大阪地方裁判所 昭和60年(ワ)10021号 判決 1989年11月09日
①事件
原告
東喬
外五名
原告ら訴訟代理人弁護士
井上二郎
同
大川一夫
同
中北龍太郎
同
矢島正孝
被告
国
右代表者法務大臣
谷川和穗
右指定代理人
梶村太市
外九名
被告
中曽根康弘
右両名訴訟代理人弁護士
西迪雄
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは、各自、原告それぞれに対し、金一〇〇万円及びこれに対する昭和六〇年一二月一七日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言。
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
3 仮執行宣言が付される場合における、担保を条件とする仮執行免脱の宣言。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 原告ら
(一) 原告東喬
原告東喬(以下「原告東」という。)は、大正一二年一月二八日生まれで、岸和田市議会議員である。同原告の兄杉山昇(大正九年四月三日生)は、昭和二〇年八月ごろ中国吉林省で戦病死し、靖国神社に合祀されている。
(二) 原告金城実
原告金城実(以下「原告金城」という。)は、昭和一四年一月三日沖縄浜比嘉島で生まれ、高校教員でありまた彫刻家でもある。同原告の父金城盛松(大正九年六月七日生)は、昭和一九年三月一八日ブーゲンビル島タロキナ方面で戦死し、靖国神社に合祀されている。
(三) 原告日根英一
原告日根英一(以下「原告日根」という。)は、昭和六年一二月一五日生まれで、団体職員である。同原告の叔父吉野久太郎(大正七年一二月二三日生)は、昭和一八年一〇月一四日ニューギニアで戦病死し、靖国神社に合祀されている。
(四) 原告宮入昭午(以下「原告宮入」という。)は、昭和五年八月一三日生まれで、教員である。同原告の兄宮入神奈男(大正九年一〇月一七日生)は、昭和一九年九月一六日ミャンマー(旧ビルマ)で戦病死し、靖国神社に合祀されている。
(五) 原告山本幸美
原告山本幸美(以下「原告山本」という。)は、昭和三〇年一一月一九日生まれで、地方公務員である。同原告の伯父山本恭美(大正一二年一〇月八日生)は、昭和二〇年六月一五日フィリピンで戦病死し、靖国神社に合祀されている。
(六) 原告和田洋一
原告和田洋一(以下「原告和田」という。)は、明治三六年九月二二日生まれで、同志社大学名誉教授である。同原告の弟和田虔二(明治四〇年一二月一日生)は、昭和一九年一〇月八日ミャンマー(旧ビルマ)のシャン高原で戦病死し、靖国神社に合祀されている。
2 内閣総理大臣中曽根康弘の公式参拝
被告中曽根康弘(以下「被告中曽根」という。)は、昭和六〇年八月一五日、内閣総理大臣の公的資格で靖国神社に参拝し、いわゆる公式参拝を実行した(被告中曽根が実行した右参拝を、以下「本件公式参拝」という。)。
すなわち、被告中曽根は、右同日午後一時四〇分ころ公用車で靖国神社に赴き、拝殿で「内閣総理大臣中曽根康弘」と記帳し、引き続いて本殿に昇殿し、藤波官房長官及び増岡厚生大臣と横一列に並んで、戦没者の霊を祀った祭壇に約二〇秒間黙とうした後深く一礼を行なった。
そして、祭壇に供えさせていた「内閣総理大臣中曽根康弘」という名入りの一対の生花に対して、同行の秘書官を通じて公費から支出した三万円を「供花料」の名目で靖国神社側に納めた。
参拝後、被告中曽根は、報道陣の質問に対し、「内閣総理大臣の資格で参拝した。いわゆる公式参拝である。」と明言している。
3 本件公式参拝の意味
(一) 靖国神社について
(1) 沿革
ア 明治元年六月、時の東征大総督であった有栖川宮熾仁親王が主宰して「皇御軍」(明治維新の際のいわゆる官軍)戦没者の招魂祭を江戸城大広間で催したのが起源であり、明治二年六月には、この祭祀を承継し永続化するため、東京九段に「招魂社」(招魂場)が設けられた。
招魂祭の趣旨は、当日の祭文に、「恐き将士等の身も棚知らずいそしみ仕奉しに依って此の如き大きなる業は成し得し物と歓び勇みましましつつも、今将士等の命過ぬる事を思食ば古え楠の朝臣が国のために仕奉の労にも並びぬくおぼしめしつつ嘆き賜い悲しみ賜い」とあるように、天皇への忠誠心に対する勲功顕彰としての性格をもっていた。
イ そして、明治一二年六月四日に、「招魂社」は「靖国神社」と改称され、同時に別格官幣社の社格が与えられ政府の行政組織に取り入れられた。
この社号改称・社格制定(官制)の祭文では、「汝命等の赤き直き真心を以て家を忘れ身を擲て各も死亡にし其大き高き勲功に以てし大皇国をば安国と知食す事そと思食すが故に靖国神社と改称え」と、国(天皇)のために戦死した勲功顕彰のための祭祀を行うことを宣し、天皇国家の安泰を祈願する意味で「靖国」の由来を説いている。
ウ 招魂社ならびに靖国神社の施設敷地(境内)は、国有地が提供されている。ちなみに、大日本帝国憲法(以下「明治憲法」という。)下では、他の多くの神社は公法人として国有地であった神社境内地を無償で譲渡を受けているが、靖国神社とその地方分社とも言うべき護国神社については昭和二一年九月まで政府(内務省)の管掌する国有地とされた。
エ 招魂社を設立したのは、当時の軍務官(後の兵部省、さらに後の陸・海軍省にあたる)であり、靖国神社として改称され別格官幣社に列せられてからは、内務・陸軍・海軍の各省の管理下に置かれた。
靖国神社の宮司等「神官」と呼ばれる者は、明治憲法下の公務員(官吏)であり、その人事権は当初内務省に属した。
のちに、明治二〇年以降は「神職(官吏)制度」に改正されるとともに神職の任免権は陸・海軍省に移った。
(2) 宗教性
ア 祭祀の形式
神社様式の施設内において、神と人とを結びつける意味をこめた神道特有の「玉串奉奠」(常盤の葉をもつサカキを神殿にささげる)の儀式をとり行う。
参拝者は、神殿の内外にて正対してこれを仰ぎ、いわゆる柏手を打って神殿に向って頭を垂れて拝礼する。
参拝の儀式のうち最高位のものは、天皇「親拝」の儀式であり、天皇は侍従長だけを随えて本殿の「御座」につき「御拝」(拝礼)し、天皇が供える玉串は宮司から侍従長を経て天皇に手交し、天皇はその玉串を暫く手にして再度もっとも丁重な「御拝」をし、そののち侍従長を経て玉串を宮司に渡し、宮司はこれを神前にささげる。
前述した招魂の儀式は、右のような神道的儀式のもとに人霊を神殿内に招き入れて奉祭し、後述の霊璽を「正殿」に祀ることにより人霊が「神霊」になると意味付けられている。
そして、この神霊は、皇祖皇宗の神々や現人神・天皇の輩下と位置付けられていて、君主(現人神)が親拝することにより、より一層国家の中での権威が高められた。
イ 祭祀の対象
明治維新前後の内乱による戦死者七七五一名をはじめとして、その後の戦乱により戦死した国民(臣民)を「神霊」として祀っているほか、二名の戦死した皇族も別格に神霊として祀っている。
「神霊」の象徴は、神社本殿内の玉座におさめた「霊璽」と呼ばれる戦死者の名簿であるが、霊璽に登載された戦死者は一定の神道儀式を経て一人ひとりが「御霊」(みたま)と呼ばれて神として崇められる。
ウ 教義
神と崇める戦死者の神霊は、天皇国家の守護神(軍神)とされ、時として「神風」を起こすような霊力を有すると信じられ、かつまたそのように祈願されている。
この神(霊)は、皇祖皇宗や戦死者の霊を崇敬する「教え」として説かれる以外には、人倫・道徳に関する教典を有しない。
その意味では、仏教における「仏典」、キリスト教における「聖書」あるいはイスラム教における「コーラン」の如き創唱的な教義は見当たらない。
発生史的には、わが国古来の民間信仰である「御霊神仰」、すなわち災厄をもたらすと信じられている怨霊を鎮めようとする一種の脅威神信仰にその源を発し、古来の農業神信仰(伊勢参り)である神道神社の宗教の形をとり、明治維新以後、伝説上の天照太皇神を祖先と祀り在世天皇を「現人神」として崇める天皇制と結合した単立の宗教である。
(3) 戦前の特徴
ア 国家神道の成立
(ア) 明治以前の神社神道は、自然宗教的な性格をもつ民族信仰(前述の農業神信仰の如きもの)に留まっていたが、明治新政府の成立とともに倒幕の象徴とされた天皇(明治天皇)を神格化する政府の政策が実行され、新しい形の神道が国家政策の中で創設された。
天皇神格化の思想体系は、天皇は天照皇太神の子孫であり、日本国の国土・国民のすべてが天皇=「天子様」のものであるとの論理(明治初期に政府が国民に向けた告諭)を出発点とし、明治初年の「神仏判然令」や「神社の社格化」(官制化)に始まりその後の「軍人勅諭」(明治一五年)・「明治憲法」(明治二二年)・「教育ニ関スル勅語」(明治二三年)によって、神道の国営化および「惟神」(神道)の最高祭祀者としての天皇の位置付けが完成していった。
(イ) 明治憲法・告文では、天皇は天孫降臨以降永遠に続く皇祖皇宗(天照皇太神を始祖とする)を崇拝する神道(惟神)の祭祀者であることが宣言され、また同憲法三条では「神聖ニシテ侵スベカラ」ざる「現人神」として崇拝することを国民に強制している。とくに、社会教育の面では軍人に対して「朕が上夫の恵に応じ祖崇の恩に報いまいらすることを得るも得ざるも、汝等軍人が其職を尽すと尽さざるとに由るぞかし」と身命を擲つことをあからさまに強要し、国民一般に対しては「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ独リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラスヌ以テ爾祖先ノ遺風顕彰スルニ足ラン」とこれまた国民の使命は天皇を頂点とする神道国家への翼賛・滅私奉公にあることを説いて、神道を最上位とする道徳律を国民に強制した。
(ウ) このように、明治から敗戦に至るまでの国家形態は、皇祖皇宗の神々の御心によって授けられた天皇の地位(宝祚)にもとづき、憲法上は宗教(国教としての神道)・軍事・政治のすべからくを明治・大正・昭和の天皇「大権」により統治するというものであった。
その思想的支柱は、国家が祭祀を主宰する神道、すなわち「国家神道」の成立にある。
「国家神道」の成立にあたり、明治政府(明治天皇)は、古来の神社神道を祭祀活動(神社における儀式中心)と宗教的活動(布教・葬儀・個人の霊魂救済など)とに分離し、祭祀の部分を国家において管理しかつ国家権力によって権威づけ、そして神社の祭祀と皇室神道(宮中祭祀)とを結びつけた。
イ 軍国主義的性格
(ア) 明治以来戦前の日本は、天皇の統帥権のもとに軍国主義の国家形態をとっていたことは、今や国の内外を問わず争いのないところである。
ところで、戦前日本の軍国主義は、統帥権を嵩にきた軍部の専横のみで独り成立し得たのではなく、八紘一宇の思想に代表されるように、独善にもとづく国家神道の下で培われた天皇国家に対する忠君愛国・滅私奉公の偏狭で絶対主義的な当時の国民の道徳観・世界観がそれに大きな力を与えている。
ただし、右のような国民の道徳観・世界観は、決して国民の側で自発的に生じたものではなく、前述のように「軍人勅諭」、「教育ニ関スル勅語」による徹底した普通教育によって権力が強制したものであることも、これまた争いのないところである。
(イ) このような軍国主義の生成・発展の最大の精神的支柱の役割を果たしたのが靖国神社である。
歴史上極めて特異なのは、靖国神社は軍により創設され、天皇大権下の軍部によって管理されてきたことである。
戦争に駆り出された青・壮年者は、戦死に直面したとき母を想いあるいは妻子に想いを馳せても、その想いを言葉にすることすら許されず、ひたすら国を想い「万歳」を唱えて死ぬことが美徳とされた。
出征兵士の間では、戦死して国の守護神(軍神)となることが崇高な理想とされ、「靖国で会おう」の再会の挨拶が美しいとされたのである。
戦死して軍神となると、軍国日本の最高権威者であり「現人神」である天皇が、宮中祭祀におけると同様に畏くも自分達の霊を「親拝」されるわけで、靖国神社の祭祀(軍神)となることは、子々孫々にわたって名誉のことであった。
他方、戦死者の遺族は、息子として夫としての戦死者への肉親の情を公然と表現することは不謹慎なものとして許されず、国家社会から一方的に「英霊」の母、「英霊」の妻としてたたえられ、とまどいながらもその居住いを正さなければならなかったのである。
戦死者の「人霊」は、愛しい家族の許には帰されず、国家と靖国神社の一方的な意思によって遺族には何らの断りもなく同神社に合祀され、国家と靖国神社の手によって、軍国日本の、そして天皇家祖先の神々の輩下としての「神霊」として扱われ、さらに累々とそれに続く戦死者を正当化する宗教的あるいは思想的装置として利用されていった。
出征兵士に犬死の疑念をさしはさませず、その怨念を周到にも生前から鎮め、戦死者遺族に国家・天皇への憤慨を公然化させないため、国家は皇国史観教育を国民に施し、その頂点にある国家神道・靖国神社を国民の間に定着させ国民が靖国神社を崇敬するよう強制していったのである。
(ウ) このように、靖国神社は軍国主義日本の象徴であり、国民を戦争に向けて統合する精神的中核をなす「軍事施設」であった。
事実、靖国神社境内には、遊就館・国防館と呼ばれる二つの国立軍事博物館が設けられていたし、将校クラブ偕行社や、帝国在郷軍人会のための軍人会館や、翼賛団体の愛国婦人会本部建物も設けられ、軍国主義の啓蒙施設でもあった。
(4) 戦後における靖国神社
ア 神道指令
(ア) 敗戦により、連合国が日本を占領したが、昭和二〇年一一月一日付で、連合国は占領軍当局に対し「日本占領及び管理のための連合国最高司令官に対する降伏後における初期の基本指令」を発し、その中で「日本の軍国主義的及び超国家主義的イデオロギーと宣伝とのいかなる形式における公布も、禁止され且つ完全に抑圧される。貴官は、日本政府に対し国家神道施設への財政的その他の援助を停止するように要求する」指令が含まれており、これを受けて占領軍総司令部は日本政府に対し「政教分離」(国家神道廃止)を指令した。
(イ) ポツダム宣言受諾と連合国統治により民主化が図られたわが国は、昭和二一年一一月三日、帝国憲法改正という形式をとって日本国憲法(以下「憲法」という。)を発布した。そして、憲法は連合国指令にかかる前記政教分離(国家神道廃止)の原則を民主的に追認し、憲法二〇条をもって政教分離原則を定め、二度と再び政府の策謀(例えば国家神道を復活させようとしたり、軍国主義思想を広めること)によって戦争の惨禍を起こさないことを宣言した(憲法前文)。
イ 宗教法人化
昭和二七年九月、同年一月に施行された宗教法人法により、靖国神社は東京都知事の認可を受けて「宗教法人」として存続の道を選んだ。
宗教法人法一二条にもとづいて所轄庁の認証をえた「宗教法人靖国神社」の規則三条ではその目的を左のように明記している。
「本法人は明治天皇の宣らせ給うた『安国』の聖旨に基き、国事に殉ぜられた人々を奉斎し、神道の祭祀を行い、その神徳をひろめ、本神社を信奉する祭神の遺族その他の崇敬者を教化育成し、社会の福祉に寄与し、その他、本神社の目的を達成するための業務を行うことを目的とする。」
このように、靖国神社は、敗戦直後いったんは、政教分離の原則の前に国家の庇護より離脱せざるを得ず、単立の宗教法人として運営することを宣明した。
ウ 性格の一貫性
(ア) 既に述べたように、靖国神社は国家神道の成立とともに、明治以後創立されたもので、国家神道体系の頂点に位置し、古来の神社神道とは明らかに異質の、天皇の「大御心」に基いて創立された、国のため戦死した者の勲功顕彰のための宗教的施設であった。
同時に、靖国神社は、戦死者を皇祖皇宗の神々に準じて神霊と崇め、戦死を賛美する軍国主義施設であった。
(イ) 戦後の靖国神社も、国家神道に由来する宗教的施設であり、戦死者を神霊として崇めることにより戦死を他の死亡原因(空襲などによる戦災死)とは峻別し、戦死のみを気高いものとして賛美している点で戦前と変らず、その歴史的な意味も加わって軍国主義的性格を残している。
(ウ) 「明治天皇の宣らせ給うた靖国の聖旨に基く」というのは、現天皇に連らなる天皇家祖先の大御心にその存在基盤を置き、日本国の象徴である天皇との結びつきを求めていることが明らかであって、これは既述した国家神道の系譜にほかならない。
(エ) また、戦死者(「国事に殉ぜられた人々」)を、神道祭祀の方法で、人霊ではなく、「神霊」として祀っていることも戦前と同じである。
戦後も、戦死者は「霊爾」に記されて合祀されたままであるが、これは戦後になって遺族があらためて靖国神社に合祀を委託したものではなく、戦前、国家神道・軍国主義に則って国家や靖国神社の一方的意思によってなされた合祀をそのまま承継している。
(オ) 靖国神社が、このように戦前の国家神道的性格・軍国主義的性格を継承し、これを払拭できない理由は、「神霊」崇拝にある。
既述したように、軍国主義の下での戦死を賛美し、天皇を最高の祭祀者に戴いて神道祭祀を施すことによって、はじめて戦死者の人霊が神霊に転化されるのであって、戦死賛美や天皇祭祀との結合を取り去ってしまっては神格化は成立しない。
エ 靖国神社のかかえる矛盾から国家護持推進論への展開
(ア) 戦後、靖国神社は、平和主義憲法と相容れない軍国主義的性格・国家神道の系譜を払拭できず、これを胚胎したまま宗教法人化され、矛盾をかかえることとなった。
靖国神社にとって、神霊は国家のために名誉の戦死を遂げたが故に、生命を捧げた国家によって崇敬されなければ、その神格化を戦後においても維持できない。
(イ) 後述するように、靖国神社国家護持推進論者の側では、「戦死すれば国の神として祀られる(国家神道)というから生木を裂く思いで出兵し、あるいは肉親を戦場に送り出したのに、戦争が終ってみれば、国や国民は『英霊』(神霊)として扱ってくれない。これでは肉親の戦死は犬死扱いに等しい」との遺族の中の憤慨を利用して、国が英霊(神霊)を手厚く崇拝すべきである、そのためには靖国神社を国営としなければならない旨要求している。
この主張は、国家が靖国神社という宗教施設を援助して、はじめて戦死者の人霊が真に神格化する図式を如実に物語っている。
オ 平和憲法の下での戦没者慰霊
軍国主義下であまたの戦争犠牲者を生み出した日本は、その犠牲のもとに世界に冠たる平和主義・民主主義を唱いあげた現憲法を手に入れることができたのである。
現憲法下の国民は、親・兄弟・夫・同胞の尊い犠牲によって平和と民主主義の恵みを受ける権利を有するようになったわけで、戦死者への慰霊は、ひっきょう「過ちは繰り返しませぬから、やすらかにおねむり下さい」(広島・原爆慰霊碑文)に表現されるように、ヒューマニズムにもとづいた敬虔な平和への祈願にほかならないのである。
平和主義日本では、戦死者への哀悼こそあれ、軍国日本の守護神として「靖国の御霊」として戦意高揚のために戦死者を利用することは許されなくなった。
(二) 本件公式参拝に至る経過
戦後、神道指令及び憲法により、靖国神社は国家との結びつきを完全に遮断された。だが、両者の結合を求め、靖国神社を公的に復権させ、国家によって護持(国営化)しようとする動きは、執拗に続けられてきた。
しかるところ、公式参拝は、文字通り、靖国神社と国家との結びつきを復活させて靖国神社を公的に復権させ、また、国家護持への突破口を拓くものと位置づけられている。
(1) 靖国神社法案の動き
靖国神社の公的復権を目指す勢力にとって、国家護持はその最終目標であった。
靖国神社の公的復権を求める動きの端緒となったのは、日本遺族会の前身である日本遺族厚生連盟が昭和二七年一一月一六日に靖国神社の慰霊行事に対する国費の支弁を決議したことに求められる。これを契機に、国家護持がさかんに唱えられはじめた。そして、一九五〇年代後半から、遺族会・旧軍人団体・右翼団体・神社関係者らによって、国家護持の動きが急速に強められていった。その結果、昭和四四年六月三〇日、靖国神社法案が自由民主党の手でまとめられ、議員立法として、第六〇回国会に提出された。
右法案は審議未了となったが、その後も立法化の動きは継続された。だが、第六三回国会(昭和四五年)で審議未了、第六五回国会(昭和四六年)で審議未了、第六八回国会(昭和四七年)で審議未了、第七一回国会(昭和四八年)で継続審議、第七二回国会(昭和四九年)で衆議院を通過したものの、参議院で凍結され、五日目の廃案となった。
この挫折は、反対の世論が高まったことの外に、憲法の政教分離原則に背反するという法案の問題性によるところが大であった。また、国営化推進派にとっても、右法案は、憲法との関係で国営化のためには靖国神社の宗教性が奪い去られるという矛盾があった。
そこで、靖国神社の国家護持を求める動きは、一方で憲法「改正」を、他方で既成事実を積み重ね憲法の拘束をなし崩し、あるいは解釈の面から憲法を実質的に変えていくといった方向を目指すようになった。後者の動きは、藤尾衆議院内閣委員長の私案として昭和五〇年二月一七日に発表された慰霊表敬法案という形で結実した。右法案は、天皇及び国家機関員等の公式参拝、外国使節の公式表敬、自衛隊の儀仗参拝を眼目としており、国会提出までには至らなかったものの、昭和五〇年三月一八日自由民主党の党案として決定された。
そうして、この国家機関員の公式参拝を実現することこそが、国家護持及び公的復権を推進する勢力の当面の重要な課題となっていくのである。
(2) 首相参拝の変遷
慰霊表敬法案の構想が明らかにされた昭和五〇年に早くも首相の参拝への動きが開始された。同年八月一五日の終戦記念日に、三木首相は戦後の首相としてはじめて靖国神社を参拝した。この参拝を皮切りに、歴代首相の春秋礼大祭や八月一五日に靖国神社を参拝することが恒例化していく。もっとも、三木首相は右参拝にあたって、私人としての参拝を強調し、①公用車の不使用、②玉串料を国庫から支出しないこと ③記帳には肩書を付さないこと ④公職者を随行させないこと を私的参拝の基準として挙げ自己規制した。
ところが、昭和五三年八月一五日、福田首相は、私的参拝と言いながら、公用車を用い、三名の公職者を随行させ、「内閣総理大臣福田赳夫」と記帳して参拝した。前記四条件のうちあえて三つを無視し、ただ一つ玉串料を私費で支払ったのみであった。同年一〇月一七日発表された政府統一見解は、玉串料を公費で支出することが無い限り私的行為とみるべきであるとした。
太平首相は福田首相の方式を踏襲し、鈴木首相も当初は同様であった。
ところが、昭和五七年鈴木首相の三度目の終戦記念日における参拝では、従来の私人としての立場での参拝から一歩踏みこんで、公私の区別の明言を避けるという態度をとった。
このように、首相の参拝は、当初は私的行為と強調されたが、徐々になし崩しにされていったのである。
つづいて、被告中曽根は、昭和五八年四月二一日、春季例大祭で、内閣総理大臣就任以来初めての参拝を行うが、この際、「内閣総理大臣たる中曽根康弘」を強調した。政府は、「内閣総理大臣たる」は形容詞句であり「内閣総理大臣として」とは若干異り、この表現を用いても私的参拝であることに変わりはないと説明した。しかし、公式参拝へあと一歩というところまで大きく踏み出したことに間違いはない。
かくして、既成事実を積み重ねることによって、公式参拝への布石が着々と打たれてきたのである。
(3) 政府見解の変更と公式参拝
鈴木内閣の下で法務大臣の地位にあった奥野誠亮が憲法は公式参拝を禁止していないと発言し、これに批判が高まったことから、政府は昭和五五年一一月一七日統一見解を表明した。その見解は、
「政府としては、従来から、内閣総理大臣その他の国務大臣が国務大臣としての資格で靖国神社に参拝することは、憲法第二〇条第三項との関係で問題があるとの立場で一貫してきている。……このような参拝が違憲ではないかとの疑いをなお否定できないということにある。そこで政府としては、……国務大臣としての資格で靖国神社に参拝することは差し控えることを一貫した方針としてきたところである。」
というものであった。なお、この見解以前に発表されてきた参拝を私的行為と強調する政府見解も、憲法判断に関して右見解と同一基調に立つものであった。
しかるに、被告中曽根は、右見解を変更し公式参拝を合憲とする政府見解を打ち立てるべく画策していった。
この試みは、昭和五八年七月八日、被告中曽根が自由民主党に対し、内閣総理大臣及び閣僚の靖国神社参拝の合憲性を根拠づけるよう指示したことに始まる。これを受けて、自由民主党は、党政務調査会内閣部会内に設置した靖国神社問題に関する小委員会を再開し、小委員会に前記奥野を起用し検討作業を開始した。次いで、被告中曽根は、同月三〇日、前記政府統一見解について、「あいまいな点があり、内閣としてさらに検討する」旨強調した。これに呼応して、自主憲法の制定を目指す自主憲法期成議員同盟は、昭和五八年八月一〇日、「靖国神社公式参拝が合憲であることの法的論拠」を発表した。
右小委員会の検討作業は急ピッチで進められ、同年一一月一五日、以下の見解をとりまとめた。
「公的機関が、慰霊、表敬、慶祝等を行うことが適当であると考えられる場合に、その目的で神社・寺院等を訪れて礼拝等を行い、同時にまた宗教行事に参加して弔意を述べ、功績をたたえ、祝意を表する等のことは憲法が禁止する宗教的活動には当らないと考えられる。
その際の玉串料、香華料等を公費で負担しても、それは供物、神饌、生花、榊等を整える経費などにあてられるものであって、当該宗教法人に対する財政援助を目的とするものでないから憲法八九条に違反しないと考えられる。」
「靖国神社は国家のために生命を捧げた全国の戦没者をまつるところである。戦没者の遺族のみならず、多くの国民がここを訪れる。それはもっぱら、戦没者が国家のために貴い生命を捧げたという事実に対し、感謝の敬意を表わし、みたまを慰め、訪れる者の決意を表明するなどの意図に出るものである。
国を代表する内閣総理大臣が時に靖国神社を訪れるのは当然の関係である。内閣総理大臣と記帳しながら、私人としての私的参拝だといって物議をかもしてもきた。内閣総理大臣と記帳しての参拝は、公人としての公式参拝とうけとめることができる。多くの人達の望んでいるのはこのことであって、あえて閣議決定などの形式を望んでいるのではない。」
この見解は、昭和五九年四月一三日に自由民主党総務会で了承され、正式に党見解となった。
自由民主党の合憲との見解が出るや、被告中曽根は、同年七月一七日、官房長官の私的諮問機関として「閣僚の靖国神社参拝問題懇談会」(以下「靖国懇」ともいう。)を発足させた。その意図が公式参拝への最後の足枷になっていた前記政府統一見解の変更にあったことは明白である。靖国懇は、昭和六〇年八月九日、報告書をまとめた。
右報告書は、
「憲法との関係をどう考えるかについては、最高裁判決(津地鎮祭事件)を基本として考えることとし、その結果として、最高裁判決に言う目的及び効果の面で種々配慮することにより、政教分離原則に抵触しない何らかの方式による公式参拝の途があり得る」
との考えを打ち出した。そして、以下のように公式参拝を実施する方途を検討すべきであると結論づけた。
「最高裁判決の解釈として、靖国神社に参拝する問題を地鎮祭と同一に論ずることはできないとの意見もあったが、一般に、戦没者に対する追悼それ自体は、必ずしも宗教的意義を持つものとは言えないであろうし、また、例えば、国家、社会のために功績のあった者について、その者の遺族、関係者が行う特定の宗教上の方式による葬儀・法要等に、内閣総理大臣閣僚が公的な資格において参列しても、社会通念上別段問題とされていないという事実があることも考慮されるべきである。
以上の次第により、政府は、この際、大方の国民感情や遺族の心情をくみ、政教分離原則に関する憲法の規定の趣旨に反することなく、また、国民の多数により支持され、受け入れられる何らかの形で、内閣総理大臣その他の国務大臣の靖国神社への公式参拝を実施する方途を検討すべきであると考える。」
しかしながら、右靖国懇報告書は、公式参拝の憲法適合性について明確には結論を出せず両論併記にとどめ、また、玉串料等の公金支出に関しても何ら言及できなかった。そればかりか、公式参拝の実施には多くの難関があることを指摘せざるを得なかった。すなわち、参拝方式と政教分離との関係、合祀対象者とくにA級戦犯者の合祀、国家神道、軍国主義復活、信教の自由侵害、政治的対立、国際的反応等がそれであった。
しかるところ、政府は、靖国懇報告書の結論的部分のみを都合よく利用し、これに依拠して諸問題とりわけ憲法適合性について慎重な検討を怠ったまま、昭和六〇年八月一四日、藤波官房長官を通じて内閣総理大臣の靖国公式参拝を正式に発表した。そして、第二で述べたとおり、被告中曽根は本件公式参拝に踏み切ったのである。
なお、同年八月二〇日、同官房長官は、公式参拝について、
「靖国神社の本殿又は社頭において一礼する方式で参拝することは、同項(憲法二〇条三項)の規定に違反する疑いはないとの判断に至ったので、このような参拝は、差し控える必要がないという結論を得て、昭和五五年一一月一七日の政府統一見解をその限りにおいて変更した。」
と説明し、従来の政府統一見解の変更を明らかにした。
(三) 靖国懇報告批判
靖国懇報告は、会員の全員一致の意見ではないとしながらも、結論としては憲法に違反しない公式参拝の途がありうるとし、その論拠を主として津地鎮祭最高裁判決(最高裁昭和五二年七月一三日)に求めている。同判決に対する批判は後記4の(一)の(4)のとおりであるが、靖国懇報告はその論拠として右最高裁判決の目的効果基準を援用している。しかし、その援用の仕方が極めて恣意的であるばかりか、右最高裁判決のいう目的効果基準を不当に濫用したものというべきものである。
靖国懇報告は、津地鎮祭最高裁判決の判旨を要約して紹介するにつき、右最高裁判決が最も重要な基準として述べている文言を省略している。すなわち、報告では、「宗教的活動」の意義について判旨を要約したあとに続いて、
「ある行為がこの宗教的活動に該当するかどうかを検討するに当たっては、当該行為の外形的側面のみにとらわれることなく、諸般の事情を考慮し、社会通念に従って客観的に判断すべきである。」
と紹介している。これでは、津地鎮祭最高裁判決があたかも諸般の事情と社会通念だけで判断してよいと言っているかの如くみえる。しかし、右最高裁判決はこの個所について次のとおり述べているのである。
「ある行為が右にいう宗教的活動に該当するかを検討するにあたっては、当該行為の主宰者が宗教家であるかどうか、その順序作法(式次第)が宗教の定める方式に則ったものであるかどうかなど、当該行為の外形的側面のみにとらわれることなく、当該行為の行なわれる場所、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度、当該行為の一般人に与える効果、影響等、諸般の事情を考慮し、社会通念に従って、客観的に判断しなければならない。」
津地鎮祭最高裁判決が考慮すべきだとする「諸般の事情」として「当該行為の行われる場所、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度、当該行為の一般人に与える効果、影響等、諸般の事情」が明示されており、これら諸事項を踏まえたうえで判断すべきだとして、「社会通念」の基準が示されている。ところが靖国懇報告では、肝心の右部分を省略しているのである。
津地鎮祭最高裁判決を、本件公式参拝の憲法適合性の有無の判断に用いるには、右部分、とりわけ「当該行為の行われる場所、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為の一般人に与える効果、影響」の考慮が極めて重要かつ不可欠である。
津地鎮祭では、行為が行われた場所は建物の工事現場であり、そこに臨時に祭具を設けてなされたもので、これを特に多くの国民が注視していたわけでもないであろう。ところが本件参拝行為は、明らかに宗教施設である靖国神社において行われた。それも、前述のとおりの経過を経て、公式参拝の合憲性の有無やその是非をめぐって世論が沸とうする中で、まさに国民注視の中で行われたのである。その「一般人に与える影響、効果」はあまりにも大きい。本件公式参拝が国の内外に与えた衝撃とその影響の甚大さは測り知れないものがある。
太平洋戦争において、日本の軍国主義により国土を蹂躙され、多くの国民を殺されたアジア諸国の人々から、本件公式参拝に強い抗議がなされた事実に照らしても、このことは明らかであろう。
従って、津地鎮祭最高裁判決の目的効果基準論においても、本件公式参拝は、津地鎮祭の場合とは著しく異り、参拝の「場所」、「一般人の宗教的評価」、「一般人に与える影響」等を考慮すれば、憲法二〇条三項が禁止する「国及びその機関」が行う「宗教的活動」に該当することは明らかというべきである。
(四) 本件公式参拝の意味と役割
被告中曽根は、旧くから靖国神社問題に積極的な発言をしてきた。
昭和四三年五月、運輸大臣当時、拓殖大学総長として、「正式に参拝する場所がなければ国家ではない」旨講演し国家護持を訴えた。
昭和四七年三月、党総務会長を務めていた当時、靖国神社法成立促進国民大会の席上、「靖国神社を、魂を持つ、神性を持つ靖国神社として護持したいというのが、私達の信念なのであります」と発言した。
また、同年四月には、雑誌「民族と政治」に「英霊国家護持を早く実現しよう」と題する論文を寄稿している。
最近では、本件公式参拝直前の昭和六〇年七月二七日、自由民主党軽井沢セミナーにおいて、「国のために倒れた人に対して国民が感謝をささげる場所はある。これは当然なことである。さもなくして、だれが国に命をささげるか」との見解を披瀝した。
このように、被告中曽根は、靖国神社をその宗教性を維持したまま英霊を祀る施設として、国家によって護持していくという見解を一貫して採ってきた。本件公式参拝が、このような発想に基づいて行われたことは明らかであるし、また国家護持を実現するための重要な布石として位置づけられていることも疑いない。
しかるところ、3の(一)で詳述したとおり、戦前、靖国神社は、陸海軍が管理し、戦死すれば天皇によって「英霊」として祀ることによって、天皇制国家に対する忠誠心を植えつけ、国民を戦争に動員するための軍国主義施設であり、文字どおり「国に命をささげさせる為の装置」であった。
戦前の歴史的経験は、国家と靖国神社との結合・癒着が平和主義と相容れないことを教えている。
そしてまた、戦後においても、靖国神社は、戦没者を軍神として祀り顕彰する神道施設との基本的性格を保持している。
この靖国神社に被告中曽根が国家の代表者として公式参拝することは、その行為自体、戦死を最高の道徳と賛え、国民一般に同じように振る舞うことを勧める客観的な機能・効果を有している。そればかりでなく、被告中曽根は、昭和六〇年七月二七日の前記発言から考えて、国民が「国に命をささげる」ことを賛美しているといっても決して過言ではない。
本件公式参拝の右の如き意図・役割は、前記奥野が昭和六〇年五月一七日付朝日新聞紙上に投稿した論文によっても裏付けられている。すなわち、「私たちは、不幸にして外部から侵略を受けた場合、この国の独立を守るために自衛隊と共に全力を傾ける。その際、命を落としたみたまが靖国神社にまつられることになっても、憲法は公務員の慰霊参拝を許さない、との説は理解しにくいことである。」と明言しているのである。その内容は、前記被告中曽根の発言と全く軌を一にしている。
もはや、本件公式参拝が憲法の平和主義を根底から蹂躙することは明白である。
4 本件公式参拝の違憲性
(一) 政教分離原則、信教の自由違反の違憲性
(1) 政教分離原則と信教の自由の趣旨
憲法二〇条は、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」(一項)「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教活動もしてはならない。」(三項)と定め、憲法八九条は「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。」として、信教の自由と政教分離の原則を定めている。
ア 信教の自由
信教の自由は、近代における人間の精神的自由確立の先駆をなし、かつその核心をなすものであって、近代憲法史においても自由権保障の根幹をなすものとして形成されてきた。
近代以前にあっては、特定の宗教や社寺、教会等が精神的権威の担い手であったばかりではなく、それ自体が強力な政治権力であって、これらの教義に反対する者は異端者として排斥、弾圧された。封建体制はこれらの権威、権力と合体し、それによって支えられていたのである。近代における市民社会生成の不可欠の前提であった人間の自我の確立、精神の自由の確立は、このような宗教による支配の体制を打破することなくしては達し得なかった。ひとしく近代憲法が、人権保障の中核として信教の自由を掲げているゆえんである。
憲法二〇条の定める信教の自由は、特定の宗教を信じまたは一般に宗教を信じない自由を意味する。そして信教の自由は、憲法一九条が保障する思想・良心の自由の宗教的側面としての意味をもっているから、その点において保障は絶対無制約のものと解される。人の内心の問題、魂の問題は、国家権力がいかなる方法であれ、かかわることが許されないものとして、その不可侵性が認められ、保障されているのである。
従って、国家権力が特定の宗教を正統なものとして国民に対しその信仰を勧奨したり、あるいはみずからこれに傾斜したりすることは、国民の信教の自由を侵すものであり、本条によって厳しく禁止されているところである。
イ 政教分離の原則
政教分離の原則は、国家が特定のあるいはすべての宗教とかかわることによって、特定の宗教を優遇し、あるいは宗教を無宗教に対して優遇してはならず、国家と宗教との間に分離の壁を設けなければならないとする原則である。国家と宗教が結びつくとき、異教徒や無宗教者に対する迫害が生じ、国民に対するイデオロギー支配がなされることは歴史の示すところである。憲法が保障する人権はすぐれて歴史的概念であり、すべて歴史の所産である。従って、わが憲法二〇条の定める政教分離原則も、その内容を正確に把握するには、歴史的な考察が不可欠である。
(2) わが国における政教分離原則の歴史的意義
明治憲法にあっては、「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」とされ、信教の自由は留保付きの保障にすぎなかった。そのため、法制上は国教が存在しなかったにも拘らず、神社神道が事実上国教化されて特権的地位を保持し、神社に対する「崇敬」が神権的天皇制下における「臣民の義務」として国民に強要された。神社のうち官国幣社の経費は国庫の負担とされ、神職には官公吏の地位が与えられ、祭政一致の体制が確立されていた。そこにおいては、他の宗教は国教化された神道即ち国家神道のもとに従属的な地位しか認められず、治安維持法、宗教団体法等の下で、大本教、ひとのみち教団、創価教育学会、日本キリスト教団などに対しては、「臣民ノ義務」に反し「安寧秩序」を妨げるものとして厳しい弾圧が加えられたことは周知のとおりである。国家神道は、その教典的役割をもっていた教育勅語と共に神権的天皇制を支えるイデオロギーとして、軍国主義の精神的基盤として、まさに決定的な役割を果たしたのである。そして、軍国主義に奉仕する宗教的装置としてその頂点に位置していたのが靖国神社であった。太平洋戦争中、国民は神社への参拝を強制され、「神」となった「英霊」に対する「崇敬」もまた強制された。かくして明治憲法下の信教の自由は完全に形骸化し、無きに等しいものとなっていた。
敗戦の昭和二〇年一二月、連合国最高指令部により、いわゆる「神道指令」が発せられ、軍国主義の精神的基盤となっていた国家神道は解体を命ぜられ、国家と宗教の完全な分離が図られた。
憲法の定める政教分離の原則と信教の自由の保障は、右に述べたような明治憲法下の国家神道体制に対する厳しい反省と、それに対する根本的批判に基づくものである。すなわち、国家と宗教が再び結合、癒着することを絶対に阻止するために、両者の完全な分離を要求し、信教の自由を徹底して保障しようとするものである。
(3) 政教分離原則の内容・性格
ア 人権規定としての政教分離
憲法二〇条、八九条によって保障されている政教分離原則は、信教の自由保障のための単なる手段として位置づけるものではなく、信教の自由確立のための必須の前提であって、両者は、「分離は自由を保障し、自由は分離を要求する。」関係にあり、分離と自由は別々の観念ないしは原則ではなく一つの硬貨の両面と捉えるべきである。政教の結合がなされれば、直ちに信教の自由の侵害をもたらす。それは、戦前、戦中の例、即ち国家神道体制下にあって他の宗教が神権天皇制の国体観念への従属を強いられ、個人の信教の自由が著しく侵害されたことに照らして明らかである。
憲法は、この歴史の体験を踏まえ、かつ両者のこのような関係に着目し、政教分離を信教の自由の一内容をなすものと捉えているのであり、従って政教分離規定は、これを人権保障規定と解すべきである。
イ 絶対的分離の要請
明治憲法下の「信教ノ自由」がいかに脆いものであったか、そしてそれは政教結合の必然の結果であったことは既にみたとおりである。
信教の自由は、なによりも人間個人の内心の問題であるから、本質的に多数決や「通念」による処理になじまないものである。同時に、信教の自由と政教分離は、憲法の基本原理を成している基本的人権尊重主義と民主制の根幹を支える極めて重要な権利である。
信教の自由は、思想・良心・学問の自由や言論・集会・結社の自由等の他の基本的人権と相互に密接な関係にあり、これらが互いに携え、支え合うという関係にある。一つの自由の保障が他の自由の保障を促進させ、一つの衰退は他をも弱体化させる。
さらに、国家権力が特定の宗教を特権化したり、これを勧奨したり、あるいはみずからこれに傾斜すると、他の宗教の信者や特に宗教を持たない者の信教の自由を侵す。すると、侵された者は心情においてその権力の統治に服することに抵抗することになり、権力はそれら市民に対しより権力的・抑圧的になり、その結果政治は非民主化される。これは、まさに歴史の教えるところである。政教の結合、癒着は国家によるイデオロギー支配にほかならず、それは民主制そのものを破壊するのである。
これらのことから、政教の分離は、厳格かつ絶対的なものであることが要請される。憲法が、「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」(二〇条一項後段)「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」(同条三項)と定めたうえ、さらに八九条で「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、……これを支出してはならない。」と明確かつ比較的詳細に定めているのは、国家神道体制によるイデオロギー支配が民主主義を壊滅させた、あの戦前、戦中の歴史を教訓として、その復活を絶対に阻止するとの意図のもとに、厳格かつ絶対的な政教分離を求めているからにほかならない。
(4) 津地鎮祭最高裁判決の目的効果論について
ア 判決批判
津地鎮祭最高裁判決は、憲法の禁止する「宗教的活動」の意味及び範囲について、「およそ国およびその機関の活動で宗教とのかかわり合いをもつすべての行為を指すものではなく、そのかかわり合いが相当とされる限度を超えるものに限られるというべきであって、当該行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助・助長・促進または圧迫・干渉になるような行為をいうものと解すべきである。」とし、いわゆる目的効果論による限定的解釈を採用した。
しかし、政教分離原則を緩和する右のような見解が確立したものとはいえない。
最高裁長官をはじめ五名の裁判官が反対意見を表明し、わずか八名の裁判官が賛同してできあがった多数意見にすぎず、大方の学説は反対意見を表明している。
そして、右最高裁判決には、以下のとおり多大の問題点が堆積している。
(ア) まず、限定的解釈をする理由・必要は、国家と宗教との完全な分離は、「実際上不可能に近い」ということと、「不合理な事態を生ずる」という主張だけで、はなはだ説得力に乏しいものである。
「実際上不可能に近い」という点については、「宗教は、極めて多方面にわたる外部的な社会事象としての側面を伴うのが常であって、この側面においては、教育、福祉、文化、民俗風習など広汎な場面で社会生活と接触することになり、そのことからくる当然の帰結として、国家が、社会生活に規制を加え、あるいは教育、福祉、文化などに関する助成、援助等の諸施策を実施することにあたって、宗教とのかかわり合いを生ずることを免れえないこととなる。」
ということを挙げている。
確かに、宗教が社会事象であり、したがって国家の施策などが「宗教とのかかわり合い」をもつのが常であることは、誰もが否定しない。しかし、そのことを理由にして、国家と宗教の分離にも「一定の限界」があるべきだとするのはきわめて不当である。むしろ、逆に、まさにそうであるからこそ、政教分離を厳格に実現し、そこに「限界」などを認めるべきではないのである。このことがまさに政教分離原則の出発点であった。限定的解釈の理由は到底説得的といえないばかりか、著しい論理飛躍があり、強引な独断であって、判例としての権威性を全く欠くものである。
また、政教分離原則を完全に貫こうとすれば、かえって社会生活の各方面に「不合理な事態」を生ずることを免れないとし、その「不合理な事態」の実例として、特定宗教と関係のある私立学校に対し一般の私立学校と同様な助成をすることや、文化財である神社・寺院の建築物や仏像などの維持保存のため補助金を支出することや、刑務所における何らかの宗教的色彩を帯びる教誨活動なども一切許されないこととなる、と述べているが、これらをその実例として挙げること自体が問題である。すなわち、判決のいうように、もしも三つの場合が疑問視されたり、いっさい許されないのであれば、まさにそれは「不合理な事態」であるというべきであろうが、これらの「不合理な事態」の発生は、判決のように政教分離原則を緩和せずとも、別の理由づけによって防止することができるし、また現に防止されているのである。
すなわち、判決の挙げる右の三つの実例のうち、一つめおよび二つめの助成や補助は、それぞれ、私立学校および文化財を対象とする助成および補助であり、特定の宗教ないし宗教団体を対象とする助成および補助ではない。仮にその私立学校が特定の宗教と関係があり、またその文化財が特定の宗教団体の所有に属するものであるとしても、その助成や補助は私立学校の経営・維持や文化財の維持・保存という国家の行政目的からする助成・補助なのであり、その特定の宗教ないし宗教団体に着目した助成・補助ではない。私立学校や文化財は、それが特定の宗教と関係があるかどうか、またその所有者が特定の宗教団体であるかどうかとは関係なく、およそ教育行政および文化行政の観点から助成ないし補助されてしかるべきなのである。もしもこれらの助成・補助が許されないということになれば、まさに判決みずからも述べているように、宗教による差別が生ずることとなる。また、判決の挙げる三つめの実例については、いうまでもなく、刑務所における受刑者に対する措置という特別の事情から生ずる問題であることを注意しなければならない。すなわち、受刑者は一般人とは異なり、みずからその欲する神社・寺院・教会におもむき礼拝することなどによってその信仰心を満足させ、信教の自由を享受する機会を奪われている。そこに国家が、受刑者の信教の自由の享受を可能とするために、刑務所内の教誨活動を行なうことや、礼拝施設を設けることなどが許されるのである。もしもそれらが許されないとするならば、これまた、まさに判決みずからが述べているように、受刑者の信教の自由が受刑者であることのゆえに著しく制約され、差別される結果となるのである。
このように、判決の挙げる三つの実例は、五裁判官の反対意見のいうように、いずれも、憲法上の平等原則の要請などから許されると解すべきであり、判決のいうこれら「不合理な事態」を防止することは敢えて政教分離原則にも限界があると主張するまでもなく、十分に可能なのである。
このように、誤って「不合理な事態の典型」と考えるところに、多数意見の形式的思考と信教の自由の問題に対する理解不足がさらけだされているとさえいえるのである。
(イ) 次に、右最高裁判決は、目的効果論の具体的判断基準について、「当該行為の行われる場所、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が、当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意義の有無、程度、当該行為の一般人に与える効果、影響等、諸般の事情を考慮し、社会通念に従って、客観的に判断しなければならない。」と判示している。
しかし、以下に引用する反対意見が正しく指摘しているように、不明確な判断基準であり、しかも、政教分離原則を骨抜きにする危険性を内包している。
「右の判示は、多様な次元を異にする事項が羅列されているだけで、その論理的連関は不明であり、具体的事例への適用にあたって、なんら明確な判断の基準になり得ないことは明白である。ましてやこれらの事項についての評価をふまえたうえで、それ自体漠然・曖昧たる『社会通念』に従って判断せよ、というのであるから、政治と宗教の徹底的な分離を目的とする憲法の政教分離原則のもとで、このように解釈次第でどのようにでもなる不明確な基準をとることが許されてよいはずはない。とくに、わが国においては、国民の多数派が民族宗教としての神道を基底に、仏教各派や各種の新興宗教等を多重的に信仰して何ら不都合を感じない精神的風土が存在する。このような精神的風土のもとでの『社会通念』は必然的に、宗教に関して潔癖な無宗教者やその他の宗教を信じる少数派を孤立させ、排除せんとする傾向のものとならざるを得ない。『社会通念』はこの意味で、最も不適当な基準である。
このように、判示の『目的効果論』は、政教分離原則を相対化、骨抜きにするもの」
このような多数意見の誤りは、反対意見が敗戦前の歴史を正しく跡づけその歴史的経験に照らして政教分離原則の意味を明らかにしようとしたのに対して、信仰の自由の歴史に対する洞察を欠き、形式的な解釈に終始した結果、憲法二〇条の正しい理解が得られなかったことに由来するものといえよう。
(ウ) 最後に、右最高裁判決は、人間精神の原点であり、すぐれて内心のことがらに属する信教の自由について、妥協的な政策的配慮を持ち出している点でも誤っている。「一般人の宗教的評価」とか「当該行為の一般人に与える効果、影響」とかの安易な「社会通念」論は、内心の自由を核心とする信教の自由には本来あてはまらないのである、
あてはまらないものにあえてあてはめようとする配慮や立論は、信教の自由を危殆ならしめる以外の何者でもなく、少数派の信教の自由を大幅に制約する道を拓くものである。
信教の自由に対して多数決で処理するような考え方が許されるはずがないのである。
イ 目的効果基準の適用範囲
右最高裁判決は、アメリカ憲法下で展開されてきた司法判断基準を借用するものである。
しかしながら、アメリカ判例法で形成されてきた目的効果論の適用事例・範囲は、右最高裁判例の事例とは異なるばかりか、その機能・役割も全く逆方向になっている。右最高裁判決は、目的効果論を明らかに誤用するものである。
アメリカの場合には、まず(a)州が主体となって宗教活動を行ない、または、州が直接的に宗教に関与した場合には、最高裁はその国教条項違反の有無を厳格に審査して違憲としている。
これに対して、(b)宗教団体、特に宗教学校に対するさまざまの財政的な援助・優遇策の合憲性が問題となる場合に、絶対的分離論と相対的分離論との対立が明確になる。そこでの基本的な相違は、宗教団体への援助が信教の自由の保護にとっても必要であることを認めつつ、援助措置における各宗教への中立性を条件として、それを国教条項に反しないと解するか、あるいは、国家がおよそ宗教に関与することを原則的に否定し、関与の否定によってこそ信教の自由が究極的に確保されると解するか、の違いにある。ところが、我が国の場合には、厳格な分離論に立つ論者においても、宗教学校に対する財政援助は比較的容易に認められる傾向にある。この意味で、我が国の議論とアメリカの議論との間には相当のずれがある。
アメリカ最高裁は、(b)の事例について目的効果論を基準に合憲との判断を下しているのである。このように、アメリカにおいて政教分離原則は、国民の福祉を図る立法と形式主義的に解した政教分離原則との衝突を解決する基準として用いられているのである。
しかるところ、右最高裁判決は、(a)の類型に属する事件に対し目的効果論で処理しているのである。
まさに、目的効果論の濫用である。
しかも、アメリカ判例法の場合、目的効果論を適用している事例についても、その適用態度はかなり厳格であって、人民の地上の幸福を実現するために強く要請される政府措置であっても、宗教を直接利する効果を伴うものは厳しく抑制される。わが国の目的・効果基準の適用においては、――国の宗教行為事件にこれを適用することの不合理性についてはさておいても――一の憲法価値(政教分離)を凌駕すべき他の憲法価値(人民の福祉)の不存在のところで、国による前者の憲法価値(政教分離)の侵害が、きわめて寛大に赦免されようとしている。
更に、アメリカの政教分離関係事件に適用されるものとしての目的・効果基準は、宗教的少数派の宗教の自由を実質的に擁護し、政教分離原則の形式的完全分離によって宗教的少数者がその信奉する宗教の故に実質的に不利益を負わされる結果を避けるという機能を果たしている。
ところが、我が国の最高裁においては、「目的・効果基準」は、それと正反対の結果をもたらすものとして使われようとしている。政教分離原則の限界は「一般人の見解を考慮に入れて」ないし「社会通念に従って」判断しなければならないとする前提から出発しているところにすでに問題があるが――このような発想においては、当然(宗教的)多数者の意識が基準となる――このような前提の上で、さらに世俗的福祉追求実現目的と形式主義的に解釈された意味における政教分離原則との衝突のない状況において、厳格分離を緩和するものとしての「目的・効果論」が用いられると、「目的・効果論」は、政教分離原則を専らただ宗教的多数者の意識の方向に緩和するという機能を営むことになる。なぜならば、圧倒的多数者の意識の内に滲透定着した宗教的営為のあるものは次第に「日常化」ないし「慣習化」して、つまるところ「世俗化」するのであり、国、公共団体のこれらの営為は、目的も効果も「世俗的」なものとみなされてしまうことになるからである。かくしては、「目的・効果論」は、宗教的少数者の信仰の自由を実質的に保障するのでは全然なくて、われわれ全国(住)民の政府が、既成事実化・世俗化した宗教的多数者意識――多数者は、全国(住)民でなく、あくまでその部分である――と緊張感なく癒着するのをただ大目にみるという役割を果たすものとならざるを得ないであろう。
以上、目的効果論は、適用範囲が正確に把らえられ、その適用態度を厳格にし、かつ宗教的少数者の信教の自由保障としての役割を発揮するように機能せしめられてこそ有意義であり妥当なのである。そうであって初めてようやく憲法の解釈基準として考慮しうるのである。
そうであれば、本件公式参拝の様な国家が宗教活動に関与した事例については、およそ適用しえないことが明白である。
ウ 目的効果論の厳格解釈
(ア) アメリカの判例において目的効果論が適用されるのは、主として国による宗教団体への援助事件において適用されているのであるが、その場合でも、裁判所の政教分離原則の適用態度は厳格であって、これにより合憲とされる範囲は広くない。
すなわち、国民の福祉を図る立法であっても、宗教を直接利する効果を伴なうものは厳しく抑制されているのである。
たとえば、私立学校の生徒の授業料免除と教師の給与に援助を与えるある州の計画が違憲かどうか争われた事件で、最高裁は、この計画には、より多くの人々に質のよい教育を提供するという世俗的目的はあるけれども、それは市民に対して与えられる便益ではなく、子供を私立の宗教学校に入学させた親のみに対する便益の供与としての意味をもち、宗教を助長・促進する効果がある、と判断している。
これは、結局、国は一つの宗教を他の宗教に優先させてはならないというだけでなく、宗教一般からも離れていなければならないとの立場を採るものであり、かつ、世俗的な効果しかもたらさない場合のみ、「主要な効果」基準に違反しないとされているのである。
このようにアメリカの判例は、国の行為の目的及び効果を厳格に解釈するとともに、国の行為が宗教に過度に係わってはならないとの要件をも設定し、重要な象徴的な便益を与える場合や政治的分裂を惹き起こす場合にも、この「過度のかかわり合い」の要件に該当するとされている。
(イ) 目的効果論は、前述したとおり、多大の問題点があり、信教の自由保障そのものをゆるがす危険性を色濃く内包している。
戦前の苦い経験を踏まえ、アメリカ憲法よりもさらに分離の原則を厳格に規定している日本国憲法の場合、万一目的効果論を何らかの形で採り入れるとしても、その具体的判断基準を厳しく把えていく必要のあることは当然である。
国家と宗教との分離が信教の自由に不可欠で、分離は自由を保障し、自由は分離を要求する、密接不可分の関係にある。政教分離原則を目的効果論によってゆるやかに解するならば、信教の自由は根底から崩壊してしまうのである。
アメリカ判例法で採られてきたその厳格解釈の方法は、最低限の要請である。
ましてや、本来目的効果論になじまない国の宗教的活動にこの論を持ち出すとしても、極めて厳格な運用がなされなければならない。
ちなみに、最近の
① 箕面忠魂碑違憲訴訟一審判決(大阪地裁五七・三・二四判決)
② 箕面市慰霊祭違憲訴訟一審判決(大阪地裁五八・三・一判決)
などは、その立場に立っている。
①では、「忠魂碑が宗教上の観念に基づく礼拝の対象物となっているとして、宗教上の行為に利用される宗教施設である。」とされ、「箕面市が、同市遺族会の所有する忠魂碑を市有地に移設し、その敷地として市有地を無償で貸与していることが憲法二〇条三項、八九条に違反する。」とされた。
②では、「本件慰霊祭が典型的な宗教儀式であることは、その実態に徴して明らかであって、このような宗教上の儀式に公務員が参加することが公務となり得るとすると、公務員に対し職務命令によって宗教上の儀式に参加することを強制し得ることになるが、これは、まさに、憲法二〇条二項の禁ずるところである。」とされた。
とくに、①の判決は、「憲法二〇条一項後段、同条三項及び八九条は、いわゆる政教分離の原則を採用し、国民の信教の自由(宗教を信じる自由又は信じない自由)を保障するにとどまらず、国家があらゆる宗教に対して中立であることを要求し」、目的・効果基準を引用しながらも、「宗教活動」の意味を広く解釈し、市が「宗教施設に対し過度のかかわりをもった」こと、また、「本件使用貸借や本件移設は、その目的が宗教的意義をもつと評価されてもやむを得ないものであり、その効果も宗教活動に対する援助、助長、促進になることが明らかである」と述べている。
目的効果論の具体的運用にあたっては、目的、効果、過度のかかわり合いのいずれの要件も極めて厳格に解していかねばならない。
(5) 本件公式参拝の違憲性
ア 本件公式参拝の宗教性
(ア) 本件公式参拝が行なわれた場所は宗教法人靖国神社である。それは、明白な神社神道の宗教施設である。そこには、鳥居があり、神門があり、拝殿があり、本殿がある。本殿には祭神が奉斎されている。
この靖国神社において、被告中曽根は、鳥居をくぐり、拝殿で「内閣総理大臣中曽根康弘」と記帳し、引き続いて神官に導かれて本殿に昇殿し、戦没者の霊を祀った祭壇に約二〇秒間黙とうした後深く一礼を行なった。
鳥居をくぐり、儀式にのっとらないとしても、このような形で礼拝行為をおこなうことは宗教的行動とみるのが極めて自然である。換言すれば、かかる宗教性の濃密な場所での参拝は、礼拝の形式を変えたとしても、宗教的意義を払拭することはできないのは当然である。
宗教施設においてその祭神に拝礼することは典型的な宗教行為であること全く疑う余地がない。
神式の礼拝をおこなわなかったというだけで、非宗教的な戦没者追悼式場での表敬と同視しうるとは到底考えられない。
礼拝に関して神社新報はつぎのように述べている。「一般神社の参拝は、二拝二拍手一拝といふ内務省所定の祭式、行事作法に源流する方式をとっている。それは内務省が度々の研究で改正して来た神職の作方を参照した方式である。」「靖国神社には、それと別系の『創設以来の特殊の祭儀伝統』がある。それは一般神社とは異なって武官祭儀の儀礼に源流している。一般神社とは大切な神饌の選び方も異なり祭典の奏楽では唐風の雅楽を用いる時に、近代国家の様式軍楽が用いられた。そのほかに特殊の慰霊は多いが、参拝方式でも、士官の抜刀式、兵士の棒刀儀礼、最敬礼方式そのほか、陸海軍省が所定したいろいろの定めがあり、それも中途でしばしばの変更もあって別系列の伝統をとっている。一般神社の方式を唯一の原則基準としての批判は必ずしも穏当ではない。」。これが神社界の一般的な見解であり、本件公式参拝についてその宗教的意義を否定する主張はこの見解からしても根拠がない。
まさに靖国神社という場所が宗教施設そのものであることが問題なのである。靖国神社の宗教性を度外視して、参拝者の参拝の方式を変えることにより、憲法問題を解決するというのは、あまりにも見苦しい小手先の技に外ならない。
靖国神社という特定の宗教団体の「教義」によって祭神となって霊(庶民が死んで神となるのは靖国神社及び護国神社固有の観念である)に拝礼すること自体が特定の意味をもった宗教行為である。
被告らは、「あらかじめ戦没者の追悼という非宗教的目的で行うことを公にした上で直立し、黙祷の上一礼するという戦没者の追悼にふさわしい方式によっているのであり、それが宗教的意義を有しないことは明らかである。」というが、これは、全く合理的理由のない主張である。まさに、名称さえ変えれば行為の性質や本質まで変わってしまうと考える(あるいは考えようとする)ごまかしの脆弁以外の何者でもない。
勿論、被告らの主張するとおり、追悼それ自体は、宗教に帰依し、あるいは祈願をするなどの行為と質的に異なるものであり、宗教的意義を有するものではないし、戦没者の追悼が宗教とのかかわりを離れて行なわれるとすれば、宗教を根拠として反対する理由はない。
しかし、宗教とかかわって「追悼」が行われることが問題となるのである。それは、まさに慰霊に外ならない。被告らの主張は、この点を意図的に捨象して論を組み立てているだけである。それは、虚構と断ぜざるを得ない。
(イ) 被告らは、「同神社に戦没者が神として祀られていることに着目して行われたものではない。」という。これも、違憲の本質を糊塗してことば(名目)で逃げ切ろうとする笑止千万な小細工である。
公式参拝(いくら名目主義でも公式追悼とはいいきれなかった)の当の相手である靖国神社の本質を見れば、右主張の皮相性は歴然としている。
宗教法人「靖国神社」規則によると、「本法人は明治天皇の宣らせ給うた『安国』の聖旨に基き、国事に殉ぜられた人々を奉斎し、神道の祭祀を行ひ、その神徳をひろめ、本神社を信奉する祭神の遺族その他の崇敬者を教化育成し、社会の福祉に寄与しその他本神社の目的を達成するための業務を行ふことを目的とする。」とある。
靖国神社は、国事に殉ぜられた人々を祭神として神道の祭祀を行うことを目的としているのである。
靖国懇報告書も「靖国神社は、明治二年に創建された東京招魂社にその起源を有しており、明治一二年、靖国神社と改称、別格官幣社に列された。
戦前は、国事殉難者を祀る国の中心的施設として、国家管理の下に置かれ、戦争・事変による戦没者を合祀した…宗教法人靖国神社は、戦後も、引き続き、先の大戦における多数の戦没者の合祀を行っており、同神社における多数の戦没者の合祀柱数は、昭和六〇年七月末現在で、二四六万四一五一柱となっている。」としている。ちなみに、合祀とは、神・霊を幾つか一緒にしてまつることである。
靖国神社は、戦前・戦後を通じて一貫して、戦没者を神として祀り顕彰する神道施設なのである。
公式参拝は、靖国神社という特定の宗教団体の「教義」によって祭神となった霊に拝礼するという特定の意味をもった宗教行為としての本質を有しているのである。
追悼という側面があったとしても、この本質まで決して消え去ることには全くなりえないのである。被告らの主張は、事の本質を隠蔽するものと断ぜざるを得ない。
また、靖国神社公式参拝にこのような本質があるからこそ、被告中曽根はその本質にそくした意図・目的をもって本件公式参拝を実行したのである。
このことは、靖国神社が形成してきた歴史的事実、本件公式参拝に至るまでの靖国神社国営法案の動向、これに被告中曽根が積極的な役割を担ってきた事実等諸般の事情から客観的に認定されるのである。
結局、参拝をするについて「追悼のため」と称したからといって、それだけで、宗教的意義が払拭されるものではない。靖国懇報告自ら「一般に、戦没者に対する追悼それ自体は、必ずしも宗教的意義をもつものとは言えない」と述べているように、宗教施設ではない記念碑や墓地の前で行なう追悼は宗教的意義をもたないけれども、宗教施設における追悼は宗教的意義をもつのである。とくに、靖国神社という明確な宗教施設において、特定の宗教である神道上の祭神を前にして礼拝した場合は、たとえ「追悼のため」と称したとしても、当該拝礼が、宗教的意義をもつことは明らかである。
(ウ) 本件公式参拝は、宗教団体たる靖国神社に国の機関――行政府の最高機関――が深い結びつきを持つものであることは否定できず、他の宗教団体と対比してみれば容易に判然とするが、その効果からみてもまさに特定の宗教団体に精神的援助を与えることとなることは明らかである。
靖国懇の委員であった芦部信喜教授も「その主要効果は特定の宗教に対して直接かつ直ちに(間接的・付随的な効果としてではなく)大きな精神的援助を与えるものであるし、また、国と宗教とのかかわり合いとしてきわめて象徴的な意味をもち、政治的・社会的な対立を惹起する可能性も大きい」と断定している。
靖国神社側は公式参拝を要望し、仏教諸団体の、キリスト教諸団体が強く反対しているのもその効果が靖国神社を援助、助長し、他の宗教に対する圧迫になるからこそである。
国家が、特定の宗教的立場に加担するとき国論の分裂がおこり、権力が多数の支持をもってそうするならば、少数者の信教の自由は確実に抑圧されることになる。本件公式参拝は、このような効果を明確に持っているのである。
イ 憲法二〇条三項、二〇条一項前段違反
(ア) 神社神道が戦前実質的に国教であった歴史的事実と、苦い経験の反省のもとに誕生した政教分離原則は、既述したとおり、敗戦前の国家と神道との結合すなわち国家神道を解体することにあった。
靖国神社は伊勢神宮と並んで国家神道の頂点に位置していた。政府分離原則は、靖国神社と国家との絶対的な分離を主眼にしていたのである。
その意味で、本件公式参拝は、政教分離原則の根幹に正面から挑戦し違反するもので、とうてい許されない。けだし、政教分離原則は、まさに公式参拝のような事象を排除するために設けられたのである。
本件公式参拝の評価にあたって津地鎮祭最高裁判決の目的効果論をもち出すのは到底許されない。
しかも、そもそも、政教分離規定の趣旨目的とするところは、もし、国家が特定の宗教と何らかの結びつきをもつならば、間接に国民(少数者)の信教の自由を脅かすこととなり、その結果として、その宗教を信じない国民が反国家感情をもち、国家の結合を阻害するにいたるのである。さらに権力者は宗教を利用し、宗教は権力を利用しようとして、国家および宗教双方の堕落をもたらす。このようなことを避けるために、国家と宗教との間に分離の壁が設けられたのである。
以上、本件公式参拝はその趣旨・目的をかえりみるならば、明らかに政教分離原則に反している。
なお、アメリカの判例法でも明らかなように、公式参拝は国の宗教的活動にかかわるものであるから、本来目的効果基準を導入する領域ではない。
(イ) 仮に最高裁が津地鎮祭最高裁判決で示した目的効果基準を本件公式参拝にあてはめて見ても、被告中曽根は、戦没者追悼の目的とあらかじめ宣言し、その意図で靖国神社に参拝したとは言うものの、鳥居で一つの聖域が区切られた宗教施設靖国神社境内に踏み入り、神職の誘導のもとに、まず拝殿(祭礼日以外は神社側は此処までの踏み入りを許していない)にて「内閣総理大臣中曽根康弘」と記帳し、次いで同神社の最奥かつ最上の施設である本殿に至り内陣(神体である霊示が保管されている)に向かって直立し、黙とうのうえ深く一礼を行うというもので、神社側の歓迎と誘導のもとに宗教施設の中枢にまで奥深く入り込み、神社側の宗教儀式に背かず、その儀式に倣うことはなくとも神社側の了解する形式の拝礼をした限りは、客観的には宗教的行為に立ち至ったものと言うべく、本件公式参拝によって靖国神社への内外の関心を呼び起こすとともに、元首とも解されている日本国の内閣総理大臣が靖国神社に公的資格で参拝したことは同神社を公認したに等しい援助、助長、促進の効果をもたらすことは明らかであって、事実、靖国神社や同神社の国家護持を唱える関係者が小躍りして喜んだことは各種報道により公知の事実であって、憲法二〇条三項にいう宗教的活動にあたることは明白である。
なお、本件公式参拝は、津地鎮祭最高裁判例の場合とは明らかに事案を異にする。
右最高裁判決が、違憲ではないと判断したものは、もっぱら地鎮祭のみであって戦没者追悼の儀式・行事ではなく、いわんや靖国神社で行なう国の儀式・行事ではない。判決が「世俗的行事」であり、「宗教的活動」ではないとしたのももっぱら地鎮祭であり、「一般人の意識」がそのことを承認しているとしたのも、地鎮祭であって、靖国神社での戦没者追悼の儀式・行事ではない。両者を同一視することはおよそできない。
また、昭和五五年に発表された従来の政府の統一見解は、「公式参拝は違憲ではないかとの疑いを否定できない」との立場をとっており、これは、右最高裁判決(昭和五二年)以後のものであり、その目的効果論をも踏まえた上での結果として、目的効果論によっても直ちに参拝を合憲とすることはできないとしたものであった。
さらに、それ以前、より明確に、大井衆議院法制局長が、昭和五四年六月一四日国会で、公式参拝の「実質的意味合いは、靖国神社に祀られている神とのかかわり合いを公的に認めようとする国の意思の表現とみるべきである……したがって、天皇、内閣総理大臣等が私人の資格で参拝するのとは質的に異なり、憲法二〇条三項の国又はその機関による宗教的活動に該当し、政教分離の原則に抵触するものであって許されないものというべきであろう」と説明している。
(ウ) なお、自衛官合祀事件最高裁判決(最判昭和六三年六月一日)が目的効果基準についてふれているためその点について付言するに、同判決は次のとおり述べる。
「ある行為が宗教的活動に該当するかどうかを検討するに当たっては、当該行為の行われる場所、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度、当該行為の一般人に与える効果、影響等、諸般の事情を考慮し、社会通念に従って、客観的に判断しなければならない。」
これは、津地鎮祭最高裁判決をそのまま引用したものであり、ここでいう「場所」「一般人の宗教的評価」「行為者の意図」から見ても本件公式参拝は宗教的活動に該当するといえるが、実は同判決は、「効果」論について右判示に引き続く部分で極めて注目すべき見解を述べている。
すなわち、同判決は宗教的活動に該当していたという理由を述べる中で、「その行為の態様からして、国又はその機関として特定の宗教への関心を呼び起こし、……とは認め難い。従って」宗教的活動とはいうことはできない、と述べているのである。
この「効果」論を本件公式参拝行為にあてはめてみると、本件公式参拝行為は八月一五日という国民にとって意義深い日に、国民注視の中で、靖国神社と象徴的に結び付く行為をおこなったのであるから、まさに右にいう「特定の宗教への関心を呼び起こす」効果を与えるものであることは言うまでもないであろう。
これは、まさしく靖国神社への関心を呼び起こすという被告中曽根の意図にもかなうものであり、そして、現実に多くの国民はいやがおうでも靖国神社そして神社神道という特定の宗教への関心を呼び起こされたものである。
したがって、これら最高裁判決にいう目的効果基準に照らしても本件公式参拝は憲法の禁ずる宗教的活動に該当することは明らかである。
(エ) 以上のとおり、本件公式参拝は、いずれの見解によっても憲法二〇条三項に違反するとの結論にならざるをえない。
政府見解や被告らの主張は、憲法解釈、その論理展開を全く無視し、津地鎮祭最高裁判決の「社会通念」、「一般人の宗教的意識」、「一般人の意識」だけを一人歩きさせ、公式参拝を国民の多数が支持していれば許されるかの如き立場に終始しているのである。
これこそまさに、右最高裁判例を、飛躍的に拡張し、政教分離原則を崩壊せしめ、信教の自由を圧迫するべく最大限濫用するものに外ならない。
しかも、被告らの主張する社会通念は、畢竟、日本国憲法が訣別した過去の国家主義的イデオロギーの基盤となった情動であり、かかる情動を根拠に政教分離原則を崩さんとするもので、その反動的危険性は余りにも重大である。
(オ) わが国の宗教的風土について、しばしば多重信仰の存在が指摘され、他宗教に対する寛容さがあげられる。しかし、国家神道体制の下では、神社神道が国家の祭祀として位置づけられ、他の宗教の信仰はそれと矛盾しない限りで認められたのであり、各宗教が同等に並存していたわけではなかった。このような国家神道体制を否定する宗教が激しい弾圧を受けたことはいうまでもない。現在も、靖国神社に公式参拝することにより、これに特定の位置づけをすることは、わが国の精神的風土からして、そのような位置づけを批判する信仰、信条に対してたやすく抑圧的になる危険がある。
政教分離原則は、このような抑圧に対して防禦の楯として機能し、信教の自由を補強・確保する役割を担っている。
公式参拝は、このような回路で、信教の自由に対し間接的な侵害を生ぜしめたのである。これは、憲法二〇条一項前段の趣旨を侵すものといえる。
ウ 憲法八九条、二〇条一項後段違反
憲法二〇条一項後段は、国の宗教団体への特権の付与を禁止している。
現在最も問題になりうるのは、経済的な特権である。この点は八九条の問題にもなることが多い。特定の宗教団体に国の補助金を支給すること、一部であると全部であるとをとわず、宗教団体にある種の免税措置を定めることなどはいずれも違憲となる。本件公式参拝に当たっては、「供花料」名下に三万円が公費から支出され靖国神社に交付されているが、これは、憲法二〇条一項後段、八九条に違反している。
これに対し、被告らは、「右参拝に当たり国費から支出された三万円は、中曽根総理が戦没者追悼の気持ちを表すための供花を行うについて、その生花の購入代金として花屋に支払われたものにすぎない。右三万円は、随行の総理秘書官から靖国神社に現金で手交されているが、これは、同神社が中曽根総理から右生花の購入を依頼されたことに基づくものであり、その後、右三万円が依頼の趣旨どおり全額同神社から花屋に支払われている」から、「右三万円は、靖国神社に対して支出されたものではなく」、憲法に違反しないとする。
しかし、右主張は、「靖国神社使い走り論」ともいうべき脆弁であって、基本的な問題は、靖国神社公式参拝のための公金支出であることにある。
被告らの論法によると、例えば、国が靖国神社の社殿の新築を建設業者に発注し、その建設費用を国がその業者に支払っても憲法八九条違反にならないということになる。しかし、その不条理は明らかである。
また、被告らの手法によれば、金銭でなければどんな高価な物でも国が靖国神社に贈与できることになり、およそ荒唐無稽な結果を招来する。
しかも、生花の提供は、公の財産の支出である。
もはや、本件公式参拝のために行われた生花の提供は、憲法八九条に違反すること明白である。
また、そのことによって、憲法二〇条一項後段にも違反している。
(二) 平和的生存権侵害の違憲性
被告中曽根による本件公式参拝は、右のとおり、一方において憲法二〇条の政教分離原則等に違反するばかりか、国民の「平和のうちに生存する権利」をも侵害するものであって、憲法前文、九条、一三条に違反する。
前述の靖国神社の歴史、およびそれが日本軍国主義のもとで国民を統合する精神的中核として果たしてきた役割ならびに本件公式参拝がなされるに至った経緯、背景に照らせば、本件公式参拝は、憲法の平和主義と国民の幸福追求の権利、平和的生存権を危殆ならしめるものである。
平和的生存権は、憲法の保障する基本的人権中の基本権として、国民が国家に対して平和を維持、促進する施策を要求すると共に、戦争の脅威にさらされず、また戦争への危惧をもたないですむ精神的、物質的環境下で生きる権利である。そして、それは憲法前文、九条、一三条から導き出される実定的な憲法上の人権である。
被告中曽根は、前記のとおり、本件公式参拝に先立ち、みずから本件公式参拝の目的につき、「国のために倒れた人に対して国民が感謝をささげる場所があるのは当然。さもなくして、だれが国に命をささげるか。」と明言している。これは、まさに新たな「英霊」づくりの為の精神基盤の形成を狙ったものである。
被告中曽根の本件公式参拝は、その動機においてあまりに不純であり、その態様において極めて不穏にして反憲法的である。
国民が「国のために命をささげる」ことなど日本国憲法の絶対に容認しないところである。すなわち「日本国民は、……政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定」した(憲法前文)のであり、その為に平和主義の大原則のもとに戦争を放棄した(九条)。そして、すべて国民は「個人として尊重され」生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利は、国家によって最大の尊重を必要とされるのである(一三条)。
憲法一三条が「国民は個人として尊重される」と述べているのは、個人の尊厳に優越する如何なる権威も価値も認めないことを意味する。従って、国民の生命を最大に尊重することこそが、国およびその内閣総理大臣である被告中曽根に課せられた憲法上の重大な義務である。「国のために命を捧げる」ことなど絶対に容認されてはならないし、ましてそれが賛美されることなど絶対にあってはならないのである。これは憲法の平和主義と基本的人権尊重主義の当然の帰結である。
(三) 以上のように、本件公式参拝は、信教の自由の保障、政教分離原則、平和主義、基本的人権尊重主義等に反するものであって、明らかに違憲、違法である。
5 被告国の国家賠償責任
(一) 不法行為・国家賠償法(以下「国賠法」という。)における違法の意義
(1) 民法七〇九条では「故意又ハ過失ニ因リ他人ノ権利ヲ侵害シタル」場合に不法行為を構成するとされており、国賠法一条一項では「国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を加えたとき」に国がその賠償の責に任ずるものと定めている。
このいずれの規定も、侵害行為の違法性を要件としていると解されているが、この違法性の判断にあたっては、被侵害利益の種類と侵害行為の態様との両面の相関関係において考察されるべきであるとし、侵害行為の不法性が強ければ被侵害利益が強固なものでなくとも加害の違法性が肯定されるとする、いわゆる「相関関係説」が通説・判例である。
この相関関係説によれば、侵害行為が違法かどうかの判断は、一方では、侵害行為が、厳密な意味の法令違反の場合だけをいうのではなく、人権尊重・公序良俗・権利濫用・信義誠実・条理・社会通念などから広く導かれる「規範」に違反したかどうかの判断であり、他方では、侵害される側の権利・利益が法的保護に値するものであるかどうかの判断と相俟って決まるものなのである。
被告中曽根の本件公式参拝がここにいう違法かどうかの判断の前提となる「規範」とは、憲法二〇条三項は勿論のこと、憲法二〇条一項前段及び後段、一三条、八九条、九九条の法規や、憲法前文に謳われた平和主義の国家理念から導き出される内閣総理大臣として遵守すべき行為規範を意味するもので、たとえ内閣総理大臣の権限行使の体裁をとっていてもその権限が濫用されていないかどうかの実質的な判断基準をも指すものなのである。ちなみに、憲法二〇条三項の政教分離規定は、前述したように、それ自体人権保障条項であるから、被告中曽根は、内閣総理大臣として原告ら国民に対しこれに違反してはならない重大な法的義務を負っているもので、かかる義務に違反する本件公式参拝は極めて違法性の高いものである。
(2) ところで、被告らは、内閣総理大臣である被告中曽根が政教分離規定を含め憲法の遵守義務に違反しても、その責任は専ら国会に対して負うもので、直接個別の国民に対しては責任を負わない旨主張する。
しかし右主張は明らかに失当である。公務員の憲法遵守義務は、憲法で保障された国民の権利を守るためのものであり、これら国民の権利は直接には公務員を拘束するものであるから、「すべて国民は、個人として尊重される。」(憲法一三条)限り、公務員は個別の権利を侵害してはならない義務があるのは当然である。
国賠法は、憲法一七条にもとづくものであることは論をまたないが、憲法一七条は、いかに憲法で国民の権利の保障を謳っていても、国家権力の主体である公務員が国民の権利を侵害したときに、国民の側で救済が受けられなければ権利保障が完全なものにはならないことを慮って設けられたものであり、国家賠償を請求する権利はそれ自体基本的人権として考えられている。
また、憲法一七条に限らず、およそ国民の基本的権利を侵害する国政行為に対してはできるだけその是正、救済の途が開かれるべきことがまさに憲法上の要請であると考えるのが、わが最高裁判所の採る立場である(昭和五一年四月一四日最高裁大法廷判決、民集三〇―三―二二三――議員定数不均衡訴訟判決)。
このように、国家権力の主体である公務員がひとりひとりの国民の権利を侵害してはならないとの要請は、憲法一七条や右最高裁判決の趣旨によっても明らかにされている。そして、それは決して政治的なものではなく、国が公務員個人の違反に責任を負うという意味で、すぐれて法的なものと言わなければならない。
したがって、公務員に課せられているのは、国民の権利を侵害してはならないとの法的行為規範であり、公務員の当該行為が客観的正当性を欠く限りにおいて「違法」とされ、その行為は当該公務員の「職務上の義務」違反ということになる。
しかも、この場合、職務上の義務は、単なる内部的な義務(公務員法上の義務)にとどまらず、それよりも広義で、被害者の権利を侵害してはならないとの義務をいう。
(3) 憲法で保障された国民の権利を侵害してはならないとの法的拘束は、何よりも国家権力の主体である公務員に向けられたものであることは定説であって、近代市民憲法の譲ることのできない原理である。
前述のとおり、公務員すべてが個々の国民に対してその権利を侵害してはならないとの職務上の法的義務があるからこそ、憲法一七条は、公務員のこのような職務上の法的義務違反について国家の賠償義務を定め、国民にその救済の途を開いているのである。
例えば警察官が、警察官職務執行法に違反して濫りに国民の権利を侵害したような場合に、当該警察官は分限上の責任を負うだけに留まらず、国民に対する不法行為もしくは国賠法上の国または公共団体の責任が問題となるとするのが法的考え方であって、内閣総理大臣の行為についても全く同様である。むしろ、憲法の下で法を執行する最高責任者たる内閣総理大臣であるからこそ、憲法を遵守しなければならない義務はより高度なものといわなければならない。
(4) 被告らは、議員内閣制を引用して、内閣総理大臣の行為は政治的責任だけが問題となり、法的責任はあり得ないかのごとく主張するが、同主張は明らかに誤りである。およそ国家機関たる者のいうべきことではない。仮にも被告らの論に従えば、およそ内閣総理大臣その他国務大臣には憲法一七条の規定の適用がないことになってしまい、その不合理は明らかである。
議員内閣制の下における内閣の国会に対する責任は、統治における抑止と均衡の原理を定めたものであって、憲法の人権保障規定の効力や国家機関もしくは公務員の人権尊重義務とは無関係のものである。また、「内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ」(憲法六六条三項)と規定しているのは、内閣が政治責任を負う場合の責任の相手方が国会であることを定めたものであって、内閣の構成員たる国務大臣の行為についての法的責任を免除する趣旨のものではないことはいうまでもない。
(5) ところで、被告らが援用する在宅投票制度最高裁判決(昭和六〇年一一月二一日)は、国賠法上の違法の意義について、「職務上の法的義務違反」(公務員としての行為規範違反)であると解しつつ、立法行為の性質や国会議員の免責特権を引用し、国会議員は立法に関しては、原則として、法的責任を負わないとしている。しかし、同判決の事案は国会議員の立法行為に関するものであり、行政の主体たる内閣総理大臣の行為に関するものではない。同判決で問題とされているのは、「国会議員の立法行為」が国賠法一条一項の適用上違法となるかどうかであり、「国会議員の立法過程における行動」の性質であって、判示によれば、「国会議員の立法行為は、本質的に政治的なものであって、その性質上法的規制の対象になじまず、特定個人に対する損害賠償責任の有無という観点から、あるべき立法行為を措定して具体的立法行為の適否を法的に評価するということは、原則的には許されないものといわざるを得ない。」のであり、だからこそ、「国会議員は、立法に関しては、原則として、国民全体に対する関係で政治的責任を負うにとどまり、個別の国民の権利に対応した関係での法的義務を負うものではない」とされるのである。
このように、政治的責任を負うにとどまり法的義務を負うものでないとされるのは、あくまでも、それが免責特権(憲法五一条)を持つ国会議員の立法行為だからであって、立法行為とは異なり法を執行すべき立場にある内閣の構成員たる内閣総理大臣の行為に右判示が当てはまるものではない。
「立法過程における行動」とは全く無縁の本件公式参拝は、当然法的評価にさらされなければならないものであって、単に国会に対する政治責任を負うことで足りるとすべき理由は全くないのである。
内閣総理大臣をはじめ国務大臣には、国会議員のように免責特権は認められておらず、憲法二〇条三項では「国及びその機関は、いかなる宗教的活動もしてはならない」との、まさに一義的な明文規定が設けられている。
本件公式参拝は、原告らの親族が合祀されている靖国神社に、国家権力の頂点にある内閣総理大臣である被告中曽根が「直接に」踏み入ってその祭壇に拝礼し、原告らの「他人とくに権力から干渉を受けない静謐の中で宗教上の感情と思考を巡らせる権利」を侵害しており、前記在宅投票判決で問題とされた議員の行為とは全く異なる性質の行為であって、当然国賠法上違法の評価を免れ得ないものである。
(二) 原告らの被侵害利益
(1) 信教の自由に対する侵害
ア 被告中曽根の本件公式参拝によって、何よりもまず原告らの信教の自由が侵害された。
憲法二〇条一項の信教の自由の内容については狭義にとらえる説があるが、戦前の祭政一致に対する反省から憲法で信教の自由が保障されたという歴史的経過からみて、同項は広義にとらえるべきであり、信教の自由の中身としての信仰の自由の中には、強制にわたらなくとも国家権力が特定の宗教を勧奨したりすることによって間接的に干渉されることのない自由も含まれるものである。本説にたつ以上政教分離は当然の結論であって、憲法二〇条三項の規定をまつまでもないところ、憲法は確認的に同規定を置いたものである。信教の自由と政教分離は別の観念でなく一つの硬貨の両面なのである。
イ 仮に憲法二〇条一項の信教の自由を狭義にとらえるとしても(従ってこの場合の侵害にはいわゆる「強制の要素」が要るとしても)、憲法は同条三項に政教分離規定をおいており、そして同規定は人権規定であると考えるべきであって、政教分離規定そのものから「国民は信仰に関し間接的には圧迫をうけない権利」が保障されていることになるのである。この場合「強制の要素」が不要なことはいうまでもない。被告中曽根の本件参拝行為によって原告らの右権利が侵害されたのである。
ウ ところで、被告らは政教分離規定について制度的保障論を展開する。しかしながら同規定はそれ自体人権保障条項と解すべきである。すなわち制度的保障論は、もともと当該事項に関して立法権が広範な裁量権限を持つことを前提にしつつ、しかし立法権によっても侵害しえない制度の本質的内容(中核)の存在を認めようという議論である。ところが、宗教に関しては、立法権はいかなる裁量権限をも持っていない。このことは、憲法が信教の自由を無条件的に保障していることによって明らかである。そうだとすれば、宗教の領域に関し、制度的保障という観念をもちこむことは、そもそもできないはずのものである。
政教分離は、信教の自由のための単なる「手段」ではない。それは、信教の自由の確立にとっての「必須の前提」なのである。つまり、歴史的に、政教融合が信教の自由を完全に否定してきたことから、信教の自由の確立にとって政教分離が不可欠と考えられたのである。たしかに、政教融合による個々人の信教の自由への圧迫は、直接的な強制や弾圧がないかぎり間接的なものにとどまるが、しかし、そういう間接的な圧迫が、まさしく、その社会における信教の自由の否定そのものとしてあらわれることになるのである。だから、信教の自由の保障は、直接的な強制や弾圧を排除するだけでなく、こういう、個々人にとっては間接的な圧迫をも排除することによって、はじめて完全なものになるのである。日本国憲法は、直接的な強制や弾圧を排除するとともに、政教分離を定めることによって間接的な圧迫をも排除し、信教の自由の完全な保障をはかっているのである。こう考えれば、政教分離は信教の自由の一つの内容をなすものとしてとらえられるべきこととなる。つまり、政教分離規定は、それじたい人権保障条項である。
エ なお、被告らは、政教分離規定を制度的保障とし、そのことから政教分離規定違反は、政治的責任を生じさせるだけで国賠法上の違法を基礎づけるものではない旨主張するが、既述のとおり国賠法上の違法の判断は、憲法の一条項、例えば政教分離規定、のみから導き出されるものではなく、憲法二〇条一項や一三条など諸々の条項のもとに成立している憲法秩序全体の観点からも導き出されるものである。したがって、仮に政教分離規定を制度的保障の規定と解したからといって、同規定違反の行為が法的義務違反の評価を免れるものではない。
それに、「制度的保障」はその概念自体が必ずしも明確とは言い難いばかりか、近時、その有意味性、有用性に対しても疑問が提起されている。
即ち、「法律の留意」型の人権保障体系下にあっては、この理論は大きな意義をもちうるかもしれないが、しからざる保障体系下にあって「制度的保障」がどれほど不可欠のものといえるか疑問なしとしない。抽象的には「制度的保障」が人権強化に役立つと考えられるとしても、その「制度」の捉え方いかんが大きな問題であるし(その「制度」は、一般に、歴史的・伝統的に形成された客観的制度であると説かれる)、人権と「制度」とがいつの間にか主客転倒し、人権の内容は制度によって規定され、人権が制度によってのみ存在するかのごとき事態が発生する危険が懸念される。したがって、権利の保障が、歴史的・伝統的に形成されて明確な内容をもつ客観的制度と不可分に結び付いている場合は別として、安易に「制度的保障」の理論に訴えるべきではないと解される。今日自由権を実現するため、法律による制度的裏づけを必要とする場合が多いが、その場合自由権の内実に合わせて制度が不断に検討されるのであって、「制度的保障」の理論による必要はない。
この点からみても、政教分離規定が制度的保障であるかどうかは、同規定違反と「違法」の関係を決定づけるものではない。
オ 政教の結合は不寛容の社会を作り出す。そして、これが宗教的少数者を異端視することにつながる。
また本件公式参拝は、宗教的・非宗教的見地から神道や神道と国家の結合を批判することに対する圧迫を生む。
このようにして、被告中曽根の本件公式参拝は原告らの信教の自由(原告らの信仰は区々であるが、いずれにあっても干渉されない自由)を侵害するのである。
(2) 宗教的人格権(宗教的プライバシー権)に対する侵害
ア 憲法上の根拠と意義
(ア) ポツダム宣言の受諾とそれに連なる自由指令及び神道指令によって、戦前の天皇制軍国主義とその精神的支柱となった国家神道体制(靖国神社がその体系の頂点)は否定され、憲法では国民主権、平和主義、政教分離原則が謳われ、法律の留保を伴わない信教の自由(憲法二〇条一項前段)と個人の尊厳(同一三条前段)が保障され、国及びその機関の宗教的活動と宗教上の組織若しくは団体への援助が禁止された(同二〇条一項後段、同条三項、八九条)のである。
憲法のもとでは、個人の信教の自由もしくは信仰しない自由は一義的に保障され、多数決原理(法律の留保)によっても制限されることのない権利として確立されている。
戦前、国家神道体制と軍国主義によって信教の自由が多数決原理に名をかりて抑圧されていたのは、そういう国家体制の下で個人の尊厳すなわち民主主義(国民主権)が認められなかったことと表裏一体をなすものであって、戦後、日本国憲法のもとでは忌わしい国家神道体制が否定され、宗教は人間の存立、人格の尊厳にかかわる重大な問題として、私的な領域(私事性)にある宗教に関して国家権力の関与を直接的に禁止しているのである。
(イ) したがって、宗教の領域において、国民は個人として尊重されるべき人格権若しくはプライバシーの権利を保障されていることは言うまでもないが、この権利をわれわれは宗教的人格権もしくは宗教的プライバシー権と呼んでいる。
この権利の保障は、前述のように戦前の体制の否定から出発したものであるが、今や宗教史上「新々宗教の時代」を迎え、かつ産業社会の高度化が進み個人領域の侵害が懸念される中で、ますますその重要性が高まっている。
いま一つの意義は、個人の尊厳は民主主義(国民主権)の中枢的な骨格であって、その確立を保障することが、軍国主義や国家神道体制への回帰を防ぐ重要な柱となっていることであり、このことは憲法成立の歴史的背景に照らして何人も認めるところである。
イ 内容(とくに近親者の死について)
(ア) 人間社会のなかで、近親者、肉親の死というものは、遺族にとって極めて大きな意味をもっていることは異論がない。
死者と遺族の間で、生前の精神的な交流が深ければ深い程、遺族の心の中で死者の生前の生き方とその死に対する位置付けは深まりかつ尊いものになるのであって、遺族が近親者の死をどう位置付けるかは、遺族のその後の生き方にも重大な影響を及ぼすものである。
このような遺族の立場が最大限尊重されなければならないとするのが、憲法一三条、二〇条一項の趣旨である。
実定法上、死者が生存中に、臓器や角膜の提供を書面により承諾していてもこれら臓器を死体から摘出するにあたっては遺族の承諾を得ることが要件とされていたり(角膜及び腎臓の移植に関する法律三条三項)、死体解剖にあたって遺族の承諾を得なければならないとされている(死体解剖保存法七条)のも、かかる憲法の趣旨を具体化したものである。
(イ) このように、近親者の死とその意味が遺族の存立の根底をなし、遺族の個人としての生き方にかかわってくるものであるから、遺族各自が、近親者の死について、それぞれの宗教的立場(あるいは非宗教的立場)でこれを意味付けて、他人からの干渉・介入を受けず静謐な宗教的環境のもとでその思いをめぐらせる自由は保障されなければならず、それに対する侵害は法的に保護されなければならない。
非宗教的な立場での意味付けについては、外国における徴兵法制のもとでも、宗教的なかかわりのない良心・信条にもとづく兵役拒否も認められている傾向からすれば、宗教的な立場においても同様に扱うべきは当然である。個人の尊厳という憲法の立場からして、個人の信条なり考え方を否定されることがその人の存在を否定するに等しいほどの精神的苦痛をもたらす場合には、その生き方を法的に尊重しなければならないことは言うまでもない。
(ウ) 国民個人が、各自の存立の根底にかかわるところで近親者の死を追悼していたり、あるいはさまざまな思いをめぐらせている場合に、他から干渉や介入を受けた場合にはその精神的苦痛について法的な保護が与えられなければならない。
例えば、本件原告のある者が近親の戦死者の死を軍国主義及び国家神道(靖国神社)の犠牲者として位置付け追悼しているのに、その近親者の死を軍神(軍国主義と天皇に命を奉じた神霊)として意味付けられるのは精神的苦痛に絶えないものであることは客観的に把握し得るところである。
宗教的人格権は、このように一般人の感性を基準にして、当該個人の立場にたって客観的にその侵害(精神的苦痛、不快感)を評価し得るものなのであって、個人を尊重する憲法の考え方からすれば、一般のプライバシー権と同様何ら特異なものではなく、客観的な判断が可能なのであるから、権利の外延、内包は明瞭である。
また、遺族の範囲についても、民法七一一条の慰藉料請求権者の範囲の解釈にならって、配偶者、子、父母に限定する必要はなく、原告が立証する具体的な事情によって精神的苦痛、不快感がどの程度のものであり、誰が法的保護に値するかを客観的、総合的に判断すべきものであるから、権利の外延は明瞭である。
ウ 宗教的人格権の私人に対する関係及び国家に対する関係
(ア) 宗教的人格権は、プライバシーの権利の如く、基本的人権として何人からの侵害に対しても保護されなければならないが、プライバシーの権利と表現の自由との衝突の事例に見られるのと同様に、他人の信教の自由との関係では調整が必要とされる。
例えば、現在の靖国神社は単立の宗教法人としての私人であるが、同神社が遺族各自の承諾も得ないで戦死者を軍神として合祀しても、この行為が同神社の宗教行為の範疇にある限り、遺族の精神的苦痛をもたらすも、その行為は憲法で保障された信教の自由の行使として直ちに違法とは言い難い。
もちろん、私人としての一宗教法人であっても、天皇制軍隊の中で上官にいじめ殺された近親者の死を、侵略の前線で奉死した軍神とあがめ宣伝し、もって事実に反する死の意味付けをするときは、遺族の名誉を毀損し宗教的人格権を侵害するものとして違法の評価を受けることも考えられる。
(イ) しかし、宗教的人格権の国及びその機関に対する関係は別論である。
憲法は、国及びその機関のいかなる宗教的活動をも禁止する明文をおき(二〇条三項)、国が宗教上の組織、団体に対して特典を与えたり、援助、助長することも禁じている(二〇条一項後段、八九条)。
すなわち、国及びその機関には信教の自由はないのであって、私人間のように信教の自由との衝突は考えられず、憲法の規定上宗教行為に関与すること自体違憲、違法の推定を受ける体裁となっている。
津地鎮祭最高裁判決に見られるいわゆる目的効果基準なるものは、国及びその機関が外形的に宗教行為に関与したことにより違憲、違法の推定を受けるとき、その行為の目的、効果が世俗的でかつ特定の宗教に特典を与えたり援助、助長する程のものに至らないことを国側で反証を挙げ得たときに違憲、違法の推定が覆されることの理を論じたものにほかならない。
諸外国に比して、憲法がかくも厳格な政教分離原則を明文で規定したのは、戦前の軍国主義の支柱となった靖国神社もしくは国家神道体制の否定のうえに成立した憲法であるからであって、日本の地に民主主義、平和主義、基本的人権保障の確立を求めたポツダム宣言を、為政者と国民が受け入れた歴史的事実にもとづくことは誰も争わないところである。
エ 自衛官合祀事件最高裁判決(最判昭和六三年六月一日)と本件訴訟との関係
(ア) 標記判決は、要するに、「護国神社に対する殉死者の合祀申請は私人としての隊友会単独の行為であり、自衛隊職員は合祀申請行為をしたものと評価することはできないとし、合祀するかどうかは護国神社の自主的な判断に基づくものであり、かつ自衛隊ないし職員が直接護国神社に合祀を働き掛けた事実はないが故に、自衛隊とその職員が、隊員の合祀状況を照会し、その回答を隊友会会長に閲覧させ、同会長の依頼で合祀のための募金趣意書を起案、配付して、募金を管理し、殉職者の遺族から除籍謄本などの公文書を取り寄せた程度の行為は、その態様からして、目的は隊員の社会的地位の向上と士気の高揚を図るにあって宗教的意識希薄であるうえに、その効果も特定の宗教への関心を呼び起こし、あるいはそれを援助、助長、促進し、又は他の宗教に圧迫、干渉を加えるような効果をもつものとは一般人から評価される行為とは認められず、そもそも、私人間においては、人が自己の信仰生活の静謐を他者の宗教行為によって害されたとして法的救済を求めることができるとするならば、かえって相手方の信教の自由を妨げる結果に至るので、強制や不利益を伴わない限りお互いに寛容であることが要請されるから、このような場合は、死去した配偶者の追慕、慰霊であっても、宗教上の人格権を直ちに法的利益として認めることができない。」と判示したものである。
(イ) 右判決は、私人間相互で信教の自由が衝突するケースでは、宗教上の人格権を理由とする法的救済を容易には認め難いことを指摘したものである。
憲法の要請する個人の尊厳は、国民相互間の世界観、信条についての寛容と忍耐を前提として成り立つもので、他人への寛容は民主主義の根幹とも言われる所以である。
しかし、注意を要するのは、この理は国家の主人公である国民相互の関係においてだけ通用するものであって、国家権力との関係では全く逆の結論を要請される。国民と国家権力との関係では、国民は国家権力に対して寛容であってはならず、国民が国家権力に対して寛容であるとすると、そもそも憲法が高らかに謳う国民主権、民主主義は立ち行かないことになってしまう。
国民主権の憲法を守り、国民の権利の最後の番人である最高裁判所は、決して国家権力に対して寛容であれとは言っているのではなく、主人公である国民同士は私的自治の範囲で寛容であれと説いているのである。
(ウ) また、自衛隊とその職員は、合祀申請という宗教行為には何ら関与しておらず、合祀の実現を望んだのは私人としての隊友会であって、隊友会からの要請に応えて、隊内での照会手続や文書の起案や取寄せ、あるいは金銭の管理を手伝ったにすぎないものであるから、このような宗教的活動にあたらないというもので、事実認定は事件を担当した裁判官と当事者が一番良く知るところといえど、論旨そのものはまことに一貫したものというべく、おまけに職員らのこれらの事務的手伝いをした意図、目的は隊員の社会的地位の向上と士気の高揚にあったというのであるから、これが事実とすれは、職員らには宗教的意識などみじんも見受けられない。
(エ) 結局、右判決は、国民の遺族としての立場と国及びその機関の宗教的活動との関係における宗教的人格権の問題については何ら判示しておらず、むしろ事実関係が遺族対隊友会という私人間の問題であるのに、これを遺族対自衛隊もしくはその職員との関係と理解した原審の判断を破棄している点で、内閣総理大臣である被告中曽根が公的資格で(国の機関として)靖国神社の中枢である本殿に昇殿し拝礼した本件公式参拝とは異なる事案の判断を示しており、本件訴訟の参考とはなし得ない判例と言うことになる。
(3) 平和的生存権に対する侵害
ア 平和的生存権は、今日、憲法学界ではそれを認める学説が有力であると共に下級審判例ですでに積極的に是認したものも存する(札幌地判昭和四八年九月七日長沼訴訟第一審判決)のであり、被告らが主張するように、実定法上の根拠が極めて不明確で到底憲法上の基本的人権として肯認し得るものではないとはいえない。なるほど憲法上は、第三章以下の個別条項に「平和的生存権」の文言はないが、このことは実定法上の根拠が不明確であることにはならない。そもそも憲法上の人権規定は、その歴史性・普遍性からみても、制定によってはじめて人権を創設したというものではなく、既存の人権を確認し、その保障を確実にするためのものである。それ故に人権保障の各規定は、人権がそれだけに限られる趣旨ではなく、あくまで人権の内容に関する例示的な規定であり、社会事情の変化と共に新たなものが認識されることになる(「新しい人権」の法理)。平和的生存権もその一つである。
イ 平和的生存権の歴史的背景
人類の平和の法思想は古代からのヒューマニズムやキリスト教的人類同胞思想を淵源に近世国際法学の説くところとなり、わが憲法が参考にしたといわれる大西洋憲章には、「あらゆる国のあらゆる人々が恐怖と欠乏から免れてその生を全うし得るという保障を与える平和が確立されることを希望する」と規定されている。
それらの法思想をうけて、わが憲法はその前文で「平和のうちに生存する権利」を明言するに至ったが、その規定の背後には第二次世界大戦の惨禍があることはいうまでもない。
そこにおいては、アジア諸国の二〇〇〇万人の人々の尊い命が奪われ、わが国においても二五〇万人の人々が無為に命を失わせられたのである。そのような悲惨な歴史的事実を教訓として、わが憲法は、もはや平和なくして人類の生存はありえず、人権の保障もありえないと考えて、平和そのものを人権として規定するに至ったのである。
今日地球上には全人類を三〇回以上も全滅させうる核兵器が保有されている。この事態に照らせば、今こそ平和的生存権が人権として正しく認識されねばならないといえよう。
ウ 平和的生存権の裁判規範性
平和的生存権の憲法上の根拠は、憲法前文、九条、一三条である。ところで、一般的にすべての法規が当然に裁判規範であるとは限らないが、平和的生存権は裁判規範性をもったものといえる。その理由は、憲法前文に「権利」として明言されていることに加えて、平和的生存権の内容を次のように解するからである。
エ 平和的生存権の内容
平和的生存権とは、一切の戦争のない或いは戦争の手段となる一切の戦力をもたない状態で生存する権利を意味し、国民個々人にとってみれば、戦争軍事目的の為に、もろもろの自由を奪われない権利を意味する。この権利は、憲法第三章の具体的個別的な諸条項を通じて具体的に現われる。
例えば、憲法二一条には表現の自由に対する軍事目的による制限は許されないという形で、平和的生存権が保障されており、同法二九条には軍事目的の為の財産の強制収用は許されないという形での平和的生存権が保障されている。
本件公式参拝は、同神社に合祀されている原告らの近親者(故人)を戦死、軍国主義の礼賛・美化に利用する行為であって、憲法の平和主義を蹂躙し、国民の平和のうちに生存する権利を侵すものである。
オ 改めていうまでもないことであるが、憲法に保障された基本的人権とは国家権力に向けられたものである。まして憲法前文は、憲法全体を貫く基本理念を示したものであり、国家に対する規範性はより強いものと言わねばならない。その意味では、前文にも根拠をもつ平和的生存権の国家に対する規範性は、より強いものと言えるであろう。
(三) 被告中曽根の故意
被告中曽根は、憲法を尊重し擁護すべき立場にあり(憲法九九条)、かつ平和主義の国家理念(憲法前文)のもとで戦死や戦争を賛美することはあってはならないのに、また従来の政府が「内閣総理大臣その他の国務大臣が国務大臣としての資格で靖国神社に参拝することは、憲法二〇条三項との関係で問題がある」、「このような参拝が違憲ではないかとの疑いをなお否定できない」(いずれも昭和五五年一一月一七日付政府統一見解)との見解を一貫し、国務大臣としての資格で靖国神社を公式参拝することを差し控えてきているにもかかわらず、昭和五九年七月一七日私的諮問機関であるいわゆる「靖国懇」を発足させ、昭和六〇年八月九日には報告書を提出せしめ、同報告書では、公式参拝の憲法適合性や玉串料等の公金支出、靖国神社の軍国主義的あるいは国家神道的系譜、信教の自由侵害等の問題について一致した結論が示されず、むしろ原告ら国民の間では、靖国神社は国家神道の象徴であり、戦死を賛美し戦争を推進する精神的支柱としての役割を果たしてきたことは否定できず、公式参拝は政教分離原則と平和主義の根幹にかかわり、地鎮祭や遺族関係者の行う葬儀・法要と同視できないとの考え方が存する旨の指摘がなされているのを熟知しながら、あえて本件公式参拝に踏み切り、原告らのような靖国神社合祀者の近親者が戦死した肉親が戦死賛美に利用されることに最大の苦痛を受けることを認容しているものである。
このような被告中曽根の本件公式参拝は、故意によって原告らに耐えがたい精神的苦痛を与えているものであって、それゆえその行為の違法性は極めて高いものとなっている。
しかも、被告中曽根の故意は、その内容において、内閣総理大臣にあるまじき前述したような重大な憲法違反(憲法二〇条三項、一三条、前文、九九条各違反)をあえて侵して恥じるところがなく、人権尊重どころかみじんの遵法精神も見受けられず、極めて違法性の高いものである。
このような場合は、もはや故意というより、法的概念上害意と評価さぜるを得ない。
(四) 本件公式参拝の違法性
被告中曽根は、戦没者追悼に名をかりて、憲法違反の持論である靖国神社国家護持をなしくずしに実現しようと企て、前述の靖国懇報告でも、憲法違反の疑いや、原告らのような平和を愛し戦死した近親者を再び戦死賛美に利用されたくないと願っている善良な国民がいることが指摘されているにもかかわらず、本件公式参拝を強行した。
このような被告中曽根の本件公式参拝は、憲法二〇条一項及び三項、一三条、八九条、九九条ならびに憲法前文に違反し、原告ら国民に重大な精神的苦痛を与える行為であって、しかも、被告中曽根は、このような憲法違反と原告ら国民に及ぼす損害を認容し、害意をもってかかる行為をなしたものであるから、本件公式参拝の違法性は極めて高度なものといわねばならない。
(五) 原告らの損害
(1) 違法性(「権利」侵害)と損害
原告らは先に違法論の被侵害利益として信教の自由(信仰に関し間接的にも強制や干渉を受けない権利)、宗教的人格権、宗教的プライバシー権、平和的生存権を挙げた。
理論的には、被侵害利益への侵害と損害の発生は別の要件である(侵害があっても損害が発生するとは限らない)といえるが、通常の場合、被侵害利益への侵害があれば当然損害が発生すると考えられ、それは事実上の推定を受けるとすらいえるのである。
しかも原告らが侵害されたと主張する前述の各権利(被侵害利益)は、いずれも精神的自由を内包するものである。そのため、右各権利の侵害は直ちに原告らに精神的苦痛を与え精神的損害を発生させるものといえよう。
(2) 原告らはいずれも先の大戦で親族を亡くした遺族である。原告らは故人を偲ぶについては、誰からも、とりわけ故人を死に追いやった国家からは、一切干渉されたくないと強く願っているものである。そして故人を偲ぶと共に故人をいかなる形ででも軍国主義に利用されたくないと願っているものである。そのような原告らが、すでに述べたように白昼公然となされた被告中曽根による憲法違反の本件公式参拝によって受けた精神的苦痛は測りしれず、これを慰謝するには、どんなに少なくみても各原告につき一〇〇万円を下るものではない。
6 被告中曽根の責任
(一) 公務員の個人責任について
(1) 本件訴訟は、国賠法に基づき被告国に対して損害賠償請求をすると共に、公務員個人たる被告中曽根に対してもまた民法に基づいて損害賠償請求をしているものである。
(2) ところで、国賠法の規定が適用される場合に、当該公務員の個人責任をも追及することができるかどうかについては同法に何らの規定もないことから、もっぱら解釈にゆだねられている。
思うに、
ア 国賠法一条に基づく責任は、国ないし公共団体の自己責任であり、もともと、公務員個人の責任とは無関係なものと解するならば、国ないし公共団体が責任を負担することと、公務員個人の責任とはもとより別個の問題であり、したがって、原則論としては、国ないし公共団体が責任を負担することによって、公務員の責任が排除されるべき理由はない。
イ 公務員個人の責任を否定する説は、公務員個人の直接責任を認めると公務員の職務執行を萎縮させてしまうことを理由にあげるが、民法では機関個人又は被用者自身も被害者に対して直接責任を負うとされていることと対比すると、公務員の場合にそれと別異に解釈して取り扱うべきだとする合理的理由は全く見出しがたい。違法な行為はむしろ「萎縮」させなければならない。
否定説のあげる「経済的充足が担保されている」ことからも公務員個人の免責を理論的に導きうるものではない。この理は不法行為者の一方が十分な資力を持っている場合と同様である。
ウ ひるがえって加害公務員に対する責任追及は、公務員に対する国民の監督的作用にとって極めて有効な手段であり、もしも公務員の個人責任を認めないのであれば、経済的充足だけでは充たされない国民の権利感情を著しく阻害する結果を招来する。
エ 他方、国賠法一条二項の規定が民法七一五条三項と違って加害公務員の軽過失の場合の求償権の行使を制限している。
以上の理由より、加害公務員に故意又は重大な過失があったときは、自らも民法七〇九条以下の規定による責任を負担すると解すべきである。
(3)ア ところで、最高裁判例は公務員の個人責任については否定説をとるものと一般に解せられ、被告引用のように最高裁昭和三〇年四月一九日第三小法廷判決、最高裁昭和四七年三月二一日第三小法廷判決、最高裁昭和五二年一〇月二五日第三小法廷判決、最高裁昭和五三年一〇月二〇日第二小法廷判決(いわゆる芦別事件)があげられている。
イ しかし、先例となった昭和三〇年判決は、「原審の認定するような事情の下においてとった被上告人等の行為が上告人らの名誉を毀損したと認めることはできないから、結局原判決は正当」である旨判示し、同時に傍論として公務員個人の責任はないと判示しているが、結論の裏付けとなっているのは当該事実関係の下では当該公務員に違法行為はないとする判断であった。
ウ 同様に、芦別事件判決も公務員(検察官、警察官)の具体的な行為について違法はない旨判示した上で、当該公務員が個人責任を負わないと判示しているのである。すなわち、この事件においても当該公務員に違法行為のないことを前提としているので、敢えて公務員の個人責任について議論する必要はなかったのである。ちなみに右事件の控訴審においても公務員個人の違法行為はないとした上で公務員の個人責任を否定している(しかし、右事件について注目すべきは、その第一審が当該公務員=検察官の個人責任を認めて当該公務員に国と連帯して損害賠償をすべきことを命じている点である。)。
エ また、昭和五二年判決も主たる争点であった教師の懲戒と生徒の自殺の因果関係については否定しているのである(昭和四七年判決は内容に入っていない)。
オ 以上のように見てくると最高裁判例も、著名な二判例はいずれも傍論において否定するにすぎず、また他の判例も内容まで大きく踏み込んだものとはいえないことから、否定説を不変の如く考えるのは妥当でない。
カ なお、下級審においては、前述の一審判決のほか、昭和三七年五月一七日大阪高裁判決(高裁民集一五巻四〇七号)昭和四六年一〇月一一日東京地裁判決等において公務員の個人責任を認めた裁判例がある。
(二) すでに5で論述した如く、被告中曽根は故意の違法行為によって原告らに損害を与えたものであり、本件は加害公務員に故意ある場合にほかならない。従って、被告中曽根が責任を負うべきことは明らかである。
7 結論
原告らは、平和を希求し、信教の自由の厳守を強く願っているものである。本件訴訟は直接的には損害賠償請求訴訟であるが、これは同時に平和と信教の自由の回復を希求する訴訟にほかならない。
以上により、請求の趣旨記載のとおり、原告らは被告らに対し、損害賠償として各一〇〇万円及びこれに対する訴状送達の翌日である昭和六〇年一二月一七日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求の原因1(原告ら)について
(一)ないし(六)は、いずれも不知。
2 同2(内閣総理大臣中曽根康弘の公式参拝)について
被告中曽根が昭和六〇年八月一五日に本件公式参拝をしたこと、被告中曽根は同日午後一時四〇分ころ公用車で靖国神社に赴き、拝殿において「内閣総理大臣中曽根康弘」と記帳し、引き続き本殿に至り、内閣官房長官藤波孝生及び厚生大臣増岡博之とともに、内陣に向って黙とうの上深く一礼をしたこと、供花の代金として公費から三万円が支出されたこと及び被告中曽根が参拝後報道陣の質問に対し原告ら主張のとおりの発言をしたことは認めるが、その余は否認する。
なお、被告中曽根は、戦没者に対して神道儀式によることなく追悼を行ったものである。
また、右の三万円は、被告中曽根において、靖国神社に対し、同金額の供花一対を花屋に注文して購入の上これを本殿に配置してもらいたい旨依頼し、同神社が右依頼に基づき花屋に支払うべき代金額として、これを随行の秘書官を通じ、同神社に交付したものである。
3 同3(本件公式参拝の意味)について
(一) (一)(靖国神社について)について
(1) (1)(沿革)について
アのうち、明治二年六月に東京九段に招魂社(招魂場)が設けられたことは認めるが、その余は不知。
イのうち、明治一二年六月四日に招魂社が靖国神社と改称され、同時に別格官幣社に列せられたことは認めるが、その余は不知。
ウは不知。
エは認める。
(2) (2)(宗教性)について
アは不知。
イのうち、靖国神社が戦没者を神道祭祀の方法で奉斎していることは認めるが、その余は不知。
ウは不知。
(3) (3)(戦前の特徴)について
ア ア(国家神道の成立について)
(ア)は争う。
(イ)のうち、大日本帝国憲法、「陸海軍軍人に賜はりたる勅諭」及び「教育ニ関スル勅語」の中に原告ら引用の文言のあることは認めるが、その余は争う。
(ウ)は争う。
イ イ(軍国主義的性格)について
(ア)ないし(ウ)は、いずれも争う。
(4) (4)(戦後における靖国神社)について
ア ア(神道指令)について
(ア)は認める。
(イ)のうち、昭和二一年一一月三日に帝国憲法改正という形式をとって日本国憲法が公布されたこと、日本国憲法二〇条がいわゆる政教分離原則を定めていること及び日本国憲法前文中に、「日本国民は、……政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」とあることは認めるが、その余は争う。
イ イ(宗教法人化)について
靖国神社が昭和二六年四月三日に施行された宗教法人法に基づき東京都知事より規則の認証を受け、昭和二七年九月三〇日設立登記を了して同法の規定による単立の宗教法人となったこと(なお、靖国神社は、戦後、昭和二一年二月二日の宗教法人令の改正により、同令の規定による単立の宗教法人となっていたものである。)、宗教法人「靖国神社」規則三条に「(目的)」として原告ら引用の文言のあることは認める(ただし、右文言中の「その他本神社の目的を達成するための業務」は、「その他本神社の目的を達成するための業務及び事業」が正しい。)が、その余は争う。
ウ ウ(性格の一貫性)について
(ア)ないし(ウ)は、いずれも争う。
(エ)のうち、靖国神社が「国事に殉ぜられた人々」を神道祭祀の方法で奉斎していることは認めるが、その余は争う。
(オ)は争う。
エ エ(靖国神社のかかえる矛盾から国家護持推進論への展開)について
(ア)、(イ)は、いずれも争う。
オ オ(平和憲法の下での戦没者慰霊)について
日本国憲法が平和主義・民主主義を基本原理としていること及び広島の原爆慰霊碑に原告ら引用の碑文のあることは認めるが、その余は争う。
(二) (二)(公式参拝に至る経過)について
(1) 冒頭部分について
争う。
(2) (1)(靖国神社法案の動き)について
日本遺族会の前身である日本遺族厚生連盟が昭和二七年一一月一六日に靖国神社の慰霊行事に対する国費の支弁を決議したこと、靖国神社法案が昭和四四年六月三〇日自由民主党の国会議員により第六一回国会(第六〇回国会ではない。)に提出されたが、審議未了により廃案となったこと、同法案がその後、第六三回、第六五回及び第六八回国会に提出されたがいずれも審議未了により廃案となり、さらに第七一回国会で審議未了により廃案となったこと及び昭和五〇年二月一七日に衆議院議員藤尾正行により慰霊表敬法案と題する私案が明らかにされたことは認めるが、その余は争う。
(3) (2)(首相参拝の変遷)について
昭和五〇年八月一五日に内閣総理大臣三木武夫が靖国神社に参拝したこと、その際同総理が公用車を使用せず、玉串料を私費で負担し、肩書を記帳しなかったこと、また、公職者が随行しなかったこと、昭和五三年八月一五日に内閣総理大臣福田赳夫が公用車を使用し、内閣総理大臣の肩書を記帳して靖国神社に参拝したこと、その際、公職者が随行したこと、同年一〇月一七日に内閣総理大臣等の靖国神社参拝についての政府統一見解が明らかにされたこと、内閣総理大臣大平正芳及び同鈴木善幸が福田総理と同様の方式で靖国神社に参拝したこと、鈴木総理が昭和五七年八月一五日の参拝の際に私的参拝である旨を明言しなかったこと、中曽根総理が昭和五八年四月二一日の靖国神社の春季例大祭の際に同神社に参拝し、その際、「内閣総理大臣たる中曽根康弘」が参拝したものである旨述べたこと及び政府が右表現を使ってもその参拝の性質が私的参拝であることには変わりはない旨説明したことは認めるが、その余は争う。
(4) (3)(政府見解の変更と公式参拝)について
政府が昭和五五年一一月一七日国務大臣の靖国神社参拝についての統一見解を表明したこと、右統一見解中に原告ら引用の文言のあること、右統一見解が靖国神社参拝に係る憲法判断に関してそれ以前の政府見解と同一基調に立つものであること、昭和五八年七月自由民主党が政務調査会内閣部会に設置した靖国神社問題に関する小委員会を再開し、靖国神社公式参拝問題について検討作業を開始したこと、被告中曽根が同月三〇日前記昭和五五年の政府統一見解について内閣として更に検討する旨発言したこと、自主憲法期成議員同盟が昭和五八年八月一〇日「靖国神社公式参拝が合憲であることの法的論拠」を発表したこと、前記小委員会同年一一月一五日、原告ら引用の文言のある見解を取りまとめたこと、右見解が昭和五九年四月一三日に自由民主党総務会で了承された上、被告中曽根に提出されたこと、靖国懇が開催されたこと(靖国懇は内閣官房長官のためのいわゆる行政運営上の会合である。また、第一回会合が開催されたのは昭和五九年八月三日である。)、靖国懇が昭和六〇年八月九日報告書をまとめたこと、右報告書中に原告ら引用の文言のあること、右報告書が玉串料等の公金支出について言及していないこと、公式参拝に関して配慮すべき事項として、公式参拝の方式の問題、合祀対象の問題、国家神道・軍国主義復活の問題、信教の自由の問題、政治的対立・国際的反応の問題の五つの事項を掲げていること、政府が同年八月一四日内閣官房長官藤波孝生を通じて翌一五日に被告中曽根が内閣総理大臣としての資格で靖国神社への参拝を行う旨を発表したこと、被告中曽根が本件公式参拝を行ったこと及び藤波内閣官房長官が同年八月二〇日、公式参拝について原告ら主張のとおりの発言をしたことは認めるが、その余は争う。
なお、本件公式参拝は、靖国懇の報告書を一つの参考とし、政府として慎重に検討した結果実施したものである。
(三) (三)(靖国懇報告批判)について
靖国懇の報告書がメンバー全員一致の意見ではないとした上で、意見の大勢としては憲法に違反しない公式参拝の途があり得るとし、その主たる論拠として津地鎮祭最高裁判決の判示を挙げていること及び右報告と右最高裁判決の中に原告ら引用の各文言のあることは認めるが、その余は争う。
(四) (四)(本件公式参拝の意味と役割)について
被告中曽根が従前より靖国神社問題について発言してきていること、被告中曽根が昭和四三年五月拓殖大学総長として、また、昭和四七年三月靖国神社法成立促進国民大会においてそれぞれ講演し、同年四月に雑誌「民族と政治」に「英霊国家護持を早く実現しよう」と題する論文を寄稿し、また、昭和六〇年七月二七日自由民主党軽井沢セミナーにおいて講演していること及び奥野誠亮の投稿が昭和五九年五月一七日付け朝日新聞紙上に掲載されたことはいずれも外形的事実としては認めるが、その余は争う。
4 同4(本件公式参拝の違憲性)について
(一) (一)(政教分離原則、信教の自由違反の違憲性)について
(1) (1)(政教分離原則と信教の自由の趣旨)について
ア 冒頭部分について認める。
イ ア及びイについて争う。
(2) (2)(わが国における政教分離原則の歴史的意義)について
大日本帝国憲法に原告ら主張のとおりの文言の規定の存すること、同憲法下において法制上国教が存しなかったこと、官国幣社の経費の一部が国庫負担とされ、また神職が官吏の待遇を与えられていたこと及び昭和二〇年一二月連合国最高司令官総司令部により、いわゆる神道指令が発せられたことは認みるが、その余は争う。
(3) (3)(政教分離原則の内容・性格)について
ア ア(人権規定としての政教分離)について
争う。
イ イ(絶対的分離の要請)について
争う。
(4) (4)(津地鎮祭最高裁判決の目的効果論について)について
ア ア(判決批判)について
原告ら主張の最高裁判決の中に原告ら引用の文言のあることは認めるが、右判決の評価に関する主張は争う。
イ イ及びウについて争う。
(5) (5)(本件公式参拝の違憲性)について
アないしウについていずれも争う。
(二) (二)(平和的生存権侵害の違憲性)について
争う。
(三) (三)は争う。
5 同5(被告国の国家賠償責任)について
(一)ないし(五)についていずれも争う。
6 同6(被告中曽根の責任)について
争う。
7 同7(結論)について
争う。
三 被告らの主張
1 本件公式参拝に至る経緯及び右参拝の概要
(一) 本件公式参拝に至る経緯
本件公式参拝に至る経緯は、次のとおりである。
(1) 内閣総理大臣その他の国務大臣(以下「総理その他の国務大臣」という。)は、戦後、靖国神社の春秋例大祭等に際し、占領下の一時期を除き、私的な資格において、同神社に参拝を行い、戦没者の慰霊・追悼を行ってきた。
総理その他の国務大臣が靖国神社に公的資格で参拝すること、すなわち、公式参拝することと憲法との関係については、昭和五五年一一月一七日、衆議院議員運営委員会理事会において、宮沢内閣官房長官が政府統一見解を表明している。
その内容は、
「政府としては、従来から、内閣総理大臣その他の国務大臣が国務大臣としての資格で靖国神社に参拝することは、憲法二〇条三項との関係で問題があるとの立場で一貫してきている。
右の問題があるということの意味は、このような参拝が合憲かということについては、いろいろな考え方があり、政府としては違憲とも断定していないが、このような参拝が違憲ではないかとの疑いをなお否定できないということである。
そこで、政府としては、従来から事柄の性質上慎重な立場をとり、国務大臣としての資格で靖国神社に参拝することは差し控えることを一貫した方針としてきたところである。」
というものである。
(2) 政府は、その後も、この政府統一見解を踏襲し、総理その他の国務大臣は靖国神社に公式参拝することを差し控えることとしていた。
他方、国民や遺族の多くは、靖国神社は宗教施設ではあるが、同時に、わが国における戦没者追悼の中心的施設であるとしており、総理その他の国務大臣が同神社に公式参拝することは憲法の諸規定に違反することとはならないので、同神社の春秋例大祭、あるいは八月一五日の「戦没者を追悼し平和を祈念する日」等には、これを実施すべきであるとの要望が強まってきた。特に、昭和五三年ころから、地方議会において、総理その他の国務大臣の靖国神社公式参拝を実施すべきであるとの決議が相次ぎ、その数は、昭和六〇年三月末までに、四七都道府県三七県の議会、全国三二七六市町村中一六〇〇市町村の議会に達した。
(3) 政府は、かかる経緯を踏まえ、総理その他の国務大臣の靖国神社公式参拝の問題について更に検討することとしたが、右の問題は、国民意識とも深くかかわるものであるので、昭和五九年八月三日、藤波内閣官房長官のための行政運営上の会合(いわゆる懇談会)として、各界の有識者一五名の参集を求め、靖国懇を開催した。
以後、靖国懇は、合計二一回にわたり会合を重ね、この問題について、憲法上の論点、国民意識とのかかわりなどを幅広く検討した上、昭和六〇年八月九日、意見をまとめて報告書として藤波内閣官房長官に提出した。
右報告書は、「いくつかの点について意見の対立があり、必ずしも、すべての点について全員の一致した意見を得ることはできなかった。」とし、また、国務大臣の靖国神社公式参拝は違憲であるとの意見もあることを付記し、さらに、公式参拝を実施するに当たっての配慮事項を摘示しながらも、意見の大勢として、
「先の大戦に至るまでの数次の戦争における戦没者に対し追悼の念を表すことは、国民多数の感情にも合致し、遺族の心情にも沿うものであって、国民として当然の所為というべきである。また、内閣総理大臣その他の国務大臣も、国民を代表する立場において、国民の多数が支持し、受け入れる形で行事を主催し、又は、行事に参列することによって、戦没者の追悼を行うことが適当であろう。」、
「国民や遺族の多くは、戦後四〇年に当たる今日まで、靖国神社を、その沿革や規模から見て、依然としてわが国における戦没者追悼の中心的施設であるとしており、したがって、同神社において、多数の戦没者に対して、国民を代表する立場にある者による追悼の途が講ぜられること、すなわち、内閣総理大臣その他の国務大臣が同神社に公式参拝することを望んでいるものと認められる。」、
「憲法との関係をどう考えるかについては、津地鎮祭最高裁判決を基本として考えることとし、その結果として、最高裁判決に言う目的及び効果の面で種々配意することにより、政教分離原則に抵触しない何らかの方式による公式参拝の途があり得ると考えるものである。
この点については、最高裁判決の解釈として、靖国神社に参拝する問題を地鎮祭と同一に論ずることはできないとの意見もあったが、一般に、戦没者に対する追悼それ自体は、必ずしも宗教的意義を持つものとは言えないであろうし、また、例えば、国家、社会のために功績のあった者について、その者の遺族、関係者が行う特定の宗教上の方式による葬儀・法要等に、内閣総理大臣等閣僚が公的な資格において参列しても、社会通念上別段問題とされていないという事実があることを考慮されるべきである。
以上の次第により、政府は、この際、大方の国民感情や遺族の心情をくみ、政教分離原則に関する憲法の規定の趣旨に反することなく、また、国民の多数により支持され、受け入れられる何らかの形で、内閣総理大臣その他の国務大臣の靖国神社への公式参拝を実施する方途を検討すべきであると考える。」
とするものであった。
(4) 政府は、右報告書を一つの参考とし、慎重に検討した結果、後述する本件公式参拝のような目的・方式によるならば、総理その他の国務大臣が靖国神社に公式参拝することは、憲法のいわゆる政教分離原則に反しないから、これを差し控える必要がないとの結論を得、その限りにおいて従来の政府統一見解を変更することとした。
そこで、同年八月一四日、藤波内閣官房長官は、「八月一五日は、『戦没者を追悼し平和を祈念する日』であり、戦後四〇年に当たる記念すべき日である。この日、内閣総理大臣は靖国神社に内閣総理大臣としての資格で参拝を行う。
これは、国民や遺族の方々の多くが、靖国神社を我が国の戦没者追悼の中心的施設であるとし、同神社において公式参拝が実施されることを強く望んでいるという事情を踏まえたものであり、その目的は、あくまでも、祖国や同胞等を守るために貴い一命をささげられた戦没者の追悼を行うことにあり、それはあわせて我が国と世界の平和への決意を新たにすることでもある。」
「なお、靖国神社公式参拝に関する従来の政府の統一見解としては、昭和五五年一一月一七日に、公式参拝の憲法適合性についてはいろいろな考え方があり、政府としては違憲とも合憲とも断定していないが、このような参拝が違憲ではないかとの疑いをなお否定できないので、事柄の性質上慎重な立場をとり、差し控えることを一貫した方針としてきた旨表明したところである。」
「しかし、このたび『閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会』の報告書を参考として、慎重に検討した結果、今回のような方式によるならば、公式参拝を行っても、社会通念上、憲法が禁止する宗教的活動に該当しないと判断した。したがって、今回の公式参拝の実施は、その限りにおいて、従来の政府統一見解を変更するものである。」
との談話を発表した。
(5) 以上のような経緯を経て、本件公式参拝が実施されるに至ったものである。
(二) 本件公式参拝の概要
(1) 本件公式参拝の概要は、次のとおりである。
ア 被告中曽根は、昭和六〇年八月一五日午後一時四〇分ころ、公的資格で、戦没者を追悼し、併せてわが国と世界の平和への決意を新たにするため、藤波内閣官房長官、増岡厚生大臣とともに靖国神社に赴き、まず、拝殿において「内閣総理大臣 中曽根康弘」と記帳し、次いで、本殿に至り、内陣に向かって直立し、黙の上、深く一礼を行い、退出した。
その後、村田、山口の二国務大臣を除くその他の全国務大臣が、それぞれの判断に基づき神道儀式によることなく、本殿又は社頭において一礼する方式により、公的資格で靖国神社に参拝を行い、戦没者を追悼した。
イ 本件公式参拝は、国民や遺族の多くが靖国神社を我が国における戦没者追悼の中心的施設であるとし、同神社において総理その他の国務大臣による戦没者の追悼が実施されることを強く望んでいるという事情を踏まえ、あらかじめ、戦没者の追悼という非宗教的目的で行うものであることを公にした上で、実施されたものである。そして、本件公式参拝は、靖国神社主催の行事に組み込まれたものではなく、また、その方式については、手水の儀、修祓の儀、玉串奉奠、二拝二拍手一拝、直会等、神道の儀式を一切排除して、本殿又は社頭において一礼するという戦没者追悼にふさわしい方式により追悼の意を表したものである。
(2) 本件公式参拝に際し、被告中曽根は、戦没者に対する追悼の気持ちを表すため、社交儀礼として靖国神社本殿に一対の生花による供花を行った。
右供花の代金三万円は、国費から支出され、当然参拝の際、随行の総理秘書官から靖国神社に現金で手交されたが、右金員は、いわゆる玉串料ではなく、被告中曽根において、靖国神社に対し、同金額相当の生花一対を花屋に注文して購入し、本殿に配置してもらいたい旨依頼した上、同神社が依頼によって花屋から生花を購入するについて支払うべき代金額として、同神社に交付したものであり、その後、右金員は、全額同神社から花屋に支払われている。
2 本件公式参拝の合憲性
原告らは、本件公式参拝が憲法に違反するとし、具体的には、右参拝が、憲法二〇条一項後段、三項及び八九条の定める政教分離原則に違反し、ひいては同法二〇条一項前段の信教の自由を侵害する旨並びに同法前文、九条、一三条から導かれるとする平和的生存権を侵害する旨主張するので、以下、これらの点につき逐次反論し、本件公式参拝には、何ら原告らが主張するような違憲の廉が存しないことを明らかにすることにする。
(一) 本件公式参拝と政教分離原則
原告らは、憲法二〇条一項後段、三項及び八九条に規定されている政教分離の原則は、信教の自由の一内容をなすものであり、これを人権保障規定と解すべきであるとした上で、憲法二〇条三項にいう宗教的活動とは、宗教施設における祈、礼拝、儀式、祝典、行事の挙行やそれへの参加等および宗教的感情の表現とみられる一切の行為を含むものと解されるから、明らかに宗教施設に当たる靖国神社への本件公式参拝は宗教施設においてなされた「国及びその機関」による参拝行為として、右宗教的活動に当たり、憲法二〇条三項に違反するものであり、ひいては同条一項前段の信教の自由を侵害するものであると主張する。
しかし、原告らの右主張は、以下に述べるとおり、憲法に規定されている政教分離原則について、根本的な理解を欠くものである上、本件公式参拝を憲法二〇条三項にいう宗教的活動に該当するとする点において明らかに誤っているというべきである。
(1) 制度的保障としての政教分離規定と個人に対する権利保障規定との関係
憲法に規定されている政教分離原則は、以下に述べるとおり、いわゆる制度的保障としての性格を有するものである。
ア 憲法二〇条三項の「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」との規定は、講学上、同条一項後段、同法八九条の各規定とともに、政教分離規定と称されている。
右政教分離規定と憲法二〇条一項前段の信教の自由の保障規定及び同条二項の規定との関係並びに同条三項の規定の趣旨、内容、性格等については、周知のとおり、学説上種々論じられているが、津地鎮祭最高裁判決は、憲法における政教分離原則の意義、内容、憲法二〇条三項の規定の性格、右条項にいう宗教的活動の意義、内容及び判断基準等について明確に判示している。
すなわち、右最高裁判決は、憲法における政教分離原則について、「憲法は、『信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。』(二〇条一項前段)とし、また、『何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。』(同条二項)として、いわゆる狭義の信教の自由を保障する規定を設ける一方、『いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。』(同条一項後段)、『国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。』(同条三項)として、更に『公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、……これを支出し、又はその利用に供してはならない。』(八九条)として、いわゆる政教分離の原則に基づく諸規定(以下「政教分離規定」という)を設けている。
一般に、政教分離原則とは、およそ宗教や信仰の問題は、もともと政治的次元を超えた個人の内心にかかわることがらであるから、世俗的権力である国家(地方公共団体も含む。以下同じ。)は、これを公権力の彼方におき、宗教そのものに干渉すべきではないとする、国家の非宗教性ないし宗教的中立性を意味するものとされている。」とし、政教分離原則の意義、内容を明らかにしている。
次いで、同判決は、「もとより、国家と宗教との関係には、それぞれの国の歴史的・社会的条件によって異なるものがある。」とし、わが国における右判示にいう歴史的・社会的条件を検討した上、「これらの諸点にかんがみると、憲法は、政教分離規定を設けるにあたり、国家と宗教との完全な分離を理想とし、国家の非宗教性ないし宗教的中立性を確保しようとしたもの、と解すべきである。」としながらも、「しかしながら、元来、政教分離規定は、いわゆる制度的保障の規定であって、信教の自由そのものを直接保障するものではなく、国家と宗教との分離を制度として保障することにより、間接的に信教の自由の保障を確保しようとするものである。ところが、宗教は、信仰という個人の内心的な事象としての側面を有することにとどまらず、同時に極めて多方面にわたる外部的な社会事象としての側面を伴うのが常であって、この側面においては、教育、福祉、文化、民俗風習など広汎な場面で社会生活と接触することになり、そのことからくる当然の帰結として、国家が社会生活に規制を加え、あるいは教育、福祉、文化などに関する助成、援助等の諸施策を実施するにあたって、宗教とのかかわり合いを生ずることを免れえないこととなる。したがって、現実の国家制度として、国家と宗教との完全な分離を実現することは、実際上不可能に近いものといわなければならない。更にまた、政教分離原則を完全に貫こうとすれば、かえって社会生活の各方面に不合理な事態を生ずることを免れない……。これらの点にかんがみると、政教分離規定の保障の対象となる国家と宗教との分離にもおのずから一定の限界があることを免れず、政教分離原則が現実の国家制度として具現される場合には、それぞれの国の社会的・文化的諸条件に照らし、国家は実際上宗教とある程度のかかわり合いをもたざるをえないことを前提としたうえで、そのかかわり合いが、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で、いかなる場合にいかなる限度で許されないこととなるかが、問題とならざるをえないのである。右のような見地から考えると、わが憲法の前記政教分離規定の基礎となり、その解釈の指導原理となる政教分離原則は、国家が宗教的に中立であることを要求するものではあるが、国家が宗教とのかかわり合いをもつことを全く許さないとするものではなく、宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果にかんがみ、そのかかわり合いが右の諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないとするものであると解すべきである。」と判示している。
右最高裁判決の判示により憲法における政教分離原則の意義、内容が明らかにされているが、ここで注目すべきことは、右判示の中で、「元来、政教分離規定は、いわゆる制度的保障規定であって、信教の自由そのものを直接保障するものではなく、国家と宗教との分離を制度として保障することにより、間接的に信教の自由の保障を確保しようとするものである。」としている点である。すなわち、右最高裁判決は、政教分離規定が、いわゆる制度的保障の自由そのものを直接保障した人権保障規定ではないことを明らかにし、この意味において、政教分離規定は、人権保障規定である信教の自由を保障する憲法二〇条一項前段及び二項とはその本質を異にするものとしているのである。
イ 学説においても、政教分離規定については、
「国と宗教との分離または、国家の非宗教性……を定めた規定(二〇条三項・八九条)は、信教の自由の保障を確保するために、国と宗教との分離を制度として保障しようとするものであり、一種の制度的保障を定めたものと見ることができる。」とされ、あるいは、「(憲法における政教分離規定は、)いずれも国権により直接に個人または宗教団体の自由を侵すことの禁止ではないから、自由権の規定ではなく、政治と宗教、国家と教会を分離する原則を採り、ローマ教会のような教会国家主義……および英国のような国家教会主義……を否定するものである。いいかえれば信教の自由の法原理および宗教団体の政治的中立性を、相対主義の立場をとる民主的社会に欠くべからざる前提として憲法上保障するのである。政教分離の原則は、カール・シュミットのいわゆる制度的保障の一つであって、宗教が批判を許さない絶対の信仰を中心とするから、政治と結びついて独裁政治となることを恐れるためである。」とされており、これを制度的保障と解するのが通説といってよい。
ウ しかして、憲法の制度的保障規定の意義内容については、一般に次のように説かれている。
憲法の基本権規定の中には、個人の権利を直接保障するものと、そのほかに、一定の客観的制度を特別に保障する規定があり、後者は、法律によってこうした制度が廃止されることを不可能ならしめるのが目的であるが、その保障の構造は法的にも論理的にも個人の自然権のこれとは全く異なるものとされているのである。すなわち、右のように保障された制度は、あくまで国家内において、国家の政策的配慮によって作られた制度であって、多分にそれぞれの国家社会の歴史的経緯と社会情勢の影響を受けているものであり、個人の自然権のように前国家的普遍的価値あるものとしての保護や尊重を要求できるものではない。そしてまた、制度的保障においては、一定の社会的制度を客観的に保障することそれ自体が目的なのであって、それが間接的ないし窮極的には個人の権利自由の保障に役立つことになるとしても、それ自身は権利自由の保障規定そのものではないのである。
エ ところで、本来、信教の自由は、国家と宗教の分離を必然的に内包するものではなく、信教の自由の侵害とならない国家と宗教の結合形態もあり得るのであるが、それを容認することがひいては信教の自由に対する侵害になりがちであるという歴史的教訓から、信教の自由の保障をより一層確実ならしめるために政教分離原則が制度的に確立されているのである。このように、憲法における政教分離原則は、本来、直接には信教の自由を侵害するものではないが将来その侵害を引き起こすこととなりやすい国家と宗教との結合を防止するために、国家と宗教との分離を図り、それによって信教の自由の保障をより一層確実にしようとするところにその本質的な意義がある。そして、右政教分離原則を国家制度として憲法上具体化した政教分離規定は、津地鎮祭最高裁判決の判示するとおり、国家と宗教との分離を制度として保障することにより、間接的に信教の自由を保障しようとする制度的保障規定にほかならない。したがって、政教分離規定は、原告らが主張するような憲法二〇条一項前段等の信教の自由を直接に保障する人権保障規定とは憲法上の趣旨、目的、保障の対象及び範囲を異にするものである。
以上の観点によれば、政教分離規定違反の問題は、直接的には憲法上保障された国家制度違反の問題であって、それを超えて当然に信教の自由を侵害することとなるものでないことは多言を要しない。
本件の争点を検討するに当たっては、まずこの点に関する正しい理解が必要不可欠であり、原告らの本訴請求における主張は、この点の基本的な理解に欠けているのであって、津地鎮祭最高裁判決に明らかに反するものである。
(2) 本件公式参拝と憲法二〇条三項にいう「宗教的活動」
本件公式参拝は、以下のとおり、憲法二〇条三項にいう「宗教的活動」には該当しないから、そもそも違憲となる余地はないものである。
ア 津地鎮祭最高裁判決は、憲法における政教分離原則の意義、内容を明らかにした上、憲法二〇条三項により禁止される宗教的活動について、「憲法二〇条三項は、『国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。』と規定するが、ここにいう宗教的活動とは、前述の政教分離原則の意義に照らしてこれをみれば、およそ国及びその機関の活動で宗教とのかかわり合いをもつすべての行為を指すものではなく、そのかかわり合いが右にいう相当とされる限度を超えるものに限られるというべきであって、当該行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうものと解すべきである。その典型的なものは、同項に例示される宗教教育のような宗教の布教、教化、宣伝等の活動であるが、そのほか宗教上の祝典、儀式、行事等であっても、その目的、効果が前記のようなものである限り、当然、これに含まれる。そして、この点から、ある行為が右にいう宗教的活動に該当するかどうかを検討するにあたっては、当該行為の主宰者が宗教家であるかどうか、その順序作法(式次第)が宗教の定める方式に則ったものであるかどうかなど、当該行為の外形的側面のみにとらわれることなく、当該行為の行われる場所、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度、当該行為の一般人に与える効果、影響等、諸般の事情を考慮し、社会通念に従って、客観的に判断しなければならない。」と判示している。
右最高裁判決は、前述のとおり憲法における政教分離原則は制度的保障としての本質を有するとした上、宗教が個人の純粋に内心の事象にとどまらず、社会的な事象としての側面をも併せ有することから、国家と宗教との分離にもおのずから一定の限度があり、また、完全な分離を貫徹しようとすると、かえって様々の弊害や不合理が生ずることにかんがみ、政教分離原則が現実の国家制度として具現される場合には、国家は実際上宗教とある程度のかかわり合いをもたざるを得ないことを基本的な前提として容認している。そして、憲法二〇条三項で禁止される宗教的活動については、まず、わが国の社会的・文化的諸条件に照らし信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で、国家と宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果にかんがみ、そのかかわり合いが相当とされる限度を超えるときは許されない、という判断基準を定立し、具体的には、「当該行為の主宰者が宗教家であるかどうか、その順序作法(式次第)が宗教の定める方式に則ったものであるかどうかなど、当該行為の外形的側面」とともに、「当該行為の行われる場所、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意義の有無、程度、当該行為者の一般人に与える効果、影響等、諸般の事情を考慮し、社会通念に従って、客観的に判断しなければならない。」とするものである。そして、右最高裁判決に示された宗教的活動に当たるか否かの判断基準は、本件公式参拝が右の宗教的活動に該当するか否かを判断する際にも当然に適用されるものであるといわなければならない。
イ そこで、津地鎮祭最高裁判決で示された憲法二〇条三項にいう宗教的活動の判断基準に照らし、本件公式参拝が右の宗教的活動に該当するかどうかについて検討する。
まず、本件公式参拝の目的は、戦没者を追悼し、併せてわが国と世界の平和への決意を新たにするというものであり、専ら戦没者に対する追悼という宗教とは関係のない目的のために行われたものであって、追悼それ自体は、宗教に帰依し、あるいは祈願をするなどの行為と質的に異なるものであり、宗教的意義を有するものではない。
次に、本件公式参拝の方式についてみると、宗教施設ではあるが、国民や遺族の多くから戦没者追悼の中心的施設であるとされている靖国神社において、あらかじめ戦没者の追悼という非宗教的目的で行うことを公にした上で、神社の行事としてではなく、神職による主宰なしに行われたものであり、しかも、その方式は、手水の儀、修祓の儀、玉串奉奠、二拝二拍手一拝、直会等の神道の儀式を一切排除して、本殿又は社頭において、直立し、黙の上一礼するという戦没者の追悼にふさわしい方式によっているのであり、それが宗教的意義を有しないことは明らかである。
さらに、本件公式参拝は、前述のとおり国民や遺族の多くが、靖国神社をわが国の戦没者追悼の中心的施設であるとして、同神社において、総理その他の国務大臣による戦没者追悼が実施されることを強くのぞんでいるという事情を踏まえて実施されたものであり、同神社に戦没者が神として祀られていることに着目して行われたものではない。
以上の諸点からすれば、本件公式参拝は、宗教とのかかわり合いをもつものであることは否定できないとしても、社会通念上、その目的において宗教的意義を有せず、その効果においても、靖国神社に対する援助ないしは神社神道に対する援助、助長、促進となるような行為ではなく、また、他の宗教・宗派に対する圧迫、干渉となるような行為でもないことは明らかである。したがって、本件公式参拝は、宗教とのかかわり合いが相当とされる限度を超えるものではなく、憲法二〇条三項で禁止される宗教的活動には当たらないというべきである。
(3) 津地鎮祭最高裁判決における目的効果論について
ア 原告らは、津地鎮祭最高裁判決について、その判旨の中で採られたいわゆる目的効果論を種々批判しているが、その批判は以下のとおりいずれも失当である。
イ まず、原告らは、津地鎮祭最高裁判決が目的効果論を採る理由として、現実の国家制度として国家と宗教との完全な分離を実現することは、実際上不可能に近く、さらにまた、政教分離原則を完全に貫こうとすればかえって社会生活の各方面に不合理な事態を生ずるとしている点について批判するが、原告らの批判は、非現実的で、かつ、主張自体が自己矛盾に陥っているといわざるを得ないものである。すなわち、原告らは、国家と宗教との厳格な分離の実現を要求し、そこに限界などを認めるべきではない旨主張するが、右最高裁判決が判示するとおり、宗教は、極めて多方面にわたる外部的な社会事象として、教育、福祉、文化、民族風習など広汎な場面で社会生活と接触せざるを得ないものであり、したがって、国家が諸施策を実施するに当たっては、右のような広汎な場面で宗教とのかかわり合いを生ずるというのが現実なのである。そして、右のかかわり合いが、社会事象としてのものである以上、その分離を図る基準として、右最高裁判決の明らかにした目的効果論によることは、現実の国家制度の中で政教分離原則を実現する上においては、極めて適切かつ妥当なものであり、原告らの主張するごとく、そこに限界などを認めるべきではないという立論は、現実を無視した抽象論にすぎない。
原告らは、右最高裁判決が政教分離原則を完全に貫こうとする場合に生じる不合理な事態の例として挙げる三つの事例、すなわち、特定宗教と関係のある私立学校に対し一般の私立学校と同様な助成をする場合、文化財である神社、寺院の建築物や仏像等の維持保存のため国が宗教団体に補助金を支出する場合、刑務所等において受刑者のために何らかの宗教的色彩を帯びた教誨活動をする場合の三つの事例について、このような場合は、いずれも、右最高裁判決のように政教分離原則を緩和しなくとも、それによる不合理な事態は防止し得る旨主張する。そして、原告らは、右の各事例が原告らのいう厳格な政教分離原則の下でも許されるとするその理由づけとして、右一つめ及び二つめの事例における助成や補助は、それぞれ私立学校及び文化財を対象とする助成及び補助であり、特定の宗教ないし宗教団体を対象とする助成及び補助ではなく、また、それは、私立学校の経営・維持や文化財の維持・保存という国家の行政目的からする助成・補助であって、特定の宗教ないし宗教団体に着目したものでないこと、三つめの事例における教誨活動は、刑務所における受刑者に対する措置という特別の事情から生ずる問題であることを挙げる。
しかし、右の各事例において、もし、原告らの主張するように、国家と宗教の分離に何ら限界を定めず、完全なまでの分離を実現するとすれば、右の各事例は、いずれも、宗教とのかかわり合いが否定できない以上、論理的にはすべて許されないことにならざるを得ないが、そのような事態が不合理なものであり、あってはならないことは、右最高裁判決を待つまでもなく、明らかなところであろう。
原告ら自身においても、右各事例が一切許されないとすることが「不合理な事態」であるとして、これを防止すべく種々の理由づけをするのであるが、原告らがそのように考えること自体が、既に政教分離が完全に貫けない一定の限界のあることを自認していることにほかならない。そして、右の各事例が許されるとする原告の理由づけをみても、右の各事例における「行政目的」、あるいは「刑務所における受刑者に対する措置」という目的を挙げて、その目的との関係において、また、その効果が宗教に対する援助・助長・促進になるものでないことは当然のこととして論じているのであって、それは、正しく、意識するとしないとにかかわらず、右最高裁判決の採った目的効果論と実質的には同様の判断手法を採用しているものにほかならず、原告らの前記主張は、この点において、自己矛盾に陥っているといわざるを得ない。
要するに、右のような事例において、不合理な事態を回避しようとすれば、右最高裁判決の判示するように、当該行為の目的及び効果にかんがみて、そのかかわり合いがわが国の社会的、文化的諸条件に照らし信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものと認められるかどうかという基準で判断することこそが、わが憲法の規定する政教分離原則を現実の国家制度の中で実現する上において正しい判断手法であるというべきである。
ウ 次に、原告らは、右最高裁判決の目的効果論の具体的判断基準は不明確である旨主張する。
しかし、右最高裁判決は、目的効果論の点から憲法二〇条三項により禁止された宗教的活動に該当するかどうかを検討するに当たっては、当該行為の主宰者が宗教家であるかどうか、その順序作法(式次第)が宗教の定める方式にのっとったものであるかどうかなど当該行為の外形的側面のほか、当該行為の行われる場所、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度、当該行為の一般人に与える効果、影響等、諸般の事情を考慮し、社会通念に従って、客観的に判断すべきであるとしているものであって、右のような判断基準は、前述したように、宗教が極めて多方面にわたる社会事象として広汎な場面で社会生活と接触するものである以上、宗教と国家との分離の限界の判断基準としては至極当然のことであり、考慮すべき諸般の事情も具体的かつ多方面に挙げられているのであって、原告らの主張するように不明確なものでない。
エ また、原告らは、右最高裁判決の採用した目的効果論は、内心の自由の事柄に属する信教の自由について、妥協的な政策的配慮を持ち出して、多数決で処理するような考え方である旨主張する。
しかし、右最高裁判決は、憲法の政教分離規定(二〇条一項後段、同条三項、八九条)と信教の自由規定(二〇条一項前段、同条二項)とを峻別した上で、両者は本来その性格を異にするものであるとの考え方を基礎とするものであり、国家と宗教の結び付きを一定限度で、認めたとしても、その段階では、当然に信教の自由の侵害を来すわけではないのであるから、憲法の政教分離規定には一定の限界があるとして国家が宗教とのかかわり合いをもつことが許される場合のあることを認めても、それだけで当然に信教の自由の侵害を生ずるものではない。したがって、国家が宗教とのかかわり合いをもつことが許される限度を定めること自体が信教の自由の侵害を来さない範囲である以上、多数決によって少数者の信教の自由を奪うことにはならないのである。
オ 原告らは、さらに、右最高裁判決はアメリカ憲法下で展開されてきた司法判断基準を借用するものであるとした上、「アメリカ判例法で形成されてきた目的効果論の適用事例・範囲」を論じることにより、右最高裁判決の採用した目的効果論の適用範囲を制限的に解すべきである旨主張する。
しかしながら、右最高裁判決も明らかにしているように、政教分離原則が現実の国家制度として具現される場合には、それぞれの国の社会的・文化的諸条件に照らし、国家は実際上宗教とある程度のかかわり合いをもたざるを得ないことを前提とした上で、そのかかわり合いが、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で、いかなる場合にいかなる限度で許されないこととなるかが問題とならざるを得ないものである。右最高裁判決は、右のような見地に立って、わが憲法の政教分離規定の基礎となり、その解釈の指導原理となる政教分離原則の意義について、国家と宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果にかんがみ、そのかかわり合いがわが国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないとするものであることを明らかにしたものである。
そうであるとすれば、右最高裁判決は、わが憲法の下における政教分離原則の意義を一般的に明らかにしたものであることは多言を要しないところであって、わが国とは社会的・文化的諸条件を全く異にするアメリカ合衆国における例を引き合いに出して右最高裁判決の判例としてのいわゆる射程距離を殊更に制限しようとする原告らの主張は、失当というべきである。
(4) 本件公式参拝と憲法八九条
ア 原告らは、本件公式参拝に当たって「供花料」名下に三万円が公費から支出され、靖国神社に交付されているが、これは財政面から政教分離を定めた憲法八九条に違反する旨主張する。
しかしながら、既に明らかにしたとおり、そもそも本件公式参拝は、憲法二〇条三項で禁止される宗教的活動に該当しない上、右参拝に当たり国費から支出された三万円は、前記1の(二)の(2)で述べたとおり、被告中曽根が戦没者追悼の気持ちを表すための供花を行うについて、その生花の購入代金として花屋に支払われたものにすぎない。右三万円は、随行の総理秘書官から靖国神社に現金で手交されているが、これは、同神社が被告中曽根から右生花の購入を依頼されたことに基づくものであり、その後、右三万円が依頼の趣旨どおり全額同神社から花屋に支払われていることは前記1の(二)の(2)で述べたとおりである。
いずれにしても、右三万円は、靖国神社に対して支出されたものではなく、したがって、憲法八九条にいう「宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため」に支出されたものでないことは多言を要しないところであり、この点についての原告らの主張は失当というべきである。
イ なお、原告らは、被告らの右主張によれば、国が靖国神社の社殿新築を発注し、その建設費用を国がその業者に支払っても、また、国は靖国神社に対し、金銭でなければどんな高価なものを贈与しても、憲法八九条に違反しないことになる旨主張する。
しかしながら、原告らの右主張は、本件における三万円の支出に関する被告らの主張を正しく理解しないものである。すなわち、被告らの主張は、右の三万円は、被告中曽根が戦没者追悼の気持ちを表すための供花を行うについて、その生花の購入代金として花屋に支払われたものにすぎないというものであり、右主張から明らかなとおり、右供花は、あくまでも戦没者追悼の気持ちを表すための社交儀礼の範囲内のものであり、それ自体何ら憲法に違反しないし、また、そのための生花の購入代金三万円は、全額靖国神社から花屋に対し支払われているものであって、憲法上、全く問題にならない。
原告らは、戦没者追悼のための供花を、これとその性質を全く異にする社殿の新築と同視し、また、供花を物の提供という一面からのみとらえ、その価格を殊更高価な物にまで拡張し、その上、靖国神社本殿における供花と、同神社に対する物の贈与との事柄の相違を無視して論旨を展開するものであって、このような立論は、被告らの右主張に対する反論とはなり得ないものである。
(二) 本件公式参拝と信教の自由
原告らは、本件公式参拝は神社神道を信仰しない者、他の宗教を信仰する者及び宗教を持たない者の信仰の自由を侵害するものであるから、憲法二〇条一項前段に違反すると主張する。
しかし、原告らの右主張は、以下のとおり、憲法二〇条一条前段の保障する信教の自由についての正しい理解を欠くものであって、失当である。
(1) 信教の自由とその侵害の意味内容
一般に、憲法二〇条一項前段の保障する信教の自由は、自然権的自由権として、①思想及び良心の自由(同法一九条)の一部とも考えられる内心における宗教上の信教の自由、②表現の自由(同法二一条)の一部である宗教上の信仰を外部に発表する自由及び宗教を宣伝する自由、③宗教的行為の自由、すなわち、宗教上の信仰の目的で礼拝し、集会し、結社を作る自由に分けられるとされている。
原告らが本件公式参拝によって侵害されたと主張する信教の自由は、その主張自体から①の内心における宗教上の信仰の自由に属するものと考えられる。
ところで、憲法の政教分離規定違反が当然に信教の自由の侵害となるものでないことは既に詳論したところである(前記2の(一)の(1))。そして、信教の自由の内容をなす右のような各種の自由は、もともと、国家がそれに干渉してはならないという国家に対する不作為請求の性格を有するものであることにかんがみるならば、右の自由に対して国家からの侵害があったといい得るためには、少なくとも信教を理由とする国家による不利益な取扱い、若しくは宗教上の強制が具体的に存することが必要不可欠であるといわなければならない。換言すれば、信教の自由とは、宗教に関して国家から不利益や強制を受けない自由なのである。
このように、信教の自由の侵害には強制の要素(右にいう「不利益な取扱い」を含む。以下、単に「強制の要素」という。)が必要である。
(2) 本件公式参拝による信教の自由侵害の不存在
本件公式参拝に至る経緯及び右参拝の概要は前記1の(一)及び(二)で明らかにしたとおりである。すなわち、右参拝は、国民や遺族の多くが、靖国神社をわが国の戦没者追悼の中心的施設であるとし、同神社において、総理その他の国務大臣による戦没者の追悼が実施されることを強く望んでいるという事情を踏まえて、あらかじめ戦没者の追悼という非宗教的目的で行うものであることを公にした上で実施されたものである。しかも、その目的は右のような戦没者の追悼と併せてわが国と世界の平和への決意を新たにするというものであり、また、その方式は、神道の儀式を一切排除し、追悼の行為としてふさわしい方式により追悼の意を表したものであって、その目的、態様等いずれの点からみても、本件公式参拝は個々の国民の信教の自由との関係で、先に明らかにした強制の要素を全く有しないものである。したがって、原告ら各人の信教の自由との関係においても、本件公式参拝が何ら原告らの信教の自由を侵害するものでないことは多言を要しないところである。
原告らは、本件公式参拝が憲法の政教分離規定に違反するという立論から直ちに原告らの信教の自由の侵害という結論を導こうとしているが、そのような考え方が失当であることは既に明らかにしたとおりである。また、原告らは、各人が靖国神社に合祀されている者の遺族であるとの立場を強調するとともに、信教の自由から導かれるとする宗教的人格権なる独自の権利概念を用いて、本件公式参拝により右人格権が侵害された旨主張しているが、右主張が失当であることも、後記3の(二)の(2)で本件公式参拝が国賠法及び民法上違法といえるかどうかとの関係で詳述するとおりである。
(三) 本件公式参拝と「平和的生存権」
原告らは、憲法前文、九条、一三条から導かれるとする平和的生存権なる独自の権利概念を措定し、本件公式参拝により右権利が侵害されたと主張する。
しかしながら、そもそも原告らのいう平和的生存権なるものは、実定法上、その根拠のみならず、その内包及び外延のいずれの点においても、極めて不明確であって、到底憲法上の基本的人権として肯認し得るものではない上、本件公式参拝は、既述のとおりの経緯、目的及び態様でなされたものであるから、それが平和主義、あるいは生命、自由及び幸福追求の権利等を規定する憲法前文、九条、一三条の趣旨に合致するものでありこそすれ、これに違反するものではないことは明らかである。
3 本件公式参拝における被告国の国家賠償責任の不存在
原告らは、本件公式参拝が憲法の政教分離規定に違反し、ひいては信教の自由を侵害するとともに、平和的生存権を侵害する旨主張し、これらの点から本件公式参拝が国賠法一条における違法性を有することは当然の前提とした上、右参拝により原告らの宗教的人格権なるものが侵害されたとし、被告国に同法一条に基づく国家賠償責任が存する旨主張する。
そこで、本項では、前記憲法論を踏まえた上、本件公式参拝に国賠法一条の違法はなく、また、およそ原告らに損害の発生する余地のないことを詳述し、もって、被告国に原告らの主張する国家賠償責任が何ら存しないことを明らかにすることとする。
(一) 本件公式参拝の違法性不存在について―その一(加害行為の不存在)
(1) 憲法の政教分離規定違反の主張について
ア(ア) 国賠法一条にいう違法の意義、内容については、学説上、①違法を厳密に法令違反に限定して解する説、②違法は厳密な意味における法令違反の場合のみならず、人権尊重、権利濫用、信義誠実、公序良俗などの原則に反する場合も含まれるとする説、③違法を当該行為が客観的正当性を欠く場合とする説など、帰一するところがないが、①説は形式的に過ぎ、違法を実質的に考察しようとする②説ないし③説的考え方が学説上の大勢であり(ただし、③説のうち、裁量行為の不当性を違法に含ませる考え方は、極めて少数説であり、判例の採るところではない。)、結局、国賠法における違法性は、「究極的には他人に損害を加えることが法の許容するところかどうかという見地からする行為規範性」を内容としているということができよう。見方を変えると、違法性は、公務員としての行為規範違反、すなわち、職務上の法的義務違反としてとらえることができる。②説に立つ古崎判事も、判例・通説である「代位責任説をとれば、行為の違法性は当該公務員の職務義務違反をさす」としている。そして、その場合、職務上の義務は、単なる内部的な義務(公務員法上の義務)では足りず、第三者(被害者)に対して負う職務上の義務でなければならないのである。判例上も、既に最高裁判所昭和四六年一一月三〇日第三小法廷判決(民集二五巻八号一三八九ページ)が、違法性を職務上の義務違反としてとらえていたが、その後、最高裁判所昭和六〇年一一月二一日判決(いわゆる在宅投票制度訴訟上告審判決)は、この点につき更に明確な判断を示すに至った。すなわち、同判決は、「国家賠償法一条一項は、国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違背して当該国民に損害を加えたときは、国又は公共団体がこれを賠償する責に任ずることを規定するものである。したがって、国会議員の立法行為(立法不作為を含む。以下同じ。)が同項の適用上違法となるかどうかは、国会議員の立法過程における行動が個別の国民に対して負う職務上の法的義務に違背したかどうかの問題であって、当該立法内容の違憲性の問題とは区別されるべきであり、仮に当該立法の内容が憲法の規定に違反する廉があるとしても、その故に国会議員の立法行為が直ちに違法の評価を受けるものではない。」と判示している。
右判示によれば、国賠法一条にいう違法については、「公務員が個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違背」することとして解釈されており、これによっても明らかなとおり、公権力の行使に当たる公務員の行為が国賠法一条一項の適用上違法であると評価されるためには、その公務員が、損害賠償を求めている当該国民に対して個別具体的な職務上の法的義務を負担し、かつ、当該行為が右職務上の法的義務に違反してなされた場合でなければならないのである。
(イ) ところで、原告らは、その立論によると、本件公式参拝が憲法の政教分離規定に違反し、ひいては原告らの信教の自由を侵害するとし、そのことから直ちに右参拝が当然に国賠法上違法である旨主張しているものと考えられる。
本件公式参拝が憲法の政教分離規定に何ら違反するものでないことは既に明らかにしたところであるが、そもそも、右に明らかにした国賠法一条にいう違法の意義、内容に照らせば、憲法の政教分離規定に違反することは、直ちに国賠法上の違法性を基礎づけるものとはならないのである。
すなわち、改めていうまでもなく、総理その他の国務大臣は、憲法九九条により憲法を尊重し擁護する義務を負っており、したがって、憲法二〇条三項等の政教分離規定を遵守すべき憲法上の義務を負っている。しかし、そのことから直ちに、国務大臣が政教分離規定の遵守義務を個別の国民に対する職務上の法的義務として負担しているということはできない。
前記2の(一)の(1)で明らかにしたとおり、憲法における政教分離原則とは、およそ宗教や信仰の問題が、もともと政治的次元を超えた個人の内心にかかわる事柄であるから、世俗的権力である国家は、これを公権力の彼方におき、宗教そのものに干渉すべきではないとする、国家の非宗教性ないし宗教的中立性を意味し、直接には国及び国家機関が行うことのできない行為の範囲を定めることによって、国家と宗教の分離を制度として保障するものにほかならない。したがって、政教分離原則は、国家制度の在り方に関する一原則であり、これを定めた政教分離規定は、いわゆる制度的保障の規定であって、信教の自由そのものを直接保障するものではなく、国家と宗教との分離を制度として保障することにより、間接的に信教の自由の保障を確保しようとするものである。
そうであるとすれば、国務大臣が負っているこのような国家制度の在り方に関する原則を定めた政教分離規定を遵守すべき憲法上の義務は、その性質上、個別の国民に対して負担するものではなく、主権者たる国民全体に対して負担するものであるといわなければならない。すなわち、憲法は、主権が国民に存し(憲法前文)、全国民を代表する選挙された議員で組織された国会が国権の最高機関であると定め(同法四一条、四三条)、さらに、内閣制度については議員内閣制を採用し(同法六六条以下)、「内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。」(同法六六条三項)と定めている。これらの規定の意義及び憲法の制度的保障規定の本質にかんがみれば、総理その他の国務大臣は、右制度的保障規定の遵守義務及びその違反に対する責任を専ら国会に対して負っているのであって、直接個別の国民に対して負うものではないと解すべきである。そして、各国務大臣が右規定に違反したか否かの評価は、国会の政治的判断に任され、最終的には国民の自由な言論及び選挙による政治的評価にゆだねられるべきものである。これが憲法の基本原理であると考えられる。このことは、本件においてもそのまま妥当するのであって、国務大臣が政教分離規定を遵守すべき憲法上の義務は、専ら国会に対して負担するものであり、直接個別の国民に対して負担するものではない。そして、右義務違反の有無は、最終的には選挙を通じて主権者たる国民の審判にゆだねられるべき事柄である。
したがって、国務大臣が負担している政教分離規定の憲法上の遵守義務は、個別の国民に対して負担している職務上の法的義務ではないから、本件公式参拝が政教分離規定に違反するということから国賠法一条の違法性を導き出そうとする原告らの主張は失当であるといわなければならない。
(ウ) これに対し、原告らは、国賠法上の違法の要件として前記最高裁判決(最判昭和六〇年一一月二一日)にいう「職務上の法的義務」違反とは、本件に即していえば、被告中曽根が、内閣総理大臣としての職務上憲法二〇条等から導き出される行為規範に反して個別の国民の権利・利益を侵害したときのことをいうとした上で、内閣総理大臣は、憲法の下で諸立法を執行する行政の立場の最高責任者であって、国民の間で意見が分かれ、当該行為が憲法違反の疑いを否定できないような場合には、国会議員とは違って、むしろ逆にそのような行為を慎まなければならない立場にあるとし、原告らのような国民の存在を知りながら、あえて本件公式参拝を行ったことは、原告ら国民との関係においてはその権利・利益を直接に侵害し、内閣総理大臣としての立場に課せられた右規範に違反しているものである旨主張する。
① しかし、内閣総理大臣に、憲法二〇条の規定を含めて、憲法を尊重し擁護すべき行為規範の存するのは当然のことであり(憲法九九条参照)、ここでの問題は、そのような行為規範が、直接個別の国民に対して負うものかどうかということであって、原告らは、この点について何ら明らかにしていない。
本件で問題とされている憲法の政教分離規定についていえば、総理その他の国務大臣は、右規定の遵守義務及びその違反に対する責任を専ら国会に対して負っているものであり、直接個別の国民に対して負うものではないのである(前記3の(一)の(1)のイ)。
原告らは、内閣総理大臣は、行政の最高責任者として、国民の間で意見が分かれるような場合には、当該行為を慎まなければならない旨主張するが、仮に、国民の間で意見が分かれる事項であっても、内閣総理大臣が行政の最高責任者としての判断において行動すること自体には何ら問題はなく、また、原告らが右に主張するような事柄は、それ自体は政治責任にかかわるものであって、損害賠償責任の有無を判断する上においては、無意味な主張である。
② また、そもそも本件公式参拝は、憲法の政教分離規定に何ら違反するものではないし、その実施に当たっては、国民や遺族の多くが靖国神社をわが国における戦没者追悼の中心的施設であるとし、同神社において総理その他の国務大臣による戦没者の追悼が実施されることを強く望んでいるという事情を踏まえ、さらに靖国懇の報告書を一つの参考とし、慎重に検討しているものであって(1参照)、この点においても、被告中曽根が本件公式参拝を実施したことに対する原告らの前記のような非難は当たらない。
③ なお原告らは、憲法二〇条三項を政治責任の規定と解したからといって、内閣総理大臣が右条項に違反して他人に損害を加えても許されるという結論にはならないとし、例えば警察官が警察官職務執行法に違反してみだりに国民の権利を侵害したような場合には、当該警察官は分限上の責任を負うだけにとどまらず、国民に対する不法行為若しくは国賠法上の国又は公共団体の責任が問題となるとするのが法的考え方である旨主張する。しかし、右主張は、内閣総理大臣の憲法尊重擁護義務を、それとは全く性格を異にし、個人の生命、身体及び財産の保護等を任務とする(警察法二条一項、警察官職務執行法一条一項)警察官の職務上の義務と混同し、両者の義務違反を同列に論じるものであって、その誤りは明らかである。
イ 前項では、国賠法一条にいう違法の意義、内容を明らかにし、それとの関係で、憲法の政教分離規定違反が直ちに国賠法上の違法性を基礎づけるものではないことを明らかにしたが、このことは、法的利益の侵害の観点からみても同様にいうことができる。
民法七〇九条の不法行為において、被侵害利益と侵害行為の態様の相関的な関係から違法性を判断するいわゆる相関関係理論(通説・判例)を引き合いに出すまでもなく、国賠法一条においても、政教分離規定違反が即国賠法上違法となるには、右規定が直接個別の国民の何らかの法的利益(ここでは、憲法二〇条一項前段で保障された国民の信教の自由ということになるであろう。)を保護する規定であり、したがって、右規定違反が直ちに当該法的利益の侵害に結び付く場合でなければならないことは自明のことであろう。しかし、前記2の(一)の(1)で明らかにしたとおり、政教分離規定は、いわゆる制度的保障の規定であって、信教の自由そのものを直接保障するものではなく、国家と宗教との分離を制度として保障することにより、間接的に信教の自由の保障を確保しようとするものであり、政教分離規定違反即信教の自由侵害となるものではない。
したがって、本件公式参拝について、このような法的利益の侵害に直接結び付かない政教分離規定違反を主張してみても、そこから直ちに国賠法上の違法性を基礎づけることはできないのである。
ウ ちなみに、津地鎮祭最高裁判決の原判決である名古屋高等裁判所昭和四六年五月一四日判決は、そこで問題とされた地鎮祭が政教分離規定に違反することを肯認しながらも(右判断が右最高裁判決により否定されていることは前述したとおりである。)自己の信教の自由が侵害されたとする控訴人(原告)からの慰謝料請求については、「精神的に威圧を感じて本件地鎮祭へ参加を強制されたとか、被控訴人より侮辱を受け名誉を毀損されたものとは認められない。」として、控訴人の慰謝料請求を棄却した一審判決の判断を支持している。
右名古屋高等裁判所判決は、政教分離規定違反が直ちに信教の自由侵害に、したがって、国賠法上の違法に結びつくものではないことを正しく判示しているというべきであろう。
更に、自衛官合祀事件最高裁判決は、右の点について次のとおり判示しており、従前からの被告国の主張の正当性が明確に確認されている。
すなわち「憲法二〇条三項の政教分離規定は、いわゆる制度的保障の規定であって、私人に対して信教の自由そのものを直接保障するものではなく、国及びその機関が行うことのできない行為の範囲を定めて国家と宗教との分離を制度として保障することにより、間接的に信教の自由を確保しようとするものである(津地鎮祭最高裁判決)。したがって、この規定に違反する国又はその機関の宗教的活動も、それが同条一項前段に違反して私人の信教の自由を制限し、あるいは同条二項に違反して私人に対し宗教上の行為等への参加を強制するなど、憲法が保障している信教の自由を直接侵害するに至らない限り、私人に対する関係で当然には違法と評価されるものではない。」、「本件において被上告人は、被侵害利益として、(一)宗教上の人格権、(二)宗教上のプライバシー及び(三)政教分離原則が保障する法的利益を選択的に主張しているが、(中略)(三)は憲法二〇条三項の規定が私人に対し法的利益を保障していることを主張するものであるところ、右規定は前記のとおりいわゆる制度的保障の規定であって、私人の法的利益を直接保障するものではないから、このような法的利益もまたこれを認めることができない。」と判示しているのである。右の判示は憲法二〇条三項に関して述べられたものであるが、同じ政教分離規定である憲法二〇条一項後段及び八九条に関して別異に解すべき根拠は見い出せないから、この判示は政教分離規定一般について妥当するものと理解される。
右の判示からも明らかなとおり、政教分離規定に違反する国又はその機関の宗教的活動が私人との関係で違法と評価される場合があるとすれば、それは、右行為が政教分離規定に違反していることによるのではなく、憲法二〇条一項前段又は二項に違反し、私人の信教の自由を直接侵害する場合にほかならないのである。けだし、政教分離規定は、憲法二〇条一項前段等の信教の自由を直接に保障する人権保障規定ではなく、国及びその機関が行うことのできない行為の範囲を定めて国家と宗教との分離を制度として保障し、もって間接的に信教の自由を確保しようとするものであるから、仮に本件公式参拝が右規定に違反するという原告らの見解に立っても、それは国家制度違反の問題であって、そのことから直ちに私人の信教の自由を侵害することにはならないし、私人のその他の法的利益を侵害するということにもならないからである。したがって、損害賠償請求事件たる本件においては、本件公式参拝が政教分離規定に違反しているかどうかということを問題とする余地はないのである。
(2) 憲法二〇条一条前段違反の主張について
ア 原告らは、本件公式参拝は、神社神道を信仰しない者、他の宗教を信仰する者、宗教を持たない者の信教の自由を侵害するから憲法二〇条一項に違反する旨を、また、本件公式参拝は、信教の自由に対し間接的な侵害を生ぜしめ、これは憲法二〇条一項前段の趣旨を侵す旨を主張する。これに対して被告らは、憲法二〇条一項前段の保障する信教の自由は、もともと、国家が、信教の自由の内容とされる内心における宗教上の信仰の自由、宗教上の信仰を外部に発表する自由及び宗教を宣伝する自由並びに宗教上の信仰目的で礼拝、集会及び結社の結成をする宗教的行為の自由に干渉してはならないという国家の不作為を要求するものであるから、右の自由に対して国家からの侵害があったといい得るためには、少なくとも信教を理由とする国家による不利益な取扱い又は宗教上の強制があり、そこに強制の要素が具体的に存在することが必要であるところ、本件公式参拝は、その目的、態様等いずれの点からみても個々の国民の信教の自由との関係で、右のような不利益な取扱いや強制の要素を全く有しないから、これが憲法二〇条一項前段に違反するものでない旨を詳細に主張してきたところである(前記2の(二)の(1))。
イ 被告らの右主張に対して、原告らは憲法二〇条一項に規定する信教の自由の内容は広義にとらえるべきであるとして、右自由が侵害されたというためには、強制の要素は必要でない旨の反論をしているが、原告らの右主張は、もともと、政教分離規定が制度的保障規定であることを理解しない失当なものであり、前述のように国家による信教の自由の侵害があるというためには前記の強制の要素等が必要であることについては、自衛官合祀事件最高裁判決もこの理を明らかにしているところである。
すなわち、「この規定に違反する国又はその機関の宗教的活動も、それが同条一項前段に違反して私人の信教の自由を制限し、あるいは同条二項に違反して私人に対し宗教上の行為等への参加を強制するなど、憲法が保障している信教の自由を直接侵害するに至らない限り、私人に対する関係で当然には違法と評価されるものではない。」とし、また、山口県護国神社による合祀が自衛官合祀事件被上告人の法的利益を侵害したか否かの判断について、「信教の自由の保障は、何人も自己の信仰と相容れない信仰をもつ者の信仰に基づく行為に対して、それが強制や不利益の付与を伴うことにより自己の信教の自由を妨害するものでない限り寛容であることを要請しているものというべきである」とし、加えて、具体的に信教の自由が侵害されたといえるか否かについて、「県護国神社による孝文の合祀は、まさしく信教の自由により保障されているところとして同神社が自由になし得るところであり、それ自体は何人の法的利益をも侵害するものではない。そして、被上告人が県護国神社の宗教行事への参加を強制されたことのないことは、原審の確定するところであり、またその不参加により不利益を受けた事実、そのキリスト教信仰及びその信仰に基づき孝文を記念し追悼することに対し、禁止又は制限はもちろんのこと、圧迫又は干渉が加えられた事実については、被上告人において何ら主張するところがない。県護国神社宮司から被上告人あてに発せられた永代命日祭斎行等に関する書面も、その内容は前記一の3の(三)のとおりであって、被上告人の信仰に対し何ら干渉するものではない。してみれば、被上告人の法的利益は何ら侵害されていないというべきである。」としており、右最高裁判決が信教の自由が侵害されたといい得るためには、前記強制の要素等が必要であると解していることは明らかである。
また、右の判示中、山口県護国神社宮司が自衛官合祀事件被上告人にあてて、「御祭神中谷孝文命奉慰のため御篤志をもって永代神楽料御奉納相成り感佩の至りに存じます今後毎年一月一二日の祥月命日を卜として命日祭を斎行しこれを永代に継続いたします」との書面を発したことをもって「被上告人の信仰に対し何ら干渉するものではない。」としていることにも注目すべきである。すなわち、右の事案において、自らのキリスト教信仰から亡夫の合祀に反対していた自衛官合祀事件被上告人が山口県護国神社宮司から前述のような書面が届けられ、亡夫が永代にわたり同神社に祭神として合祀されたことを知らされたため、そのことに不快の感情をもち、そのようなことがないよう望み、同人の宗教上の感情が害されたであろうことは推測に難くないところである。しかし、右の書面は、自衛官合祀事件被上告人に山口県護国神社への参拝を強要するものでなく、そのキリスト教信仰を妨害するものでもない以上、右最高裁判決は、「被上告人の信仰に対し何ら干渉するものではない。」としているのである。
ウ 以上のとおり、国又はその公務員によって憲法二〇条一項前段で保障された信教の自由が侵害されたというためには、前記強制の要素等が必要であるというべきところ、原告らは、本件公式参拝によって原告らに対し、信教を理由とする国家による不利益な取扱いや宗教上の強制がされたとの具体的事実を何ら主張していない(もとより、かかる事実が存在しないことは明らかである。)から、本件公式参拝が憲法二〇条一項前段に違反し、原告らの信教の自由を侵害したとの原告ら主張は、それ自体失当である。
(3) 憲法前文、九条及び一三条違反の主張について
原告らは、本件公式参拝が憲法前文、九条及び一三条に違反している旨主張している。もっとも原告らのいわんとするところは、本件公式参拝が、憲法前文、九条及び一三条から導き出される平和的生存権を侵害するというにあり、平和的生存権を離れて、憲法の前文及び右各規定に本件公式参拝が違反するという別個独自の主張をする趣旨ではないとも解される。しかし、原告らの主張が明確でないので、念のため本件公式参拝が右憲法前文等に違反するとの主張が誤りであることを明らかにする。
憲法の前文は裁判規範としての効力を持たないから、原告らの本件公式参拝が右前文に違反する旨の主張は、それ自体失当である。
戦力不保持、交戦権の放棄等を定めた憲法九条は、前述の政教分離規定と同様国家制度としての統治の基本原理を規定したものであり、これに違反する国又はその公務員の行為が私人との関係で当然に違法と評価されることはあり得ないから、本件公式参拝が憲法九条に違反するとの主張もそれ自体失当である。
(4) 以上のとおり、原告らが、国賠法一条一項の要件である「違法性」を基礎付けるために主張している本件公式参拝が憲法の規定に違反する旨の主張は、すべて失当である。
(二) 本件公式参拝の違法性不存在について―その二(被侵害利益の不存在)
原告らは、本件公式参拝の違法性に関し、被侵害利益として、信教の自由、宗教的人格権(宗教的プライバシー権)及び平和的生存権を主張し、原告らの有するこれら権利が本件公式参拝により侵害されたと主張する。
しかしながら、原告らが被侵害利益として主張しているところは、以下に述べるとおり、すべて失当である。
(1) 信教の自由侵害の不存在
前記(一)の(2)で述べたとおり、憲法二〇条一項前段の保障する信教の自由が国家により侵害されたというためには前記強制の要素等の存在することが必要であるが、本件公式参拝は、その目的、態様のいずれからみても原告らを含む個々の国民の信教の自由との関係で何ら強制の要素等を伴うものではなく、原告らにおいても、同人らが本件公式参拝により不利益な取扱い又は宗教上の強制を受けたとの主張は全くしていないし、もとより右のような不利益取扱いや強制の事実が存在しないことも明白である。
したがって、本件公式参拝により原告らの信教の自由が侵害されたとする原告らの主張は失当である。
(2) 宗教的人格権(宗教的プライバシー権)侵害の不存在
ア 原告らは、本件公式参拝により宗教的人格権ないし宗教的プライバシー権が侵害された旨主張する。原告らの主張によれば、宗教的人格権なるものは、憲法二〇条一項(前段)、一三条及び二〇条三項により保障された「自己もしくは親しい者の死について、他人から干渉を受けない静謐の中で宗教上の感情と思考を巡らせ行為をなす自由」、「故人の死について遺族として、とりわけ『国家から』一切の干渉を受けない静謐な中で宗教上の感情と思考を巡らせる行為をなす権利」あるいは「国家から介入されないで自由で平穏な宗教生活の権利」であるとし、また、宗教的プライバシー権とは、政教分離原則と憲法一三条との両者があいまって認められる「国家から介入されない自由で平穏な宗教的生活上の権利」である等としており、根拠規定に若干違いがあるものの、結局、宗教的人格権と異なるものを指しているものではなく、また、宗教的人格権と宗教的プライバシー権を区別して論じる必要性は存しないものと解される。
しかして、原告らのいう宗教的人格権ないし宗教的プライバシー権なるものは、いずれも実定法上の根拠を全く欠くのみならず、その具体的な概念、内容、要件、効果等が不明確であって、到底権利保護の対象として承認する余地がない。
更に、宗教的人格権ないし宗教的プライバシー権における「静謐」な環境、あるいは「宗教上の感情と思考を巡らせる行為」それ自体が、極めて個別的、主観的、かつ、抽象的なものであって、法律上の権利として、客観的に把握し得るような明確性を有しない。すなわち、原告らは、「静謐」とは、故人を偲ぶ上での平穏な環境であるというが、原告らの定義からすれば、ここにいう環境というのは、決して物理的、外形的な環境を指すものではなく、精神的な平穏ないし安定感を指すことは明らかである。そして、その環境は、「他人の干渉あればその安定が打ち破られる」というのである。このようないわば精神的環境というべきものは、個々人のもつ宗教的感情や宗教観ないしは故人に対する感情、故人との関係等によって大きく左右される、極めて個別的、主観的な性格のものであり、そのようなものを中核とする宗教的人格権ないし宗教的プライバシー権は、権利としての内容、範囲、限界につき全く明確性を欠くことは明らかである。
そして、原告らは、宗教的人格権ないし宗教的プライバシー権については、前述のように、抽象的な定義付けを行うだけで、それ以上に、概念、内容、要件、効果等、法的権利の構成として最も基本的、本質的な事項について何ら明らかにしていない。
このように、原告らの主張する宗教的人格権ないし宗教的プライバシー権なる概念は、その実定法上の根拠が全くないことをさておいたとしても、その内容の不明確性という、法的権利としては致命的な欠陥を有しており、到底権利保護の対象として承認され得るものではないのである。
イ 右被告らの主張の正当性は、自衛官合祀事件最高裁判決においても明確に承認されたものと解される。
すなわち、右最高裁判決は、「人が自己の信仰生活の静謐を他者の宗教上の行為によって害されたとし、そのことに不快の感情を持ち、そのようなことがないよう望むことのあるのは、その心情として当然であるとしても、かかる宗教上の感情を被侵害利益として、直ちに損害賠償を請求し、又は差止めを請求するなどの法的救済を求めることができるとするならば、かえって相手方の信教の自由を妨げる結果となるに至ることは、見易いところである。信教の自由の保障は、何人も自己の信仰と相容れない信仰をもつ者の信仰に基づく行為に対して、それが強制や不利益の付与を伴うことにより自己の信教の自由を妨害するものでない限り寛容であることを要求しているものというべきである。このことは死去した配偶者の追慕、慰霊等に関する場合においても同様である。何人かをその信仰の対象とし、あるいは自己の信仰する宗教により何人かを追慕し、その魂の安らぎを求めるなどの宗教的行為をする自由は、誰にでも保障されているからである。原審が宗教上の人格権であるとする静謐な宗教的環境の下で信仰生活を送るべき利益なるものは、これを直ちに法的利益として認めることができない性質のものである。」、「本訴において被上告人は、被侵害利益として、(一)宗教上の人格権、(二)宗教上のプライバシー及び(三)政教分離原則が保障する法的利益を選択的に主張しているが、(一)及び(二)は、その主張内容をみればいずれも原審が宗教上の人格権とするところのものと結局同一に帰するのであって、これらを法的利益として認めることができないことは右に述べたとおりであり、」と判示している。
以上のとおり、原告らの主張する宗教的人格権あるいは宗教的プライバシー権なるものは、右最高裁判決において明確に否定されたものである。
ウ 原告らは、自衛官合祀事件最高裁判決は、本件と事案を異にするから本件訴訟の参考とすることはできないと主張する。原告らは、自衛官合祀事件最高裁判決は、私人間においては宗教上の人格権を理由とする法的救済を容易には認め難いことを指摘したものであり、国及びその機関の宗教的活動との関係における宗教的人格権の問題については何ら判示していないとの理解の上に立って、国家との関係においては全く逆の結論が要請されると主張する。
しかしながら、以下に述べるとおり、原告らの右主張は、自衛官合祀事件最高裁判決の理解を誤っているものである。
(ア) 確かに、自衛官合祀事件最高裁判決は、当該事案に即して被上告人の法的利益侵害の有無を宗教法人山口県護国神社と被上告人との間の問題として検討しているのであるが、右判決は、私人間相互の関係のみに限定して宗教的人格権や宗教的プライバシーの法的利益性を否定したものではなく、そのいうところの権利、利益の内実に照らして法的利益として認めることができない性質のものであることを明らかにしているのであって、原告ら主張のように「私人間相互で信教の自由が衝突するケースでは、宗教上の人格権を理由とする法的救済を容易には認め難い」旨判断したものでもなく、ましてやその論理から国家と私人との関係においては逆の結論が導かれることを示唆するものでもない。右判決は、前記のとおり、「原審が宗教上の人格権であるとする静謐な宗教的環境の下で信仰生活を送るべき利益なるものは、これを直ちに法的利益として認めることができない性質のものである。」、「(一)(注・宗教上の人格権。)及び(二)(同・宗教上のプライバシー。)は、(中略)これらを法的利益として認めることができない」と明確に判示しているのであって、宗教上の人格権なるものはその性質上被侵害利益として肯認することができないことを明らかにしたものである。このことは、右判決における裁判官島谷六郎及び同佐藤哲郎の意見からも裏付けられる。すなわち、右両裁判官の意見は、自衛隊山口地方連絡部職員の行為については、多数意見とは異なり憲法二〇条三項にいう宗教的活動そのものであるとしながら、「憲法二〇条三項の政教分離規定に違反する国又はその機関の宗教的活動も、それが私人の権利又は法的利益を侵害するに至らない限り、私人に対する関係では当然には違法と評価されるものでないことは、多数意見の説示するとおりであるし、本訴において被上告人が宗教上の人格権又は宗教上のプライバシーとして主張するところのものは、これを法的利益として認めることができないとする点についても、我々は多数意見と意見を同じくする。」と述べて、上告人国の不法行為責任を否定しているのである。右両裁判官の意見は、問題を国の公務員である自衛隊職員と私人たる被上告人の関係としてとらえた上で、宗教上の人格権又は宗教上のプライバシーなるものは法的利益として認めることができないとし、その理由については「多数意見と意見を同じくする。」とだけ述べているのであるから、多数意見が私人相互の関係であろうと国家と私人の関係においてであろうと、宗教上の人格権又は宗教上のプライバシー権なるものは、およそ被侵害利益として認めることができないとの立場を当然の前提としていると解していることは明らかである。
(イ) ところで、原告らは、宗教的人格権なるものは私人間においては被侵害利益として容易に認め難いものであるが、対国家との関係では被侵害利益たり得るとも主張している。そして、このように私人間における場合と国家に対する関係を別異に解すべき根拠は、要するに、かかる宗教的人格権は、私人に対する関係では相手方の信教の自由との調整が必要であるのに対し、対国家との関係においては、国には信教の自由がなく、憲法二〇条三項、一項後段及び八九条により国が宗教行為に関与すること自体違憲、違法の推定を受けることになっており、国民の宗教的人格権との調整を要しないというにある。
しかしながら、そもそも本件公式参拝は、原告らの主張するように国民が近親者の死を追悼したり様々な思いをめぐらせることに干渉したり、介入するものと客観的に評価する余地のないものである。すなわち、まず、仮に原告らの主張する宗教的人格権なるものを信教の自由の中に位置づけるとすれば、それは、前述した内心における宗教上の信教の自由に属するということになるであろうが、およそ、ある行為により右の信教の自由が侵害されたというためには、当該行為に何らかの強制の要素の存することが必要であるのに、本件公式参拝は、その目的、態様等のいずれの点からみても、原告らを含む個々の国民の信教の自由との関係で何ら強制の要素を伴うものでない(前記2の(二))から、本件公式参拝が何ら右人格権なるものを侵害するものでないことは明らかであるし、次に、以上の法的観点を離れてみても、靖国神社に合祀された者の遺族の多くが本件公式参拝によりいうところの宗教的人格権なるものを何ら侵害されていないことは、本件公式参拝が国民や遺族の多くの強い要望を踏まえて実施されたという経緯に照らして自明であり、仮に原告らが主観的にはその宗教的人格権なるものを侵害されたと考えたとしても、それは到底一般的妥当性を有するものとはいえず、法的利益侵害の有無という法律判断の基準とはなり得ないものである。しかも、再三述べたように、憲法上の政教分離規定は、制度的保障の規定であって人権規定としての性質を有するものではなく、このことは自衛官合祀事件最高裁判決も判示するところであるから、原告らが宗教的人格権を主張する根拠とすることができないものであって、右最高裁判決を右原告らの主張のように理解することは正当ではない。右最高裁判決は宗教上の人格権なるものが法的利益としては認められないと結論づける過程において、他人の宗教的行為に対する寛容ということを説いてはいるが、その結論としては、「宗教上の人格権(中略)なるものは、これを直ちに法的利益として認めることができない性質のものである。」と明確に述べているのである。この判示は、同事件を近親者間の人格権と人格権との衝突ととらえ違法性の阻却を説く裁判官坂上壽夫の意見とは異なり、要するに、憲法二〇条一項前段及び同条二項によって保障される信教の自由の侵害があり、その態様、程度が社会的に許容し得る限度を超えるときは、場合によっては法的保護が図られるべきであるが、宗教上の感情を被侵害利益として法的救済を求めることは許されないとして宗教上の人格権を明確に否定したものであり、侵害行為の主体が私人か国家かを区別して論じているものではない。したがって、原告らのいう「他から干渉や介入を受けた場合にはその精神的苦痛について法的な保護が与えられなければならない。」との主張、すなわち、宗教的人格権なるものは、私人間たると対国家との関係たるとを問わず、法的利益たり得ることを否定したものと解するべきである。
したがって、私人間と対国家との関係を区別して宗教的人格権の法的利益性を論ずる原告らの主張が誤りであることは明らかであり、宗教的人格権なるものは法的利益とは認められないとの被告国の従前からの主張の正当性は自衛官合祀事件最高裁判決によっても裏付けられたものということができる。
(3) 平和的生存権侵害の不存在
原告らのいう平和的生存権なるものは、実定法上の根拠がなく、しかも、その内容も不明確であるから、到底権利として承認し得るものではない(前記2の(三))。
(4) 以上のとおり、本件において原告らが被侵害利益と主張している権利ないし法的利益というものは、いずれも国賠法上保護されるべき権利ないし利益とは認められないが、信教の自由のようにそれ自体は法的利益と認められるものであっても、原告らの主張からはその侵害があったとは解し得ないものであって、結局のところ、本件公式参拝によって侵害されたとする原告らの法的利益に関する主張はすべてそれ自体失当といわなければならない。
(三) 以上の次第で、本件公式参拝はいずれの観点から検討しても違法性はなく、また、原告らに損害の発生する余地のないことが明白である。したがって、原告らの本訴請求は理由がないことが明らかであるから、速やかに棄却されるべきである。
4 本件公式参拝における被告中曽根の不法行為責任の不存在
(一) 総理個人としての損害賠償責任の不存在
原告らは、被告国に対しては、被告中曽根の本件公式参拝が国賠法一条一項所定の要件に該当するとして右条項に基づく損害賠償請求をする一方、被告中曽根に対しては、本件公式参拝は民法七〇九条の不法行為に該当するとして同法による損害賠償請求をしている。
しかし、公権力の行使に当たる公務員の職務行為に基づく損害については、国又は公共団体が賠償の責に任じ、職務の執行に当たった公務員は、行政機関としての地位においても、個人としても、被害者に対しその賠償責任を負うものではなく、このことは、既に確立した判例となっているところである(最高裁昭和三〇年四月一九日第三小法廷判決・民集九巻五号五三四ページ、最高裁昭和四七年三月二一日第三小法廷判決・裁判集民事一〇五号三〇九ページ、最高裁昭和五二年一〇月二五日第三小法廷判決、最高裁昭和五三年一〇月二〇日第二小法廷判決・民集三二巻七号一三六七ページほか)。
したがって、被告中曽根の本件公式参拝に関し被告国について国賠法一条に基づく損害賠償責任ありとしながら、被告中曽根についても損害賠償責任があるとする原告らの請求は、主張自体失当というべきである。
(二) 民法七〇九条の不法行為責任の不存在
本件公式参拝が原告らとの関係で民法上も何ら違法でないことは、前記3の(一)及び(二)で詳述したところから明らかであるから、原告らの被告中曽根に対する民法七〇九条に基づく請求は、この点からも全く失当である。
(三) 原告らは、公権力の行使に当たる公務員が、その職務を行うについて違法に他人に損害を加えたときは、当該公務員に故意又は重大な過失のある限り、当該公務員個人も民法七〇九条以下の規定による賠償責任を負担すると解すべき旨の解釈論を展開するとともに、前記(二)掲記の各最高裁判例は傍論にすぎない旨主張する。
しかしながら、原告らの右主張は、以下に述べるとおり、明らかに失当である。
原告らの主張は、要するに、最高裁判所昭和三〇年四月一九日第三小法廷判決(民集九巻五号五三四ページ。以下「三〇年判決」という。)、同昭和五二年一〇月二五日第三小法廷判決及び同昭和五三年一〇月二〇日第二小法廷判決(民集三二巻七号一三六ページ。以下「五三年判決」という。)をもって、いずれも当該公務員に違法行為がない等の内容上の判断がされており、あえて公務員の個人責任について議論する必要はなかった事実であって、公務員個人の責任を否定した各判示は傍論であるとするものである。
しかし、三〇年判決は、その判文自体から明らかなとおり、公権力の行使に当たる公務員の職務行為に基づく損害につき、当該公務員個人等を被告として賠償請求がされた事案について、当該公務員の職務行為が違法といえるかどうかという内容の判断に先行して、そもそも当該公務員個人が責任を負うものでないことを正面から判示したものであって、原告らが挙げる「原審の認定するような事情の下においてとった被上告人等の行為が上告人等の名誉を毀損したと認めることはできない」という判示は、単に理由を付加したものにすぎない。右に加えて、原告らも自認するとおり、最高裁判所昭和四七年三月二一日第三小法廷判決(裁判集民事一〇五号三〇九ページ。以下「四七年判決」という。)は、内容上の問題に一切触れることなく、公務員個人の責任を否定する旨の判示をしているのである。さらに、五三年判決は、「公権力の行使に当たる国の公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を与えた場合には、国がその被害者に対して賠償の責に任ずるものと解すべきことは、当裁判所の判例とするところである」と判示して、三〇年判決及び四七年判決を引用し、右判旨が最高裁判所の判例であることを自ら確認しているのである。したがって、右判旨をもって傍論にすぎないとする原告らの主張は全く独自の見解であるといわざるを得ない。
なお、原告らは、下級審においては、公務員の個人責任を認めた裁判例がある旨主張するが、これらは、いずれも五三年判決以前の裁判例にすぎない。五三年判決以前においては、右のような下級審裁判例も散見されたが、五三年判決は、右状況を踏まえて、従来の最高裁判所の判例の立場を確認したものであり、この点に、同判決の意義があるのである。
5 結び
以上、詳述したところから明らかなとおり、本件公式参拝について、被告らが原告らに対し損害賠償責任を負う余地は何ら存しないから、原告らの本訴請求は棄却されるべきである。
第三 証拠<省略>
理由
第一被告国に対する国賠請求について
一被告中曽根が昭和六〇年八月一五日本件公式参拝を実行したことは、全当事者において争いがないところ、原告らは、本件公式参拝により信教の自由、宗教的人格権(宗教的プライバシー権)及び平和的生存権をそれぞれ侵害され精神的苦痛を被ったとして、国賠法一条一項の規定に基づいて、被告国に対しそれぞれ右精神的苦痛に対する慰謝料を請求するものである。
二そこで、まず、以下において、原告らがそれぞれの主張の右権利等を侵害され精神的苦痛を被ったとする事実関係について検討してみる。
1 原告東
<証拠>によれば、以下の事実が認められる。
(一) 原告東は、大正一二年一月二八日生まれで、岸和田市議会議員である。
(二) 原告東の実兄杉山昇(大正九年四月三日生、以下「杉山」という。)は、昭和二〇年八月ころ中国吉林省で戦病死し、靖国神社に合祀されている。
(三) 原告東は、第二次世界大戦中、当時の朝鮮京城の駅頭において徴用され、その際命ぜられた任務として、自分と同時に徴用された約二〇〇〇名の朝鮮人を連行して日本の炭鉱や造船所に送り込む仕事の手伝いをし、その結果これらの朝鮮人を悲惨な境遇に陥れたという戦争体験を有し、戦後は、このことに対する強い反省から、憲法の戦争放棄及び基本的人権の尊重の理念に賛同して、平和運動に携わってきたものである。
(四) 原告東は、靖国神社を原告ら主張のような軍事施設と位置づける立場から、杉山ら戦争犠牲者を同神社に祀ることは右戦争犠牲者を軍国主義復活のために利用するものであるとして、心外に考えていたところ、今回、被告中曽根により本件公式参拝が敢行されるに至ったため、このようなことを黙認すれば戦前復帰を願う勢力に力を与え日本をして再び軍国化への道を進ませることになると考え、その危険性を排除する手段として本件訴訟を提起した
以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
2 原告金城
<証拠>によれば、以下の事実が認められる。
(一) 原告金城は、昭和一四年一月三日生まれで、沖縄県中頭郡浜比嘉出身の高校教員であり、彫刻家でもある。
(二) 原告金城の父盛松(大正九年六月七日生)は、一九才で兵隊に志願し、二二才の昭和一九年三月一八日ブーゲンビル島タロキナ方面で戦死し、靖国神社に合祀されている。
(三) 原告金城は、昭和四七、四八年ころから、彫刻を始め、文筆活動を行っているが、彫刻を始める契機になったのは、自らが日本本土と沖縄との文化の違い、言葉の問題等で日本人でありうるかと疑い、また沖縄人であることの劣等感に揺れ動いていた状況下に昭和四五年一二月二〇日の沖縄県民によるコザ蜂起をみて、自らの姿を情けなく思い、正々堂々と芸術のジャンルで沖縄の民衆とその心を表現しようと決心したところにあった。その後、原告金城は、一生懸命沖縄の歴史を勉強して行くことになったが、そのうちチビチリガマにおける沖縄住民の集団自決事件や日本兵による沖縄住民虐殺事件を知った。そして、原告金城は、ことに、チビチリガマにおける沖縄住民の集団自決という事件に、沖縄人の生死観には自殺を否定しそれを忌み嫌うものがあるにもかかわらず、戦争が沖縄住民を集団自決に巻き込んだ壮絶さ、天皇の美学の沖縄住民への植付けを見てショックを受けたことから、以後、二度とこのようなことが沖縄で起こってはならないとの思いを込めて、「戦争と人間」という彫刻を作り、全国を行脚してまわることになった。
(四) その過程において、原告金城は、沖縄、戦争、国家、靖国というものは何かを考え、「国家に忠誠を誓い天皇のために死ぬ。靖国で会える。」という天皇制イデオロギーの皇民化教育の果てが沖縄において顕著に見られると理解するようになり、その最も身近な顕現である原告金城の両親、すなわち父母ともに一八才で結婚し、子供(原告金城)をもうけ、一年もたたないうちに国家に命を捧げてしまった父、そしてその後の母の姿を想起し、現在なお沖縄が七五パーセントのアメリカ軍の基地を抱え、実弾演習が日夜繰り返されている現状をみると、正に沖縄は戦場の中にあり、その沖縄から靖国神社をみるとき、靖国神社は平和にとって極めて危険な存在であると考えるに至った。そして、原告金城は、今回そのような靖国神社に被告中曽根が本件公式参拝をしたことは平和にとって極めて危機的であり戦前への回帰であると考え、忌わしい集団自決にみまわれた歴史を二度と子孫に味わわせたくないとして本件訴訟を提起した。
以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
3 原告日根
<証拠>によれば、以下の事実が認められる。
(一) 原告日根は、昭和六年一二月一五日生まれで、一七才のときから団体職員として日本社会党を通じて平和運動を行っている。
(二) 原告日根の叔父吉野久太郎(大正七年一二月二三日生、以下「吉野」という。)は、昭和一八年一〇月一四日ニューギニアで戦病死し、靖国神社に合祀されている。
(三) 原告日根は、吉野は天皇制を頂点とする権力によって騙されて殺されたと考えているが、吉野が靖国神社に祀られていることについては、靖国神社が勝手に祀っているだけのことであるとして、取り立てていう程の感慨はもっていない。
(四) しかし、原告日根は、今回、被告中曽根が靖国神社を本件公式参拝したことについては、吉野の死を金のかからない安い兵隊を再生産するための道具に使っていると理解し、不愉快に感じて本件訴訟を提起した。
以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
4 原告宮入
<証拠>によれば、以下の事実が認められる。
(一) 原告宮入は、昭和五年八月一三日生まれで、京都保険衛生専門学校教員であり、京都労災センターを主催してもいる。
(二) 原告宮入の実兄神奈男(大正九年一〇月一七日生、以下「神奈男」という。)は、昭和一九年九月一六日ミャンマー(旧ビルマ)で戦病死し、靖国神社に合祀されている。
(三) 神奈男は、信州で農業の改良事業を進める傍ら、小作人の面倒見もよく、原告宮入のよき相談相手として頼りになる兄であった。その神奈男は、耕地面積の狭さから非常に苦しい生活を余儀なくされていた信州の農民の生活の改善のためと五族協和、王道楽土のスローガン(皇国教育)に賛同し勇んで、満蒙開拓団に志願したものであったが、原告宮入は、満蒙開拓団が実は結果的には満蒙に対する侵略の手先であったことを神奈男が知れば、神奈男はアジアの人達を圧迫し苦しめたことを心から悔やみ、二度と戦争をするべきでないと誓うであろうと考えている。そして、原告宮入は、神奈男が犯した右の罪を少しでも償い神奈男の霊に報いたいとの気持から、前記仕事の中で特に日本に強制連行された朝鮮の人達の生活の改善を図ることに尽力している。
(四) 原告宮入は、日本国民は今次大戦の犠牲者たちの心を正しく汲み取り平和のためにあらゆる努力を尽すのが憲法の精神であると信じているが、右信念によれば、被告中曽根がなした本件公式参拝は、戦死者(神奈男を含めて)を名誉ある死とか国のために命を捧げたとして賛美することにより戦争を美化し、死者の霊を冒涜するものであって、右憲法の精神に照らして絶対に許されないものであるため、大きな衝撃を受けた。
そこで、原告宮入は、慰謝料を請求するというよりも、むしろ、本件公式参拝が右憲法の精神に照らして絶対に許されないものであることを訴えたいという気持から、本件訴訟を提起した。
以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
5 原告山本
<証拠>によれば、以下の事実が認められる。
(一) 原告山本は、昭和三〇年一一月一九日生まれで、部落開放運動を闘っているものである。
(二) 原告山本の伯父恭美(大正一二年一〇月八日生、以下「恭美」という。)は、昭和二〇年六月一五日フィリピンのルソン島バギオで戦病死し、靖国神社に合祀されている。
(三) 原告山本は、被差別部落における住環境、教育、就業、仕事等の面における様々な差別の実態を見、その開放運動に尽力する中で、被差別部落の生成過程を分析し、その身分制度の最頂点にいるのが天皇であり、その最底辺に部落民がいるが、特権を有する者の存在が許されれば必ずその対極に人間以下の状態を強いられる者が出るとの考えから、天皇制こそが部落民差別の元凶であるとしてその廃止を熱望するものである。
(四) 原告山本は、本件公式参拝が天皇の名による侵略戦争のため死亡した伯父恭美の死を美化しこれを冒涜するものであると同時に、差別拡大につながる天皇制強化、軍国主義への回帰をもくろむものであると理解し、本件公式参拝は許せないという気持から、本件訴訟を提起した。
以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
6 原告和田
<証拠>によれば、以下の事実が認められる。
(一) 原告和田は、明治三六年九月二二日に生まれ、幼児洗礼をうけ、同志社中学、三高、京大(ドイツ文学専攻)に進み、同志社大学教授等をしていた者で、現在同志社大学名誉教授である。
原告和田の両親とも敬虔なキリスト教徒であったし、原告和田もキリスト教徒である。原告和田やその両親は、キリスト教徒として、モーゼの十戒を非常に大切にし、そのモーゼの十戒は戦争、軍人とは相容れないため、平和主義者を自任していた。
(二) 原告和田の弟和田虔二(明治四〇年一二月一日生、以下「虔二」という。)は、幼児洗礼をうけ、原告和田と同様両親も親戚も皆キリスト教徒という雰囲気の中に過ごしたが、昭和一七年に召集を受け、昭和一九年一〇月八日ミャンマー(当時のビルマ)のシャン高原で戦病死し、靖国神社に合祀されている。
(三) 虔二の戦死についてはその通知があっただけで、一方的に虔二は靖国神社に祀られてしまったが、原告和田は、キリスト教式の追悼式を執り行い独自に虔二の追悼をしており、虔二の靖国神社への合祀を黙認している。
(四) 原告和田は、終戦後、憲法は戦争の放棄を宣言したものの、武力を用いない抵抗権を明記していないために、その間隙を利用して国家主義者、軍国主義者が「自衛はかまわない。」と憲法を都合のよいように解釈してどんどん自衛隊を増強してきたことに不安と反発を感じていたが、今回被告中曽根が本件公式参拝をなし、これを公式参拝であると明言するに至ったことから、もはやおとなしくしていると日本は再び戦前の社会に逆戻りしてしまうとの危機感を持ち、志を同じくする他の原告らとともに、本件訴訟を提起した。
以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
三右二認定の事実関係に基づいて、原告ら主張の前記権利等侵害の有無について検討する。
1 まず、原告らは、本件公式参拝により信教の自由を侵害された旨主張する。
ところで、原告ら主張の信教の自由とは内心における宗教的信仰の自由をいうものと解されるが、右信教の自由に対する侵害があったといいうるためには、少なくとも信教を理由とする不利益な取扱いもしくは宗教上の強制が具体的に存することが必要不可欠であるというべきところ、右二認定の事実並びに弁論の全趣旨によれば、原告らが本件公式参拝により具体的に信教を理由とする不利益な取扱いもしくは宗教上の強制を受けたものではないことが明らかである。
よって、原告らの右主張は理由がない。
2 次に、原告らは、本件公式参拝により宗教的人格権もしくは宗教的プライバシー権を侵害された旨主張する。
しかし、原告ら主張の宗教的人格権ないし宗教的プライバシー権なるものは、いずれも実定法上の根拠を欠くのみならず、その権利ないし法的利益の内容が極めて個別的、主観的、抽象的なものであって、法律上の権利ないし法的利益として客観的に把握しうるような明確性を有しないから、にわかに権利保護の対象として承認することはできない。
よって、原告らの右主張は理由がない。
3 さらに、原告らは、本件公式参拝により平和的生存権を侵害された旨主張する。
しかし、原告ら主張の平和的生存権なるものは、実定法上の根拠を欠くのみならず、その権利ないし法的利益の内容が不明確であるから、とうてい権利保護の対象として承認することはできない。
よって、原告らの右主張は理由がない。
4 かえって、以上認定説示の事実並びに弁論の全趣旨によれば、原告らが本件訴訟を提起した目的は、原告らの憲法解釈、宗教観ないし価値観(以下「憲法解釈等」という。)に照らせば、本件公式参拝は靖国神社の国家護持を求めるなどわが国の戦前への回帰をもくろむ勢力に力を与えるものであって、現憲法の信教の自由の保障、政教分離原則、平和主義、基本的人権尊重主義等に反し許されないとする立場から、裁判所において本件公式参拝が憲法違反として許されないものである旨の判断を受けることにより、将来にわたり内閣総理大臣による靖国神社公式参拝が行われることを阻止するということにあり、原告らが本件訴訟という形で本件公式参拝によりその主張の各権利等を侵害され精神的苦痛を被ったとして被告らを相手方として慰謝料の支払いを求めたのは、原告らが裁判所において右判断を受けるために選択した具体的な訴訟の形式に過ぎないものであり、したがって、原告らが本件訴訟において本件公式参拝により被った旨主張する精神的苦痛なるものは、靖国神社に合祀されている原告らの親族と原告らとのかかわりにおける信教上の権利等を侵害されたことによる原告らに特有のものというよりも、むしろ、本件公式参拝が原告らの憲法解釈等に反して敢行されたことによる一種の不快感、焦燥感ないし憤りといったものであって、広く原告らと憲法解釈等を同じくする者にとり共通のものであることが認められる。
そして、右認定にかかる原告らの感情は法律上慰謝料をもって救済すべき損害には当らないと解すべきであり、結局、本件訴訟は原告らの前記目的達成のための手段としては適当な方法ではなかったといわざるをえない。
四してみれば、原告らの被告国に対する請求は、その余の点につき検討を加えるまでもなく、理由のないことが明らかである。
第二被告中曽根に対する請求について
一原告らは、公権力の行使にあたる国の公務員である被告中曽根の違法、有責な職務行為にあたる本件公式参拝によって著しい精神的苦痛を被った旨主張し、民法七〇九条の規定に基づき同被告に対し、それぞれ損害賠償として右精神的苦痛に対する慰謝料を請求するものである。
二しかし、公権力の行使にあたる国の公務員がその職務を行うについて、故意または過失により違法に他人に損害を与えた場合には、国がその被害に対して賠償の責めに任ずるのであって、公務員個人がその責めを負うものではないから、原告らの被告中曽根に対する請求は、その主張自体理由がない。
第三結論
よって、原告らの被告らに対する請求をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条一項を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官松尾政行 裁判官河村潤治 裁判官山本善彦)