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大阪地方裁判所 昭和58年(ワ)2148号 判決 1984年12月20日

原告

岩本正夫こと

李正夫

原告

岩本夢子こと

高夢子

右両名訴訟代理人

豊蔵利忠

被告

医療法人早石会

右代表者理事

早石誠

右訴訟代理人

小林淑人

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告岩本正夫こと李正夫に対し金一七〇〇万円及びうち金一六五〇万円に対する昭和五八年四月二九日から右支払ずみまで年五分の割合による金員を、同岩本夢子こと高夢子に対し金七〇〇万円及びこれに対する同日から右支払ずみまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文第一、第二項と同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告ら(以下おのおの原告正夫、原告夢子という。)は李泳哲(以下泳哲という。)の父母であり、被告は救急病院に指定され肩書地で早石病院(以下被告病院という。)を開設している。

2  交通事故の発生

泳哲(昭和四八年四月一日生まれ)は昭和五七年五月二六日午後四時五〇分ころ大阪市東成区東小橋二丁目九番一一号先路上を二輪自転車で東から西へ横断中、同所南方の交差点を西から北へ左折進行してきた寺嶋明運転の普通貨物自動車(大阪四六す一六二三号)に衝突されて転倒し、右側頭部打撲、右肘左下腿打撲兼擦過傷を受けた。

3  医療事故の発生

右交通事故後泳哲は直ちに被告病院に連れて行かれたが同院は簡単な検査と右肘、左下腿の外傷の手当をしただけでその他は異状がないとして帰宅させた。

しかし、泳哲は帰宅後病状が思わしくなくなつたので同日午後八時五分ころ同院に再来院し手当を受けたが、病状が甚しく悪化したため午後九時三〇分ころ大阪大学付属病院(以下阪大病院という。)特殊救急部に救急車で転医した。阪大病院では右前頭側頭後頭硬膜外血腫、右側頭硬膜下血腫、右側頭葉挫傷、右側頭骨骨折と診断され、血腫除去術、人工硬膜装着、左I・C・Pモニター装着術等が行われたが時期を失し、既に脳ヘルニアを起こしており治療の効なく、泳哲は同月二九日午前一時八分脳死に至り死亡した。

4  被告の責任原因(民法四一五条、七一五条一項)

被告並びに被告病院勤務医で泳哲の治療にあたつた医師早石雅宥及び同西敏夫(以下それぞれ早石医師、西医師という。)は、いずれも医療行為を行う者としてその当時の医学水準に従つて診断、治療を尽くすべき注意義務がある。

早石及び西医師は泳哲の前記受傷は交通事故によるものであることを知つており、また側頭骨の厚さは前頭骨、後頭骨に比べて約半分しかないので交通事故等により側頭部に打撲を受けた場合は骨折し脳内出血、硬膜下血腫、頭葉挫傷発症の危険が至つて大きいこと及び幼児は受傷後右症状が現れるのが大人よりも時間的に甚だ遅れることは医学上の通説である。したがつて、早石及び西医師としては、前記外傷の部位、受傷機転、受傷者の年齢などからしてレントゲン撮影を注意深く行うことはもとよりCTスキャン、脳波及び超音波診断装置などによる検査を行つて適切な加療をしまた自院で検査ができない場合は速やかに専門医に転医させ諸検査を受ける機会を与えるべきであつたのにこれを怠り、単に頭部の二方向からのレントゲン検査と神経学的なチェックを行つたのみでそれ以上適切な検査をなさず異状なしとして帰宅させたため、再来院後前記のような経過をたどつて泳哲を死亡するに至らせたのであつて、このような結果をもたらしたのは被告病院での早石及び西医師の診療上の注意義務に違反した過失によるものである。

したがつて、被告は、原告らとの診療契約に基づく診療義務違反の責任(民法四一五条)または早石及び西医師の使用者としての責任(同法七一五条一項)に基づき泳哲の死亡によつて生じた損害を賠償する義務がある。

5  損害

(一) 逸失利益 一三七六万四四三六円

(二) 葬儀費用(原告正夫) 四〇万円

(三) 慰藉料(泳哲) 一五〇〇万円 (原告ら) 各一〇〇〇万円

(四) 弁護士費用(原告正夫) 五〇万円

二  請求原因に対する認否及び被告の主張

1、2<省略>

3  同4(被告の責任原因)は争う。

泳哲は、初診時のレントゲン検査を含む諸検査によつても頭蓋内出血等の病変を疑わせる症状は見られず、右肘等の創処置と鎮痛剤投与のうえ、原告らに頭蓋内病変の出現の可能性を説明し容態が変化すればすぐ連絡するよう指示を与えて帰宅させた早石医師の措置は適切であつた。原告ら主張のCTスキャン、脳波、超音波診断等の検査は、本件のような場合には早石医師の行つた神経学的チェックに優るものではなく、原告ら主張の諸検査を行わなかつたことが診療上の過誤であるとはいえない。

また、泳哲の再来院の際にも直ちに経過観察のため入院させ、頭蓋内出血の疑われる症状が出現した後は直ちに阪大病院への転医措置をとつているのであつて、転医時期、転医に要した時間も当時の医療状況からみて速やかであつた。

したがつて、早石及び西医師の診療行為はいずれも適切であつて診療上の注意義務違反はなく、かつ泳哲の死亡との間に因果関係はない。<以下、省略>

理由

一請求原因1記載の事実は当事者間に争いがなく、<証拠>によると、請求原因2(交通事故の発生)記載の事実が認められ<る。>

二交通事故後の事実経過

泳哲が右交通事故後被告病院に連れて行かれて診療を受け一旦帰宅したが昭和五七年五月二六日午後八時五分ころに再来院し、阪大病院に転医し死亡した事実は当事者間に争いがなく、<証拠>及び鑑定人端和夫の鑑定の結果によると、次の事実が認められる。

1  泳哲は交通事故の加害者である寺嶋明と一緒に歩いて昭和五七年五月二六日午後五時二六分ころ被告病院に来院し、早石医師が診察にあたつた。同医師は整形外科を専門としているが、脳外科の経験も豊富であつた。同医師は寺嶋から交通事故の態様の概略及び泳哲の事故後の意識状態を聴取し、泳哲が事故後意識をなくしたことはなかつたことを確認した。泳哲は来院時には意識障害はなく、右側頭部に軽い圧痛があつたものの外見上は皮下出血、腫脹、挫創傷など外傷による変化は認められず、神経学的検査及びレントゲン(二方向)撮影によつても右交通事故による頭部打撲に起因する骨折線やその他の異常を疑わせるような結果は出なかつたし、早石医師としては、他にそれ以上の検査を必要とする所見もみられなかつたことから、脳波、超音波診断装置による検査をすることはなかつた。なお原告夢子から泳哲がこの日から二週間ないし一か月前に学校で友人と衝突し前額部打撲の傷害を受けたことがあるとの説明があり同部位に陥没骨折の跡がみられたが右交通事故による打撲とは部位が全く別で相互の影響もないと診断された。

早石医師は右各検査結果に基づき初診時の所見として、①右側頭部打撲(外傷なし)、②右肘、左下腿打撲兼擦過傷と診断し、右肘と左下腿の外傷に対する処置を行い消炎鎮痛剤を投与し、翌日再検査のため来院するよう、また頭部を打撲しているので帰宅後容態に変化を来たしたときはすぐ連絡するように泳哲及び被告病院に駆けつけ同伴していた原告らに指示して帰宅させた。被告病院ではこれまでも頭部外傷が明らかで意識障害や態度に異常のある者についてはコンピューター断層撮影法(以下CTスキャンという。)による検査を必要と認めており、当時被告病院にはCTスキャンの装置がなかつたので同院でこれによる検査が必要と診断された患者にはこの装置を備えている辻外科病院、大阪警察病院または大阪逓信病院に依頼して受検させてきており、月平均約三〇例の患者について右手続で検査させていた。しかし泳哲の場合は右のように外傷、意識障害その他の異常所見が認められなかつたので早石医師は初診時にCTスキャンによる検査までは必要でないと判断し、他院への検査の依頼もしなかつた。

2  同日午後七時三五分ころ原告ら方から被告病院に泳哲が頭痛を訴え嘔吐している旨の電話連絡があり、被告病院勤務で当直医の西医師は原告らにすぐ来院するよう指示し、このことを早石医師にも連絡した。西医師は昭和五六年五月三〇日に医師免許を取得したばかりで経験は浅かつたがこれまで主として一般外科を手がけてきており、被告病院では臨時に宿直のみを担当していた。

泳哲は原告らに付添われて午後八時五分ころ再来院した。西医師は脳振盪、脳浮腫など頭蓋内病変の発症を疑つて見当識障害の有無や計算能力の検査を含む神経学的検査を実施し診察を行つた。この時の症状は、意識障害・失見当識はなく四肢の動き、発語、眼動は良好で頭痛・嘔吐があるが瞳孔は正円で左右同大、対光反射迅速、右前頭部の腫脹はなく、神経学的にも異常はみられず、特に頭蓋内の著しい病変は認められなかつた。

西医師はさらに脳浮腫や頭蓋内血腫の有無の検査のためCTスキャンの検査を他院へ依頼したが夜間であつたため検査できるところはなかつた。同医師は泳哲の症状経過からみてさらに変化が認められなければCTスキャンの検査は翌日でもよいと考えたが、泳哲が受傷後の再来患者であることや病状の変化の可能性を考えて経過観察のため入院させることにし、泳哲に対して点滴等の措置を施した。

午後八時四〇分ころエレベーターで病室へ運ぶ途中泳哲は嘔吐し、病室到着後、頭痛を訴えて暴れ出した。西医師は脳浮腫の懸念もあり直ちに投薬したが、その間にも泳哲の容認は急激に変化し意識が消失した。

早石医師は、症状急変との電話連絡を受けて午後九時一〇分ころ病室に駆けつけたが、泳哲は意識消失、四肢を激しく動かす、眼球の右側への偏視、対光反射は右眼は非常に縮瞳して不明、左眼はかすかにあり、等の症状を呈していたので、早石医師は開頭術が必要と即座に判断し、直ちに阪大病院特殊救急部に対し所要の転送の連絡をとるとともに救急車の手配を依頼し同医師も同乗して被告病院を出発した。

3  泳哲は午後九時三七分ころ阪大病院特殊救急部に到着した。当時、意識は深昏睡状態、瞳孔不同、対光反射消失、四肢の運動は疼痛刺激で僅かに逃避反応を示す等の症状であつたが、午後一〇時三〇分には除脳硬直肢位、両側瞳孔散大、対光反射消失の状態を呈し、脳ヘルニア(鉤回ヘルニア)を起こしていると考えられた。

鉤回ヘルニアは意識の比較的清明な時期から急激に意識障害の状態に移行する特徴があり、通常は瞳孔不同が暫くの間先行するけれども短期間に意識障害に陥ることもあつて、泳哲の場合は後者に属し瞳孔不同が殆んど先行することなく意識障害に陥つたものとみられる。

頭部はレントゲン検査ではなお骨折を認めることができなかつたが、CTスキャン検査結果によると右側頭・頭頂の硬膜外及び硬膜下血腫と脳正中線の右から左への偏位を認めた。

翌二七日午前零時五〇分から開頭術を施行したところ、右前頭・側頭・後頭硬膜外血腫(約一五〇ミリリットル)、右側頭硬膜下血腫(約二〇ミリリットル)、右側頭葉挫傷、右側頭骨の線状骨折の所見が認められたので、血腫除去術、人工硬膜装着、右硬膜外ドレーン、左ICPモニター装着術を施行し、午前二時五〇分手術を終了した。右側頭骨線状骨折は開頭時に初めて発見できたものである。

泳哲は術前より機械的人工呼吸下にあり、術後は脳圧降下のため高張ナトリウム輸液、バルビタール療法が行われたが、意識状態の改善をみることなく、同年五月二九日午前一時八分頭蓋内出血による脳挫傷により死亡した。

以上の事実が認めらる<証拠判断略>。

三被告の責任原因について

1 被告病院に勤務する早石医師及び西医師には、外科の専門医として、その有する専門医学上の知識と技術を駆使して泳哲の受傷、特に右側頭部打撲の程度、内容、性質を検査診断し、また適切な経過観察の下に治療を施すべき義務があることはいうまでもない。もつとも、医師は診療時の一般的な医学・医療水準に従い患者の病歴・臨床所見等に対応して検査方法及び治療手段の取捨選択を行うものであるから、医師のかかる専門的判断の当否については、診療時において一般に是認された医学・医療の水準に準拠し、当該診療の経過における患者の症状発現の程度と検査手段との関連において合理的と認められる場合には、医師の診療行為について義務違反(過失)はないと解するのが相当である。

そこで、以下ではかかる観点から、本件における早石医師及び西医師の診療行為上の義務違反の有無について検討する。なお、早石医師及び西医師の右義務は、診療契約上の債務の内容ととらえても、不法行為の成立要件である過失の前提としての義務ととらえてもその実体となる規範は同一のものと考えられるから、以下ではこの点を区別して検討することはしない。

2  初診時の診療行為

(一)  原告らは、早石医師がレントゲン撮影による検査を行うについては角度を変えて少なくとも三方向以上から撮影すべきであつて初診時に二枚撮影したにすぎなかつたのは検査として不十分であると主張するので検討する。

<書証>(大阪大学教授特殊救急部部長恩地裕監修・同大学講師同部副部長編集『外傷外科学』医歯薬出版株式会社・昭和四八年発行の一部中二五九頁)によると、X線診断の項で「頭部単純撮影は、救急の治療を急ぐ場合であつても、最低三方向(前後方向、両側面)の写真を得ることが望ましい。」旨の記述がみられ、また、前記認定のとおり泳哲は交通事故により右側頭部の線状骨折を負つていたのに、早石医師による初診時のレントゲン撮影による検査ではこれを発見することができなかつたのであるが、他方、証人端和夫の証言及び鑑定人端和夫の鑑定の結果によると、昭和五七年当時においてはレントゲン検査による骨折線の発見はCTスキャンによる確定診断を行うことを前提とする限りにおいては嘗てのような(前記甲第五号証はCTスキャン普及前の昭和四八年のものである。)重要性を減じており(これによれば、甲第五号証の最低三方向の撮影が望ましい旨の記述も、頭部線状骨折を発見するためのひとつの指標であり、絶対的に遵守されなければならないものでもないことが窺われる。)またたとえ線状骨折があつたとしても病歴や臨床所見の上で血腫を疑わせるに足りる異常所見が認められない場合は硬膜外血腫の発生頻度は低いことが認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。これらの知見に前記認定のとおり泳哲には頭部打撲による外傷及び頭蓋内の病変を疑わせるに足りる所見がなかつたこと、及び同人の右側頭部の骨折は後刻阪大病院のレントゲン検査でも発見できず開頭の結果初めて明らかになつたものであること(このことは、仮に早石医師が三方向以上で撮影していても、果たして右骨折を発見できたかどうか明らかでなく、少なくともこれを発見する可能性は高くはなかつたことを窺わせるに足りるものである。)、並びに被告病院としては他院への依頼によるCTスキャソによる検査の態勢を一応整えていたことを併せ考えると、初診時の早石医師の本件レントゲン検査が不適切であつたとは認めることができず、他にこの認定を左右するに足りる証拠はない。

(二)  次に、原告らは、被告病院がCTスキャンの検査をするかまたは右検査のため近医へ転送すべきであつたと主張する。

外科医である早石医師としては、受傷原因が何であれ、問診、症状の観察、検査等により受傷機転の把握に努めるべきであることはいうまでもないが、特に交通外傷であるというだけの理由で当然にあらゆる検査をすべきであるということにはならないこともまた自明である。

前記のように、泳哲は受傷時から初診時まで意識障害がなく、初診時の全身状態の検査並びに受傷の態様から考えて慎重を期するために行つた神経学的検査及びレントゲン検査の結果等からみてこの段階では右側頭部の外傷及び頭蓋内の病変は何ら認められなかつたのであるし、このこと及び被告病院におけるCTスキャン検査のための転医の実績に照らすと、外傷及び意識障害の認められない泳哲のような患者についてまで右転送をしなければならないとすることは病院の検査能力及び放射線被曝の問題との較量上必ずしも現実的であるとは認められず、したがつて、主観的にはもとより客観的にも早石医師にこれを期待することはできないから、初診の段階でCTスキャンによる検査及びそのための転医を行わなかつたからといつて、これを早石医師の診断方法選択の誤りであるということはできない。さらに、原告らの主張中に、被告病院は救急病院として相応の設備であるCTスキャンの装置を備えつけておくべきでありCTスキャン不設置それ自体が義務違反となるという主張を含むとしても、右のような義務があつたというためには、本件診療当時に救急病院である一般市中病院においてCTスキャンが設置されるべき装置として当然視されていたことが前提となるが、本件全証拠によるもこれを認めるに足りる証拠はないし、前記認定事実によれば、被告病院としては他院へ依頼してCTスキャソによる検査を可能にする態勢を一応整えていたのであるから、結局右主張も理由がない。

(三)  さらに原告らは、脳波及び超音波診断の不実施が検査不十分にあたると主張するが、証人端和夫の証言及び鑑定人端和夫の鑑定の結果によると、頭部外傷急性期における検査方法としては、脳波検査は診断及び治療的価値が殆んどないし、超音波診断は神経学的検査等の臨床的診断に優るものでなく必須の検査ではないことが認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はなく、これによれば原告らの右主張も理由がない。

また、早石医師が原告ら及び泳哲に前記指示を与えて帰宅させたことは、右指示自体むしろ適切なものであつたといえるし、前記認定の初診時の泳哲の臨床症状及び被告病院と原告ら方との場所的近接性に照らすと、泳哲に対し即時入院措置をとらず一旦帰宅させたことも医師としての裁量を誤つたものということはできない。

(四) 以上を要するに、前記認定のとおりの泳哲の受傷時から初診時までの意識状態及び診察レントゲン検査等からみてもこの段階では右側頭部の外傷及び頭蓋内の病変は何ら認められなかつたという臨床症状に照らすと、早石医師の初診時の検査方法の選択及び実施は不相当ないし不合理なものではなかつたというべきであり、他に同医師の初診時の診療行為における過誤を認めるべき証拠はないから、結局早石医師の初診時の本件診療行為及び患者に対する指示に義務違反があつたものということはできない。

3  再来時の診療行為

(一)  <証拠>によると、昭和五七年当時市中病院の一般勤務医には脳ヘルニアの症状としては瞳孔不同、意識障害、運動麻痺等が併列的な知識として知られていたのが実態であり、それ以上の脳神経外科の専門知識(殊に側頭部には硬膜外血腫が発生することが多くそれに伴う脳ヘルニアも鉤回ヘルニアの形をとることが多いこと、鉤回ヘルニアの一般的臨床症状の経過及びこの場合は意識障害または瞳孔不同が出現した直後から迅速な対応を開始しなければならず意識障害が明瞭となつてからでは救命の可能性は時間の経過とともに急速に減少すること等の知識)を期待するのは過大な期待であること、及び前記認定の阪大病院到着後の経過によると、同病院で現に手術が行われたのは転送後三時間以上で除脳強直、両側瞳孔散大、対光反射消失の状態を呈してからも二時間以上を経過して後のことであつたが、泳哲のような急速な増悪を示す症例の救命には手術を担当する施設の迅速な対応が不可欠であり、本件の場合も同病院への到着後一時間内外の間に手術が行われておれば救命の可能性は死亡のそれを凌いだであろうことが認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(二)  以上の事実をもとに泳哲の再来時の早石医師及び西医師の診療行為の適否について判断する。

前記認定のとおり泳哲は再来時には頭痛、嘔吐の症状が発現していたから、頭蓋内血腫の存在の可能性があり、西医師としてはCTスキャンによる診断をさせる必要があつた。しかもその後入院直後に頭痛の増強、嘔吐の持続、強度の体動という不穏状態が発現した時点では頭蓋内血腫の存在の可能性はさらに高くなつたものというべきであるから、この時点では専門施設への迅速な転送措置を講ずべきであつたといわねばならない。

しかし、被告病院にはCTスキャンの設備がなく、また近医への検査の依頼を行つたものの時間外のため実施が困難であつたこと、再来院直後の時点では見当識障害や意識障害及び瞳孔・運動系の異常所見が発見されなかつたことからすると、右時点で入院と経過観察の措置をとつたにすぎなかつたことは右段階の措置としてやむをえなかつたものと認められ、これをもつて直ちに診療上の過誤ということはできない。

そこで、入院措置をとつた直後の不穏状態の発現後早石医師来院時までの間の約三〇分間にもなお経過観察のまま推移し直ちに転送の措置をとらなかつたことをもつて対応の遅れがあつたといえるかどうかについて検討する。

鑑定人端和夫の鑑定の結果によれば、入院後不穏状態が発現した時点においてもなお経過観察の方針が続けられたことは必ずしも適切であつたとはいえないことが認められるものの、右に認定した昭和五七年当時の一般市中病院の医療水準・知識、被告病院におけるCTスキャンによる検査を行うについての制約、及びたとえ再来時に他院でのCTスキャンの検査が実施できたとしても頭蓋内血腫の発見と手術可能な病院への転送に要したとみられる時間(鑑定人端和夫の鑑定結果によると少なくとも一時間以上を要したと認められる。)と対比して考えると、被告病院では泳哲の不穏状態の発現後約三〇分後には転送措置をとることに踏みきりその準備手続が開始され、不穏状態の発現から約一時間後、再来時からみても約一時間三〇分後には阪大病院に到着し転送が完了しているのであるから、西医師及び早石医師の行つた転送措置の決定とその実施は時間的にみて適切なものであつたというべきであり、前記経過観察の続行による転院開始に幾分の遅れがあつたとしても再来時以降の診療行為を全体として評価するうえでこの点のみをとらえて診療上の過誤があつたとまでは判断できないというべきである。

したがつて、早石医師及び西医師の再来時の本件診療行為及び対応に義務違反があつたものということはできない。

4  したがつて、以上いずれにしても早石、西両医師の過失及び被告病院の診療契約上の債務不履行を認めることはできず、他に被告の責任原因を肯定すべき事実を認めるに足りる証拠はない。<以下、省略>

(吉田秀文 加藤新太郎 五十嵐常之)

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