大阪地方裁判所 昭和58年(ヨ)4648号 1985年1月21日
申請人
安松谷勉
右訴訟代理人弁護士
西博生
被申請人
合同企業株式会社
右代表者代表取締役
鄧津梁
右訴訟代理人弁護士
斎藤和雄
主文
申請人が被申請人に対し雇用契約上の権利を有すことを仮に定める。
被申請人は申請人に対し、昭和五八年一一月一一日から第一審本案判決言渡に至るまでの間毎月二五日限り月額金一八万三八三八円の割合による金員を仮に支払え。
申請人のその余の申請を却下する。
申請費用はこれを二分し、その一を申請人の負担とし、その余は被申請人の負担とする。
理由
第一当事者の求めた裁判
一 申請の趣旨
1 申請人が、被申請人に対し雇用契約上の権利を有すること、及び、被申請人の板橋営業所において勤務する義務のないことを仮に定める。
2 被申請人は申請人に対し、昭和五八年一一月以降本案判決確定に至るまでの間、毎月二五日限り金二三万四九三二円を仮に支払え。
二 申請の趣旨に対する答弁
申請人の本件申請をいずれも却下する。
第二当裁判所の判断
一 当事者間に争いのない事実
次の事実は当事者間に争いがない。
被申請人は、機械電気器具の輸出を主たる業務とする株式会社であり、東京に本社及び板橋営業所(従業員約一五名)、大阪に支店(従業員は申請人を含め三名)をそれぞれ有している。
申請人は昭和五五年一〇月三一日被申請人に雇用され、以来大阪支店において主としてベアリングのメーカーへの発注、海外への輸出業務に携ってきた。
被申請人は、申請人がゲスコエンタープライズ社(以下、ゲスコという。)に送付すべきサンプルを誤ってゼンベアコ・インターナショナル社(以下、ゼンベアコという。)に送付したとして、申請人に対し、昭和五八年七月一八日、右過誤を理由に同年八月二〇日限り解雇する旨の意思表示をした。
そこで申請人代理人弁護士西博生が同月四日被申請人に対し、右解雇を撤回するように申し入れたところ、被申請人は同月一七日申請人に対し、申請人が詫び状並びに裁判手続をとらないことを約する書面を差し入れることを条件として、解雇を撤回する旨伝えた。
申請人は被申請人に対し翌一八日右書面を入れ、同月二五日被申請人から解雇を撤回された。
ところが、被申請人は同年九月六日申請人に対し、同月二六日から本社に転勤し板橋営業所において勤務するように命じた(以下、本件配転命令という。)。
申請人が同月一三日被申請人代表者に会って配転の理由を尋ねたところ、被申請人代表者は、「事前の相談などいらない。理由など必要ない。」と答えた。
申請人は同年一〇月一日被申請人に対し、右配転命令を撤回して申請人が従来どおり大阪支店において勤務することを認めるように申し入れ、右命令に従うことを拒否した。
被申請人は申請人に対し、同月四日付書面をもって、本件配転命令違反を理由に就業規則に基づき同年一一月一〇日限り解雇する旨の意思表示(以下、本件解雇という。)をした。
二 申請人の過誤と本件配転命令に至るまでの経緯
右争いのない事実と疎明資料によれば、次の事実が一応認められる。
1 被申請人は、本社において自動車の音響製品、ベアリング、雑貨等の輸出業務を統括し、大阪支店においてベアリングの輸出等の業務を行い、板橋営業所において機械部品の在庫整理、搬入、出荷等の管理を行っている。
2 被申請人はゼンベアコに対し過去三〇年に亘ってベアリングを輸出しており、同社との間で、同社を米国における唯一の取引先に限定する旨の紳士協定を取り交わしていた。
しかるに、被申請人は、ゼンベアコからの注文が激減したために、密かに新たな取引先の獲得を企図し、同社と競争関係にあるゲスコに対し取引について折衝を始めた。
被申請人はゼンベアコとの間で右協定を取り交わしていたので、同社にゲスコとの取引の動向を察知されてはならなかった。そのため、被申請人は、申請人に対しても、ゲスコとの折衝にあたっては、慎重を期すように注意していた。
ところが、右の動向は、申請人が昭和五八年六月下旬ベアリングのサンプルをゲスコに送付すべきところ、誤ってゼンベアコに送付したことから、ゼンベアコの知るところとなった。
被申請人は、同年七月ゼンベアコから右協定違反の事態について説明を求められ、非難された。
被申請人はそのためゲスコとの取引を諦めざるを得ず、また、ゼンベアコの信頼も損って、同社との取引の交渉に際しても、往々にしてやや円滑さを欠くようになった。
3 申請人は、大阪支店長松崎の忠告により、被申請人代表者に対し、右サンプル誤送の件について謝罪したが、被申請人から昭和五八年七月一八日付書面をもって右過誤を理由に申請人を同年八月二〇日限り解雇する旨の意思表示を受けた。
申請人代理人弁護士西博生が同月四日被申請人に対し、右解雇を撤回するように申し入れるとともに、申請人自らが同月一六日被申請人代表者に面会して再度これを求めたところ、被申請人代表者は翌一七日申請人に対し、申請人において謝罪をし裁判手続をとらない旨の書面を差し入れることを条件として、右解雇の意思表示を撤回する旨の意向を示した。
そこで、申請人は翌一八日被申請人に対し右意向に添った書面を差し入れ、被申請人はこれを受けて申請人に対し同月二五日付書面をもって右解雇を撤回する旨の意思表示をした。
ところが、被申請人は申請人に対し、事前に申請人の意向を打診することなく、突如同年九月六日到達の同月五日付書面をもって、同月二六日から本社に転勤し板橋営業所において勤務するように命じた。
以上の事実が一応認められる。
三 本件配転命令の合理性
被申請人は、申請人に対し本件配転を命じた理由の一として、被申請人の信用を失墜させ、将来の取引に支障をきたしめた申請人のサンプル誤送の件について、申請人を懲戒する必要があったこと、その理由の二として、大阪支店における申請人と女性従業員後藤恵美子との確執により、職場の秩序維持に支障をきたしたため、申請人を配転してこれを解決する必要があったことを挙げて、本件配転命令には正当な理由があると主張する。
ところで、疎明資料によれば、申請人が被申請人との間で雇用契約を締結した当時、被申請人の就業規則には転勤についての規定もなく、また、当事者間において特にその可否についての取決めもされていないことが一応認められる。しかしながら、申請人は、当時被申請人の本社と営業所が東京にあったことから、東京への配転があり得ることを認識し、かつこれを容認していたこともまた疎明資料により窺われるところであるから、前記事情をもって本件雇用契約が配転を排除するものであるということはできず、被申請人は正当な理由があれば配転命令をなし得るというべきである。
そこで、被申請人の主張する本件配転の理由の前者について検討するに、疎明資料によれば、被申請人の就業規則には、「就業規則又は遵守すべき事項に違背したとき」(三二条一号)、「取扱上の不注意、怠慢、故意又は専断により当社に損害を蒙らしめたとき」(同条二号)、「その他不都合の行為があったとき」(同条七号)を懲戒事由とする規定があり、「懲戒の方法はその事の大小軽重により社長が決定する。」(三三条)との規定があることが一応認められるところ、申請人が被申請人から極力慎重に取扱うように命じられていたサンプルの送付先を不注意により間違うという失策をし、その結果重要な顧客であるゼンベアコの被申請人に対する信頼を損ったことは前項において認定したとおりであって、これは右の懲戒事由に一応該当するといえなくもない。
しかしながら、申請人の過誤により露顕したとはいえ、そもそも被申請人が申請人らに指示をした行為は、それ自体ゼンベアコとの協定に違反する背信的なものであるから、その露顕により被申請人が受けた無形の損害は、被申請人の責任において当然甘受しなければならないものであって、これを申請人の責任にのみ転嫁すべきものではない。また、申請人の過誤もそれ自体としては些程重大なものとは認められないし、被申請人が右過誤により特段の損害を被ったことを認めるに足りる疎明資料もない。
そうすると、かかる事情のもとにおいては、被申請人が申請人に対し右過誤のみを理由に懲戒処分として本件配転を命じたとすれば、それは社会通念に照らし苛酷に過ぎ懲戒権の濫用といわざるをえない。
そこで、被申請人の主張する後者の理由について検討するに、疎明資料によれば次の事実が一応認められる。
被申請人の大阪支店は、支店長の松崎、船積関係一切を取りしきる後藤、営業を担当する申請人の三名で構成されていた。
後藤は昭和四四年頃から大阪支店に勤務し、申請人は同五五年一〇月から勤務した。
ところが、申請人と後藤との仲は、申請人の入社後間もなく険悪な状態となり、互いに悪態をつき非協力的態度に終始した。そのため、被申請人は、大阪支店における業務の遂行に若干の支障をきたし、また、取引先からも異様な目で見られ、本社に対し大阪支店の人間関係について注意を喚起する旨の連絡が入るまでになっていた。
そして、後藤と申請人もまた、被申請人本社に対し大阪支店の状況について訴えることも少なからずあった。
そこで、大阪支店長松崎、専務取締役折田、営業部長村上らは、大阪支店の右状況を憂慮し、後藤と申請人のいずれか一名を配転させることをも含めて、解決策を検討していた。
ところで、板橋営業所は在庫管理、出入荷業務を担当していたものであるが、右営業所に配置された従業員三名のうち二名が海外出張中であったところから、その業務が時期によっては多忙を極めることがあり、臨時に従業員を雇用しなければならないこともあった。
以上の事実が一応認められる。
右認定の事実のもとでは、被申請人が後藤と申請人のいずれか一名を大阪支店から板橋営業所に配転することによって、いずれの問題についても一応の解決をすることができるものであるから、被申請人が本件配転をする業務上の必要があると判断したことは一応首肯できる。
次に、疎明資料によれば、後藤は年令五〇才代の独身女性で老母と共に暮らしており、また大阪支店における業務に精通し、同支店において欠くことのできない有能な人材であったこと、他方、申請人は当時独身であって、本件配転により申請人の生活に特段の支障が生じる虞れはなかったこと、また大阪支店における仕事の経験は些程なく、前記過誤を犯したり、必ずしも貿易手続に精通しているとはいい難いことが一応認められる。
したがって、板橋営業所において担当すべき業務の性質、申請人の勤務状況、生活状況等本件に表われた諸般の事情を考慮すると、被申請人が申請人に対し板橋営業所への配転を命じたことは、業務上の必要性、人選の合理性を一応具備するものとして首肯することができる。
もっとも、申請人は、本件配転命令が専ら申請人を解雇するための形式的理由を整える意図をもってなされたものであって、正当な理由がなく、配転命令権の濫用であると主張するところ、なるほど、本件配転命令が申請人の過誤を契機とし、これに接着した時期になされたことは否めないが、本件配転命令には前示のとおり一応の理由があり、これが申請人の主張するような意図をもってなされたことを窺わせるに足りる疎明資料はない。
そして、被申請人が申請人に対し、事前に本件配転命令に関してその意向を尋ねていないとしても、配転命令権を濫用したということはできない。
そうすると、本件配転命令は正当な理由があり、有効なものであるといわざるをえないので、申請人は板橋営業所において労務を提供しなければならない。
四 本件解雇の効力
被申請人の就業規則には、「就業規則又は遵守すべき事項に違背したとき」、「その他不都合の行為があったとき」、を懲戒事由とし、「懲戒の方法は、その事の大小軽重により社長が決定する。」旨の規定があることは前説示のとおりである。そして、疎明資料によれば、右就業規則には、「不都合の行為があったときは解職となる。」旨の規定があることが一応認められる。
そして、申請人は、本件配転命令を受けたにも拘らず、板橋営業所への赴任を拒否したのであるから、被申請人が、申請人の右行為について、右の懲戒事由に該当するとして本件解雇に及んだことには、全く理由がないわけではない。
ところで、申請人は右解雇が解雇権の濫用であると主張するところ、前記争いのない事実と疎明資料によれば、次の事実が一応認められる。
申請人は、本件配転命令を受けた後である昭和五八年九月一三日、被申請人代表者に面会して、本件配転の理由を尋ねたが、被申請人代表者は申請人に対し、「事前の相談などいらない。理由など必要ない。なぜ、社員にいちいち説明する必要があるのか。」と答えただけで、配転の必要性等について一切説明することを拒否した。
また、申請人は、営業部長村上から、申請人が担当すべき業務は外国への輸出品や機械部品の搬入、出荷、在庫品の管理であること、営業所には従業員三名が配置されているが、うち二名は海外に駐在しており、残る一名がいるにすぎないこと、当時営業所における業務は殆んど終わっていることを聞き知った。
そこで、申請人は、本件配転命令が、前記過誤に対する懲戒のために、また、被申請人が申請人を解雇するための口実を設けるために発せられたものであると疑って、本件配転命令に定められた期限である昭和五八年九月二六日になっても、板橋営業所に赴任しなかった。
被申請人は同月二七日付書面をもって申請人に対し、再度配転命令に従うことを命じ、右命令不遵守の場合には就業規則に従って処分をすることを通告した。
しかし、申請人は被申請人に対し同年一〇月一日付書面をもって、本件配転命令は前記過誤に対する報復的人事であるから承服し難いとして、大阪支店での勤務を求めた。
そこで、被申請人は同月四日付書面をもって、申請人に対し同年一一月一〇日限り解雇する旨の意思表示をした。
以上の事実が一応認められる。
右の事実と本件配転命令に至る前記認定の経緯に鑑みれば申請人が、本件配転命令は前記の過誤に対する報復であり、申請人を解雇するための口実を設けるためになされたものであるとの疑念を抱いたとしても、無理からぬものがあるところ、申請人が被申請人代表者に対しこれを率直に述べて配転の理由を尋ねたにも拘らず、被申請人代表者はこれを明らかにすることを頑に拒否し、申請人を本件配転命令に従わせるために尽すべき真摯な努力を怠ったといわざるを得ない。申請人はそのために最終的に本件配転命令を拒否したものであるから、これらの諸般の事情を考慮すると、配転命令拒否の責を申請人のみに帰せしめることは苛酷にすぎるものであって、被申請人が申請人の配転命令拒否の事実をもって本件解雇(実質は懲戒解雇であるが普通解雇とされた。)に及んだことは、社会通念に照らし著しく妥当性を欠くといわざるを得ない。
そうすると、本件解雇は解雇権を濫用した無効なものであるというべきである。
五 賃金請求権
本件配転命令は前説示のとおり有効であるところ、疎明資料によれば、申請人は本件配転命令後も大阪支店に労務の提供をしようとしたが、配転先である板橋営業所には労務の提供をしていないことが一応認められる。
しかしながら、申請人が配転先に労務の提供をしなかったのは、前記認定のとおりの事情によるものであるから、仮に、被申請人が配転の理由を説明して、申請人の疑念を取り除く努力をしていたならば、申請人は本件配転命令に従って配転先に労務を提供していたであろうと推認することができる。
そうすると、申請人が配転先に労務の提供をしなかったのは、専ら被申請人の責に帰すべき事由によるものであると一応いうことができるので、申請人は被申請人に対し賃金請求権を失わないということが相当である。
なお、疎明資料によれば、申請人は毎月二五日に賃金の支給を受けており、基本給と手当を加えた金額から、所得税と各種保険料を控除された残額である金一八万三八三八円を、本件解雇前三か月に亘って支給されていたこと、そして、これを生活費にあてていたことが一応認められる。
六 第二次解雇の効力
被申請人は、昭和五八年一〇月四日付の本件解雇が無効であるとしても、同五九年一〇月一七日到達の同月一五日付の準備書面をもって、申請人を次の事由により解雇する旨の意思表示をしたと主張する。即ち、大阪支店の業務は、松崎と後藤の二名で優に処理できているばかりでなく、申請人と後藤との衝突がなくなったため、職場の雰囲気も著しく改善されているので、万一申請人がなお大阪支店において勤務する地位にあるとしても、最早申請人を大阪支店に勤務させる必要はなくなったので解雇すると主張する。
しかしながら、前説示のとおり申請人に対する本件配転命令は有効なものであるから、申請人がなおも大阪支店に勤務することを前提とする第二次解雇の意思表示は、その前提を欠き、その余の点について判断するまでもなく理由がない。
七 保全の必要性
申請人は被申請人から支給される賃金を唯一の収入源として生計を維持している労働者であるが、昭和五八年一一月一一日以降被申請人から従業員としての地位を否定されて賃金の支給を受けておらず、また、現在家族も増えたために生活に困窮していることが、疎明資料により一応認められる。
したがって、本案判決を待っていては回復し難い損害を被る虞れがあると思料され、本件仮処分は、申請人の雇用契約上の権利を有することを仮に定め、かつ、昭和五八年一一月一一日以降第一審本案判決言渡に至るまで毎月二五日限り月額金一八万三八三八円の割合による賃金の仮払を求める限度において保全の必要性を具備するものというべきである。(なお、金員の支払については、第一審本案判決において申請人が勝訴した場合には仮執行宣言が付されるものであるから、終期を本案判決確定とする必要はないと思料する。)
八 結論
よって、申請人の本件仮処分申請は、申請人が被申請人に対し雇用契約上の権利を有する地位にあることを仮に定めることを求める部分と、昭和五八年一一月一一日以降第一審本案判決言渡に至るまでの間毎月二五日限り月額金一八万三八三八円の仮払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の申請は理由がなく、疎明に代る保証をもってこれを認容することも相当ではないから却下することとし、申請費用の負担につき民訴法八九条、九二条本分を適用して主文のとおり決定する。
(裁判官 上原理子)