大阪地方裁判所 昭和58年(ワ)7940号 判決 1986年1月27日
原告
ダイキホーム株式会社
右代表者代表取締役
原田正輝
右訴訟代理人弁護士
乕田喜代隆
稲田堅太郎
被告
山中清
右訴訟代理人弁護士
三瀬顕
林一弘
被告
国
右代表者法務大臣
嶋崎均
右指定代理人
田中治
外六名
主文
原告の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは、各自原告に対し、金三八二万六五〇〇円及び内金三三二万六五〇〇円に対する昭和五八年一一月一九日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言。
二 請求の趣旨に対する答弁
1 被告山中清
主文同旨。
2 被告国
(一) 主文同旨。
(二) 原告の請求が認容され、仮執行の宣言が付される場合には、担保を条件とする仮執行免脱の宣言。
第二 当事者の主張
一 請求の原因
1 虚偽登記の作出
(一) 原告は、昭和五八年三月二日、訴外奥野芳和(以下「芳和」という。)から大阪府茨木市山手台三丁目四〇七番八七宅地二九六・八七平方メートル(以下「本件土地」という。)を買い受け、同月九日、大阪法務局茨木出張所同日受付第三八一八号所有権移転登記を経由した。
(二) ところが、後日、本件土地の所有者であると主張する訴外奥野芳男(以下「芳男」という。)から原告に対し(一)の所有権移転登記の抹消登記手続を求める訴訟(大阪地方裁判所昭和五八年(ワ)第二〇六七号事件)が提起され、右訴訟において原告(右事件被告)敗訴の判決がなされた。右判決は確定し、(一)の所有権移転登記は抹消されるに至つた。
(三) 本件土地について、芳男を被相続人、芳和を単独の相続人として昭和五七年一〇月五日相続を原因とする大阪法務局茨木出張所昭和五八年二月一五日受付第二二〇二号所有権移転登記(以下「本件相続登記」という。)が経由されている。ところが、芳男は生存しており同人について相続が生じる余地はなく、芳和が本件土地の所有権者となつた事実は存しない。本件相続登記は、偽造にかかる戸籍謄本、住民票等の登記申請に必要な書類に基づいてなされた虚偽の登記である。
被告両名は、本件相続登記の作出につきそれぞれ後述のとおりの過失がある。
2 被告山中清の責任(民法七〇九条)
(一) 被告山中清(以下「被告山中」という。)は、本件相続登記の申請手続を代理した司法書士である。
(二) 被告山中は、芳和の顧問税理士として同人から相続事件を受任したと称する訴外山本某(以下「山本」という。)から本件相続登記の申請手続を依頼されたものであるところ、右依頼は山本からの電話によるものであつたうえ、被告山中は芳和及び山本のいずれとも面識がなかつた。また、山本から、相続財産は概ね東京周辺に存在すると聞いていたのに、送付されてきた登記申請書に添付すべき書類には、芳男の住所は大阪府高槻市に、芳和の住所は愛知県豊橋市に存すると記載されており、いずれも相続財産の所在地とは関係がないことが明らかであつた。右のような事情が存する場合、司法書士としては、本件相続登記の申請手続を受任する際、不実の登記がなされることのないように登記申請人本人の意思を確認する等の方法によつて本件相続登記申請の前提となる実体関係を調査すべき注意義務があるのに、被告山中は、これを怠り、山本の言を軽信し、右の送付書類を何ら検討せず、偽造にかかる戸籍謄本、住民票等を登記申請書に添付して不実の相続登記の申請手続を行つた過失がある。
(三) 被告山中は、右過失により不実の相続登記の申請手続を行い。その結果本件相続登記がなされたのであるから、民法七〇九条により、原告が被つた損害を賠償する責任がある。
3 被告国の責任
(一) (国家賠償法一条一項)
(1) 本件相続登記の被相続人とされた芳男は生存しており、同人には離婚の経験がなく、芳和は芳男の子ではないから、本件相続登記申請書に添付された書類のうち少なくとも芳男の除籍謄本及び戸籍謄本、芳和の住民票、芳男の後妻とされた奥野かよ子の印鑑登録証明書の各公文書は偽造されたものであり、それぞれ書類の形式官公署の印影及び官公署の証明印影も不真正であつた。
(2) 不動産登記制度は、不動産の公証制度として取引の安全に寄与すべきものであり、現実にも不動産取引に関与する者は、不動産登記簿の記載を信頼して行動しているのであるから、不動産登記の申請を受けた登記官は、不動産登記制度の右の機能に鑑み、不実の登記を防止するため、登記申請書類の形式的真否を審査し、右書類が偽造されたものであるときは当該登記申請を却下すべき職務上の注意義務があるところ、大阪法務局茨木出張所登記官は、これを怠り、公文書については官公署の印影や書類の形式を照合することにより容易に偽造文書を発見できるにもかかわらず、本件相続登記申請書に添付された(1)の各公文書が偽造されたものであることをことごとく看過した過失がある。
なお、右各公文書は原本還付の取り扱いがなされたため、大阪法務局茨木出張所には右各公文書の原本にかわつて相続関係説明図が保管されているにすぎないから、原告は偽造の具体的内容を知ることができず、右出張所登記官の過失について具体的事実を主張することができないが、右に述べた程度であつても過失の主張として十分であり、被告国の防御にとつて不利益はない。
(3) したがつて、被告国は、登記官の過失により不実の相続登記をなし、原告に損害を与えたのであるから、国家賠償法一条一項により右損害を賠償する責任がある。
(二) (国家賠償法二条)
(1) 被告国は、登記申請書に添付される戸籍謄本住民票等の公文書について、各官公署の印影や書類の形式を照合するなどの外形的審査体制を整えていない。また、相続登記については、原本還付した登記申請書類の写しを保管するなどの事後審査の措置を講じていない。
(2) (1)は制度の瑕疵というべきであり、国家賠償法二条により被告国が賠償責任を負担すべき瑕疵にあたるから、被告国は原告の被つた損害を賠償する責任がある。
4 損害の発生
原告は、被告両名の過失により本件相続登記がなされた結果、次のとおり合計三八二万六五〇〇円の損害を被つた。
(一) 本件土地を買い受けた際芳和に交付した手付金 二〇〇万円
原告は、本件相続登記を信頼して芳和が本件土地の所有者であると誤信し、1(一)の売買契約を締結し、同日、芳和に手付金として二〇〇万円を支払つた。
(二) 登録免許税 三二万六五〇〇円
原告は、右売買契約に基づいて1(一)の所有権移転登記を経由し、登録免許税三二万六五〇〇円を支払つた。
(三) 慰藉料 一〇〇万円
本件土地に関して、芳男から提起された1(二)の訴訟の応訴及び本件訴訟提起を余儀なくされ、また、サンケイ新聞に大きく報道されたため、不動産業者としての信用を失墜するに至つた。右の事情により原告が被つた精神的苦痛の慰藉料として一〇〇万円が相当である。
(四) 弁護士費用 五〇万円
原告は、芳男から提起された1(二)の訴訟及び本件訴訟の訴訟追行を弁護士に依頼した。弁護士費用相当額は五〇万円である。
5 よつて、原告は、被告らに対し、被告山中については民法七〇九条に基づき、被告国については国家賠償法一条一項、二条に基づき連帯して4記載の損害金合計三八二万六五〇〇円及び弁護士費用を除いた内金三三二万六五〇〇円に対する各履行期の後である昭和五八年一一月一九日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求の原因に対する認否及び反論
1 被告山中
(一) 請求の原因1(一)の事実のうち、原告主張の所有権移転登記が経由されたことを認め、その余の事実は不知。同(二)の事実のうち原告敗訴の判決が確定したことを認め、同(三)の事実のうち、本件相続登記の申請書に添付された書類が偽造されたものであることを認め、その余の事実は不知。
(二) 請求の原因2(一)の事実を認め、同(二)の事実のうち、原告主張のとおり山本から本件相続登記の申請の依頼があつたこと、右の依頼は電話によるものであつたこと、山本が相続財産は概ね東京周辺にあると述べたことを認めるが、被告山中に過失がある旨の主張は次のとおり争う。
(1) 被告山中が本件相続登記の申請手続を受任した経緯において、申請人たる芳和の意思を確認すべき事情は何ら存しなかつた。すなわち、被告山中が山本から電話で依頼を受けたとき、山本は、東京都渋谷区宇田川町一一番三営研ビル内山本税務会計事務所税理士山本某であると名乗り、同人の顧問先の相続事件を受任したので相続財産たる本件土地の登記手続を被告山中に依頼する旨及び登記申請に必要な書類は、山本の地元の司法書士の指導を受けて取り揃える旨述べた。その後、山本から、右書類と登記手続費用として七万円を送付するとの電話連絡があり、右連絡どおり本件相続登記申請書に添付すべき書類一式と現金七万円が郵送されてきた。被告山中は、山本に電話で右書類等を受領した旨を伝え、右書類を審査して不備がないことを確認して本件相続登記の申請手続を行い、登記完了後山本に登記済証、土地登記簿謄本及び預り金清算書を書留郵便で前記山本税務会計事務所宛に送つた。
右のように、山本が芳和の顧問税理士であると名乗り、連絡先を明確にし、現実に右連絡先と電話及び書留郵便による連絡がとれており、連絡どおりに登記申請書に添付すべき書類一式と登記手続費用が送付されてきたのであつて、被告山中が本件相続登記申請の前提となる実体関係について疑問を生ずべき事情は何ら存しなかつたのであるから、同被告が申請人本人たる芳和の意思を確認しなかつたことに過失はない。
(2) 商業活動が全国的規模で行われることに鑑みれば、相続人の住所とその顧問税理士の事務所や、被相続人及び相続人の住所と相続財産の所在地が遠隔であることは通常の社会現象であるから、この点に疑問を持たなかつたことについて被告山中に過失があるとは言えない。
(3) 被告山中は、司法書士としての長年の経験に基づいて、山本から送付された登記申請書類を審査、検討し、不備がないことを確認したのであつて、右書類には偽造文書であるとの疑いを生じる端緒が何ら存しなかつた。
(三) 請求の原因4の事実は不知。
2 被告国
(一) 請求の原因1(一)の事実のうち、原告主張の所有権移転登記が経由されたことを認め、その余の事実は不知。同(二)の事実のうち、原告主張の訴訟が提起され、原告が敗訴し、右敗訴判決が確定したことを認め、右判決の理由は不知。同(三)の事実のうち、芳男が生存していることを認め、その余の事実は不知。
(二) 国家賠償法一条一項に基づく責任について
(1) 原告は、大阪法務局茨木出張所登記官の職務上の注意義務違背の内容について具体的事実を主張していないから、原告の主張は主張自体失当である。
(2) 仮に、本件相続登記の申請書類が偽造されたものであることを看過したとしても、次のとおり右登記申請を受理した大阪法務局茨木出張所登記官には過失がないから、被告国は、原告に対し損害賠償責任を負わない。
登記官は、形式的審査権に基づき登記申請が形式上の要件を具備するか否かを審査する職務権限を有し、登記申請書及びその添付書類の審査にあたつては、添付された書面の形式的真否を登記薄や添付書類相互間の対照などによつて判定したうえ、不真正な書類による不適法な登記申請を却下すべき注意義務を負うものであるところ、右書面審査の過程における注意義務の程度は、登記官が職務上知り得た知識や経験に照らし、書類の内容、様式、印影などから一見して偽造文書による登記申請であることが判別できる場合であればこれを却下すべきであるが、登記官に通常要求される注意をもつてしても偽造文書であることを看破できない場合まで却下すべき注意義務を負うものではない。
本件相続登記申請の調査を担当した姫野昌弘登記官は、登記業務従事年数一八年の経験に基づき、本件土地登記簿と申請書添付書類の記載内容の対査、添付書類の記載内容、体裁、証明印の調査、添付書類相互間の記載内容の対査や印影の照合を行つた結果本件相続登記の申請が適正なものであると判断し、校合を担当した小林登記官は、登記業務従事年数二三年の経験に基づいて、本件土地登記簿、登記申請書及びその添付書類について、不動産登記法四九条各号に定める却下事由の有無の最終的確認をし、申請により登記簿に記入された事項と申請書の登記事項を照合したうえ、所定箇所に認印を押捺したものである。
また、司法書士歴二五年余の経験を有する被告山中も本件相続登記の申請手続を代理するにあたり登記申請書添付書類の形式的真否について疑問を持たなかつたのであるから、仮に本件相続登記申請書添付書類が偽造されたものであつたとしても極めて精緻に作成されたものであつたというべきであり、登記官の通常の注意をもつてしても偽造書類であることを看破できない場合であつた。
以上のとおり、大阪法務局茨木出張所登記官は職務上の注意義務を尽くしており、本件相続登記の申請を受理したことに過失はない。
(三) 国家賠償法二条に基づく責任について
国家賠償法二条にいう「公の営造物」とは、国又は公共団体により直接に公の目的のため供用されている個々の有体物であつて、無体財産及び人的施設を含まないと解すべきであるから、原告主張の制度の瑕疵について同条が適用される余地はない。
(四) 請求の原因4の各事実は争う。
三 被告山中の抗弁(過失相殺)
1 本件土地は、面積約九〇坪であり、更地としての最低坪単価を四〇万円として計算すると時価三六〇〇万円相当の物件であるところ、不動産業者である原告は、本件土地を芳和から代金一八四〇万九〇〇〇円で買い受け、手付金として二〇〇万円を支払つた段階で本件土地の所有権移転登記申請手続に必要な書類の交付を受けたものである。
2 右の事実によれば、右売買は、代金が時価の半額程度であつて著しく安価であり、その代金の一割程度の手付金を支払つたのみで売主が所有権移転登記手続に応じるなど不動産の取引慣行からすると異例の契約内容であつたのだから、不動産取引の専門家である原告は買主にとつて不当に有利な売買条件に疑問を持ち芳和の身元調査をするなどして慎重に取引すべきであつたのに、これを怠り芳和が本件土地の正当な所有者であると軽信した過失がある。
四 被告山中の抗弁に対する認否争う。
第三 証拠<省略>
理由
一虚偽登記の作出について
1 請求の原因1(一)の事実のうち本件土地につき原告主張の所有権移転登記が経由されたこと及び同(二)の事実のうち芳男から提起された右所有権移転登記の抹消登記請求訴訟(大阪地方裁判所昭和五八年(ワ)第二〇六七号事件)において本件原告敗訴の判決が言い渡されて確定したことは原告と被告両名間に争いがない。
<証拠>によれば、昭和五八年三月二日に原告が芳和から本件土地を買い受けたことが認められ、<証拠>によれば、請求の原因1(一)の本件土地所有権移転登記が前記判決に基づき抹消されたことが認められる。
2 請求の原因1(三)の事実のうち芳男が生存していることは、被告国に対する関係では争いがなく、被告山中に対する関係でも<証拠>により右事実を認めることができる。
原告と被告両名間において、<証拠>によれば本件相続登記が経由されたことが認められ、<証拠>を総合すれば、芳和が本件土地を相続により取得した事実は存せず、本件相続登記は実体関係に基づかない虚偽の登記であることが認められ、右認定を覆すに足る証拠は存しない。
二被告山中の責任について
1 被告山中が本件相続登記の申請手続を代理した司法書士であること、請求の原因2(二)の事実のうち被告山中が芳和の顧問税理士として同人から相続事件を受任したと称する山本から本件相続登記申請手続の依頼を受けたこと、右依頼は電話によるものであつたこと、山本が相続財産は概ね東京周辺にあると述べたことは当事者間に争いがない。
2 右の当事者間に争いのない事実に<証拠>を総合すると被告山中が本件相続登記申請手続を代理した経緯は、次のとおりであることが認められる。
被告山中は昭和三二年一一月から司法書士事務所を開業し、主として大阪法務局茨木出張所(以下「茨木出張所」という。)関係の事件を受任してきたものであるところ、昭和五八年一月下旬ころ、税理士と称する山本から電話があり、茨木出張所管轄の物件について相続登記申請手続を代理してもらいたいとの依頼を受けた。その際、山本は自分の依頼者から相続税の申告と共に相続による所有権移転登記申請の依頼を受けたものであると説明し、相続物件は概ね東京周辺に集中しているが茨木出張所管轄内に一件あるのでその登記申請を依頼する旨、登記申請に必要な書類は山本の地元の司法書士の指導を受けて送付する旨述べた。同年二月初めころ、再度山本から電話があり、登記申請に必要な書類と登記手続費用七万円を送付するので登記申請手続完了時に精算してほしいと連絡してきた。同月一〇日過ぎころ、右書類と現金七万円が郵送されてきたので、被告山中は、山本に右書類等を受領した旨電話で連絡した。被告山中は、右書類を審査したところ、被相続人たる芳男の戸籍謄本及び除籍謄本、相続人たる芳和の戸籍謄本、芳男及び芳和の住民票等の住所証明書類、芳和名義の白紙委任状等本件相続登記の申請書に添付すべき書類一式が不足なく揃つており、内容上不自然な点も発見されなかつたため、右書類に基づいて本件相続登記申請書及び相続関係説明図を作成して、同月一五日、茨木出張所に右申請書、相続関係説明図及び山本から送付されてきた添付書類を提出した。本件相続登記の申請手続は申請書類を補正すべき点もなく完了し、被告山中は、山本から郵送されてきた封筒記載の山本の税理士事務所宛に書留郵便で本件相続登記の登記済証と登記簿謄本、原本還付された登記申請書添付書類及び預り金精算書を送付した。
芳和の住所及び山本の税理士事務所はいずれも本件土地の所在地から遠隔地であり、被告山中は、右両名と面識がなくこれまでに同人らから登記手続等の依頼を受けたことがなかつたが、山本が被告山中を本件相続登記申請の代理人とした理由については、司法書士会を通じて本件土地の管轄法務局近辺で開業している被告山中を紹介されたものであるか、あるいは被告山中が以前本件土地について芳男名義の所有権移転登記手続を代理したことがあるので、右所有権移転登記の登記済証の用紙に印刷された同被告の氏名住所を手がかりにして依頼したものであろうと理解していた。
以上の事実が認められ、右認定を覆すに足る証拠は存しない。
3 そこで、被告山中が本件相続登記の前提となる実体関係を調査確認しなかつたことが原告に対し不法行為を構成するかについて、検討する。
司法書士が他人の嘱託を受けて登記に関する手続についての代理及び法務局に提出する書類の作成等をその業務としていること(司法書士法二条)、右業務は法定の資格を有し登録された者のみに認められた専門的業務であること、真正な登記の実現は不動産登記制度の根幹をなすものであることに鑑みれば、司法書士は、虚偽の登記を防止し、真正な登記の実現に協力すべき職責を有するものである。したがつて、登記申請手続を代理するにあたつては、登記申請書添付書類の形式的審査をするにとどまらず、受任に至る経緯や当事者あるいは代理人から事情聴取した結果など職務上知り得た諸事情を総合的に判断し、当該登記申請の真正を疑うに足る相当な理由が存する場合には、登記申請の前提となる実体関係の存否を調査確認する義務があると解するのが相当である。
しかるところ、本件相続登記の前提となる実体関係は相続による権利変動であり、芳和の意思に基づくことなく開始するものであつて、本件の相続開始の事実及び相続人の資格の最も確実な証明手段は芳男の戸籍謄本及び除籍謄本、芳和の戸籍謄本等の公文書であるところ、前記認定のとおり本件では相続を証する公文書が外見上整つており、相続放棄の可能性など右公文書を審査する以上に実体関係を調査すべき事情も認められない。
次に、被告山中は山本の税理士資格及び代理権の存否を確認調査していないが、前記認定によれば、山本は税理士として芳和の相続事件を受任すると共に相続財産の所有権移転登記手続も受任したと説明して依頼しており、必要な書類と費用を送付し、連絡先として税理士事務所の住所、電話番号を明らかにし、右連絡先と電話及び書留郵便による連絡がとれていたのであるから、被告山中が山本の税理士資格や代理権の存否について疑問を生ずべき事情は認められない。のみならず、相続登記は相続人が被相続人の権利義務を承継した旨を公示するにとどまり、相続人が直接登記上の不利益を受けるものではないし、本件相続登記の内容は芳和の単独相続であるから、代理人たる山本と本人芳和の利害相反を窺わせる事情も存しない。
また、相続財産の所在地から遠隔地にいる相続人が、管轄法務局に出頭して相続登記手続を行う労を惜しみ、司法書士に電話で登記手続を依頼することは何ら不自然とは解されないし、前記認定によれば、被告山中が一面識もない代理人山本及び本人芳和からの依頼を受けたことにも相当の理由が存すると認められるから、これらの点に関して被告山中に落度があつたと解することはできない。
以上検討したとおり、本件全証拠によるも、被告山中が本件相続登記の申請手続を代理するにあたつて、前提たる実体関係の存否について疑問を生ずべき事情が存したとは認められないから、右の実体関係の調査確認を怠つたことをもつて同被告の過失とすることはできない。したがつて、原告の被告山中に対する請求は、理由がない。
三被告国の責任について
1 <証拠>を総合すれば、本件相続登記の申請にあたり被告山中から茨木出張所に提出された書類は、登記申請書並びにこれに添付された被相続人たる芳男の一六、一七歳当時から死亡までの戸籍謄本及び除籍謄本、同人の住民票あるいは戸籍の付票、相続人たる芳和の戸籍謄本、住民票及び印鑑証明書、同人名義の白紙委任状、本件土地の評価証明書、奥野かよ子の特別受益証明書、同女の印鑑証明書、相続関係説明図であること、右提出書類のうち、少なくとも芳男の戸籍謄本及び除籍謄本、芳和の住民票が偽造文書であることが認められ、右認定を左右する証拠は存しない。
2 原告は、偽造文書を提出して行われた本件相続登記申請を受理したのは、茨木出張所登記者の過失であると主張するので、この点について検討する。
(一) <証拠>を総合すると、次の事実が認められる。
本件相続登記がなされた昭和五八年当時、茨木出張所では一日約一〇〇件の登記申請事件があり、これを八名の職員が担当していた。登記申請から終了までは申請書類の受付、調査、登記簿への記載、校合、登記済証の交付の各過程を経て処理されており、右過程のうち調査及び校合を各二名の登記官が担当し、申請書類と登記簿の対照による不動産の表示、登記義務者の表示等の調査点検や申請書添付書類相互の審査を行つていたところ、本件相続登記申請も右の各過程を経て処理され、調査を担当した登記官は、被相続人たる芳男の一六、一七歳当時から死亡に至るまでの戸籍謄本等を審査し、被相続人の身分関係や相続人の調査を行つた。しかし登記申請書に添付された戸籍謄本、住民票、印鑑証明書などの公文書に押捺された官公署の印影や文書の形式については、真正なものと比較対照して真否を確認する措置が採られておらず、実務上も登記官の記憶や経験をもつて真否を判定することが可能な場合を除いては、右の判定をしていない。本件相続登記申請書に添付された公文書についても同様に判定をしていない。
以上の事実が認められ右認定を覆すに足る証拠は存しない。
(二) 不動産登記法四九条一号ないし一一号、同法施行細則四七条によれば、登記官には少なくとも登記申請の形式的適法性を調査する職務権限があることは明らかであり、登記申請書及び添付書類が法定の形式を具備しているか否か等を審査しなければならないが、その審査に当たつては、添付された書面の形式的真否を添付書類と登記簿あるいは添付書類相互の対照によつて判定し、これによつて判定しうる不真正な書類に基づく登記申請を却下すべき注意義務が要求されるものといわなければならない。原告の主張するところの登記官の注意義務の内容は必ずしも具体的でないが、公文書については官公署の印影や書類の形式を真正なものと対照調査することによりその真否を判定すべき注意義務があると主張するものと解されるところ、登記官の注意義務は前述のとおりであつて、これを尽くした結果文書の真否に疑問を生じた場合あるいは登記官の職務上の知識経験に照らし、文書の記載内容や形式、印影の形状自体から不真正なものであるとの疑いを生じた場合などの事情が存するときにはじめて真正な文書、印影との対照をなすべき注意義務を負うものと解すべきである。
これを本件についてみると、前記認定によれば、茨木出張所登記官は、本件相続登記申請書に添付された芳男の戸籍謄本及び除籍謄本、芳和の住民票についても登記簿との対照や添付書類相互の比較対照による審査を尽くしたものと認められる。そこで、さらに右文書について官公署の印影や書類の形式について真正なものと比較対照すべき注意義務を負うべき事情の存否について検討するに、原告は本件相続登記申請書添付書類中に偽造公文書が複数存在したと主張するのみであり、右の事情の主張として不十分であるのみならず、本件全証拠によるも他に右事情が存すると解すべき事実を認めることができない。
右のとおり、茨木出張所登記官が、偽造の公文書の存在を看過して本件相続登記の申請を受理したことについて過失があると判断することはできない。
3 次に、国家賠償法二条による責任については、同条にいう「公の営造物」とは、国又は公共団体により直接に公の目的のため供用されている個々の有体物であつて、無体財産及び人的施設を含まないと解するのが相当であるから、この点に関する原告の主張は独自の見解に基づくものであつて採用することができない。
4 以上のとおりであつて、原告の被告国に対する国家賠償法一条一項及び同法二条に基づく請求は、いずれも理由がないものと言わざるを得ない。
四よつて、その余の点について判断するまでもなく、原告の被告両名に対する本訴各請求は、いずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官辻 忠雄 裁判官中村直文 裁判官野島香苗)