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大阪地方裁判所 昭和62年(ワ)12466号 判決 1990年11月26日

原告

長谷川奨

右法定代理人親権者

父兼原告

長谷川好英

同母兼原告

長谷川雅江

右三名訴訟代理人弁護士

石川寛俊

竹岡富美男

被告

右代表者法務大臣

梶山静六

右訴訟代理人弁護士

小澤義彦

右指定代理人

田中慎治

外四名

主文

一  原告らの請求を、いずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告長谷川奨に対し金九三七二万〇五五四円、同長谷川好英及び同長谷川雅江に対し各金五五〇万円並びにこれらに対する昭和六〇年一一月七日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、原告長谷川雅江(以下「原告雅江」という。)が、国立大阪病院(以下「被告病院」という。)において出産した同原告と原告長谷川好英との間の長男の原告長谷川奨(以下「原告奨」という。)には出産時の処置に起因する脳性麻痺の障害があるが、これは、被告病院医師らの過失によるものであるとして、原告らが被告に対し使用者責任により不法行為に基づく損害賠償を求めている事件である。

一当事者間に争いのない事実

1  原告雅江の既往歴

原告雅江は、昭和五九年一〇月中旬、被告病院産婦人科において妊娠との診断を受けたが、同年一一月中頃から悪阻がひどいため、被告病院に入院したところ、同年一二月三日、子宮外妊娠と診断され、同日右卵管切除手術を受け、同月二〇日、退院した既往歴を有する。

2  原告雅江の妊娠と胎児の状態

原告雅江は、昭和六〇年四月三日、被告病院で妊娠七週と診断され、その後も被告病院に通院していたが、同年九月九日、胎児が骨盤位であることが判明した。

そこで、被告病院の医師から逆児体操をするよう言われ、さらに同月三〇日、被告病院勤務の芝本拓巳、江崎洋二郎両医師によって、外回転術が施されたが、胎児の位置を頭位に矯正することができなかった。

3  本件出産の経過

原告雅江は、同年一〇月七日、芝本医師に対し破水感があったことを報告したところ、検査され、その結果、破水と診断され、直ちに入院し、絶対安静にするよう指示された。入院後、同月二一日から弱い陣痛があり、それ以後、同年一一月六日まで陣痛止めの薬剤の投与を受けた。同日、原告雅江に陣痛があり、陣痛室に移された。同月七日午前一〇時四五分ころ、宮崎助産婦の内診を受け、原告雅江はベッドに仰臥したまま分娩室へ搬送された。

原告雅江は、分娩室に入って後、陣痛車から分娩台に自力で移動したが、その直後、臍帯脱出が発見された。そのため、澤本助産婦と江崎医師らが、臍帯還納術及び牽引娩出術を試みたが、果たせなかった。そこで、急遽、帝王切開術が必要になり、同日午前一一時一五分、分娩室内で帝王切開が行われ、同二二分に原告奨が娩出された。

二争点

原告らは、原告奨に脳性麻痺の障害が発生したのは、被告病院の医師らに以下のような過失があったからであると主張している。本件では、これらの過失が認められるかどうかが争点である。

1  本件の臍帯脱出は、分娩前に十分予測することができたのだから、胎児の仮死を防ぐため、当初から帝王切開を選択するか、又は、直ちに帝王切開が可能な状態での経腟分娩(dou-ble setup condition)を行うべきであるのに、臍帯脱出を全く予期せずに、経腟分娩を選択し、かつ、直ちに帝王切開が可能な態勢を取っていなかった。

2  本件の臍帯脱出は、分娩前に十分予測することができたのだから、臍帯脱出の発生を速やかに発見するよう内診等の監視を続け、臍帯脱出を誘発するような妊婦の行為を禁じ、骨盤高位をとらせ、臍帯への圧迫をできるだけ少なくする姿勢を保持させるなどすべきであるのに、分娩開始後、先進部の確認やドップラーによる継続的心音聴取を怠り、原告雅江を陣痛車から分娩台へ自力で平行移動させた。

3  臍帯脱出が発生した場合には、速やかに帝王切開を行うべきであるのに、有害無益な臍帯還納を試みて、帝王切開の開始が遅れた。

第三争点に関する当事者の主張

一原告の主張

(争点1について)

1 臍帯脱出の予見可能性

本件においては、分娩前に原告雅江に以下のような事情があったのであり、被告病院の医師らは、これらを認識していたのだから、本件臍帯脱出を予見すべきであった。

(一) 原告雅江の既往症

原告雅江は、昭和五九年一二月三日被告病院産婦人科において子宮外妊娠と診断され、同日右卵管切除手術を受けたが、その際、子宮の一部摘出手術も施された。子宮を一部にせよ、切除したことは、骨盤位、前期あるいは早期破水の原因になる。

(二) 外回転術

原告雅江に対しては、昭和六〇年九月三〇日、胎児の位置を矯正するために、被告病院の江崎、芝本両医師によって外回転術が施されたが、これが前期破水の誘発、子宮破裂等の原因となることがあるので行うべきではないとの意見が現在では多い。原告雅江は、外回転術を受けた翌日に座っていた座布団が少し濡れる程度の破水感を感じ、その後、同年一〇月七日の定期検診で、破水が認められたので、即日、被告病院に入院した。これは、外回転術を行ったことによるものである。

(三) 原告奨の胎位

原告奨は、娩出時、足位(全足位か不全足位かはともかく)で分娩されたことからみても、分娩前から、骨盤位中の足位であったものである。足位の場合は、外の胎位に比べて、臍帯脱出の頻度が高いことは、医学上の経験則となっている。

(四) 前期破水

原告雅江は、昭和六〇年一〇月七日、被告病院に前期破水のため緊急入院したが、骨盤位の場合は、もともと前、早期破水が起こりやすく、また、前、早期破水を伴えば、臍帯脱出の危険が高まることも医学上の経験則となっている。

2 分娩方法の選択

前記1で主張する事情、即ち、原告雅江に前期破水が起こっており、原告奨の胎位が足位である場合には、胎児の仮死を防ぐため、当初から帝王切開を選択するか、又は、直ちに帝王切開が可能な状態での経腟分娩(double setup condition)を行うべきであった。医学的にも足位で前期破水を伴う場合は、ほとんど全例を当初から帝王切開によって分娩させるのが一般的である。

(争点2について)

3 臍帯脱出の早期発見

足位で前期破水を伴う場合、臍帯下垂や脱出が発生しやすいので、分娩開始後は臍帯の状態に注意し、臍帯脱出に至る前、即ち、臍帯下垂の段階で発見しなければならない。そのためには、次のような方法をとらなければならない。

(一) 内診による触知

内診をした場合、子宮口を通して指で何が触れるかは大きな問題である。ところが、被告病院においては、医師や助産婦によって内診自体は何度も行われたが、臍帯下垂の有無、胎児の先進部は何かについて、カルテに記録がなく、先進部についての無頓着な対応があった。

(二) 胎児の心音

臍帯が胎児と子宮壁あるいは軟産道によって圧迫されると、胎児の唯一の酸素供給路に障害が生じるため、臍帯雑音が聴取される。そのため、聴診器による頻繁な心音聴取が必要である。ところが、被告病院では、陣痛室においても胎児心音が連続的に聴取された記録がなく、分娩監視装置が、昭和六〇年一一月七日午前九時四〇分から同一〇時四九分三〇秒ころまで装着されて、胎児心拍のモニタリングが行われ、臍帯圧迫による胎児循環障害の特徴である変動一過性徐脈が読み取れるのに、臍帯圧迫に気付いていない。

(三) 超音波断層法

被告病院には、超音波診断装置が設置され、熟練した技術者もいたのだから、臍帯下垂等の異常像を描出して発見できたはずである。ところが、芝本医師は、昭和六〇年一一月三日以降は、超音波診断装置による胎児の先進部が何かの確認をしないまま分娩開始に至った。

4 臍帯脱出を誘発する行為の禁止

子宮口全開大が近くなり、分娩第二期へ移行する直前は、破水に伴う臍帯脱出が一番起こりやすい時期であるから、これを誘発するような自力での身体移動は厳に慎まなければならず、産婦に腹圧がかかる一切の行為を禁じなければならない。むしろ骨盤高位をとらせるなどすべきであるのに、原告雅江を陣痛車から分娩台へ自力で平行移動させた。

(争点3について)

5 臍帯脱出後の処置

骨盤位で臍帯脱出が起きた場合には、帝王切開を第一に考え、一刻も早く執刀を開始することが必要であるのに、江崎医師は、臍帯還納術及び牽引術を試み、帝王切開の着手が遅れた。臍帯還納は成功率が低い上、還納できても、また脱出することが多く、帝王切開の時期を失することになるから、行うべきではなかった。また、芝本医師が分娩に立ち会っておらず、手術決定の後、手術道具を取りに手術室との間を往復したなど帝王切開の着手が遅れた。

(損害額について)

6 原告奨

同原告は、脱出した臍帯が胎児先進部と骨盤壁の間に圧迫されて循環障害を来し、酸素不足による低酸素虚血症により重篤な脳性麻痺(体幹機能障害により一級の身体障害)を後遺するに至った。

(一) 逸失利益 三一九六万八六一八円

就労可能年数を満一八歳から満六七歳まで四九年間とし、昭和六一年賃金センサスの男子一八ないし一九歳の平均賃金、年間一八七万七八〇〇円により、原告奨は前記後遺症で、労働能力を一〇〇パーセント喪失しているので、新ホフマン方式により中間利息を控除して計算。

1,877,900×17.0236

(二) 精神的損害 二〇〇〇万円

(三) 介護費用 三三二三万一九三六円

原告奨は、前記重度の障害により、平均余命の七三年間、日額三〇〇〇円を下らない右費用を要するので、同様に新ホフマン方式により現価を計算。

3,000×365×30.3488

(四) 弁護士費用 八五二万円

7 原告好英及び原告雅江

(一) 慰謝料 各五〇〇万円

(二) 弁護士費用 各五〇万円

二被告の反論

(争点1について)

1 臍帯脱出の予見可能性

(一) 原告雅江の既往症

原告雅江が、昭和五九年一二月三日、被告病院産婦人科において受けた手術は、右卵管峡部の子宮外妊娠のため、右卵管の切除をしたものであり、子宮の一部摘出術は行っていない。

(二) 外回転術

医学上、外回転術は行うべきではないとの意見が多いとは必ずしもいえず、外回転術に意義を認めて積極的に行っているものも多いのが実情である。

(三) 原告奨の胎位

原告奨は、娩出時、足位(全足位か不全足位かはともかく)で分娩されたことは認めるが、分娩室で破水するまでの胎位は、複殿位であった。複殿位であっても、娩出時に胎児の片足が腟内に下降してくることは時に見られるところである。また、骨盤位のうちで、足位と複殿位とでは、臍帯脱出の起こる確率は、足位の方がかなり高い。

(四) 前期破水

原告雅江は、昭和六〇年一〇月七日、被告病院での検診時、破水感を訴えたので、検査したところ、BTB検査が陽性だった。芝本医師は前期破水を疑ったが、その後入院した原告雅江の経過を見ると、看護記録に羊水漏出少量の記事が散見されるだけで、水様の分泌物の流出はほとんど見られず、一一月六日には胎胞の形成を見るに至っている。こうした経過からみると、一〇月七日ころの時点では、高位破水又は偽破水であったと考えられ、いずれも帝王切開を考慮するときの前期破水には該当しない。また、原告雅江は、その後、ほぼ子宮口が全開大となった後に破水をみたのだから、分娩経過としては、適時破水である。

2 分娩方法の選択

芝本医師は、昭和六〇年一〇月七日、原告雅江が入院した当初は、前期破水と考えており、原告奨が未熟児で骨盤位であったことから、娩出が必要になった場合には帝王切開を考慮していた。しかし、妊娠三七週に入った一一月初旬には、羊水の漏出もなく、複殿位で産道の熟化も進み、原告奨が推定体重二六〇〇グラムになったため、経腟分娩の方針が決定された。骨盤位で帝王切開の適応となるのは、児頭骨盤不適合(CPD)、足位で破水を伴う場合、未熟児、臍帯脱出、児頭の過伸度、軟産道の熟化が不良の場合等である。複殿位の場合は、むしろ、原則として経腟分娩を試みるとするのが一般的な考え方であるから、本件分娩方法の選択は医師の裁量からみて、妥当なものである。

直ちに帝王切開が可能な状態での経腟分娩(double setup condition)を行うべきであったとする原告の主張は、原告奨の胎位が足位で、原告雅江が前期破水を起こしていたとの前提に立っており、前記1(三)(四)のとおり前提が誤っている。本件では、いわゆるダブル・セットアップ(double setup condi-tion)が必須であったとする明確な根拠は存在しない。

なお、被告分娩室には、緊急事態に備えて吸引装置等の設備が何時でも使用できる状態で常備されており、帝王切開が必要となった時点から、時を移さず、二名の産婦人科医により右手術が施行され、さらに、小児科医も到着して待機していたのであるから、被告の態勢にはいささかの問題もなかったことが明らかである。

(争点2について)

3 臍帯脱出の早期発見

足位で前期破水を伴う場合でなかったことは、前記1(三)(四)のとおりである。

(一) 内診による触知

内診は、原告雅江が陣痛室にいた一一月六日午後一一時三〇分ころから翌日午前一一時ころまでの間に、江崎、芝本両医師及び担当助産婦によって一〇回以上行われたが、その間、一度も下垂した臍帯を触知したことはなかった。臍帯下垂の有無、胎児の先進部は何かについてカルテに記載がないのは、下垂した臍帯を触知しなかったことによる。

(二) 胎児の心音

分娩監視装置の記録のうち、原告らが臍帯圧迫による胎児循環障害の特徴である変動一過性徐脈が読み取れるとする部分は、宮崎助産婦が内診を行ったため、原告雅江が体を動かし、腹壁上に置かれた分娩監視装置の胎児心拍検出用プローベの方向が胎児の心臓の位置からずれたことにより、ドップラー信号の質が低下したため記録されたもの及び内診の刺激とそれによる腹圧の上昇のために胎児に対する圧迫が強くなったことによる迷走神経反射のために起ったものである。このことは、同じ記録中の陣痛曲線がはっきりしなくなっていることとも一致する。結局、原告雅江が陣痛室にいた間の胎児の心音には異常はなく、臍帯下垂や脱出の徴候である所見はなかった。

(三) 超音波断層法

被告病院には、超音波診断装置が設置されていたが、経腟走査法による超音波診断装置は、昭和六〇年一一月の本件当時わが国では、市販されていなかった。そのため、下垂した臍帯を描出できるものではなかった。

4 臍帯脱出を誘発する行為の禁止

原告雅江を陣痛車から分娩台へ自力で平行移動させる方法は、数人の介助者で抱きかかえて移動させる方法に比べて、腹筋の緊張状態、即ち、腹圧がかかりにくい方法である。介助者で抱きかかえて移動させる方法をとると、妊婦が水平ないし骨盤高位の姿勢を保つためには、かなり腹圧をかける必要が生じるからである。

(争点3について)

5 臍帯脱出後の処置

臍帯脱出を発見してから、江崎医師は臍帯還納術を行ったが、成功しなかったのですぐに中止し、次に施行まで最低一〇ないし一五分を要する帝王切開より、緊急の措置として、経腟分娩により低酸素症の状態をより短縮でき、救命の可能性の高い牽引術を試みた。そして、胎児が途中から下降しなくなったので、帝王切開に着手した。臍帯脱出により低酸素症が起っている場合、臍帯圧迫を解除し、胎児への血流を回復させることが急務であり、臍帯還納術も牽引術も短時分で胎児を救出するための手段である。このような手段をまず試みたことは、臨床医の裁量の範囲内である。

第四争点に対する判断

一本件出産の経過

原告雅江が、昭和六〇年一〇月七日、被告病院に入院してからの事実経過は、前記争いのない事実に<証拠略>を総合すると、以下のとおり認められる。

1  原告雅江は、妊娠三三週に当たる昭和六〇年一〇月七日の診察で、芝本医師に同月五日より破水感があったことを報告したので、同医師が腟内に溜まった水ようのものを検査したところ、羊水反応があり、前期破水と判断されて、直ちに入院し、絶対安静にするよう指示された。入院後は、子宮収縮抑制剤及び抗生剤を投与することにより、出産を分娩予定日に近づけ、胎児の発育を待つ待期保存療法がとられた。同月二一日、原告雅江に腹部緊満が生じたが、子宮収縮抑制剤の投与方法を経口投与から静脈内持続点滴注入に切り換えたところ、腹部緊満感が次第に軽減、消失するに至ったので、同月二五日以降は、点滴から経口投与に戻した。入院後は、分娩を誘発するような異常所見はなく、子宮口開大は、ほぼ一センチメートル前後で推移し、胎児の先進部は一〇月二一日の時点で足に触れ、一一月二日の時点は陰のうに触れて、臀部であることが内診された。芝本医師は、原告雅江の入院当時、原告雅江に前期破水があり、胎児は未熟児で骨盤位であったため、娩出が必要になった場合には帝王切開することを考慮していた。しかし、その後、妊娠三七週の同月六日に至り、羊水の漏出もなく、複殿位(先進部に足と臀部を触れる場合は右胎位と考えられる。)で産道の熟化も進み、胎児の体重も約二六〇〇グラムと推定されたことから、帝王切開もあり得るが、まずは経膣分娩で臨むこととし、回診の際に医長以下の他の医師に諮ったところ、同意見であった。芝本医師は、同日から原告雅江に対するブリカニール(陣痛抑制剤)投与を止め、絶対安静を解除(トイレでの洗面を許可)し、分娩方法に関する右方針についても、同人に伝えた。

2  一一月六日午後一一時一〇分、原告雅江が陣痛を訴えた。沢助産婦が調べたところ、陣痛間隔五分、発作持続時間一五秒であり、子宮口開大は約三センチメートルで、胎児の臀部を触知した。そこで、沢助産婦は直ちに当直の江崎医師に報告し、その指示で、原告雅江を同日午後一一時三〇分陣痛室に移した。翌一一月七日午前二時、江崎医師が原告雅江を診察したところ、右同様の所見が得られ、胎胞を触知し、したがって、従前の破水は高位破水と判断された。原告雅江が陣痛室にはいってからは、分娩監視装置が装着され、経過観察が続けられたが、同日午前八時四五分ころ、芝本医師が診察したところ、子宮口開大は約七センチメートルで、羊水の漏出が認められた。そこで、陣痛促進剤の点滴を施行し、宮崎助産婦が経過を観察した。子宮口開大は、午前八時五〇分及び同九時三〇分の時点で、約7.5センチメートル、同一〇時には約八センチメートル、同一〇時三〇分には約九センチメートル、同一〇時四五分には約9.5センチメートルと開大した。そこで、同日午前一一時ころ、宮崎助産婦は、原告雅江を陣痛車で分娩室に搬送した。

分娩室に搬送後、介助の澤本助産婦が陣痛車を分娩台に接して止め、陣痛車の端を固定した後、原告雅江に分娩台に移動するよう指示し、自力で移動してもらった。このとき、澤本助産婦が陣痛車を手と体で押さえて固定しており、陣痛車と分娩台の高さはほとんど同じで、分娩台の妊婦の腰付近に当たる部分は水平であった。

3  原告雅江が分娩台に移動した直後、澤本助産婦が原告雅江の外陰部にあてがっていたペードを取り外して、ペードが濡れているのを発見し、破水を察知し、直ちに内診したところ、腟腔内に胎児の足部と臍帯を触知した。澤本助産婦は、「大変だ、臍脱だ。」と叫び、同人と宮崎助産婦は、直ちに隣の分娩室で分娩に立ち会っていた江崎医師を呼んだ。このころ、隣の分娩室のアプガーチャイム(娩出直後にスイッチを入れ、一分後のアプガースコア測定時期を知らせるもの)が鳴った。隣の分娩室で出産した妊婦の出産時刻が同日午前一一時四分であることからすると、本件の臍帯脱出の発見時刻は、午前一一時五ないし六分ころである。

4  連絡を受けて駆けつけた江崎医師と澤本助産婦は、臍帯還納術及び牽引娩出術を試みた。臍帯還納術は成功しなかったのですぐに止め、続いて側切開を行うとともに、牽引娩出術を二回試みたが、胎児は娩出されなかった。そのころ、連絡を受け、外来の診察室から駆けつけた芝本医師が分娩室に到着し、直ちに帝王切開を行うことが両医師によって決定された。そのため、芝本医師は手術室に開創器等必要な器具を取りに向かった。江崎医師らは、直ちに、分娩室に備付の用具を使い、消毒、皮下浸潤麻酔等の帝王切開の準備をし、江崎医師が、分娩室にあるメス等を使って、午前一一時一五分に執刀を開始した。その間、澤本助産婦は、臍帯に触れて拍動数を確認していた。芝本医師は、江崎医師が腹膜を切開する前ころに前記器具を持って分娩室に戻って来た。その後、両医師によって帝王切開が続けられ、子宮切開の際には、麻酔をラボナールによる静脈麻酔に変更し、午前一一時二二分に原告奨が娩出された。原告奨は、出生時アプガースコア二点、第二度仮死状態にあったが、分娩室に待機中の新家医師(小児科)によって、直ちに蘇生処置が施され、新生児集中治療が行われた。

二争点1について

1  臍帯脱出の予見可能性

まず、本件においては、分娩前に原告雅江に以下のような事情があったかどうか、本件臍帯脱出を予見すべきであったかが問題である。

(一) 原告雅江の既往症

原告雅江が昭和五九年一二月三日、被告病院産婦人科において子宮外妊娠と診断され、同日右卵管切開手術を受けたことに争いはない。

原告雅江の帝王切開の際、江崎医師が、通常より子宮が小さいように見える旨の発言をしたこと、これに答えて芝本医師が、子宮外妊娠の手術をしたことを伝えたこと、右卵管切除手術の後、芝本医師が原告雅江に対し、もう少しで子宮全部を摘出しなければならなかった旨言ったこと、本件分娩の際のカルテである乙第四号証には、「外妊右卵管角妊娠」との記載があることが証拠上認められる(<証拠略>)。

しかし、子宮外妊娠の際、切除した部分は、右卵管であり、子宮は一部であっても摘出していないこと(<証拠略>)、右卵管切除手術の後、芝本医師が原告雅江に対し言ったのは、別の場所での子宮外妊娠だったら子宮全部を摘出しなければならなかったが、不幸中の幸いとして子宮以外の部分の摘出で済んだという趣旨だったこと、乙第四号証の記載は芝本医師の勘違いによる誤記であること(<証拠略>)が認められる。このように、子宮については、その一部にせよ、切除したことを認めることはできないので、原告らのこの点に関する主張は、この前提において採用し難い。

(二) 外回転術

原告雅江に対しては、昭和六〇年九月三〇日、胎児の位置を矯正するために、被告病院の江崎、芝本医師によって外回転術が施されたことに争いはない。

<証拠略>によれば、外回転術については、これが前期破水の誘発、子宮破裂等の原因となることがあるので現在では行うべきではないとの意見があることが認められる。また、原告雅江は、外回転術を受けた翌日に座っていた座布団が少し濡れる程度の破水感を感じた旨の供述をしているし、その後、同年一〇月七日の定期検診で、破水が認められたので、即日、被告病院に入院したことは争いがない。

しかし、医学的に見ると、外回転術は有害とするまでのことはできず、一方で外回転術に意義を認めて積極的に行っている事例もあること<証拠略>、外回転術それ自体が不適当なのではなく、乱暴に行った場合には胎盤剥離等をもたらすケースがあり得るというのであって、適切な方法で行う限り有害ではないこと(<証拠略>)が認められ、外回転術自体が医学上不適当であるとは認められない。

また、原告雅江が一〇月七日の定期検診で芝本医師に報告したのは、一〇月五日に水おりがあったという内容であり(<証拠略>)、<書証番号略>でも一〇月一日から破水感があったという記載はなく、いずれも一〇月五日からであること、原告雅江は、既に母親教室で破水があったらすぐに来院するように指導を受けていたこと(<証拠略>)が認められる。これらの事実に照らすと、外回転術を受けた翌日である一〇月一日に座っていた座布団が少し濡れる程度の破水感を感じたとの原告雅江の供述はにわかに信用できない。したがって、以上認定したところによれば、外回転術が、原告雅江の破水を誘発したものと認めることはできない。

(三) 原告奨の胎位

原告奨が娩出時、足位(全足位か不全足位かはともかく)で分娩されたことは、前記一のとおり認めることができる。原告らは、このことから、分娩前から足位であったと主張する。

しかし、<証拠略>によれば、一〇月二一日に胎児の「足を触れる」との記載があるが、一一月二日の芝本医師の診断では、胎児の先進部は、臀部であって胎児の陰嚢に触れたこと(<証拠略>)、一一月四日及び六日の助産婦の内診によっても胎児の先進部は臀部であったこと、一一月七日午前八時四五分ころの前記芝本医師の診察段階でも胎児の先進部は臀部であったことが認められる(<証拠略>)。したがって、分娩前の胎位は臀部であったと推認することができる。また、複殿位であっても、内診によって足に触れること、分娩時に胎児の足が出てくることがあること(<証拠略>)も認められる。

したがって、分娩前から、足位であったとする原告らの主張は採用できない。

(四) 前期破水

原告雅江は、昭和六〇年一〇月七日に被告病院で、破水感を訴え、BTB検査が陽性であったため、芝本医師は前期破水を疑い、入院させたものであるが、その後の原告雅江の経過を見ると、看護記録に羊水漏出少量の記事が散見されるだけで、水様の分泌物の流出はほとんど見られず、前記認定のとおり、一一月六日には胎胞を触知し、高位破水であったと判断されている。こうした経過からみると、一〇月七日ころの時点では、高位破水であったと考えられ、いずれにしても帝王切開を考慮すべき前期破水には該当しない(<証拠略>)。

(五) 臍帯脱出の予見可能性に関する判断

以上(一)ないし(四)に認定したとおり、本件で特に臍帯脱出を予見すべきだったと認められるほどの事情はなく、一般的に骨盤位の場合、臍帯脱出が発生する可能性があるという一般的予見可能性が認められるに過ぎない。

2  分娩方法の選択

次に、胎児の仮死を防ぐため、当初から帝王切開を選択するか、又は、直ちに帝王切開が可能な状態での経腟分娩(double setup condition)を行うべきであったかどうかを検討する。

前記1で認定したとおり、原告雅江が子宮の一部摘出を受けたことはなく、外回転術が前期破水を誘発したこともなく、原告奨は娩出時には足位であったものの、それ以前は複殿位であったとの診断に過誤はないこと、一〇月七日ころの時点では、高位破水であったと考えられ、いずれにしても帝王切開を考慮すべき前期破水には該当しないことが認められる。<証拠略>によれば、骨盤位では、頭位に比べて臍帯脱出の発生確率が高いが、同じ骨盤位のうちでも、足位と複殿位とでは、臍帯脱出の発生確率に差があり、「単殿位1.8パーセント、複殿位4.6パーセント、不全足位10.1パーセント、全足位13.5パーセント、足位一八パーセント」であり、(<証拠略>)でも足位の場合一八パーセントの確率であるとする。また、骨盤位で帝王切開の適応となるのは、足位で破水を伴う場合等であり(<証拠略>)、複殿位の場合は含まれていないことも認められる。

したがって、複殿位と足位とでは、臍帯脱出の発生確率に二倍程度の差があり、本件のような複殿位で前期破水のない場合が、医学上帝王切開の適応となる場合にも含まれないことに鑑みると、帝王切開を考慮しつつ経腟分娩で分娩するという本件における分娩方法の選択に不適切な点はなく、当初から帝王切開をするか、又は、いわゆるダブル・セットアップ(double setup condition)が必須であったとはいえない(なお、本件臍帯脱出後、緊急に右手術が行われたことは後記説示のとおりである)。

三争点2について

1  臍帯脱出の早期発見

本件で臍帯脱出をより早期に発見可能であったかどうかについて検討する。

(一) 内診による触知

原告は、被告病院で、医師や助産婦によって内診自体は何度も行われたが、臍帯下垂の有無、胎児の先進部は何かについて、カルテ(乙第四号証)に記録がなく、先進部についての無頓着な対応があったと主張する。

確かに臍帯下垂の有無について、乙第四号証中には記載がない。しかし、乙第四号証によれば、内診は、原告雅江が陣痛室にいた一一月六日午後一一時三〇分ころから翌日午前一一時ころまでの間に、江崎、芝本両医師及び担当助産婦によって数回行われたことが認められる。そして、胎児の先進部は何かについては、一一月七日午前八時の段階で臀部であったとの記載がされている(但し、各内診の正確な時間は前示八時四五分である。)。こうした事実に鑑みると、先進部についての無頓着な対応があったということはできず、また、臍帯下垂の有無について乙第四号証に記載がないのは、下垂した臍帯を触知しなかったことによるものと推認できる。

(二) 胎児の心音

臍帯が胎児と子宮壁あるいは軟産道によって圧迫されると、胎児の唯一の酸素供給路に障害が生じるため、臍帯雑音が聴取される(<証拠略>)こと、被告病院では、分娩監視装置を、昭和六〇年一一月七日午前九時四〇分から同一〇時四九分三〇秒ころまで原告雅江に装着し、胎児心拍のモニタリングをしていたこと(<証拠略>)が認められる。

ところで、原告らは、臍帯圧迫による胎児循環障害の特徴である変動一過性徐脈が、乙第六号証の欄外数字「22697」付近から約二分間読み取れるのに、被告病院は臍帯圧迫に気付いていないと主張するので検討する。

乙第六号証の欄外数字「22697」付近は、時刻にすると午前一〇時四三分ころになるが、宮崎助産婦は午前一〇時四五分ころ原告雅江の内診をしており(<証拠略>)、そのため、原告雅江が体を動かし、腹壁上に置かれた分娩監視装置の胎児心拍検出用のプローベの方向が胎児の心臓の位置からずれたことが考えられる。プローベがずれると、ドップラー信号の質が低下するし、内診の刺激とそれによる腹圧の上昇のために胎児に対する圧迫が強くなったことによる迷走神経反射のために胎児心拍に変化が起こることが推認できる。また、同じ記録中の陣痛曲線がはっきりしなくなり、上下の振幅の大きい鋭い波が記録されていることもこれを裏付ける。さらに、胎児心拍数は、欄外数字「22697」の部分より時間的に前の一分間と「22697」の前半分とで比較すると、一分間一五五であって前後に変化がない。また、記録中多い方が一五五、少ない方が八五ないし一二五である場合は、いわゆるダブルカウントには当たらない(<証拠略>)。

結局、原告雅江が陣痛室にいた間の胎児の心音には異常はなく、臍帯下垂や脱出の徴候である所見があったとまで認めるに足る証拠はない。

(三) 超音波断層法

被告病院には、超音波診断装置が設置され、使用されていたことは争いがない。

原告らは、これを使えば、臍帯下垂等の異常像を描出して発見できたはずであると主張するので、検討するに、<証拠略>では、超音波断層法によれば下垂した臍帯等の異常像を描出できるとまでは記述していないこと、また、<証拠略>は、経腟走査法によれば、子宮口開大前であっても先進した臍帯を描出できる例があるとするが、経腟走査法による超音波診断装置は、昭和六〇年一一月当時、わが国では、市販されていなかった(<証拠略>)ことが認められる。したがって、本件当時、下垂した臍帯を描出できたと認めるに足りる証拠はない。

(四) 臍帯脱出の早期発見に関する判断

以上認定したとおり、医師及び助産婦は内診を十分行っており、胎児の心音にも異常所見は認められず、当時の超音波診断装置では下垂した臍帯等の異常像を描出できないものであり、前記二1に認定した事情、即ち、本件での臍帯脱出の予見可能性が、骨盤位(複殿位)では頭位より発生頻度が高いという程度の一般的なものであったことを考え合わせると、被告病院において臍帯脱出の早期発見に努める義務に違反したとは解し得ない。

2  臍帯脱出を誘発する行為の禁止

原告雅江を陣痛車から分娩台へ移動させるに際し、自力で平行移動させたことは当事者間に争いがない。

原告らは、この移動方法が臍帯脱出や破水を招いたと主張するので検討する。

腹圧をかけないという点からみると、原告雅江を陣痛車から分娩台へ自力で平行移動させる方法は、数人の介助者で抱きかかえて移動させる方法に比べて、腹筋の緊張状態、即ち、腹圧がかかりにくい方法であり、妊婦自身が無理だと思えば、自力移動を中止するなどして調節の容易な方法である。他方、介助者で抱きかかえて移動させる方法をとると、妊婦が水平ないし骨盤高位の姿勢を保つためには、かなり腹圧をかける必要が生じる事情にある。そして、<証拠略>によれば、産婦の意識がしっかりしないなど、自分で動けない場合以外は、右自力による移動によっていたことが認められ、原告雅江が、既に一一月六日から絶対安静を解かれ、トイレ等に起きて行くことを許されており、当時、同原告に格別の異常が認められていないことからみても、原告ら主張のように、介助者で抱きかかえて移動させる方法をとることまで、この段階で要求されていたとは認め難い。

四争点3について

1  臍帯還納術及び牽引術

臍帯脱出後の処置として、江崎医師が、臍帯還納術及び牽引術を試みたことは争いがない。

原告らは、臍帯還納は成功率が低い上、還納できても、また脱出することが多く、帝王切開の時期を失することになるから行うべきではなかったと主張するので検討する。

臍帯脱出に対し、江崎医師は臍帯還納術を行ったが、成功しなかったのですぐに中止したこと、次に帝王切開よりも低酸素症の状態をより短くできる牽引術を試みたが、胎児が途中から下降しなくなったので、帝王切開に着手したこと(<証拠略>)が認められる。また、臍帯脱出の場合、臍帯圧迫を防ぐことが急務であり、帝王切開が唯一万能の方法ではなく、<証拠略>でも、「子宮口が全開大して、児を直ちに娩出できるときは、牽出術を行う」としており、本件で子宮口がほぼ全開大で、胎児の推定体重が約二六〇〇グラムとやや小さめであったこと等の事情も考慮すると、まず臍帯還納と牽引術を試みたことは、当時の状況に照らして臨床医の裁量が不当であったということはできない。

2  帝王切開への着手

原告は、前記の事情に加えて、主治医芝本医師が原告雅江の分娩に立ち会わず、外来の診察室にいた点や手術室へ手術道具を取りにいった点等をとらえて帝王切開の着手が遅れたと論難するが、前記認定のとおり本件では当初から帝王切開をするか、又は、いわゆるダブル・セットアップ(double setup condition)が必須であったとはいえないのであり、右の点を過失と捉えることはできない。また、前記認定のとおり、本件では、緊急事態のため手術室にわざわざ原告雅江を搬送することなく、分娩室内で適宜に帝王切開手術が行われたこと、臍帯脱出発見が午前一一時五ないし六分であり、帝王切開の執刀開始が同一五分、胎児の娩出が同二二分であったのであり、その間、僅かに七分であり、臍帯脱出発見から胎児娩出までは、一六分ないし一七分を要したことになるが、これは、発表された事例との比較からみても決して遅れたものとはいえない(<証拠略>)ことが認められ、前示、分娩台への移動直後に澤本助産婦が原告雅江を内診して臍帯脱出を触知、発見していることからみても、帝王切開の着手が遅れたと言うことはできない。

五結論

以上のとおり、原告らの請求は理由がないから、いずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官川鍋正隆 裁判官金井康雄 裁判官古閑裕二)

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