大阪地方裁判所 昭和59年(わ)1405号 判決 1984年6月21日
主文
被告人を懲役二年に処する。
未決勾留日数中六〇日を右刑に算入する。
この裁判が確定した日から三年間右刑の執行を猶予する。
押収してある果物ナイフ一丁(昭和五九年押第三二六号の1)を没収する。
訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、昭和五五年八月ころA(昭和一七年五月二九日生)と知り合い同棲を始め昭和五七年二月には正式に結婚したものの、同人が生活費を入れず被告人から借金をしまた女性関係が絶えなかつたこと等から半年あまりのうちに離婚し、その後一旦縒を戻し同棲したが再び同様の問題から別居するに至り、昭和五九年二月末ころ同人が今までの生活態度を改めるからと懇願してきたため大阪市浪速区敷津西一丁目三番二四号コーポ大国五階一七号室の同人方で三度同人との同棲生活を開始するに至つたものの、同人が相変らず他の女性との関係を絶たず、生活費も入れなかつたため、そのことで同人と口論を重ねていたところ、同年三月一〇日午前三時二〇分ころ、前記同人方において、女性問題や生活費、同人に対する貸金のことで再び同人と口論となつた際、同人からこれらの問題についてまともに取り合つてもらえず、かえつて居直つた態度をとられ「出て行け。」等と罵られ、頭髪をつかんで玄関口まで引きずられた上手拳で顔面を殴打されたことから、同人からこのような仕打ちをされたことに屈辱を感じるとともに、これまで同人から女性問題について裏切り続けられ、また自分が働いて得た収入も吸い取られて来たことに対して押さえ難い怒りを感じ、憤激のあまり水屋の抽き出しから果物ナイフ(刃体の長さ約一〇センチメートル。昭和五九年押第三二六号の1)を持ち出し、倒れた電気こたつを起こすためにかがんでいた同人の背後から、同人が死亡するかもしれないことを認識しながら、あえて右果物ナイフで同人の背中を一回突き刺したが、同人に対し入院加療一九日間を要する右背部及び肺刺創の傷害を負わせたにとどまり殺害するに至らなかつたものである。
(証拠の標目)<省略>
(争点に対する判断)
弁護人は、本件につき、(1)被告人は殺意なく、(2)仮に殺意が認められるとしても中止未遂が成立する旨各主張するので、以下各検討する。
(1) 殺意の点について<省略>
(2) 中止未遂の成否について
まず本件における実行行為の終了の有無について検討するに、判示の如き犯行態様、傷害の程度からして、本件は被告人の一回の突刺し行為それ自体で殺害の結果を生じさせるおそれを有していたと認められる上に、被告人は判示の如く憤激のあまり咄嗟に未必的殺意を抱き本件犯行に及んだもので、果物ナイフを突き刺した直後ナイフから手を離していることからして被告人があらかじめ被害者を何回も突き刺そうという意図を有していたとは考え難いことをも考慮すれば、本件は一回の突刺し行為だけで被告人の実行行為が終了しており、いわゆる実行未遂にあたると解される。
したがつて中止未遂が認められるためには、被告人自らのまたはこれと同視できる行為によつて結果の発生が防止されたことが必要であるところ、関係証拠によれば、被告人が果物ナイフで被害者の背中を突き刺した後、被害者は自らナイフを抜き取り、被告人に対して救急車を呼ぶよう指示し、被告人は被害者から指示されまた同人が出血しているのを見て大変なことをしたとの気持ちも伴つて、直ちに一階に降りて公衆電話から一一九番したが通じなかつたため、一一〇番して自らの犯罪を申告するとともに救急車の手配を要求したが、その時被害者も自力で同所へ降りて来ていて被告人に対して救急車の手配を指示していること、被害者はその後救急車で運ばれ医師の手当が功を奏したため結果の発生を防止することができたことが認められるが、その間の被告人の行動は、結局のところ、被害者の指示のもとで被害者自身が救急車の手配をするのを手助けしたものと大差なく、もとより結果の発生は医師の行為により防止されており、したがつてこの程度の被告人の行為をもつてしては、未だ被告人自身が防止にあたつたと同視すべき程度の努力が払われたものと認めることができず、本件が中止未遂であるということはできない。
以上から弁護人の各主張はいずれも理由がない。
(法令の適用)
罰条 刑法二〇三条、一九九条(有期懲役刑を選択)。
法律上の減軽 刑法四三条本文、六八条三号。
未決勾留日数の算入 刑法二一条。
刑の執行猶予 刑法二五条一項。
没収 刑法一九条一項二号、二項。
訴訟費用 刑訴法一八一条一項本文。
(量刑の理由)
本件は、かがんでいる被害者の背後から、殺意をもつていきなり果物ナイフでその背中を一回突き刺し、判示の如き傷害を負わせた悪質かつ危険な犯行であり、その刑責は軽くはないが、判示の如く本件の動機には被告人に同情すべき点が多い上に、被害者も当初から自己に非のあることを認めて宥恕の意思を表明していること、また被告人は犯行後事の重大さを悟り直ちに一一〇番に電話して自首するとともに救急車を要請していること、さらに被告人にはこれまで前科前歴が全くないこと等有利な事情が存するのでこれら一切の事情を斟酌して量刑すれば、被告人に対しては未遂減軽した上その刑の執行を猶予するのが相当であると思料する。
よつて主文のとおり判決する。
(村田晃 松本芳希 永野厚郎)