大阪地方裁判所 昭和58年(ワ)3440号 判決
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【判旨】
1 逸失利益
(一) <証拠>によると、次の事実が認められる。
(1) 和美は昭和二五年一一月二六日生まれの健康な男子で、同四九年一〇月二日本田技研工業に入社して同社大阪支店に勤務し、入社以来本件事故による死亡までの間平均的な職務成績を上げてきており、昭和五四年には年間二九三万六〇八九円、同五五年二月に一五万九七一一円、三月に一八万〇五一八円、四月に一七万五四二二円の各収入を得ていた。
(2) 本田技研工業は従業員数約二万七〇〇〇人(研究開発部門など関連の別法人を加えると従業員総数約四万人)の企業で、その賃金体系は就業規則、給与規則、旅費規則、労働協約等により定められており、これらによると、給与は本給、加給(業績加給、号給加給、職務加給)及び手当(皆勤手当及びその他一八種の諸手当)とから成り、さらに賞与及び退職金の支給に関する規定も設けられている。
(3) 本給は、従業員に割当てられる職務の困難と責任度及び従業員個々の適性によつて会社に貢献する職務能力の程度を評価して定められる等級に従つて給与規則所定の額が支給されるもので、和美は死亡当時Ⅱ等級B区分一〇七号に該当していた。
本田技研工業の従業員の給与等級及び号数の昇格昇進は勤務の内容、勤務成績等によつて決定されているが、年功による職責及び期待度の増大により一定程度自動的に昇格する制度(自動昇格)もあり、和美は本件事故により死亡しなかつたとすれば生前の職務内容、成績等からみて控え目に予測しても勤務成績等に特段の問題を起こさない限り、昭和五六年度(以下年度は会計年度による。)にはⅢ等級、同七〇年度にはⅣ等級に昇格した筈であると推認される。また給与号数の上昇は勤務成績に応じた六段階の昇進の経路があるが、普通に勤務を継続した平均値(和美の生前の昇進速度もこれとほぼ同じである。)よりはやや下回る標準的な昇給速度を採用して控え目に予測しても和美は勤務成績で問題を起こす等特段の事情がない限り別表(二)記載の各年度にこれに対応する号数欄記載の各号数に昇進する筈であると推認される。
他方、同社で現に決定された本給の月額は、Ⅱ等級B区分の者につき昭和五五年度は七万八四〇〇円、Ⅲ等級B区分の者につき同五六年度は九万八一〇〇円、同五七年度は一〇万三七〇〇円、同五八年度は一〇万七〇〇〇円、Ⅳ等級B区分の者につき同五八年度は一二万六五〇〇円であつた。
(4) 号給加給は、職務を遂行するについての従業員の「努力、傾注、創意などの勤務実績」を勤務評定の結果に基づいて判定して決定され、号差金額に号数を掛け合わせた金額が毎月支給されるもので、同社で実施された号差金額(月額)は昭和五五年度が二八〇円、同五六年度が二八五円、同五七年度が二九五円、同五八年度が三〇五円であつた。
業績加給は、会社の営業成績に応じて本給に対し一定の比率を定めて年度毎に決定され毎月支給されるもので、同社で決定された実績の月額は、Ⅱ等級B区分の者につき昭和五五年度は一万九六〇〇円、Ⅲ等級B区分の者につき同五六年度は二万四五二五円、同五七年度は二万五九二五円、同五八年度は二万六七五〇円、Ⅳ等級B区分の者につき同五八年度は三万一六二五円であつた。
(5) 皆勤手当は、給料計算期間のすべての勤務日に出勤した者に支給されるもので、同社の昭和五五ないし五八年度の実績月額は四六〇〇円であつた。
(6) 賞与は、営業成績に応じて年二回支給額、支給条件及び支給日をその都度定めて支給されるもので、その算式は別表(二)記載のとおりである。このうち係数(支給率)は業績が反映するもので労使の交渉によつて決定され、成績加算は、支給の都度基準値を決定して勤務成績によりこれに多少の増減をして支給するものである。出勤係数は、皆勤の場合1.0となる。右記の係数、成績加算の基準値及び特別加算の昭和五五ないし五八年度の実績値はそれぞれ別表(二)記載の右各年度及び等級・区分に対応する係数、成績加算及び特別加算欄に記載のとおりの値であり昭和五八年度Ⅳ等級B区分の者の成績加算の額は四四万八四〇〇円、特別加算の額は四万一八〇〇円であつた。また和美は昭和五五年度の賞与のうち四三万三七四四円は既に支払を受けていた(同年度の得べかりし賞与の額はこれを控除して算定することになる。)。
(7) 本田技研工業では五五歳を定年として定年到達の翌日をもつて退職日と定められており、定年退職によつて支給される退職一時金の額は別表(二)記載の算式に基づいて算定されるものであるが、和美は本件事故に遭わなかつたとすれば昭和八〇年一一月二七日(勤続年数三一年)に定年退職し退職一時金を支給されるはずであつたところ、給与規定(ただし昭和五八年当時のもの)によると同人の退職一時金算定の基礎たる係数は五〇、定年加算は三五〇万円、退職時の号数は労使間の協定により給与の場合とは異る昇給線を使用することになつておりこれによる値は三七二であるから、これらを前記算式にあてはめて算定した同人の得べかりし退職一時金の額は一三九三万円と推認される。なお、原告らは既に和美の死亡退職金として五三万二〇〇〇円を受領済みである(したがつて、本訴で請求しうべき和美の退職一時金の逸失利益の額は一三三九万八〇〇〇円となる。)。
以上の事実が認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
(二) ところで、死亡当時安定した収入を得ていた被害者が生存していたならば将来昇給等による収入の増加を得たことが証拠に基づいて相当の確かさをもつて推定できる場合には、右昇給等の回数、金額等を予測し得る範囲で控え目に見積つてこれを基礎として将来の得べかりし収入額を算出することも許されるものと解すべきところ(最高裁判所昭和四一年(オ)第七八一号、同四三年八月二七日第三小法廷判決、民集二二巻八号一七〇四頁参照。)、右認定事実によると、本田技研工業の給与、賞与及び退職金の決定は、業績加給及び賞与の算定系数の決定過程で労使間交渉及び会社の営業成績等の不確定要素に左右される面があることは否めないとしても、和美の生前の給与額、勤務成績及び同社の昇給制度のあり方・実績から考えると、同人は本件事故により死亡しなかつたとすれば右認定のとおり給与等級の昇給及び号数の上昇等による収入の増加を得ていることは十分に推認できるし、右認定の昭和五五年度から同五八年度まで同社で決定し実施された給与、賞与及び退職金の額の実績を併せ考えると、控え目に見ても昭和五九年度以降も同五八年度の実績値が維持されていくことは相当程度の蓋然性をもつて推認できるものというべきである。
したがつて、和美は本件事故により死亡しなかつたとすれば本田技研工業在勤中及び退職時に別表(二)記載のとおりの給与、賞与及び退職一時金の支給を受け得たと認めるのが相当である。
また、和美の昭和八〇年度の同社退職後から稼働可能と認められる六七歳に到達する同九二年一一月二六日までの一二年間の得べかりし収入額は、通常高齢で他に再就職して働く時の所得が退職時のそれに比べてかなりの程度低下するけれども、同年齢の男子労働者の平均給与額(因みに、昭和五八年賃金センサス第一巻第一表産業計企業規模計男子労働者学歴計による平均給与年額は、五五歳から五九歳までが四〇三万三九〇〇円、六〇歳から六四歳までが三〇八万九九〇〇円、六五歳以上が二七六万八四〇〇円である。)を大きく下回ることはないと考えられるから、これと対比すると少なくとも昭和八〇年一一月二八日以降昭和八四年度末(五九歳)までは退職時の年収額(和美が定年退職しなかつたと想定した場合の年収額は五〇五万九八八三円となるから、これを算定基礎とするのが相当である。)の七割(ただし、昭和八〇年一一月二八日から同八一年三月末日までは日割計算とする。)、その後昭和八九年度末(六四歳)までは退職時の年収額の六割、その後六七歳に達するまでは退職時の年収額の五割(ただし、昭和九二年度は六七歳となる同年一一月二六日までの日割計算とする。)に相当する額の収入を挙げ得たであろうと認めるのが妥当である。そして、同人の生活費割合は経験則上五割と考えられるから同人の稼働収入の全体からこれを控除する。なお、退職一時金も前記認定のとおり就業規則、労働協約及び給与規定によりその支給条件が明確に規定されていて使用者がその支払義務を負担するものであるから賃金の後払の性格を有すると認められる(最高裁判所昭和四四年(オ)第一〇七三号、同四八年一月一九日第二小法廷判決、民集二七巻一号二七頁参照。)から退職一時金からも他の稼働収入同様生活費を控除するのが相当である。
以上により、和美の死亡による逸失利益を年別のホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して死亡当時の時価を求めると別表(二)計算式記載のとおり四二七一万九二一四円となる。(なお、年別のホフマン式の使用にあたつては、毎年基準日を五月三〇日とし、基準日に当該年度の給与の引き上げが行われたものとして死亡当時の時価を算定した。)
<以下、省略>
(吉田秀文 加藤新太郎 五十嵐常之)