大阪地方裁判所 昭和61年(ワ)11316号 判決 1991年4月30日
原告(乙事件被告)
松瀬新治郎
ほか二名
被告
吉井茂
乙事件原告
東京海上火災保険株式会社
主文
一 甲事件原告ら三名の請求をいずれも棄却する。
二 乙事件原告の乙事件被告(甲事件原告)ら三名に対する請求原因第一項記載の交通事故に基づく損害賠償債務は存在しないことを確認する。
三 訴訟費用は甲事件原告(乙事件被告)ら三名の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
(甲事件)
1 被告は、原告松瀬新治郎に対し、八六九万六四一三円及びこれに対する昭和六一年七月一〇日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 被告は、原告川井孝男に対し、六一七万九五八七円及びこれに対する昭和六一年七月一〇日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。
3 被告は、原告恒藤晴彦に対し、四六一万〇五六一円及びこれに対する昭和六一年七月一〇日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。
4 訴訟費用は被告の負担とする。
5 仮執行宣言
(乙事件)
1 原告の被告らに対する請求原因第一項記載の交通事故に基づく損害賠償債務は存在しないことを確認する。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
(甲事件)
主文と同旨
(乙事件)
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 甲事件の請求原因
1 事故の発生
次の交通事故が発生した(以下、「本件事故」という。)。
(一) 日時 昭和六一年七月一〇日 午前一時一〇分ころ
(二) 場所 大阪府茨木市郡四丁目一〇番二一号先路上(国道一七一号線、郡派出所前交差点、以下「本件事故現場」という。)
(三) 加害車両 普通乗用自動車(登録番号、大阪五三め一七五五号、以下「被告車」という。)
右運転者 甲事件被告吉井茂(以下、「被告」という。)
(四) 被害車両 普通乗用自動車(登録番号、大阪五六ろ六一―一一号、以下、「原告車」という。)
右運転者 甲事件原告・乙事件被告松瀬新治郎(以下、「原告松瀬」という。)
右同乗者 甲事件原告・乙事件被告川井孝男(以下、「原告川井」という。)及び同恒藤晴彦(以下、「原告恒藤」という。)
(五) 事故態様 被告車が原告車に追突した。
2 責任原因
(一) 運行供用者責任
被告は、本件事故当時、被告車を所有し、これを自己のために運行の用に供していたのであるから、自動車損害賠償保障法(以下、「自賠法」という。)三条に基づき、本件事故により原告らに生じた損害を賠償する責任がある。
(二) 不法行為責任
原告松瀬が、原告川井及び同恒藤を同乗して、原告車を運転し、本件事故現場の交差点において、南から北に向かつて信号待ち停止していたところへ被告車が追突したものであるから、被告の前方不注視(脇見)の過失により本件事故を惹起したものであり、従つて、被告は、民法七〇九条に基づき、本件事故により原告らに生じた損害を賠償する責任がある。
3 受傷内容、治療経過、後遺障害
(一) 受傷内容、治療経過
(1) 原告松瀬は、本件事故により、頚部捻挫、頭部打撲の各傷害を受け、中路病院において、昭和六一年七月一〇日から昭和六二年六月二二日まで入通院して(入院四二日、通院実日数二三日)治療を受けた。
(2) 原告川井は、本件事故により、頚部捻挫、頭部打撲の各傷害を受け、右病院において、昭和六一年七月一〇日から昭和六二年六月二二日まで入通院して(入院三五日、通院実日数二七日)治療を受けた。
(3) 原告恒藤は、本件事故により、頚部捻挫の傷害を受け、右病院において、昭和六一年七月一〇日から昭和六二年六月二二日まで入通院して、(入院一三日、通院実日数二〇日)治療を受けた。
(二) 後遺障害
原告らは、右の治療を受けたにもかかわらず、いずれも、昭和六二年六月二二日、以下のとおりの後遺障害を残して症状が固定したが、右後遺障害は、自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表第一四級に該当する。
(1) 原告松瀬は、耳鳴、頚と右肩の筋が張る、頸椎の運動障害(前屈三〇度、後屈二〇度、右屈二〇度、左屈二〇度、右回旋三〇度、左回旋四〇度)等の障害が残存した。
(2) 原告川井は、頭部・顔面及び臀部の右半分がピリピリする、右眼が痛み周囲がピリピリする、曇りの日には悪心あり、右頸部の筋が張つて痛い、三日に一度の程度で片頭痛あり、頸椎の運動障害(前屈五〇度、後屈三〇度、右屈二〇度、左屈二五度、右回旋四〇度、左回旋三〇度)等の障害が残存した。
(3) 原告恒藤は、一ケ月前より頸部の前屈に際して左上肢背側より小指にかけて痛みあり、肩がこる、頸椎の運動障害(前屈五〇度、後屈三〇度、右屈三〇度、左屈三〇度、右回旋五〇度、左回旋六〇度)等の障害が残存した。
4 損害
(一) 原告松瀬の損害
(1) 治療費 一七二万八一四〇円
(2) 入院雑費 五万四六〇〇円
一日一三〇〇円の割合で四二日分
(3) 休業損害 八三万八七〇九円
原告松瀬は、本件事故当時、月額五〇万円の収入を得ていたところ、前記受傷のため、昭和六一年七月一〇日から同年八月三一日までの五二日間休業を余儀なくされたので、その結果、次のとおりの休業損害を被つた。
(算式)
500,000÷31×52=838,709
(4) 逸失利益 四三九万二九〇〇円
前記のとおり、原告松瀬には第一四級に該当する後遺障害が残り、そのため症状固定時の四〇歳から六七歳までの二七年間にわたり労働能力を五パーセント喪失したので、この間ライプニツツ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して逸失利益の現価を算出すると、次のとおりとなる。
(算式)
500,000×12×0.05×14.6430=4,392,900
(5) 慰謝料 合計六七万二〇六四円
入通院分 三五万二〇六四円
後遺障害分 三二万〇〇〇〇円
(6) 物損(原告車の修理代金) 一八万〇〇〇〇円
(7) 弁護士費用 八三万〇〇〇〇円
(以上(1)ないし(7)の合計金額 八六九万六四一三円)
(二) 原告川井の損害
(1) 治療費 一二八万九〇六〇円
(2) 入院雑費 四万五五〇〇円
一日一三〇〇円の割合で三五日分
(3) 休業損害 五八万七〇九六円
原告川井は、本件事故当時、月額三五万円の収入を得ていたところ、前記受傷のため、昭和六一年七月一〇日から同年八月三一日までの五二日間休業を余儀なくされたので、その結果、次のとおりの休業損害を被つた。
(算式)
350,000÷31×52=587,096
(4) 逸失利益 三〇一万八七七一円
前記のとおり、原告川井には第一四級に該当する後遺障害が残り、そのため症状固定時の四一歳から六七歳までの二六年間にわたり労働能力を五パーセント喪失したので、この間ライプニツツ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して逸失利益の現価を算出すると、次のとおりとなる。
(算式)
350,000×12×0.05×14.3751=3,018,771
(5) 慰謝料 合計六三万九一六〇円
入通院分 三一万九一六〇円
後遺障害分 三二万〇〇〇〇円
(6) 弁護士費用 六〇万〇〇〇〇円
(以上(1)ないし(6)の合計金額 六一七万九五八七円)
(三) 原告恒藤の損害
(1) 治療費 五七万三〇四〇円
(2) 入院雑費 一万六九〇〇円
一日一三〇〇円の割合で一三日分
(3) 休業損害 四六万九六七七円
原告恒藤は、本件事故当時、月額二八万の収入を得ていたところ、前記受傷のため、昭和六一年七月一〇日から同年八月三一日までの五二日間休業を余儀なくされたので、その結果、次のとおりの休業損害を被つた。
(算式)
280,000÷31×52=469,677
(4) 逸失利益 二六一万九五九〇円
前記のとおり、原告恒藤には第一四級に該当する後遺障害が残り、そのため症状固定時の三六歳から六七歳までの三一年間にわたり労働能力を五パーセント喪失したので、この間ライプニツツ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して逸失利益の現価を算出すると、次のとおりとなる。
(算式)
280,000×12×0.05×15.5928=2,619,590
(5) 慰謝料 四七万一三五四円
入通院分 一五万一三五四円
後遺障害分 三二万〇〇〇〇円
(6) 弁護士費用 四六万〇〇〇〇円
(以上(1)ないし(6)の合計金額 四六一万〇五六一円)
5 結論
よつて、原告らは被告に対し、本件交通事故の損害賠償として、原告松瀬に対し八六九万六四一三円、原告川井に対し六一七万九五八七円、原告恒藤に対し四六一万〇五六一円及び右各金員に対するいずれも不法行為の日である昭和六一年七月一〇日から支払い済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
二 甲事件の請求原因に対する認否
1 請求原因1及び同2の各事実は認める。
2 同3及び同4の各事実は不知。
三 乙事件の請求原因
1 保険契約の締結及び存在
乙事件原告・甲事件補助参加人(以下、「東京海上」という。)は、乙事件訴外・甲事件被告吉井茂(以下、「被告」という。)との間で、昭和六一年三月一四日、次のとおりの自家用自動車保険契約を締結した。
(一) 被保険者 被告
(二) 保険期間 昭和六一年三月一四日から一年間
(三) 保険金額 対人損害賠償額は無制限である。
(四) 特約 直接請求権付き
対人事故によつて被保険者の負担する法律上の損害賠償責任が発生したときは、損害賠償請求権者は、東京海上が被保険者に対し填補責任を負う限度において、東京海上に対し、直接、損害賠償額の支払いを請求することができる。
2 東京海上に対する直接請求権の行使
乙事件被告ら・甲事件原告ら三名(以下、「原告ら」という。)は、原告らと被告との間で前記甲事件の請求原因一の1記載の交通事故が発生し、その結果、原告らは負傷して損害を受けたとし、加害者である被告に対し損害賠償請求権を有すると主張して、前項1の(四)に基づき、直接、東京海上に対し右損害賠償を請求してきた。
3 損害賠償請求権の不存在
しかしながら、前記交通事故は真正な交通事故とは認められず、原告らと知人の間柄にある被告と意思相通じて作出された事故と認められるので、不法行為責任や運行供用者責任の成立要件はなく、原告らと被告とは共同意思主体となつて被告車を共同して運行の用に供していたものであり、他人間の交通事故とはいえないから東京海上は原告らに対し損害賠償の支払い債務を負わない。仮に、不真正な事故でなくても原告らは本件事故によつて受傷することはないから、東京海上は原告らに対し損害賠償債務を負わない。
四 乙事件の請求原因に対する認否
1 乙事件の請求原因1及び同2の各事実は認める。
2 同3の事実は否認する。
第三証拠
本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから引用する。
理由
一 本件事故の発生及び被告らの責任について
請求原因1(事故の発生)につき、原告らと被告との間で争いはないが、東京海上は、本件事故は、原告らと被告が東京海上から損害賠償もしくは保険金名下に金員を引き出す目的で故意に作出された不真正な事故である旨主張し争つており、仮に、不真正な事故でないとしても、原告らは、本件事故によつて受傷することはないとして事故との因果関係につき争つているので、以下、これらにつき判断する。
成立につき争いのない甲第一号証、乙第五ないし第三三号証、被告車を撮影した写真であることに争いのない検甲第一ないし第四号証、鑑定の結果、証人中村裕史の証言、原告ら及び被告の各本人尋問の結果(いずれも後記の採用しない部分を除く。)、並びに弁論の全趣旨を総合すれば次のとおりの事実が認められ、原告ら及び被告の各本人尋問の結果中の右認定に反する部分は前掲他の各証拠に照らして採用し得ず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
1 本件事故の状況
(一) 本件事故現場は、歩車道の区別があり、中央をセンターラインで区分された、市街地にある、アスフアルト舗装された、片側二車線の、平坦な東西道路であり、最高速度は時速四〇キロメートルに制限され、見通しについては原告車及び被告車ともに前方は良好であり、交通量は頻繁であつた。
原告車及び被告車ともにブレーキに故障はなかつた。
原告車は、車長約四・六九メートル、車幅約一・六九メートル、車高約一・四三メートルであり、被告車は、車長約四・三五メートル、車幅約一・六五メートル、車高約一・三八メートルであつた。
(二) 被告は、被告車を運転し、本件事故現場付近の外側車線を東から西へ向かつて、時速約二四ないし三〇キロメートルで進行中、右前方の建物の照明に気を奪われて脇見したまま前記速度で約三八・〇メートル進行したため、折りから、被告車前方に停止中の原告車に約八・一メートルの距離に接近した地点で発見するに至り、衝突の危険を感じて直ちにブレーキをかけたが、間に合わず、被告車左前部を原告車後部中央部に衝突させ、その衝突の衝撃により、原告車は約〇・八メートル前方へ押し出された地点に停止し、被告車は衝突地点から約〇・五メートル進行した地点に停止した。
(三) 原告松瀬は、原告川井を助手席に、原告恒藤を後部座席に同乗させて原告車を運転し(原告らはいずれもシートベルト不着用)、高槻方面から池田方面に向かう途中、本件事故現場道路の外側車線を東から西へ向かつて進行して、本件事故現場交差点にさしかかつたところ、対面信号が赤色であつたので信号待ち停車していたのを、前記のとおり後方から被告車に衝突された。
(四) 本件事故により、原告車の後部バンパー及び後部トランクが圧損し、被告車の前部バンパー、前部ボンネツト中央部、及び前部左右フエンダーが凹損した。
本件事故当時の天候は曇りであつたが、事故後約五〇分経過してから始まつた実況見分時には雨が降つており、原告車及び被告車双方のスリツプ痕は路面に残つていなかつた(元々スリツプ痕がつかなかつたのか雨で検出できなかつたのかは不明。)。
(五) 被告は、本件事故発生の約一ケ月前の同年六月四日に、被告車につき東京海上と自動車保険の保険始期を昭和六一年三月一四日とする継続契約をし、保険金額を対人五〇〇〇万円から無制限に、対物二〇〇万から三〇〇万に増額し、従前かけていなかつた自車に四五万円の車両保険を付保した。
他方、原告らも、昭和六一年六月二日に、東京海上との間に、交通事故による障害の場合、入院給付金一日につき一万五〇〇〇円、通院一日につき一万円、死亡及び後遺障害につき五〇〇〇万円の給付金のでる積立フアミリー交通傷害保険に加入し、事故発生まで保険掛金が一回分しか支払われていなかつた。
このように、事故直前に、当事者双方が保険金を増額もしくは保険に新規加入していること、被告と原告川井とが以前より知り合いであつたことなどから、事故後交通事故による傷害から保険金を騙取することを目的とした偽装事故ではないかとの疑いが持たれて大阪府茨木警察署において捜査が開始されたが、捜査結果では偽装事故ではないとの報告がなされ(乙第一一号証)、保険金詐欺事件には立件されなかつた。
(六) 鑑定人中村裕史の鑑定結果
(1) 本件交通事故の発生状況に関する原告ら及び被告の説明と原告車及び被告車の損傷とは力学的に整合するかという鑑定事項について、整合するとの結論をだしている。
(2) 被告車の衝突速度についての鑑定結果は次のとおりである。
被告車の重量を一〇四五kg、原告車のそれを一六二五kgと仮定し、路面摩擦係数を〇・七として衝突前の被告車の速度を算出すると時速二四ないし三〇キロメートルとなり、被告車の損傷が比較的軽微なことも併せると、本件衝突時の被告車の速度は被告の供述する時速四〇キロメートルよりも低く、高々時速三〇キロメートル程度になるというものであつた。
被告車が時速三〇キロメートルで衝突したとすると、衝突直後にそれまで停止中であつた原告車(時速〇)は時速一一・九キロメートルの速度を得ることになる。通常、自動車同志の衝突が持続する時間は〇・一ないし〇・二秒であることが知られているから、この間に原告車の乗員が受ける衝撃加速度は一・七ないし三・四グラムとなる。この値は、停止しブレーキをかけていたことを前提での数値であつて、ブレーキをかけていないときは右数値は高すぎ、もつと低い数値となる。
また、右数値と鞭打ち発症との関連性については、個人差はあるものの一般的には、衝撃加速度が三グラムよりずつと大きければ、鞭打ちが生じたと考えておかしくはなく、三グラムよりはるかに小さければ生じないとみてよく、丁度、境界にちかい数値である。
以上の認定事実に基づき、まず、本件事故が原告らと被告とが故意に作出した不真正な事故であるか否かにつき検討するのに、事故直前に原告ら及び被告双方とも保険契約に新規加入もしくは増額手続きをとつていること、原告川井と被告とがかねてより面識があつたことなどから真正な事故であつたかにつき疑問はあるものの、刑事捜査によつても偽装事故による保険金詐欺事件に立件できなかつたこと、鑑定の結果によれば、原告車と被告車の損傷とは力学的に整合するとの結論がだされたことからなどから総合すると不真正な事故であつたとまでは断じがたい。
次に、被告車の速度については、被告の供述した時速四〇キロメートルではなく時速二四ないし三〇キロメートル程度の比較的低速であつたこと、衝突の衝撃により原告車が前へ押し出されたのは僅か〇・八メートルにすぎないこと、原告車の乗員がうける衝撃加速度は一・七ないし三・四グラムであり、右数値は鞭打ちを発症させるともさせないとも断じがたい境界値であること、原告松瀬はその供述によつても停止中ブレーキをかけていたとは認められない本件においては右数値はさらに低下することなどを併せ考慮すると、原告らが本件事故により受けた衝撃はさほど強いものではなかつたと考えられる。
2 治療経過
いずれも成立に争いのない乙第二ないし第四号証、乙第三五号証の一、二、証人中路忠司の証言、原告ら三名の本人尋問の結果(後記の採用しない部分を除く。)、及び弁論の全趣旨を総合すれば、次のとおりの事実が認められ、原告ら三名の本人尋問の結果中の右認定に反する部分は、前掲他の各証拠に照らして採用し得ず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
(一) 原告松瀬の治療経過
(1) 原告松瀬は、本件事故当日の昭和六一年七月一〇日、救急車で中路病院に搬送され、同日同病院において診療を受けたところ、頚椎捻挫、頭部打撲の診断がなされ、外来診療後直ちに入院の指示がなされて、同日より同年八月二〇日迄の四二日間入院し、同月二一日より昭和六二年六月二二日迄通院(実通院日数二三日)して治療を受けたものの、完治せず、昭和六二年六月二二日、茨木医誠会病院(中路病院より経営権の委譲を受けた。)において、同日でもつて原告松瀬の症状は固定し、自覚症状として、耳鳴(+)、頚と右肩の筋が張る、他覚症状として、右手背部に軽度の知覚鈍麻を認め、頚椎部に運動障害を残す等の後遺障害が残存した旨の診断がなされた。
(2) ところで、原告松瀬は、初診時、自動車を運転中に追突されたと説明し、頸部痛、肩痛、背部痛、頭痛、吐気、嘔吐、複視等を訴えるとともに、両側大後頭神経に圧痛があり、頚部可動域に制限が認められたものの、スパーリングテスト、イートンテスト、ジヤクソンテストは全て陰性であつて神経学上の異常所見は認められず、腱反射等反射の諸検査は全て正常であり、頚椎レントゲン検査においても異常所見は認められなかつた。
原告松瀬は、頭痛がひどいと訴え、前額部に腫脹と内出血が認められたものの、意識清明、意識消失なく、言語障害なく、上肢もしくは四肢のしびれ、知覚鈍麻、運動障害はいずれも認められず、頭部レントゲン検査及び頭部CT検査でも頭部に異常所見は認められず、胸部及び腹部の各レントゲン検査の結果も正常であつた。
複視の訴えについては、瞳孔は整円、左右差はなく、対光反射及び眼球運動はいずれも異常はなく、診療録の「複視」の記載横にはクエツシヨン・マークが付記してあつて、当時の診察医は「複視」と診断することを疑問視していることが認められる(乙第二号証二枚目、昭和六一年七月一〇日欄)。さらに、原告松瀬は、初診時以降、複視を訴えてはいないし、眼科の専門医に受診する旨の医師の指示もなかつた。
吐気、嘔吐の訴えについては、外来でプリンペランという吐気どめの注射をしており、入院時には吐気、嘔吐ともにマイナスとなつており、その後、嘔吐があつたとの記載は、診療録にも看護記録にも認められない。
原告松瀬は、入院当日の一九時には、頭痛、頚部痛、両肩部痛、背部痛の訴えはあるものの、それらはいずれも自制内であり、また、吐気の訴えはあるものの嘔吐はなく、眩暈や四肢のしびれはいずれもなく、平熱であり、顔色は良好であり、夕食を九割摂取した(乙第二号証中看護記録)。
(3) 入院翌日(昭和六一年七月一一日)以降の看護記録及び診療録(乙第二号証)の記載によれば、原告松瀬は、頭痛、頭重感、頚部痛、吐気、手指のしびれ感等の訴えはするものの、客観的諸検査では異常がなく、入院中の治療内容は、投薬、注射、点滴、七月二四日以降リハビリを行つているが、原告松瀬の訴える愁訴の内容にさほどの変化もみられないまま退院に至つており、入院中外出及び外泊も多かつた。
腱反射の検査は、七月一二日、再度行われたが亢進は認められず、ホフマン徴候はマイナスであり、したがつて、神経学上の反射検査においても異常は認められなかつた。又、右各検査は、その後も、七月一五日、七月二二日、七月二八日、七月二九日、八月九日、八月一六日等度々行われているが、いずれも異常所見は認められなかつた。
原告松瀬は、事故発生二日後の七月一二日になつて始めて「右耳でポコポコ音がする。」と訴え、同月一四日には「耳の中で音がする。」と再度訴え、同月二一日、同月二二日にも依然耳鳴を訴えたので、七月二六日、中路病院の紹介で大阪府済生会茨木病院耳科を受診したところ、右病院の診断によれば、原告松瀬の訴えは耳管狭窄症状に似ているが、鼓膜検査及びオージオグラム検査によつても両耳とも正常であり、耳科的には他覚的異常所見は認められなかつたが、一ケ月後症状に変化がない場合はもう一度来院させられたい旨の内容であつたけれども、中路病院の医師は、原告松瀬に対し前記病院耳科を再度受診させる指示をださなかつた。
(二) 原告川井孝男の治療経過
(1) 原告川井は、原告松瀬と同様、事故当日の昭和六一年七月一〇日、救急車で中路病院に搬送され、診療を受けたところ、頚椎捻挫、頭部打撲の診断がなされ、外来診療後直ちに入院の指示がなされて、同日より同年八月一三日迄三五日間入院し、同月一四日から昭和六二年六月二二日迄通院(実通院日数二七日)して治療を受けたものの、完治せず、昭和六二年六月二二日、茨木医誠会病院において、同日でもつて原告川井の症状は固定し、自覚症状としては、頭部・顔面及び臀部の右半分がピリピリし、右眼が痛く(周囲がピリピリする。)、曇りの日には悪心があり、右頚部の筋が張つて痛く、三日に一度の程度で片頭痛がある等の症状を残し、他覚症状としては、上腕神経叢部の右に圧痛があり、頚椎部に運動障害を残す等の後遺障害が残存した旨の診断がなされた。
(2) ところで、原告川井は、初診時、頭痛、頚部痛、肩痛、背部痛、上肢のしびれ感等を訴えるとともに、左大後頭神経に圧痛があつたものの、意識清明、意識消失なく、言語障害なく、瞳孔は整円で、左右差なく、対光反射及び眼球運動はいずれも異常はなく、頭部、頚椎、胸部、腹部の各レントゲン検査においても異常はなく、頭部CT検査の結果も正常であつた。
来院時における吐気、嘔吐の訴えについては、外来でプリンペランという吐き気止めの注射をしており、入院時の看護記録では吐気は訴えてはいるものの嘔吐はマイナスと記載されており、その後、嘔吐があつたとの記載は診療録にも看護記録にも認められない。
原告川井は、入院当日の一九時には、吐気、頭がボーとする、頚部痛、軽度の眩暈、耳鳴、両手指のしびれ感の訴えをしているものの、嘔吐はなく、知覚障害はなく、平熱であり、顔色は普通であつた(乙第三号証中の看護記録)。
(3) 原告川井は、入院翌日(七月一日)に、頚部痛、頭重感、手指のしびれを訴えているが、吐気は安静時になく、耳鳴も少し軽減していると申告しているし、平熱であり、面会人が多くベツド上の安静が少ないため安静をする様看護婦から注意されている(乙第三号証中、看護記録)。
七月一二日には、頚椎可動域に制限があり、左大後頭神経、左脊椎伸筋、左僧帽筋に圧痛が認められたものの、ジヤクソンテスト、スパーリングテストはいずれも陰性であり、腱反射は亢進なく、七月一五日、七月二九日におこなわれた腱反射においても亢進は認められず、ホフマン検査は陰性であつた。
原告川井の入院中の治療内容は、時々投薬や注射がある他、ほぼ毎日点滴をし、七月二四日からリハビリを開始している等、その内容は原告松瀬に酷似し、退院迄、頚部痛、頭痛、頭重感、両手指のしびれ感、吐気、等を訴えてはいるが、その内容にさほどの変化も改善もみられず、客観的検査でも異常所見は認められなかつた。
(三) 原告恒藤晴彦の治療経過
(1) 原告恒藤は、事故当日の昭和六一年七月一〇日、救急車で中路病院に搬送され、同病院において診療を受けたところ、頚椎捻挫の診断がなされ、外来診療後直ちに入院の指示がなされて、同日より同月二二日迄一三日間入院し、同月二三日から昭和六二年六月二二日迄通院(実通院日数二〇日)して治療を受けたものの、完治せず、茨木医誠会病院において、同日でもつて原告恒藤の症状は固定し、自覚症状としては、一ケ月前より頚部の前屈に際して左上肢背側より小指にかけての痛みがあり、肩がこる等の症状を残し、他覚症状としては、上腕神経叢部の左に圧痛があり、頚椎部に運動障害を残す等の後遺障害が残存した旨の診断がなされた。
(2) 原告恒藤は、初診時、左大腿部に圧痛が認められたものの、腫脹なく、可動域に異常はなく、又、頭重感、右肩こりを訴えてはいたものの、意識清明、言語障害なく、瞳孔は整円で、左右差なく、対光反射及び眼球運動に異常はなく、頚椎レントゲン検査でも異常はなかつたが、様子観察のため中路忠司医師の指示により入院となつた。
原告恒藤は、入院時に、顔面及び頭部にズキズキした痛みがあると訴えていたが、その痛みも当日の午前七時には無くなつており、頚部痛、吐気、嘔吐、左膝痛、頭痛、しびれ感はいずれもなく、結局、右肩こりや頭重感の他は特別な訴えはなかつた(乙第四号証中、看護記録)。
(3) 初診時以降の診療録の記載は、原告松瀬及び同川井のそれに比較して極めて簡単で、腱反射やホフマン徴候テストもおこなわれておらず、入院中の治療は注射、投薬(入眠困難なための催眠剤など)、点滴等であり、入院中はリハビリも行つてはいない。
また、原告恒藤は、入院中、四肢のしびれ、吐気、嘔吐、については概して訴えておらず、頭痛、頚部痛、肩痛、イライラ感については訴えてはいるものの、いずれも自制内、軽度、軽減の程度が多く、時にマイナスになつていることもあつた。
二 以上の認定事実により、原告らの訴える症状と本件事故との因果関係の有無について検討するのに、まず、前項1の本件事故の状況において認定したとおり、原告らの受けた衝撃の程度はさほど強いものではなく、衝撃加速度の数値も境界値であり明らかに鞭打ち症状が出るとは断じられないこと、さらに、中路病院において、原告松瀬及び同川井につき頚椎捻挫、頭部打撲、原告恒藤につき頚椎捻挫の各診断名が付けられたが、これらは専ら原告らの訴えに基づくもので、いずれも他覚所見としては後記のとおり極めて乏しいものといわざるを得ない。
即ち、前記認定のとおり、原告松瀬につき、同病院において認められるとされた他覚的所見も、前額部における腫脹と内出血(原告らはシートベルト不着用と供述しているが、ハンドル等の支えのない助手席の原告川井にこの所見が認められていないのに、運転席の原告松瀬にのみこの所見があるのは不自然であり、はたして事故の衝撃によつたものなのか大いに疑問である。)、嘔吐、可動域制限(どの程度であつたかは診療録に数値の記載がなく不明)、項筋の圧痛程度のもので、嘔吐は入院当日に既に収まつて以後全く認められておらず、反射の諸検査、瞳孔検査、神経学上の諸検査、頭部及び頚部レントゲン検査、頭部CT検査、耳鼻科的検査等のいずれにおいても異常所見は認められなかつたのに対し、入院中外出や外泊が多いなどその受診態度に不自然な点が認められた。
原告川井につき、同病院において認められるとされた他覚所見も、嘔吐、頚椎の可動域制限、項筋の圧痛と緊張程度のもので、原告松瀬と同様、嘔吐は入院当日に収まり以後全く認められておらず、諸検査(但し、耳鼻科的検査はしていない。)においていずれも異常所見は認められなかつたのに対し、入院二日目に看護婦から安静保持の注意を受けているなど、その受診態度に不自然な点が認められた。
原告恒藤については、嘔吐もなく、入院に際しもしくは入院中、他覚所見というべき程のものは何もなく、瞳孔検査、頚椎レントゲン検査においても異常所見は認められなかつた。
以上の事実を併せ考慮すると、結局、その主張事実に副う前掲各証拠をもつてしても、本件事故により原告らがその主張するような傷害を負わされたとはいまだ認めるに足りないというべきである。
三 結論
よつて、甲事件原告らの本訴各請求は、その余の点について判断するまでもなくいずれも理由がないからこれを棄却することとし、乙事件原告東京海上の請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九三条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 阿部静枝)