大阪地方裁判所 昭和61年(行ウ)61号 判決 1991年3月28日
原告
東海久子
右訴訟代理人弁護士
高橋典明
同
岩永惠子
同
井上直行
被告
地方公務員災害補償基金
大阪府支部長
岸昌
右訴訟代理人弁護士
今泉純一
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告が地方公務員災害補償法に基づき昭和五六年一二月二五日付けで原告に対しなした公務外認定処分は、これを取り消す。
第二事案の概要
一争いのない事実
原告(同一五年四月二一日生)は、同四七年八月一六日に吹田市に保母として採用され、同市立千里山保育園を経て、同五三年四月から同北千里保育園に勤務中、同年五月一九日上京病院において「頸肩腕症候群、背腰痛症」と診断された(以下「本件疾病」という)。
原告は、地方公務員災害補償法(以下「法」という)に基づき、被告に対し、本件疾病につき公務災害の認定を請求したところ、被告は同五六年一二月二五日付で、本件疾病は公務に起因したものとは認められない旨決定し(以下「本件決定」という)、地方公務員災害補償基金大阪府支部審査会は同五九年九月二五日付けで原告の審査請求を棄却し、地方公務員災害補償基金審査会は同六一年四月二三日付で原告の再審査請求を棄却し、右裁決書は同年六月一九日原告に送達された。
二争点(本件疾病は法二六条の「公務上の疾病」か)
1 原告
法二六条の「公務上の疾病」とは、公務と合理的関連性がある疾病をいい、公務と相当因果関係のある疾病、即ち、公務が相対的に有力な原因となって発症した疾病に限られない。
原告には特に本件疾病の原因疾患はないこと、原告が従事した保育作業は、一般的に、上肢の反復使用、同一肢位の保持、前傾立位姿勢、その他多様な動作の複合等により、本件疾病発症の危険性を有していること、原告は数年以上保育作業に従事した後、初めて本件疾病を発症し、その後の症状の推移は原告が現実に従事した保育作業(労働時間、職場環境、その他の労働条件)と相関関係にあること等によると、原告の本件疾病と公務との間には合理的関連性があるというべきである。
したがって、本件疾病は公務上疾病である。
2 被告
右「公務上の疾病」とは、公務と相当因果関係のある疾病、即ち、公務が相対的に有力な原因となって発症した疾病をいう。
頸肩腕症候群、背腰痛症は、労働負荷、個人の肉体的、心理的要因等が複合的且つ相乗的に作用して発症する例が多い。一般的に保育作業は、右疾病の発症原因として、医学経験則上首肯しうる労働負荷の特異性、有害性はなく、原告が現実に従事した保育作業にも労働過重性その他本件疾病の発症要因と見うる特異性、有害性はないこと、原告の本件疾病は発症後長年月持続しており、病的素因を疑わしめること、本件疾病の発症要因として、原告の家事、育児における肉体的、精神的負担も無視できないこと等を考慮すると、原告の本件疾病は公務が相対的に有力な原因となって発症したとはいえない。
したがって、本件疾病は公務外疾病である。
第三争点に対する判断
一法二六条にいう「公務上の疾病」の意義
1 右「公務上の疾病」とは、公務に起因した疾病をいい、公務と疾病との間に相当因果関係のあることが必要であり(最高裁同五一年一一月一二日第二小法廷判決・集民一一九号一八九頁参照)、疾病の発症について公務を含む複数の原因が競合する場合は公務が相対的に有力な発症原因であること、そして、公務が相対的に有力な発症原因であるというためには、公務が通常の業務量を基準にして過重であることが必要である。
2 公務上疾病の認定請求者は公務と疾病間の相当因果関係の存在について立証責任を負う。
3 原告の所論は、労働政策的見地からは示唆に富むが、未だ、右説示を覆すに足りない。
二頸肩腕症候群と腰痛症
1 頸肩腕部の健康障害
(一) 頸肩腕症候群と労働行政(<書証番号略>)
(1)(いわゆる頸肩腕症候群の出現)
我が国において、事務作業の機械化により、同三〇年頃から、キーパンチャーの中に上肢特に手指の異常、前腕から手にかけての痛み、肩こり、腕のだるさ等を訴えるものが現れるようになり、その後、若年女子労働者を中心に、頸、肩、腕に疼痛、倦怠感、こり、しびれ感、冷感等の症状を訴える者が増加し、その職種も、タイピスト、オペレーター等の事務機器作業者から一般事務作業者、ベルトコンベアー作業者、検査技師、保母等にまで広がり、更には、主婦、学生にまで及ぶようになった。右のような症状を示す疾病、病態に対して、広く頸肩腕症候群という診断名を用いることが多いが、医家によって必ずしも統一されていない。
(2)(労働行政の対応)
① 頸肩腕症候群症状を示す疾病、病態の業務上外の認定に関し、労働省労働基準局長は、同三九年九月一六日「キーパンチャー等の手指を中心とした疾病の業務上外の認定基準について」(労基発第一〇八五号)、同四四年一〇月二九日「キーパンチャー等の手指作業にもとづく疾病の業務上外の認定基準について」(同第七二三号)、同五〇年二月五日「キーパンチャー等上肢作業にもとづく疾病の業務上外の認定基準について」(同第五九号)、地方公務員災害補償基金理事長は同四五年三月六日「キーパンチャー等の上肢作業にもとづく疾病の取扱について」(地基補第一二三号、同四八年改正・同第五四三号、同五〇年改正・同第一九一号、同五三年改正・同第五八七号)、同補償課長は同五〇年三月三一日その実施要領(同第一九二号)を各発した(以下、右通達、通知を「頸肩腕認定基準」と総称する)。
② 頸肩腕認定基準は、頸肩腕症候群を、種々の機序により後頭部、頸部、肩甲帯、上腕、前腕、手及び指のいずれかあるいは全体にわたり、こり、しびれ、痛み等の相当強度の病訴があり、他覚的に、右病訴と相関関係のある当該部諸筋の病的な圧痛及び緊張若しくは硬結を認め、時には神経、血管系を介しての頭部、頸部、背部、上肢における異常感、脱力、血行不全等の症状を伴う症状群にして、外傷及び先天性の奇形並びに特定の疾病によって発症したものを除き、医学的療養を必要とするもの(但し、適切な保存療法により三か月を経過しても症状が軽快しないときは他の疾病を疑う)としている。そして、右頸肩腕症候群は、一般に、一定の作業姿勢を持続し、主として上肢のみを過度に使用する労働者に頻発し、上肢とともに体幹や下肢も同時に使用する労働者(例えば建設、鉱山、農業等のいわゆる重筋労働者)の症例が極めて少ないことから、非生理的な身体の部分的労作により局所に疲労の蓄積が生じ、これが病的な状態にまで進行して発症するとの医学的知見に基づき、業務上の頸肩腕症候群の要件として、上肢(上腕、前腕、手、指のほか肩甲帯も含む)の動的筋労作(例えば打鍵等の繰り返し作業)又は上肢の静的筋労作(例えば上肢の前・側方挙上位等の一定の姿勢を継続してとる作業を言うが、頸部を前屈位で保持することが必要とされる作業も含む)を主とする業務に相当期間継続して従事したことを挙げているが、右認定基準に合致しない作業態様による頸肩腕症候群の発症を全く否定しているものではなく、保母の頸肩腕症候群についてはその発症の機序、病態等がなお未解明であるところから、当面、各々の保母の業務の特異性、労働負荷の実態に応じて個別的に業務上外を判断するとしている。
(二) 日本産業衛生学会頸肩腕症候群委員会の提言(<書証番号略>)
同委員会(以下「産業衛生学会委員会」という)は、労働者に多発する頸肩腕症候群は臨床医学(主として整形外科)によっても充分な病理解明ができず適切な治療を行い得ないとの労働衛生学的見地から、特に業務による頸肩腕症候群を頸肩腕障害とし、これを非病理学的に、上肢を同一肢位に保持し、又は反復使用する作業により神経・筋疲労を生ずる結果起きる機能的あるいは器質的障害と定義し、病像を症状の経過に応じ五段階(Ⅰ度ないしⅤ度)に分類し、労働因子、精神的因子及び環境的因子をも総合した新たな疫学的な頸肩腕障害の診断基準及び業務上外の認定基準を提言している。
(三) 臨床医学(主として整形外科)の立場(<書証番号略>)
頸肩腕症候群症状を呈するもののうち、外傷及び先天性の奇形並びに特定の疾病によって発症したものを除き広義の頸肩腕症候群、そのうち病理、病因の明らかでないものを狭義の頸肩腕症候群とし、業務による頸肩腕症候群症状は数か月の適切な保存療法によって軽快し、保存療法によって軽快しない頸肩腕症候群症状は他の原因疾患を考慮すべきであるとしている。そして、狭義の頸肩腕症候群の発症機序は個人の体質的及び精神的素因に加わった相対的な加重負荷と考えられている。なお、産業衛生学会委員会の提唱する病像分類は、実際の症状の推移に一致せず、また、業務による頸肩腕症候群に固有のものではないと批判している。
(四) 以上の事実によれば、頸肩腕症候群は臨床医学、産業衛生医学それぞれの立場から論じられているが、発症要因及び機序、症状の経過、診断基準等について定見はない。しかし、業務上の頸肩腕症候群(頸肩腕障害)と業務外の頸肩腕症候群の差異は、その発症要因、機序における身体的、精神的負荷たる労働因子の有無、程度に帰着するところ、産業衛生学会委員会が提唱する頸肩腕障害に関する業務上外の疫学的判定基準は、頸肩腕症候群の発症における個人的要因と労働負荷の関連を明らかにせず、また、病像分類の妥当性(同分類Ⅰ・Ⅱ度の症状、例えば、肩こり等を治療を要するような頸肩腕症候群の初期病像とみるか)に疑問があり、病像も業務による頸肩腕症候群に固有のものではないから、労働衛生(健康管理)上の指針としてはともかく業務上外の判定基準としては適切でない。これに対し、頸肩腕認定基準は、現時点の医学上の知見に基づき策定されたものであり、首肯するに足りる。
2 腰部の健康障害(<書証番号略>)
(一) 腰痛の原因
腰痛は加齢による腰椎の変化を一般的な原因とするが、近時は、食生活からくる栄養過多による肥満傾向、運動不足による腰部、腹筋の脆弱化、自動車利用による腰部への悪影響、生活様式の洋風化に伴う安楽な姿勢等もその要因とされ、また、職業性腰痛においては、腰部に過負担を加える作業態様、疲労を蓄積させる労働条件等を無視することもできない。
(二) 労働行政の対応
(1) 腰痛の業務上外の認定に関し、労働省労働基準局長は、同三四年四月「腰部捻挫に伴う疾病の業務上外の認定基準について」(労基発第四一五四号の二、同四三年二月改定)、同五一年一〇月一六日「業務上腰痛の認定基準等について」(同第七五〇号)、地方公務員災害補償基金理事長は同五二年二月一四日「腰痛の公務上外の認定について」(地基補第六七号、同五二年改正・地基企第三六号、同五三年改正・地基補第五八七号)、同補償課長は同五二年二月一四日その実施要領(同第六八号、同五三年改正・同五八九号)を各発した(以下、右通達、通知を「腰痛認定基準」と総称する)。
(2) 腰痛認定基準は、災害性の原因によらない腰痛を発症させる、腰部に過度の負担のかかる業務として、重量物(おおむね二〇キログラム以上のものをいう)又は軽重不同のものを中腰で取り扱う業務、腰部にとって極めて不自然ないしは非生理的な姿勢で毎日数時間行う業務、長時間にわたって腰部の伸展を行うことのできない同一作業姿勢を持続して行う業務、腰部に著しく粗大な振動を受ける作業を継続して行う業務を挙げ、これらの業務に比較的短期間(おおむね三か月から数年以内)従事したことにより発症する腰痛症は、主として筋、筋膜、靱帯等の軟部組織の労作の不均衡による局所疲労の蓄積に起因するから早期に適切な処置(体操、スポーツ、休養等)を行えば容易に回復するが、労作の不均衡の改善が妨げられる要因があれば療養を必要とする状態に至ることもあるので、これを業務上の疾病として取扱い、右業務上の腰痛は、適切な療養によれば、ほぼ三、四か月以内にその症状が軽快するのが普通であり、特に症状の回復が遅延する場合でも一年程度の療養で消退又は固定するものとしている。
(3) 腰痛認定基準は現時点における医学の成果に基づき策定されたものであり、腰痛の業務上外の認定基準として有用であり、他に代わるべきものはない。
三保育業務と頸肩腕症候群ないし腰痛症の関係
1 保育業務を大別すると、基本的生理的生活習慣確立のための指導介助(食事・排泄・午睡の介助その他の身の回りの世話)、遊びの指導、健康と安全に関する配慮(登園時の視触診、玩具の消毒、布団干し、タオルの洗濯等)、保育計画の策定(カリキュラムの作成、年間行事の計画等)である(その内容の分類及びその際とられる作業姿勢については別紙記載の保育業務の内容と作業姿勢のとおり)。そして、保育業務の作業区分別の作業姿勢の時間構成比、平均一連続時間は、それぞれ別表1の(1)、(2)記載のとおりである(<書証番号略>、検証の結果、原告)。
右事実によれば、保母が右の種々多様な業務においてとる姿勢には、中腰・前かがみの姿勢、手腕の屈伸等の動作を伴うもの等、上肢に負担のかかるものがあるが、いずれの姿勢も、長時間継続してとられるものではなく、比較的短時間継続的に、かつ、断続的にとられるにすぎないうえ、保育業務は上肢・下肢を含め身体を全体的に用いる動作を多く含むものであるから、必ずしも非生理的な身体の局所的労作(静的筋労作・動的筋労作)に該当するということもできず、いわゆる混合労働とみるべきである。したがって、保母の業務は、上肢や腰部の軟部組織に労作の不均衡による局所疲労の蓄積をもたらす業務であると断じえないから、上肢や腰部に対する過度の負担となるような業務とみることはできないというべきである。
野沢正子大阪府立大学社会福祉学部教授(教育学・保育学)は、「保育業務は、上肢に過度の負担を与えるから頸肩腕症候群を発症させやすい業務であるうえ、重度身体障害者施設の保母の業務(腰痛認定基準において腰部に過度の負担のかかる業務とされている)と共通の特質をもつから腰痛症を発症させやすい業務である」という(<書証番号略>、同人の証言)。しかし、重度心身障害児と乳幼児の体格等の違い、両施設の保母の具体的な業務内容の相違からすると、両施設の各業務が保母の上肢、腰部に与える負担を同程度のものということはできないから、右見解はにわかに採用できない。また、西山勝夫滋賀医科大学助教授(労働衛生学、人間工学)は、保育業務には、労働省通達・重量物取扱作業における腰痛予防対策指針(基発第五〇三号)において避けるべきとされているデリック型の姿勢が約9.8パーセント認められるとし、保育業務(特に、〇歳児保育)の腰部に対する負担を強調する(<書証番号略>、同人の証言)。しかし、右指針は、重量物(重量物とはおおむね二〇キログラム以上のものをいうが、一歳児の平均体重は約一〇キログラムにすぎない)の取扱い、特に床面等から重量物を持ち上げる際にデリック型を避けるように指示したものにすぎないうえ、公立保育所における保育業務の場合デリック型の姿勢の連続する時間は別表1の(2)記載の程度であり(同表にいう姿勢4の項参照)、同姿勢の取られる総時間は約四四分余り(27011秒×0.98=2646.98秒)にとどまることを勘案すると、保育業務は未だ腰部に対する過度の負担となる業務ということはできないというべきである。
2 原告は、産業衛生学会委員会が提唱する疫学的手法によると、保育業務と頸肩腕障害ないし腰痛症の発症との間に強い関連性(疫学的因果関係)があるから、本件疾病は公務上疾病であると主張する。確かに、頸肩腕症候群ないし腰痛症の病理的解明は未だ完全になされていないのであるから、その業務上外の認定は、業務と頸肩腕症候群ないし腰痛症との間の病理的相関関係の有無のみに依拠することは正当ではなく、精度の高い疫学的因果関係の有無に依拠すべき場合もあるであろう。しかし、個人の労働負荷は各様であり、加えて、頸肩腕症候群ないし腰痛症の発症は、前記のとおり、業務外の個人の体質的及び精神的要因の関与を無視することはできないのであるから、その業務上外の認定は、一般的な保育業務と頸肩腕症候群ないし腰痛症との間に疫学的因果関係があることのみによって決することは相当ではなく、個人の労働負荷はもとより個人の業務外の体質的及び精神的要因をも十分考慮に入れてなされなければならない。
ところで、保育業務と頸肩腕障害ないし腰痛症の発症との間の疫学的因果関係について、西山助教授は、「一般国民(女性)の肩こり、腰痛の自覚症状の有症率・通院有症率を同六一年の厚生省による「国民生活基準調書」の結果から算出したところ、保母の自覚症状の有症率・通院有症率はこれより著しく高く、また、保母の肩・腰症状の有症率は、キーパンチャー等の指定業務従事者の肩・腰症状の有症率と同様の傾向を示しているから、産業衛生学会委員会の疫学的病像分類の観点からみると、保育業務が頸肩腕症候群ないし腰痛症の発症との間に強い関連性がある」との見解を示している(<書証番号略>、同人の証言)。
しかしながら、右見解には、次のような疑義がある。
イ 公立の保育所の場合には、同じ自治体の中で作業条件がほぼ均一であり、施設間で右障害の発生率につき格段の相違はないのに対し、民間の場合には施設間の作業条件及び障害の発生率に著しい差が見られ、障害が特定の保育園に集中する傾向さえあるから(<書証番号略>)、労働条件等を捨象し労働負荷の質、量を考慮せずに、保育業務一般という容疑要因を一般的に認めることは不合理である。
ロ 吹田市の委託を受けた関西医科大学衛生学教室の医師らが、原告が勤務した千里山保育園(同四七年八月から同五三年三月まで)及び北千里保育園(同年四月から)を含む吹田市立保育園(各保育園の労働条件に格段の差はない)の保母らに対して行った健康調査の結果(同五〇、五二、五三年度分)は、別表2の(1)ないし(3)記載のとおりである(<書証番号略>)。
これによれば、同五〇年度の調査結果では、一三保育園中C1・要治療(これは、業務上外の認定対象となる頸肩腕症候群に対応する)と判定された者は、職員(保母を除く。以下同じ)六八名中五名(約7.4パーセント)、保母一八一名中七名(約3.9パーセント)であり、B1・肩こり症と判定された者は職員二三名(約33.8パーセント)、保母七〇名(約38.7パーセント)であり、同五二年度の調査結果では、一七保育園中C1・要治療と判定された者は、職員八四名中〇名、保母二四九名中三名(約1.2パーセント)であり、B1・肩こり症と判定された者は職員三〇名(約35.7パーセント)、保母七〇名(約28.1パーセント)であり、同五三年度の調査結果では、一七保育園中C1・要治療と判定された職員・保母は二六一名中三名(約1.1パーセント)であり、B1・肩こり症と判定された者は九五名(約34.8パーセント)である(なお、同五三年度は保母と職員の区分については証拠上不明である)。
なお、京都工場保健会と京都府交通・労働等災害救済事業団が同五四、五五年度に京都市内の民間社会福祉施設の新規採用者に対して行った健康診断結果によると、約二〇パーセントは肩こり症とされているが、要治療とされた者はいなかった(<書証番号略>)。
右事実から頸肩腕症候群の発症について、保母固有の特徴的傾向を看取することはできない。
ハ 産業衛生学会委員会による頸肩腕障害の病像分類を診断基準とすることには臨床医学上疑問があり、治療を必要とする頸肩腕症候群の発症を肩こりの自覚症状の出現をもって足りるとするのは疑問である(<書証番号略>によると、要治療と判定された保母とスーパー店チェッカーの頸肩腕症候群有症者の割合は、一九七三年(昭和四八年)において、H市保母4.7パーセント、N市保母2.4パーセント、スーパー店チェッカー21.4パーセントであり、かえって保母と同チェッカーの間には有意の差があり、異なった傾向を示していると解される)。
ニ 容疑要因と疾病との間に疫学的因果関係を認めるためには、摂動効果(容疑要因の除去により疾病の発生率も低下する等という相関関係)を無視することはできない(臨床医学上も肯認されている)。これに対し、西山助教授は、業務と強い関連性をもつ頸肩腕症候群ないし腰痛症の場合には、労働への暴露が断たれても容易に回復するとは限らないというが(<書証番号略>)、その根拠は明らかではない。
3 以上の事実によれば、保育業務一般と頸肩腕症候群ないし腰痛症の発症との間に疫学的に強い相関関係があると断ずるのは未だ早計である。
四原告の従事した具体的な業務と本件疾病の関係
1 勤務時間及び勤務体制について(<書証番号略>、原告)
吹田市における保母の勤務時間は、一般職員と同じく四五分間の休憩時間をはさんで午前九時から午後五時(土曜日にあっては午後〇時)までであり、一週間の勤務時間は合計三九時間一五分とされている。なお、休憩時間については、保育業務の特殊性から、所定の時間帯に取ることは困難である。
また、原告が勤務していた千里山保育園及び北千里保育園は、午前八時から午後六時までの長時間保育を実施するため、別表3記載のとおり正規職員の交替勤務体制をとるとともに、同四八年六月以降は午前八時から同一〇時までと午後四時から同六時まで各勤務するパート保母を配置して対応していた。なお、原告の当番勤務の回数は、同五二年度は一二一回(月八ないし一二回)、同五三年四月から同年五月一六日までは一一回であり、同僚保母と同程度であった。
2 休暇取得日数及び時間外勤務の状況について(<書証番号略>、原告)
原告の同四七年八月から同五三年五月一六日までの休暇取得日数及び時間外勤務時間は、別表4記載のとおりである(なお、予算上時間外手当の支給には制限があったため、原告の実時間外労働時間は手当の支給された右時間数を超過していたものと推認できるが、それが何時間に及ぶかを認めるに足りる証拠はなく、原告が同僚保母ないし吹田市立保育園の保母との比較において特に時間外勤務時間数が多かったことを認めるに足りる証拠もない)。
3 保母の配置状況、保育室面積等について(<書証番号略>、証人内藤)
(一) 原告が千里山保育園において担当したクラス、乳幼児数、保母数、保育室(〇歳児・一歳児の場合は乳児室。以下同じ)面積等の状況は、別表5の(1)記載のとおりであり、同保育園における児童数及び保母等の配置状況は、別表5の(2)記載のとおりであり、いずれも厚生省の定める児童福祉施設最低基準(同二三年厚生省令第六三号)を、保母数において一名以上(同四九年度は同基準のとおり)、保育室面積においてかなり上回っていた。
(二) 原告と同一のクラスを担当した他の保母の状況についてみると、同四七年度(一歳児九名・保母三名)は、一名の保母が秋頃から担任をはずれたため、同保育園の看護婦が看護婦業務を兼務しながらこれに代替した。同四八年度(同)は、一名の保母が妊娠障害等のため休暇を取り続け(四月二八日から九月一〇日、九月一二日から同月二五日、一〇月九日から一一月三〇日)、復帰後(一二月一日から)も軽作業を担当したため、この間、アルバイト保母が配置された(九月一二日から同月二五日、一〇月九日から一一月六日、一月七日から同月二一日を除く)。同四九年度(二歳児一二から一四名・保母二ないし三名)は、当初二名の保母でスタートし、六月三日から一名加わり三名となった。同五〇年度(三歳児一七名・保母三名)は、三名のうち、一名がフリー保母(他クラスの保母が休暇を取る場合、そのクラスに応援に行く保母)とされ、一名の保母が同年二月に頸肩腕症候群で要治療の判定を受けていた。同五二年度(〇歳児九名・保母四名)は、四名のうち、一名は交替のフリー保母であり、一名は同五三年二月妊娠休暇に入ったため、アルバイト保母が配置された(二月二二日から三月八日を除く)。なお、原告は、同五三年四月付けで北千里保育園に転勤となり、以後休職まで四歳児三〇名(障害児一名を含む)を他の保母一名とともに担当した。
(三) 千里山保育園は、保育作業の実際からみると、施設上の欠陥(職員用の便所が一つしかないこと、保母の休憩室・食堂がないこと、乳児園庭と幼児園庭が分離されていないこと、部屋から子供が遊んでいる園庭をみる場合に傘立てが障害になること、園外へ乳児を乳母車に乗せ、散歩に連れ出すに際し、表・裏玄関の階段及び園の前の急坂(勾配約一〇度、約五〇メートル)が負担になること、玄関の門扉が重いこと等)ないし設備上の欠陥(手洗い、汚物洗いが低いこと、園児室のガスストーブのスイッチが高すぎ背伸びをしなければならないこと、ガス湯沸かし器の点火位置が床上すれすれの低い位置にあること、布団を収納する押し入れの下段が高いこと、汚物バケツ置き場がないこと、便所の床がタイルで滑りやすいこと等)があり、精神的負担ないし足腰への負担があるとの不満があった。
4 まとめ
以上の事実及び三の説示によれば、原告が現実に従事した保育業務が非生理的な身体の部分的労作ないし腰部に過度の負担のかかる業務に該当し、同僚或いは他の保育園の保母に比し、本件疾病発症の高度の危険性を有していたとは認め難い。
原告は、同五二年度四月以降から担当した業務につき、①〇歳児保育であって排泄介助等の生理介助が業務の多くを占めており、抱いたりかがんだりという不自然で有害な動作が急激に増加する等の特殊性があったこと、②担当クラスの〇歳児の月齢差が大きかったこと、③相手保母が産前産後休暇をとる等の事情によりアルバイト保母・実習生が代替したこと、④同五三年四月に北千里保育園に転勤となり、他の保母一名と五月一八日まで四歳児三〇名の保育業務を行い、主に障害児一名(身長約一一二センチメートル、体重約20.5キログラム)を担当したことをもって原告の労働負担が過重であった旨を主張するが、前記認定事実によれば、これらによっても、同僚保母ないし他の吹田市立保育園の保母の場合との比較において客観的にみて原告にいかなる程度身体的な負担が加重されたのかを具体的に明らかにすることはできず、右説示を左右するに足りない(なお、西山助教授は、頸肩腕症候群、腰痛症の業務起因性を考えるに当たっては、身体的負荷を主として考慮すべきとしているところ(同人の証言)、原告は、アルバイト保母・実習生が加わった点につき「労働面では軽くなった面もあります。気を使う面でしんどくなった面もあります」と述べている)。
原告は、原告の従事した保育業務の本件疾病発症の危険性は原告を基準として判断すべきであり、他人のそれと比較してはならない旨を主張するが、理由冒頭の説示に照らし採用できない。
五原告の症状経過と業務負担の関係(<書証番号略>、原告)
1 原告は、同四七年六月から吹田市立北千里保育園でアルバイトとして保母業務をしていたが、同年八月一六日同市に正式に保母として採用され、同年九月一六日から開園した同市立千里山保育園に保母として勤務した。原告は、疲労の蓄積を感じることはなかったが(同四八年四から五月頃は肩や腰のだるさを感じたが、一晩寝るととれたという)、同四八年一一月頃左手薬指の痛み(原告の表現では「水にもタオルにも触れられない」という鋭い痛み)を覚えこれは一週間程度で消失したものの、その頃から肩や腰等にこりとだるさ等を強く感じるようになり、同年一二月、肩や腰等のだるさを訴え千葉医院で受診したところ、多発性神経炎と診断され、鎮痛剤及びビタミン剤を処方された。
2 原告は、同四九年四月一九日、男児の排泄介助の際に腰に激痛を覚え、吉田外科整形外科で受診したところ「頸肩腕障害」と診断され、頸椎間欠機械牽引、温熱療法、湿布、鎮痛消炎剤とビタミン剤等の注射ないし内服投与並びに症状に応じた体操の指導等を受けた。吉田正和医師の意見によると、原告の治療に対する反応は良好であり、治療を継続すると、諸症状は軽減するが、通院治療が遠のくと症状が再燃する容態であったとしている。原告は、同年一一月頃、津田外・内科医院(以下「津田外科」という)で治療を受けたところ、変形性脊椎症、低血圧症と診断され、同五〇年二月実施の健康診断では「頸肩腕障害により要治療・要作業軽減状態」に至っていると診断された。
3 原告は、同五〇年三月頃、一時的に発声困難に陥ったことがあり、また、同年四月には千葉医院で受診し、肩こり、腰痛がきつくなり、首を反らせると背中が痛み、頭を下げたり水道をひねったりしたとき耳鳴りがすると訴え、「多発性神経炎」として治療を受けた。同年七月頃、津田外科で休職を勧められた(診断名・左肩胛部神経痛)。
4 原告は、同五一年四月実施の健康診断において頸肩腕障害、腰痛、脊椎過敏症で「要治療」とされたが、同年夏以降、症状が軽快し(同年秋の運動会でトラック二〇〇〇メートルを完走した)、同五二年三月頃までは右状態が続いた。
5 原告は、同五二年五月頃再び首、肩のこりがひどくなり(同月実施の健康診断では「要注意」とされた)、同五三年四月頃には歩行中に腰痛が起こる等症状が悪化し、同年五月一九日上京病院で受診したところ「頸肩腕症候群、背腰痛症」と診断された。
原告は、同日から同年八月一六日まで病気欠勤し、更に翌一七日から同五六年八月一日まで休職し、温熱療法等の治療を続けた。同五六年二月頃から同年八月一日までの間は、北千里の保育園に四〇回程度、時間は当初は一回当たり一〇分程度から三時間程度のリハビリ勤務、同月二日から一年半程度は一日三時間程度の、その後の一年程度は四時間の、その後半年程度は五時間の、同六〇年八月頃からは六時間の各リハビリ勤務を行い、現在に至っている。
6 以上の事実によれば、原告は、同四八年一一月頃まで業務による疲労の蓄積を感ぜず、格別、業務の加重変化もないのに、その時期に本件疾病の初期症状を訴えて受診し、以後、症状増悪の経過を辿り、同五一年夏以降は通常の業務(同年度の時間外勤務は約二〇〇時間にも達しており、業務の軽減はない)に従事しながら一時症状の軽快を示し、逆に、同五三年五月休業した後においても症状の改善が見られないまま推移しているのであって、原告の症状の推移と業務との関連性には疑問を持たざるを得ない。西山助教授の説明(<書証番号略>)は充分納得しうるものではない。
六原告の個人的要因(<書証番号略>、原告)
1 津田外科は、同四九年一一月一八日、原告を診察し、レントゲン所見に基づき変形性脊椎症及び低血圧症を認めた。後に原告を診察した三宅成恒医師は、変形性脊椎症とは年齢相応の脊椎の退行性変化を意味するものであり、脊椎の退行性変化は頸肩腕症候群と同様な症状を示す場合もあること、また、原告の低血圧症は頸肩腕症候群の一症状ともみられるとの所見を与えている。
2 原告は、同四七年四月離婚し、長女(同四三年五月一日生)と二女恵(同四四年一月二〇日生)を養育してきたものであり、育児や家事は、殆ど原告が行ってきた。
3 右事実によれば、原告の身体的加齢現象や家事・育児の負担が本件疾病発症の何らかの素因となったとの疑いも否定することはできない。
七結論
以上認定した事実によれば、原告が従事した保育業務は、本件疾病発症と無関係であるとはいえないが、本件疾病発症の高度の危険性を有すると認めるに足りず、また、原告の症状の経過は必ずしも原告の業務負担の軽重と連動、整合するものでもないこと等に照らすと、原告の業務と本件疾病との間に相当因果関係を認めることは困難である。吉田医師(<書証番号略>)、三宅医師(<書証番号略>、同人の証言)の各所見は採用できない。
原告は、被告において原告の本件疾病が保母業務以外の原因によって発症したことを明らかにしないから、本件疾病は公務上認定されるべきであると主張するが、理由冒頭の説示に照らし、採用できない。また、原告は、頸肩腕症候群につき公務上認定を受けた保育園保母佐柳憲子の事例(<書証番号略>)を引き、原告の本件疾病も公務上認定を受けるべきであると主張するが、両者は、症状の程度、推移及び業務との連動性等の諸点において、事情を異にするから、右説示を覆すに足りない。
よって、本件処分は適法であり、原告の請求は理由がない。
(裁判長裁判官蒲原範明 裁判官市村弘 裁判官冨田一彦)
別紙<省略>