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大阪地方裁判所 昭和57年(ワ)6482号 判決 1985年1月11日

原告

井上覚

右訴訟代理人

小西正人

被告

吉田こと

梁正彩

右訴訟代理人

鈴木亮

主文

一  被告は原告に対し、金二九八三万〇九七九円とこれに対する昭和五一年七月二六日から支払ずみまで年一割五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを四分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、第一項につき仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金三八一九万九三八八円及びこれに対する昭和五一年七月二六日から昭和五四年二月一〇日まで年一割五分、同年同月一一日から支払ずみまで年三割の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  日興総業株式会社(以下日興という)は、被告に対し、昭和五〇年二月から同年九月までの間に手形貸付の方法により、利息及び損害金は月四分の約定で別紙債権一覧表(以下別表という)の番号1ないし14のとおり合計金二八四七万円を貸付けた。

日興は、その後被告からの要求に応え、別表のとおり各期日に利息を元本に組入れ、新な貸借として貸付を繰り返し、最終期日における利息組入後の各貸付金の合計金は金三七七三万〇二〇〇円となつたが、結局、日興は昭和五一年七月一五日当時被告に対し総額金三八一九万九三八八円の貸付金債権を有していた。

右貸付金の返済につき、被告は日興の代表者青木俊介(以下青木という)の返済要求に対し、被告が妻名義で所有する三田市東本庄字丸山所在の土地に関する丸山清との間の訴訟が解決すれば、右土地を売却して返済するのでそれまで返済を待つてほしい旨を申入れ、青木もこれを承諾したところ、右訴訟事件は昭和五四年二月一〇日丸山清敗訴の判決が確定して解決し、これにより右貸付金の返済期日が到来した。

2  ところで、日興は、青木が自らの資金で、原告ら数名の者の名を借りて役員として設立した会社であつて、取締役、監査役は名目的なものにすぎず、株券を発行したことも、株主総会、取締役会が開催されたこともなく、日興が行つていた金融業の資金は青木及び同人の妻貞子らが個人の信用で手形による借入れや頼母子講などから調達し、青木自らが貸付を行うなど、日興の運営の一切は青木が専行し、そして、日興は昭和五〇年一〇月倒産したが、青木は、右倒産後も債権、債務の整理に努めてきた。

右の如き実態からすると、日興は青木の完全な個人企業であつて、日興即青木、青木即日興の関係にあり、日興の債権債務はそのまま青木に帰属し、債権については青木にその処分権限があつたというべきである。このことは、日興がその後東亜環境開発株式会社(以下東亜開発という)に商号変更され、登記簿上は青木が代表取締役からはずされているが(青木の関知しないところである)、東亜開発が日興の債権、債務を承継し、その回収、支払をした事実が全く存しないこと、被告自身もその後青木に対して債務を承認し、その返済を約していたことからしても明らかである。

3  青木は、昭和五七年一月二五日、日興に対して債権を有しかつ青木の相談相手であつた原告に対し、第1項の被告に対する本件貸付金債権を譲渡した。

4  原告は、昭和五七年三月一八日、被告に対し右債権の譲渡を受けた旨口頭で通知したところ、被告は「わかつています。そやから土地を早く売らなければならないので買手を世話をしてくれ」と告げて、右譲渡を承諾した。

5  よつて原告は被告に対し譲受けにかかる貸付金として、金三八一九万九三八八円とこれに対する貸付後の昭和五一年七月二六日から昭和五四年二月一〇日まで利息制限法による制限内の年一割五分の割合による利息、右翌日から支払ずみまで同法による制限内の年三割の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否<以下、省略>

理由

一、二<請求原因1に関する判断――省略>

三<証拠>によれば、日興の商業登記簿上は、青木が昭和五一年五月三一日に代表取締役を退任したとして昭和五三年一二月六日付でその旨の登記がなされ、同日、日興は東亜開発に商号変更し、田上允計が代表取締役に就任していることが認められる。

原告は、日興は青木の完全な個人企業であつて日興即青木の関係にあり、日興の債権債務は青木に帰属し、本件貸付金については青木に処分の権限があつた旨主張するので検討する。

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

1  青木(韓国名は禹東)は、もとパチンコ店の営業部長をしていたが、昭和四八年頃知人の原告に対し、金融と不動産業を目的とする会社を作つて事業を始めたい、形だけ監査役になつてくれと依頼し、原告は承諾した。そして青木は昭和四八年九月二一日に日興を設立し、代表取締役を赤野ハルミ、杉原隆生の両名とし、青木自身は取締役となつた。しかし、赤野は柳川総業の柳川次郎(韓国名は梁元錫)の妻であり、杉原は別に鉄工所を経営しており、右柳川や杉原が青木に対して日興が行う金融事業の貸付資金の融通援助を約していたところから、青木は右の赤野、杉原の両名を一応代表取締役としたもので、杉原は設立後間もない昭和四九年三月三〇日に代表取締役及び取締役を退任し、青木が自ら代表取締役となり、次いで赤野も同年一一月二〇日には代表取締役を退任して、青木は日興の単独の代表取締役となつた。その間杉原に代つて高井昭治、加藤辰夫が取締役に加わつたが、高井は青木や原告の知人であり、加藤は青木が経理担当者として雇い入れた日興の社員であつて、赤野、杉原や高井は日興の業務に全く関与しておらず、原告は監査役に就任したが名目的なものであつて報酬を受取つたことはなく、日興を発足させるに当つての事務所も青木が形式的には日興の代表取締役杉原隆生を代理する形で昭和企業株式会社と交渉して賃貸借契約を締結して借り受け、青木が営業の準備を行い、設立当初から貸付資金の調達や客への貸付業務の一切をとりしきり、青木の妻の貞子も夫のために頼母子講で落札した高額の金員を事業資金として拠出した。なお、原告も青木から懇請されて金二〇〇〇万円を越える金員を融通した。また、日興は株券を発行しておらず、設立以来、株主総会や取締役会を開催したことは一度もなかつた。そして、青木は、前記柳川ないし赤野から日興として融通を受けていたとみられる金員について、昭和四九年二月二二日赤野あてに、四口の金五〇〇〇万円の合計金二億円を預かつているが、その支払は建築中の赤野邸の建築代金を毎月の支払日に支払うことにより返済する旨青木個人として誓約した書面を差入れている。

2  日興は昭和五〇年一〇月に倒産した。しかし、青木は右倒産後も日興の代表者として債権債務の整理を行い、商業登記簿上代表取締役を退任した日とされる昭和五一年五月三一日以降の同年七月頃には、融資先である神田八郎、柳田録、杉原元一、松田末男らに融資金の返済を督促し、同人らはいずれも青木に対し借受金を必ず返済する旨の日興あての返済確認書または念書を差入れており、被告も右の時期に、不動産事件が解決すれば支払う旨の前記書面を青木に送付した。

3  そして、前記のとおり商業登記簿上は日興が倒産して二年以上経過したのちの昭和五三年一二月六日をもつて日興が東亜開発に商号変更となり、田上允計が代表取締役となつているが、青木と田上らとの間で日興の債権債務を東亜開発が当然に承継することを前提とした資産内容の検討や会計帳簿の引継ぎは全くなされていない。

4  右のようにして、被告が差入れた日興あての約束手形は青木が引続き所持していたものであるところ、右商号変更及び代表取締役の退任登記後の昭和五四年四月八日頃、青木及び原告の両名が日興の貸付金の返済を求めて被告宅を訪れたところ、前記のとおり被告は不動産事件は解決した、早く土地を処分して借受金を返済する旨青木に約束し、不動産の買手を探してくれと告げ、さらに昭和五五年一月三〇日頃には、処分代金で本件貸付金の返済を受けることを予定して原告らが見つけた不動産業者と大阪市内の東興ホテルで前記不動産事件訴訟の金花子の訴訟代理人であつた朴宗根弁護士、青木、原告ら立会のもとに売買の交渉を行つており、その間、被告は本件貸付金の貸主は日興であつて東亜開発に移転したとか、青木にはその請求権がないとか述べておらず、なお、青木は昭和五六年一〇月頃に病気で入院し、その後病勢が悪化して昭和五七年二月二〇日死亡したが、入院先に何度か見舞に来た被告は最後の見舞に来た日に青木の妻の貞子に対し、「手形を持つているか。あの手形は絶対に他人に渡すな」と申し向けた。

以上の事実が認められ、右の認定を左右する証拠はない。

右に認定したとおりの日興が設立された経緯、役員の構成関係、設立当初からの事業の運営、経営状況、日興倒産後の事情を総合考慮し、また、日興から東亜開発への商号変更がなされたのが日興の倒産後二年以上経過してからのことであり、田上らが多額の債務を残した状態の日興の経営をそのまま引継いだとは考えられず、東亜開発は実質的には形式上残つている日興の登記を利用して設立されたものとみられないでもないこと、他方、被告においても、青木の代表取締役の退任、商号変更がなされているのに、その後も青木に対して本件貸付金の返済を約しているところであつて、当時としては日興と青木を明確に区別していたか否か疑問であつて、企業経営の面ではむしろ両者を一体として意識していたと窺われ、本件貸付金につき東亜開発から何ら請求を受けたことのないことなどの事情をも勘案すると、日興は実質的には青木の個人企業であつて、日興すなわち青木である関係にあつたものと認めるのが相当である。

もつとも、<証拠>によれば、訴外李圭漢は昭和五一年に日興振出、柳川次郎裏書の約束手形に基づく柳川に対する請求権を被保全債権として同人の妻の赤野ハルミに対し詐害行為取消訴訟を提起し、右訴訟で、日興は柳川が事実上経営する会社である旨主張し、右訴訟は赤野の認諾で終つていること、昭和五〇年一〇月には韓国関係の記事を中心に掲載している共同新聞に、会長柳川次郎、社長青木俊介として日興の広告がのせられていること、日興についてはその倒産前には法人としての貸借対照表、決算報告書が作成されており、そこには青木個人に対する仮払金が計上されていること、青木が自己を受取人として日興の手形を振出し第三者に交付したもののうちには、手形の表面に取締役会承認済のゴム印が押捺されていることが認められる。しかしながら、右乙第二〇号証によれば、李圭漢が所持していた計二一通の日興振出の手形は青木がこれに裏書して柳川の許にもち込んだものを柳川がさらに裏書して李の許にもち込んだもので、前記認定のとおり青木は柳川もしくは赤野に対する金二億円の債務について個人としてその支払をなす旨誓約していること等の事実からすると、柳川と日興もしくは青木との間は、柳川が日興の貸付資金を他から調達して融通援助する債権債務の関係にあつたが、柳川が日興に関して実質上の経営者ないし青木との共同経営者であつたとは認めることができず、日興が全くの個人企業であるとしても、法人の形態をとる以上商業帳簿は作成され、経理も一応個人と区別した処理がなされても当然というべきであり、また、手形面の取締役会承認済のゴム印も、取締役会が開催されたことがないこと前認定のとおりであつて、右ゴム印の押捺は会社と取締役間の手形取引についての形式を整えたものと解されるところであつて、これらの事実をもつて前記のとおり日興を青木の個人企業であると判断することの妨げとなるものとすることは困難であるといわざるを得ない。

四右の次第で、日興の債権債務は青木個人に帰属し、被告に対する本件貸付金債権については青木が債権者として処分の権限を有するというべきところ、<証拠>によれば

1  青木は、被告が不動産を売却して本件貸付金の返済をしてくれるものと考えていたが、昭和五六年一〇月病気で入院したものであるところ、昭和五七年一月頃、妻の貞子から、見舞に来た被告が「手形を持つているか。絶対に他人に渡すな」と告げたことを聞かされて、右の被告の言辞に不信の念を抱き、病状からしても自分で取立てることはもはや困難であると判断し、原告に対しては日興の営業当時に融通を受けた多額の債務が未払のままとなつていたところから、同月二五日、原告に対しては昭和五〇年二月当時の借受金二八五〇万円の債務が未払であることを確認するとともに本件貸付金債権を原告に譲渡する旨を書面で約し、被告振出の約束手形一四通及び被告が弁済の猶予を求めて昭和五一年七月に差入れていた前記書面を原告に交付したこと、

2  青木の死後、原告は被告に連絡をとり、同年三月一八日頃、被告の指定で箕面市の箕面スパーガーデンで被告夫婦と会い、自己が青木から債権譲渡を受けた、早く始末をつけてくれと告げたところ、被告は、原告が債権譲渡を受けていることについては不満げな態度を示し、自分も青木に相当の手助けをして貰い分があると述べたりしたが、以前に青木に差入れた書面については自らその経緯を説明し、原告の早く始末をつけてくれとの要求に対し、ともかく早く土地を売らんといかんと応答し、当日は近くの駅まで原告を車で送つたこと、その後、原告と被告は大阪市内で三、四回出会うことがあつたが、その際にも土地売却について打合わせをしたこと、

以上の事実が認められ、右事実によれば、青木が本件貸付金を原告に譲渡したことは明らかであり、被告は右譲渡の事実を認識したことを表明して、右債権譲渡を承諾したものというべきである。

五被告は抗弁として、本件貸付金は商事債権として五年の経過により時効消滅した旨主張する。

しかし、本件貸付金については青木は被告からの弁済の猶予に応じていたものであるところ、昭和五四年二月一〇日その弁済期が到来したものであることは前記二認定のとおりであり、他方、本件訴訟は昭和五七年八月二四日提起されたもので、五年の期間を経過していないことは一件記録により明らかであるから、被告の右主張は失当である。

六以上によれば、原告は被告に対し、制限利率内の利息を組入れた貸付金元金の合計金二九八三万〇九七九円と、これに対する貸付更新後の日である昭和五一年七月二六日から昭和五四年二月一〇日まで制限利率内の年一割五分の割合による利息金、右翌日から支払ずみまで右利息相当の損害金を請求しうるものである。

七よつて、原告の本訴請求は右の限度で理由があるのでこれを認容し、その余の請求は理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官朴木俊彦)

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