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大阪地方裁判所 昭和57年(ワ)6433号 判決 1983年11月15日

別紙当事者目録記載の当事者間の頭書請求事件について、当裁判所は、昭和五八年八月三〇日に終結した口頭弁論に基づき、次のとおり判決する。

主文

一  被告は、次記の原告に対し、それぞれ次記の金員を支払え。

原告益山かよ子に対し 金一万七四三七円

原告福田和子に対し 金九四一七円

原告夏原文代に対し 金三万四三八三円

原告藤本優子に対し 金二万四三三六円

原告酒井洋子に対し 金二万六五六六円

原告山下政広に対し 金三万二四八二円

原告清水ますみに対し 金九二九八円

二  被告は、次記の原告に対し、それぞれ次記の金員とこれに対する昭和五七年七月二八日から支払済まで年五分の割合による金員とを支払え。

原告酒瀬川由美子に対し 金六〇万九五〇〇円

原告前田八重子に対し 金二七万六九三〇円

原告鶴田芳美に対し 金九三万七三〇〇円

原告織田景子に対し 金六三万九一〇〇円

原告福田ひさみに対し 金四四万三七〇〇円

原告森口宏子に対し 金三四万一〇〇〇円

原告田崎晴雄に対し 金六三万三六〇〇円

原告中川テツ子に対し 金七九万五六〇〇円

原告岩佐みち子に対し 金五四万六二〇〇円

原告渡辺碩子に対し 金四〇万四四〇〇円

原告丹波義弘に対し 金七一万九〇〇〇円

原告山川千代子に対し 金五九万七八〇〇円

原告野村麗子に対し 金五六万七一〇〇円

原告阿佐百合子に対し 金七〇万一六〇〇円

原告小西政子に対し 金九三万八〇〇〇円

原告河合妙子に対し 金三九万一二〇〇円

原告岩本孝子に対し 金一九二万七四〇〇円

原告七條美千代に対し 金二五万五〇〇〇円

原告近藤良子に対し 金二一四万三二〇〇円

原告亀井知巳子に対し 金四一万九八〇〇円

原告井上孝子に対し 金四〇〇万五七〇〇円

原告山形紀子に対し 金二二万四三〇〇円

原告村上律子に対し 金一八七万五八〇〇円

原告中川静章に対し 金一〇八万四六〇〇円

三  被告は、原告川島喜久恵に対し、金一〇五万五四〇〇円とこれに対する昭和五七年八月二八日から支払済まで年五分の割合による金員とを支払え。

四  被告は、原告倉岡成子に対し、金二二万三四二八円とこれに対する昭和五七年一〇月一七日から支払済まで年五分の割合による金員とを支払え。

五  被告は、次記の原告に対し、それぞれ次記の金員とこれに対する昭和五七年一〇月二六日から支払済まで年五分の割合による金員とを支払え。

原告平尾青位に対し 金五一万八八〇〇円

原告篠永信武に対し 金三〇万九三〇〇円

原告田渕敦子に対し 金三一万一〇〇〇円

六  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

七  訴訟費用は被告の負担とする。

八  この判決は、第一乃至五項に限り、仮に執行することができる。

事実

一  申立

1  原告ら

(一)  被告は、次記の原告に対し、それぞれ次記の金員とこれに対する昭和五七年七月二七日から支払済まで年六分の割合による金員とを支払え。

原告益山かよ子に対し 金四四万二〇〇〇円

原告福田和子に対し 金二三万八七〇〇円

原告夏原文代に対し 金七一万五一〇〇円

原告藤本優子に対し 金四九万三五〇〇円

原告酒井洋子に対し 金五三万八七〇〇円

原告山下政広に対し 金六一万七五〇〇円

原告清水ますみに対し 金一七万六七七〇円

(二)  主文第二乃至五項を、それぞれ各項中に「年五分」とあるのを「年六分」と置き換えたもの、と同旨。

(三)  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決、並びに仮執行宣言。

2  被告

(一)  原告らの請求をいずれも棄却する。

(二)  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決。

二  主張

1  原告らの請求原因

(一)(雇用関係及び退職)

原告らは、別紙一覧表(略)当該原告についての就職日欄各記載の日に、第二種社会福祉事業を営む社会福祉法人である被告と、それぞれ雇用契約を結んで就職し、同表当該原告についての退職日欄各記載の日に、それぞれ被告を退職した。

(二)(退職手当規定による退職金の額)

被告においては、当時、従業員が退職した場合は、就業規則付属の退職手当規定所定の計算方法による退職金を支給することが定められていたところ、原告らについての右所定の計算方法による退職金の額とその計算関係は、別紙一覧表当該原告についての退職金額欄と勤務年数、基本給、算式の各欄に各記載のとおりである。

(三)(商行為性)

被告は、病院を経営し患者を入院宿泊せしめているから商人であり、原告らと被告の雇用契約の締結は、商人がその営業の為にする行為であるから付属的商行為である。

(四)(本訴請求)

従って、原告らは被告に対し、それぞれ右退職金(但し、原告清水ますみについては金三六万八八三〇円、原告前田八重子については金二六万八六七〇円、原告倉岡成子については金二七万三六〇〇円を、それぞれ貸与奨学金未返済として右退職金から控除した退職金残金)とこれに対する訴状送達の翌日から支払済まで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金との支払請求として、前記原告の申立(一)記載のとおりの金員の支払を求める。

2  請求原因に対する被告の認否及び主張

(一)(認否)

請求原因(一)(雇用関係等)については、認める。

同(二)(退職手当規定による退職金の額)については、争わない。

同(三)(商行為性)については、争う。

同(四)(本訴請求)については、当該原告についての奨学金貸与とその額の点を除き、その余は争う。

(二)(主張)

(1)(事情変更の原則の適用による退職手当規定の失効乃至退職金支払期限の猶予)

被告は、昭和五六年五月一九日、大阪地方裁判所に和議手続開始の申立をし、昭和五七年一月一二日和議認可決定を受けたが、被告が右和議手続開始申立をしたのは、右申立前五年間多額の損金を出し続け、かつ新館病棟建設の固定負債約二〇億円が加わって負債が累積していたところ、原告らの加盟する大阪暁明館職員組合がビラ配布等による理事会攻撃を加えた為、病院のイメージダウンによる患者数激減を招き、被告の収益を更に悪化させ、当時、被告は医薬品供給先への支払手形の決済ができず第一回の不渡を出し、このままでは、破産を回避できない事態に陥ったからであった。

被告は、右和議手続開始申立当時、総額約四五億円の負債があり、その後の収益も良くなく、現在、和議条件の履行すら困難な状態となっており、財政的には当時からずっと破綻状態にあり、従業員に対する退職金も、昭和五六年一月頃からその支払を遅滞し始め、以降、これを直ちに支払うことは困難となっている。

右のような被告の財政状態は、被告の就業規則所定の退職手当規定の制定当時にも、原告らとの雇用契約締結当時にも、全く予見しえない事態であり、かつ、右事態は被告の責に帰すべき事由によるものではない。

従って、右退職手当規定は、その基礎に、右規定によって当事者を拘束することが信義則に照らし著しく不当といえるだけの事情の変化があった、というべきであり、事情変更の法理の適用により、右退職金規定は、原告らが被告を退職した当時は、失効していたのであり、仮に右退職金規定が失効しておらず原告らが右規定所定の退職金債権を取得したとしても、右法理の適用により、被告の原告らに対する各退職金の支払期限は、少なくとも別紙一覧表当該原告の退職金払込予定月欄各記載の時期まで、当然に期限の猶予が為されたものである。

(2)(退職金の支払に関する慣行乃至特約に基づく支払猶予)

被告は、昭和五二年末頃、協栄生命保険株式会社と企業年金保険契約を締結し、以降、これに基づき、右会社に毎月所定の拠出金を積立しており、被告従業員に対する退職金も、すべて右積立金を財源として、右会社から、退職従業員に対して、右積立金の範囲で支払うという方法で、支給して来た。

ところが、昭和五六年頃からの看護婦等被告職員の大量退職という異常事態が生じて、被告は右所定の拠出を続けるも、その積立金では、当該退職金を賄えなくなり、必要積立額が溜るまで、支払が遅れる事態となっており、現在の状況では、右会社から原告らに対する退職金の支払は、別紙一覧表当該原告についての退職金支払予定年月欄記載の各時期になる見込である。

ところで、右の方法により、被告が退職従業員に対する退職金を支給することは、当時、確立した労働慣行となっており、更に、原告らは、退職の際に、右方法による退職金支給に同意していた。

即ち、原告らは、各自被告退職一カ月前の退職届提出後で退職までの間に退職手続を行なった際、被告の担当人事課員から、退職金の支払は右協栄生命保険株式会社から支払が為されること、支払の為の原資から拠出制度で毎月一定額を積立していること、近時拠出額を上回る退職者が出ている為に退職金の支払が遅延していること、支払は先に退職した者から順次為されていること、現実の支払は数カ月乃至数年後になること、について説明を受け、これを了解のうえで、各自右協栄生命保険株式会社宛の団体企業年金保険一時金請求書兼受領証に署名押印して被告に提出し、その際に、退職金を直ちに支払うよう求める等の異議を述べた者はいなかった。

従って、仮に原告らが本件退職金債権を有するとしても、右労働慣行または右原告らの同意により、被告の原告らに対する退職金の支払時期は、右企業年金保険契約に基づく拠出制度による支払時期(別紙一覧表当該原告についての退職金支払予定年月欄記載の各時期)まで、期限の猶予が為された。

(3)(退職金請求の権利濫用乃至信義則違反)

原告らは、全員大阪暁明館職員組合の組合員であって、被告理事会の乗取りを図る被告元理事兼院長中西義章と結託して、互いに意を通じて事々に被告理事会と敵対し、被告の前記和議による再建を妨害して来た。

原告らは、右和議認可決定の直後の昭和五七年二月過ぎ頃から大量に集中的に被告を退職したが、これは、被告の財政危機に乗じて、他の妨害策のうえにその退職金支払圧力を加えて病院財政を破綻させ、被告の和議条件の履行を不可能にし、これにより、右被告乗取りを実現することを狙った右再建妨害策の一環であって、原告らは、右中西義章らによる被告理事会乗取りが成功した後に復職する心積りで一時的に被告を退職したものに過ぎず、現に、被告と右中西元理事兼院長との和解交渉では、右中西側から原告ら退職看護婦等の復職が一条件として提示されたのである。

従って、仮に原告らが被告に対しその主張にかかる退職金債権を有するとしても、右のような意図から出た原告らの被告に対する本件各退職金請求は、信義誠実の原則に反し、権利の濫用というべきもので、到底許されるものではない。

(4)(一部弁済)

仮に、原告らが被告に対しその主張にかかる退職金債権を有したとしても、次記の原告については、次記の年月日に、次記の金額が、右退職金として、支払済である。

原告益山かよ子に対し 昭和五八年五月一一日 金四四万四二〇〇円

原告福田和子に対し 昭和五八年五月一一日 金二三万八七〇〇円

原告夏原文代に対し 昭和五八年七月一三日 金七一万五一〇〇円

原告藤本優子に対し 昭和五八年七月二二日 金四九万三五〇〇円

原告酒井洋子に対し 昭和五八年七月二二日 金五三万八七〇〇円

原告山下政広に対し 昭和五八年八月一五日 金六一万七五〇〇円

原告清水ますみに対し 昭和五八年八月一五日 金五四万五六〇〇円

従って、右原告らについては、右弁済により、当該退職金債権は消滅した。

(三)  よって、被告は、原告らの本訴請求には応じられない。

3  右原告らの主張に対する被告の認否

被告の主張(二)(1)(事情変更の原則の適用)については争う。

同(二)(2)(退職金請求の権利濫用乃至信義則違反)については否認乃至争う。なお、原告らは、被告退職後、他に就職したり、失業のまま田舎に引き籠ったり、しており、原告らの被告退職は一時的なものではない。

同(二)(3)(慣行乃至特約に基づく支払猶予)については否認乃至争う。なお、従前被告を退職した従業員が、企業年金保険から退職金を支給されて、何ら問題なかったのは、当該退職金が全額完全に履行されたからで、その完全な履行がない場合に、退職従業員が被告に退職金を請求するのは当然であり、右企業年金保険からしか退職金を受領しない等という労働慣行や原告らの同意は存在しなかった。

同(二)(4)(一部弁済)については認める。

三  証拠

証拠関係は、一件記録中の書証・人証等目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。

理由

一  所定退職金について

原告らの被告との間の雇用関係、及び原告らの被告退職については、原告らの請求原因(一)のとおり、また、当時の被告就業規則所定の計算方法による原告らの退職金の額については、原告らの請求原因(二)のとおり、いずれも、当事者間に争いがない。

二  退職金の失効等について

1(事情変更の原則の適用について)

然るところ、被告は、<1>被告の財政状態が著しく悪化して破産の危機に瀕しており、<2>これは被告の退職手当規定制定時或いは原告らとの雇用契約締結時に予想しうべき範囲を超えた事情の変化であり、<3>右被告の財政状態の悪化は、原告らの被告攻撃の悪宣伝等が原因でこそあれ被告には帰責事由はない、と主張し、これを前提に、原告らの退職金に関し、事情変更の原則の適用による右退職手当規定の当然失効、を主張するので、まず、この点に副って検討する。

(一)(被告の財政状態の悪化)

(1)  被告の財政状態に関して、成立に争いがない甲第一号証(被告就業規則)、乙第三号証(和議申立書)、乙第四号証(和議認可決定謄本)、証人河野一郎(被告理事兼病院事務長)の証言とこれにより成立を認める乙第五、六号証(被告の昭和五五年度、昭和五六年度の決算書)、乙第七号証(被告の昭和四七乃至五五年度の営業成績の推移を集約した表)、弁論の全趣旨によれば、次の<1>乃至<4>の事実が認められる。

<1> 被告は、昭和五六年五月一九日、大阪地方裁判所に対し、和議申立をし、同裁判所は、昭和五六年一月一二日、和議認可決定をしたこと。

<2> 右和議申立の直接の契機は、被告が従業員に対する昭和五五年の年末賞与の支払を遅滞し、同年一二月、従業員から、被告の社会保険診療報酬支払基金に対する診療報酬債権を仮差押され、為に、約束手形の支払資金に不足を来し、第一回の手形不渡を出したこと、であったこと。

<3> 右和議申立の資料とされた被告の昭和五五年度(翌年三月締切)の決算では、期間収支が約二億円の損失(収入約二三億円、支出約二五億円)、期末累積損失が約一〇億円、期末資産約三五億円(流動資産等約一一億円、固定資産約二四億円)、期末負債約四五億円(流動負債約一六億円、固定負債約二九億円)、となっていること。但し、右決算では、固定資産のうち被告所有の大阪市此花区所在の土地計約五七五八平方メートルについて計金二七一万余円の評価で計上されていること。また、右固定負債の大部分は、病院新館建設関係費の借入金であり、その金利負担もかなりの額となること。

<4> 被告においては、昭和五〇年度から昭和五五年度まで、ずっと期間収支は平均一億八〇〇〇万円程度の赤字であったが、昭和五六年度は、和議認可決定等もあって、期間収支は三〇〇〇万円程度の黒字であったこと。また、昭和五六年度も含めたこの間の被告の期間収入は、昭和五三年度の約二七億円をピークに減少傾向にあるが、昭和五二年度以降毎年度とも、二〇億円台は維持していること。

(2)  右事実及び弁論の全趣旨からすれば、被告が右和議申立をした当時の被告の財政状態は、土地の含み資産はかなり見込まれたものの、数年来の累積赤字のうえに設備投資(病院新館建設)の固定負債の利払が加わったところへ、収入が減少し続けて、資金繰が相当に苦しい状態であった、とみられ、被告は、破産の危機に瀕する状態であったか否かは一先ず措くとしても、財政的には経営が困難な状態が数年来続いており、この事態は、原告らの退職当時も、和議による負担軽減分による資金繰の好転以外は、大きな変化はなかった、とみられる。

(二)(予期すべからざる事情の変化)

(1)  そこで、被告の右財政困難な事態が、原告らの退職金との関係で、予期すべからざる事情の変化といえるか否かの点をみる。

(2)  まず、原告らの退職金については、本件主張立証上、次の<1>乃至<3>のことがいえる。

<1> 被告における従業員の退職金につき、その退職手当規定制定時或いは原告らとの雇用契約締結時に、当時の被告の財政状態やこれが将来に亘って大きな変動がないことが当事者間の当然の前提となっていた、というに足る事情について、特段の主張立証はない。

<2> また、被告における従業員の退職金は、前記争いがない請求原因(二)(退職手当規定による退職金の額)によれば、就業規則によりその支給条件や支給額が明確になっていたもので、あるとき払いの恩恵的な支給金というものではないといえる。従って、右退職金は、退職によって具体化するものの、実質は過去の長期間に亘る労働の対価というべき性格のものであって、賃金の後払いというべきものであるから、本来、退職間際の被告の財政状態によりその権利が左右されるべき性質のものではない。しかも右退職金は、その退職手当規定制定時或いは雇用契約締結時から数年乃至何十年後の従業員の退職時に現実化するもので、その間の相当の事情の変化をも見込むべきものであるうえ、その退職には、前記甲第一号証(被告就業規則)によれば、事業縮少に伴う整理解雇等の経営の悪化等の場合の退職も想定されていた、とみられる。

<3> 更に、弁論の全趣旨、証人河野一郎の証言及びこれにより成立を認める乙第五一号証(退職金計算及び支払予定表)によれば、被告は、退職金倒産の事態を避ける為、被告の期間収支の赤字傾向が続く中で、昭和五二年一二月頃、協栄生命保険株式会社と企業年金保険契約を締結し、以降欠かさず月々所定の積立をしており、原告らの退職金についても、遅れながらも右積立金からの支払の目処は立っていること、が認められ、被告においても、本訴以外では、原告らの退職金支払を想定した対応を取り続けているとみられる。

(3)  そうであれば、被告における賃金の後払というべき原告らの退職金の関係では被告の前記(一)で認定した程度の財政困難な事態は、想定されていた範囲のものである、というべきであり、かつ、被告の財政状態の悪化は、数年来徐々に進行して来たものであって、仮にそれが破産の危機に瀕する程度の深刻なものとなったとしても、それが予期すべからざる社会経済情勢の一般的な急激な変動による等の特別な事情によるといえる場合ではないことは明らかであるから、被告においても想定すべき範囲内のものであった、というべきである。

(4)  従って、被告の右財政困難な事態を、原告らの退職金との関係で、予期すべからざる事情の変化であった、ということは出来ない。

(三)(帰責事由)

(1)  更に、被告の右財政困難な事態の帰責事由の点をみると、一般的には、個別企業の経営の悪化は、特段の反対事情がない限り、経営責任として、当該企業の責に帰すべき事情というべきであって、事情変更の原則を持ち出す余地のないところであり、企業経営が悪化したからといって、当該企業が契約の拘束力を免れることが出来ないのは当然で、これは、退職金についても、それが雇用契約上の賃金債権である以上は、何ら区別する理由はない、というべきである。

(2)  ところで、被告は、これらの特段の反対事情として、原告らが中西義章元理事兼院長と結託して為した被告攻撃の悪宣伝等種々の経営妨害策が被告の財政悪化の原因となった、と主張するようでもある。

しかし、原告らの被告批判の宣伝が為されたとしても、それが違法な内容のものであることについての主張立証はなく、また、被告の患者数減少の事実が存するとしても、それが被告の右宣伝と相当因果関係を有することを認めるに足る証拠もない。

更に、被告の経営状態の概略は前記(一)の認定事実のとおりであるところ、証人河野一郎の証言及び弁論の全趣旨によれば、被告の収入減少の主因は、従来高収入源となっていた入院患者が、被告院長中西義章医師の裁量の結果、著しく減少したことにあり、また、資金繰が困難になった主因は、収入見通しを誤った過大な設備投資というべき病院新館建設を借入金に頼って行なったことにある、ということであるから、これらは、医師でもなく被告の経営に参画する者でもない原告らの関与するところではない、というべきであり、また、原告らが被告の経営妨害策を為すことで被告院長中西義章と結託したことを認めるに足る的確な証拠はない。

そうであれば、被告の経営悪化につき、これが、被告の責任ではなく、専ら、原告らの責任である、というに足る特段の反対事情についての被告の右主張は、前提事実を欠き、その余の検討をするまでもなく、失当である。

(3)  従って、被告の財政悪化については、その帰責事由に関する特段の反対事情は見当たらないから、仮にそれが破産の危機に瀕する程度の深刻なものであったとしても、被告の責に帰すべき事由によるものというべきであり、これにつき、事情変更の原則を適用する余地はないものというべきである。

(四)  よって、原告らの退職金に関し、被告の右財政悪化に基づく事情変更の原則の適用があることを前提とする右被告の主張は、その余の検討をするまでもなく、その前提を欠き失当であるから、採用することができない。

2(権利濫用等について)

(一)  次に、被告は、原告らの退職が、被告理事会乗取りを画策する被告元理事兼院長中西義章と結託した被告攻撃の一環として為されたもので、集団退職による退職金支払圧力によって被告の和議による再建妨害等を主な目的とした一時的な退職に過ぎないものであるから、このような意図のもとに為される原告らの退職金債権の行使は、信義則に違反し、権利濫用として許されない、との旨主張するので、この点について検討する。

(二)  右被告の主張については、その事情として主張する事実、即ち、原告らの被告退職が後に被告復職を予定した一時的な退職であること、及び、原告らが専ら被告の再建を妨害する意図で結託して一時期に集団退職したこと、を認めるに足る証拠はなく、また、被告と被告元理事兼院長中西義章との和解の席上、仮に、原告ら全員の復職の話が右中西側から出たとしても、これをもっては、右被告の主張を裏付ける事情とまではいえず、他に、右被告の主張を認めるに足る的確な証拠はない。

(三)  なお、証人河野一郎の証言及びこれにより成立を認める乙第四八号証(年度別退職者数を月毎に集計した表)によれば、被告における退職者数は、年々概ね一〇〇名前後出ていたところ、前記和議認可決定のあった昭和五七年一月から程ない同年五月には、例年より約二〇名程度多い退職者が出たうえ、同年六、七月にも例年より若干多い退職者が出たこと、が認められる。

しかし、他方、右各証拠及び弁論の全趣旨によれば、原告らの退職した昭和五七年においても、原告ら以外にも多数の被告従業員の退職者がみられるうえ、同年五乃至七月に例年より多い退職者が出た外は、例年と大差は見られないこと、が認められ、また、右五月の退職者が多かったことも、同年一月に和議認可決定があって程ない時期において従業員の退職者が多発するのは通常ありうることであって、特異なことともいえず、更に、右例年の退職者数をみれば、右程度の退職者の増加は、被告においても、通常の場合であっても予想すべき範囲でもあり、取り立てて問題視すべき事情ではない、というべきである。

従って、右程度の退職者が出たことをもっては、原告らが結託して一時期に集団退職したと認めることは出来ず、仮に、これが原告らの集団退職の結果であるとしても、この程度の退職の増加では、被告に予想外の特別の打撃を与えるものということはできず、原告らが信義則に違反するような形で一時期に集団で被告を退職したともいうことは出来ない。

(四)  以上によれば、原告らの被告退職とその後の被告に対する退職金請求について、これが信義則に違反し権利濫用になるというに足る特段の事情は、本件主張立証上認められないというべきであり、そうであれば、原告らの退職金請求は、その権利が存在する限り、正当な権利行使というべきであり、それが、仮に、被告の支払能力を超えていて、被告の財政を窮地に追いやることとなったとしても、正当な権利行使の結果であればやむをえないことであるから、原告らの退職金請求を信義則違反或いは権利濫用であるとする右被告の主張は採用できない。

三  退職金の支払猶予について

1(事情変更の原則による支払猶予について)

原告らの退職金の支払時期については、特段の定めがない限りは、期限の定めのないものとして、請求により支払期限が到来する、と解するべきである。

然るところ、被告は、右退職金の支払時期について、前記二1同様の被告の財政状態の悪化に基づく事情変更の原則の適用による当然の支払猶予を主張する。

しかしながら、原告らの退職金に関し、被告の財政状態の悪化に基づく事情変更の原則の適用の余地がないことは、前記二1の認定・判断のとおりであり、これを、退職金の支払時期についてのみ別に取扱うべき理由もない。

従って、右事情変更の原則による原告らの退職金支払期限の当然猶予をいう被告の右主張は、その余の検討をするまでもなく、失当であり、採用できない。

2(慣行に基づく支払猶予について)

(一)  次に、被告は、被告における退職従業員に対する退職金の支払については、被告が企業年金保険契約に基づき保険会社に拠出した積立金を財源として右契約に基づく拠出制度に従って支払う、との旨の労働慣行が確立しており、原告らの退職金についても、右制度による支払予定時期まで、支払が猶予された、と主張するので、この点につき検討する。

(二)  右拠出積立制度に関する事情として、証人河野一郎の証言、成立に争いがない乙第一号証(被告と保険会社との間の契約内容に副った退職年金規程)、及び弁論の全趣旨によれば、次の(1)乃至(4)の事実が認められる。

(1)  被告は、昭和五二年一二月頃、協栄生命保険株式会社と企業年金保険契約を締結したが、これは、被告が月々所定の拠出金を右保険会社に拠出して積立し、被告が退職金を支給するときは、右保険会社が、右積立金の範囲内で、当該退職者に対し所定退職金相当額を銀行口座振込の形で支払する、という内容を含むもので、被告が右契約をした目的は、被告において将来発生が予想される従業員の退職金の支払資金を予め積立準備しておき、従業員の退職が一時期に集中発生しても退職金倒産という事態に陥ることのないようにするというものであったこと。

(2)  右契約締結にあたって、被告は、原告ら従業員或いはその所属していた労働組合に対し、右契約所定の退職金支払の仕組みについて、具体的な説明をした形跡はなく、まして、原告ら従業員の退職金は、右契約締結以降は、右積立金からしか支払されず、右積立金で不足が生じたときは所定額が溜るまで支払が延期される、といった趣旨の説明は一切されていなかったとみられること。

(3)  被告における従業員の退職金は、右契約締結当時支払が遅滞して分割支払等も行なわれていたが、右契約締結以降は、右契約所定の仕組みで被告退職手当規定所定額の退職金が右保険会社から当該退職従業員に対し遅滞なく支払されていたところ、昭和五六年一月頃から支払が遅滞し始め、昭和五七年七月から同年一〇月の間に、原告らから被告に対し退職金の支払を求める本訴が提起されたこと。

(4)  被告における従業員の退職金については、被告退職手当規定(前記甲第一号証)が適用され、これと若干差異のある内容を記載した前記乙第一号証(退職年金規程)は、右契約の際、右保険会社から渡されたものであるが、被告においてこの内容に右退職手当規定を変更する手続きは取られていないとみられること。

(三)  右事実及び弁論の全趣旨によれば、次の(1)乃至(3)のことがいえる。

(1)  右契約にかかる拠出積立金からの退職金支払制度は、専ら、被告の退職金支払資金手当の為のもので、本来、これにより従業員の退職金の権利を制限する趣旨のものではない、とみられる。

(2)  右退職金支払制度導入に伴ない、併せて、従業員の退職金の支払原資を右拠出積立金に限定することは、もしそのような退職金の権利の制約をするなら、当時被告の労使間で明確な説明や折衝がある筈のところその形跡はないことに照らしても、当時、労使間の共通の認識にはなっていなかった、とみられる。

(3)  右退職金支払制度は、導入以来原告らの退職まで、五年と経ておらず、右制度による支払が積立金残高不足で遅滞し始めたのは原告らの退職前一、二年のことで、この間本訴提起まで退職従業員から被告に対する退職金の直接の支払請求がなかったとしても、それは、退職金の支払が遅滞しなかったからに過ぎず、退職金の支払遅滞が生じて程無く原告らからの本訴提起が為されていることに照らしても、この間、被告において、右退職金の支払原資を右拠出積立金に限定する運用が異議なく行なわれていたとはみられない。

(四)  右の点に照らせば、被告において右退職金支払制度そのものが労働慣行として確立したものとなっていたか否かは別論として、右制度を前提にしても、被告において退職金の支払原資を右拠出積立金に限定するとの取扱が相当期間異議なく行なわれて来た、とは到底認められないのであって、従って、これ以上の検討を要せず、右退職金支払原資の限定が原告らの退職当時の被告における労働慣行として確立していたとは、認められない、というべきである。

(五)  従って、右労働慣行の存在を前提とする被告の右主張は、失当であって、採用できない。

3(退職当時の特約による支払猶予)

(一)  更に、被告は、原告らに対する退職金の支払については、原告らは、被告を退職する際、被告に対し、右退職金支払制度による支払予定時期までその退職金の支払を延期することを同意したから、その退職金は右制度による支払予定時期まで支払が猶予された、と主張するので、この点につき検討する。

(二)  これに関する事情として、証人河野一郎の証言、証人久禮義矩(被告人事課長)の証言、及びこれらにより成立を認める乙第一六乃至四七号証の各一、二(団体企業年金保険一時金請求書兼受領証、退職所得申告書)、成立に争いがない乙第一八乃至四五号証(但し、二六、二七、三〇、三三、三八、四〇、四二、四四号証を除く)の各三(印鑑登録証明書)によれば、次の(1)乃至(3)の事実が認められる。

(1)  原告らは、被告退職の際、協栄生命保険株式会社から被告退職手当規定所定額の退職金の支払を受けるに必要な書類を作成し、被告に提出していること。

(2)  右書類には、退職金の支払期日については、何も記載されておらず、また、右書類作成の際、被告から原告に対し、退職金の支払期日について具体的な年月を指定した説明は為されていないこと。

(3)  原告ら退職当時、被告は、右保険会社との契約による拠出積立金から原告らの退職金を支払うとした場合の支払予定の年月を、はっきり把握しておらず、また、右支払予定年月も、被告の拠出金の積立状況や定年後引続き被告に勤務していた従業員の退職状況等の原告らの関知しない事情により、かなりの変動がある不確定なものであったこと。

更に、右事実、及び前記2(三)のとおり右拠出積立金からの退職金支払の制度が、専ら被告の事情により取られたもので、その採用につき原告らは殆ど関知しておらず、退職金の支給の遅滞に対し退職後程無く本訴を提起しているとの事情に照らせば、原告らが、退職の際、右のようなあるとき払いに近い不確定な形で、退職金の支払の延期に同意したとは考え難いということができる。

(三)  そうであれば、右被告の主張に添う証人河野一郎及び証人久禮義矩(被告人事課長)の各証言は右の諸点に照らし措信し難く、また、右乙第一六乃至四七号証の各一、二(団体企業年金保険一時金請求書兼受領証、退職所得申告書)、乙第一八乃至四五号証(但し、二六、二七、三〇、三三、三八、四〇、四二、四四号証を除く)の各三(印鑑登録証明書)を原告らが退職の際に被告に作成・提出したことをもっては退職金の支払延期に原告らが同意したとは認めるには足らない、というべきであり、その外には被告の右主張を認めるに足る証拠はない。

(四)  従って、右原告らの被告退職の際の退職金支払延期同意を前提とする被告の右主張は、失当であって、採用できない。

四  本訴請求債権について

1(退職金債権)

右一の争いがない事実及び右二の1、2、右三1乃至3の検討結果によれば、原告らは被告に対し、被告を退職したことによる退職金として、被告退職手当所定の額、即ち別紙一覧表所定欄記載の額(但し、原告清水ますみは金三六万八八三〇円、原告前田八重子は金二六万八六七〇円、原告倉岡成子は金二七万三六〇〇円をそれぞれ貸与奨学金返済分として右各退職金から控除した退職金残金を請求するので、それぞれ別紙一覧表所定欄記載の額からこれを控除した額として、原告清水ますみにつき金一七万六七七〇円、原告前田八重子につき金二七万六九三〇円、原告倉岡成子につき金二二万三五〇〇円)の債権を有するというべきであり、これとともに、その遅延損害金として、右各退職金の履行期は、原告らが被告に対し本訴状送達によって請求をした日であることが一件記録上明らかな原告川島喜久恵につき昭和五七年八月二七日、原告倉岡成子につき同年一〇月一六日、原告平尾青位、原告篠永信武、原告田渕敦子につき各同月二五日、その余の原告らにつき各同年七月二七日、であるということになるから、右各退職金或いは退職金残金に対する右各履行期の翌日から支払済まで法定利率の割合により算定した額の遅延損害金債権を有する、ということになり、原告らが右債権を行使するについて妨げとなる事由は存しない。

2(弁済)

ところで、原告らのうち、原告益山かよ子、原告福田和子、原告夏原文代、原告藤本優子、原告酒井洋子、原告山下政弘、原告清水ますみ、の七名が、その退職金について、被告の主張(二)(4)(一部弁済)のとおりの日にそのとおりの金額を、それぞれ支払を受けたこと、は当事者間に争いがない。

そうであれば、右七名の原告らについては、右1の退職金債権は弁済により消滅済であり、ただ、右退職金(但し、原告清水ますみについては、右退職金残金)に対する右各履行期の翌日から右支払日までの支払遅滞による遅延損害金債権だけが残っているということになる。

右原告らの右遅延損害金の額を、法定利率は後記3のとおり民法所定の年五分となるから、これにより算定すると、それぞれ、次記のとおりの金額となる。

<省略>

3(遅延損害金の利率)

次に、原告は、遅延損害金の法定利率に関し、被告が商人であり原告らとの雇用契約は付属的商行為であるから、右雇用契約上の債権である原告らの退職金については商事法定利率によるべきである旨主張する。

しかしながら、被告は、主に、医療行為を営む社会福祉法人であって、商行為を目的とする法人ではなく、その患者を被告の病院に入院させこれに伴ない一定期間被告内に宿泊させることはあっても、右入院宿泊は、医療行為に附随して医療行為と密接な関係をもつものとして為されるものであって、患者の宿泊を主な目的として為されるものではないから、客の来集を目的とする場屋(ママ)の取引とは本質的に異なるものであり、いわゆる営業的商行為にも該当しない行為である。

従って、被告は商人とはいえず、原告らとの雇用契約の締結も商人の営業に附随する商行為とはならないから、原告らと被告との間の雇用契約上生ずる債権についての遅延損害金の法定利率については、民法所定の利率によるべきであり、これを商事法定利率によるべきとする右原告らの主張は採用できない。

五  結論

以上によれば、原告らの被告に対する本訴請求は、原告益山かよ子、原告福田和子、原告夏原文代、原告藤本優子、原告酒井洋子、原告山下政弘、原告清水ますみ、の七名について、右退職金乃至退職金残金の遅延損害金として、それぞれ右履行期の翌日から右支払日まで民法所定の年五分の割合により算定した額として、右四2記載の金員の支払を、また、その余の原告ら計二九名について、右退職金乃至退職金残金とその遅延損害金として、それぞれ右四1記載の金員(但し、原告倉岡成子、原告平尾青位、原告篠永信武、原告田渕敦子については、その内の請求する範囲内の金員)の支払を、求める限度で、それぞれ理由があるから、これを認容し、その余はいずれも理由がないから、これを棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九二条、により、右七名の原告ら敗訴部分は本訴終結間際頃の弁済によるものであり、また、その余の二九名の原告らの敗訴部分は僅少である等の事情を考慮して、全部被告の負担とし、仮執行宣言につき、同法一九六条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 千徳輝夫)

別紙 当事者目録

昭和五七年(ワ)第五五六三号事件

原告 益山(旧性中倉)かよ子

(ほか三〇名)

昭和五七年(ワ)第六四三三号事件

原告 川島喜久恵

昭和五七年(ワ)第六九六〇号事件

原告 倉岡成子

昭和五七年(ワ)第八〇四二号事件

原告 平尾青位

同 篠永信武

同 田渕敦子

右各事件原告ら三六名訴訟代理人弁護士 斎藤浩

同 橋本二三夫

同 高橋典明

昭和五七年(ワ)第五五六三号、同第六四三三号、同第六九六〇号、同第八〇四二号各事件

被告 社会福祉法人大阪暁明館

右代表者理事 天野利三郎

右被告訴訟代理人弁護士 石田好孝

右同 久岡英樹

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