一一条にいう「やむをえない業務上の都合による場合」の解雇ということができ、本件解雇通告について解雇事由が存在することは、これを認めざるをえないものというべきである。
四 一般に解雇がその手続上信義則に反し、解雇権の濫用にわたると認められるときは解雇の効力が否定されると解されるところ、申請人らは、本件解雇は、労働契約関係を規律する信義則上の協議、説明義務に違反した無効のものである旨主張する。
そこで検討すると、疎明資料によれば被申請人会社は、本件解雇通告をするに際し通告当時における会社の経営状況または経営見通しあるいはその対策(人員削減等)につき申請人らと具体的な協議等をしなかったことが認められ、いささか強引であった感がなくはない。しかし他方同五六年秋ころ、被申請人会社代表者松本利治が大阪事務所において、申請人ら同席のうえ商法改正が被申請人会社の経営に及ぼす影響につき話合がなされ、その際大阪事務所長から改正商法の施行によって広告掲載が中断されるかもしれない旨の発言があったこと、同松本利治は、申請人水渕に対し同五七年四月二三日付文書で商法改正のため同年一〇月以降収入が約一割に低下し、一〇月以降退社してもらわねばならない場合もある旨通知し(<証拠略>)、同年五月一九日付の第一次解雇通告(同年六月一六日撤回)の際にも文書で被申請人会社の収入の大部分を占める広告料が商法改正の関係で当分出してもらえなくなり、大阪事務所の収入は、同年七月以降大きく減少する予定である旨説明していること、また申請人小河は、営業部員で広告取りに従事していたのであるから、一〇月以降の広告収入の減少をある程度予測できたはずであること、被申請人会社は、同年九月二四日組合と第一回団体交渉を持ち、その際一〇月以降広告収入の見通しがたたないため一〇月末に解散する旨の説明したが、申請人らは、解雇撤回を要求するのみで格別の対案も出さなかったこと、被申請人会社は、前記二で認定したとおり、商法改正による広告収入の減少という外部的要因から大阪事務所を閉鎖せざるをえなかったのであり、大阪事務所を閉鎖するにつき、被申請人会社に特段の落度はなかったこと等が疎明資料により認められ、これらの事実に照らすと仮に、被申請人会社代表者松本利治が商法改正の被申請人会社の経営に及ぼす影響につき過少に評価する発言をしたことがあったとしても、他に特段の事情がない限り、被申請人会社が本件解雇通告に際し申請人らに対し何らの協議、説明をしなかったという一事をもって本件解雇通告が労使間の信義則に反し解雇権の濫用にわたるということはできない。
五 申請人らは、本件解雇通告の真の意図は、申請人水渕の思想、信条を嫌悪し、これを企業から排除しようとするところにあるから、本件解雇は、公序良俗に反し無効である旨主張する。
そこで検討すると、当事者間に争いのない事実及び疎明資料によれば、昭和五七年四月二二日申請人水渕が被申請人会社代表者松本利治に対し一か月二万円の賃上げ及び年間四か月分の賞与を要求したところ、同月二三日右松本から九〇〇〇円しか上げられない旨の回答があり、その後一か月も経たない五月一九日第一次解雇通告をしたこと、被申請人会社は右第一次解雇通告を六月一九日撤回したが、その約二か月後に本件解雇通告をしたことが認められるが、右事実から直ちに本件解雇が水渕の思想、信条を嫌悪してこれを企業外に排除することを決定的動機としてなされたものとは認められず、他にこれを認めるに足る疎明はない。
六 以上の次第で本件解雇通告は有効であるから、その無効を前提とする申請人らの本件仮処分申請は、結局被保全権利の存在につき疎明がないことに帰するところ、疎明に代る保証を立てさせて右申請を認容することも適当とは認められないから、本件仮処分申請はこれを却下することとし、申請費用の負担につき民事訴訟法第八九条、九三条一項本文を適用して主文のとおり決定する。
(裁判官 松本史郎)
別表一 (被申請人会社の収支概要)
<省略>
別表二 (大阪事務所の収支概要)
<省略>
別表三 (事務所別広告売上高の概要)
<省略>