大判例

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大阪地方裁判所 昭和57年(ワ)5446号・昭57年(ワ)5448号・昭57年(ワ)6977号・昭57年(ワ)7470号・昭57年(ワ)5449号・昭57年(ワ)5447号・昭57年(ワ)6979号・昭57年(ワ)6980号・昭57年(ワ)6975号 判決

【判旨】

三まず、本件全証拠をみるも、現在の所持人である原告及びさらにその前者らにおいて、本件各手形が参加人の所持していた際に盗難に遭つたことを知つて取得した事実を認めるに足りる証拠はない。つぎに、以下、原告及びさらにその前者らにおいて本件各手形を取得した際、右盗難の事実を知らなかつたことにつき重大な過失があつたかどうかを判断する。

いずれも<証拠>を総合すれば、以下の1ないし6の各事実が認められ、甲五四号証中3の一部に反する部分は措信できず、他にこれらを覆すに足りる証拠はない。

1 原告会社は、不動産の売買等を目的として昭和三五年六月二〇日設立された会社であるが、現実には魚と繊維類の貿易を営んでいた。その代表者岩谷充晴は、昭和四九年九月二四日個人として大阪府知事から貸金業開始届出の受理を受け、主たる営業所を原告会社内として貸金業を始めた。ところが、貸金の回収が思うようにいかなかつたこと等から、昭和五六年一〇月二日付同知事の受理をもつて新たに原告会社として貸金業開始届をなした。岩谷は、茂原龍秀に右業務を担当させたが、茂原は、昭和五五年末ごろ原告会社に入社し、墓地販売等の営業をなしていた従業員であつたが、かつて、金融機関に勤務していたことがある、とのことであつた。

2 昭和五六年一一月九日、茂原は森本栄泰から本件各手形を含め五〇通の手形の割引を依頼された。ところで、森本は、原告会社に昭和五一年ごろから約二年間勤務していた者であるが、右九日当時は、原告が関連し、魚と繊維を韓国へ輸出入する空門晃個人経営の新創企画に岩谷からの要請で移つており、右新創企画の事務所は、原告会社の建物の四階半分を使用していた。森本は原告会社にいる茂原に対し、「寺井玉來から過去に何回も手形の割引を依頼されて割つているが、事故は一度もなかつたから大丈夫である、寺井は、自分の友人で、柔道部で一緒にやつていたのでよく知つており、今は福富商事にいる。」との趣旨のことを言つて、これらの手形の割引を依頼し、総額にして約五〇〇〇万円近くのかなりの枚数の、既に寺井の裏書のしてある手形のコピーを見せた。茂原は、当日は岩谷が不在であつたため、翌日岩谷に対し、振出人や枚数など、全名柄を詳しく説明した訳ではないが大体の記憶で、四階の森本の紹介で間違いないものであるとの説明をし相談した。岩谷は、振出人の名を若干聞いたうえ、いいところであるし、ましてや森本の紹介であるとのことで、すぐに承諾の返事をした。

3 翌一〇日、森本はこれらの手形の現物を持参してきた寺井と共に原告会社を訪ね、茂原と会つたが、茂原は寺井とは初対面であつた。茂原は、森本と寺井両名の面前で森本に対し、手形の振出人・裏書人に対する確認はしているんだな、との質問をしたところ、森本は、確認はとつてあるから信用してくれというような趣旨の返事をした。茂原は、森本の方が自分より原告会社にとつて先輩であり、岩谷の信任は自己よりむしろ森本の方が厚いので、森本の方からも岩谷に口添えして欲しいと考え、森本に対しそれ以上の確認をしなかつた。また、茂原は、森本と岩谷との親しい間柄のことを考えて寺井をも信用し、同人に対し、いかなる取引で手形を取扱つたか詳しくは聞いていない。茂原は手形の現物を見て原告会社の経理に渡し、経理担当者はこれを寺井に返した。その後茂原は、岩谷に会い割引くことを決定し、森本らに翌日金を渡すから来社するよう告げ、翌一一日、原告会社を訪ねた寺井、森本の両名に対し、原告会社の経理担当者から寺井に現金四七七八万一六四四円を渡し、茂原は寺井からこれらの手形の交付を受けた。この間茂原は振出人・第一裏書人に対する何らの確認をしていない。

4 岩谷は、前記のとおり一〇日茂原から相談を受けた際、茂原から手形のコピーは経理に置いてあるから後で見て欲しいと言われただけであつて、結局手形の現物は割引前には見ておらず、割引直後に見たものであり、コピーも岩谷の記憶では割引前に見ていない。そして、岩谷は、森本から、寺井は京都の金融屋の番頭で、その金融屋が割引いた手形であるが急に金の必要なことがあつて原告に再割引に来たと聞いていたに拘らず、寺井が福富商事に勤務していたかどうかの調査をしたか否かについても知らず、寺井の裏書も確認せず、原告会社としては、寺井持ち込みの手形を割引くのは初めてであり、従来手形を何十枚も割引くのも本件が初めてであつたが、森本が持つてきたので信用し、すべて茂原に任せ切りであつた。なお、岩谷は、茂原がかつて金融機関に勤務していたとは聞いていたものの、その勤務先、時期についても知らず、茂原は、昭和三九年から三年間朝銀大阪信用組合に勤務していたが、預金担当をなしていて貸付、手形割引の業務は担当したことがなかつた。

5 ところで、森本は、寺井の依頼により昭和五二年ごろ以来年に五、六回は手形の割引先を紹介してやつてきた。そして、寺井は森本に本件手形を含む前記手形の割引を依頼した際、森本から、これらの手形がどのようないわく因縁であつたかの説明は求められておらず、また、寺井は森本に対し、勤務先の福富商事として右各手形を持ち込んでいるのではなく、寺井の友人が寺井個人の所へ割引を頼みにきた、との説明をした。

6 他方、寺井は、本件手形を含むこれらの手形を松浦某、通称「マッチャン」という人から割引の依頼を受けたものである。松浦は、寺井の友人新ケ谷建司の連れであつて、寺井にとつては、新ケ谷と会う時松浦とも会つていた、という程度でそれ以上の交際はなかつたものである。寺井は、右交際当時、松浦が会社員であるのかどうかも、どこに勤めているのかも、またどこに住んでいるのかも知らなかつた。そして、松浦は、右各手形の割引を寺井に依頼する際、何故割引かなければならないのか言いもせず、また寺井の方も立入つたことを聞きもしなかつた。

なお、寺井は、高校中退後現在まで長く一つの仕事に就いていたことはなく、自らも勤務先、職業、その稼働期間をよく記憶しておらず、ガスの配管関係の仕事をしたりして、昭和五四年秋ごろから右各手形を所持していた頃は、大津市にある不動産業をなす福富商事に勤め、運転手や社長の手伝い等をしていたが、昭和五二年ごろから、森本に手形を割つてもらうようになつた。寺井は、暴力団の看板もあげていた三田にある藤田組が、共栄商事という金融会社を設立していた際、その社員をしていたことがあり、藤田組のなしていたノミ行為の集金を頼まれてしたこともあり、暴力行為等で起訴され、服役したことはないものの執行猶予になつたことも三回ある。

四1 以上認定の各事情から判断するに、まず、客観的な事情として、原告は寺井から、寺井は松浦から本件手形を含む五〇通の手形、額面総額にして五八〇〇万円余の手形の交付を一括して受けている。そして、これらの手形の内本件手形だけをとつてみても、額面金額に端数のあるものがかなりの枚数あり、振出人も名の知れたものが多い。これらの枚数の多いこと、金額が高額にのぼること、一見して商業手形とみられる手形も入つていることの事情に加え、名の知れた振出人振出の手形が割引、再割引に出されて市中を回つていることを併わせて考慮すれば、割引を依頼された者ましてや金融を業としてなす者としてはまず疑念を抱くのが通常であると考えられる。

2  つぎに、右手形の各所持人の主観的な事情として、まず、原告代表者岩谷は、手形割引の際の注意事項は確認であるということを了解していた(成立に争いのない甲六〇号証による)に拘らず、森本を信用して手形割引の経験に乏しい茂原に任せ切りであつて、自らは、手形の現物は勿論コピーさえ割引前に見た記憶なく、寺井の手形を割引くのは初めてであつて、森本から、寺井の勤務先が割引いた手形であると聞かされながら、寺井に会うこともせず、寺井或いはその勤務先に対し入手経路、取得原因等につき何らの調査をせず、振出人・裏書人に対する確認もしなかつた。そして、茂原も、森本を信用し、ひいては寺井をも信用して、森本から確認の点につきあいまいに確認してあるから信用して欲しいというような趣旨のことを言われただけでこれを信用し、岩谷同様何らの確認や調査をなしていない。しかも、岩谷、茂原の両名が信用した森本の紹介であつたにしても、森本に割引を依頼したのは前認定の寺井である。寺井のことはどこまで信用できるものであつたかは、岩谷は森本から、寺井の勤務先が割引いた手形であるとの説明を受けていたということであり、他方、森本は寺井から、寺井の友人が割引依頼主であるとの説明を受けていたということであるから、結局岩谷か茂原において、割引依頼をしてきた寺井から、直接入手経路、取得原因等を調査すれば、前記疑念はさらに一層明確になつたと考えられる。そして、振出人ないしは裏書人欄に記載のある参加人に対し確認をなしておれば、これらの手形が盗難手形であることは容易に判明したであろうと推察される(盗難にあつた後参加人は直ちに各振出人に対し連絡ずみであることは成立に争いのない丙一二号証により認められる)。

さらに、原告の前者である寺井については、本件各手形に自己の名を裏書してはいるものの、単に割引依頼の際仲介ということで裏書しただけであつて、手形の所持人となつたかは疑問であり、証人森本栄泰も、寺井が割引してそれを原告が再割引したというのではない旨証言する。しかし、仮に実質上も所持人となつたとしても、前項6認定のとおり、寺井は、交際当時いかなる人物であるかよく知らない(成立に争いのない甲五四号証によれば、寺井は、京都地方裁判所において、松浦は本件手形の件で会つた当時は参加人の会社に勤務している旨証言しているが、全く措信するには当らない)松浦から、しかも前認定のようなあいまいな情況の下に割引依頼を受けたに拘らず、立入つたことを聞きもせずこれらの手形を取得しており、松浦がこれらを持参していることに当然疑念を抱いてしかるべきであつた。

さらに、寺井の前者については、寺井の前記証言によれば、松浦は参加人会社として割引を依頼してきたことになり、参加人との間に寺井の前者はいないことになるが、右証言の信憑性には大いに疑問があり、したがつて、松浦がその前者となることがありうるとしても、更にその前に事実上の交付による所持人があつたか否かについては不明である。しかしながら、前認定の寺井という人そのものについての諸事情、そして、その寺井が関与していること自体は当然考慮されるべきである。

3  以上によれば、本件手形を含むこれらの手形を割引取得するについては、前記の客観的事情から当然考えられる疑念は余りに大きいといわなければならない。そして、これらの所持人になつた原告はじめ仮にその前者寺井において、前記の各主観的な事情の下では、これらの手形が受取人である参加人において盗取されたものであることを知らずに取得した点に重大な過失があつたものと判断され、仮に寺井の前に中間者が介在したとしても、前記のとおり、寺井が関与していることや、むしろ、より盗取された参加人に近づくものであるだけにその重過失が推認され、結局原告以下すべてとうてい善意取得しているものとは考えられない。

五以上によれば、被告らの抗弁には理由があることになり、被告らに対し本件手形金及び利息の支払を求める原告の各請求にはすべて理由がないことになり、これらを棄却した主文一項記載の各手形判決はいずれも正当である。 (杉本孝子)

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