大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和59年(ワ)7303号 判決 1985年11月26日

原告

清水明美

被告

山田正人

主文

一  原告の被告に対する別紙記載の交通事故に基づく損害賠償債務は存在しないことを確認する。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文と同旨。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  別紙記載のとおりの交通事故(以下「本件事故」という。)が発生した。

2  原告は、別紙記載の事故車(以下「本件車両」という。)を所有していたものであるが、被告は、原告に対し、本件事故に基づく損害賠償として二五四万〇〇二六円を請求している。

3  よつて、原告は、請求の趣旨記載のとおりの判決を求める。

二  請求の原因に対する被告の認否

1  請求の原因1及び2はいずれも認める。

2  同3は争う。

三  抗弁

1  責任原因

原告は、本件車両を所有し、本件事故当時、自己の運行の用に供していたものである。

2  損害

(一) 受傷、治療経過、後遺症

被告は、本件事故により、頭部、頸部打撲傷等の傷害を負い、昭和五八年九月二〇日から昭和五九年三月三一日までの間富永脳神経外科病院及び徳永病院に通院して治療を受けたが、後遺症として、右上膊部、右後頭部の神経症状が固定し、右前額部に創痕(約四センチメートル)が残存した。

(二) 治療費 八一万七三六〇円

(三) 通院交通費 六万一六四〇円

(四) 休業損害 一三三万七四三六円

被告は、本件事故当時、運転手として稼働して、一か月平均二〇万六八〇〇円の収入を得ていたが、本件事故により、以後昭和五九年三月三一日まで休業を余儀なくされた(なお、長期休業のため、退職せざるを得なくなつた。)。

(五) 後遺障害に基づく逸失利益 二三万〇九五〇円

被告は前記後遺障害のため、その労働能力を五パーセント喪失したものであるところ、被告の就労可能年数は後遺症状固定後二年間と考えられるから、被告の後遺障害に基づく逸失利益を年別のホフマン方式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、左記算定のとおり二三万〇九五〇円となる。

(算式)

六二万〇五〇〇(三か月分の収入)×四×〇・〇五×一・八六一=二三万〇九五〇

(六) 慰藉料

(1) 通院分 六一万円

(2) 後遺症分 一〇〇万円

3  損害の填補

被告は、原告から、右損害額合計四〇五万七三八六円の内一五一万七三六〇円の支払を受けた。

従つて、残損害額は二五四万〇〇二六円となる。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1は、本件車両を原告が所有していたことは認めるが、責任は争う。

2  同2はいずれも不知もしくは争う。

3  同3の既払額は認める。

五  再抗弁

1  運行支配、利益の喪失

原告は、本件事故発生日の数日前に、中辻健次(以下「中辻」という。)に対し、一ないし二時間に限つて本件車両を貸与していたところ、中辻が右約旨に反してこれを返還せず、本件事故当日、原告に無断で木村利通(以下「木村」という。)が運転中本件事故が発生したものであるから、本件事故発生当時、原告の本件車両についての運行支配及び運行利益は喪失していたものである。

2  他人性について

仮にそうでないとしても、被告は、友人である中辻及び木村と共に長時間にわたりドライブをするなどして本件車両を使用していたものであるから、本件事故当時、被告は本件車両の共同運行供用者であつたというべきであり、自賠法三条所定の「他人」に該当しない。

3  無断同乗

被告は、本件車両が中辻のものではなく、原告の所有車であることを知りながら、木村と共に無断で同乗し、自己の遊興を目的として長時間本件車両を利用していたのであるから、衡平の観念上、原告の運行供用者責任を追求することはできない。

4  損害の填補

本件事故による損害については、原告が自認している分以外に、三〇万円の填補がなされている。

六  再抗弁に対する認否

1  再抗弁1は不知もしくは争う。

2  同2は争う。なお、被告は、本件車両を運転したことはない。

3  同3は争う。被告は、年長者である中辻及び木村に誘われ、気が進まないながらもこれに応じ、早く帰宅したいと思いながら本件車両に同乗していたものである。

4  同4は不知。

第三証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  事故の発生

別紙記載のとおり本件事故が発生したことは、当事者間に争いがない。

二  運行供用者について

そこで、まず、本件事故発生時の本件車両の運行供用者等について検討する。

いずれも原本の存在及び成立に争いのない乙第一号証ないし第四号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第一三号証、証人木村利通の証言並びに弁論の全趣旨によれば(乙第一号証及び第一三号証の記載中後記採用しない部分を除く。)、次の事実が認められる。

被告は、本件事故当時、一九歳であり、中学校卒業のころから中学校で一学年上級生であつた中辻及び木村と交遊を続けてきていたものである。中辻は、昭和五八年九月一八日午後、中学校時代の同級生であつた原告から本件車両を借り、同日午後一〇時過ぎころ木村と共に本件車両を運転して被告(の姉)方を訪れた。翌一九日、同所で昼食を済ませた後、被告、中辻及び木村の三名は、本件車両を使用して遊びに行くことにして、午後一時ころ出発し、当初中辻が運転し、途中被告及び木村も交替して運転したりして、午後三時ころ吹田市江坂方面のパチンコ店に行き、午後九時過ぎまで同店でパチンコに興じた後、近隣のレストランに行き夕食をとつた。さらに、中辻、木村が交互に運転して阪急電鉄曽根駅付近の喫茶店に入り、同所でゲームをしたりしていたが、翌二〇日午前二時ころ右喫茶店を出て、阪急電鉄服部駅付近の国道一七六号線沿いのうどん屋に行き、うどんを食べた。その後、さらに木村が大阪市南区内の繁華街に行こうと言つて、本件車両を運転し、中辻及び被告も異議を唱えることもなく同乗したが、右のとおり前日の一九日朝に起床してから全く寝ずに遊び続けていたため、中辻及び被告は寝り込んでしまい、木村も睡気を感じながら、なお運転し続けていたところ、ついに居眠り運転をしてしまい、同日午前四時ころ大阪市西区内において、本件事故を惹起したものである。

前掲乙第一号証及び第一三号証の記載中右認定に反する部分は、前掲各証拠に照らし採用することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定によれば、原告は、その所有する本件車両を知人の中辻に貸与したところ、中辻はその友人である木村及び被告と共に本件車両を使用し続け、右貸与の二日後の未明に木村が運転中本件事故が発生したものであり、原告は、本件事故当時も、本件車両の運行支配及び利益を完全に失なつていたものではなく、なお、これを自己の運行の用に供していたものと認められる。従つて、原告の再抗弁1の主張は失当である。

しかしながら、前記認定のとおり、被告は、友人の中辻及び木村と共に昭和五八年九月一九日午後一時ころから翌二〇日未明まで本件車両を使用して遊びまわつていたものであるから、本件事故当時、被告は、本件車両の共同運行供用者というべきであり、前記パチンコ店を出てから以後は直接本件車両を運転しておらず同乗していたものではあるが、本件事故発生時の本件車両についての運行支配の程度は、所有者である原告と比較すると、被告はより直接的、顕在的、具体的であつたものということができる。

そうすると、本件事故当時、本件車両の共同運行供用者であつた被告は、運行支配の程度が被告よりも間接的、潜在的、抽象的である原告に対しては、自賠法三条所定の「他人」であることを主張して、本件事故に基づく損害賠償を請求することはできないものである。

三  結論

よつて、原告の被告に対する本件事故に基づく損害賠償債務の存在しないことの確認を求める本訴請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 長谷川誠)

別紙

日時 昭和五八年九月二〇日午前四時頃

場所 大阪市西区江戸掘一丁目三番一〇号先交差点(以下「本件交差点」という。)

事故車 普通乗用自動車(滋五六は九七七一号)

右運転者 木村利通

被害者 被告

態様 事故車が本件交差点右側歩道上の礎石に激突して、被告が負傷したもの

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例