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大阪地方裁判所 昭和57年(ワ)8639号 判決 1989年1月20日

原告

伏井英雄

外五名

右原告ら訴訟代理人弁護士

片山善夫

右訴訟復代理人弁護士

平山忠

被告

右代表者法務大臣

高辻正己

右指定代理人

下野恭裕

外三名

被告

奈良県

右代表者知事

上田繁潔

右訴訟代理人弁護士

俵正市

坂口行洋

右指定代理人

壱岐誠一郎

外三名

被告

平群町

右代表者町長

吉村義雄

右訴訟代理人弁護士

和泉征尚

小林紀一郎

右指定代理人

石田弘

北川吉晃

被告

中村正司

右訴訟代理人弁護士

井上善雄

阪口徳雄

右訴訟復代理人弁護士

小田耕平

主文

一  被告奈良県及び同平群町は、各自、

1  原告伏井英雄に対し、八一九〇万三一六三円及びこのうち七四四六万三一六三円に対する昭和五七年八月二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を

2  原告伏井和枝に対し、七七五〇万三一六三円及びこのうち七〇四六万三一六三円に対する昭和五七年八月二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を

3  原告藤田誠司に対し、五六七七万九三六八円及びこのうち五一六一万九三六八円に対する昭和五七年八月二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を

4  原告西原恵子に対し、五六七七万九三六八円及びこのうち五一六一万九三六八円に対する昭和五七年八月二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を

5  原告藤田正子に対し、五五〇万円及びこのうち五〇〇万円に対する昭和五七年八月二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を

6  原告辻吉彦に対し、一一四九万三五八四円及びこのうち一〇四五万三五八四円に対する昭和五七年八月二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らの被告国及び同中村正司に対する請求並びに原告藤田正子を除くその余の原告らの被告奈良県及び同平群町に対するその余の請求はいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、

1  原告藤田正子と被告奈良県及び同平群町との間においては、同原告に生じた費用は全部同被告らの連帯負担とし、その余の原告らと同被告らとの間においては、同原告ら各自に生じた費用の各一〇分の九を同被告らの連帯負担とし、その余を各自の負担とし

2  原告らと被告国及び同中村正司との間においては、全部原告らの連帯負担とする。

四  この判決は、原告ら勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

但し、被告奈良県及び同平群町において、原告伏井英雄に対し三二七六万円、同伏井和枝に対し三一〇〇万円、原告藤田誠司及び同西原恵子に対し各二二七一万円、原告藤田正子に対し二二〇万円、原告辻吉彦に対し四五九万円の各担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。

事実

第一章  当事者の求めた裁判

第一  請求の趣旨

(全原告)

1 被告らは、各自、

(一) 原告伏井英雄に対し、九一〇七万二〇四四円及びこのうち八二七九万二七六八円に対する昭和五七年八月二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を

(二) 原告伏井和枝に対し、八一二七万六三一二円及びこのうち七三八八万七五五七円に対する昭和五七年八月二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を

(三) 原告藤田誠司に対し、六九四五万七八〇六円及びこのうち六三一四万三四六〇円に対する昭和五七年八月二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を

(四) 原告西原恵子に対し、六九四五万七八〇六円及びこのうち六三一四万三四六〇円に対する昭和五七年八月二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を

(五) 原告藤田正子に対し、五五〇万円及びこのうち五〇〇万円に対する昭和五七年八月二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を

(六) 原告辻吉彦に対し、一二一七万四五六六円及びこのうち一一〇六万七七八八円に対する昭和五七年八月二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は被告らの負担とする。

3 仮執行宣言

第二  請求の趣旨に対する答弁

一  全被告

1 原告らの請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は原告らの負担とする。

二  被告国、同奈良県、同平群町

仮執行の宣言が付される場合には、担保を条件とする仮執行免脱の宣言。

第二章  当事者の主張

第一  請求の原因

一  当事者

1 原告伏井英雄(以下「原告英雄」という。)及び原告伏井和枝(以下「原告和枝」という。)は夫婦であり、亡伏井卓司(昭和三二年二月一七日生、以下「亡卓司」という。)はその長男である。

原告藤田誠司(以下「原告誠司」という。)は、亡藤田憲司(同一一年二月二五日生、以下「亡憲司」という。)及びその妻である亡藤田昌子(同一〇年一月二〇日生、以下「亡昌子」という。)の長男であり、原告西原恵子(以下「原告恵子」という。)はその長女であり、原告藤田正子(以下「原告正子」という。)は亡憲司の母である。

2 原告英雄及び同和枝は、昭和四五年一二月八日大和団地株式会社が竜田川ネオポリス(以下「ネオポリス」という。)として売り出した奈良県生駒郡平群町大字椿井所在の分譲地のうち同所一七七六番二六宅地299.91平方メートルを各自の持分二分の一として買い受け、同四七年三月一日同地上に木造瓦葺二階建居宅(一階78.56平方メートル、二階23.20平方メートル)を各自の持分二分の一として建築、所有し、同年五月六日以来亡卓司とともに右家屋に転居し居住していた。

亡憲司は、同四五年一一月六日ネオポリスの分譲地のうち右同所一七七六番二八宅地470.56平方メートルを買い受け、同四九年五月一三日右地上に亡昌子と共に各自の持分二分の一として軽量鉄骨造亜鉛メッキ鋼板葺二階建居宅(一階91.05平方メートル、二階28.50平方メートル)を建築、所有し、右同日以来原告誠司及び同恵子と共に右家屋に転居し居住していた。

原告辻吉彦(以下「原告辻」という。)は、同四五年一二月一五日ネオポリスの分譲地のうち右同所一七七六番二七宅地417.81平方メートルを買い受け、同五〇年四月一日右地上に木造瓦葺二階建居宅(一階88.82平方メートル、二階27.51平方メートル)を建築、所有していた。

二  本件事故の発生

昭和五七年七月二三日頃カロリン諸島付近にあった弱い熱帯性低気圧は、次第に発達して台風一〇号となった。台風一〇号は、発達しながら日本に近づいて、同年八月二日午前〇時頃渥美半島、三河湾を経て愛知県に上陸し、同日午前五時頃能登半島から日本海に抜けた。奈良県では、同月一日右台風により豪雨となったが、ネオポリス付近も同様であった。

同日午後一〇時三〇分頃ネオポリス北側の山腹に存する林道椿井線の道路ののり面を構成している部分が突然崩壊し、泥土となって植林された立木と共にネオポリスに流出した(以下右崩壊部分を「本件現場」という。)。右崩壊面積は、本件道路下約二六〇〇平方メートルに及んだ。流出した泥土と流木のため、ネオポリスの最北端にあった亡憲司及び同昌子の家屋は、約二四メートル南側に押し出され、一階は泥土や土砂に埋まった。また右家屋の西側にある原告辻の家屋は、一階軒下まで泥土で埋没し、玄関部分を含む東側が倒壊し、家屋内に泥土が侵入した。更に原告辻の家屋の南側にある原告英雄及び同和枝の家屋は、その東側半分は倒壊し、残余の部分も木材破片、土砂や泥土に埋まった。亡卓司は八月二日午前一時三〇分原告英雄及び同和枝の家屋一階において、亡憲司及び昌子は同日午前二時一〇分その家屋一階において、各々泥土の中から死体となって発見され、また原告正子は事故発生一時間後に泥土の中から救出されたが、頸部右肩胸部左手挫傷、顔面右手薬指擦過傷の傷害を負い、また頭部を強打したことにより症候性てんかんに罹患した(以上の各被害を総称して「本件事故」という。)。

三  本件事故の態様と原因

1 林道椿井線の建設と残土の投棄

被告平群町(以下「被告町」という。)は、平群町内矢田山系の通称イラキ谷に塵埃焼却場を建設する計画を有し、そのため昭和四七年椿井地区の県道枚方大和高田線より焼却場予定地を通り、更に同町白石畑地区まで通ずる延長二六二九メートル、幅員四メートルの道路を林道椿井線として開設することを計画し、同年八月三一日奈良県林道事業補助金交付規則に基づいて、奈良県知事に対して事業計画書を提出し、被告奈良県(以下「被告県」という。)は、この計画について民有林道開設事業国庫補助要領に示す対策基準等に照らしてその内容を審査し、同四八年度林道開設事業計画路線として被告国と協議し、奈良県知事において同四六年に作成ずみで、本件道路の登載されていなかった大和川地域森林計画を一部変更してこれを登載したうえ、同四八年五月一〇日右林道開設を決定した。被告町は、右林道のルート決定のための調査、測量、これによるルートの決定及び設計等の業務を大川設計測量株式会社(以下「大川設計」という。)に委託し、以来大川設計の手によって、同年四月二日から同年八月二〇日頃までの間に右各業務が遂行された。被告町は、その結果同年八月二〇日被告県に対して昭和四八年度林道椿井線設計審査願を提出し、右審査願は同年九月三〇日被告県の審査を経て採択されることになり、これによって右林道の建設が決定されるに至った。被告町は、同月四日右林道の建設工事を株式会社清川組に発注し、同社との工事請負契約が締結された。同社は、同月一〇日工事に着手し、同四九年五月末日頃完成し、まもなく右林道は林道椿井線(以下「本件道路」という。)として供用が開始された。ところで、本件道路開設工事の施工過程においては大量の残土が生じることとなったが、被告町は、その土捨場(以下「本件残土処理場」という。)としてネオポリス北側の山の南斜面を使用することとし、その付近を通る本件道路部分の下方約一七メートルのところに、長さ一二メートル、高さ基礎部一メートル、擁壁部四メートルの鉄筋コンクリートの擁壁(その後この擁壁の東側に長さ二メートル、西側に6.5メートルの継ぎ足を作った。以下これを「本件擁壁」という。)を設置し、そこに残土二三二〇立方メートルを投棄し、この残土によって盛土工事をして、その付近の本件道路の路肩及びのり面を形成した(以下右盛土を「本件盛土」という。)。なお、右投棄された残土は、次項三2記載のとおり危険を訴えるネオポリスの住民の要請により、同年一〇月被告町の手で一部が撤去され、残りは約一〇四〇立方メートルとなった。

2 ネオポリス住民の排土撤去等の要求と被告町職員らの対応

右の本件盛土工事及びその原因をなす本件道路の設置工事について、本件現場の下方に居住する原告らを含むネオポリスの住民は事前に何ら知らされておらず、昭和四九年七月頃右住民の一部が本件現場に盛土がされているのを見て驚いて調査し、道路が設置され本件現場に多量の土が投棄されていること、また本件現場から約五〇メートル程離れた所に塵埃焼却場が建設されていることを知ったのである。そこで、ネオポリスの住民らは同月二七日に、被告町の吉村義雄助役(当時)に対し右焼却場等の件について説明を求めたが、その説明では納得できず、同年八月二四日この問題に対処するためネオポリス自治会内に大野一男を委員長として焼却場問題特別委員会(以下「特別委員会」という。)を設置した。特別委員会は同月二九日、被告町に対して塵埃焼却場の建設を中止すること、道路建設による本件現場の危険個所への捨土を即時撤去することを求める要望書を提出し、これに対し被告町は同年九月四日、土砂流出の心配はないが下方に更に防災壁を作るか土砂搬出をするかをなす旨回答した。特別委員会と被告町とは話合いを持ち、九月一五日被告町とネオポリス住民側との双方が本件現場に立ち合って調査、検討した結果、排土を撤去すること、本件道路には本件現場に排水する道路横断排水溝が設置されているが、この排水溝を埋め戻して他所に設置すること(道路排水系統の修正)の二点を合意した。しかしながら、右合意にもかかわらず、被告町は捨土の撤去作業に直ちに着手せず、住民側の強い要望により漸く一〇月五日に着手したものの、先に投棄したうち約一二八〇立方メートルを撤去したのみで、一〇四〇立方メートルを残していた。そこで、特別委員会は一〇月三〇日、被告町に対して再度要望書を送り、残土の全面撤去を申し入れたが、被告町は既に危険のない程度に撤去してあるとしてこれに応じなかった。ネオポリス自治会は同五〇年七月二三日、被告県に対して災害に対する確実な安全措置と保証を要求したが、被告町はついに右申入に対し何らの対策をとることをしなかったのである。

3 本件盛土の崩壊の原因

奈良県地方は、台風一〇号の影響により昭和五七年八月一日午前一時頃から雨が降り昼前に一時止んだが、午後から更に激しく降り出した。奈良気象台の観測によると、降水量は同日午後五時に11.5ミリメートル(毎時、以下同様)、午後六時に一三ミリメートル、午後七時に一五ミリメートル、午後八時に16.5ミリメートル、午後九時に一〇ミリメートル、午後一〇時に8.5ミリメートルであった。台風一〇号は東海地方を通過したので、奈良気象台より約一〇キロメートル西に位置する本件現場付近は、右気象台より雨量が少ないと考えられるが、それでも午後六時から午後一〇時までの間毎時一〇ミリメートル前後の降水があったと考えられる。更に本件道路山側側溝は、多量の雨水を処理しきれず、本件現場に至る途中で道路上に溢水し、また本件現場の横断溝との分岐点では多量の水が道路上に溢れ出し、これらの水が本件現場に流入し、横断溝に入った水もその一部は谷側の溝壁から溢れ出して本件現場に流入したのである。これにより、本件現場には、その上に降った雨量を大きく上廻る量の雨水が流れ込んだのである。そして、本件現場に流入した雨水が相当量盛土内に鉛直に浸透し、本件盛土が表面より次第に下方に軟弱になってせん断抵抗力が低下した。このような状態のとき、更に本件現場の上方西側の破砕帯から湧出した地下水により、この辺りの盛土が湧水異常流出(パイピング現象)を起こし、せん断抵抗力を失い、泥水となって下方に崩落したところ、その下方の盛土も鉛直浸透水により表面からかなり下方まで軟弱になっていたため、崩落してくる泥水に押されて崩壊し、その結果本件盛土が本件擁壁を越え、また本件擁壁東側の後記欠陥部分(本件擁壁と地山との間の盛土部分)を突き破り、一挙に擁壁下方の地山を削剥して、泥土、立木などと共にいわゆる山津波となってネオポリスを襲い、本件事故をもたらしたのである。

四  被告らの責任原因

1 本件事故発生の予見可能性

本件事故の原因の一つとして地下水の湧出による盛土のせん断抵抗力の喪失及びパイピング現象の現れがあるが、このような地下湧水の出現を予測することは可能であった。すなわち一般的に地下湧水は、破砕帯、断層、節理系などが存在するところにおいて、その存在のために水口が形成されることにより発現するものであって、その水口の性質により、常時湧水するもの、少量の雨で湧水するもの、多量の雨でなければ湧水しないものなどの区別が生じてくるのであって、この水口の存在及びその形態はボーリング、サウンディングなどの地質調査を行うことによって明らかにすることができるから、傾斜地に盛土を行う場合には、これらの地質調査を行うのが土木工学上常識である。被告らが事前にボーリング等により十分な調査を行っていたならば、本件現場に断裂線が存在し、これが破砕帯であること、この場所に地下湧水があることを知ることができた。しかるに被告町はこれを行わなかったため、破砕帯が存在し、従って降雨時に湧水のあり得ることを承知するに至らなかったのである。従って、被告らが十分に調査を行っていれば、地下湧水は予測し得、また本件事故も予見し得たのである。

また本件事故の直接の原因は豪雨であるが、その当時の本件現場付近の降水量は、奈良地方気象台における昭和五七年八月一日の日雨量が一六〇ミリメートル、同日午前一時から午後一一時までの雨量が154.53ミリメートル、大阪管区気象台生駒山観測所における右同日の日雨量が一五六ミリメートル、午前一時から午後一一時までの雨量が一四四ミリメートル、奈良県奈良観測所における右同日の日雨量が155.5ミリメートル、午前一時から午後一一時までの雨量が一四四ミリメートル、奈良県生駒観測所における右同日の日雨量が一二三ミリメートル、午前一時から午後一一時までの雨量が一一八ミリメートルである。右のとおり、いずれの観測点においても、本件事故当時の降水量は一日二〇〇ミリメートル以下である。本件事故当時の降水量の再現期間を推定するに、奈良気象台の雨量では、本件事故当時は約一五年に一回位の雨量、八月一日の日雨量でも二五年未満に一回ということになり、生駒山でも大阪管区気象台の資料では奈良気象台の場合とほぼ同様であり、奈良県生駒山観測所の資料ではその再現期間は更に短かくなる。奈良市では明治三六年に一九九ミリメートルの日雨量を、昭和三四年には182.3ミリメートルの日雨量を記録しているのであるから、一六〇ミリメートルの雨は一〇〇年に一度の確率で生ずる豪雨ではないことが明らかであり、当然予測し得た雨量であった。

以上のとおり、本件事故は予見可能な原因によって惹起されたものである。

2 営造物設置管理の瑕疵

本件盛土は、次のとおり通常有しなければならない安全性を欠く瑕疵ある営造物である。

(一) 本件盛土設置の原因となった本件道路に関する瑕疵

(1) 本件道路及びその設置場所の問題

(ア) 林道としての適格性の欠如

本件盛土は、本件道路が開設されなければ設置されることはなかったところ、本件道路は、道路台帳上起点を平群町大字椿井、終点を同町大字白石畑とした延長約二六三〇メートルの道路であって名目上林道となっているものであるが、少なくとも起点から本件現場を含むイラキ谷の塵埃焼却場に至るまでの間の実際の使用目的に照らせば、その間は林道といえるものではない。被告町は、焼却場を設置する必要上まずその位置とその進入路を決め、この進入路を林道として建設すれば国と県とから補助金が供与されるため、林道とすることとしたが、進入路というだけでは許可が得られないので、路線を白石畑まで延ばすこととしたに過ぎない。現実にも、右道路開設後起点から焼却場までの間を通行する車は、焼却場のゴミ運搬車がほとんどである。これに加え白石畑までの間の本件道路も白石畑の住民の通行が予定されているのであり、結局、本件道路の実際の用途は全体として林道といえるものではないのである。道路を林道として建設する場合と一般道路として建設する場合とでは監督官庁も建設工事基準も異なっており、本件道路を林道として建設したこと自体が既に不都合であったのである。

(イ) 林道設計の瑕疵

本件道路は、別紙(一)のとおり本件現場付近でヘアピンカーブになっており、これが斜面崩壊を誘引するなどの危険性を生じさせることとなっているが、右道路を現在の道路位置より少し北側に移動させ山腹をVカットする形で建設しておれば、ヘアピンカーブは解消され右危険性も解消していた。

(2) 排水溝の欠陥

本件道路の排水溝は山側に設置されているが、焼却場から本件現場付近に至るまでにある二か所の横断溝はいずれも谷側の水を山側の側溝に導く溝であるに過ぎず、本件現場付近に初めて道路を横断して谷側に水を排水する排水溝が設置されている。別紙(一)の青線部分で示すように、この構造では、焼却場から本件現場までの間の山側に降った広い地域の雨水は、その間谷側に排除されることなく、山側の側溝に保持されたまま本件現場に至ることとなっている。右側溝は、深さ0.4メートル、幅0.25メートルのコンクリート製であるが、右構造では短時間に多量の降雨があった場合には雨水が側溝から溢れ出ることは必至であり、特に下流の本件現場付近では多量の溢水が起きる。

本件道路は、本件現場付近で西側が下り坂となっており、また北の方向(山側)に曲がるヘアピンカーブであり、側溝も同様であるが、右側溝の曲がり初めのところから、南の方向(谷側)に排水する横断溝が設置されている。右横断排水溝は、谷側に突き出ているが、その突き出したところでほぼ直角に東の方向に曲げられている。側溝の上流から流れ出た水は、横断溝の分岐点で直進する水と横断溝に入る水とに分れるが、側溝の水は、水量が多い場合には側溝と横断溝との分岐点付近の壁に当たり、溝から道路上に溢れ出ることが予想される。更に、横断溝に入った水も、水量が多い場合には横断溝より溢水し、溝内の水も水勢が強いため谷口で直角に曲げられた溝壁に当たり多量の水が東側に曲がり切れず、溝壁から溢れ出して本件現場に流れ込むことになるのである。

(二) 本件盛土の設置の瑕疵

(1) 本件残土処理場選定に関する瑕疵

(ア) 本件残土処理場選択の誤り

山間部は地質的、自然的条件が複雑であり、予測できない現象により、斜面が崩壊することが多いのであるから、残土処理場を選定する場合には、まず捨てた残土が崩壊することがない平地などを選ぶべきであり、このような場所が得られないときは、仮に崩壊したとしても人的物的損害を与えないところを選ぶべきである。しかるに、被告町及び同県は、本件道路の路線周辺で最も危険な場所を残土処理場として選定したのである。

(イ) 事前調査の欠如

被告町及び同県は、本件現場付近を残土処理場とする決定を行うについて、土質調査や地質調査などの基礎的な調査を全く行わなかった。右被告らは、大川設計に委託して測量と設計とを行わせたが、基礎調査は何ら行わせておらず、調査としてはせいぜい人間が目で見る踏査程度のものが行われたに過ぎない。また、本件現場についても、捨土量を決定するための測量はしたが、残土が盛られる地山の地質などについては何らの調査もしていない。ボーリング、サウンディングなどを含む地質調査、地下水調査が必要であるにもかかわらず、被告らは右の調査を行わなかったのである。

(ウ) 破砕帯の存在と対策の欠如

破砕帯は地下水の水口となる場合が多く、特に断裂線(リニアメント)や破砕帯の交差しているところは降雨時に地下水の水口となり、地下水位が上昇して湧出する場合が多い。ところで、本件現場には断裂線が三本走っており、うち二線が交差していて、現実に湧水があったことなどを考慮すると、右断裂線が破砕帯であることに間違いないとされている。破砕帯は、平常時湧水がなくても降水時に湧出することが多いのであるが、破砕帯の組成により少量の雨で湧出するものやそうでないものが存する。盛土の崩壊は、降水や地下湧水が盛土内に侵入することに起因するのであるから、地下水の湧出が起き易い破砕帯の上に盛土をすることは、極めて危険でありそのような場所への盛土は避けるべきである。仮に、他に方法がなくその上に盛土するときは、砕石マット、地下排水溝、排水パイプなどを設置し、盛土内の地下水対策を十分に施して、地下からの湧水によっても盛土が崩壊しない工事方法によって行うべきである。しかし、本件盛土工事ではかかる排水対策が全くなされていないのである。

(2) 本件盛土工事の瑕疵

(ア) 急傾斜地の崩壊による災害の防止に関する法律の無視

急傾斜地の崩壊による災害の防止に関する法律(昭和四四年八月一日施行、以下「急傾斜地法」という。)は、傾斜度が三〇度以上の土地を急傾斜地とし、建設省通達により急傾斜地の高さが五メートル以上(本件現場は五段になっているとはいえ一七メートルである。)のもので、その崩壊により危害が生ずる虞れのある人家が五戸以上ある場合、行政にこれらの土地に対して危険区域としての指定と各種の規制とをなすことを義務づけている。昭和四七年七月には、被告県を含む全国各地で台風による豪雨のため斜面崩壊があり、建設省は全都道府県に対して、特に急傾斜地の崩壊による災害危険個所の点検と、その管理の徹底を期すことを求めていた。にもかかわらず、その直後に、右急傾斜地法により各種の義務を負っている被告県及び同町によって、崩壊すれば多数の人命と財産を失う虞れのある本件現場に、自然斜面よりも一層危険な傾斜度三四度で高さ一七メートルの人工急傾斜地が作られたのである

(イ) 本件盛土の設計上の瑕疵

本件盛土は、林道規程に基づいて、本件擁壁の天井から本件道路までの間に一割五分の勾配、すなわち三四度の勾配を有する斜面が五段となるのり面として形成された。本件盛土には、のり面とのり面との間に平面があるが、この設計は平常時の盛土の安定には良くとも降雨には弱いのである。すなわち、この平面には降雨時にのり面から流下してきた雨水を受けて排水する設備がないため、流下した雨水はそのまま平面に滞留し、その結果、右平面は現実の降雨量の何倍かの降雨量があったのと同様の効果を生むこととなるのである。これらの雨水は、平面上から内部に鉛直浸透し、その平面の下の斜面をも多量の水の浸潤により液性化していくのである。このように本件盛土には降雨に弱い欠陥がある。

(ウ) 本件擁壁の瑕疵

本件盛土は、本件擁壁の山側の最頂部から約三四度の傾斜角度で盛土され、そのまま上に小段をはさんで三四度の四つの斜面が設置されている。この設計では、擁壁上の五個の斜面のうち一つが崩壊したならば、その崩土はその下の斜面を崩壊し、擁壁を越えて下方に落下し、更に加速度がついて下方の立木、土を削剥してネオポリスを襲うこととなるのである。

また、本件擁壁の東側に高さ、長さ各二メートルの取付部が設置されているが、この取付部は地山に埋められておらず、地山との間にかなりの空間があり、この間から盛った排土がはみ出している。従って、この部分は盛土を支える力がなく、本件事故に際しては、この部分からも多量の土が流された。

更に、本件擁壁に設けられている排水口には水が通り易いようにするためのいわゆる栗石が入っておらず、排水効果がなく水に対しては極めて危険である。

(三) 本件盛土の管理の瑕疵

前記三2記載のとおり、原告らを含むネオポリス住民は、本件盛土の危険性を指摘してその改善を求めたが、被告県及び同町は十分な対策を講じなかったのであって、これは盛土の管理の瑕疵というべきである。

3 被告らの責任

(一) 被告町の責任

被告町は右のとおり瑕疵ある営造物(本件盛土(本件擁壁を含む。)及び本件道路の排水溝等の設備、以下これらを合せて「本件営造物」ともいう。)を設置し、またその管理について瑕疵があったから、国家賠償法(以下「国賠法」という。)二条一項により、本件事故により生じた原告らの損害を賠償すべき責任がある。

(二) 被告県の責任

本件営造物等の建設工事は、被告県の知事が作成した地域森林計画に基づき、被告町が民有林道開設事業国庫補助要領及び奈良県林道事業補助金交付規則による被告県の補助金を得て、被告県の指導、監督、検査のもとに実施したものであり、被告県は被告町と共同して本件営造物等を設置したというべきである。そして、右設置後もネオポリスの住民が被告町、同県に右営造物等の危険性を指摘しているにもかかわらず、被告両名は危険性除去のための処置をとらなかったものであり、その管理にも瑕疵があったものである。

従って、被告県は、国賠法二条一項もしくは同法三条一項により本件事故により生じた原告らの損害を賠償すべき義務がある。

(三) 被告国の責任

被告国は、森林法一九三条により本件道路工事費七七〇〇万円、舗装工事費二六二二万三〇〇〇円のうち四五パーセントに当る四六三二万三〇〇〇円を国庫補助として負担したのであるから、国賠法三条一項の公の営造物の設置費用の負担者であり、被告国も本件事故により生じた原告らの損害を賠償すべき責任がある。

我国における森林の使用収益等は、国有林、民有林を問わず、全国森林計画に即して定められた地域森林計画に拘束され、地域森林計画に基づいて権利義務を行使することが予定されている。すなわち、我国の森林所有者は、地域森林計画を媒体として農林水産大臣が立てた全国森林計画に服従する形態がとられている。このように、これらの森林計画は、国民経済に適合するように総合的に樹立された計画である。林道は、全国森林計画及び地域森林計画に基づいて建設される。そのため、林道の建設費については、森林法一九三条、地方財政法一〇条一九、二〇号(但し、二〇号は現在削除)、同一〇条の二第二号により国が負担することになっている。被告国は、本件道路の被告国の財政負担は地方財政法一六条によるものである旨主張する。その理由は、林道事業が、国民経済に適合するように樹立された計画に従って実施されなければならない法律又は政令で定める土木その他の建設事業に該当しないというのであるが、前記のとおり、林道は国民経済に適合するように総合的に樹立された計画である全国森林計画及び地域森林計画に基づいて建設される。従って、林道建設に対する国の財政負担は事務費については、同法一〇条一九、二〇号、建設工事費については同法一〇条の二第二号に基づくものであり、同法一六条に基づくものではない。同法一〇条及び一〇条の二による財政負担は、国が出捐義務を負う負担金であって補助金ではない。同法一六条の補助金は、国が地方公共団体に対し恩恵的ないし援助的に交付するものであるが、同法一〇条及び一〇条の二による負担金は国がその経費の全部又は一部を負担することが義務づけられている。すなわち、被告国は本件道路設置費用の法律上の負担義務者であり、国賠法三条一項にいう設置費用負担者であり、同条項により、本件事故により生じた原告らの損害を賠償すべき責任がある。

仮に、右費用が補助金であるとしても、被告国は責任を免れない。すなわち、国賠法三条一項にいう費用負担者は必ずしも設置管理につき何らかの役割を果している者である必要がなく、費用負担という事実のみによって賠償義務が課せられるべきであるところ、被告国は本件道路の建設に大きく関わっているのである。すなわち、本件道路は、前記のとおり全国森林計画に即した地域森林計画に基づいて建設されているのであるから、被告国の政策に即しているのであり、被告国、同県及び同町は本件道路の建設を共同して執行している。そして、被告国は本件道路工事に際して、被告県及び同町に対して監督し、瑕疵ある危険な営造物を建設する場合には中止命令を行うことにより、これらの営造物の瑕疵による危険を効果的に阻止することができた。また被告国は、本件負担金は被告県に対してなされたものであって、被告町に対しては直接的関係を生じていない旨主張する。国賠法三条一項にいう費用負担者は、営造物の設置について費用を負担した者であり、負担金が本件道路の建設に対してなされたものである以上、その建設工事が被告町においてなされたとしても被告国が本件道路の費用負担者であることには何ら変わりはない。

(四) 被告中村正司の責任

被告中村正司(以下「被告中村」という。)は、本件道路のうちネオポリス北側の山の所有者であるが、本件盛土は、附合により地山の土地の所有者たる被告中村の所有に帰した。また本件擁壁より下の部分は、公の営造物ではなく被告中村の所有地である。本件事故は、本件擁壁より上方の盛土が崩壊し、盛土と共に立木も右擁壁を越え、被告中村所有の土地を削剥してネオポリスを襲ったのであるから、全体として被告中村所有の土地の工作物から本件事故が発生したのであり、被告中村は、民法七一七条により、原告らに生じた損害を賠償すべき責任がある。

五  原告らの損害

1 原告英雄、同和枝の損害

(一) 逸失利益

亡卓司は、関西大学を卒業して株式会社南都銀行(以下「南都銀行」という。)に入社し、死亡当時本店事務管理部電算課に勤めていたが、いわゆる幹部社員であり、年々昇進し給与も南都銀行の規定に基づいて昇給することが明らかである。また、南都銀行は奈良県に本店を置くいわゆる地方銀行であって、その経営基盤は安定し、亡卓司は生存しておれば当然定年退職まで南都銀行に勤務していたはずである。なお、南都銀行の定年は五五歳であったところ、昭和五七年一〇月一日から六〇歳となった。従って、亡卓司は生存していたならば、昭和五八年以降六〇歳で退職するまで、別紙(二)のとおり昇給して年間所得欄記載の所得を得ることができたはずである。なお、別紙(二)中、五五歳から五九歳までの年間所得は五四歳の時の所得によっているが、これは同五七年八月一日当時は五五歳退職制であったので、五五歳以降の昇給額が不明であるため五四歳の時の所得によったものである。また、六〇歳以降は同五九年の賃金センサス企業規模計新大卒によった。結局、亡卓司が生存していたとすれば、別紙(二)の合計額のとおり、ホフマン式による中間利息控除後の一億七二八三万一五二〇円の所得を得ていたはずである。そして、亡卓司の生活費は、同人が原告英雄及び同和枝の唯一人の子供で、将来右原告らの生活の面倒をみる立場にあることから、四〇パーセントとみるべきであり、右生活費を控除すると、右逸失利益は一億〇三六九万八九一二円となる。

更に、亡卓司は定年まで南都銀行に勤務しておれば、少なくとも退職金二四三七万〇九〇〇円(なお、これは五五歳定年退職の場合の金額である。)を得ていたはずであるが、本件事故による死亡のため退職金として四八万八八〇〇円を受領しているので、これを控除し、ホフマン式により中間利息を控除する(ホフマン係数0.363を乗じる。)と、八六六万九二〇二円が逸失利益となる。

以上によれば、亡卓司の逸失利益の合計額は一億一二三六万八一一四円となり、右原告らはそれぞれ右合計額の二分の一である五六一八万四〇五七円を相続した。

なお、南都銀行は奈良県の有力地方銀行であり、その賃金体系は安定しており、卓司は死亡当時及び将来においてもこれによる収入があり、かつあるであろうことが客観的に明らかであって、同人の場合は、右賃金体系により客観的に相当程度の蓋然性をもって予測される収益の額を算出することができるから、その限度で損害の発生を認めなければならないものというべきである。

(二) 慰謝料

原告英雄及び同和枝は、唯一人の子供である亡卓司を育てて、大学を卒業させ、社会人として送り出した矢先に、本件事故により失うこととなったのであり、右原告らの年齢からはもはや子宝に恵まれることがなく寂しい余生を送らなければならず、また卓司も社会に出て、前途に希望を抱いていたこと、本件事故が被告ら行政の怠慢により発生したことを考えると、卓司の死亡による慰謝料の相続分及び右原告らの固有の慰謝料を併せて右原告ら各一〇〇〇万円が相当である。

(三) 葬式費用

亡卓司の葬式費用は原告英雄が負担したが、その額として被告らに請求すべき分は一〇三万八二一一円である。本件事故の発生原因、亡卓司が若年であることなどを考慮すれば、原告英雄の出費の全てを被告らが負担すべきである。

(四) 建物

本件事故により、原告英雄及び同和枝各二分の一の共有に係る家屋を全損させられたのであるが、右家屋を事故時に新築するならば一五四〇万七〇〇〇円又は一四七〇万七二一三円を要するのであり、その多額の方については損害として被告らにおいて負担すべきである。

(五) 動産類

原告英雄は右家屋の損壊により、その中に存した別紙(三)記載の動産類が使用不能となって廃棄したが、その価格合計は八五六万七〇〇〇円であって、そのうち七八六万七〇〇〇円は被告らにおいて負担すべきである。

右のとおり、本件事故による原告英雄の損害額合計は八二七九万二七六八円となるところ、被告らはこれの一割である八二七万九二七六円の弁護士費用を、また原告和枝の損害額合計七三八八万七五五七円となるところ、被告らはこれの一割である七三八万八七五五円の弁護士費用を加えた額を各負担すべきである。

2 原告誠司、同恵子の損害

(一) 逸失利益

(1) 亡憲司分

亡憲司は、昭和四五年頃から大阪市福島区で薬局を経営してきた。しかしながら、薬局の営業成績は変動するばかりか、右金額は実際の所得より低く押えられているのであり、実際の所得を示す帳簿は自宅に保管していたところ、本件事故により泥土に埋まり町により家屋と共に廃棄された。よって薬局経営による所得を推定することができないので、亡憲司が明治薬大を卒業していることから、同五七年度以降の所得について賃金センサス企業規模計男子新大卒を適用することとして計算すると別紙(四)のとおりになる。従って、亡憲司の所得は一億〇九六四万〇一六〇円となるところ、生活費を三〇パーセントとして控除すると逸失利益は七六七四万八一一二円となるが、このうち三八四五万七九三二円を請求する。

(2) 亡昌子分

亡昌子は高校を卒業し、主婦として家事に従事し、また薬局の仕事を手伝っていたのであるが、本件事故により死亡したことにより、就労可能年齢までの別紙(五)のとおりの得べかりし利益を失った。すなわち、昭和五七年度の所得額は、昌子は同年八月一日に死亡したので一二分の五が相当であり、同六一年までは該当年度の賃金センサスに、また同六二年以降は同六一年度の賃金センサスによった。右合計額は四〇七六万六八九三円となるが、亡昌子の生活費を三〇パーセントとみて、これを右合計額から控除すると、逸失利益は二八五三万六八二五円となるが、そのうち二六五五万四九二九円を請求する。

(二) 慰謝料

原告誠司及び同恵子は未だ大学生、高校生の身でありながら、本件事故により両親を一度に無くし、大きな衝撃を受けたばかりか、もはや亡憲司及び同昌子より監護養育を受けることもできず、将来の生活設計、指針を大きく狂わされたのである。一方、亡憲司及び同昌子も未成熟の子を後に残し、共に突然の死を余儀なくされたこと及びこれらが行政の怠慢に起因することを考えれば、その無念の気持ちは十分理解できるところであり、亡憲司及び同昌子の死亡による慰謝料の相続分並びに右原告らの固有の慰謝料を併せて、右原告ら各二〇〇〇万円が相当である。

(三) 葬式費用

右原告両名は亡憲司及び同昌子の葬式費用を負担したが、一五三万一〇六〇円を被告らが負担すべきである。

(四) 建物

本件事故により、亡憲司及び同昌子各二分の一の共有に係る家屋を全損させられたのであるが、右家屋を事故時に新築するならば一六二九万八〇〇〇円を要するのであり、これは亡憲司及び同昌子の損害であり、右原告らは各二分の一を相続したのであるから、被告らはこれを負担すべきである。

(五) 動産類

(1) 家財道具類

亡憲司は右家屋の損壊により、その中に存した別紙(六)記載の動産類が使用不能となって廃棄したが、その価格合計は一〇九四万五〇〇〇円である。

(2) 庭園

本件事故により、亡憲司所有の庭園が全損した。造園工事費は造園当時三三一万四〇〇〇円であるが、物価指数により、本件事故時の価格を算出すると五五三万六二二七円(算式 3,314,000×882.4/1474.1≒5,536,227)となる

以上により、右原告らが相続した動産類の損害額の合計は一六四八万一二二七円となるが、このうち一〇九四万五〇〇〇円のみを請求する。

ところで、右原告らは、亡憲司及び同昌子所有の家屋が本件事故により崩壊したことにより、第一火災海上保険相互会社より昭和五七年九月一六日、亡憲司が同社に付保した建物及び火災に対する損害保険として、本件事故により七五〇万円の保険金の支払を受けた。従って、これを前記(四)及び(五)の損害額より控除する。

以上によれば、右原告らが損害として請求する額合計は各六三一四万三四六〇円となるところ、被告らはこれの一割である各六三一万四三四六円の弁護士費用を加えた額を負担すべきであるので、右原告らは、その合計として、各六九四五万七八〇六円の請求をする。

3 原告正子の損害

原告正子は、本件事故により倒壊家屋や土砂の中に生き埋めの状態になり、約一時間後に救出されたのであるが、その間生死の境をさ迷い、死の恐怖を味わされ、かつ全身を打撲し、頸部右肩胸部左手挫傷、顔面右手薬指擦過傷及び頭部を強打したことにより症候性てんかんの傷害を負い、昭和五七年八月二日より同月二九日までの二七日間入院治療し、その後も通院加療して現在に至っている。

また、本件事故により、長男憲司を失い強い精神的衝撃を受け、悲嘆にくれる日々を送っている。

以上の事情を考慮すれば、本件事故により被った原告正子の精神的損害を慰謝すべき金類は五〇〇万円とするのが相当であり、被告らはこれの一割である五〇万円の弁護士費用を加えた額を負担すべきである。

4 原告辻の損害

原告辻の家屋は、本件事故によりその東側部分、敷地周辺の土留塀、門、造園などが破壊された。建物部分の損害は八四六万〇二八四円である。

建物以外の塀、造園等の昭和五〇年当時の設置費用は一五二万四七〇〇円である。ところで、これらを本件事故時に建て直すとした場合、ほぼ卸売物価指数通りの上昇をしているとみられるので、これに従い算出すると二〇七万四二〇四円(算式 1,524,700×852.7/626.8≒2,074,204)となる。庭園などは、樹木の成長や落ち着きなどを考慮すると、造園時より年が経るに従って価値を増し、一方門扉塀などは価値を減ずるのであるが、これらをも考慮に入れるならば、本件事故当時の建物以外の損害額は二〇七万四二〇四円が相当である。

更にこの他、下駄箱、物置、自転車二台、大工道具、園芸用品の購入、家屋応急処置費の出捐等の損害を被っており、これらの費用が五三万三三〇〇円である。

従って、これらに建物の損害を加えたならば一一〇六万七七八八円となり、被告らはこれの一割の一一〇万六七七八円の弁護士費用を加えた額を負担すべきである。

六  よって、前記不法行為による損害賠償請求権に基づき被告らに対し、各自、

1 原告英雄は、九一〇七万二〇四四円及びこのうち八二七九万二七六八円に対する不法行為の翌日である昭和五七年八月二日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による金員

2 原告和枝は、八一二七万六三一二円及びこのうち七三八八万七五五七円に対する不法行為の翌日である昭和五七年八月二日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による金員

3 原告誠司は、六九四五万七八〇六円及びこのうち六三一四万三四六〇円に対する不法行為の翌日である昭和五七年八月二日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による金員

4 原告恵子は、六九四五万七八〇六円及びこのうち六三一四万三四六〇円に対する不法行為の翌日である昭和五七年八月二日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による金員

5 原告正子は、五五〇万円及びこのうち五〇〇万円に対する不法行為の翌日である昭和五七年八月二日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による金員

6 原告辻は、一二一七万四五六六円及びこのうち一一〇六万七七八八円に対する不法行為の翌日である昭和五七年八月二日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による金員

の支払をそれぞれ求める。

第二  請求原因に対する認否及び被告らの反論

一  請求原因一(当事者)の事実について

1 同一1の事実につき

(被告国、同県、同町)

認める。

(被告中村)

不知。

2 同一2の事実につき

(全被告)

不知。

二  請求原因二(本件事故の発生)の事実について

(被告国、同県、同町)

台風一〇号の内容が原告ら主張のようなものであること、原告ら主張の頃その主張の事故が発生したこと、建物三棟の位置関係が原告ら主張のとおりであること、亡憲司、同昌子及び同卓司が死亡したこと、原告正子が土砂に埋ったが間もなく救出されたことは認める(但し、建物三棟の位置関係について被告国は不知。)。建物の損壊状況、原告正子の負傷内容は不知。その余は争う。

(被告中村)

台風及び地すべりによる建物の被害の事実は認めるが、その具体的かつ詳細な内容は不知。

三  請求原因三(本件事故の態様と原因)の事実について

1 同三1(林道椿井線の建設と残土の投棄)の事実につき

(全被告)

昭和四七年に被告町が本件道路の開設計画を具体化したこと、本件道路が開設されたこと、本件道路工事により生じた土砂を投棄し、右道路の路肩を形成し、道路下方にその主張のコンクリート擁壁を設置したことは認める。

(被告国、同県、同町)

被告県知事が昭和四六年に作成した大和川地域森林計画に本件道路の開設計画は登載されていなかったが、同四七年被告町が右計画を具体化して、奈良県林道事業補助金交付規則に基づき事業計画書を提出するとともに、大和川地域森林計画の一部変更の申請をし、これに対して、同知事が大和川地域森林計画の一部変更を行い、本件道路の開設計画を登載したこと、同四八年奈良県林道事業補助金交付規則に基づき、被告町が林道開設事業として補助金の交付申請をし、知事がこれを承認して補助の指令をしたこと、被告町は、同四八年四月二日本件道路の調査及び設計業務を大川設計に委託したこと、当初投棄された残土を被告町が後に一部撤去し残土が約一〇四〇立方メートルとなったことは認め、本件道路の開設がその主張の塵埃焼却場建設のためであるとの点は否認する。本件道路は、従前から平群町大字白石畑(戸数七戸)に通ずる三尺幅程の里道があり、その拡幅をすることが主旨であった。なお、大和川地域森林計画(昭和四七年一月七日奈良県告示第四八一号)の計画期間は昭和四七年四月一日から同五七年三月三一日までであり、原告ら主張のその一部変更は同四八年三月二三日同県告示第六六五号として行われた。

(被告町)

被告町が本件道路工事を株式会社清川組に発注したこと(但し、工事請負契約の締結の日付は昭和四八年九月八日である。)、右工事は同年九月一〇日に着工され、同四九年五月末日頃完成したことは認める。

(全被告)

その余の点は不知。

2 同三2(ネオポリス住民の排土撤去等の要求と被告町職員らの対応)の事実につき

(被告国、同県)

本件盛土を被告町が約一二八〇立方メートル撤去したこと、その結果残土量が約一〇四〇立方メートルとなったことは認め、その余は不知。

(被告県)

ネオポリス自治会と被告町との間で行われた危険性除去の交渉に被告県は関与しておらず、その交渉経緯は知らない。なお、右住民の自治会から被告県に対し申入れのされたことはあったが、被告県は安全対策工事の結果安全性を確認しており、一自治会に対して安全の保証をする立場ではなく、文書回答しなければならないものでもないと判断し、これに対して回答しなかったものである。

(被告町)

特別委員会から被告町に対し、昭和四九年八月二九日に塵埃焼却場の建設を中止することと道路建設による本件現場の捨土を撤去することを求める要望書が提出されたこと、被告町が同年一〇月に本件現場の捨土のうち約一二八〇立方メートルを撤去したこと、その結果残土量が約一〇四〇立方メートルとなったこと、同年一〇月三〇日に特別委員会が被告町に対して再度要望書を提出し残土の全面撤去を申し入れたことは認め、その余は不知。

(被告中村)

不知。

3 同三3(本件盛土の崩壊の原因)の事実につき

(被告国、同県、同町)

以下述べるとおり、本件事故原因が本件台風一〇号によってもたらされた豪雨と、それに基因する地下水の流出(パイピング現象)によるものであることは認める。

(一) 昭和五七年八月一日から同月二日にかけての豪雨の実態

本件現場における雨量の正確な把握はできないが、本件現場に最も近い観測点で最も相関が高いと考えられる斑鳩町の自記雨量計(本件現場から東約二キロメートルの地点に設置されている。)によると、別紙(九)のとおり、八月一日の午前〇時三〇分から同月二日の午前二時までの連続降水量は一九八ミリメートルであり、二四時間最大降水量は同月一日の午前〇時三〇分から同月二日の午前〇時三〇分までの一八〇ミリメートル、一時間最大降水量は同月一日の午前〇時三〇分から午前一時三〇分までの二三ミリメートルである。また、降り初めの八月一日午前〇時三〇分から本件事故発生直前の同日午後一〇時までの連続降水量は一六二ミリメートルとなる。

一方、奈良地方気象台管内のうち本件現場に最も近い位置にある田原本地域気象観測所(本件現場から南東約9.5キロメートルの地点にある。)の観測によれば、八月一日の午前〇時から同月二日の午前二時までの連続降水量は一九八ミリメートルであり、二四時間最大降水量は八月一日の午前〇時から同月二日の午前〇時までの一九一ミリメートル、一時間最大降水量は八月一日の午前一時から午前二時までの二九ミリメートルである。また、降り初めの八月一日午前〇時から本件事故発生直前の同日午後一〇時までの連続降水量は一七五ミリメートルとなっており、斑鳩町の自記雨量計の結果とほぼ一致する。

ところで、本件事故発生に至るまでの七月の先行降水量は、斑鳩町の自記雨量計によれば、別紙(一〇)のとおり二九六ミリメートルであり、田原本地域観測所の観測結果によれば二五九ミリメートルであり、共に降水日は七月の中旬、下旬に偏り一七日間もあった。

更に、本件事故発生当時までの降水量がいかに多かったかを河川の水位との関係で検討するため、本件現場の雨水が流入する竜田川の水位の実態を奈良県一分観測所(生駒市一分町、本件現場より約6.5キロメートルの地点)及び奈良県平群観測所(平群町吉新、本件現場より約二キロメートルの地点)でみると、一分観測所では八月一日の午後五時から午後九時、同月二日の午前〇時から午前二時までの間で警戒水位の1.5メートルを突破した。一方、平群観測所では八月一日の午後四時から同月二日の午前六時までの間で警戒水位の1.0メートルを大きく上回り、同月二日の午前一時から午前二時にかけては1.98メートルで河川の提防は欠壊寸前で危険な状態となっていたのである。

(二) 地下水の性質

締め固められている盛土は、雨水により土の空隙部が水で飽和しても、土粒子が密に接している部分の吸水膨張が土粒子骨格構造の抵抗、土被り圧によって防がれ、液性限界まで含水比が上昇しても強度低下は招くものの、土層中の間隙水に異常な圧力が作用しない限り斜面は破壊されない。従って、本件盛土斜面の崩壊流出の原因は、連続した豪雨の影響によって、本件道路下方約六メートルの個所から湧水が異常流出し、これによってパイピング現象を生じたことによるものと推定される。ところで、その異常流出した湧水が浅層系の地下水(降雨の浸透水が地下水化するものの、直ちに湧出するもの)であるか、深層系の地下水(地下水化した降雨の浸透水と地層との接触時間が長いもの)であるかを判定するため、本件事故後本件現場に見られる湧水と本件現場以外の周辺二個所の湧水から試料を採水し、電導度の測定、水質分析などの水質試験(乙第三一号証)を行ったところ、本件現場の湧水は、①電導度は、周辺個所の湧水に比し二倍以上のオーダーにあり、本邦河川水の平均値を大きく上回っている(地層との接触時間が長いほど電導度は高くなる。)。②溶存成分量は、周辺個所の湧水に比し三ないし四倍である(地層との接触時間に比例して溶存成分量は増加する。)。③水質分類からみて、周辺個所の湧水の水質とは明らかに異なっており、陰イオン組成図及び各成分の消長から周辺個所の湧水に比し深層系の地下水に分類される。

以上の試験結果から、本件現場の湧水は周辺個所の湧水と比較し、地層との接触時間の長い深層系の地下水と判断されるのであって、このことから、本件盛土崩壊流出の原因となった湧水もまた、本件現場付近の山腹斜面、本件道路の路面または側溝からの浸透水ではなく、深層系の地下水であったものということができる。

すなわち、本件現場の崩壊流出の原因は、前述したとおり連続した豪雨の影響をうけ、本件道路下方約六メートルの箇所から地下水の異常流出(パイピング現象)があり、これにより一挙に本件盛土が飽和し、間隙水圧が上昇したため、崩壊が発生するに至ったと考えられる。飽和した盛土がすべり出し、本件擁壁をのり越えるとともに擁壁の東側地山を浸食しつつ流出し、円弧すべり面を形成して崩壊したものであると推定され、この崩壊した土砂は、飽和状態であったため、擁壁をのり越え土石流となって下方斜面を削剥しながら巨大なエネルギーをもって流下したものである。

四  請求原因四(被告らの責任原因)の事実について

1同四1(本件事故発生の予見可能性)の事実につき

(被告国、同県、同町)

否認する。

本件事故は、前述のとおり、異常な豪雨による地下水の湧出に起因するものであって、設計段階で本件現場を踏査した際、本件現場に何らの崩壊も湧水も湿った状態の個所も見られず、地下水の湧出の徴候は全くなかった。また施工過程においても、本件道路の開設のため、本件現場付近の多くの場所の地山を切り取ったが、その際にも崩壊跡地や断層はなく、また湧水も湿った状態の個所も見られなかった。更に、本件擁壁工事の際にも、地山を掘削しているが、ここにおいても異常は認められなかった。以上の状況では、地下水湧出を予測することは不可能であり、従って本件事故の予見も不可能であった。

残土処理場の選定にあたっては、現場踏査等により、軟弱地盤または湧水などがない個所、地すべり、山崩れなどの虞れのない個所を選定することで十分であり、通常ボーリング調査などは行わない。仮に、ボーリング等の調査を行っても、地下水が湧出しているか否かを的確に判別し予測することは至難なことである。

(被告町)

なお、右豪雨により本件現場の周辺地域の自然斜面にも多数の崩壊が発生し、しかもそれら自然斜面の崩壊は、本件台風一〇号による豪雨以前にはほとんど見られなかったのであるから、本件現場の崩壊は、本件残土処理場の構造・施工とは関係がなく異常な豪雨による災害であったというべきである。

2 同四2(営造物設置管理の瑕疵)の事実につき

(一) 同四2(一)(本件盛土設置の原因となった本件道路に関する瑕疵)の事実につき

(1) 同四2(一)(1)(本件道路及びその設置場所の問題)の事実につき

(ア) 同四2(一)(1)(ア)(林道としての適格性の欠如)の事実につき

(被告国、同県、同町)

本件道路が林道としての適格性を欠いていたとの主張は争う。

(被告県)

本件道路は国庫補助林道としての採択基準を満たしていたため、路線採択したものであり、塵埃焼却場への進入道路として採択したものではない。なお、被告町の行う設計審査は、事業採択された路線が林道規程、民有林林道事業設計書作成要領、林道事業積算構造基準に照らして安全性を備えた適正な規格、構造になっているか否かについての審査である。

(イ) 同四2(一)(1)(イ)(林道設計の瑕疵)の事実につき

(被告国、同県、同町)

本件道路の形状は認め、その余は否認する。

被告町は、大川設計の技術者立会のもと、現地において本件道路のチェックを行い、適正であることを確認のうえ、成果品を検収した。本件道路のルートは、前記のとおり平群町大字白石畑に通ずる三尺幅程の里道の拡幅をすることが主旨であったが、林道規程に定める勾配を確保するためには、既設の里道をそのまま利用できず、一部しか利用できなかった。しかし林地保全の観点から、本件道路のルートが最良であると考え決定したものである。

(2) 同四2(一)(2)(排水溝の欠陥)の事実につき

(被告国、同県、同町)

本件道路の排水溝に欠陥があったとの点は否認する。

本件残土処理場付近の本件道路の平面、横断、縦断構造は、本件現場付近の平面(別紙(七))では、測点N0.2+3.20〜N0.4+15.80の間はアウトカーブで、縦断勾配は平均6.2パーセントである。横断(別紙(八))では、測点N0.3+6.30〜N0.4+6.00の区間はセンターから左側(側溝方向)へ0.9パーセントないし8.6パーセントの勾配を付して路面水の側溝への誘導を図っている。同図面の測点N0.3+16.30〜N0.4+6.00の間は、横断溝の取付の関係上、センターから右側(谷側方向)へ1.6パーセントないし1.8パーセントの勾配がついているが、N0.4+6.00から上方の路面水は横断溝で遮断しているため、N0.3+16.30〜N0.4+6.00の約一〇メートルの区間のセンターから右側路面上に降った雨水のみが本件現場へ分散して流入する構造となっていた。しかし、その量はわずかなものであった。

また、排水処理構造は、山側には、U型側溝を6.2パーセントの勾配で伏設していたが、昭和五四年に舗装工事を施工するに当り、路体側に一〇センチメートルのコンクリート舗装止の嵩上げを行った。そして、路体の測点N0.4+6.00の位置にはU型側溝に対し一四〇度でコンクリートの横断溝を設置し、その流末は本件現場に流下させないように内角一〇〇度でU型溝を伏設し、本件残土処理場より上方(東側)の谷に流下させる構造としていた。側溝の雨水流出量は、集水区域面積、降雨強度及び流出係数に基づきマニング式を適用して、最大時間雨量一〇九ミリメートル時を想定し、集水区域の雨量に対して本件側溝の通水断面を検討した結果、安全率1.22で林道技術指針で定める安全率1.20を満たし十分安全なものであった。

本件事故発生当時は、側溝は十分に機能しており、雨水は本件残土処理場に流入しておらず、本件現場の崩壊を発生させるに至るような路面水の流入はなかったものである。

(二) 同四2(二)(本件盛土の設置の瑕疵)の事実につき

(1) 同四2(二)(1)(本件残土処理場選定に関する瑕疵)の事実につき

(ア) 同四2(二)(1)(ア)(本件残土処理場選択の誤り)の事実につき

(被告国、同県、同町)

否認する。

本件現場を残土処理場に選定するに際しては、四回ないし五回の測量及び踏査を行ったが、その結果、本件現場は両側の山がさほど高くなく、集水量も最小限におさまる所であり、のり尻に当る地山の部分が水平に近い緩やかな個所であり、谷幅も狭く、残土の盛土を行っても林道規程の基準値一割二分を十分満たす一割五分を確保できること、基礎地盤は軟弱ではなく、地下水湧水の徴候が全くないこと、本件現場に崩壊跡地がないことなど、安全性を確認した。

(イ) 同四2(二)(1)(イ)(事前調査の欠如)の事実につき

(被告国、同県、同町)

否認する。

本件道路のルートの調査及び設計は、被告町が大川設計に委託して行ったが、これに先立ち被告町は同社に対し、路線の選定に当っては、地形、地質等の自然条件を十分に考慮して、安全で経済的で効率的なルートを選定するよう伝え、概略ルートを踏査した。残土処理場の選定及び盛土工事を施工するに際して、地すべり地、崩壊跡地、軟弱地盤、湧水個所等の有無を調査するため、草、落葉をかきわけて四、五回現地踏査を行ったが、その結果、本件現場にはこれらの異常個所がないことを確認した。右踏査を担当した被告町職員奥田収(以下「奥田」という。)は、十分その能力を有しており、踏査こそ重要な調査というべきである。

(ウ) 同四2(二)(1)(ウ)(破砕帯の存在と対策の欠如)の事実につき

(被告国、同県、同町)

本件現場には、現地踏査の結果湧水等の異常個所は存在しなかったし、また本件残土処理場の擁壁の床掘りによる切取面にも破砕帯、湧水等の徴候は全くなかった。更に、本件現場上方の林道の切取面にも破砕帯等は存在しなかった。

昭和四八年当時リニアメントなる考え方は、極く一部の専門分野の学者の間で注目され始めたに過ぎず、一般には未だ全く知られていなかった。被告町及び同県の技術職員並びに大川設計の技術者もリニアメントを知らなかった。本件道路開設当時はリニアメントが研究発表されて一〇年程度しか経っておらず、未だ一般土木技術者に普及、定着しておらず、従って破砕帯の存在をリニアメントから判断することは不可能であった。

(2) 同四2(二)(2)(本件盛土工事の瑕疵)の事実につき

(ア) 同四2(二)(2)(ア)(急傾斜地の崩壊による災害の防止に関する法律の無視)の事実につき

(被告国、同県、同町)

否認する。

本件現場の工事施工以前の全体の地山斜面の平均勾配は約二七度、また残土処理場となった地山斜面の平均勾配は約二三度であり、いずれも三〇度未満であった。工事施工後の残土処理場は盛土ののり面勾配は1.5割(約三四度)であるが、盛土高1.9メートルないし3.9メートルごとに0.8メートルないし3.5メートル幅の小段を四個所設けているので、小段を含む盛土全体の勾配は約二五度であった。従って、本件現場は急傾斜地法で規定する三〇度以上に該当せず、盛土高も指定基準の五メートル未満であり、危険斜面にはなっていなかった。

(イ) 同四2(二)(2)(イ)(本件盛土の設計上の瑕疵)の事実につき

(被告国、同県、同町)

否認する。

① 盛土斜面の構造

本件道路の残土処理は盛土に準じて設計施工したものであり、林道技術指針によると盛土高が一〇メートルを超える場合、またはのり面勾配が1.5割未満の場合は安定計算を行って安全度を検討することになっているが、本件道路についても安定計算を行い規定安全率の1.3をみたしている。また埋設工として盛土の土中に地上と同じ構造の竹編柵を施工し、盛土及び地山の滑動の防止を図っている。

残土処理場断面の細部構造の主なものは次のとおりである。

(a) のり面勾配

のり面勾配は1.5割(約三四度)であり、盛土高1.9メートルないし3.9メートルごとに四個所の小段を設け、小段を含む全体ののり面勾配は約2.1割とより安全なものにした。

(b) 小段

地表水の流速を弱め、洗掘を緩和し、のり面の安定を図るとともに、盛土を押えて、すべりに対する抵抗力を強めるために小段を設けた。小段は、盛土高1.9メートルないし3.9メートルごとに、その幅0.8メートルないし3.5メートルとした。特に盛土の強度を高めるために小段幅を広げた。

(c) のり尻防護

盛土のり尻を防護し盛土本体の安定を図るため擁壁を設けた。

(d) のり面保護

のり面は各小段によって区切られているが、のり尻には竹編柵を設けて盛土の浸蝕を防止しているほか、人工芝による伏工によって全面緑化を図り、降水の浸透と浸蝕防止を図った。

(e) 盛土の土質

盛土の土質は、粘土質砂(粘性のマサ土)であり、盛土として適土である。

(f) 埋設工

擁壁より上方四メートルの位置に、擁壁に平行して延長一二メートルにわたり松丸太杭を六〇センチメートル間隔で打ち込み、土中用の編棚を施工し、盛土及び地山の滑動防止を図った。

(g) 盛土の締固め

盛土は、各層ごとにブルドーザーで十分締め固めを行い、のり面仕上げを行った。更に、土の荷重載荷により一層強固な斜面を構築していた。

右のとおり、本件残土処理場は、いずれも林道技術指針などに示されている構造及び仕様に概ね準じて設計施工を行っており、通常具備すべき安全性と耐久性を備えていた。

② 安定計算

原告らは、盛土の安定計算にパイピング現象や水圧に対する配慮がなされていないと主張するが、全応力法を適用し安定計算を行った。ところで、本件残土処理場設計時の林道技術指針には盛土の安定計算の方法として全応力法しか記載されていなかった。一方、土工指針には全応力法と共に有効応力法も記載されていたが、これは湧水が存するときに適用することになっていた。しかし、本件現場では湧水が全く認められなかったので、全応力法を用いたのである。従って、全応力法を用いたことに誤りはなかった。

(ウ) 同四2(二)(2)(ウ)(本件擁壁の瑕疵)の事実につき

本件盛土の強度を高め、安全性を確保するため、盛土ののり尻には土留擁壁を設置した。右土留擁壁の本体部分は、延長一二メートル、壁高五メートルの鉄筋コンクリート造であり、その両端取付部として、東端に延長二メートル、壁高二メートルないし四メートル、西端に延長6.5メートル、壁高0.3メートルないし四メートルのコンクリート造がある。その安定計算の結果は安全であり、現に安定状態にある。

また、盛土の浸透水の排除を図るため、擁壁の背面には厚さ0.3メートルで透水性のある栗石層を設けるとともに、擁壁の中央部には水抜き孔を、更に塩化ビニールの水抜管を天端より1.6メートル下方の位置に二メートル間隔で横一列に設置し、排水機能を高めた。

擁壁の東側の地山の取付けは、高さ二メートルの擁壁を延長二メートル施工したが、地山には約一メートル突込ませ、地山との取付けを強固にした。西側の地山の取付けも、当初高さ二メートルの擁壁を延長二メートル山の斜面に突込んだ状態で施工したが、残土の一部撤去に際して、地山が一部削り取られたので、更に4.5メートル追加施工し、地山との取付けを強固にした。この際、東側の地山との取付部も再確認したが、欠陥はなく追加する必要がなかったので、施工しなかった。なお、擁壁の両端は、山の斜面に接した状態ではなく、山の斜面に埋設させて設置した。

(三) 同四2(三)(本件盛土の管理の瑕疵)の事実につき

(被告国、同県、同町)

否認する。

本件道路は、被告町が維持管理している。被告町は本件道路開設以来昭和五二年度までは、独自の維持管理費は計上していなかったが、同五三年度から同五六年度までは毎年度二〇〇万円、同五七年度は一〇〇万円の予算措置を講じている。

本件道路は、被告町の焼却場職員が毎日何回も通行しているため、右職員に指示して本件道路の状況を報告させ、側溝、排水溝のつまり等異常があった場合には、被告町建設課へ連絡させ、建設課職員または土木業者によって清掃、補修工事をするという方法がとられていた。そして、特に集中豪雨などがあった場合には建設課職員が巡回していたものであり、本件道路の管理に瑕疵はなかった。

(被告県)

本件道路の管理者は被告町の町長であり、被告県ではない。なお、被告県は、毎年被告町の町長を含む県内の林道管理者に対して山地崩壊、土石流などによる災害を防止するため、林道の点検整備及び警戒、避難体制の確立を文書で通知し、災害の未然防止には万全を期していた。

3 同四3(被告らの責任)の事実につき

(一) 同四3(一)(被告町の責任)の事実につき

(被告国、同県、同町)

本件営造物の設置及び管理を被告町が行ったことは認めるが、その管理に瑕疵があったことは否認する。

被告町のなした本件営造物の設置及び管理に瑕疵がないことは、前述のとおりである。

(被告中村)

不知。

(二) 同四3(二)(被告県の責任)の事実につき

(被告県)

本件営造物等の建設工事は、被告町が民有林道開設事業国庫補助要領及び奈良県林道事業補助金交付規則による被告県の補助金を得て、被告県の指導・監督、検査のもとに実施されたことは認めるが、被告県が本件営造物の設置、管理者であるとの点は否認し、その余は争う。

本件道路は、被告町が事業計画を立てたものであり、路線のルート、残土処理場の選定に被告県は関与していない。すなわち、本件道路開設にかかる用地確保のための森林所有者との交渉は、全て施行主体である被告町が行うべきであり、被告県が関与する立場になかったものであって、用地補償費も補助の対象とはしていない。本件道路の設置については、計画から施工まで施行主体である被告町の責任においてなされたものであって、被告県は共同執行者ではない。

(被告国、同町)

不知。

(三) 同四3(三)(被告国の責任)の事実につき

(被告国)

(1) 本件道路の開設工事費が七七〇〇万円であること、被告国が本件道路の開設工事費及び舗装工事費の各一部を補助金として支出したことは認め、その余は争う。補助金の総額は四〇九三万三〇〇〇円である。

被告国は、被告県に対し、昭和四八年度から同五〇年度にかけて、農林畜水産業関係補助金等交付規則(昭和三一年四月三〇日農林省令第一八号、以下「規則」という。)、林業関係事業補助金等交付要綱(昭和四七年八月一一日四七林野政第六四〇号農林事務次官通達、以下「要綱」という。)及び民有林林道開設事業国庫補助要領(昭和三二年五月六日三二林野第五六九六号林野庁長官通達、以下「要領」という。)により、予算の範囲内において、本件道路の開設費用の一部を補助したものであって(以下「本件補助金」という。)、右補助金交付は、森林法一九三条の趣旨を受けて、地方財政法一六条並びに規則、要綱及び要領に基づきなされたものである。

(2) 事業の施行主体が都道府県以外の市町村、森林組合または森林組合連合会である場合、開設事業に要する経費にかかる補助金は、当該補助経費分について国が都道府県に対し補助を行い、都道府県はこれを財源にして自己負担の補助分を加え、施行主体に対し都道府県の補助として交付している。従って、市町村、森林組合または森林組合連合会に対して国が直接経費の支弁を行うことはない。本件においては、被告県が本件道路の開設事業費の六〇パーセントを被告町に対し補助し、被告国は被告県に対し開設事業費の四五パーセントを補助したものであり、各年度における補助金額は別紙(二)のとおりである。

(3) 国賠法三条一項にいう公の営造物の設置管理費用の負担者について

(ア) 国賠法三条一項所定の営造物の設置管理費用の負担者(以下「費用負担者」という。)には、法律上当該営造物の設置管理費用を負担すべきとされている者(以下「費用負担義務者」という。)以外に地方財政法一六条による補助金を交付した国も含むかについては、見解がわかれていたが、この点について最高裁判決(昭和五〇年一一月二八日民集二九巻一七五頁)は、国が地方財政法一六条による補助金を交付した場合に国賠法三条一項にいう費用負担者に該当するための要件として、①補助金の交付額が費用負担義務者(地方公共団体)の負担する額と同等又はこれに近い額に達していること、②実質的に当該営造物による事業を共同執行していると認められること、③当該営造物の瑕疵による危険を効果的に防止し得る者であることを挙げている。

(イ) そこでこれを本件についてみると、被告国の被告県に対する本件補助金の交付は、地方財政法一六条並びに規則、要綱及び要領に基づきなされたものであって、被告国に対して本件道路の開設費用の負担を義務づけた法令は存在しないから、被告国は法律上本件道路の設置管理費用を負担すべき者ではなく、被告国は、右最高裁判決が示した①ないし③の要件を満たす者にも該当しない。

(a) ①について

本件補助金の交付は、被告県に対してしたものであり、開設事業者であり、かつ費用負担義務者でもある被告町と被告国の間には何ら直接的な関係を生じていないから、開設事業費全体の四五パーセントを被告国の補助によっていても、補助金の交付額が費用負担義務者の負担する額と同等又はこれに近い額に達しているものと評価することはできないものと解すべきである。

(b) ②について

被告国が民有森林を対象として林道を開設したうえで森林の管理経営を行うとか、そのような開設・管理経営権を都道府県、市町村、森林組合等の団体及び個人森林所有者に対して付与するというようなことをなし得ないことは明白である。ところで、全国森林計画は、長期的広域的観点に立った森林に関する国の政策を明らかにするとともに、地域森林計画を立てる際の目標ないし基準を明らかにし、もって地域森林計画が国民経済的見地に立ちつつ、しかも地域の自然的、社会的、経済的諸条件を勘案した現実の個々の森林の施業上の指針を設定し得るようにするためのものであるし、また地域森林計画も地域的諸事情に応じた森林施業上の指標ないし森林、林業諸施策の実施上の基準を示すものとして都道府県知事によって立てられるものであって、いずれも森林所有者の施業を誘導してゆくという面に力点が置かれており、事業実施計画とは異なるものであるから、全国森林計画及び地域森林計画において林道開設に関する事項の定めがあることをもって、被告国が実質的に林道開設事業の執行権限を有するものと解する余地はない。

よって、被告国が実質的に被告県又は被告町と共同で本件道路開設事業を執行したものということは到底できない。

(c) ③について

本件補助は、被告町に対する関係においては間接的なものであって、被告町と被告国との間には補助金交付契約は存在しないから、被告国が契約に基づき被告町に対して危険防止の措置を請求し得る余地はない。また、補助金等に係る予算の執行の適正化に関する法律によれば、本件の場合被告県は補助事業者等に、被告町は間接補助事業者等に該当するところ、同法は間接補助事業者等に関しては、法令の定め及び間接補助金等の交付の目的に従った執行義務を規定するものの、各省各庁の長が間接補助事業者等に対して直接とり得る措置についての規定を欠いているから、間接補助事業者等に対しては、補助事業者等を通じるほかに、直接何らかの措置を請求することはできないと解するほかはない。

よって、被告国は③の要件を満たすものには該当しない。

結局、被告国は国賠法三条一項所定の費用負担者には該当しないものというべきである。

(四) 同四3(四)(被告中村の責任)の事実につき

(被告中村)

被告中村が本件事故当時被告町の町長であったこと、原告指摘の部分中に被告中村の所有地のあることは認めるが、その余は否認する。

本件道路、本件盛土及び擁壁は被告町が所有し、管理占有するものであり、被告中村が所有、占有するものではない。右工作物は、被告中村所有の山林に独立に公物として工作されたものであり、また被告町が被告中村より借り受けた山林敷地に設置したものであり、権原に因って築造したものといえるから、被告所有の土地に附合してはいない。

五  請求原因五(原告らの損害)の事実について

1 同五1(原告英雄、同和枝の損害)の事実につき

(一) 同五1(一)(逸失利益)の事実につき

(全被告)

不知ないし否認。

(被告国、同県、同町)

(1) 逸失利益算定の基礎となる収入額は、原則として事故前の収入によるべきである。昇給については、将来昇給による収入の増加を得たであろうことが、証拠に基づいて相当の確かさをもって推定できる場合には、右昇給等の回数、金額等を予測し得る範囲で控え目に見積って、これを基礎として将来の得べかりし収入額を算出することも許される。ところで、別紙(二)は昇給形態及び各年度毎の支給と題する表(甲第五八号証の三)に基づくものと思われるが、同号証の給与規定第一六条によると、昇給は能力に応じて五段階とする旨規定されているところ、別紙(二)は五段階のうちいずれを採用して記載されたものか不明であるし、更に、二六歳から家族手当の支給が記載されているが、右給与規定二一条から推察すれば、亡卓司が二六歳で結婚し、三〇歳で第一子を、三二歳で第二子を、三七歳で第三子をもうけることを前提に記載されたものであることは明白である。しかし、右前提は将来の極めて不確実な要素をもったものに過ぎず、算定の基礎とすることはできない。

(2) 次に、原告らは逸失賞与についても請求をなしているが、賞与に関する支給規定はなく、いかなる基準に基づいて計算されたものか不明である。

(3) 更に、逸失退職金の請求もなされているが、退職金というのは、履行期が不確定期限付となった後払賃金であり、給与所得者自身の退職後における生活保障の役割を果すものであるから、死亡事故においては、死者本人の生活保障部分は生活費と同様に損益相殺の法理により、控除されるべきである。

(4) 原告は、亡卓司の生活費控除を四〇パーセントと主張するが、逸失利益の算定は、そもそも不確定な将来の事情を定型的に擬制してなすものに過ぎないから、生活費控除も死亡時の条件に依拠するしかない。そして卓司は死亡時独身であったが、単身者の場合には五〇パーセントが通例である。

(5) 原告らの主張によると、税金の控除は考慮されていない。しかし、不法行為制度の目的は、被害者に生じた損害の回復であるが、もともと最終的には自己の所得にし得なかった税金額相当の所得については、その回復を観念する余地はないというべきである。税金は社会生活上の必要経費として、逸失利益算定にあたっては控除されるべきである。特に亡卓司については、原告ら主張にかかる将来に亘っての毎月の収入が認定し得るとすれば、その税額も容易に認定し得るところであり、これが控除されるべきである。

(被告町)

逸失利益算定の際の就労可能期間については、定年制の確定している場合は、定年までと解すべきである。なぜなら、定年後再就職するか否かは極めて不確実なものであり、仮に再就職したとしても、その収入が本人の生活費を控除してもなを余剰があるとまで予測することは困難だからである。

(二) 同五1(二)(慰謝料)の事実につき

(被告県)

亡卓司が原告英雄及び同和枝の唯一人の子供であることは認め、その余は不知。

(被告国、同町、同中村)

不知ないし否認。

(被告国、同県、同町)

死亡慰謝料については、昭和五九年度大阪弁護士会作成に係る損害賠償算定基準(以下「損害賠償算定基準」という。)によれば、九〇〇万円ないし一四〇〇万円とされていることが考慮されるべきである。

(三) 同五1(三)(葬式費用)の事実につき

(全被告)

不知ないし否認。

(被告国、同県、同町)

葬儀と相当因果関係にある費用に限定されるべきで、饗応接待費や多額な謝礼等は認めるべきではない。

(四) 同五1(四)(建物)の事実につき

(全被告)

不知ないし否認。

(被告国、同県、同町)

原告英雄及び同和枝の建物については、本件事故直後には一部損壊していたのみであったのを、原告ら及びネオポリス自治会の要望で、後日全部取り壊したのであるから、新築建物代金全額の請求は不当というべきである。

(五) 同五1(五)(動産類)の事実につき

(全被告)

不知ないし否認。

(被告国、同県、同町)

滅失した動産類についての損害額は、本件事故当時の時価(交換価格)が賠償の対象とされるべきである。原告らは取得価格を主張請求しているが、取得の時期及び価格の確定しているものにつき、本件事故時の時価を定額法又は定率法によって算出すべきである。なお、耐用年数等についても、例えば大蔵省令(減価償却資産の耐用年数等に関する省令)に基づき算出すべきである。

2 同五2(原告誠司、同恵子の損害)の事実につき

(一) 同五2(一)(逸失利益)の事実につき

(全被告)

不知ないし否認。

(被告国、同県、同町)

(1) 原告らは、亡憲司の逸失利益を賃金センサス企業規模計男子大卒を適用して算定しているが、憲司は本件事故により死亡するまで実際に薬局を経営し、これによって所得を得ていたというのであるから、逸失利益はあくまでも右薬局経営による所得金額によって算定すべきである。

また、亡昌子の逸失利益の算定にあたって、昭和六一年までは該当年度の賃金センサス女子労働者新高卒計によって、同六二年以降は同六一年度のそれによって算定する旨主張するが、遺族は逸失利益の賠償金を本件事故時点で全額取得し、これを現在の物価の中で利用できるのであって、事故後の名目賃金の上昇をそのまま認めることは明らかに不当であるから、事故前の賃金センサスにより算定すべきである。

(2) ところで、亡憲司は、本件事故前大阪市内において薬局を経営しており、亡昌子は、ウィークデーは憲司と大阪市内のマンションに住み、憲司の仕事を手伝っていたというのであるから、昌子は憲司の収益に相当の寄与をしていたというべきである。従って、仮に、憲司について薬局経営による全収入を基礎に逸失利益を算出するのであれば、昌子については、独立の収入あるものとして算出した逸失利益から、憲司の収入に寄与した部分は控除して算出すべきである。

(3) 更に、亡憲司及び同昌子の生活費控除につき、原告らは各三〇パーセントを主張するが、右夫婦は日頃は大阪市内のマンションで生活をし、その遺族である原告らは平群町で生活するという二重の生活をしていた。二重生活の場合の生活費割合は、一般の場合に比し割高になるのであるから、この点が考慮されるべきである。

(4) 税金を控除すべきであることは、前記被告らの反論五1(一)(5)で述べたとおりである。

(二) 同五2(二)(慰謝料)の事実につき

(全被告)

不知ないし否認

(被告国、同県、同町)

死亡慰謝料につき損害賠償基準が考慮されるべきことは、前記被告らの反論五1(二)で述べたとおりである。

(三) 同五2(三)(葬式費用)の事実につき

(全被告)

不知ないし否認。

(被告国、同県、同町)

葬儀と相当因果関係にある費用に限定されるべきことは、前記被告らの反論五1(三)で述べたとおりである。

(四) 同五2(四)(建物)の事実につき

(全被告)

不知ないし否認。

(被告国、同県、同町)

原告らは新築建物代金を主張請求しているが、かかる結果を認めると旧建物に代えて新建物を取得することになり、損害賠償の本質が原状回復にあることからすれば極めて不公平な結果となる。

(五) 同五2(五)(動産類)の事実につき

(全被告)

不知ないし否認。

(被告国、同県、同町)

動産類についての請求額は、本件事故当時の時価で算定されるべきことは、前記被告らの反論五1(五)で述べたとおりである。

3 同五3(原告正子の請求)の事実につき

(被告国、同県、同町)

原告正子が土砂の中に生き埋めになったが、間もなく救出されたことは認め、その余は不知ないし否認。

原告正子は二七日間の入院の後相当長期間通院しているが、その症状の中には本件事故とは因果関係のない既応症たる糖尿病、高血圧症が含まれており、ケイレン発作は退院後はないということからすれば、約一か月の入院と若干の通院を要したとみても原告ら主張の請求は高額に過ぎる。

(被告中村)

不知ないし否認。

4 同五4(原告辻の損害)の事実につき

(全被告)

不知。

(被告国、同県、同町)

家屋及び動産類についての損害額は、本件事故時の時価によるべきことは、前記被告らの反論五1(五)で述べたとおりである。

5 不可抗力の斟酌について

(被告町)

本件盛土の崩壊流出は、概ね一〇〇年に一回発生すると推定される豪雨とそれに基因する予見不可能な地下水の流出が最大の原因であり、不可抗力に基づく災害である。しかし、被告らの右主張が容れられず、仮に、本件盛土の設置又は管理に瑕疵があったとすれば、その場合の損害賠償責任は次に述べるところにより判断されるべきである。すなわち、本件盛土の崩壊の直接の原因が予見し難い豪雨と地下水の流出にあったことは否定し得ないところであり、結局本件事故は設置、管理の瑕疵と不可抗力と目すべき原因が競合して発生したものとみるべきであって、生じた損害に対して、不可抗力と目すべき原因が寄与したと認められる部分は、これを除いて算定されるべきである。なぜならば、国賠法二条一項は、瑕疵の存在を前提とするもので純然たる結果責任を負わせるものではなく、これは事故の原因が全部瑕疵に因るものであれば、それによって生じた損害の全てを賠償すべきものであることはもちろんであるが、逆に全部不可抗力に因って生じたものであれば、損害は生じてもこれを賠償する義務はないことを意味するものであって、それが右両端のいずれでもなく両者の中間に位するものであるならば、その実態に即して不可抗力と目すべき原因が寄与したと認められる部分を除き、その余の部分について賠償の義務を負わせることが損失の公平な分担をはかる損害賠償制度の当然の帰結と考えられるからである。

第三  抗弁

(被告町)

被告町は、遺族弔慰金として原告英雄及び同和枝に対し一五〇万円、原告誠司及び同恵子に対し四五〇万円を支払った。右金員は、右原告らの被った損害と損益相殺されるべきものである。

第四  抗弁に対する原告らの認否

右金員の支払は認めるが、右金員が原告らの被った損害と損益相殺されるべきであるとの点は争う。

右遺族弔慰金は納税者である町民が災害などにより死亡した場合、その死亡についての責任関係など一切を問わず一率に世帯主に三〇〇万円、その他は一五〇万円がその遺族に支給されるもので、いわば香典のようなもので損害を填補するものではなく、原告らの損害より控除されるべき性質のものではない。

第三  <省略>

理由

第一当事者

一(証拠>によれば次の事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない(なお、右事実は原告らと被告国、同県及び同町間では争いがない。)。

すなわち、原告英雄及び同和枝は夫婦であり、亡卓司(昭和三二年二月一七日生)はその長男である。

原告誠司は、亡憲司(同一一年二月二五日生)及び亡昌子(同一〇年一月二〇日生)の長男であり、原告恵子はその長女であり、原告正子は亡憲司の実母である。

二<証拠>によれば次の事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

すなわち、原告英雄及び同和枝は、昭和四五年一一月六日大和団地株式会社がネオポリスとして売り出した奈良県生駒郡平群町大字椿井一七七六番二六宅地299.91平方メートルを持分各二分の一として買い受け、同四七年三月一日同地上に木造瓦葺二階建居宅(一階78.56平方メートル、二階23.20平方メートル)を持分各二分の一として建築、所有し、同年五月六日亡卓司と共に転居し、以来右家屋に居住していた。

亡憲司は、同四五年一一月六日ネオポリスの右同所一七七六番二八宅地470.56平方メートルを買い受け、同四九年五月一三日右地上に亡昌子と共同して持分各二分の一の軽量鉄骨造亜鉛メッキ鋼板葺二階建居宅(一階91.05平方メートル、二階28.50平方メートル)を建築、所有し、右同日原告誠司及び同恵子と共に転居し、以来居住していた。

原告辻は、同四五年一一月一六日ネオポリスの右同所一七七六番二七宅地417.81平方メートルを買い受け、同五〇年四月一日右地上に木造瓦葺二階建居宅(一階88.82平方メートル、二階27.51平方メートル)を建築、所有していた。

第二本件事故の発生

請求原因二の事実中、昭和五七年七月二三日頃カロリン諸島付近にあった弱い熱帯低気圧は、次第に発達して台風一〇号となったこと、台風一〇号は発達しながら日本に近づいて、同年八月二日午前〇時頃渥美半島、三河湾を経て愛知県に上陸し、同日午前五時頃能登半島から日本海に抜けたこと、奈良県では、同月一日右台風による豪雨が降ったが、ネオポリス付近も同様であったこと、同日午後一〇時三〇分頃本件道路ののり面を構成している部分が崩壊する事故が発生したこと、卓司、憲司及び昌子が死亡したこと、正子は生き埋めになったが、間もなく救出されたことは原告らと被告国、同県及び同町間では争いがなく、被告中村との間では、<証拠>によりこれを認めることができる。また、ネオポリスの最北端に亡憲司の家屋、その西側に原告辻の家屋、原告辻の家屋の南側に亡卓司の家屋がそれぞれあったことは、原告らと被告県及び同町との間では争いがなく、被告国及び同中村との間では前記甲第五六号証により認めることができる。

右事実に<証拠>を総合すれば次の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

昭和五七年七月二三日頃カロリン諸島付近にあった弱い熱帯低気圧によって発生した台風一〇号は次第に発達しながら日本に近づき、同月二九日に硫黄島の南東約六〇〇キロメートル付近で最も発達した。その後同月三一日午前九時にはやや衰え、八月一日午前九時には更に衰えをみせたものの依然として大型で強い勢力を保っていた。右台風は八月二日午前〇時頃渥美半島を通過した後、三河湾を経て愛知県に上陸、岐阜、富山、石川各県を経て、同日午前五時頃能登半島から日本海に抜けた。

奈良県では、七月三一日夜右台風が父島の西方約四五〇キロメートル付近の海上に北上してきた頃から南部山岳地方で降雨が始まり、雨は急激に強まりながら短時間で奈良県全域に広がった。その後一時期小康状態となったが、右台風の北上に伴い再び強くなり、八月二日早朝まで降り続いた。

八月一日午後一〇時三〇分頃ネオポリス北側の山腹に存する本件盛土が崩壊し(飽和した盛土がすべり出し崩壊したことは原告らと被告国、同県及び同町間では争いがない。)、泥土となってその下方の立木を削剥してネオポリスに流出したが、崩壊面積は約二六〇八平方メートルに及んだ。流出した泥土と立木のため、ネオポリスの最北側にあった亡憲司の家屋は約二四メートル南側に押し出され、一階は土砂に埋まった。また亡憲司の家屋の西側にある原告辻の家屋は一階軒下まで土砂で埋没し、玄関部分を含む東側が倒壊し、家屋内に泥土が侵入した。更に原告辻の家屋の南側にある原告英雄の家屋はその東側半分が倒壊し、残余の部分も木材や土砂に埋った。

亡卓司は八月二日午前一時三〇分その家屋一階において、亡憲司と同昌子は同日午前二時一〇分にその家屋一階において各々泥土の中から死体となって発見され、また原告正子は本件事故発生一時間後に泥土の中から救出されたが、頸部右肩胸部左手挫傷、顔面右手薬指擦過傷並びに頭部を強打したことにより症候性てんかん及び頭部両側硬膜下水腫の傷害を負った。

第三本件事故の原因

一本件道路の建設と残土の投棄による本件盛土の造成

<証拠>を総合すれば、本件盛土が築造されるに至った経緯に関し次の事実が認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

被告町は、昭和四七年頃本件道路の開設を計画し、同四八年四月二日そのルートの選定や右ルートの調査、測量及び設計業務等を大川設計に委託し、以後大川設計の手によってルートの調査測量がなされ、同年五月ころには大川設計から本件道路の設計図面等が提出された。被告町は、大川設計から提出された右設計図面等に基づき本件道路の開設のための実施設計書を作成し、昭和四八年八月二〇日被告県に対して同四八年度林道椿井線設計審査願を提出し、その審査願は同年九月三日被告県の審査を経て採択され、これに基づき本件道路建設が決定された。被告町は、同年九月四日本件道路工事を株式会社清川組に発注し、工事請負契約が締結され、同月一〇日に工事に着工し、本件道路の予定地に存する樹木を伐採し、同年一一月ころまでには山の起伏に沿って工事用車輛の通行が可能な路面を確保する作業(いわゆる「粗切り」)を行い、その後当初の設計に従った路面の開設のための掘削を行って、同四九年五月ころまでには当初第一期工事として予定していたイラキ谷の焼却場までの道路工事が完了した。右道路工事に当たっては、道路開設のために斜面から削り取った土の処理に関し、一部は谷側に埋め戻すにしても右第一期工事分だけで約四〇〇〇立方メートルの残土が出ることが予想されたため、被告町はあらかじめ右残土の処理方法を検討し、一たんは、本件現場から二〇〇メートル位焼却場のほうに向った場所(中野某の所有地)を右残土の処理場として予定したが、工事着工時に至って当該場所の所有者の同意を得られる見込みがなくなったため、急きょ他の候補地を検討した結果、ネオポリスの北側の山の南斜面を本件道路工事によって生じた残土の処理場とすることとし、右斜面の所有者である被告中村(当時は被告町の町長)の承諾を得、本件道路の下方約一七メートルのところに長さ一二メートル、高さ基礎部一メートル、擁壁部四メートルのコンクリート擁壁(本件擁壁)を設置し、これを残土による盛土ののり尻の土留擁壁とし、同所に前記粗切りの終った同四八年一一月頃から同四九年六月頃にかけて残土約二三二〇立方メートルを投棄し、この残土によって盛土工事をして本件道路の路肩及びのり面(本件盛土)を形成した。一方、前記のとおり、第一期工事分だけで四〇〇〇立方メートルの残土が出ることが予想されたところ、第一期工事の起点から終点までの間には右残土処理の適地としては前記の二か所しかなかったため、本件残土処理場でまかなえなかった残土(当初の予想では約二〇〇〇立方メートル)についてはこれを平群町の吉新付近の平地に投棄して処理をした。その後、本件残土処理場の南側下方約三〇メートルの地点にあるネオポリスの住民から被告町に対し、同四九年八月二九日、住宅地を眼下にのぞむ場所に大量の残土が投棄された結果自分達は山津波の危険にさらされているとして、本件残土処理場の残土を撤去するよう求める要望書が提出されるなど、ネオポリスの住民から被告町に対し、右残土の撤去について強い要望があり、被告町は、同年一〇月、業者に右撤去工事を請負わせ、同五〇年一月一八日までに約一二八〇立方メートルの残土を撤去し、本件盛土の工事に若干の手直しを加えたが、なお一〇〇〇立方メートル程度は盛土として留まることとなった。

二本件事故の発生とその原因

前記第二で認定したとおり、本件事故は昭和五七年八月一日、台風一〇号の通過に伴う豪雨下、本件盛土を含む本件現場の崩壊によってもたらされたものであるところ、当時の降雨状況、本件事故の態様及びその原因は次のとおりであったと認められる。

1  降雨状況

<証拠>によれば次の事実が認められる。

(一) 昭和五七年七月一五日から同年七月三一日までの各地の一日降水量は次のとおりである。

(1) 奈良市半田開町七番地所在奈良地方気象台において、七月一五日一ミリメートル(以下単に「ミリ」という。)、七月一六日16.5ミリ、七月一七日九ミリ、七月一八日3.5ミリ、七月一九日44.5ミリ、七月二〇日0.5ミリ、七月二一日〇ミリ、七月二二日〇ミリ、七月二三日〇ミリ、七月二四日25.5ミリ、七月二五日二一ミリ、七月二六日13.5ミリ、七月二七日〇ミリ、七月二八日〇ミリ、七月二九日〇ミリ、七月三〇日6.5ミリ、七月三一日三ミリ。

(2) 奈良県磯城郡田原本町二五八番地所在田原本地域雨量観測所において、七月一五日三ミリ、七月一六日一五ミリ、七月一七日八ミリ、七月一八日五ミリ、七月一九日五八ミリ、七月二〇日〇ミリ、七月二一日二ミリ、七月二二日〇ミリ、七月二三日〇ミリ、七月二四日三一ミリ、七月二五日二〇ミリ、七月二六日六ミリ、七月二七日〇ミリ、七月二八日〇ミリ、七月二九日〇ミリ、七月三〇日一ミリ、七月三一日一五ミリ。

(3) 奈良県北葛城郡当麻町兵家一三七四番地所在当麻地域雨量観測所において、七月一五日二ミリ、七月一六日一四ミリ、七月一七日一三ミリ、七月一八日六ミリ、七月一九日六七ミリ、七月二〇日一ミリ、七月二一日三ミリ、七月二二日〇ミリ、七月二三日〇ミリ、七月二四日三三ミリ、七月二五日一五ミリ、七月二六日二ミリ、七月二七日〇ミリ、七月二八日〇ミリ、七月二九日〇ミリ、七月三〇日〇ミリ、七月三一日一八ミリ。

(4) 大阪府東大阪市山手町二〇二九の四所在生駒山地域気象観測所において、七月一五日一ミリ、七月一六日一六ミリ、七月一七日一一ミリ、七月一八日二ミリ、七月一九日三六ミリ、七月二〇日〇ミリ、七月二一日一ミリ、七月二二日〇ミリ、七月二三日〇ミリ、七月二四日三七ミリ、七月二五日二五ミリ、七月二六日二ミリ、七月二七日〇ミリ、七月二八日〇ミリ、七月二九日〇ミリ、七月三〇日一三ミリ、七月三一日〇ミリ。

(二) 同年八月一日午前〇時から本件事故発生直後の午後一一時までの各地の降水量は、奈良地方気象台において154.5ミリ、田原本地域雨量観測所において一八二ミリ、当麻地域雨量観測所において一七八ミリ、生駒山地域気象観測所において一四四ミリである。

(三) 同年八月一日午前〇時から午後一二時までの降水量は、奈良地方気象台において一六〇ミリ、田原本地域雨量観測所において一九一ミリ、当麻地域雨量観測所において一九六ミリ、生駒山地域気象観測所において一五六ミリである。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

ところで、本件現場の存する平群町椿井地区の降雨状況を示す直接の資料は存しないが、椿井地区と各観測地点との地理的関係を考慮すると、本件現場における降水量も右各観測地点と近似した降水量であったものと推認できる。

一方、同年七月一五日から七月三一日までの本件事故発生約二週間前の先行降水量は、各観測地点とも前記のとおり少なく、特に七月二七日から七月二九日までは降水量が零であり、また七月三〇日、同月三一日の降水量は極く僅かであることを考慮すると、本件現場に降った先行降水量は本件盛土の崩壊との関係では、それほどの重要性をもたないものと考えられる。

以上によれば、本件事故発生当日である八月一日午前〇時から事故発生時である同日午後一〇時三〇分までの本件現場における降水量は、およそ一四〇ミリから一八五ミリまでの間であったと推認するのが相当であり、更に八月一日の全降水量は、一五五ミリから二〇〇ミリまでの間であったと推認するのが相当である

2  本件事故の態様とその原因

<証拠>を総合すれば次の事実が認められ、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる甲第五七号証の一、二のうち右認定に反する部分は措信できず、その他右認定を覆すに足りる証拠はない。

本件事故発生時までに降った多量の雨水が、本件盛土の表面から鉛直に浸透したことにより、土の粘着性が低下し、有効垂直応力(上から押しつける力)が減少し、含水量の増加が土塊の重量を大きくして滑動力(すべりを起こそうとする力)を増大させた。このような状態のとき、本件道路のアスファルト谷側角から南(下方)約9.1メートルの地点(第一回検証調書図面(一)のG点、添附写真、のポールの立っている場所)から地下水が湧出し、この付近の盛土がパイピング現象(地下水異常流出)を起こしたため一挙に盛土が飽和し、滑動力がせん断抵抗力(すべりに抵抗する力)を超え、強度及び透水性を異にする地山部分と本件盛土の境界ですべり面が形成され、本件盛土が崩壊した(なお、本件事故発生の直接の原因がパイピング現象(地下水異常流出)によるものであることは原告らと被告国、同県及び同町との間では争いがない。)。

第四被告町の責任

一以上認定の事実によれば、本件事故は、直接には台風一〇号の通過に伴う集中豪雨とこれに基因する地下水の異常流出により、被告町の設置管理に係る国賠法二条にいう営造物である本件盛土部分が崩壊したことによってもたらされたものであって、本件盛土部分が造成されなければ本件事故も発生しなかったことが明らかである。しかるところ、本件盛土は、本件道路工事に伴う残土処理の必要上本件現場が右処理の適地とされた結果造成されたものであって、当時本件現場以外に右残土処理の場所を確保することが極めて困難であった訳ではなかったのに(現に、前認定のとおり、本件現場でまかないきれなかった残土については本件道路の斜面等を投棄場所とせず、他の平地に投棄している。)、本件現場は、ネオポリスの原告ら住民の家屋の上方に所在し、仮にも本件盛土が崩壊すれば、原告ら住民の生命、身体、財産等に甚大な被害が及ぶであろうことは何人にも予測し得た位置関係にあったのであるから、その形状や性質から右の危険性を内包する本件盛土を殊更右のような場所に設置し、これを管理する被告町としては、絶対に右のような事故の発生することのないような防止策を講じなければならず、崩壊の直接の原因が人為的なものではない台風による集中豪雨という自然災害であり、これによって通常発生しない地下水の異常流出という自然現象が生じて斜面崩壊に至る場合についても、斜面崩壊が生ずる原因としてこれら災害やこれに基づく自然現象のあることは、当時から関係者間に周知の事柄であったのであるから(周知であることにつき、例えば成立に争いのない甲第五二号証一九二頁等)、これらの災害や自然現象の発生が本件現場においてはおよそ当時の気象データや土木工学、地質学等の本件盛土の設置管理上関係を有する科学技術の水準において予測することが不可能であったものであるといえない限り、被告町はこのような場合をも予測して、そのような場合が生じても、万が一にも事故の発生することのないように対策を講じておく等の配慮をすべき注意義務があったものといわなければならず、現実に予測不可能とはいえない右の自然災害や自然現象が生じ、これによって営造物たる本件盛土が崩壊し、もって本件事故が発生したものであるとすれば、これをもって直ちに右営造物の設置又は管理には瑕疵があったものといわざるを得ないのである(なお、当時の技術水準の下において前記自然災害や自然現象の発生時に、これによる自然災害を防止する有効な対策が確定していなかった場合もあり得るが、そのような場合には被告町は本件現場を土捨場としないこととすれば足り、そのことは可能であったというべきである。)。

そこで以下、本件の台風による集中豪雨とこれによる地下水の異常流出が当時の科学技術の水準に照らし予測が不可能であったと認め得るか否かについて検討する。

二本件集中豪雨の予見可能性

前記第三の二の1で認定したとおり、本件現場付近での本件集中豪雨による降雨量は、八月一日の全降水量が一五五ミリから二〇〇ミリと認められるところ、右の程度の降水量が予見可能であったかを検討するについては、本件現場である椿井地区における降水量の記録が存しないので、他の観測地点の資料より推認するしかないところ、前認定のとおり、奈良地方気象台においては八月一日には、一六〇ミリの降水量があったのであるが、成立に争いのない甲第三九号証によれば、同二八年五月一日観測開始以来本件事故発生日までの間に、同気象台において一日一六〇ミリ以上の降水量を記録したのは、同三四年八月一三日の182.3ミリが一度あり、また連続した二日間で一四〇ミリ以上の降水量を記録したのは、右同三四年八月一三日の他、同三六年六月二六日から二七日にかけての169.2ミリ、同四七年七月一一日から一二日にかけての195.5ミリ、同四七年七月一二日から一三日にかけての161.5ミリの計四度あることが認められる。

右の事実からすると、本件現場において一日一五五ミリから二〇〇ミリという降水量は昭和以後に限定しても、少なくとも一度は経験されたものと推認し得るのである。そうであれば、本件事故発生直前の降雨量は到底予見不可能な程度のものということはできないのである。

なお、被告町は斑鳩町の自記雨量計による記録紙として乙第一、第二号証を提出するが、弁論の全趣旨によって右乙第一、第二号証の真正な成立は認め得るものの、右自記雨量計の規模、種類、設置者、管理者及び設置状況等が不明であるうえ、乙第一号証によれば、右自記雨量計は故障している期間があることが認められるなど、その故障期間の前後の期間の測定値、ひいては全期間の測定値の正確性には信を措き難いものがあるといわなければならない。従って、乙第一、第二号証は本件現場付近の雨量を推認する証拠としては採用しない。

また、被告国、同県及び同町は、本件豪雨が概ね一〇〇年に一回の確率で生ずるものであることを理由として、これが予見不可能なものである旨主張し、証人宮浦の証言により真正に成立したと認められる丙第二号証の一によれば本件豪雨が概ね一〇〇年に一回の確率で生ずるものであるかのごとき記載があるが、そもそも同部分は、前記斑鳩町の自記雨量計が測定した雨量を用いている点でその信頼性に疑いが存するし、仮に一〇〇年に一回の確率とはいえ、従前の気象観測資料上付近に同程度の降雨があったことを窺わせる事実が存する場合には、これをもって予見不可能な豪雨と認めるのは相当でないというべきである。

三地下水の異常湧出の予見可能性

本件盛土の崩壊の原因の一つに地下水の湧出により本件盛土がパイピング現象を起こしたことがあることは前記のとおりであるところ、被告らは、本件盛土工事を行う前に、本件現場を被告町の職員が踏査した際、本件現場には何らの崩壊も湧水も、また湿った状態の個所もみられず地下水湧出の徴候は全くなかったから、地下水湧出を予見することはできなかった旨、また盛土をするための地質の調査について通常ボーリング調査までは行わず、本件においては仮にボーリング調査等を行っても地下水の湧出を予見することは不可能であった旨主張する。

確かに、証人奥田の証言によれば、同人は四、五回にわたり本件現場付近を事前踏査しており、本件現場の数個所についてかき分け入って調査したことが認められるが、同証言によれば、同人は本件現場全体についてかき分け入り調べたわけではなく、事前踏査において破砕帯の存在の可能性を認識していたわけではなかったこと、また単に踏査を実施したのみでボーリング調査やサウンディング調査等を行うことはしなかったことが認められる。

ところで、前記のとおり、本件現場の真下には住民の居住するネオポリスが位置しているのであるから、事前に本件現場を調査する者としても、万一本件盛土が崩壊した場合大きな被害が発生することは認識していたものというべく、そうであるとすれば、踏査は本件現場全体について十分念入りに行うことはもちろん、その周辺にも及ぶ必要があったというべきであり、このような踏査を行っておれば、本件現場付近に地下水湧出の痕跡を発見した可能性は十分存したといわなければならない。のみならず、<証拠>によれば、本件現場には断裂線が二本交差しており、破砕帯が存在していることを窺わせるのであるが、被告町としては、通常ボーリング調査等は行わないにしても、本件のように真下に人家をひかえる危険な場所に殊更盛土をしようとする場合には、通常要求される程度の調査で事足れりとせず、更に進んで破砕帯の存在の有無、また軟弱な地盤がないか、地下水の水みちがないか等を、ボーリング調査、サウンディング調査を行う等して特に念入りに調査すべきであり、これらを行っておれば、仮に視認による踏査では地下水の湧出が発見できなかったとしても、ほぼ間違いなく破砕帯、軟弱地盤、又は地下水の水みち等が発見されていたと考えられるのであり、そうすれば豪雨による地下水の異常湧出も予見でき、それに応じた対策を講じ得ていたというべきであって、結局、被告町が十分な調査さえ行っておれば地下水の湧出も予測し得たといわざるを得ないのである。

この点について、被告らは、乙第三一号証に基づき、本件現場より採取した水が深層系の地下水であるから、地下水湧出は予見不可能であった旨反論するが、右採取水が本件事故の原因となった湧出地下水と同一であるとは直ちに認めることができないのみならず、地下水が深層系か浅層系かの区別も極めて相対的なものに過ぎず、仮に深層系の地下水という区別が可能であり、本件事故の原因となった湧出地下水が深層系のものであったとしても、十分な踏査、更にはボーリング調査、サウンディング調査等を行っておれば、深層系の地下水といえども地下水の湧出は十分予見可能であったし、また右のような危険な場所に殊更自然斜面を削って人工的な盛土を行おうとする者としては、それだけの十分な調査、注意義務が課せられているといわざるを得ないのである。なお、この点について、証人宮浦は地下水の湧出は予見し得なかった旨証言するが、その理由とするところは、本件盛土工事前に調査したにもかかわらず、地下水湧出の跡がなかったことによるというものであって、本件においては、その調査自体が十分になされたものとはいえないこと前述のとおりであるから、同証人の右証言部分は右判断を左右するものではない。

四以上認定した事実によれば、本件盛土部分の崩壊による本件事故の発生は、被告町において本件盛土部分を造成した時点で予測することが不可能であったと認めることはできず、他に予見不可能な原因により本件事故が発生したとの主張、立証のない本件においては、前述したところにより本件盛土の設置管理に瑕疵があったものといわざるを得ず、被告らが本件盛土の造成について十分な設計、施工及び管理を行った旨の主張は、その主張する設計、施工等自体において、本件のような豪雨とそれによるパイピング現象の起こり得ることを念頭に置き、これが発生した場合にも災害の発生を有効に防止し得る対策(例えば、成立に争いのない甲第七五号証(林道技術指針)の二〇頁5(1)及び(4)によれば、湧水を盛土敷外に導く盲暗渠などの排水工、流水防止施設の設置、地盤と接する盛土部分に透水性の材料を用いるなどの措置があることが認められる。)としてされたものでないことが明らかであるから、何ら有効な反論とはなり得ないといわなければならない。

第五被告県の責任

前記第三の一で認定した事実と<証拠>を総合すれば次の事実が認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

被告町は、昭和四七年頃本件道路の開設を計画し、大川設計に依頼して調査測量を行い、これに基づき本件道路の開設のため実施設計書を作成し、更に被告県から補助金の交付を受けるため、同四八年八月二〇日被告県に対して同四八年度林道椿井線設計審査願(乙第九号証の一)を提出するとともに奈良県林道事業補助金交付規則に基づき被告県に対し林道事業交付申請書(乙第一一号証の一)を提出した。これに対し被告県は、被告町から提出された右審査願に基づき本件道路工事の内容等を審査し、一部修正を回答書(乙第九号証の二)をもって指示するとともに、補助金の交付についても検討し、同年一〇月四日付で被告町に対し、昭和四八年度の本件道路の開設工事費について補助金として全事業費の六〇パーセント(一八八四万四〇〇〇円)を交付する旨通知した。その後本件道路の開設工事が同四七年度から同五〇年度にかけて行われたが、被告県は民有林林道開設事業国庫補助要領及び奈良県林道事業補助金交付規則に基づき該工事に対して補助金を交付し指導、監督、検査を行った。そして、この間の開設工事費は別紙(二)のとおり総額七七〇〇万円にのぼるところ、被告県は被告国から国庫補助金の交付(その額は右総額の四五パーセント)を受けたうえ、工事費総額の六〇パーセントを被告町に補助金として交付した(以上の事実のうち、本件営造物等の建設工事が被告町において被告県から民有林林道開設事業国庫補助要領及び奈良県林道事業補助金交付規則による補助金の交付を受け、被告県の指導・監督・検査のもとに実施されたことは原告らと被告県との間では争いがない)。

ところで、原告らは、被告県も被告町とともに本件盛土部分を含む本件営造物の設置管理者である旨主張するが、前記第三の1で認定した事実と右認定の事実に照らすと、本件営造物の設置管理者はあくまでも被告町であり、被告県は補助金を交付する関係上実質的に本件営造物の設置及び管理につき被告町を指導・監督し又は検査を行ったに過ぎないものと認めるべきであるから被告県は本件営造物の設置管理者とはいえず、その者としての責任を負う余地はないというべきである。

しかし、また、前記第三の一で認定した事実と右認定の事実によれば被告県は本件営造物の設置を含む本件道路の開設工事につきその工事費総額の六〇パーセントに相当する補助金を交付し、しかも右工事の計画段階からその内容について審査し、一部については修正を指示し、更に右開設工事を被告町が実施するに当たってはこれを指導・監督し又は検査したというのであるから、実質的には被告町と本件道路の開設工事を共同して執行していると認められ、加うるに右審査・指導・監督・検査の段階で本件残土処理場の設置場所を変更し、あるいは本件盛土の全部撤去等を被告町に対し指示ないしは指導することによって本件営造物の前記瑕疵による危険を効果的に防止することもなし得ないではなかったというべきであるから、結局、被告県は、国賠法三条一項にいう営造物の設置費用の負担者にあたるというべきである。

なお、<証拠>によれば前記被告県の支出した補助金のうち本件道路開設のための工事費の総額の四五パーセントに相当する部分は被告国から被告県に支出された国庫補助金によってまかなわれていると認められるが、被告町に対する本件補助金の交付権者はあくまでも被告県であり、右国庫補助の事実によって前記認定が左右されるものではない。

第六被告国の責任

本件道路の開設工事費が七七〇〇万円であること、被告国が本件道路の開設工事費及び舗装工事費の各一部を補助金として支出したことは原告らと被告国との間に争いがない。

弁論の全趣旨によれば被告国の被告県に対する補助金の交付は森林法一九三条の趣旨を受けて地方財政法一六条並びにこれに基づく規則、要綱及び要領に基づきなされたものであり、被告国に対して本件道路開設費用の負担を義務づける法令は存在しないことが認められ、これによれば被告国は法律上本件道路の設置管理費用を負担すべき者には当たらないというべきである。

前記戊第七ないし第一〇号証の各一、二によれば、被告国は別表(二)のとおり、被告県に対して、昭和四八年から同五〇年にかけて開設工事費七七〇〇万円の四五パーセントにあたる三四六五万円を補助金として交付していることが認められる。

右の事実によれば、実質的には被告国が本件開設工事費の過半に近い額を負担しているとみる余地もないではないが、被告国による補助金の交付はあくまでも被告県に対してなされたものであり、開設事業者であり、かつ費用負担義務者でもある被告町との間には何ら直接的な関係を生じていないし、しかも前記第五で認定したとおり本件では被告県が国賠法三条一項でいう費用負担者に該当する以上、被告国についても右費用負担者に当たると解する余地はないというべきである。

第七被告中村の責任

原告らは、本件盛土は地山に附合し、地山の所有者である被告中村の所有に帰属したとして、同被告は民法七一七条の責任を負わなければならない旨主張する。しかしながら、<証拠>によれば、被告中村は本件盛土の敷地部分を、使用貸借として被告町に貸し付けていることが認められるから、本件盛土部分は、使用借権により右敷地上に設置されているものであって、右敷地に附合するものではないというべきである。のみならず、仮に本件盛土が地山に附合したものとしても、民法七一七条の所有者が負う責任は、第二次責任であり、工作物の占有者が免責された場合に初めて問われる責任であるところ、本件においては、前示のとおり、本件盛土の管理占有者である被告町が、国賠法二条一項により原告らに対して責任を負うものであるから、被告中村は責任を負わないこととなり、右原告らの主張はその余の点について判断するまでもなく理由がないといわなければならない。

第八損害

一原告英雄、同和枝関係

1  亡卓司の死亡による損害

(一) 右卓司の逸失利益

<証拠>によれば次の事実が認められる。

亡卓司は関西大学経済学部を卒業後、南都銀行に入社し、本件事故当時同社に勤務していた者であり、南都銀行は奈良県下を中心とするいわゆる地方銀行で、その経営基盤は安定しているから、右卓司は生存していれば定年の六〇歳(南都銀行の定年は従来五五歳であったのが、昭和五七年一〇月一日より六〇歳となった。)まで同行に勤務し得たと予測し得るところ、<証拠>によれば、亡卓司はその間別表(二)のとおり昇給して、同表年間所得欄記載の所得を得ることができたはずであると認められる(なお、同表中五五歳から五九歳までの年間所得については、前記のとおり本件事故当時南都銀行は五五歳退職制であって、五五歳以降の昇給額が不明であったため、五四歳の時の所得を基準にして定めているが、少くとも右の所得を下まわらない額は五五歳から五九歳までの間得ていたものと認めるべきである。)。また、六〇歳以降においても稼働可能年齢である六七歳までは稼働し得たと考えるべきであるから、昭和五九年の賃金センサス企業規模計新大卒により算出した別紙(二)の額は相当と認める。これに右年間所得にホフマン係数を乗じて中間利息を控除した額の合計は一億七二八三万一五二〇円となる。

一方、得べかりし総収入のうちから生活費を控除すべきであるところ、亡卓司は単身者であったこと、しかし、しかるべき年齢になれば結婚したと考えられること、その他亡卓司の年齢、収入、家族構成等諸般の事情を考慮して、控除割合は三五パーセントとするのが相当である。

従って、前記の一億七二八三万一五二〇円より生活費を控除すると一億一二三四万〇四八八円(算式 172,831,520×0.65=112,340,488)となる。

なお、被告らは亡卓司の納付すべき所得税等を逸失利益から控除すべきであると主張するが、逸失利益算定による損害填補の趣旨に鑑みれば右主張は理由がなく、採用できない。

更に、<証拠>によれば亡卓司は定年まで勤務しておれば、少くとも退職金二四三七万〇九〇〇円を得るはずであったこと及び死亡により退職金四八万八八〇〇円を既に受領していることがそれぞれ認められる。ところで、退職金は賃金の後払としての性格を有するところ、退職後における本人及び家族の生活保障の役割をも併せもつというべきであるから、死亡事故にあっては、公平の見地からして給与と同様に、生活費として三五パーセントを控除するのが相当というべきである。そして、更にホフマン式により中間利息を控除すると、逸失退職金の額は五二六万一五一三円(円未満切捨)〔算式 24,370,900×0.65×0.363−488,800≒5,261,513〕となる。

以上によれば、亡卓司の逸失利益の総額は一億一七六〇万二〇〇一円〔算式112,340,488+5,261,513=117,602,001〕となる。

(二) 慰謝料

卓司が死亡により被った精神的苦痛の慰謝料としては一〇〇〇万円が相当であり、原告英雄及び同和枝が唯一の子供である卓司を失ったため被った精神的苦痛の慰謝料としては各三〇〇万円が相当である。

(三) 葬儀費用

<証拠>によれば原告英雄は亡卓司の葬儀費用その他関連費用として一〇三万八二一一円を出費したことが認められるが、これらのうち七〇万円をもって本件事故と相当因果関係のある費用と認める。

2  家屋等の倒壊、損壊による損害

(一) 家屋

<証拠>によれば、本件事故により原告英雄及び同和枝各二分の一共有に係る家屋が一部損壊したこと、その後原告英雄が三割、被告町が七割の費用を負担して右家屋を全部取り壊したことが認められるところ、事故前と同等のものを取得することはほとんど不可能であること、右取壊をした経緯、右家屋が建築後約一〇年経過していたこと、本件事故の態様等諸般の事情を考慮して、本件事故時に右家屋と同様のものを再築するのに要する費用の六割をもって、本件事故によって生じた相当因果関係の範囲内の損害と解すべきである。そして、前記甲第六一号証の一、二によれば右再築のためには一四七〇万七二一三円を要すると認められるから、その六割である八八二万四三二七円(円未満切捨)を損害とするのが相当である。従って、原告英雄及び同和枝はその二分の一の各四四一万二一六三円(円未満切捨)の損害を被ったこととなる。

(二) 動産

(1) 家財道具類

<証拠>によれば、本件事故によって原告英雄所有の別紙(三)記載の動産類(但し庭園一式を除く。)が全て損壊し、また使用不能となったことが認められるが、甲第六〇号証に記載された価格は原告英雄が右動産類等を自分で評価したもので、右動産類の購入価格を立証する領収証等は存在しておらず、また個数や購入年月日も不明のものがあることが認められる事実に照らすと、必ずしも右原告の評価に係る価格を基準として採用することは相当でないと考えられるところ、これらを収容した家屋自体は前記のとおり築後一〇年を経過していたこと、通常家屋に収容してある動産類の一般的価格のいかん及びこれら動産類が経年により減価することを加味すると、右動産等の滅失当時の時価は二〇〇万円を上まわるものではないとみるのが相当であるから、二〇〇万円をもって原告英雄の損害額と認める。

(2) 庭園

<証拠>によれば同原告所有の庭園が本件事故によって損壊したことが認められるところ、後記亡憲司及び同昌子所有に係る庭園の損壊に基づく損害額及び原告辻所有に係る庭園の損壊に基づく損害額、<証拠>により認められる敷地の面積の割合等を総合勘案すると、右庭園損壊に基づく原告英雄の損害額は一三〇万円をもって相当と認める。

3  相続関係と右原告らの損害額

以上によれば、亡卓司は一億二七六〇万二〇〇一円の損害を被り、被告県及び同町に対し、右同額の損害賠償請求権を有するものというべきであるところ、原告英雄及び同和枝はいずれも亡卓司の両親であってその相続人であるから、その相続分(各二分の一)に従って各六三八〇万一〇〇〇円(円未満切捨)の請求権を承継取得したものというべく、従って原告英雄の損害額は自らの請求権と併せて七五二一万三一六三円、同和枝の損害額は自らの請求権と併せて七一二一万三一六三円となる。

4  損害の填補

被告町が、遺族災害弔慰金として原告英雄及び同和枝に対し一五〇万円を支払ったことは当事者間に争いがない。

原告らは右弔慰金につき、いわば香典のようなものであって、原告らの損害から控除されるべきものではないと主張する。しかし、成立に争いのない乙第三〇号証の一(災害弔慰金の支給等に関する条例)によれば、右弔慰金は、暴風、豪雨等の自然災害により死亡した遺族に対する災害弔慰金の支給等を行い、もって町民の福祉及び生活の安定に資することを目的とするものであって、遺族が災害により被った損害の填補の趣旨を含むものと認められるから(なお災害弔慰金の支給等に関する法律五条参照)、右支給額の分についてはこれを損害額から控除すべきである。

<証拠>によれば、原告英雄及び同和枝は亡卓司の死亡に伴い被告町より弔慰金として各七五万円宛合計一五〇万円の支払を受けたことが認められるから、この額を前記の損害額から控除すると損害額は原告英雄が七四四六万三一六三円、同和枝が七〇四六万三一六三円となる。

5  弁護士費用

原告英雄及び同和枝が本件損害賠償請求訴訟の追行を原告ら訴訟代理人に委任したことは当裁判所に顕著な事実であるところ、本件事案の内容、訴訟経過、認容額等に鑑み、本件事故と相当因果関係の範囲内の金額として、原告英雄について七四四万円、同和枝について七〇四万円を損害額と認めるのが相当である。

二原告誠司、同恵子関係

1  亡憲司の死亡による損害

(一) 右憲司の逸失利益

<証拠>によれば、右憲司は本件事故により死亡するまで大阪市福島区内で薬局を経営し、これによって所得を得ていたこと、同五六年度の所得額は三八九万五三四二円であったことが認められるから、右所得額を基準に逸失利益を算定すべきである。

ところで、<証拠>によれば、亡憲司の薬局の経営は順調に伸びていたことが認められ、このこと及び憲司が世帯主であること、憲司は大阪市内のマンションと平群町の自宅との二重生活をしていたこと等を総合考慮すると、生活費の控除割合は三五パーセントとするのが相当である。

そうすると、憲司は死亡当時四六歳であり、就労可能年数は二一年であるから、ホフマン式により中間利息を控除すると、逸失利益の額は三五七一万〇九三七円(円未満切捨)〔算式 3,895,342×14.104×0.65≒35,710,937〕となる。

(二) 慰謝料

世帯主である憲司の死亡による精神的苦痛の慰謝料としては一二〇〇万円が相当であり、原告誠司及び同恵子が父親を失ったことにより被った精神的苦痛の慰謝料としては各三〇〇万円が相当である。

(三) 葬儀費用

<証拠>によれば、原告誠司及び同恵子は亡憲司及び同昌子の葬儀費用その他の関連費用として、甲第六六号証の二ないし六の領収証等の存在する分一〇六万八六六〇円については出費したことが認められるが、その余の分については証拠上明らかでない。

しかしながら、亡憲司の葬儀費用としては七〇万円をもって本件事故との間に相当因果関係の存する費用と認める。従って、原告誠司と同恵子の損害額は右費用の二分の一の各三五万円となる。

2  亡昌子の死亡による損害

(一) 右昌子の逸失利益

右原告らは、亡昌子の逸失利益の算定につき、昭和六一年までは該当年度の賃金センサス女子労働者新高卒計によって、また同六二年以降は同六一年度のそれによって算定すべきである旨の主張をするが、当裁判所は、右逸失利益は本件事故時の同五七年度の賃金センサス対応年齢女子労働者学歴計の平均給与額で固定して算定する方法をもって相当と認める。

よって、これによって算定すると、右の年間平均給与額は二〇七万六二〇〇円であるから、これから亡昌子が主婦であったこと、前述の如く大阪市と平群町において二重生活をしていたことを考慮すれば生活費として四〇パーセントを控除するのをもって相当と認める。

更に、亡昌子は本件事故前亡憲司の薬局経営を手伝っており、薬局経営による収入に相当の寄与をしていたことが原告誠司本人尋問の結果により認められるから、独立の収入あるものとして算出した亡昌子の逸失利益から一〇パーセントを控除するのが相当である。

よって、ホフマン式により中間利息を控除して昌子の逸失利益を算出すると二六七一万九一九九円(円未満切捨)〔算式 2,076,200×0.6×0.9×23.832≒26,719,199〕となる。

(二) 慰謝料

昌子の死亡により被った精神的苦痛の慰謝料としては一〇〇〇万円が相当であり、原告誠司及び同恵子が母親を失ったため被った精神的苦痛の慰謝料としては各三〇〇万円が相当である。

(三) 葬儀費用

二1(三)の亡憲司の項で述べたとおり亡昌子の葬儀費用は七〇万円をもって本件事故と相当因果関係のある費用と認められるから、原告誠司及び同恵子の損害額は各三五万円となる。

3  家屋等の倒壊、損壊による損害

(一) 家屋

<証拠>によれば、本件事故により亡憲司及び同昌子各二分の一共有に係る建築後八年を経過した家屋が全損したことが認められるところ、事故前と同等のものを取得することはほとんど不可能であるから、減価償却その他を総合考慮のうえ、本件事故時に右家屋と同様のものを再築するのに要する費用の七割をもって、本件事故によって生じた相当因果関係の範囲内の損害と解すべきである。そして、前記甲第七〇号証によれば、右再築費用は一六二九万八〇〇〇円と認められるから、これに七割を乗じた一一四〇万八六〇〇円をもって損害と認める。従って、亡憲司及び同昌子はその二分の一の各五七〇万四三〇〇円の損害を被ったというべきである。

(二) 動産

(1) 家財道具類

<証拠>によれば、亡憲司所有の別紙(六)記載の家財道具類が全て損壊し、また使用不能となったことが認められるが、甲第六八号証に記載された価格は原告誠司、同恵子及び同正子が右動産類を自分で評価したもので、右動産類の購入価格を立証する領収証等は存在しておらず、また個数や購入年月日も不明のものがあることが認められること、これらを収容した家屋自体は前記のとおり築後八年を経過していたこと、通常家屋に収容してある動産類の一般的価格のいかん及びこれら動産類が経年により減価することを加味すると、右動産等の滅失当時の時価は三〇〇万円を上まわるものではないとみるのが相当であるから、三〇〇万円をもって亡憲司の損害額と認める。

(2) 庭園

<証拠>によれば、本件事故によって亡憲司及び同昌子各二分の一共有に係る庭園一式が全て損壊したことが認められるが、原告誠司本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第六九号証によれば、建物建築工事請負契約書には造園工事金として三三一万四〇〇〇円の記載があることが認められる。しかしながら、仮に右庭園の造成工事に三三一万四〇〇〇円を要したとしても、このうち庭園の現在価値を構成するものの分は必ずしも明らかでないこと、成立に争いのない甲第八四号証によれば造園時から本件事故時まで消費者物価が上昇したことは認められるものの、一方で庭園には維持費用が必要であること等を総合考慮すると、右庭園が損壊したことに基づく損害額は三〇〇万円をもって相当と認める。従って、亡憲司及び同昌子はその二分の一の各一五〇万円の損害を被ったというべきである。

(三) 保険による損害の填補

以上によれば、家屋等の倒壊、損壊により、亡憲司は一〇二〇万四三〇〇円、同昌子は七二〇万四三〇〇円の損害を被ったことが認められるが、成立に争いのない甲第七一号証及び原告誠司本人尋問の結果によれば、本件事故により滅失した建物及び家財道具について、第一火災海上保険相互会社より七五〇万円の保険金が支払われたことが認められるから、右金額を前記亡憲司の損害額から控除すべきである。

そうすると、亡憲司の損害額は二七〇万四三〇〇円、同昌子の損害額は七二〇万四三〇〇円となる。

4  相続関係と右原告らの損害額

以上によれば、亡憲司は五〇四一万五二三七円、同昌子は四三九二万三四九九円の損害を被り、被告県及び同町に対し、右同額の損害賠償請求権を有するものというべきところ、原告誠司及び同恵子はいずれも憲司及び昌子夫婦の子供であってその相続人であるから、その相続分(二分の一)に従って、各四七一六万九三六八円の請求権を承継取得したものというべきである。

従って、原告誠司及び同恵子は、自らの損害額と併せて各五三八六万九三六八円の損害を被ったものというべきである。

5  損害の填補

被告町が原告誠司及び同恵子に対し、遺族弔慰金として計四五〇万円を支給していることは当事者間に争いがないところ、前述のとおり、右弔慰金は損害額から控除すべきであるから、これを前記損害額から控除すると、原告誠司及び同恵子の損害額は各五一六一万九三六八円となる。

6  弁護士費用

原告誠司及び同恵子が本件損害賠償請求訴訟の追行を原告ら訴訟代理人に委任したことは当裁判所に顕著な事実であるところ、本件事案の内容、訴訟経過、認容額等に鑑み、本件事故との相当因果関係の範囲内の金額として、原告誠司及び同恵子について各五一六万円を損害額と認めるのが相当である。

三原告正子関係

1  慰謝料

(一) 入通院慰謝料

<証拠>によれば、原告正子は本件事故により全身打撲、頸部右肩胸部左手挫傷、顔面右手薬指擦過傷、症候性てんかん及び頭部両側硬膜下水腫の傷害を負い、昭和五七年八月二日から同月六日まで中山製鋼所附属病院に、また同月六日から同月二九日まで富永脳神経外科病院に併せて二七日間入院し、退院後同五九年一二月二九日まで通院加療したことが認められる。

右受傷内容と治療経過を考慮すると、入通院慰謝料は五〇万円をもって相当と認める。

(二) 亡憲司死亡に伴う慰謝料

原告正子は本件事故により憲司を失ったのであり、原告正子が受けた精神的苦痛に対する慰謝料は三〇〇万円をもって相当と認める。

(三) その他の慰謝料

原告正子が本件事故により土砂の中に生き埋めになり、約一時間後に救出されたことは前認定のとおりであり、原告正子はこれにより死の恐怖を味わされたのであり、その精神的苦痛は金銭をもって慰謝されなければならない。そして、その額は少なくとも一五〇万円を下まわることはないと認められる。

以上によれば、原告正子は少なくとも五〇〇万円の損害を被ったこととなる。

2  弁護士費用

原告正子が本件損害賠償請求訴訟の追行を原告ら訴訟代理人に委任していることは当裁判所に顕著な事実であるところ、本件事案の内容、訴訟経過、認容額等に鑑み、本件事故との相当因果関係の範囲内の金額として、五〇万円を損害額と認めるのが相当である。

四原告辻関係

1  家屋損壊による損害

<証拠>によれば、本件事故により原告辻所有に係る家屋の東側部分が損壊したこと、右損壊部分を事故前の状態に復元するための費用として八四六万〇二八四円を要することが認められるから、右金額をもって損害と認める。

2  家屋応急処置費

<証拠>によれば、原告辻は本件事故のために家屋応急処置費として五三万三三〇〇円の出捐をしたことが認められるが、これは原告辻の損害というべきである。

3  庭園損壊による損害

<証拠>によれば、原告辻所有の庭園が損壊したのであるが、造園当時の工事費用は一五二万四七〇〇円を要したものと認められる。しかしながら、前述のとおり右造園工事費用のうち庭園の現在価値を構成するものの分は必ずしも明らかでないこと、前記甲第八四号証によれば造園時から本件事故時まで消費者物価が上昇したことは認められるものの、一方で庭園には維持費用が必要であること等を総合考慮すると、右庭園が損壊したことに基づく損害額は一四〇万円をもって相当と認める。

4  動産類

<証拠>によれば、原告辻は本件事故により左記の動産類が使用不能になる損害を被ったことが認められる。

(一) 下駄箱  取得価格 五万円

(二) 物置  同 四万九八〇〇円

(三) 自転車二台  同 四万円

(四) 大工道具

ドリル 同 一万二〇〇〇円

かんな 同 一万二〇〇〇円

丸ノコ 同 一万一〇〇〇円

(五) 園芸用品

一輪運搬車 同 五五〇〇円

スコップ 同 二五〇〇円

クワ 同 二〇〇〇円

すき 同 三五〇〇円

ところで、右価格は取得価格であるから、減価償却等を加味すると、六万円をもって右動産類の滅失当時の時価合計額と認め、原告辻の損害とするのが相当である。

5  弁護士費用

以上によれば、原告辻は合計一〇四五万三五八四円の損害を被ったのであるが、原告辻は本件損害賠償請求訴訟の追行を原告ら訴訟代理人に委任していることは当裁判所に顕著な事実であるところ、本件事案の内容、訴訟経過、認容額等に鑑み、本件事故との相当因果関係の範囲内の金額として、一〇四万円を損害額と認めるのが相当である。

第九結語

以上によれば、被告県及び同町は各自原告英雄に対し八一九〇万三一六三円及び同和枝に対し七七五〇万三一六三円、同誠司及び同恵子に対し各五六七七万九三六八円、同正子に対し五五〇万円、同辻に対し一一四九万三五八四円並びにこれらの金額のうち原告英雄に対し七四四六万三一六三円、同和枝に対し七〇四六万三一六三円、同誠司及び同恵子に対し各五一六一万九三六八円、同正子に対し五〇〇万円、同辻に対し一〇四五万三五八四円の各々につき不法行為の後である昭和五七年八月二日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払義務があるというべきである。

よって、原告らの被告県及び同町に対する請求は右限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないから棄却し、原告らの被告国及び同中村に対する請求はいずれも理由がないからこれらを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を適用し、仮執行の宣言及びその免脱の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官中込秀樹 裁判官西岡清一郎 裁判官成瀬公博)

別紙(一)

別紙(一一)

林道椿井線の開設に係る県に対する国庫補助金等

(単位:千円)

施行

年度

事業費

備考

内訳

国庫補助金

県負担金

施行主体負担金

48

32,000

14,400

5,304

12,296

49

20,000

9,000

3,320

7,680

49

10,000

4,500

1,660

3,840

49年度繰延べ

50

15,000

6,750

2,490

5,760

77,000

34,650

12,774

29,576

注:国庫補助金及び県負担金には、県が指導監督に要する経費を

含むものである。

別紙(二)~(一〇)<省略>

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