大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和61年(ワ)796号 判決 1989年2月28日

原告

橋本勝彦

右訴訟代理人弁護士

鈴木康隆

右同

坂田宗彦

右鈴木康隆訴訟復代理人弁護士

岩田研二郎

被告

株式会社ダイエー

右代表者代表取締役

中内功

右訴訟代理人弁護士

門間進

右同

角源三

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、一八二九万〇七九六円及びこれに対する昭和五一年八月一八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

被告は全国主要都市に販売店を置いて小売業を営む株式会社であり、原告は、昭和四六年一月一六日、被告に雇用され、以来昭和四七年二月までは被告垂水店において、その後は被告灘店において、食肉の調理・販売の業務に従事してきた者である。

2  労災事故の発生

原告は、昭和五一年八月一七日午前一一時三〇分ころ、被告灘店において、バッカ(食肉を入れた容器で、一個あたりの重量が一三ないし二〇キログラムあるもの)を台車に載せて食肉冷蔵庫内に搬入しようとして、食肉冷蔵庫内で七段に積み重ねたバッカのうち最下段のものに手鈎をかけてバッカを台車から引き降ろそうとした際、右肩から背中にかけて衝撃を受け、外傷性右肩関節炎、右僧帽筋付着部炎の傷害を負った(以下、この事故を「本件事故」という。)

3  被告の責任

(一) 原告は、業務中に重い食肉を持ち上げようとしたことなどのために、昭和四八年三月一八日ころ腰部捻挫に罹感して一年四か月程休業し、昭和五〇年一一月にも外傷性腰痛症に罹感して同月二六日から二六日間休業したことがあったが、本件事故の約二か月前の昭和五一年六月一八日、業務中に重量物(約五〇キログラムの鶏肉の入った篭)を持ち上げようとして又もや腰痛症に罹感して同月二〇日から同年七月一九日まで休業し、本件事故当時、右腰痛症はまだ十分には回復していなかった。そして、被告は、原告に以上のような労災事故に起因する腰痛症があり、本件事故当時、右腰痛症が十分に回復しないまま就労していることを知っていた。

(二) 被告は、前記のとおり、原告が重量物(食肉)を持ち上げようとして再三腰痛症に罹感しており、本件事故当時はこれが十分に回復しないまま就労していることを知っていたのであるから、原告が重量物を持ち上げたり、運搬したりする作業に従事すると、右腰痛症が再発若しくは増悪し、又は腰をかばって背中や肩などに不自然な力が加わることになるためこれらの部分に傷害を負うというような労災事故の発生を予見することができたのであり、従って、被告は、使用者として、原告が重量物の運搬等の作業をしなくてもよいように原告の就労している食肉部門の人員を増員するか、又は原告を右のような作業のない部門に配置転換するなどして労災事故の発生を未然に防止すべき労働契約上の安全配慮義務を負っていたものというべきである。

ところが、被告は、原告に前記のような腰痛症があることを知りながら、右のような増員又は配置転換などの措置をとらずに放置していたものであり、そのため原告は前記のように食肉の搬入作業に従事することを余儀なくされ、その結果本件事故が発生するに至ったものであるから、被告には労働契約に基づく安全配慮義務を怠った責任がある。

4  損害

(一) 治療経過及び後遺障害

(1) 原告は、前記傷害の治療のため次のような入・通院治療を余儀なくされた。

(ア) 昭和五一年八月二四日から同年九月二日まで村田整形外科医院で加療

(イ) 昭和五一年九月一日から昭和五二年二月一〇日まで長整形外科医院で加療

(ウ) 昭和五二年二月一一日から同月二八日まで東神戸病院西診療所で加療

(エ) 昭和五二年三月一日から同年四月二〇日まで鳥取医療生協鹿野温泉病院で加療

(オ) 昭和五二年四月二一日から昭和五三年一〇月一〇日まで東神戸病院西診療所で加療

(カ) 昭和五三年一〇月一一日から同年一二月一〇日まで萩原整形外科病院で加療

(キ) 昭和五三年一二月一一日から昭和五五年九月一〇日まで東神戸病院西診療所で加療

(ク) 昭和五五年九月六日から同年一一月一八日まで萩原整形外科病院で加療

(2) 前記のような加療にもかかわらず、原告の傷害は完治するに至らず、昭和五五年一一月一八日、上肢しびれ感、肩凝り、膝蓋腱反射の亢進、右顔面から上下肢にかけての知覚低下の後遺障害を残したままその症状が固定するに至った。

そして、神戸東労働基準監督署長は、昭和五六年四月一七日、右後遺障害が労働者災害補償保険法(以下、「労災保険法」という。)施行規則別表後遺障害等級表の第一二級に該当すると認定した。

(二) 損害額

(1) 休業損害

原告は、昭和五一年八月二四日以降、同年一二月一八日から四日間被告板宿店にリハビリ勤務のため出社したのを除いて、本件事故による前記治療のために休業を余儀なくされていたところ、昭和五五年一一月一六日からは私傷病による休職扱いとされ、昭和五六年一一月一五日休職期間満了により被告を退職したものとされた。

ところで、原告は、昭和五五年九月一〇日までは労災保険法に基づく休業補償給付を受けていたが、右給付は右同日打ち切られ、その後の退職までの休職期間は賃金等の支払いを一切受けることなく休業を余儀なくされた。

従って、原告は昭和五五年九月一一日から昭和五六年一一月一五日までの間に昭和五五年九月一〇日現在の休業補償給付日額七一八八円を基礎に一か月を三〇日(一か月に満たない端数日は切り捨て)として計算した額に昭和五五年一二月と昭和五六年七月に支給されるべき賞与各四四万四八二〇円を加えた額である三九〇万八六〇〇円の休業損害を被ったものというべきである。

(算式)7,188×30×14+444,820×2=3,908,600

(2) 後遺障害による逸失利益

原告は、昭和一六年四月二七日生まれで前記症状固定時には満四〇歳であったから、満六七歳まで二七年間就労可能であり、その間昇給やベースアップを考慮すると毎年少なくとも昭和五九年度賃金センサス産業計・企業規模計・学歴計・満四〇歳ないし四四歳の男子労働者の平均賃金である四三二万七九〇〇円の収入を得ることができるはずであったところ、原告は、前記後遺障害により、少なくともその労働能力の一四パーセントを喪失したものというべきであるから、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して、前記後遺障害による逸失利益の症状固定時の現価を算定すると、一〇一八万一六四四円となる。

(算式)4,327,900×0.14×16.804=10,181,644

(3) 慰藉料

原告は、本件事故による受傷のために長期にわたる療養と休業を余儀なくされ、昭和五六年一一月一五日には休職期間満了により被告を退職したものとされ、現在は生活保護や妻のパートタイムによる収入で辛うじて生活を維持しているという境遇に陥っているものであり、本件事故によって原告の受けた精神的苦痛は甚大であるというべく、これを慰藉するためには五〇〇万円の慰藉料が相当というべきである。

(4) 弁護士費用

原告は本訴の提起及び追行を弁護士である原告訴訟代理人に委任し、着手金及び報酬として一〇〇万円を支払うことを約した。

5  損害の填補

原告は、前記後遺障害につき、労災保険法に基づく障害補償一時金として一七九万九四四八円の支払いを受けた。

よって原告は、被告に対し、債務不履行による損害の賠償として、一八二九万〇七九六円及びこれに対する本件事故発生の日の翌日である昭和五一年八月一八日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  請求原因2の事実は知らない。

3  請求原因3の(一)の事実のうち、原告がその主張の期間腰痛症で休業したこと、昭和四八年及び昭和五〇年の腰痛症がいずれも業務中に重い食肉等を持ち上げようとした際の労災事故に起因するものであること、及び本件事故当時原告の腰痛症が十分に回復しておらず、被告もそれを知っていたことは認めるが、昭和五一年六月の腰痛症の発生原因が労災事故によるものであることは否認する。

同3の(二)の事実のうち、被告が食肉部門の人員を増員したり、原告の配置転換をしなかったことは認めるが、原告の腰痛症に対処せず放置したとの点は否認し、その余は争う。

4  請求原因4の(一)の事実のうち、(1)の(ウ)、(オ)、(キ)の事実は知らないが、(1)のその余の事実及び(2)の事実は認める。

同4の(二)の(1)の事実のうち、原告が昭和五一年八月二四日以降、その主張のリハビリ勤務を除き、被告に勤務していないこと、被告が原告の主張のとおり休職及び退職の扱いをしたこと、及び原告主張の労災保険法に基づく休業補償給付の支給があったことは認めるが、その余の事実は否認する。なお、昭和五五年九月一〇日以降退職までの期間の休業は私傷病である昭和五一年六月の腰痛症のためであり、また、昭和五五年九月一一日から同年一一月一〇日までは、有給休暇として扱い給与を支払っているので、休業損害は発生していない。

同4の(二)の(2)ないし(4)は争う。

5  請求原因5の事実は認める。

三  抗弁

1  安全配慮義務の履行

被告は、原告の腰痛症に配慮して、原告が昭和五〇年に腰痛症で休業したのち、他の職種への配置転換について原告と協議したが、原告は、それまで精肉一筋で働いてきたことと、配置転換されるとそれまで原告に支給されていた月額一万円の職種手当がなくなることなどを理由に、これを拒否したものである。そのため被告は、原告が勤務している被告灘店精肉売場の売場主任を通じて原告に自分で重い物は持たないようにとの注意をしたうえ、原告がその裁量でできると判断した作業のみを行えばよいこととして、原告が重い物を持たないですむような十分な配慮をしていた。

また、原告が勤務していた被告灘店の精肉売場の本件事故当時の従業員の配置状況は、被告の兵庫地区各店の一人当たりの売上高及び坪当たりの人員等の平均との比較からみても原告に過重労働を強いるものではなく、現に事故前一か月間の原告の時間外労働時間は昭和五一年八月三日の一時間三〇分のみであって、本件事故発生前に原告に労働過重を強いたようなことはない。

従って、本件事故の発生について、被告に安全配慮義務の違反はなく、本件事故は、被告が前記のような配慮をしていたのに、共同作業をしていたアルバイト学生の接客業務が終わるまでの僅かな時間さえ待たないで、原告が一人で作業をしたために発生したものであり、原告自らの過失によって発生したものである。

2  損害の填補

仮に、被告に本件事故による原告の損害の賠償義務があるとすれば、被告は、原告に対し、労使間協定に基づく障害補償一時金の上積み補償として、昭和五六年七月一五日に七五万円を支払っているので、右債務に充当されるべきである。

四  抗弁に対る認否

抗弁1の事実は否認し、同2の事実のうち、被告主張の上積み補償が支払われた事実は認める。

第三証拠(略)

理由

一  請求原因1の事実は当事者間に争いがなく、(証拠略)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

1  原告は、昭和五一年八月一七日、平常どおり被告灘店に出勤して食肉の調理販売に従事していたが、同日午前一一時三〇分ころ、同店食肉売場のアルバイト学生が入荷した豚肉を受渡場から食肉冷蔵庫内に搬入するため、右豚肉の入ったバッカ(横四〇センチメートル、縦七〇センチメートル、深さ二五センチメートル程度の金属製の容器)を七、八段積み重ねたもの(総重量一二〇ないし一三〇キログラム)を台車に載せて運搬しているのを手伝い、受渡場から食肉冷蔵庫の入り口までは、アルバイト学生が右台車を引き、原告が押して行った。

2  右台車が食肉冷蔵庫入口に到着したのちは、通常の搬入手順ではバッカを一個ずつ降ろして冷蔵庫内に搬入するのであるが、原告は、台車を冷蔵庫に入れたうえ、重ねたバッカを冷蔵庫内で一挙に引き降ろすこととし、台車の後方からアルバイト学生に押させ、原告が前方から、引いて台車を冷蔵庫内に引き入れようとしていたところ、原告と台車の一部が冷蔵庫内に入った時点でアルバイト学生が顧客に呼ばれて売場の方に行ってしまった。

3  原告は、冷蔵庫内に取り残されて、寒くなったため冷蔵庫の外に出ようとしたが、台車とバッカが冷蔵庫の入り口をふさぐ恰好になっていたので、一人で積み重ねたバッカを引き降ろそうとして最下段のバッカに手鈎をかけて引っ張ったところ、首の下あたりから右肩にかけて衝撃を感じ、その後右部分の痛みや、吐気・不快感などを覚えるようになったので、昭和五一年八月二四日村田整形外科で受診したところ、外傷性右肩関節炎、右僧帽筋付着部炎と診断された。

右認定事実によれば、原告は被告の従業員として被告の業務に従事中に労災事故(本件事故)により受傷したものと認められる。

二  そこで、被告が本件事故の際、使用者として原告に対しどのような安全配慮義務を負っていたのかについて検討するに、原告が請求原因3の(一)記載の各期間腰痛症で休業したこと、昭和四八年及び昭和五〇年の各腰痛症はいずれも原告が業務中に重い肉などを持ち上げようとした際の労災事故に起因するものであること、本件事故当時、原告の腰痛症は十分に回復しておらず、このことを被告が知っていたことは、当事者間に争いがない。

右争いのない事実によれば、昭和五一年六月の腰痛症が労災事故によるものであるかどうかにかかわらず、被告は、原告の使用者として、少なくとも原告に再び腰痛症が発生することのないようにするため、原告を他へ配置転換したり、重量のある食肉の運搬は他の従業員に行わせるなどして原告が業務中に重量物を持つことを余儀なくされることのないように配慮すべき労働契約上の安全配慮義務を負っていたものということができる。

三  ところで、被告は、本件事故当時、原告に重量物を持たないように注意したうえで、その裁量でできる範囲の作業をすればよいことにするなどして安全配慮義務を履行しており、本件事故は、原告が共同で作業していたアルバイト学生の接客業務が終わるまでの僅かな時間さえ待たないで一人で作業したために発生したものであり、原告自らの過失によって発生したものであると抗弁するので、以下この点について検討する。

(証拠略)並びに原告本人尋問の結果を総合すれば、以下の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

1  原告は、昭和四六年一月一六日、被告に精肉の職人として雇用されて以来、被告垂水店及び灘店の精肉売場で肉の骨はずし、筋引き、小割り等の作業に従事していたが、右作業には重い肉の塊を運搬したり、調理台の上に持ち上げたりする作業を伴うところから、被告は、原告が二度目に腰痛症の労災事故に遭った昭和五〇年一一、一二月ころ、原告の腰痛症の再発防止のため原告の職種を変更して他の職場へ配置転換することについて原告と交渉した。しかし、原告は、昭和三二年に高校を中退して以来、青果商に勤務した四年程の期間を除き、一貫して精肉の職人として働いてきたことと、配置転換をされるとそれまで支給されていた月額一万円程度の特殊手当がなくなり、残業も少なくなって収入が減少することなどを理由に、配置転換に応じなかった。

2  原告は、一回目の腰痛症による労災休業から職場に復帰した昭和四九年当時から、既に自分ではできるだけ重い物を持たないようにするため、精肉売場の他の従業員に仕事の仕方をアドバイスをするにとどめたり、自分で肉の筋引き等の仕事をする際には、重い肉は他の従業員に調理台の上に持ち上げてもらうようにするなどして、周囲の従業員の協力を得ながら腰痛症の再発防止を図っていたが、被告の側においても、遅くとも原告が三回目に腰痛症で休んだ昭和五一年六月ころ、原告の上司である精肉売場の主任に対して原告に重量物を持たせないようにするよう指示し、これに従い、同主任において、原告に重い物は持たないようにとの指示をするとともに、精肉売買内部の扱いとして、原告については自らの裁量でできる範囲の作業を行えばよいこととした。そこで、原告は、同年七月二〇日の職場復帰から本件事故発生日である同年八月一七日までの間は肉の筋引き・選別等の作業のみを行い、かつ冷蔵庫内にも入らないようにしていた。

3  昭和五一年三月から本件事故当時の同年八月までの間の被告灘店の精肉売場(面積一七坪・五六・一平方メートル)の従業員は、正社員が主任以下原告を含めて男子三人、女子一人で、その他にパート又はアルバイトの従業員が常時二人程度おり、従業員一人当たりの売上高は三七二万五〇〇〇円、坪(三・三平方メートル)当たりの従業員数は〇・三五人であった。これを同時期の被告近畿事業本部兵庫地区に属する六店舗の精肉売場の営業数値と比較すると、その一人当たり売上高の平均値四〇五万四〇〇〇円より少なく、坪当たり従業員数の平均値〇・二四人よりも多い人員が配置されていたことになり、また、被告灘店の精肉売場の従業員数(パート従業員は勤務時間八時間で一人と換算)は、昭和五〇年三月ないし八月期は五・三人、昭和五〇年九月ないし昭和五一年二月期は五・四人、昭和五一年三月ないし八月期は六人であるが、右従業員数から原告を除外して坪当たり従業員数を計算すると昭和五〇年三月ないし八月期は〇・二五人、昭和五〇年九月ないし昭和五一年二月期は〇・二五人、昭和五一年三月ないし八月期は〇・二九人であるところ、これに対応する被告近畿事業本部兵庫地区に属する店舗の精肉売場の坪当たりの従業員数の平均値はそろぞれ〇・二四人、〇・二五人、〇・二四人であるから、被告灘店の精肉売場には原告を除外しても、他の店舗の坪当たり従業員数の平均値に近い従業員が配置されていたことになる。

4  本件事故の際、原告は、前記のとおりアルバイト学生が客に呼ばれたため冷蔵庫内に取り残され、冷蔵庫の入り口はバッカを積んだ台車がふさいだ状態になったが、アルバイト学生の接客業務は通常は短時間で終わるものであり、そうでなかったとしても、冷蔵庫から出るためにはバッカを積んだ台車を少し押し戻しさえすればよく、更に、食肉冷蔵庫の入口は調理場に向かって開き、食肉売場も右調理場に接していて、周囲に全く従業員がいなくなったというわけではないのであるから、右アルバイト学生やその他の従業員を呼び、その協力を求めて台車からバッカを降ろすという方法もあった。

なお、本件事故当時の原告の体調は、常に腰部の状態に注意し、腰部を庇わなければならないような状態ではなかった(原告は、前記のとおり、総重量一二〇ないし一三〇キログラムの積み重ねたバッカの最下段の手鈎をかけて引っ張っているが、そのためには身体を曲げた状態で力を入れ、腰に負担をかけなければならないから、当時原告の腰部の状態が悪く、痛み等を感じていたとすれば、バッカを降ろすためにこのような方法をとるはずはなく、原告が治療を受けていた荻原一輝医師も同様の見解を示している。)。

以上認定の各事実及び前記一で認定した本件事故の態様を合わせ考えれば、被告は、原告の腰痛症に配慮して、原告の配置転換を考え、これが原告に受け入れられないと、原告に対して重い物は持たないように注意するとともに、原告が自らの裁量で仕事の範囲を決めてその作業のみを行うことを許容し、被告灘店の精肉売場の従業員に対しても、原告には重量物を持たせないようにするよう指示して、原告の作業について重量物の運搬等の必要が生じた場合には他の従業員に協力させる態勢をとり、右協力が可能な人員も配置していたものと認められるから、被告は使用者として原告に対して負っている安全配慮義務を十分に尽くしていたものということができ、むしろ本件事故は、原告が共同作業を行っていたアルバイト学生が戻るのを待たず、また、食肉冷蔵庫から出るためだけであれば、他に方法がないわけではなかったのに、被告からも注意され、普段は自らも差し控えていた力作業に当たる総重量一二〇ないし一三〇キログラムのバッカを台車から引きずり降ろす作業を不用意に一人で行おうとした自らの過失によって発生したものといわざるを得ない。

従って、被告には、本件事故によって原告が被った損害を賠償する義務はない。

四  以上の次第で、原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないことが明らかであるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 笠井昇 裁判官 阿部静枝 裁判官 井上豊)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例