大阪地方裁判所 昭和58年(ワ)3386号 判決 1986年1月31日
原告(反訴被告) 岡地株式会社
右代表者代表取締役 岡地中道
右訴訟代理人弁護士 朝山善成
被告(反訴原告) 水田勇雄こと 李順基
右訴訟代理人弁護士 上坂明
右同 谷野哲夫
右同 水島昇
右同 黒田健一
主文
一、被告(反訴原告)は、原告(反訴被告)に対し、金一八二七万七二〇〇円及びこれに対する昭和五六年一〇月一日から支払い済みに至るまで年二割の割合による金員を支払え。
二、反訴原告(被告)の請求をいずれも棄却する。
三、訴訟費用は、本訴反訴を通じ、被告(反訴原告)の負担とする。
四、この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実
第一、当事者の求めた裁判
一、本訴請求の趣旨
1.(主位的)
主文第一項同旨
(予備的)
被告(反訴原告)は、原告(反訴被告)に対し、一八二七万七二〇〇円及びこれに対する昭和五六年一月二九日から支払い済みに至るまで年六分の割合による金員を支払え。
2. 訴訟費用は、被告(反訴原告)の負担とする。
3. 仮執行宣言
二、右請求の趣旨に対する答弁
1. 原告(反訴被告)の請求をいずれも棄却する。
2. 訴訟費用は、原告(反訴被告)の負担とする。
三、反訴請求の趣旨
1. 反訴被告(原告)は、反訴原告(被告)に対し、八二七〇万円及びこれに対する昭和五九年五月二九日から支払い済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2. 訴訟費用は、反訴被告(原告)の負担とする。
3. 仮執行宣言
四、右請求の趣旨に対する答弁
1. 主文第二項同旨
2. 訴訟費用は、反訴原告(被告)の負担とする。
第二、当事者の主張
一、本訴請求原因
1. 原告(反訴被告。以下、単に「原告会社」という。)は、商品の清算取引及びその取次を業とする株式会社である。
2. 原告会社は、被告(反訴原告。以下、単に「被告」という。)から、昭和五五年五月二三日以降同五六年一月二八日までの間、別表(1)ないし(6)記載のとおり、大阪小豆、大阪輸入大豆、大阪精糖、豊橋乾繭及び神戸ゴムの先物取引の取次委託を受け、これを取次いだ。
3.(一) 被告の右先物取引は、途中から、相場の変動によって損計算となり、かつ、その損計算額が委託本証拠金(以下、「本証」という。)の半額相当額を超えることとなるものが増えたため、被告は、原告会社に対し、商品取引所法及び受託契約準則に従い、委託追証拠金(以下、「追証」という。)を支払わねばならなくなった。
(二) そこで、被告は、原告会社に対し、昭和五五年一一月初旬ころ、追証は後日穴埋めするからとりあえず追証を差し入れないまま取次を継続してほしい旨申し入れ、同月一〇日、次のとおり約定した(以下、「本件特約」という。)。
(1) 被告は、原告会社に対し、同月八日現在の帖尻差金(決済が終了した取引の損益を差し引き計算した結果)が三〇二一万五〇〇〇円の損で、値洗差金(未決済建玉を計算時点で反対売買して決済したものと仮定して損益を計算した結果)が七四二八万五一〇〇円の損であり、支払い済み証拠金の総額が八二四〇万円であること、したがって、これらを差し引き計算すると、二二一〇万〇一〇〇円の不足金が生じていることを確認する。
(2) 被告は、原告会社に対し、右帖尻損金三〇二一万五〇〇〇円を、昭和五六年六月三〇日限り支払う。
(3) 被告が右(2)の支払いを遅滞したときは、被告は、原告に対し、右金額に同日から支払い済みに至るまで年二割の割合による遅延損害金を加算した金額を支払い、かつ、その担保として、岡山県土房郡賀陽町所在の山林一筆を提供する。
(4) 被告は、今後の取引ないし相場の変動により不足金が三〇〇〇万円を超過したときは、原告会社に対し、翌営業日正午限り右超過額を支払う。
(5) 被告が右(4)の支払いを遅滞したときは、原告会社は、被告に通告することなく、後場で建玉全部を反対売買することができる。
(三) 原告会社は、右特約が成立したので、追証未入金のまま被告の先物取引の取次委託に応じることに同意した。
4. 原告会社は、右同意に基づき、昭和五六年一月二八日まで、追証未入金のまま被告の先物取引の取次委託に応じ、不足金は原告会社で立替えて被告のため取引を続けたが、その結果、被告の前記2.記載の先物取引は、最終的に、大阪小豆で七四二五万円、大阪精糖で九三六万六〇〇〇円、豊橋乾繭で三五一万八一〇〇円、神戸ゴムで一三八三万五六〇〇円の各損失、大阪輸入大豆で二九万二五〇〇円の利益となり、差引き合計一億〇〇六七万七二〇〇円の損失となった。
5. 右損失に、前記3.(二)(1)のとおり被告から受領していた証拠金八二四〇万円を差し引き計算するも、なお一八二七万七二〇〇円の不足金(損金)が生じ、取引終了日である昭和五六年一月二八日の時点で、原告会社は右不足額を立替払いした。
6. 原告会社は、同年七月一日、被告が右立替金一八二七万七二〇〇円の支払いを同年九月三〇日まで猶予してほしい旨求めたので、これに応じた。
よって、原告会社は、被告に対し、主位的に、本件取次委託契約に基づき、立替金(損金)一八二七万七二〇〇円及びこれに対する弁済期の翌日である昭和五六年一〇月一日から支払い済みに至るまで本件特約による年二割の割合による約定遅延損害金の支払いを、予備的に、右立替金一八二七万七二〇〇円及びこれに対する弁済期の翌日である昭和五六年一月二九日から支払い済みに至るまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
二、右請求原因に対する認否
1. 右請求原因1.の事実は認める。
2. 同2.のうち、被告が、原告会社に対し、昭和五五年五月二三日から同五六年一月二八日までの間、大阪小豆、大阪輸入大豆、大阪精糖、豊橋乾繭及び神戸ゴムの先物取引の取次委託をしたことは認め、その余の事実は否認する。
右取引の具体的内容は後記三1.のとおりである。
3. 同3.について、(一)の事実は認め、(二)のうち本件特約の締結は認めるが、前段の事実は否認し、(三)の事実は認める。
被告は、原告会社の外務員岡辺長年、同大阪支店長土井喜雄及び同支店次長であった水野康義から、本件特約の締結を強く要求され、かつ、当時は未だ原告会社や岡辺を信頼していたうえ、取引を継続していたことから、右要求を拒絶すると原告会社の心証を害して右取引に悪影響を及ぼすのではないかとおそれたため、本件特約の締結に応じたのである。
4. 同4.のうち、原告会社が、昭和五六年一月二八日まで、追証未入金のまま被告の先物取引の取次委託に応じたことは認め、原告会社が不足金を立替えて取引を続けたことは知らず、その余の事実は否認する。
5. 同5.の主張は争う。
6. 同6.のうち、原告会社と被告が、昭和五六年七月一日、被告が原告会社に対し一八二七万七二〇〇円を同年九月三〇日限り支払い、原告会社は同日まで右金員の支払いを猶予する旨合意したこと(以下、「本件猶予合意」という。)は認め、その余の事実は否認する。
被告が右合意をなした事情も、本件特約締結の事情(前記3.)と同様である。
三、本訴抗弁ないし反訴請求原因
1. 被告は、原告会社に対し、昭和五五年五月二三日以降同五六年一月二八日までの間、別紙付表ⅠないしⅡ記載のとおり、大阪小豆、大阪輸入大豆、大阪精糖、豊橋乾繭及び神戸ゴムの先物取引の取次を委託し、同五五年五月二三日から同年九月九日までの間、別紙預け入れ委託証拠金・追証拠金明細書記載のとおり、合計八二七〇万円を交付した。
2. 詐欺ないし公序良俗違反
(一) 被告は、昭和五五年二月ころから同年五月ころまで、北辰商品株式会社に対し、先物取引の取次を委託したが、右取引は、約二〇〇〇万円の損失を出して終了した。
(二) そこで、被告は、同月中旬ころ、原告会社に対し、自己が右取引において約二〇〇〇万円の損害を被ったこと、自分は先物取引については全く無知であるので信用のおける外務員に依頼してなんとか右損害を取り戻したいと思っていること、右損害を必ず取り戻してくれるのであれば原告会社に委託したいことを述べたところ、原告会社の外務員である岡辺は、「二〇〇〇万円の損失は責任をもって取り返す。是非委せてくれ。」などと述べ、原告会社に委託すれば必ず儲かるかの如く装った。
(三) 被告は、それまで前記(一)の取引以外には先物取引の経験がなく、したがって、先物取引に関する充分な知識も持ちあわせていなかったうえ、原告会社が先物取引業界で一、二を争う大手であると聞いていたことから、岡辺の言を信用し、前記1.のとおり、原告会社に先物取引の取次委託をなし、合計八二七〇万円を交付した。
(四) そうすると、原告会社は、先物取引においては必ず儲かるということは無いにもかかわらず、これあるように装って被告を誤信させ、よって、同人をして前記取次委託をなさしめたものであるから、右所為は詐欺に該当するものというべきである。
(五) 被告は、原告会社に対し、昭和五九年五月二八日到達の反訴状により、右取次委託契約を取り消す旨の意思表示をした。
(六) 仮に、右原告会社の所為が詐欺にあたらないとしても、同所為は商品取引所法などに違反するものである。先物取引に関する知識・経験に乏しい者が、勧誘者から利益の断定的判断の提供を受けた場合に、不用意にもこれを誤信することは、世上しばしば生ずる事であり、それゆえ、法も明文をもって、かかる不当勧誘行為を禁じているのである。してみると、右原告会社の所為は公序良俗に反するものというべきであって、かかる所為に基づき締結された前記取次委託契約は無効というべきである。
3. 信義則違反、債務不履行ないし不法行為
(一) 商品取引員は、委託者に先物取引を行うに足るだけの専門的知識が備っているや否やを確認し、不充分であると判断したときは、充分な説明を加えて委託者が独力で売買の判断ができるようにすべき義務があるというべきである。しかるに、原告会社の外務員である岡辺は、右義務を怠り、被告に対し、先物取引の仕組について充分な説明をなさなかったばかりか、かえって、前記2.(二)のとおりの不当勧誘行為を行って被告を取引に引き込み、さらに、具体的に取引を行うにあたっても、形式的には電話を架けて被告の指示を受けた形態をとったものの、架電時間も極く短かいもので、被告が専門的知識に乏しいことを知りながら、平易かつ詳細な説明を行うことなく、一方的に、あれを買う、これを売ると述べ、被告の実質的な指示に基づかない、いわゆる実質一任売買を行った。
(二) 商品取引員は、商品取引所法などにより、追証徴収の必要が生じた場合には、翌営業日正午までに右徴収を終えねばならないものとされている。しかるに、原告会社は、昭和五五年一一月ころ、被告が追証を支払うことができなくなった後も、追証を徴収しないまま取引を継続した。
(三) 外務員は、取引所の定款により、顧客との間でみだりに金銭の貸借をしてはならないものとされている。しかるに、岡辺は、昭和五六年七月一六日、被告から三〇万円を借り受けたばかりか、その後も被告に借金を申し込み、また、多数回に亘り飲食の饗応を申し込んでこれを受けるなど、前記定款の趣旨である委託者保護の精神に反する行為をなした。
(四) 岡辺は、前記(一)のとおり、被告の実質的指示に基づかない売買を行ったのであるが、その途中である昭和五五年七月から同年九月にかけて、被告の利益を考慮することなく、手数料収入の増大を図るために、別紙付表ⅠないしⅡ記載のとおり、異常ともいうべき反覆売買を行い、その結果、合計で一億円を超過する損失を被告に被らせる一方、原告会社の手数料として合計七〇八万九四〇〇円を取得した。
(五) 原告会社の以上の各所為は、委託者である被告の保護を全く無視したものであるから、これらの所為を重ねながら本訴請求に及ぶことは信義則に反するばかりか、右所為自体債務不履行及び不法行為を構成するものというべきである。
(六) 被告は、原告会社に対し、昭和五九年五月二八日到達の反訴状により、前記1.の取次委託契約を解除する旨の意思表示をした。
よって、本件取次委託契約は効力を有しないから本訴請求は失当である。かえって、被告は、反訴をもって、原告会社に対し、主位的に不当利得返還請求権に基づき、予備的に契約解除による原状回復請求権又は不法行為による損害賠償請求権に基づき、八二七〇万円及びこれに対する弁済期を経過した後である昭和五九年五月二九日から支払い済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
四、本訴抗弁ないし反訴請求原因に対する認否
1. 右1.のうち、原告会社が、被告から、昭和五五年五月二三日以降同五六年一月二八日までの間、大阪小豆、大阪輸入大豆、大阪精糖、豊橋乾繭及び神戸ゴムの先物取引の取次委託を受け、右期間内に委託証拠金として合計八二四〇万円を受領したことは認め、その余の事実は否認する。
取引の具体的内容は前記一2.のとおりである。
2. 同2.について、(一)の事実は知らず、(二)及び(三)の事実は否認し、(四)及び(六)の主張は争う。
3. 同3.について、(一)の事実は否認し、(二)の事実は認め、(三)の事実は知らず、(四)の事実は否認し、(五)の主張は争う。
原告会社が追証を徴収しないまま取次委託に応じたのは、前記一3.のとおり、被告が、追証は後日穴埋めするからとりあえず追証を差し入れないまま取次を継続してほしい旨懇請したためである。
また、被告は、本件特約や本件猶予合意を締結した際には、既に原告会社から売買報告書等を受領していたにもかかわらず、原告会社に対し、不満や異議は一切述べていなかったのであり、原告会社が本訴を提起した後になって突如かかる主張をなすに至ったものであるから、右主張事実は何ら裏付けのあるものでなく、その失当たることは明白というべきである。
第三、証拠<省略>
理由
一、本訴請求原因2.及び本訴抗弁ないし反訴請求原因1.の事実(原・被告間の取引内容)について
1. 右事実のうち、原告会社が、被告から、昭和五五年五月二三日以降同五六年一月二八日までの間、大阪小豆、大阪輸入大豆、大阪精糖、豊橋乾繭及び神戸ゴムの先物取引の取次委託を受けたこと(以下、「本件取引」という。)は当事者間に争いがない。
2. いずれも成立に争いのない甲第一号証の一ないし五、第二号証の一ないし九、第三及び第四号証の各一ないし七、第五号証の一ないし六及び第六号証の一ないし一五(いずれも委託者別先物取引勘定元帳)、被告本人尋問の結果により成立を認める乙第一号証の一ないし三、五、六、八、一〇及び一一並びに第三号証の一(いずれも被告作成の売買元帳)(一部)、証人水野康義及び同岡辺長年の各証言、被告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、本件取引の具体的内容は別表(1)ないし(6)記載のとおりであって、原告会社は、これを現実に取次いだことが認められ、右乙号各証中、右認定に反する部分は、反対売買がなされた日時等の記載のないものが相当含まれているなど、右甲号各証と対比すると、その正確性には相当疑問があることから、たやすく措信し難く、他に、右認定に反する証拠はない。
3. 被告は、右取引に関し、原告会社に、委託証拠金として合計八二七〇万円を交付したと主張する(本訴抗弁ないし反訴請求原因1.)ところ、このうち、合計八二四〇万円の授受については当事者間に争いがない。
そこで、その余の三〇万円について検討するに、成立に争いのない甲第一〇号証の一ないし六(いずれも委託者別委託証拠金現在高帳)並びに被告本人尋問の結果により成立を認める乙第一号証の七、九、一三、一六ないし一八及び第三号証の二(いずれも被告作成の預け入れ委託証拠金明細表)を総合すると、被告は、原告会社に対し、別紙預け入れ委託証拠金・追証拠金明細表記載のとおり、合計八二七〇万円を預け入れたことが認められるが、他方、右甲第一〇号証の三及び成立に争いのない甲第七号証(本件特約書)によれば、被告が大阪精糖の取引に関し昭和五五年七月二六日に預け入れた証拠金三〇万円は、同月三〇日に原告会社から被告に返還されていることが認められ(右認定に反する証拠はない。)、原告会社は右返還の事実を当然の前提として、自己が預った委託証拠金の総額が八二四〇万円であると主張するものと解されるから、結局、被告が原告会社に交付した委託証拠金の総額が八二四〇万円を上廻るとの事実は、これを認めることができないというほかない。
二、本訴請求原因3.(二)のうち本件特約の締結、同3.(三)及び4.のうち原告会社が昭和五六年一月二八日まで追証未入金のまま被告の先物取引の取次委託に応じたこと及び同6.のうち本件猶予合意の事実は当事者間に争いがなく、右当事者間に争いがない事実に、前記一に認定した取引内容をあわせ考察すると、原告会社は、被告の本件先物取引における最終的な損金一億〇〇六七万七二〇〇円から支払い済み委託証拠金総額八二四〇万円を差し引いた残額である一八二七万七二〇〇円の不足金を被告のために立替えたことが推認できる。そして、右立替金は、本件特約にいう帖尻損金に相当するものということができる。
してみると、被告は、原告会社に対し、本件取次委託契約に基づき、右立替金一八二七万七二〇〇円とこれに対する弁済期の翌日である昭和五六年一〇月一日以降支払い済みに至るまで本件特約に基づく年二割の割合による約定遅延損害金を支払うべき義務があるものというべきである。
三、本訴抗弁ないし反訴請求原因2.(詐欺ないし公序良俗違反)について
被告は、原告会社の外務員である岡辺が、被告を勧誘するに際し、利益の断定的判断の提供をなしたと主張する(右2.(二))ところ、被告本人尋問の結果中には、右主張に沿う供述部分がある。
しかしながら、前記一に認定した事実に、前掲水野及び岡辺の各証言、被告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、本件取引は、途中から相場の変動によって損計算となり、かつ、その損計算額が本証の半額相当額を超えるものが増えたため、被告は、原告会社に対し、商品取引所法及び受託契約準則に従い、追証を支払わねばならなくなった(本訴請求原因3.(一)、この事実は当事者間に争いがない。)が、その際、被告は、相場の今後の変動について不安をかきたてられ、岡辺に対し、その点に関する説明を求めはしたものの、話が違うなどと異議を述べたりせず、むしろ、昭和五五年九月九日まで原告会社の要求に従い追証を預け入れていること、その後、被告は、資金不足から追証の入金が困難となり、同年一一月初旬ころからは、追証の支払いをめぐって原告会社大阪支店長の土井や同管理部長の水野などとも折衝をするようになり、同月一〇日には本件特約を締結するに至っている(本件特約の締結は当事者間に争いがない)が、その際、被告は、土井や水野に対しても、岡辺が利益の断定的判断の提供をしていたのに約束が違うなどと異議を述べるなどしたことがなかったこと、の各事実が認められ(右認定を左右する証拠はない。)、これら事実及び岡辺証言に照らすと、被告の前記供述部分はたやすく措信し難く、他に右主張事実を認めるに足る証拠はない。
かえって、岡辺証言及び被告本人尋問の結果を総合すると、被告は、本件取引を行う以前にも、北辰商品に委託して、昭和五五年一月初旬ころから同年五月初旬ころまでの間、約四ケ月に亘り、同社の外務員の助言を信頼して商品先物取引を行ったが、その結果、約二〇〇〇万円の損失を被ったことが認められ、そうすると、被告は、本件取引を始める以前に、既に、先物取引が大きな危険性を伴う取引であり、専門家たる外務員の相場予想でも大きくはずれることもあることを熟知していたものというべきである。
してみると、本訴抗弁ないし反訴請求原因2.は、その余の点の判断に及ぶまでもなく、失当といわざるをえない。
四、本訴抗弁ないし反訴請求原因3.(信義則違反、債務不履行ないし不法行為)について
1. 右主張事実(一)のうち、岡辺が、被告を勧誘するに際し、利益の断定的判断を提供したとの事実が認めるに足りないことは、前記三に認定したとおりである。
2. 被告の岡辺に対する具体的取引の委託の仕方がどのようなものであったかをみてみるに、前記一2.に認定した事実に、いずれも弁論の全趣旨により成立を認める乙第九ないし第一六号証の各一、二及び四並びに第一八号証の一ないし四、水野及び岡辺の各証言、被告本人尋問の結果(一部)並びに弁論の全趣旨を総合すると、
(一) 本件取引は、昭和五五年五月二三日、大阪精糖から始ったが、右取引を開始するにあたり、岡辺は、大阪精糖の値が、同年四月以来ほぼ一本調子で上げ続けていたことなどから、そろそろ反落する頃合いではないかと考え、被告に対し、同年五月二〇日ころ、資料を示しながら右相場予想を述べ、大阪精糖の売りから取引を開始してはどうかと勧めたところ、被告も、この意見に賛成し、頃合いを見計って仕掛けてくれと依頼したこと、
(二) 被告は、大阪精糖に次いで、神戸ゴム、大阪輸入大豆、大阪小豆、豊橋乾繭の順で取引に入っていったが、右各取引に着手するに際しても、被告と岡辺との間で、大阪精糖を開始したときと同様のやりとりが行われたこと、
(三) 岡辺は、本件の各銘柄の商品について、被告から具体的に建玉なり手仕舞の依頼をうけるにあたっては、取引場の立会時間ごとに被告宛に架電し、右立会における値動きの状況をはじめ、売買を行うための判断材料を説明するとともに、あわせて、自己の相場予想とこれに基づく建玉なり手仕舞に関する意見を述べ、右意見に従って売買してはどうかと勧めたこと、これに対し、被告は、本件取引を始めるまで四ケ月程度の取引経験はあったものの、これだけでは自己の相場見通し能力に自信を持てなかったので、専門家たる岡辺の勧めに従うのが得策と考え、おおむね同人の意見どおりに取引を行ったこと、
(四) 岡辺は、右電話による情報提供などに加え、しばしば、資料を携えて被告と面談し、各銘柄の値動きの状況などの相場予想材料を説明するなどしたこと、
(五) 被告の大阪小豆の取引は、同年七月一八日に始ったが、右取引を始めるにあたって、岡辺は、当時、大阪小豆はじりじりと値を上げてきたことなどから、近々反落に転じると考え、被告に対し、右予想を述べたところ、被告もこれに賛成して売りを建てるよう指示したこと、ところが、その後の小豆相場は、産地の低温により五分作を免れないなどの不作情報が入ったことなどから、同年八月一八日以降一〇日間に亘りストップ高を付けるという大阪穀物取引所開設以来の大暴騰をくりひろげるに至ったこと、そのため、岡辺は、自己の相場観に自信が持てなくなり、このことを正直に被告に告げ、両建にして様子をみてはどうかとの意見を述べたこと、そこで、被告も右意見に従うこととし、同月二六日以降、それまで建てていた売り玉に対応する買い玉を建てるよう指示したこと、ところが、その後、相場は、当初の売り玉の売り値と両建にした際の買い値との中間値付近を上下する結果となり、そのため、右売り玉も買い玉もその大部分が損失となってしまい、これが被告の損失の三分の二以上を占める結果となったこと、
(六) 被告には、他の顧客同様、原告会社から、各取引をするごとに売買報告書などが送られていたが、被告は、岡辺にも原告会社にも、右報告書に記載された取引が自己の指示に基づかないものであるといった異議の申立をしたことはなかったこと、このことは、被告が、追証の支払いを遅滞するようになって、土井支店長や水野管理部長との間で話合いをした際においても、同様であったこと、
(七) 被告は、昭和五六年一月二八日に本件取引が終了した後、今度は細川忠男名義で先物取引を行ったが、その際、被告は、特に先物取引についての研究をすることなく、本件取引を遂行する間に岡辺から教わった知識や右取引の経験に基づいて新たに取引を遂行し、その結果、損得がほとんどない程度には取引を行うことができたこと、
以上の事実が認められ、被告本人尋問の結果中、右認定に反する部分は、その本人尋問において、右認定に沿う供述をする部分もあることや、岡辺証言に照らしてたやすく措信し難く、他に右認定に反する証拠はない。
しかして、右認定事実を総合すると、被告は、具体的に取引を委託するにあたり、岡辺から、前もって相当詳しい相場予想材料の説明を受けるとともに、同人の意見を聞き、その結果、右意見に従って取引を委託することにしたものと認められるから、これをもって、被告が主張するような実質一任売買であると評価することはできない。
3. 右主張事実(二)について判断するに、原告会社が、被告から、追証の預託を受けないまま取引に応じたことは当事者間に争いがないが、そもそも委託証拠金は、商品取引員が委託者に対する委託契約上の債権を担保するために同人から預託を受けるものであるから、その支払いを猶予したからといって、それが商品取引員の委託者に対する委託契約上の債務不履行に該るなどとは到底考えられないし、また、商品取引所法や受託契約準則が証拠金の徴収を商品取引員に義務づけているのも、主として商品取引員の経営の建全を確保するためであって、それがひいては委託者の保護につながるとしても、これは反射的副次的なものにすぎないから、右徴収義務違反をもって、本件被告に対する不法行為を構成するものとすることはできない。
のみならず、水野及び岡辺の各証言並びに被告本人尋問結果を総合すると、原告会社は、被告に追証支払いの必要性が生じた場合には、その旨を被告に告げ、その支払いを要求したこと、ところが、被告は、昭和五五年九月中旬以降追証支払い資金を用意することが困難になり、岡辺に対し、右支払いの猶予と取引の継続を要請したこと、そこで、原告会社は、追証の支払いをしばらくの間事実上猶予したがいつまでも猶予し続けることはできないことから、岡辺のみならず、水野管理部長や土井支店長までもが被告と折衝し、その結果、本件特約を締結するに至ったことが認められるのである(被告本人尋問の結果中、右認定に反する部分は、水野及び岡辺証言に照らし到底措信できず、他に右認定に反する証拠はない。)。
そうすると、原告会社が追証を徴収しないまま被告との取引を継続したのは、専ら被告の要請によるのであるから、これをもって、債務不履行や不法行為などというのは筋違いであるというべきである。
したがって、被告の右主張は、これを採用できない。
4. 右主張事実(三)について判断するに、被告は、岡辺が被告に借金を申し込んで一部これを実際に借り受け、また、多数回に亘り飲食の饗応を申し込んでこれを受けるなどしたとするが、仮に右事実が全て認められるとしても、これをもって、原告会社の債務不履行や不法行為を構成するものとは到底考えられないし、本訴請求が信義則に反するとも解し難いから、右主張は、それ自体、失当たるを免れない。
5. 右主張(四)について判断するに、本件取引が、昭和五五年七月から同年九月にかけて、連日のように行われたこと及び右取引が行われるにあたっては、専門家である岡辺の意見が被告の判断・決定に大きな影響を及ぼしたことは、これまでみてきたところから明らかであるが、右取引が実質一任売買と認め難いことも前記2.に認定・判示したとおりであり、また、本件全立証によるも、岡辺が被告の利益を考慮せず、専ら手数料収入の増大を図ろうとして右意見を述べたとか、右取引の内容が異常といえるものであるなどといった事実を認めることができない。
よって、右主張も理由がない。
6. そうすると、本訴抗弁ないし反訴請求原因3.のうち、(一)及び(四)の事実はこれを認めることができず、(二)及び(三)は、そこで主張された事実が認められるとしても、その事実によっては、原告会社に被告に対する信義則違反、債務不履行ないし不法行為があるとの評価を下すことはできないのであるから、本訴抗弁ないし反訴請求原因3.は、既にこの点において失当たるを免れないものといわざるをえない。
五、以上の次第で、原告会社の主位的本訴請求は理由があるから、これを認容し、被告の反訴請求は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 中田耕三 裁判官 松永眞明 始関正光)
<以下省略>